2002年10月31日(木)


ご主人様がいらしてくださった。

網目の粗いセーターの下に、Tシャツをお召しになっていた。

何故真夏の格好なの、と僕が尋ねると、

ご主人様は冷静にお答えした。


それはな、服がなかったんだよ。




…慰めてやれませんでした。



2002年10月30日(水)


昨日聞いたN山氏の一言。


「あー!昨日『アルジャーノンに花束を』見るん忘れた!

俺毎回見て泣いてるんだよ〜あれいいよなぁ〜」






…こいつぁヤバイぞ。



2002年10月20日(日)


朝起きると、もはや今からでは電車に間に合わない時刻であった。
田舎の電車は山手線のようにはいかない。
それを逃すと乗り換えは不可能である。
だが今日は大切な試験日だ。
よってタクシーで行くことにした。

タクシーで行くのでまだゆっくりしてていいかと、猫の世話を焼いていた。
ご主人様はあまり役に立たない。

途中まで電車に乗り、途中の駅で降りてタクシーを拾った。
目的地まで\2,580だった。
試験にはまだ十分時間が余っている。
試験地は某町の某高校で、冷暖房などついているはずもなく、ベランダが廊下である。
僕は廊下側の席で、ひどく寒かった。

午前問題終了。
問題は午後問題である。
これを30分早く終わらせれば次の電車に間に合うのだ。
僕は一番心配だったはずの午後問を見直しもせずにちゃっちゃと終わらせて駅に向かった。

ありえないほど小さな駅。
駅広場には「乗り合いタクシー乗り場」があり、今時乗り合いなんてすんのかよと突っ込んだ。
そして改札を通ると目前が踏み切り。踏切を渡ってホーム。
なんなんだこの駅は。
電車は二両。よく揺れる。出入り口には整理券発券機まである。
いくつか駅を通り過ぎてようやく到着。
シャトルバスでさらに次の駅へ向かう。(こんなの乗換えじゃねぇ。)
そこから15分電車に揺られて高崎着。
駅前に停めておいたチャリも盗まれることなく、回収されることもなく、無事であった。
即行帰宅。
即行バイト先へ。

ああ今日は忙しかった。



2002年10月15日(火)


心配で、ご主人様と相談し、病院に連れて行くことにした。
ご主人様のおかげでここ数日間で子供たちは元気になった。
しかし今日学校のために帰ってしまう。
ご主人様は病院まで徒歩で付き合ってくれ、快速で帰った。

動物病院に行くのは初めてである。
今朝10時にペットショップでTRAVEL CARRYを購入して、チャリに載せて徒歩で運んだ。
獣医さんは大変良い人で、まだ30歳くらいの若い女の人だった。
看護婦さんやトリマーさんも優しい女の人ばかりだった。
院長らしきおじさんは、「最近は猫も人気があるんだよ」と元気付けてくれた。
一匹一匹体重を量ると、一番でかい奴が誰だかわかる。
大体140g〜220gぐらいだろうか、今度からお菓子用のはかりで毎日量ろうと思った。
体温も測り、検便もし、目薬も差し、健康診断終了。
結果、異常なし。
すぐさまメールでクマとご主人様に伝えた。

帰宅した途端、涙が溢れた。



2002年10月12日(土)


僕は決して明るい人間でもないし、思いやりと慈愛に満ちた人間であるとも言えない。
けれど僕は血の通った人間だ。

僕たちは、子育てと同時に里親探しをせねばならない境地にいた。
ご主人様もクマたんも、あらゆる友人らに連絡を取ってくれた。
僕もHPに写真をアップしようと、デジカメを持っている唯一の友人、キジに連絡を取る。

僕  「お願いがあるんだけど、仔猫が家の前に落ちててね、
    今その子たちの里親探ししてるの。で、デジカメで写真とってくれないかな。
キジ 「はぁ? 拾ったの? 野良猫を? アンタ馬鹿じゃないの?」
僕  「…え」
キジ 「アパート飼っちゃ駄目じゃん。なにエンガワの子?」
僕  「いや違うみたい。親が分からないから僕が育ててるんだよ。
    まだミルクしか飲めなくてネズミみたいに小さいんだ。
    見てられなかったんだよ。頼むよキジ」
キジ 「えー面倒くさい」
僕  「キジだったら、目の前に死にそうになってる仔猫がいたら助けるでしょ?
    明日の朝には死んじゃうって分かってるのに放っとけるの?」
キジ 「そりゃかわいそうだけど、野良なんだから仕方ないじゃん」
僕  「…(絶句)」
キジ 「ていうか、今高崎いないし」
僕  「お願いだよ…頼むよ…命がかかってるんだよ…たった一枚でもいいから…」
キジ 「あーわかったよ、じゃあ学校ある日にしてよね」

涙が止まらなかった。
実家には猫がいて、以前飼っていた猫が死んだときは一日中泣き通しだったキジが。
そのキジが、野良は死んで当然だと言いのけたのだ。
僕は、里親になってくれとも、里親探しに協力しろとも、猫の世話をみてくれとも
一言も言っていない。
ただ、写真を撮って欲しいと頼んだだけだ。
それなのに、「面倒くさい」の一言でそれを切った。
この子達が望んで野良になったわけではないのに。
寒空の下で打ち震える毛玉を、彼女は何とも思わずにいられるのだろうか。

僕は、キジを軽蔑する。



2002年10月10日(木)


二限を終え、家に帰ろうとしたら教科書販売が今日行われるとの事。
しかも生協ではなく、わざわざ研究室にまで出向かねばならぬと。
教科書を手に入れるため、僕は研究室へ向かった。
K教授の長々延々切々としたくどい文句を聞き終えてようやく教科書GET。

向かう先はペットショップであった。
粉ミルクと哺乳瓶とヒーターとブラシを購入、試供品のキャットフード二袋をしまい、
たこ顔(たこづら)で昼食のたこ焼きを買い、家に帰った。

アパートに着くと、ぴーぴー騒がしい。
もう一匹GETで計5匹になった。
それをみたご主人様、「マジかよー!」とショックを隠しきれないご様子。
ご主人様は、猫専門家の実家に連絡を取り、様々なアドバイスを享受している。
本当に頼りになる人だ。
こんなにご主人様を尊敬するのは今までで二度目くらいのことだ。
しかし猫番をしていると、どうやらノイローゼになるらしい。
ご主人様は疲弊しきっていた。

「お前ら何が欲しいんだよ」
「頼むからミルク飲んでくれよ」
「なんでお前らが泣いてるのか俺にはわかんねーよ」

自身で排泄も出来ない小さな命たち。
それを他種であるヒトが世話するのだから、コミュニケーションなんか取れるはずもない。
しかも、学校もバイトもある一学生のアパートで飼えというのか。
確かにこのアパート地帯にはノラ猫が住みついている。
けれど、二号さんにしたって、エンガワという母親がいて育ってきた猫だ。
エンガワがまさか二号さんしか産んでいないと思うか。
野良の世界は厳しく、ある程度自活できないと、猫は死ぬしかなくなってしまう。
それなのに、飼い主は、捨てた。
飼えないとわかっているこの学生アパート地帯へ。
一体誰に育てろと言うのだ? 誰に責任を取らせるのだ?
里親が見つからないのは僕のせいなのか?
ミルクを飲まないのは僕のせいなのか?
仔猫達が泣くのは僕のせいなのか?
もしも、死んだら、僕のせいなのだろうか?

死なせたくない一心で拾ってしまった命を僕はどうしたらいいのだろう。
僕にあるのは、ただ必死さだけだ。



2002年10月09日(水)


そりゃあもう朝からぴーぴーうるさかった。
おい二号、お前の友達か? エンガワ、また誰か連れてきたのか?

僕は不審に思いつつも学校へ行く。
今日は特別講義の授業のある日で、17:00までにレポートを提出せねばならないのだ。
朝の4:30までデニーズにいて、ちゃんと一限から出席していたので、書く時間がなかった。
ということでぎりぎり10分前に書き上げ、提出。
よくやった。

帰宅する頃には、もう風が冷たくなっていた。
「もう一枚上着を羽織ってバイトに行こう」
そうして家に着くと、まだぴーぴー騒がしい。
なんだなんだとよく見ると、白い綿が落ちている。

猫が落ちている。

目が開いてない奴までいる。歩けない奴までいる。泣くのを止めた奴までいる。

死んだ奴もいるのか?

一抹の不安が脳裏をよぎり、すぐさま指で突いてみる。
動く。
まだ無事なようだ。
だが、外は寒風が吹き始め、もしこのまま一晩野ざらしのアスファルトの上にいれば
間違いなく全滅だろう。

即興の箱を作り、こないだ剥ぎ取った古シーツを敷いた。
いらない段ボール片を捨てないでおいて本当によかった。
僕は4匹の白い綿どもをひょひょいと箱に入れ、風の当たらない階段下に非難させた。
しかしそれを見た二号、仔猫をからかってばかり。
「やめなさい」「あっち行きな」と叱っても近づいてちょっかいを出す。
見かねた僕は、家の中に入れ、「少しの間だけ待っててね」と言い置いてバイトへ出かけた。

帰宅途中、TIME CLIPにてスポイトを購入してきた。
子供の頃、仔猫を拾ったとき、スポイトでミルクを遣っていたのだ。
実家では猫禁止令があったので、そんな体験談を持っていて本当に良かったと思った。
けれどもなかなか飲んでくれない。
途方にくれた僕はご主人様に電話した。
ご主人様は、大の犬猫好きなので、その辺は人より詳しいところがあるのだ。
とにかくミルクを飲ませなければ明日の朝には死しかない。
必死で助言を取り入れ、ガーゼを取り出し、ミルクを温め、右往左往しながら子守した。

僕には何の知識もなかった。
ただ、死なせたくなかったのだ。

ご主人様が、始発でやって来ると仰ってくださった。



2002年10月08日(火)


久々に涙した。
それは「アルジャーノンに花束を」。
ドラマ第一回目でこんなにボロ泣きすることなんて今までなかった。
それほどの衝撃をもたらしてくれたのだ。

そう…本当に衝撃(ショック)だった。

その日僕は、絶対に見まいと決めていた。
だからクマたんをカラオケに誘ったのだ。
で、クマたんち行ったら、クマたんちケーブルテレビじゃないですか。
クマは、「映画見てーだろ?見ていいぞ。好きに見ててくれ。私は勝手にやってるから」と
放置状態にし、リモコンと番組表を僕に手渡してくれるじゃないですか。

それからず〜〜っとアニメ見てましたよ。
ええ、アニメ以外に興味なかったものでね。

で、いつの間にかアルジャーノンの時間になったので、「じゃあ見てみようか」と
チャンネルを合わせたわけです。
まさかここまで馬鹿にした内容だとは二人とも予想だにしませんでしたが。

一応予感はしてました。
どうせろくでもない出来なんだからと、期待なんか持って見てたらエライ目に遭うぞと。
その通りでしたよ。
否、それ以上の出来でした。
僕には我慢なりませんでした。

チャーリーを馬鹿にしないでくれと。
僕にはそれしかいえません。
もはや冷静にドラマを評価する気力さえ失われてしまったのです。



2002年10月06日(日)


男は自分のことを話したがる、と以前書いた。
では女のことは知りたくないのか。

答えは知りたいだ。

では何故自分の痛い過去のほうを話したがるのだろうか。
そこに再び男女の差が生じる。

女の心理としては、「元彼の話を現彼に話すのは失礼に値する」というもの。
対して男の心理は、「彼女のプライベートなことを聞くことは失礼に値する」というもの。
つまり、この双方が重なって、女の過去の痛い話は、女から口を割らなければいけなくなる。
そうしなければ話題にあがることはないだろう。

ということで、僕の痛い過去のお話はあまり人に知られることがない。
「普通の人」でありたいがために、相手の話を聞くにとどまるようにしている。
自分から自分のことをベラベラ喋るには、よほど親しい仲でないと出来ないのだ。
(僕が親しいと判断する者がいかなる人物かは僕にもよく判っていないのだが。)

で今日も仕事を終えた主任と二時間くらいくっちゃべっていたわけだが、なんとなく、
主任は僕のことが好きなのではなく、ただ単に話せる人間と判断しているだけでは
ないのか、との思いが沸き起こった。
主任は、ドラマのような体験をしており、「現実にはそんなこともあるのだ」と語っていた。

なんだか同じニオイがする。

そう、絶対ありえないドラマのようなことが本当に起こって、それを体験できるのだ、
現実という世界は。
多分僕らは同じニオイがするから仲良く出来ているのだろう。
これは恋愛感情とはまた似て非なるものである。
まぁ男はそれを「好き」と勘違いするのが常なのだが、それは無いこととしておく。




2002年10月05日(土)


今日は飲みに行こう。

僕はそう決めていた。
ろくに友達もいないので、クマたんに電話して了解を得た。
行くところはTOO CUTE!というレストラン&バーである。
ここは、毎月17:00〜24:00だけの半額商品があり、今月はパスタ類であった。
それを食いに行くのだ。

さて着きました。
どうやら二階の席へ案内されるようです。
僕らは二階に上がっていくボーイの後についていきました。
しかしついて行くべきはこのボーイではなかったようです。
友達の前で停止してしまいました。

これは大変な勘違いです。僕たち席がわかりません。

仕方がないので、そこら辺の店員に声をかけてテーブルを用意していただきました。

お通しがやってきました。
ただでさえ「なんでレストラン&バーでお通しがあるんだよ」と突っ込みたいのに、
それは袋入りのグリッシーニだったのです。
もちろんクリームチーズもジャムも何もありません。
どうやって食えというのでしょうか。持ち帰るべきなのでしょうか。
しかし手持ち無沙汰なクマたんは食い始めました。
それを見て仕方なく僕も食い始めました。
思いの外の虚しさに僕らは笑うしかないのでした。

オーダーしたドリンクがやってきました。
クマたん、カンパリオレンジ。僕、ウーロンハイ。
しかしドリンクを持ってきた店員の言葉に僕は驚愕することになったのです。

「アイスウーロンお待たせいたしました」

…まさか…。
一口飲んでみると、それは紛れもないウーロン茶だったのです!
僕はアルコールを入れることも許されないのでしょうか。

そうしてるうちにパスタと唐揚げがやってきました。
パスタ、「チーズだらけの遊牧民」。唐揚げ、「若鶏の唐揚げカリカリポン酢和え」。

パスタに具が見当たりません。
唐揚げに和えている気配がありません。


僕    「確かにチーズの味がするが、しかし…」
クマたん「遊牧民はおおらかなんだよ、な」
僕    「しかしこの唐揚げ脂身多すぎねぇか…」

そんな会話が繰り広げられる中、僕らの中にひとつの結果論が導き出されました。
マイナスとマイナスがかけられるとマイナスになるということでした。
もうこれは間違いありません。
店を変えましょう。

僕らはそばのWOOD TABLEというバーへ行きました。
客はフィリピーナの女性グループしかおらず、しかし大音響の音楽がかかっていました。
クマたん、カルアミルク。僕、ジンライム。
僕は酔おうとジンライムを頼んだのに、この後、酔いを醒めさせる出来事が起こりました。

フィリピーナ、踊り出す。

クマたん「お前さ、絶対嵌めたろ、あたしの事嵌めたろ」
僕    「違うよクマたん、誤解だよ、これがナチュラルなんだよ」
クマたん「てめぇはナチュラルにこういう場所に来られるのか」

とりあえず店を後にし、普通の世界に戻りたいと一心に願ってファミブへ行きました。
いつも通り、普通のファミブでした。
なんだかとても嬉しかったです。



2002年10月04日(金)


ここのところほぼ毎日主任から電話が来ている。
仕事を終えた主任と電話でおしゃべりするのが今週の日課だ。
とはいえ話すことなど特に無い。
主任の過去とか仕事とか人間関係とか、そういったとりとめもない話。

今日は主任の元奥様のお話をしてくだすった。
離婚までに至る過程を。

聞き出したわけでもないのに、なぜ。
僕は、そういったプライベートなことは聞かないようにしていた。
それが礼儀だし、話したくないだろうと思っていたから。
けれど自ら口を開くとはどういうことだろう。
キジいわく、「男は、女と違って元カノの話なんか彼女の前で平気で出来る」と。
そういえばご主人様もおっしゃっていた。

僕    「だって普通好きな人の前で元好きな人の話とかするか?」
ご主人様 「はぁ」
僕    「そういうのって、今の好きな人に対して失礼じゃん」
ご主人様 「そうなんだ」
僕    「ご主人様、もし彼女から元彼の話聞いたらイイ気分するの?」
ご主人様 「そうだねぇ」

そんな気のない返答だった。
つまり男はまったく気にしていないことになる。
しかし女の場合、現彼の目前で元彼の話はタブーであるという了解があるのだ。
よって僕は、元妻とのエピソードを聞いたとき、反応に困ってしまったのである。
一応無難な感想を述べといたが、かのエピソードは一体何のために聞かされたのか。
ただ単に、誰かに話したかっただけなのだろうか。
それならば何故その対象が僕なのか。

ここで、主任からのある言葉が思い起こされる。

        "くるちちゃんといると楽しい"
        "くるちちゃんとは波長が合う"

波長。

僕はそこではたと気付くことになる。
波、それはいかなる波?
もしかして電波とかそういった類ではないのか?
主任の言った何気ない一言、その一単語が、僕に警戒心を復活させた。
そう、まさにその波長によって僕は今まで奴等を呼び寄せ続けてきたのだ。
その波長が何なのか自覚はないが、それを受け取る者は間違いなく世間の異端者である。
主任には、そんな意識などまったく無かったことだろう。
しかし油断は禁物である。
僕は、直ちに警戒態勢をとる旨を彼に伝えた。
それを聞いた主任、「気まずい関係からやっと復活したと思ったのに」と無念さを呈した。

油断は禁物だ。
本当に禁物だ。
心を許したら僕はまた壊れることだろう。



2002年10月03日(木)


その日の朝教室に行くと、ゼミ協の顔見知りの子も同じ授業を取っていた。
僕は尋ねた。

「あのさ、C坂って何者なの?」

すると、返ってきた言葉は予想通り、あまり好かれてはいない人のようだ。
クマたんが頼りにならない今、僕は自ら情報を収集せねばならない境地にあった。
すぐさま問い返し、いかなる性格、性癖、問題点、経歴を持つかを聞いた。
すると答えは「すごい女好き」「なれなれしい」とのこと。
だから部活を辞めた子がいるって、だから打ち上げの途中で帰ったって、

…それだけ?

ホントにそれだけ?(喜)
うわーいうわーい!!o(>∇<)/☆

「詳しくは知らないけど」、と遠慮がちに語ってくれたが、もう相違なかろう。
程度低いぜコイツ!!
クサいメールや電話をくれるらしいが、そんなもの今の僕には余裕で応対できる手段だ。
さすが僕、慣れてきただけはある。
普通の人間たちが異常だと騒ぐくらいだから、どんなえらいドキュソかと思えば、
何のことは無い、普通の人間関係の上で問題になる程度だったのだ。

恐ろしいドキュソというのは、普通の人たちにヘンだと認識されているヤツではなかった。
普通の人たちに混じって普通に生活しているようで、実は…、といった輩が一番危険なのだ。
「近づかないほうがいい」と公にされている人間はまだよかったのである。
本当の既知外は、他人から「あまり口に出してはいけない」と思わざるを得ない点を持つ。
だから、心内では「異常だから深入りすまい」と考えつつ、表面上では友達になっている。
だから僕らは気付かない。
だから僕は引っかかる。

しかし今回のこの事件でひとつ学んだ。
世の中そんなクソじゃない。
真性既知外なんかあんまりいないんだね!(*^∇^*)



2002年10月02日(水)


就職ガイダンスを途中で抜け出し、直でバイト先へ行った。
大荷物である。
「今日は9:30上がりだろう」という予想を裏切られ、ラストまでだった。
今日は店長もお母さんも休みだったのでのびのびやれたのだが。

主任 「おなかすいたぁ」
僕  「おなかすいたねー」
主任 「じゃんけんぽん」
    僕が勝つ
主任 「どっかマンマでも食べ行く?」

ということで二人でぽわーる(イタリアン)へ。
レストラン閉店間際のひとときを過ごす。
客がいなくなり、レジのお兄さんが靴を鳴らしていたので、仕方なくおあいそする。
帰る。

さて、何事も無く食事を終えられたのだが、これは問題行為なのだろうか。
キジいわく、「二人で出かける自体、気を持たせていることになる」と。
僕は、相手が男だろうが女だろうが関係なく食事を共にする。
たとえそれが性行為だとしてもたいして気にしないだろう。(それは気にしろよ。)
ともかく、他人に言わせると、僕は相手を信用しすぎなのだそうだ。
というより、「まさか僕なんかに」と自分を見くびっているだけにすぎない。
なぜなら、常日頃からご主人様にブス、デブ、バカ等の散々な罵りを受けているからだ。
こんな謂れを毎日受けていたら、誰が惚れらているなどという妄想を抱くだろうか。
ということで何の気兼ね・心配もなくして男と食事が出来るわけである。

ただひとつの問題点を除けば。

それは、この広い世の中にはドキュソがいっぱいいること。
そして、そいつらを集めてしまう要素(フィフスエレメント!)が僕にあること。

思春期の頃モテなかったのは、あまりにも世界が狭すぎたからだといえる。
大学に入り、ネットにつなぎ、様々なバイト経験を経て世界が広がった今、
あの頃には想像もつかないくらいの…その…奴等との出遭いが多くなり、苦労を重ねてきた。
僕が「まさかね」とか「有り得ない」とか「大丈夫だよ」と言う時には必ず悪い方向に事が進む。
あたかも失敗・挫折・敗北・諦めだらけの人生でしかないように。
それでも希望を持って臨んでいる僕は、果たして馬鹿なのか、それともポジティブなのか。
時に傷つき、時に泣き、鬱になり、ヒッキーになり、電波をとばすこともあるが、
いつか誰かまともな人間に出逢えれば、元の世界に戻れるかもしれないのだ。
僕は、明るい世界への希望と憧れを一心に抱き続けたいと思う。

まさか、主任は、違うでしょ。




2002年10月01日(火)


台風が来ていることなどまったく知らずに、洗濯をしてしまった。
最近ずっと曇り続きだったので、もう我慢の限界に来ていたのだ。
明日が快晴ということもまったく知らずに、大量の洗濯物を部屋干しした。

昨日はバイトが休みで、10月のシフトが見られなかったので、バイト先に電話をかけた。
すると今日も休みとの事。
なんで2連休なのよ?それって普段無いじゃん。僕ってそんなに必要ない人間なのか。
と落ち込みながらも、思いもかけなかった退屈な時間をどうつぶそうかと案を重ねていた。

しかし僕には友達が少なかった。
ヒッキーなクマたんを呼び出そうとするが、台風を理由に断られてしまった。

そんな時にお母さんから飲みの誘い。
僕はお母さんの誘いは今後受けないようにしようと決めていたので、仕方なく断った。

暇だ。
と麻雀大陸を始めるが、初心者の部屋は受け付けているところが圧倒的に少ないため、
勝負は一回で終わった。しかも最下位。チョンボ二回もしたし。

寝ようか。
と寝床に就いてご主人様と電話をした。
C坂からメールが来る。

  「sub もし起きていたら…
   寝てて起こしたらメンゴm(__)m
   空、見てみて、すごく星がキレイで。」

シカト。



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