出向コージ苑

2003年04月30日(水) パーティー

在留邦人の方々が、誕生日パーティーを開いてくれた。
メニューはカレー。
作るのは時間に余裕がある七味屋氏とケンタロウ氏。
………。
よりによってその二人か。
コージ苑的にはかなりハラハラしていたのだが、
今日に限っては「口出し禁止」なんだそうだ。
そうか、コージ苑は今日安息日なのか。よしわかった。
…あ、あ、でもジャガイモの芽は取ってくれ。
タマネギだけは譲れないと、延々3時間炒めておいてよかった。

しばし遅れて、バタヤン登場。
女性が入るのを見るだけでほっとした。実際。

さらに遅れて、巨大なケーキを携えたエンジェル降臨。
わあい、豪華だぞう。
(というより、あれくらい大きくないとロウソクが立ち切れないという話も)

お料理だけでも嬉しいのに、加えてプレゼントとカード。
ブツはドライヤー。
わーいわーい、これ欲しかったんだ、ずっと。
それにしても、今までブロー用ドライヤーを使っていた生活がバレバレである。
おのれ…誰がばらしたか知っているぞ。

今に見ろ、ロータリーエンジン登載の超豪華ドライヤーを使う身分になってやる。
(意味のない捨て台詞だなしかし)



2003年04月29日(火) 世間的には

ニッポン的にはゴールデンウィーク突入です。

…関係ないけどね。
ひがんでるわけじゃないよ、念のため。
イースターもあったし、もうすぐ長い長い夏休みだし。

うらやましいわけじゃないよ、別に。

ただ、メールとか掲示板とか、この時期激減するんだよね。

いいんだけどね。

やっぱり、ちょっと羨ましいかも。連休。

※※※※※

宮城谷昌光『華栄の丘』文春文庫
今さらなんだけど、出版社を書けと言われまして。
すみません。気にしちゃいなかったよコージ苑てば。
さてこの本、作者からもお分かりのように中国歴史モノ。
吉川三国志しかり、このジャンルはエピソードやら人物像やらに、
独特の倫理観が垣間見えるようで、その感じがコージ苑としては嫌いじゃない。
舞台は春秋時代の宋。主人公は宋の宰相である華元という人物。
宰相という役職にある彼が正直で誠実でハカリゴトとは無縁、というのが、
かの時代においてはどうやら珍しいことだったらしい。
ふむふむ。



2003年04月28日(月) 無犯罪証明書

お父さんお母さん、申し訳ございません。
コージ苑は、もう犯罪の出来ない体になってしまいました。

…当然の事なんだけどね、人として。

※※※※※

スロベニアへの異動に伴って、再び必要になる諸々の書類。
無犯罪証明書のその一つである。
去年某県警本部で指紋をぐりぐりととられたことは、記憶に新しい。
もしかしてまた帰国かよ、誰か航空券奢ってくれよと思っていたら、
在外公館にて申請できるらしい。
金かかるけど。えっらいかかるけど。
それでも航空券よりは当然安上がり。
警察ありがとう。大使館ありがとう。
コージ苑はちゃんと税金納めます。

…これも当然の事なんだけどね、人として。

まあ、それはそれでよい。

驚いたのは、指紋採取である。
前回はさすが警察、コンピューターで手を汚すこと無くとれたのだが、
小さい国の大使館じゃなあ、まあ両手真っ黒だろうなあ、とあきらめていた。
すると、何と技術は進んでいるじゃないですか。

一見すると普通のシートに指をこすりつける。
手には何の色もつかず、べたつくこともない。
しかし、指定の用紙に押し付けて3秒待つと、あら不思議。
コージ苑の指紋が浮き上がってきたではありませんか。

しかもこのインク、紙以外のものでは発色しないらしいのだ。
コージ苑、試しに大使館のあちこちに手をペタペタつけてみたけど、
本当に何にも反応しないんだ。
すごいぞニッポン。えらいぞニッポン。

そしてごめんね大使館。実験しちゃって。
えへ。



2003年04月27日(日) 幸せの絶頂

ふっふっふ。

今日の朝食、コージ苑が何を食べたと思う?

ふっふっふっふ。





納豆。(乾燥のじゃないよ、本当のネバったやつだよ)




ああ、

幸せ。



2003年04月26日(土) バイク野郎とチェコバレエ

土曜の午後、ドライブしようと出かけたら、川沿いの道路に人だかり。
こういうものを見ると野次馬根性がうずいてしょうがないの、コージ苑てば。
で、ぐるりと車を回して(回したのは七味屋氏であるが)行ってみると、
そこには革ジャングラサン革ハットの群れ、むれ、ムレ。
すごい、イージーライダーの集団だ。

どうやらそれは、バイク野郎がチームごとに集って、
ご自慢のマシーンを披露するという、何ともステキな催しだったらしい。
チームの旗が翻るテント一つ一つの脇には、
ピッカピカに光るホンダやらヤマハやらハーレーやらがずらりと並んでいる。
おお、格好ええのう。
あちらの方では、お決まりのようにカントリー系のバンドがライブをやっている。

それにしても、イージーライダースタイルは、やっぱり外人に限るな。
そしてバイク野郎っていうのは、ヒゲのおっさんに限るんだな。
日本の若者よ、がんばって後50年ライダーを続けるんだ。

※※※※

夕方からは、がらりと変わってバレエ鑑賞。
オペラ劇場は小ホールで行われるのは、チェコバレエ団の公演である。
幕が開いてみると、それはモダンバレエだった。
民謡やクラシックをバックに踊る今回のバレエは、
当然ながらいつもの「白鳥」や「ロミオ」とは、かなり異なる趣を持つ。
それぞれの踊りが何を表現しているか、はっきりとは分らなかったものの、
自分なりの解釈を加えれば、抽象芸術もまた楽しい。

アンコールの拍手の中、一人のダンサーが投げた花束が、
隣の七味屋氏の膝にポトリ。
僥倖である。



2003年04月25日(金) 休日前日

学生が言った。
「コージ苑先生、来週の聴解の授業はありません」

こいつら何を抜かす。
それは私が決めることだ。

…と一瞬思ったコージ苑であるが、3つ数えて心を静め、聞いてみる。
「どうして?」
「5月1日はメーデーですから」

知ってるよそんなこと。だから何だ。
その日はコージ苑がまた一つ年をくってしまう屈辱的かつ痛恨的な日だ。
さらに3つ数えて、先程とは違う意味で心を静め、さらに聞いてみる。

「どうして次の日がメーデーだと、聴解のクラスがないの?」
「学校は2時で終わります」

何なのこの国。
祝日の前日からお休みあそばすのか。
休みの前の日っていうのは、普通の日じゃないのか。

後ほど他の人に聞いたところ、学校だけではなく会社も1時間早く終わるそうだ。
それが「労働の日」前日だからなのか、
祝日全般に適用されるルールなのかは、最早コージ苑の知る所ではない。



2003年04月24日(木) 半日

外は晴天だというのに、午後になるまで寝た。
こうなったら今日はもう、一歩も外へは出ないぞ。
よし決めた、あと半日は整理日だもんね。
旅行の写真をパソコンに落とそうっと。

※※※※※

沢木耕太郎『血の味』
中学生で人を殺した経験をもつ男が、20年後に記憶を辿りはじめる。
あるテーマを心臓にすえ、その周りを丁寧に包んでいるのは、
作者が書いたこれまでのノンフィクション作品から得た断片だ。
どうでもいい事だが、文庫版の表紙イラストの必然性がよくわからん。
不安定さ→漂う船→錘→ナイフって図式かしら。うーん、わからない。

※※※※※

上記からさらに半日後の今は、25日まで後3時間。
外は、うっすらどころか相当明るい。
思わず写真を撮ってしまった。
北の国の良い所はこれだな…ああ、体調が良かったらビールでもやりたい気分。

書いたら本気でビール飲みたくなってしまった。しまった。



2003年04月23日(水) 流行クリエイター

出勤途中に、一件の下着屋さんがある。
ショーウィンドーの中が、気づけば春夏の新しいディスプレイに変わっていた。
その中の一つが、コージ苑の目を釘付けにした。

それはキャミソールとショーツのセット。
色は純白。
清楚といえば清楚なのだが、素材が綿というところに微妙なものを感じる。
しかし、問題の所在はそこにはない。
キャミとショーツに統一感を出すがごとく、ちょうど体の正面にくるように、
一気に縦書きされた、黒々とした毛筆体の字。
その文句は。

「大唐帝国」

あのさあ…何があるわけ、その言葉の背後に。
かつて大英帝国で「月火水木金土日」と書かれた
トイレットペーパー見たことあるけどな。
あれよりアホな商品久しぶりに見たっつの。
しばし理解に苦しんだ(そして遂に納得できなかった)コージ苑であるが、
あるイケナイ考えがふと頭をかすめた。

これはきっと、昨今の漢字ブームにのってデザインされた商品であろう。
東洋人はこういうモンばっかり着てるんだろう、
と奴らは思っているのかもしれない。
(んなわけあるかと思いつつ、不安を拭いきれない処にこの国の恐ろしさがある)
ならば、例えばコージ苑が店内に入り、
いとも無邪気な顔をして「まあ素敵」とばかりにこれを買ったとしたら。
そして「あちらではこういうのが流行りで」とはしゃいで見せたとしたら。
さらにそのキャミソールを着て街中を自信たっぷりにうろついたとしたら。
もしかしたらそれは、この町に流行を引き起こす一端となるかもしれない。
何て言ったって「本場の東洋人」が着ているのだ。
「このデザイン、東洋的に見てもイケてますよ」と言っているようなものなのだ。

そしてこの夏、R市にはけったいな漢字デザインの服が大流行り。
(もっとも、単に冷笑されておしまい、という可能性もなきにしもあらず)

…おもしれえ。

しょうもない妄想に浸り、しばしにやけていたコージ苑であるが、
その壮大な計画を実行するにあたり、一つの越えられない壁にぶち当たった。

ごめん、どんなに面白いことになろうとも、その商品だけは買いたくない。
東洋人のプライドにかけて。



2003年04月22日(火) ひと休み

旅行の疲れをとろうと思って作り始めた豚肉とゆで卵の酢醤油煮。
事もあろうに、うっかり焦がしてしまった。
帰ってくるなり上手くいかないい゛〜、と苛ついていたコージ苑に恐れをなし、
七味屋氏がイタ飯屋(死語?)に連れて行ってくれた。
…やったね。
その時にやりと笑ったコージ苑の顔を、彼は見ていない。

昨年の夏にこの国に着いたばかりの時、
公使にごちそうになったその店は、とても気軽とはいえないお値段だった印象が。
しかし今回、冷静にメニューを見てみると、
目玉が飛び出る程のものでもなかった。
それはお給料もらいだして1年近くたったコージ苑が、
自分なりの「収入と支出のハカリ」を身に付け始めたということだろうか。
いずれにしても、ツナのトマトソースパスタは大変においしく、
(チーズがかかっていないところがコージ苑的には最高だ)
ついでに頼んだ自家製のティラミスは程よく酒がきき、コーヒーに良くあった。
ああ幸せ。料理焦がしてラッキーだったさ。

おいしいご飯って、つくづく豊かな心の素なのね〜。
ぬけぬけと言うコージ苑、今日もおごりで幸せいっぱい腹いっぱい。

私って、最低な女かしら。もしかしなくても。



2003年04月21日(月) 遠くまで行こうよ

コージ苑の方には何も問題がなかったのだ。
本来のスケジュールに沿うならば、朝8時近くの飛行機でウィーンへ。
4時間近くの待ち合わせの後、改めてL国へ。
そういう予定だったのだ。

先述のとおり、かなり無理をおしてやってきた七味屋氏である。
ウィーンから車で来たとすれば、帰りも当然車ということになる。
さすがに一人で夜中の高速を走りたくなかったとみえ、
彼はコージ苑に、ウィーンまでの航空券を捨てろと「お願い」してきた。
それを断るほど、コージ苑は鬼ではない。
大体今回の旅行は、半ば自分のわがままから決まったようなもんだ。
いいでしょう、長距離ドライブに付き合おうじゃありませんか。

早起きして、というよりは深夜に無理矢理起き出して、
リュブリャーナを出発したのは午前3時半。
当然深夜の町に、開いているガススタなどあるわけもないのに、
既に貧乏ランプをつけている彼の借り物アウディ。
だ、大丈夫なのか…?とやきもきするコージ苑をよそに、
沈着冷静に車を走らせる七味屋氏である。
どうやら彼にとって目下の最大の関心事は、
ガソリンよりティッシュにあるらしい。
風邪からくる鼻水が止まらないのだ。相当気の毒。

高速のインターでアウディ君はガソリンをおなかいっぱい補給、
七味屋君は袋いっぱいのティッシュを購入、
コージ苑は缶コーヒーでカフェイン補充(甘かったけどな)。
というところで、改めて出発。目指せウィーン。

途中休憩もはさんで、ウィーンの国際空港には9時前に到着。
無事チェックインも済ませ、空港内で朝ごはん。
ハラスレーとパンとハムとサラミ、ナスとズッキーニのマリネ。
さて、と口にした途端、思い出したのはここがドイツ語圏だということだ。
しょっぱい。どれもこれもしょっぱい。
ハラスレーはわかる。ハムとサラミもまあわかる。
なぜマリネが塩辛いのだ。謎。

一足先に飛び立った七味屋氏を見送った後で、
買物でもしようかと空港をうろついたコージ苑だったが、
手持ちのユーロもなく、小額の買物でカードを使うのも気が引けて、
結局何ひとつ購入しないまま、搭乗時間までを居眠りして過ごした。

3時間のフライトを終え、無事L国に着いてみると、
この国にも青空が広がり、少しだけ木に緑が見えた。
世界的に(正確に言えば北半球に)春が来ましたよ。

短い時間に色々な事があったけど、もう一度落ち着けるきっかけとなった。
今回の旅行はまあ、そんな感じ。お疲れ。

※※※※※

ジュンパ・ラヒリ『停電の夜に』
旅行のお供には短編がいい、と思うのは私だけ?
各賞総なめにしたインド系美女作家(←ワイドショー的表現)のデビュー短編集。
クレストブックの文庫化。クレストは相変わらずいい選択をするなあ。
表現力は各方面からの折り紙つき、どれを読んでもそれなりに感動するとあれば、
後は自分の趣味による、自分のためのお気に入りを選ぶだけ。
コージ苑はラストの2本「ビビ・ハルダーの治療」と「三度目で最後の大陸」。
前者は読後すかっと胸がすき、後者は静かに世界が開ける。

河野多恵子『秘事・半所有者』
ごく幸せな夫婦生活を延々と綴る「秘事」は、それゆえ読中少々退屈かもしれない。
しかし、ラストに近づくにつれて浮上してくるテーマに気づいた時、
些細なエピソードすら見逃せなくなる。
結婚予定の人もそうじゃない人も、少なくとも一日は考え込むこと請け合い。
短編の「半所有者」。ザッツ川端康成賞。



2003年04月20日(日) 坂のある町2

遅めに起きて、ピラン観光。
コージ苑は二度目なので、ヘレンが先導する道順には多少の覚えがあった。
もちろん初めての七味屋氏は、写真を撮ったりあたりを眺めたりしていたが、
いかんせん風邪気味の彼は、鼻水の処理に忙しく、観光に専念できない御様子。

ピランという町は、その規模の小ささにしては教会が多い。
内部もまた、結構凝った造りになっている。
L国はプロテスタントだが、こちらはカトリック。
両者の教会建築の違いは歴然。
非キリスト教信者のコージ苑の個人的趣味から言うと、
見るだけならカトリックの方が(装飾過多のきらいはあるとしても)好きだな。

町の一番の高台にある城壁にのぼる。
他の観光客がいなかったため、絶好の眺望はこの瞬間、私たちだけのもの。
折から晴れてきた空の下には、青い青いアドリア海があった。

帰り際にもう一度ヘレンの家をのぞくと、彼女のおばあ様が来ていた。
2年前に、少しだけ会った私を覚えていてくれたらしく、
猛烈なハグとキスをいただく。
このおばあ様の作るピクルスは絶品。
世界一だと思う、とヘレンに通訳してもらうと、
おばあ様が笑って言うには、「運がよければおいしいピクルスになる」。
ならばこのおばあ様、いつでも運が良いに違いない。

今年初めての、本物のイチゴを使ったシャーベットを食べて、
ヘレンとマシューにさよならする。
帰りは迷うことなくリュブリャーナにたどり着き、
かねてからの約束どおり、ぶっひーちゃんとお夕食。
ところが彼女も数日前から風邪をひいており、
3人のうちで食欲たっぷりなのは、普段虚弱なコージ苑だけだった。

…いるよな、旅行になると妙に元気な奴。
自分がそういう人種だとは、30年近く生きてきてついぞ知らなかったけど。



2003年04月19日(土) 坂のある町1

ホテルの朝食で、日本人の初老の夫婦と隣り合わせになる。
息子さんがスロベニアに住んでいらっしゃるそうだ。
L国もそうだけど、ここも「知り合いがいるから来る国」なのね。

※※※※※

午前中はリュブリャーナ市内を探索。
市場を一回りしてお土産を物色し、お城にのぼって高い所からの眺めを楽しむ。
ウィーンで借りたアウディの性能が良い良いとご機嫌の七味屋氏だが、
彼がL国で乗っているのだってボルボなのだ。贅沢な話じゃないか。

さて、今日は少々足を伸ばしてイタリアはトリエステへ。
須賀敦子がウンベルト・サバの軌跡を求めて旅したあの土地である。
結果から言うと、想像していたより工業都市の色合いが濃く、
当然のことながら町並みは近代的になっていたけれど、
それでも一本裏道に入ると、古びた建物が軒をつらね、石畳が顔を出している。
迷路のようになった細い道を行き来していると、やっぱりここは坂の町だと思う。
あいにくの曇り空で、アドリア海はうっすらブルーグレイだったものの、
そこにのんびり船が浮いている様なども中々よろしい。

市内のメイン広場に面するレストランで遅めの昼食。
コージ苑はラザニア、七味屋氏はお米のサラダ。
飲み物は個人的好みにより当然マキアート(このカタカナ表記でいいのかな)。
コージ苑がお手洗いに行った隙に出てきたらしいそのコーヒー、
先に見ていた七味屋氏がにやにやしながら「すごいですよ」と言う。
どれどれ、とテーブルに目をやると、大きいカップの中身が真っ白。…真っ白?
泡だったミルクしか入っていない。
コーヒーはと目をやると、
本来ミルク入れであるはずの容器に入ったエスプレッソ。
すげえ…コーヒーとミルクの比率1:9ぐらい?
以前スペインで「アメリカンコーヒー」ってあったのを頼んだら、
ウェイターが得意満面でエスプレッソとお湯を別々に持ってきたけど。
あれとは明らかに別種の、「本場の自信」とでも言おうか、
「これがイタリアなのよ文句ある?」的空気がそこには漂っていた。
(にしても、マキアートってこんなもんだっけ…)

大きい道路をあえて避け、海沿いの細い道をたどって再びスロベニアへ入る。
2年前の実習で知り合った学生が住んでいる、ピランという町で今日は宿泊。
久しぶりに会ったその学生、ヘレンは相変わらず細くて白くてかわいらしい。
そして彼女の隣には、もっさりロンゲのクマさん、マシュー君が。
ちなみにこの愛らしいカップル、揃って「おたく」だったりするんだな。
話に出てくるアニメ、時々コージ苑でもわからんぞ。
(別に自分はマニアじゃないけどさ)

長距離移動で疲れていたので、今日は早めに就寝。
年を取るとねー、無理がきかなくなるのがつらいよねー。



2003年04月18日(金) あちこちから

今日のスロベニア、R大学は中々すごい。
偶然とはいえ、元々の講師陣に加えて日本からの客員教授、
ミュンヘンから来たゲストの女性、シチリアからの零子嬢、
そしてL国からやってきたコージ苑と、なんとも雑多な顔ぶれが揃ったのである。
そんな感じで勉強会。
零子嬢が夏の終わりに開かれる某学会で発表することになっており、
その研究内容について皆で検討した。
ああ、久しぶりだわこんな集まり。
脳みその回転を実感できて嬉しかったり、その遅さに気づいてショックだったり。

※※※※※

夜遅く、七味屋氏が到着。
イースターの週末という、日本でいえば超混雑期に航空券を探した彼は、
値段と時間を吟味した結果、かなりハードなスケジュールをこなすことになった。
それはまず、R市から車で南のL国の首都までドライブする事から始まる。
これ、正味3時間半。
そこからウィーンまで飛行機。2時間。
極めつけに、ウィーンでレンタカーを借りてスロベニアまで5時間の長距離運転。
友人諸氏はそのスケジュールを聞いて、
「そこまでして…」と、
感心してるんだか呆れてるんだか判別し難い表情を見せた。

到着した途端、空腹を訴える彼である。
そんな事言われても夜10時過ぎ、良い子の町リュブリャーナで、
この時間に開いていて、しかも食い物を出す店なんてそうそうない、だろう。
とりあえず大学近くのバーに連れて行き、
残っていたサンドイッチを全部買占め、存分に食べていただいた。

でもね七味屋さん、刺青してるけど気の良さそうな店員つかまえて、
「パルディエース」って…あなたそれL国語…(絶対通じねえ)



2003年04月17日(木) 散財とお見合い

コージ苑は、昨日から完全に「北国の田舎者」になっている。
スロベニアの道路がきれいだといっては感心し、
イタリア米が売られているといってはうむむとうなり、
サラダの彩りが素晴らしいといっては感動している。
おかしい。
2年前に実習に来たときには、何て何もない国だろうと思ったはずなのに。

そして極めつけに、その「何もない」と思ったデパートで服を買ってしまった。
おほほ。まあいいじゃない、かわいかったんだもん。

夕方、大学の先生に会う。
この教授とは、彼の講義をとっていたこともあって、大学時代からの顔見知り。
一回断ったんですが、と前置きして、
秋からの求人にまだ応募できるかと聞いたところ、
その場で「採用」のお返事をいただいた。
どうやら昨日のうちに、ぶっひーちゃんがある程度話を通してくれていたらしい。
もう、どう感謝すればいいのかわからないよ。

来年度からの居場所をなくして2日後、こうして職は見つかった。
誰に向かってかわからないけど、ざまあみろだもんね。

というか…嬉しいよう(泣)。



2003年04月16日(水) 飛んで飛んで

出発当日の、しかもチェックイン時間しめきり20分前に、
無理矢理5分前に開店させた旅行代理店でチケット購入しているコージ苑って、
まるで売れっ子ビジネスマン。←違うから

海外旅行といっても何せ小国同士を繋いだ今回の旅、
飛行機もプロペラ機と超ミニジェット。
ゆれますゆれます。コーヒー飲むのも一苦労。
天気が良くて本当に助かったよ。

スロベニアの小さな空港に降りた途端、空気が違うのに気づく。
辺りにはリンゴや桜の花が咲きみだれ、木々は緑に煙っている。
ここにはもう、とっくに春がきている。
優しい気持ちになったコージ苑…と思ったら、事はそうすんなり運ばない。
ぶっひーちゃんに電話しようと、自販機でテレカを購入したら、
どこをどうしてもお釣りが出てこない。
そこらの人をつかまえて訴えると、どうやら「釣りは出ません」式だったらしい。
「でも1ユーロでしょ、ほんのちょっとよ」と言ったそこの姉ちゃん、
1ユーロあればL国ではお昼ご飯がまかなえるんだぞ、覚えとけこの野郎。
…ああ、すさんでるよコージ苑ってば。

どうにかして待ち合わせ場所に着いたところ、
背後からコージ苑を呼ぶ声。
ふり返ると、すっかり夏仕様のぶっひーちゃんが手を振っていた。
彼女を見た途端、ぷっつーんと切れて泣き出したコージ苑ってば、
本当に恥かしい奴である。

その恥かしい私をなだめすかして、コーヒーを飲みにカフェに入る。
選んだのはどっしりアンティークな店内の、一番奥の密会席。
そこでここ最近の話を途切れ途切れに、しかし延々と続け、
結果的にコージ苑以上にぶっひーちゃんが鼻息荒くして怒り、
二人してコーヒーをがーっと飲み干した。

夕方、彼女の家に集まったのは、実習の時に知り合った学生二人と、
大学時代の同級生一人、スロベニアに留学している女の子一人。
瓶詰めのパプリカとか生ハムとか、宅配ピザとか、
特別作ったものは一つもなかったのに、どれもこれもおいしかった。

彼らが帰ってからもぶっひーちゃんと二人して喋りつづけ、
寝たのは結局3時過ぎ。話しすぎだよ私ら。

でもこうやってちょっとずつ元気出さないと、前には進めないからね。
よいしょよいしょ。



2003年04月15日(火) と、いうわけで

人生いろいろbyチヨコ。

というわけでコージ苑、この夏でL国を離れます。
あーあ、また仕事探しだよ。だるいよ。
でもまあ、ぐずってもしょうがない。

今度はどこに行こうかな。



2003年04月14日(月) 子供の群れはピアニカの合奏

文化学校に授業見学に行く。
玄関を入った途端に浴びせられる「こにちは」「こにちは」攻撃。
お前ら、「ん」を入れんか「ん」を。
下は小学校1年生から上は高校3年生まで、9時3時でぎっしり見学。
もうおなかいっぱい。

子供ってかわいいんだけどなー、けどなー。
…言っていい?

うるさい。

いや、集団になると特に、って話だから、念のため。
何でああ短い足をパタパタさせて絶えず走りまわって、
小さい口をフル回転させて甲高い声でインコ語しゃべってるんだ、奴らは。
まるでいっせいにピアニカ鳴らしてる小学校の音楽室だよ。

自分もああだったのか…そうだったんだろうな。

やれやれ。



2003年04月13日(日) どうするイースター

コージ苑は落ち込むと後が長い。
今回のそれは最大級。
気持ちがどこへも動かず、体も、眼球すら動いていないのが自分でわかる。
端から見たら、さぞかしやばい人間(ヤク中とか)に見えることだろう。
それにつきあわされる七味屋氏は気の毒としか言い様がない。

「何か食べなきゃだめですよ」と言って台所にこもり約30分、
彼が持ってきたのは一杯のかけそば、じゃなくて一皿のパスタ。
半ば強制的に食べさせられたところ、
ベーコンは歯を砕かんばかりに固く、唐辛子は炭化し、
スープスパゲティでもないのに、オリーブオイルの中で麺が泳いでいる。
そのすばらしさったら、思わず笑っちゃったほど。
すごい効果。どうもありがとうね。
ついでに欧州各地にいる友人および日本の両親と長電話をし、
来月見ることになるであろう恐怖の請求書と引き換えに、
ちょこっとだけ元気をもらってちびっとだけ浮上。

さて、問題は来週からのイースター休暇。
ずっとヘドロ化しているのも何だかしゃくである。
元々ロンドンかウィーンにでも行こうか、と計画していたのだが、
どうしても大学の友人に会いたくなり、強引にスロベニアに予定変更。
またしてもつきあわされる羽目になった七味屋氏は本当に気の毒。
でもごめん、コージ苑はもう耐えられない。

とか言っちゃって、チケット探しを全面的に彼に任せてしまう私ってば、
まるっきりだめ人間じゃん。
(だ、だって七味屋さんち、常時接続なんだもん…)



2003年04月12日(土) 甘い甘〜い生活

最低の気分で週末を迎える。
本当はどこにも出たくないんだけど、前々から約束していたからしょうがない。

呼ばれた先はバタヤン宅。
エンジェル先生がお汁粉を作ってくれるそうで、そのお相伴に預かるのだ。
お汁粉か…甘いな、当たり前だけど。

結果的に(レトルトの)それはおなかに、というよりは心においしくて、
エンジェル先生やバタヤンとの他愛ない話は気持ちに優しかった。

いけませんな、どうも感傷的になってしまって。



2003年04月11日(金) 言葉

「ペンは剣より強し」って格言があったっけね。
その通り、言葉は時に人を殺せるほどに鋭い。
それを頭では分ったつもりでも、ふとした事で口から出ることがある。
例えば酒に酔った時とか。

しかし、いくら酔っ払っていても、許せる言葉には限界があるのだ。
自分にも非はあったのかもしれない。
でも、今日投げつけられた言葉を、コージ苑は一生忘れません。
一生だよ、一生。
根に持つと怖いよ、私は。

何もしないけどね、基本的に気が弱いから(笑)。



2003年04月10日(木) 記念撮影

L国に日本語教師会ができることになりました。
今日はその1回目。
会場となった広い部屋に、ぽつんと集まった教師数名。
それでも有益なオハナシを1時間半、疲れたったらありゃしませんね。

さてお開き、と全員が立ちかけたとき、エンジェル降臨。
「ここで一つ記念撮影を」
この先生、かなりの写真好きなのだ。
一枚一枚また一枚、合計5枚のスナップ。
コージ苑は写真をあまりとらないので助かるといえば助かるのだが、
こういう時に写った顔は、笑顔というより苦笑に近い。

ついでに大使館員の方々、
そんな私達の様子を監視カメラで見て、これまた苦笑しないように。



2003年04月09日(水) ボイコット?

どんな授業であれ、教師は準備をするものだ。
そしてそれが報われないと、一気にやる気を喪失する。
いわゆる「肩透かしをくらった」ってやつ。

本日の聴解クラスの前、大使館から一本の電話がかかった。
スシが受け、しばらく話した後でコージ苑にこう言った。
「私たちは大使館に行かなければなりません」
「私たちって誰?」
「この5人」

「この」というのは、明日留学試験を受けるメンツをさす。
5人って…学年全体で8人しかいないのに…

で、今日の授業の出席者、3名。
さびしい。
せっかく「キキ」の最終回だったのに。
(ロッタが一人で3人分はしゃいでいたからまあいいけど)



2003年04月08日(火) 重複

中学校の頃、歴史資料集に必ず「年表」がついていた。
そこには縄文時代から昭和までが、様々な色で表示されている。
一つの時代から次の時代に移行する境界線は、
すっきり一本の線で示されていることもあるが、
あいまいにぼかされている場合(例えば室町・戦国・安土桃山)もある。
これは「一応ここは室町なんだけどさ、この年はもう戦国色強いんじゃない?」
という筆者の意思表示であろう。多分。←日本史は超専門外の、世界史選択の女

若い頃は「そんなのありかよ」と割り切れなさを感じていたコージ苑だが、
一つの事が終わる前に、次が始まってもいいんじゃないの?と、今では思う。

だからさ、本を3冊4冊並行して読んでてもいいんじゃないの?
(自分の読み方はもしやヤクザなんではないかと少し不安な今日この頃)

※※※※※

杉本苑子『私家版かげろふ日記』
まさに「私家版」。
作者自身も言及している様に、
和歌の部分を省略したり歴史的事件を織り込んだり。
コージ苑は別に、本筋こそ全てという主張を持っている人間ではないから、
これはこれでとっつきやすくて面白いなあと思うのだけれど、
カタカナ語に入ってこられると、今いち気分が乗り切れないというか…
例えば気持ちよく泳いでいるのを、いきなり襟首掴まれて引き上げられる感じ。
それにしても、男女の惚れたはれたは1000年昔も今と同じ。

中島義道『私の嫌いな10の言葉』
「人の気持ちを考えろ」「きっと好きなことがあるはずだ」など、
日本人の「良心的」常套句を分析し、真っ向から否定した本。
以前、『日本の論点』にこの人の文章が載っていた。
確か「町のおせっかいな騒音」かについての記述だったと記憶している。
それを読んだ時には、極端すぎてついていけんと思った。
口やかましいおっさんの八つ当たり的クレームとしか思えなかったのである。
しかし、この人の文章は長いものを読むべし。
こちらを読んでみて、少し認識を改めた。
作者の主義主張は決して行き当たりばったりなのではない。
なんというかこう、根底に分厚い考察の層が見えるというか。
だからといって諸手を上げて賛成はできないが、
ふんふんこういう考え方もあるんだな、と納得して読める。



2003年04月07日(月) 天使降臨

週一で、エンジェル先生と勉強会をやっている。
この先生、中々面白い経歴と、それに見合うラブリーな個性を持った方である。

何故に彼がエンジェルか。
端的に言えば、邪気がまるでない。
人の言葉を深読みしたり、邪推したりという事とは全く無縁であるようだ。
そんな彼と話しているのは中々楽しい。
しかし、一つだけ困った点があるのだ。

勉強会は、大体こんな風にして始まる。
コージ苑宅に来た先生は、まず「今日のおやつ」を取り出す。
先々週はケーキ、先週はお汁粉、そして今週は羊羹だった。
そう、彼は極めてハイレベルの甘党なのである。
そしてコージ苑は辛党だという事実を彼は知らない。
しかし辛党だろうが獅子唐だろうが、天使の微笑みと共に出された羊羹を、
どうして(年寄りに弱い)コージ苑が断れるわけがあろう。
そして毎週、胃が痙攣をおこす程の甘いお菓子がコージ苑の口に入る。

とはいえ、それはたいした問題ではない。
茶道の時には、激甘の茶菓子を食べていたコージ苑だ。
市販の羊羹やらお汁粉が何さ。ニッコリ笑って食べてみせるさ。

真の問題はこちら。

くだんの「今日のおやつ」を食しつつ、先生は世間話など始める。
エンジェル先生はおしゃべりが大好き。天使だからね。←意味わかんない
勉強会の時間は、月曜3時から4時までとなっている。
まあ10分程度のずれは仕方がない。
しかし、20分、30分経っても世間話は終わる気配を見せない。
コージ苑も別に多忙ではないが、一応予定もある(事もある)のよ。一応だけど。
いい頃を見計らって本題に入ろうとするのだが、中々話に切れ目がない。
ちらちらと時計を見る、という手段でアピールしても、先生は気づかない。
いかにも楽しげに話しつづけるエンジェル先生。

そして時は過ぎ、1時間の予定が2時間3時間となる。
今日に至っては4時間半。
そして帰り際、先生は「いやいや、私はおしゃべりでしょう?うふふ」と笑った。

ああ…コージ苑、話しながら天使の輪と白い羽を見たよ。
邪気がないって、時に罪。



2003年04月06日(日) 至福・お祝い

DVDで「マイフェアレディ」を観る。
言わずと知れたヘプバーン主演のミュージカル映画。
女性を自分好みにつくり上げるっていうのは、
古今東西、男性にとっての究極の願望なのだな、きっと。
ヘプバーンの歌の声はジュリー・アンドリュース。これまた有名なお話。
しかし今回、タイトルロールでコージ苑の目を釘付けにしたその人は、

ジェレミー・ブレッド(太字傍点網掛+二重アンダーラインしてください)

ホームズ様!ホームズ様こんなところに出ていたですか!!
しかも、名前が出てきたの3番目か4番目。思わず巻き戻しちゃったぜ。
この映画での彼は、主人公の女の子(変身後)に惚れてしまうお坊ちゃんの役。
彼が歌った「On the Street Where You Live」(不確か)は有名なのです。
(ってさ、別に彼が偉いわけでもなんでもないし、第一歌は多分吹き替えだし)
で、肝心の若かりし頃のジェレミー様は、
「僕、かっこよさが売りの俳優なんです」的空気をそこら中に発散させている、
にやけた顔のいけすかないワカゾーだった。

でもいいの、彼がそこにいるだけで。
あー、ラブ〜。ホームズのDVDコンプリートセット、絶対揃えちゃる。
(ごめん、自分でも見苦しいのは分ってるってば)

※※※※※

服部真澄『骨董市で家を買う』
福井の古民家を東京に移築した作家の奮闘記。
リフォームものはただでさえ面白いのに、
各所にちりばめられた写真がまた「うずうずの素」なのだ。
コージ苑が気に入ったのは、骨董の手水鉢を洗面台にはめこむというアイディア。
お父さん、これやってこれやって!
帰ったらそこで手を洗うのだ。想像しただけで素敵。あー楽しみ。

…今日のコージ苑、テンション高すぎ?
つか、ここまで言っといてジェレミー違いだったらどうしよう。

※※※※※

クミコロンにベビー誕生。おめでとう!
元気な女の子が産声をあげたそうだ。
U太もそろそろだし、今月は出産ラッシュ。



2003年04月05日(土) 見るだけショッピング

バタヤン(麿君の後任/女性)・ケンタロウ氏の買物に便乗してお出かけ。
コージ苑自身は買うものも先立つものもないから「見るだけ」だが、
店内をぐるぐる回るだけで十分楽しいお買物。

※※※※※

思うに買物の真骨頂は、金を払って自分のものにするまでの過程である。
まず、買いたいものについてのぼんやりとしたビジョンを持って出かける。
この段階では目的物に、「スカート」とか「何か部屋に置く小さいもの」とか、
または目的に応じて「結婚祝」とか「誕生日のプレゼント」など、
限りなく広くて浅いカテゴリーを与えておく。

さて、デパートに着く。
コージ苑は時間が許せば、目当てが何であれまず最上階から攻める。
そこが文房具売り場であろうと大食堂であろうと。様式美なのだ。
例えば服を買いたいのであれば、途中で売り場に立ち寄って目をつけるのも良い。
従って、移動手段は断じてエスカレーターである。
エレベーターは不可。あっさり移動しすぎて気分が高まらない。
階段はもっと不可。コージ苑には体力がない。

売り場で「これ良いな」と思ったものがあっても焦ってはいけない。
買物に対するコージ苑の信条として、
「見てから3日経っても忘れられないものを買え」という一文がある。
しかし大抵の場合は時間的制約から、そんな悠長な事を言っていられない。
そういう時は、迷わずデパート併設の書店に行くのだ。
そしてゆっくり焦らず立ち読みをする(十分悠長だったりして)。
目は活字を追っているが、
その実頭の中では目的物についての考察が繰り広げられている。
その結果、少なくとも「あれにしよう」「やめておこう」程度の決心はつく。
(やっぱり悠長だったりして)
そうそう、その間に面白そうな文庫本など見つけたらめっけもんである。

このプロセスを多少の変化を加えながら繰り返し、
(例えば書店が喫茶店に変わるとか、デパートが地下街に変わるとか)
ありとあらゆる条件を考慮した結果、合格したものをレジに持って行く。
アドレナリンの分泌が最高潮に達するのは、
金額の大小に関わらず、「チン」と音をたててレジが開く時である。
(お義理程度の贈り物を買う場合、その量は通常の3分の2程度になるが)
後はそれが体内を駆け巡るままにさせておくがよろしい。
興奮の余韻で、その日は(多分)一日ハッピーなのさ。

ことほどさように、コージ苑の買物は長い。
人から見れば「やる気あんのか」と言いたくなるような動きである。

だからね、人と買物に行くと焦るのよ。
以上、今まで彼氏と「自分の買物」に行った経験は皆無に近いコージ苑でした。
(そして「一人で行くね」「冷たい…(涙)」という会話は経験的定型文になる)



2003年04月04日(金) VIP

毎度毎度のことなので、いい加減書くのも嫌になってきたが、
それでも愚痴っちゃう。

なんでこの時期に雪が積もっちゃったりするかなー。

※※※※※

授業の後、仕事の関係で占領博物館へ行くことになった。
来月に、とある日本人学校がR市に修学旅行に来るとかで、
市内観光の案内をうちの学生がやることになったのだ。
占領博物館には日本語のガイドがないので、事前に勉強する必要がある。
そこで、Y先生が博物館側と交渉して、
館内のガイド用資料(英語・ロシア語・L国語)を貸し出してもらうかわりに、
それを日本語訳したものをあちらに寄付する、ということで話をつけた。
相変わらず彼女のマネジメント能力には頭が下がる。

というわけで、大学から歩いて博物館に向かう私たち。
エヴァとクリスティも一緒である。
しかし寒い。
日本では桜が咲いただの散っただの言ってるのに、何なんだこれは。
おまけに新雪(春なのに)は、歩きにくい事この上ない。

そんな「雪の行軍」をして博物館がようやく見えてきた。
近道をして入り口へ向かおうとすると、警察が来て「あっちへ回れ」という。
なんなのよ。何か工事?←警察だっつうの
ぶつくさ言いつつ遠回りをして、博物館正面玄関に到着。
そこに一枚の張り紙。

「クロアチア大統領ご見学のため、4時まで一般の入館はできません」

…なにおう。
周りを見ると、いちにーさんしー…8台の黒ベンツ。前部分にはクロアチア国旗。
ついでに入り口を見張るSPの方々。
ああ間が悪い。

結局コージ苑達は、近くのカフェで待機を余儀なくされ、
ただでさえ軽いお財布は(学生におごったので)超軽量化された。

よかった、博物館の入場料ただで…

追記:肝心のクロアチア大統領は、ちょっと濃い顔立ちのおじいさんでした。
   人の良さそうな感じだったし、まあいいか。



2003年04月03日(木) 行間を読め

読解の授業で『夏の庭』を読んでいる。
「もうすぐ死にそうな」一人暮らしの老人と、
三人の小学生との交流を通して、死や生の意味を問う作品である。
主人公は木山という男の子。
思慮深い性格なのか、彼の考えることは中々詩的である。
従って、学生達は彼を「詩人」と呼んでいる。

今日読んだ箇所で、その「詩人」木山君が、人間の死後について考えている。
「死んだ人はどこに行くんだろう」と、彼はあれこれ想像する。
その部分は内容的にも結構大事な箇所だったので、
Y先生はロッタにこう質問した。
「木山君は何を考えましたか」
彼女の答えはこうだった。
「彼は、明日どこへ行こうかと考えました」

おいおい、小学生なのに三途の川に行かせちゃう?
ロッタちゃん、全く読めてないか、行間不可読みしすぎ。



2003年04月02日(水) さようなら

春は人の出入りが激しい。
昨日ローラちゃんを送り出したと思ったら、今日は麿君が帰国する。

大使館で派遣員だった麿君は、
帰国後そのまま外務省に勤務することになったそうだ。
「良かったねえ、っていうかいいのか?」と一度聞いたことがある。
彼は一言「はあ、まあ」と答えた。
「でも東京かあ、慣れない土地で大変だねえ」と言うと、
彼はやっぱり「はあ、まあ」と答えた。
そんなローテンションでマイペースな君が、コージ苑は大好きだ。

数人で空港に向い、さて彼はどこにと探すと、
いたいた、いつも通りの彼がぼーっと立っていた。
珍しく自主的に話し始めたところによると、何か事件があったらしい。

彼は(生意気にも)ビジネスクラスで搭乗するため、荷物の重量制限は30キロ。
対して、帰国翌日から出勤する彼の荷物は60キロ。完全にオーバー。
そして係員が超過重量分として提示した金額は、

日本円にして18万円。

うわあ、荷物のお値段もビジネスクラス。

それに輪をかけて衝撃だったのは、
交渉の末、約10万円まで値切った麿君がその料金を「現金」で払ったという事実。

うわあ、さすが所持金もビジネスクラス。

そしてゲートをくぐる時、彼は最後の挨拶をした。
「あ、じゃあ」
…そんな君がコージ苑は大好きだ(笑)。



2003年04月01日(火) また今度

ローラちゃんの出発日。
彼女のフライトは、午前5時55分。
こんなふざけたフライト、どこの航空会社だよと思ったらアエロフ○ートだった。

日本人で連れ立って、午前4時過ぎに空港へ。
ちなみに、全員殆ど徹夜状態であった。
そんな朝早い時間、寝ていると確実に起きられないということになったのだ。
皆自分という人間を熟知している。
もちろん、自分を良く知っているコージ苑も徹夜である。

やはり荷造りで寝ていないというローラちゃん、
それでも初めての飛行機ということで、朝っぱらからテンション全開。
チェックインカウンターでスケジュールをもらった彼女の動きが止まった。

R市5:55発→モスクワ8:25着→モスクワ21:55発

この…このモスクワの乗り継ぎ時間は何なんですか。
ひどい、ひどいよアエロ○ロート。
13時間っていったら、イスタンブール空港だろうがヒースロー空港だろうが、
過ごすのに暇をもてあますであろうに、よりによってモスクワ。
無理無理、絶対無理。
「何をしますか?」と聞くと、ローラちゃんは「皆と話します」と言う。
そうか…それでもきっとヒマで死にそうになるだろうけど。
君の最初の試練だ、まあがんばれ。

いよいよゲートをくぐろうかという時間。
これが彼女とのお別れになるY先生、こらえきれずに泣いてしまった。
ローラちゃんはそんな彼女を元気付けようとしてか、はたまた天然か、

出国審査官のもとにスキップして向かった。

さらに、金属探知機に思いっきりひっかかった。

さすが彼女。やっぱり彼女。
半年間、思い切り楽しんで来い!


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コージ苑