月のシズク
mamico



 調整日、夜のプール

三月の最終日は、週のはじまり月曜日。
はじまりと終わりが同居してるので、なんだか調子が狂う。
明日からの慌ただしさを考えて、今日は調整日に決めた。

使い終わった資料や文献を片付けて、放置していた資料を読んで、カレンダー
を貼り替えて、郵便物の整頓をする。普段は忙しさと面倒くささにかまけて、
こういう雑事をなおざりにしがちだが、今日みたいな宙ぶらりんな日には
ちょうどいい。適度にアタマを使い、適度に労働し、おまけに用事がひとつ片づく。

夜、ひさしぶりにプールに行って来た。
プールの広い窓から、通り沿いの桜並木が見えて、驚いたことに赤ちょうちん
(not屋台。おそらく桜祭用)が闇にぽつぽつ灯っている。なんだか幽玄の世界
に漂っている気分になる。その妖艶さに眼を奪われ、気付くと、いつもより長い
時間ビート板でキックを繰り返していた。水の音を聴きながら、窓の外を眺める。
夜のプールから愛でる桜、というのもいいものです。

水からあがった後の、特有のけだるさを身に纏いながら、
今度は桜並木の下を、自転車でゆらゆら家路に向かう。
桜の季節って、ひとをわずかに狂わせますね。


2003年03月31日(月)



 Lucky to be ME

あたしは あたしで よかったな と思うときがある
ときどき でなく かなり ヒンパンに そう思う

脳天気 とか 単純 とか 云われてもいい
だって そーなんだもん としか言えない お気楽極楽なあたくしです。

桜がいよいよ本気で咲き始めた夜、So WHAT? のR肴さん、ちゃう、R魚さんと
宴が繰り広げられている 井の頭公園そばの鳥屋で、会合。ええ、「あの」
R魚さんです(笑)。ドスを利かせるときには巻き舌。てやんでぇ、べらんべぇの
彼ですが、実はこのヒト、めっちゃお茶目なガキ男くんでありまして。
一杯めのビールに「ううっ、うんめぇ」と喉を鳴らし、鳥を喰らっては「うまいって」
の連発。見事な喰いっぷり、呑みっぷり、吸いっぷり、話っぷり。男気あります。

で、歳も性別も越えて なぜかダツリョク気味で、いえ、おそらくフェロモンは
出さず、これでもかっ てぐらい本性を出し合ってる あたくしたちの共通意見、
「ジブンでよかったな」という、実に快楽主義的でブチ抜けた発想。

だってお互い、何十年と この肉体の枠組みと、この思考の開けっぷりで生きて
るんですもの。いいことも、悪いことも、ぜんぶがぜんぶでオーケーと云える
許容力(開き直り、とも云います)、どっちりとキモも座って、やっぱすきだな。

洗顔フォームで歯を磨いても、炊飯ジャーの蓋に噛まれても、階段の梁に
アタマを打ち付けて唇を裂いても、「アタシはアタシでよかったな」と思える
のって、「オノレの責任は取ってやるっ」と人生を受け容れるのと同義ですよね。
おそらく、たぶん、確信はナイけど、自信を持って、そう云えます。
(上記の特性は、すべてあたくしに帰属します。念のため)

いくらRさんに、「ぶわっか(バカ)」とか、「アホかっ」と罵声を浴びせられても、
アタシがアタシでよかったな、と思っている限り、それは相手にも伝わるわけで。
そういう生き方って、ハッピー(幸福)というよりは、ラッキー(幸運)だなと思います。
ね、そうですよね?


2003年03月30日(日)



 桜、開花宣言

昨夜、終電を逃してしまった妹ちゃんが泊まりに来た。
「すいません」と、ひたすら恐縮する彼女に「いえいえ、夜行性同志だから」
とお風呂をうながす。規則的な生活の中に侵入する不意打ちは、むしろ好きだ。

たっぷり眠った朝、ベランダを開けはなって、ラジオを聴きながら軽めの朝食を摂る。
コーンフレーク、うさちゃんりんご、野菜ジュースにアメリカンコーヒー。
あたたかくなると、シャクシャクのコーンフレークがだんぜん美味しい。
つめたいかたまりが胃へ落下してく感覚に、季節の到来を感じる。

ラジオは、東京地方の桜(ソメイヨシノ)の開花宣言を伝えていた。
研究室に着いて、ふたり、申し合わせたようにベランダから身をのりだす。

「ここでいいじゃん」
眼下にちらほら咲き始めた、うすピンク色の桜を確認して、妹ちゃんはそう言う。
「だよね。お酒ものめるし、煙草もすえるし」
さっき、廊下のホワイトボードに、近くの公園で花見を催す告知が書かれていた。
「ここでいいじゃん」とは、わざわざ宴会盛りの公園まで遠出する必要なんて
ないじゃない、という意味。眼下には、ベランダと平行して桜並木が続いている。

「ここでしちゃおう。夜桜もみよう」
みんなも呼んで、焼き鳥やビールを立ち食いしながら、ひっそり宴を開こう。
「東京タワーもみえるしね」
妹ちゃんのひとことに、決まりだっ、と思った。

私たちのランドマークが見える場所。
この場所から、今年も一年、季節の匂いを迎え入れてゆこう。


2003年03月28日(金)



 電車の窓からみた風景

情けないことに、歯が砕けてしまった。
自分で作った海老チリの、カリッと美味しく揚がった尾がいけなかったらしい。
虫歯でもろくなっていた奥歯が、ゴリッと欠けた。まったくホントに情けない。
そしてまた、歯科医通いが始まった。

若先生の腕を見込んで通い始めた歯科医院は、ふたつ先の駅前にある。
今までは電車で数分のそこへ、各駅停車でコトコト揺られて通っていた。

思い直して地図を広げたところ、私は嬉しくなってしまった。
公園を突っ切って、線路沿いの道をゆけば、それほど遠くないことが判明した。
でも私が鼓舞した理由は、キョリの問題ではない。いつも電車の窓から眺めていた
あの風景の中に行けるんだっ、と嬉しくなってしまったのだ。

鉄橋の下の落書きを眺めるでしょ、散歩途中のイヌくんに挨拶するでしょ、
広場の隅で揺れる柳の木を見上げて、さわさわ風に揺れる音を聞くでしょっ。
そのどれもをやり尽くし、ひとり 満足してみる 夕刻の時。

帰り道、電車の中からひそかに焦がれた風景の中に立ち、
今度はそこから走り行く電車を見送る。

蛍光灯に照らし出された人々の中には、やっぱり公園の柳の木を見つめている
眼もあって、私は少しだけ優越感にひたる。さわさわと揺れる、夜の柳の木の下で。
へへっ、いいでしょー、なんて心の中でおどけてみたり する。

でも、一度だけ、その光がうらやましくなった。
街灯のない線路沿いの道を、後ろからゴーッと電車が追い抜いてゆくとき、
私と私の乗った自転車が、わずかな間だけ光の中に入れる。その明るさ。
黄色い光が私たちを映し出し、「がんばれよー」と声をかけ、去ってゆく。

風景の中から出ることも、そこへ入ってゆくことも、
ちょっとした喜びとせつなさがあること 知りました。

2003年03月26日(水)



 小春の連休レポ

同じ地上では対イラク戦争の戦火が飛び散っているというのに、
ま、なんと平和ボケした私の日常。薬味のような戒めを持って、記録デス。

■連休前日、大学/院は恒例の卒業式の行事に涌いた。
 いたずらな風が着物の裾をはためかせ、若人たちの嬌声があがる。
 ご卒業オメデトウ。みなさんの門出を祝福いたします。未来にたじろぐなっ。

■午後から院の修了式+楽しきパーチィなどなど。
 がっ、私は原稿が逼迫した先生の部屋で、深夜までおシゴト缶詰です。
 おまけに「小さな戦火」に巻き込まれ、人事課なる処へ連行される。
 
■ひたむきな愛のカタチは、憎悪で以て反撃されたりする複雑怪奇な現代社会。
 脈絡をブッたぎって語り尽くした君の勇気とその泪は、強がってた君の臨界点
 だったんだね。私は正義の味方ではないけれど、チカラになったげるよ。うん。
 だから「スミマセン」じゃなくて、今度からは「ありがとう」を、ひとつよろしく。

■月例会となった研究会のため、三田くんだりまで遠征。
 立派な学者サマ方が発表をなさる中、例によって妄想癖が顔を出す。
 その小話を聞いた友は、「アンタにそのシゴトは全く向いてナイんじゃない?」
 反論の余地ナシ。強いて言えば、魅力的なネタにひっかからないのだよ。

■(「休日の風景」にも書きましたが)12人のチェロの演奏会に行って来ました。
 先日大学を卒業した、かわいい後輩ちゃんが出演したのです。で、彼女の恋人
 くんとちんまり座席で出演を待つ。すると、ピンクのふわふわドレス姿でご登場。
 その姿は、まるでお姫さまのようにかわいらしく人目を惹く。ドレスの裾を
 がさがさやりながら椅子に座る彼女を見て「着慣れてないのバレバレじゃん」
 と、彼女の恋人くんが耳元でささやく。あ、コイツ、テレてやんのー(笑)

■演奏会の後、やたら喉が乾いたので、会場で会った友を「お茶しよっ」
 と強制連行。森の中のタイ料理屋で、ビールをあおる。(お茶は?)
 オープニング・パーティ以来はじめて来たが、あの時より店内のテーブル席が
 余裕を持って配備されていていい感じ。家族連れも犬くんもくつろいでいる。
 桜の花の咲く頃には、このテラス席は予約でいっぱいになるんだろうな。

■業務連絡
・会場で会った後輩ちゃんたちから秋に合宿の要請が。アサヲカ、頼むよっ。
・京都から「東寺のみほとけ」葉書、届きました。ふふふ、いい感じ。
・ご多忙の中、奔走いただいた父上よ。心から感謝しております。ありがと。

2003年03月24日(月)



 守るために戦う

20日未明に戦争が始まった。
折しも、8年前のこの日の朝、東京では地下鉄サリン事件が起こった。

湾岸戦争の攻撃が開始された午後も、阪神大震災が起きた朝も、
地下鉄サリン事件が起きた朝も、WTCが攻撃された深夜も、
私は為す術もなく、ただただテレビから流れ出すニューズを見つめていた。

瞬時に映し出される戦火、難民のキャンプ生活、反戦デモ、各要人のスピーチ、
爆弾や戦闘機の数、情報を知れば知るほど、私は余計にわからなくなってしまう。
自由とは、平和とは、何なのだろうか。

アメリカがイラク戦争を開始したという現実は、もう変えることはできない。
アメリカは世界の平和を守るために戦う、と言う。
イラクの軍人は、家族を守るために戦う、と言う。
守るべきものがあるから、それを守りぬくために戦うと言う。

いったん口火が切られると、「守る」という行為が「戦う」という行為に
置き換えられる。そうしなければ、守ろうとする主体すら消されてしまう。
だから、ひとは守るために戦い続けるのかもしれない。皮肉な話だが。

はじめに立ち返ろう。
この戦争は何のためのものなのだろう。
まだしばらく、考えてみたい。

2003年03月22日(土)



 Wherever you are

たった2行の手紙だったのに、すべてがわかってしまった。
とり交わしてきた何百というメイルよりも、克明に、壮絶なまでに。

コーヒーカップを持ってベランダに出る。
すでにそらんじてしまったその言葉を、声に出して言ってみる。
声といっしょに、猥雑な色をした私の想いが、青い空へ消えてゆく。
立ち位置がわかってしまったのだ。これまでの、そして、これからの。

あんなに言葉をほしがっていたのに、いざそれを受け取ってしまうと
私はいつもその言葉の強烈さにおののく。芯からぐらりと揺れてしまうのだ。
もうそれは、立っていられないほど、激しく、優しく、私を打ちのめす。
いたぶるためでも、なぐさめるためでもなく、わからせるためのそれに。

私は、すでに失ってしまったものを、その形にみあった箱の中にしまう。
そして、それが永遠に 私のものになってしまったことを知る。
触れることも、抱きしめることも、言葉を交わすこともできないけれど、
いつまでも、どこへ行っても、私の中に在り続けるだろう。きっと。

テレビではブッシュが演説し、イラク攻撃開始の宣言をしている。
ついに、戦争が始まってしまった。画面には、夜明け前の空が映っている。

あのひとが見ている空は、どんな色だろうか。
この世のどこかで、生き延びてくれることを祈る。
心から、そう 祈る。

2003年03月20日(木)



 オセロの後で

吉祥寺を後にして自転車をこぎだしたら、すごく大きな満月に出会った。
のぼりかけの満月はうすいオレンジ色で、本当にびっくりするくらい大きい。
昼間の気温が残っていたせいか、空気はなまぬるく、月の大きさを際立たせる。
なんだか、さっきまでのくやしい気持ちが、嘘みたいにほどけてゆく。

オセロをした。
結果は「沈黙」という名の大敗だった。

約束の時間までまだ少しあるからお茶でもしない?と誘われ、
前々から気になっていた、歓楽街から少し離れたお店に入ってみた。
そこはまるで誰かのお宅の居間のような造りで、板張りのフロアに
古い家具が置かれていた。長椅子の上にはバラバラのクッションが無造作に
積み重なり、窓辺には古茶けたくまのぬいぐるみ、本棚には本やCDが並んでいる。

おまけにたくさんの懐かしいゲームがあった。
バックギャモン、UNO、ダーツ、オセロ、ピンボールなどなど。
わたしたちは嬉しくなって「オセロしよーぜっ」とそれを持ち出す。

ポットで入れてもらったコーヒーと紅茶を机の隅によせ、ゲームを開始する。
私は悩みに悩んでコマを置くのに、相手はたった今置いたそのコマをさっさと
裏返してゆく。緑色のボードの上は、白で埋められたり、黒で埋め返されたり
激しい争奪戦が繰り返された。途中、友の携帯に呼び出しの電話が入ったけど、
私は「今やめたら許さない」とねばって、相手を引き留める。

なのに、結果は大敗。四隅のうち、みっつも取られた。
オセロの箱の裏には、いくつ以下だと××という結果名が書かれていた。
私の場合、最下位の「沈黙」。そりゃもう、沈黙するしかない。
駅まで送る道すがら、ずっと「くやしーい」を連呼する私。
たかがゲームなのに、やっぱり負けると悔しい。

なのに、大きくあかるい満月を見た途端、さっきまでの悔しい気持ちが、
すんと消えてなくなった。単純なモンだ、と少しあきれ、少しわらう。
そして子どもの頃、いつも兄に負かされて半べそをかいていた自分を思いだした。
兄が日本に帰ってきたら、また勝負しよう、と小さく決意し、うちへ帰った。

2003年03月19日(水)



 ローリングストーンズ ザ・SHOW!

ご存知、So What?のRさんに「ストーンズのチケ、一枚余ってるんだけど行くっ?」
と誘われ、ローリングストーンズ@東京ドームに超ビギナーのまま突撃。
ええ、行ってきましたとも。ええ、帰ってきましたとも。

ヒトコト
「アンタら、一体ナンなのさっ!?!?!?!」

還暦(齢60歳ですぜっ)を迎える彼ら、身体のしなやかさ、セクシーさ、ワイルドさ、
ステージが始まったとたん、私の魂は、ズキュンと彼らに持って行かれ、後は
野となれ、山となれ。踊る、叫ぶ、歌う、飲む、笑う、笑う、また踊る。

問答無用の彼らの魅力にとりつかれ、私は自分でも驚くほど陶酔した。
まず、エレガントなのだ。だらしなくギターを掻きむしるキース・リチャードですら
優雅に見えてしまう魔力。いかつい拳がすっぽり収まるほどの大口の持ち主、
ミック・ジャガーは少年ぽいキュートさでフロアをとりこにする。

まったく、アンタら、一体ナンなのさっ。

そして、彼らの、フロアとの交話機能の高さに驚く。
ドームのてっぺん(夜空のカナタ席)に座る人々も、一体となって彼らのステージ
にカラダを預けている光景を目撃したとき、ああ、このオヤジたちは、観客を
自分たちの中に招き入れる術を知っている、と感じた。計算も、いやらしさもなく、
「オレらが楽しいから、オマエらも楽しいんだろっ」と訴えかける、その強さ。
カッコイイ大人って、一筋縄ではいかない。

しかし、プレーヤーもプレーヤーなら、フロアもフロアなわけで。
熱い抱擁と接吻を繰り返すカップル、ボトルワインを飲み回すおっさんたち、
子供だか孫だか(まだ乳飲み子だった)を、高く高く放り投げて喜ばせる
パパだかグランパだか。すげぇよ、アンタたちも(笑)

会場を後にする人々は、当然みな笑顔なわけで。
その笑顔は「エネルギーチャージ完了」を意味してるわけで。
家路へつく雨の中、傘もささずにスキップしたくなった私も、もはや例外ではない。

2003年03月17日(月)



 スリップの女

奇妙な夢をみた。
そもそも夢なんてみんなどこかしら奇妙なもんだ。
脈絡も色彩も、どこかみな奇妙に歪んでいる。

スリップ姿の女が出てきた。
紺色だか、グレイだかのてらてらした膝丈のスリップを着た女は、
自分の下着を切り刻んで洗濯機にぽいぽい放り込んでいた。

実在しないはずの私の叔母は、尼僧だかシスターだかで、
女が下着を放り込んだ洗濯機内をオールのような「掻き混ぜ棒」で
ぐるぐる掻き混ぜて、ブツをどろどろに溶かしていった。
それはまるで、牛乳パックをミキサーで砕いたどろどろ感に似ていた。

尼僧だかシスターだかの私の叔母と、スリップの女と、私は、
どろどろに溶けて、ぐるぐる回転する洗濯機をじっとのぞき込んでいた。
「あっ、これ切り刻むの忘れてた」
女が「掻き混ぜ棒」の先に引っかけたのは、黒いブラジャーだった。
「アタシ、ちょっとこれ切ってくるね」
女は半分溶けたブラジャーを掬いあげ、どこかへ持って行く。

「ねぇ、これ、どうするの?」
渦を巻く洗濯機をのぞき込んだまま、私は叔母に訊く。
「愛する男の服をつくるのよ」
叔母は当然の顔をして答えた。

女が切り刻んだブラジャーの破片を、ぽいと洗濯機に投げ込む。
そして、女がさんにん、洗濯機の中でどろどろに溶かされた
女の「かつて下着だったものたち」を、いつまでものぞき込んでいた。


2003年03月14日(金)



 みんな神さま

「アナタの知り合いで、絵描きさん、いるかしら?」

うちのセンセの要求は、突発的かつ強烈なスピードに、熱意を伴って飛んでくる。
どこかしら挑戦的で、それでいて、何でもお見通しだから困りものだ。

そうなのだ。困ったことに私の周囲には、彼女が欲しがるものは大概揃っている。
とりわけ、身軽で有能な私の仲間たちは、「忙しい? お願いがあるんだけど」
という、困窮気味の私の電話一本で、すみやかにその場に駆けつけてくれる。
あるいは、「オーケー。誰か紹介するよ」と、ひらり軽やかに快諾してくれる。
もうこうなったら、みんな神様で、私は彼らにぜんぜんアタマが上がらない。

ともかく、今回の要求。
本の挿し絵を描く、絵描きさんが必要になってしまった。

10年来の知人でデザイナーの友に連絡を入れる。
すると、本当にあっという間に絵描きさんを紹介してくれた。
もう、神様である。電話越しに、山積みの仕事をサクサクと楽しそうに
こなしながら「いいって」と笑顔で答える友の顔が浮かぶ。

夕方から深夜まで、絵描きさんの仕事をそばでみていた。
先生は担当の編集者さんと別室で打ち合わせに行ってしまい、予め指示された
シナリオに従ってDVDの画像を静止させ、「この場面をお願いします」と絵描き
さんに伝える。すると、後はもう何もやることがなく、彼がコリコリと精密な
ペン画を作り上げる間、私は白い画用紙に絵が浮き上がってくるのを眺めていた。

黒いペンで画用紙に細かい線を何本も引く。あるいは、なめらかな曲線を描く。
その動作を何度も繰り返し、白い紙の上には絵が書き付けられていく。

プロの絵描きさんにこう云うのは失礼承知の上だが、もう、本当にすばらしく巧いのだ。
そこには河の流れがあって、光のぬくもりがあって、男の悲哀があって、
絶望的な女の悲鳴がきこえる。とりわけNN病患者にとっては、ある種、ショック
療法的な快感を得ることになる。私は言葉を知らないコドモのように「すごい、
すごいですよ」を連発する。寡黙な絵描きさんは、目尻にしわを寄せて恥ずかし
そうにニッと笑う。そしてまた、画用紙の上にペンを走らせる。

ともかく、10枚のイラストができあがり、一同胸をなで下ろす。
「楽しかったです」と云い、深くお辞儀をして部屋を後にした絵描きさんは、
私にとってやっぱり神様で、その後ろ姿に、私も深く深くお辞儀をする。


2003年03月12日(水)



 ラファエロ似の店長さん

なんとも楽しき会合であった。
仕事で上京していた父を吉祥寺に呼び寄せ、妹ちゃんとふたりでたかる(笑)
旬の野菜が旨い夜酒処に引き込み、すいすいと日本酒をあおる三人は、
傍目から見て、本当に仲の良い親子に見えたかも知れない(含む、妹ちゃん)

父を駅に見送った後、打ち合わせ通り、ふたりでえびカフェに立ち寄る。
のみものを注文し、鞄から一枚の絵葉書を取り出し、順番にメッセージを書く。
そしてエスプレッソのダブルとカフェオレを運んできた店長に「はいっ」と手渡す。
その絵葉書とは、イタリアの美術館で購入したラファエロの肖像画が描かれていた。

「ねっ。似てるでしょー」
妹ちゃんが愛嬌のある声で店長に云う。
「ローマの美術館で見たとき、何ともいえない親近感があったんですよ」
私のコメントに、若き店長は「そっかなぁ」と腑に落ちない様子。
カウンターに持ち帰り、スタッフの前ではしゃぎながらポーズを取っている。

ラファエロは、イタリアのルビノで生まれペルジーノの下で修行し、1504年即ち
21歳の時フェレンツェに来た。37歳の短い生涯で、50枚もの作品を描いた若き
天才芸術家の絵画は、彼の繊細でたおやかな性格がすみずみまで現れている。
えびカフェの店長とラファエロの共通点は、若くして偉業を成し遂げた実力と
思慮深い黒目がちな眼、それと女性のように細くて薄い、肩の線だと思う。
妹ちゃんと一致した、ごくごく個人的見解として。

「うちのスタッフは似てるって云ってます」
店長がカウンターの中から、照れくさそうに笑っている。
席を立つと、ラファエロのゆるやかな笑顔が、レジの後ろに飾られていた。

2003年03月06日(木)



 テーブル・トーク

季節が移ろう、ごく短い過渡期が苦手だ。
冷気が薄氷のように辺りに張つめ、肌感覚が敏感だった冬の隙間に、
ゆるいピンク色が街を覆い、ぬるいそよ風がコートのボタンを外すとき、
私は妙に落ち着かない気分にさせられる。

そして困ったことに、一切の物事が手につかない。
仕事も、生活も、ごくごく日常の細事すらも。

「フレデリックの話、知ってる?」

振り払えぬ怠惰を抱え、半ば投げやりに日々を押し流していたとき、
テーブルの前に座った友が出し抜けにそんなことを訊いてきた。
「なにそれ?」
「ちょっと変わったねずみの話。ほら、『スイミー』のレオ=レオニが書いた絵本」
「どんな話? 聞かせて」

それは、こんな話だった。
夏の間、せっせと食べものを集めて働いている仲間の野ねずみたちをよそに、
フレデリックはぼんやりと空ばかり見上げています。
仲間が「君は何をしているんだい?」と聞いても、「ひかりを見ているんだよ」
と答えるばかり。やがて冬になり、野ねずみたちは越冬のため穴にこもります。
巣穴の中は食べものがたくさんあるのに、暗くて、寒くて、野ねずみたちは
たちまち心細くなります。そしたら、フレデリックが「ぼくがお話をしよう」
と、夏の間に集めた、ひかりの話や色の話、ことばの話をします。
仲間の野ねずみたちは、たちまちうっとりと幸福な気分になり、
フレデリックが夏の間にしていた「彼の仕事」を理解するのでした。

「つまり、だ」
話し終えた友は、真正面から私の顔をまじまじと見つめた。
「マミゴンは今、なーんにもせず、日々ぼーっと過ごしているかもしれないけど、
 それはいつか誰かのためになる時間かもしれない、ってことだよ」
友はカップを持ち上げ、きっとすっかり冷めてしまったであろうコーヒーをすする。

「キリギリスもアリのために、冬の間、音楽のひとつでも奏でてやればよかったのにね」
照れ隠しに、私はそんなことを言ってみる。そして、小さく友に感謝する。


2003年03月05日(水)



 春いちばんっ

関東地方は春一番が吹いたそうだが、室内に閉じこもっていた私は未遭遇。
そして、今日は女の子のお祭り、おひなさん。甘酒も雛あられもナシの私は
「女の子」と呼ぶにはちと無理がある、未だ未婚のオンナなり。

■三月大歌舞伎の初日に行って参りました。
 パンフレットの冒頭には「歌舞伎400年」の文字。日本の伝統芸能もスゴイ
 ものだわ。初日らしい緊張感の中、私のハートを揺さぶったのは、中村勘九郎
 親子の「連獅子」。本来は親獅子と仔獅子の二頭(ふたり?)の舞いなのだが、
 勘九郎の息子、勘太郎と七之助が両脇を固めて仔獅子の舞いをし、豪華で気迫
 あふれる三連獅子と相成りました。毛振りの競演では、父勘九郎が、倒れん
 ばかりに長い毛をブルンブルン振る。拍手喝采で白熱した舞台でした。

■夜、吉祥寺に戻ると駅前で日本文学専攻のファブリス(仏)に遭遇。
 見ると手にぎゅっと歌舞伎のパンフレットを掻き抱いておられる。
 声をかけると「初日だから最後の幕だけでも見たいと思って」と言い
 「んもう〜、すんごかったよねー」と歌舞伎を語る、語る。モチロン、
 私より造詣も言語も深く、ファン心理の奥深さを知らしめられたのでした。

■いよいよ、長い期間あたためていたうちの先生の企画が単行本化されます。
 出版にあたっては様々な紆余曲折があり、もう諦めようか、とも思っておられた
 ようですが、ついにGOサインが出されました。内容は『白い影』本です。
 この件についてにわかにお世話になる皆様、どうぞよろしくお願いいたします。

■ええ、飲みましたわよ、クリームソーダ。
 あの嘘っぽい緑が色うつりしたバニラアイスを、長いスプーンですくって食べる
 のって心愉しいですよね。人工的な嘘臭さがあるのに、なぜか爽やかで、時々
 無性にのみたくなるもの。ベェーっと舌をだすと、ほら、はかない嘘がここにも。

■三月の目標、立ててみました。そして大胆にも一般公開(笑)
 「清く、正しく、美しく」は、到底無理難題なので、「規則 正しく、美しく」。
 規則正しく生活をし、心身共に強く美しくあることを目標とす。
 なーんて、不規則生活者の私はもうすでに三日坊主なのでありました。
 


2003年03月03日(月)



 カツゼツのよい寝言

雨の週末。
ベランダに出て底冷えする寒さに打ち震えながら、お向かいの庭に咲き誇る
見事な紅梅にしばし見とれる。そっか、三月、桃の節句もほど近し。
昨晩、久しぶりに妹ちゃんがうちに遊びに来た。
癖のある、しかし癖になるほど旨いチーズを数種と、ラナンキュラスの花を抱えて。

パスタを茹で、にんにくをたっぷり入れたトマトソースのスパゲッティと、
イタリア産瓶詰めのオリーブに、DOCGお墨付きの赤ワインを空け、
乾燥イチジクをちぎっては、こってりしたチーズをのせていだたく。
フレンチのフルコースを食べているわけでもないのに、たっぷり三時間かけて、
食べ、喋り、飲み、笑った。なんという豪快っぷり、そして贅沢っぷり。

順番にお風呂に入り、ホットカーペットの上でふたりでストレッチとヨーガをした。
そしてベットにもぐりこみ、酔いも手伝ってか、あっという間に眠りに落ちた。

が、明け方、私は自分の声に驚いて眼を覚ました。
妹ちゃんが、ひくんっと反応し、ごそごそと寝返りを打って
「今、寝言言いました?30センチとか、そんな言葉を」と問う。
「ごめん。言った。"30センチから50センチ空けなきゃダメでしょ"って」
「あ、そうそう。すごくカツゼツが良かったから、寝言なのか何なのか驚いて」

私は渋滞にハマった夢をみていた。
渋滞は、まるでイタリアの道路脇に見事に収められた縦列駐車のようだった。
私が運転する赤い車は、前後をびっちりと小型のフィアットに挟まれて身動き
取れなかった。なのに左前には電柱がそびえ立ち、私は懸命にそれを避けよう
としてわずかにギアをバックに入れたのだ。ほんの3センチしか動かしていない
のに、バンパーは後続車に触れた。

ぶつけたのは私の方なのに、なぜか私は逆ギレして、ラベンダー色のフィアットを
運転するおばさんを怒鳴りつけていた。「教習所で習わなかった?車間距離は
最低でも30センチから50センチ空けなきゃダメだって。わかってるの?!」と。

夢の話をすると、妹ちゃんは声を立てて笑った。
「すごく、数字が細かいですね」と言いながら。
確かに、3メートルから5メートルならわかる。
その30センチから50センチとは何を意味したのだろうか。

ベットから起きあがろうとして身体をよじったとたん、床に落下しそうになった。
もしかしたら、神経質にキョリを空けていたのは私の方かもしれない。
妹ちゃんは、すでに隣で布団に顔をうずめ、すやすやと寝息を立てていた。


2003年03月01日(土)
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