心が渇き気味で、人を思いやる優しさが欲しかったので「
天の祈りと大地の願い」さんにお邪魔して、同名のWEB漫画を読んできました。
暖かい優しさをいっぱい頂いて、帰ってきました。
最近、人との接し方について考えることが多いです。
より良くあろうと思うのですが、なかなか上手くいきません。
時々自分のことしか見えなくなることもあります。
忙しさや寂しさや疲れを理由にして、人にきつく当たってしまうこともあります。
その度に「ああ、まただ」と後悔してばかりです。
でも、不器用なりに少しずつでも前に進めたらいいなと願っています。
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以前の日記で少しふれた、小説「世界の中心で、愛をさけぶ」(著:片山恭一)ですが、映画化されるとのことで反響を呼んでいるらしいですね。
どんな内容になるのか興味があったので、Yahooの特設ページを見に行きました。
そしたら、そこの原作紹介になんと「
ざん新なタイトル」の文字が。
一瞬固まっちゃいまいましたよ。
知らない人は知らないのかもしれませんし、私もタイトルしか知らないのですが、ハーラン・エリスンの「世界の中心で愛を叫んだけもの」は有名なSF作品ですし、それとは別にアニメのエヴァンゲリオンでも「世界の中心でアイを叫んだけもの」というサブタイトルが使われていたので、ご存知の方も多いのではないでしょうか。
インターネットの情報は信用ならないものも多いのですが、ある程度大きなところでこんな風に書かれているのを見ると、ちょっと悲しくなります。
前回この小説を紹介した時に詳しいことを書かなかったのは、この作品を読んでもあまり心に残らなかったからです。
普段あまり本を読まない人にとっては読みやすい作品だけど、普段から本を読んでいる人には物足りない作品、そんな風に私は思いました。
そして物語の最初からヒロインが死んでしまうことが分かっていて、そのせいで作品全体が死に結びつく暗さと重さを常に引きずっています。私はそれが好きではありませんでした。
難病を患った人と共に過ごしたことがないので、私が分かっていないだけかもしれません。
世間一般では、これを純愛と呼ぶのかもしれません。
けれど小説という一つの文学作品として読んだ場合、特別高い評価はできない作品でした。
タイトルと内容の関連性がない、というのも一つの理由ですね。
「世界の中心で、愛をさけぶ」というほど激しい作品ではなかったなと。
普段は否定的なことは書かないようにしているのですが、原作がかなりの数売れているようなので、一個人の意見として書いてみました。
とは言え、私のまわりにも「すごく面白かった!」と言っている友人が何人かいるので、やはり感じ方は人それそれぞれなんだなと思います。
どうせ読むなら、楽しんだほうがいいですしね。