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2014年12月30日(火) ■ |
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Vol.824 母の視力 |
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おはようございます。りょうちんです。
母が白内障の手術を受けた。もともと近視だった母だがここ1〜2年で急激に視力が落ち、白内障と診断されたのだ。母いわく、白内障なんて年を重ねれば誰でもかかる病気らしい。だから技術の進歩した今や白内障の手術はけして大げさなものじゃなく、母は一応大事をとって数日間入院をしたのだが、手術室に入ってからわずか1時間足らずで無事に病室に戻ってきた。 目が見えないというのは、やはり不自由なことだと思う。レストランのメニュー表に顔をぴったりくっつけて見ていたり、TVに映るゆるキャラを天気予報の晴れマークとまちがえたり、そんな母を見て俺も父も弟もみんなで大爆笑していたのだが。母にしてみれば全然笑える話ではない。ましてや手足に障害を持つ母だ。だが0.1未満だった母の視力は、手術により退院時には0.6にまで復活した。今年の2月に連れて行った沖縄のマリンブルーの海の色も実はあんまりよく見えてなかったんだよとこぼす母に、もっと早く手術をしておけば良かったと後悔が募る。 視力が回復したことで、看護師さんの顔もきちんと判別できるようになったし、好きなTVドラマも楽しめると母は喜んでいた。母のリクエストで退院後に俺の休みを使って養老渓谷に紅葉狩りに出かけたのだが、紅葉のシーズンはすでにほとんど終わりを迎えていたけれど、きれいに色づいた葉の一枚一枚までが鮮明に見えると感動していた。 ところが。良く見えるというのは、今まで見えなかったものや見えなくてもいいものまでが見えてくるということでもある。茶渋などの汚れが付着した食器類。くたびれ果てた愛用のサンダル。自分の想像以上にひどかった手や腕の肌荒れ。見えなかった頃にはまったく気づかなかったさまざまなものが、気になって仕方がないのだという。新しいカップとサンダルくらいならまだいいが、超高級な化粧水やら保湿液やらを買い込むのはちょっと痛い。資金の出どころは、俺の財布なのだから。
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