ぶつ草



でかした!父!

 部活終わってへとへとになって家に帰った。

DVDデッキが前からここにいましたけどー、ってなかんじで普通に我が家になじんでいた。



 ええっ?

 なんでやねんっ。



 うちの父が会社のボーリング大会で優勝して持ち帰ってきた物だそうです。

同僚の人達に「会社に寄付しろよー」といわれまくったのを死守して逃げ帰ってきたそうです。



 ありがとう、父!(涙)



 これで学校いかなくても家でVさんの新しいプロモ集が見られるよ・・・

2002年02月21日(木)

買い出しのはずが・・・

 今日は部活が休みで久しぶりのオフでした。

ま、買い出しとかするための休みでもあるのですが。



 水曜日だったので、行きつけの画材やさん(パンフレット表紙の画用紙調達のため)は休み。

ま、これで私は目的を失った訳なので・・・



 手ぶらで帰るはずだったのに、ふと立ち寄った本屋でV6の2002-3のスクールカレンダーを発見。

買うか買うまいか30分考える。

 その前にゴスぺラーズのアルバムを買うか否か30分悩んだ後だったのですが(こっちは買っていないんですけど)。

普段ならあっさり買うか買わないか決めるんですけど、書店に並んでいたのが最後の一つだったんです。

確か去年のやつもたちよった本屋で一つだけあって、それは「キャンセルされたやつなんだよー」という曰く付きのものを引き取ったのでした。

でもさ、ほんとこれって



私に「買え」って言ってない?


お買いあげーっ。

ああ、さようならゴスアルバム。

君はまた来月だ。

2002年02月20日(水)

恐るべしアブトロニック

 通販で大人気の腹筋収縮機。

これは低周波治療器の代用としても使えるそうで、整体なんかで勧められることが多いようです。

そんな噂の機会が我が部にやってきた!

 部員の一人が通販で買ったそうですが、これがすごいの。

お腹当ててスイッチ入れたら、笑えてくるんです。低周波がお腹の表面をくすぐるようで。

でもやっぱり外すと暫くしてお腹が熱くなってきましたね。



 いやほんと、これ仕事中とかでも使えるよ。

2002年02月17日(日)

バレンタインの副産物

 昨日は世に言うバレンタインでした。

ここ数年あげるのはじっちゃんとパパさんだけだったりするので何の気兼ねもなく前日まで旅行を楽しんでいました。

とはいえ、うちの大学は恋せし乙女多き女子大。

そしてバレンタイン当日と前日は時間がないにも関わらずに部活がオフになるような演劇部です。

当然残り物なーんてものがあるわけで。



 今日はチョコが練習場にあふれていました。



 いやーっ。

食った食ったーっ。




え、私?

手作りするような人が居ないし・・・

そうそう、中国のおみやげで天津甘栗にチョコがコーティングされているヤツを持っていきましたけど。

2002年02月15日(金)

中国・広州食いまくり紀 その3

 最終日です。

朝食をとったあと、まずは民芸品の店へと連れて行かれます。

まあ、平たく言えばツアーだと必ず連れて行かれるような、そこです。

広い店内の割に、正月だからか誰も人は居なく。

ありがたいことに一人につき四人の店員さんがまるでSPの如くついて回ってくれました。

皆話を聞いたりしているのに、私一人彼女たちをまくのに労を費やしていました。

なにやってんだか。



 続いては蘭園へ。

蘭園、とは言ってもですね。



花が咲いていない蘭園(by 友人)



だったので、ただただ緑の庭園が続くだけでした。

ま、あの町中の喧噪がうそみたいだったからリラックスできたけど。

出来れば花の季節に来たかった・・・



 そのまま昼は「蓮香楼」にて飲茶。

最後の方にだされた鯉の型抜きゼリーはリアルすぎて食べられませんでした。

縁起物なんですけどね、確か。

だってずっとさっきからこっち見てるのーっ、鯉がーっ。(恐怖)


 そしてそのまま空港へ。

離陸したのも知らなければ着陸したのも知らない。

それほど熟睡したまま関西へとたどり着いたのでした。

2002年02月14日(木)

中国・広州食いまくり紀 その2

 朝から観光地詰め込みで巡りました。


 まずは沙面散策。

 日本で言うところの横浜中華街にあたるような存在で、ここでは沢山の外国人大使の方が住んでおられた場所だそうです。

なので、この部分だけ、他の町並みとは異なって洋風です。

ここは中州になっていて、外からの侵入者を防ぐという意味では治安も良かったようです。



 次に六榕寺(ろくようじ)。 南北朝時代の禅宗の寺院だそうです。

6本のガジュマル(榕樹)の木が植えられていることからこの名前がついたとのこと。

境内の中央には少し傾いた八角形(だったはず)の塔があり、シンボルとされています。

まだ新年明けて2日目ということで、参拝者の数も多いです。

ここで中国式初詣を体験。

ポッキーをでかくしたような線香を買い、それを至る場所にある仏像の前に備えていくだけなのですが

その線香の数は3の倍数が良いそうです。偶数は良くないと。

大雄宝殿に安置されている大仏3体は向かって左から順に「過去・現在・未来」を司ると言われていて、3という数字はそこから来たのではないのかと思われます(聞いたんですけど、忘れたんですよ・・・)。

ここでは初日から気になっていた金色に輝き、風車がたくさんついている飾りを買いました。

日本で言うところの破魔矢にあたるそうです。


 次に訪れたのは陳氏書院。

清の時代に「陳」姓の人たちが寄って作ったと言われている学校。「陳」という名字の人のみが通うことを許されたものだそうです。

日本で言うところの「鈴木さん」ばっかりが居る学校だと。

その門構えはかなり立派でガイドさんによるとあらゆる彫り物がここに施されているそうです。(陶磁器・木・鉄・石・鋳物等々・・・ああ、これも忘れちゃったよ・・・)

中に入れば中国のにおいを漂わせる工芸品が沢山。それが普通に野ざらしで置かれていて「どうぞご自由に休憩してください」的なのがさすが中国と言うべきなのか何なのか。

普通こういうのって日本じゃ「撮影禁止」「触るな」っていうのが基本なのに、ほとんど触りたい放題、撮りたい放題。

さすが中国。大地がでかいだけでなく、心もでかい。

工芸資料館でもあるここでもやはり、極細羽毛を使った刺繍が展示されていました。

同じ場所には藁をつかった刺繍(貼り絵?)もありました。羽毛刺繍に負けないほど繊細です。



 その次には西漢南越王墓博物館へ。

ここで眠気のピークに。

なんかいろいろと古墳からの発掘物が展示されていたのしか覚えていませんーっ(^^;



 ここでブレイク、昼食です。

昨日に引き続き、広州三大酒家の「シ半渓(はんけい)酒家」にて飲茶を。

やっぱりサービスで頂いたオレンジジュースは炭酸が強くてなかなか飲めません。

同じ日本からの団体さんとおなじ部屋に割り振られていまいした。おじさんたちはすでにできあがっていたので話している言葉は

日本語なのかそうでないのか謎。

食べている途中でいわゆる「コピー商品」の証人さんがいらっしゃいました。

日本語が堪能だなぁ、という印象を。(それだけかい)



 その後は清平市場を散策。

正月ということもあってにぎわいには今ひとつ欠けますが、開いているみせだけでも十分すごいです。

ごくごくふつうに豚さんの顔や足が並べられていたり

鶏さんが小さいかごに何匹も押し詰められて重ね積みされていたり

大きい洗面器から逃げ出した蛇さんがいたり・・・



だあああああああああっ。(絶叫)



四本足で食べられないものは机と椅子だけだと言い切ったガイドさんの言葉が頭をよぎりました。


 夕食の前にちょっと一息。足ツボマッサージへと赴きます。

値段は70分で日本円にして3000円。

値段は証書歌会と思ったりもしましたが、よく考えれば日本だったら同じ値段で2.30分だよなーと思うと急にお得感が。

単純である。

薄暗い空間でまず洗面器に張られた黒い液体に足を浸すよう促されます。

何の効果があるのか分からないままでしたが、これが熱いんだ、湯が。

足を浸けている間は上半身をもみほぐしてもらいました。

そのあとはじっくり時間をかけて片足ずつマッサージを。ツボヒット率がかなり高かったのですが、さほど痛くなく。

サイドテーブルにはポンカンと熱々のウーロン茶(飲み放題)が。

これで3000円ってやっぱりお得やろ!

ジェルのようなものを塗り込みながらのマッサージだったので、終わった後はスベスベの足に。

やっぱりお得だ!



夜はやはり広州三大酒屋の「北園酒家」にて。

やっぱりひとつの建物の全フロアが一つの店とあっていろんな意味で活気がある場所。

ここで食前酒として紹興酒をいただいたのですが、ちいさなグラスに紹興酒と塩梅干しを入れると・・・



めっちゃ甘い!そして飲みやすい!(感激)



飲み過ぎました(反省)

料理は卵系がおいしかったです。でもやっぱり次から次へと皿がやってきて食べきれず・・・

でもおいしいので私にしては珍しく、ついつい箸がのびてしました。

 そんなこんなで広州の二日目が過ぎていきます。



2002年02月13日(水)

中国・広州食いまくり紀 その1

バンコク行きの時と同じく、朝6時に起きて8時に関空へ。
2泊3日という短期間のせいか、集まった友人たちはほとんど手提げ鞄ひとつだけ。
それなのに・・・
それなのに、私はでかトランクで。あきれられてしまいました。
でも行っておくけど、トランクの半分にしか荷物入ってないんだからねっ。

そんなこんなで幕を開けました広州食いまくりツアー。

この日は旧正月ということで行きの飛行機はほとんど貸し切り状態。
まあ、誰もこんな時には行かないだろうということで。
隣のおっちゃん集団がお酒の飲み過ぎでフライトアテンダントのおねーさんに絡んでいました。

迷惑だなーっ・・・

そんなこんなの4時間で広州・白雲国際空港へ。
たどり着いてびっくり、空港には人・人・人! 皆中国語を話しています。
ガイドさんにもびっくり。
自分の母親より少し若いくらいの方なのですが、言っちゃえばちょっと年齢に合わないかも?な出で立ちで登場。日本語が堪能でびっくりしました。
こんなに空港に人があふれていたのは、今日が旧暦の1月1日だから。
みなさん、家族旅行で中国各地に行かれるそうで、広州が丁度観光地として人気があるからなんだそうです。
へーっ(関心)
広州の人口は日本の人口より少し少ないくらい。
正月だというのに、道には人があふれています。

正月の風習は日本と同じようで皆朝から寺へお参りにいくそうです。
やはり破魔矢みたいなのがあるようで、バスの中から見ても皆金色で風車が沢山ついているものを持っています。

まずは「中山(ちゅうざん)紀念堂」へ。孫文さんの記念館だそうです。
やはり中国を代表する人を祭っている(というのかどうか・・・)ところとだけあって、でかいです。正面には銅像も建っています。
その後ろにある八角形のホールの瑠璃瓦が目を引きます。国の文化財に指定されているものだそうですが、コンサートなんかもたまに開催されるそうです。数年前に西城秀樹さんがここでYMCAを熱唱したんだそうですよ。
舞台奥では記念石碑もあって、中国の大きな歴史の流れを感じることが出来ました。

普通こういうところって写真やビデオ撮影って禁止されているようなものですが、そんな規制は全然ありませんでした。

その後は鎮海楼へ。
5階建てで下から昇っていくことで中国の歴史を見ることが出来るのですが、もう歴史教科書や資料集に載っているようなものがたくさんあってめちゃくちゃ楽しかったです(友人たちはそうでもなかったようですが)。
最上階は高級品ばかりを集めていて普段は入れないんだそうですが、正月と言うことで一般開放していました。一棚何十万もする芸術品が沢山。
ここでは「本当のしゃちほこは体が半分しかない」という豆知識を手に入れました。

やはりここでも写真撮り放題。

この後、近くにあるお茶専門店で中国茶を頂く。
ま、要するに観光につきもののおみやげ店ってやつですね。
「体のここそこに効く」とあれこれ言われすぎて、どれがなにか分からなくなってきました。でもお茶だけはたっぷりいただきましたよ。中国の茶道のやりかたでね。ここでは花びらのお茶を購入。

この後そのまま夕食へ。
今回のツアーは食紀行なので食いっぱぐれることはありません。

正月なのに、店はかなりにぎわっています。
あとから気がついたのですが、今日行った「広州酒家」はビル一つまるまるひとつのお店だったようです。そりゃ店員さん料理もって駆け回る訳だ。
広東料理なんですが・・・なんだろ、微妙に普段食べている中華料理とは違うようでした。味付けとか、そういうの含めてね。
あまり食通でないので、この料理がおいしかったとか、そういうのは思い出せません、ごめんなさい。

正月、ということで夜からは盛大に花火があがりました。
ホテルの部屋が36階だったので、よく見ることができました。
たーまやーっ。

そんなこんなで広州での夜は終わりそうにありません。

2002年02月12日(火)

時差ボケではないけれど。

なんか、こうまったりしています。
部活に行ってもまったり。

緊張感がないというか、バンコクボケというか。

でもこれ、明日からまた中国なんですよね。
あ、まだトランクにつめてないよ。

なんか、タフだよなぁ、あたし。

2002年02月10日(日)

バンコク放浪記 その3

この日の朝は比較的ゆっくりとしたものになりました。
早い話が「早起きしてあちこち行こう」と言っていたのが寝坊しただけですが。

友達たっての希望で「ルンビニー公園」へ行くことに。
地図で見ても少し遠いのでトゥクトゥクに乗ろう!ということでおっちゃんをひっつかまえる。
「公園は午後2時にしか開かないからそれまでお寺に連れて行ってあげるよ」というおっちゃんにピンときた私。
無理矢理友人をおっちゃんから引き離して逃げるようにその場を去りました。
実は旅行本に載っていた典型的サギの手口だったからです。
友人に事情を説明して、とりあえずひたすら歩くことにしました。
やはり地図でも遠い距離だっただけに、歩けども歩けども公園らしきものが見えてきません。この日は快晴で、気温もぐんぐんあがり、歩いている足取りも時間が経つにつれて重く、フラフラに。
やっと着いた公園の看板によると、公園の解放時間は午前4時からでした。

・・・やっぱあのおっちゃん、嘘つきやった・・・

しばし公園でまったりした後、ホテルへと帰りながらのショッピングを。
伊勢丹のすぐそばで結構おっきな屋台があって、そこでは何かの魚の塩焼きらしきものが食べられるようだったので、そこで昼食をと思っていたのですが、どうやらそれは夕方からしかやっていないらしく、その場所は閑散としていました。
やばい!昼食べ損ねる!
とりあえず帰りながらどこか適当な屋台で何か買ってホテルで食べるか、という結論に至ったのですが、気温がぐんぐん上がって蒸し暑い中、私の思考回路は完全に停止、ただただ歩いているだけになりました。
結局なんとかホテルちかくの食堂に転がり込んでかなり遅い昼食。
ライスヌードルのチキン添えを食べたのですが、どうも味が感じられずに半分ほど残してしまいました。
覚えているのはやったらスプライトが甘かったことぐらい・・・

夕方からは二人とも一番楽しみにしていたタイ式マッサージ!
場所は2日目にニューハーフショーを見に行ったホテルの近くでした。

静かな奥の部屋に通されると、まず着替えるように言われます。
そこにはゆったりとした半袖のシャツとゆったりとしたパンツ。
着替えた後はまず、足を丹念に洗われます。それがまたくすぐったいのなんのって。
その後カーテンを引かれた少し薄暗い場所で左足から丹念にほぐされていきます。
別の場所からは明らかに日本人とわかる人が「うおおおおおっ」と吠えているのが聞こえます。
ちら、と横を見ると相方は熟睡していました。
幸せそうです。
ちなみに「気持ち良い」は「サバーイ」と言うそうです。
左足、右足、左腕、右腕とほぐされた後、小休止で暖かいお茶をいただきました。
その後は首と背中。
背中がね、すごいんです。プロレス技みたいにぐっと腕を固定されたかと思ったら思い切り振り回されまして。

ごきっ。

・・・なーんて鈍い音がしました。
先ほどの明らかに日本人なひとが吠えていた気持ちがわかります。
「うがっ」と声が出てしまいました。
でもね、やっぱりすごいんです。終わったあとは体がすっきりしていましたし、3日間酷使した足も軽かったんです。
あっという間の90分が過ぎたのですが、ここで一つ悔いが。

・・・チップ渡すの忘れてた・・・

いつまで経ってもこの習慣ってのには慣れません。
気がついたときには夕食でした。
この日は時間待ちの為に寄ったホテル近くの食堂でチキンサンドを。
デザートには屋台で焼きバナナを。
この焼きバナナ、どんな味かと思ったのですが意外と焼き芋みたいでした。焼き芋だけど、後味がバナナ、みたいな。
一方相方は100%オレンジジュースで屋台のおばちゃんともめていました。

少し早めに空港に行きましょうか、ということでチェックイン時間の少し早めに空港へ。
お世話してくれたガイドさんに別れを告げて空港内へ。
ここでちょっと問題が発生。
なんとっ。
VAT(免税手続き)のスタンプを押してもらうのを忘れてたんです。それはチェックイン前にやっておかないといけなかったみたいで。
空港職員さんとあーだこーだともめて(互いの英語が通じないので焦りました)、パスポートと航空券取り上げられて(これも焦った)、こんなの絶対ありえない!なパスポートチェック後の逆行。
いやー。
スリルありました(おいおい、そーゆー問題か?)。
なんとかスタンプももらって、パスポートも航空券も返してもらって、税金分を返してもらって。

そうして波乱含みの旅は幕を閉じたのでした。

あ。
帰りの飛行機はさすがにゲームはしませんでしたよ。

2002年02月08日(金)

バンコク放浪記 その2

バンコクでの朝は慌ただしく始まりました。
この日は観光デーということでツアーガイドさんと一緒に寺院巡りです。
普通こういうツアーって朝9時とか10時集合って思っていたのですが、なんと言い渡された集合時間が朝7時15分!
海外に来てまで早起きです。

朝食はホテルのバイキングで。
朝6時からやっているとのことですが、さすがにそんな朝早くからは誰も居ないと思うでしょ?
それが大間違い。
大にぎわい!
目を疑いました。
色んな言葉がラウンジに飛び交っています。
バンコクの朝は早いようです。

飛行機でゲームをしすぎたせいなのか、朝から体調がすぐれません。そんな私に追い打ちをかけるような車の運転。
あのかっくんかっくんとした動きのせいで、東京組が宿泊しているホテルについた頃には顔面蒼白、思わずホテルのトイレに駆け込みました。

真っ青になったまま、向かった先は船着き場。
中学生の時に地理で覚えたチャオプラヤ川を船でどんぶらこ、と。
水上マーケットに向かいます。
水上マーケットは文字通り水の上の市場なのですが、意外に地味。
観光客用にやっているだけ、というだけあって、私達の船に寄ってきたのは3隻の小さな船だけで「えっ?もう終わりなの?」というものでした。
そしてそのままワット・アルン(暁の寺院)へ。

ワット・アルンといえばカミセンアジアツアー写真集で森田氏が訪れていた所。
正面から見て「あ、あそこ登ったんだ」と分かるところが。
めちゃめちゃ急な、45度以上の傾斜があるような階段が見えましたが、やはりそこは普段は登ることができないそうです。
その荘厳さにぼうっ、と見とれながら歩いていると突然おっちゃんに声を掛けられ、振り返りざまに大蛇を首に巻かれました。

大蛇。ヘビですよ、ヘビ。
肩にずっしりと重かったです。

パニックになるまえに妙に冷静になってしまった私は巻かれたヘビの顔を正面から見ることになり、おっちゃんのイキなはからいでどういうわけかキスまでしてしまいました。

ヘビとのキスは、蛇皮財布の肌触りでした。
・・・当たり前だけど。

お陰様でワケのわからないうちに200バーツ徴収されていました。
世に言うぼったくり、ですね、これは(涙)

というわけでワット・アルンでしこたま写真を撮り、次の王宮へ。
王宮と言うだけあって、ノースリーブの人やスカートの人、ミュールの人は止められていました。
肌の露出が少ない方が良いんだそうです。パンツもくるぶし丈あるものがベストなんだとガイドさんがおっしゃってました。
王宮もワット・アルンに負けないほどきらびやかなのですが、これが昔に人の手で作られたんだと思うと宗教の力ってすごいんだなぁ、としみじみしてしまいます。
しかし、太陽も高く昇り気温も急上昇なので、かなりフラフラしてしんどかったです。

昼食は私達が宿泊するホテルでバイキング。朝とは違って中華ものでした。

午後からはお決まりの店巡り。
民芸品、宝石店、健康食品店とよくあるパターン。
ここで面白かったのが健康食品店での商品紹介、うちの豊胸クリームはニューハーフさん御用達なんです!と自慢げな係員さん。
日本でも女性週刊誌で取り上げられたことがあるらしく、その記事がでかくひきのばされて飾られていました。
一カ月ほどで効果が現れ、クリームの使用を止めても胸の大きさは変わらない、日本ではここでの5倍の値段がする、と言ったことから東京組が猛ダッシュ。殆どの方がお買い求めになったようです。
私は前日に少し買い物をしすぎたので、泣く泣く諦めました。

この日の夜は別のホテルでやっているニューハーフショーを見に行きました。
日本のニューハーフさんとは違い、バンコクの方は本当に美人でスタイルが良いんです。同じ女としてすごく不平等さを感じてしまうくらいで、ショーを見ていると彼女(彼?)が男だということを忘れてしまうほど。
ショーには「男形」もちゃんといて、盛り上げてくれます。
でもどうも怪しい動きをする人が多かったです。上半身裸で下は黒のスパッツ、顔は仮面舞踏会かよ、というマスクを付け、手に百合のはなを飾ってある人達が一番怪しかったです。
一体なんの演出なのかわからなかったくらいに。
「男形」の中に、ジュニアの秋山氏にとても似た人(結構男形のトップに近いらしい)がいて、どうしても彼から目が離せなかったです。
やっぱりニューハーフさんの中にも道化役みたいな人は居て、その人はモロに日本のニューハーフさんみたいでした。美女(?)揃いのなかで、やったらインパクトがありました。

こうして相方と女性のあり方について討論をしながらバンコクでの夜が更けていくのでした。

2002年02月07日(木)

バンコク放浪記 その1

というわけでわけで。
行ってきましたタイはバンコク!

この日は朝8時10分に関空集合!というわけで朝6時起きでした。
何度も言うようですが、私が早起きするのは実に珍しいことです。
というわけで午前8時、関空に到着いたします。
ここで一つ問題が。
相方が来ない!
ふと見ると、携帯電話が不在記録を残していました。それは相方から。
慌てて電話をかけてみると、電車に乗り遅れたから15分ほど遅れるとのこと。
序盤から不吉な予感。

なんとか相方もやってきていざチェックイン!
両替をしたのですが、タイの通貨・1バーツが約3円でびっくり。

出発ロビーに移動する途中、テレビで「はなまるカフェ」をやっていた。
「嵐」の大野君がゲストだったようだ。
見たかったけど、相方に引きずられて断念。
この後、10円を自販機の下に落っことし、ちょっと暗い気分になりました。

バンコクへはシンガポール航空で。
これがびっくりしたことに、エコノミーでも一人に一台テレビモニターが付いているんですよ!
今はこれが普通なんですか?
ちゃんとテレビゲームも出来て感動のあまり、5時間の飛行時間の殆どをゲームに費やしてしまいました。大バカです。
ちなみにやっていたのは往年の名作、「スーパーマリオシリーズ」。
ちっともクリアできませんでした(涙)
お陰で指が痛くなると言うおまけつき。

そんなこんなで5時間が経過。
飛行機は無事、バンコク国際空港へ。

飛行機から降りた途端、すごい熱気で足元がふらつきます。
話によると現地は35度だったそうで。
慌てて着込んでいた服を脱ぎ捨てました。
予定より15分早く着いた為に、現地のツアーガイドさんと落ち合えず、しょっぱから相方と言葉が通じない異国の地で途方に暮れていました。
暑さのあまりか、このあたりの記憶はふっとんでいますが、次に覚えているのは待合室で30分ほど待ったくらいです。別便のツアー客と合流するのに待っていてほしいとのこと。別便は東京からの会社親睦旅行一同(5名)。
それぞれのホテルに送ってもらうのですが、これがびっくり。
すごい交通量!
しかも譲り合いというより我先に、という感じだったので道路はもはや無法地帯。
ホテルにたどり着けたのが奇跡のようです。
アクセル全開かと思ったら急ブレーキ、みたいなことの連続のお陰ですっかり酔ってしまいました。

ホテルは中心街から少し外れた場所にありますが、ロビーは人類のるつぼよろしく、色んな言葉を話す人が行き交いしていました。日本人が余り見あたりません。

部屋は12階の50号室。部屋もなかなか綺麗です。
お互い短時間で慣れないこと続きでちょっと疲れ気味でしたが、そこは気力と若さ(?)にむち打って周辺の散策に出かけます。
地図で見る限り、少し歩けば伊勢丹を始めとするショッピングモールが見えるはずなのですが・・・
当然の事ながら、地図のどちらがどちらの方向なのか分からず、頼りの看板もタイ語で書かれていて読めなかったり。
おかげであっち行っては引き返し、こっち行っては引き返し、の繰り返し。
気が付いたときにはすっかり日も暮れていました。ほんとに。
いよいよ露店もにぎわいを増してくる中、私達だけが途方に暮れていました。今日だけで何度途方に暮れたのか分からなくなるくらいです。

諦めて引き返そうとしたその時に、ショッピングモールを発見できたときは万歳三唱ものでした。お互い握手して、汗まみれの体を抱き合って互いをたたえ合いましたよ。

夕食は迷っているときに見つけたシーフードセンター。
相棒のたっての希望でトム・ヤン・クンを食べたのですが・・・

辛い!そして固い!

激辛のスープにエビやら野菜やらつっこんで煮込んであったのですが、その野菜に火が通ってないのか、固い葉っぱの茎を食べている気分でした。
私は二口でギブアップ。
あとは相方に任せました。

そんなこんなでバンコクでの夜が更けようとしています。

2002年02月06日(水)

ついについに

学生生活最後の試験が終わりました。
はあ。
もうこれで何かの資格試験なんぞ受けない限り「試験」とか「テスト」という言葉とは疎遠になることだと思います。
そう思えばちょっと寂しいですね。

さて、明日から部員には黙って友達とタイへ二人旅してきます。
終末には帰りますので、留守をお願いします。

2002年02月05日(火)




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