Kumsta kayo?(富山編)
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2002年10月31日(木) 明日の予約


オランダへ来てもうすぐふた月。

髪もだいぶ伸びてきたのでそろそろ散髪に行こうと思って、

きょうの帰りにとこや兼美容院に行きました。

こちらは、男女両方やるのが普通みたいです。

日本でも新しい床屋に行くのは、緊張です。

前回、1回行ったとこに行ってみました。

予想通り、きょうは予約がないのでできませんでした。

明日の予約をしてきました。

こちらは、日曜日にお店が開いてないので平日働いていると、

買い物などは土曜日にしなければいけません。

土曜日に髪を切りに行くとそれだけで一日終わってしまうので、

あした済ませておこうと思ったのです。

前のアパートからは近くて、今のアパートとは離れているけれど、

会社に近いし、車も停めやすい←これは重要!

オランダチックに短くされないように気をつけなきゃ。

あっ、日本はもう11月だ!


更新 オランダ時間 10月31日20:10/日本時間 11月1日4:10 


2002年10月30日(水) 最近のモットーは。


「食べたらすぐかたづける!」です。

学生のときは、夜間がある大学だったから夕方から夜にかけて食堂がやっていて、

そこで食べてから帰っていた。

会社に入ってからはずっと寮で、去年の12月から3月まで少しの間アパート暮らしをしたけど、

近所のスーパーが毎週水曜日に冷凍食品4割引になるのでもっぱら、それに御世話になっておりました。

ここ(オランダ)には、コンビニなんて便利なものはないから、

家で食事をすることが多くなります。

家庭の奥様達の苦労には及びませんが、もっぱらの悩みは

同じおかずが2日以上続いてしまうこと、

野菜などの食材が使い切れないこと。

普通の野菜や果物、肉はスーパーで買えるし、

それでもないものは「アジアショップ」で買える。

さらに買えない物(日本製の物)は、ドイツまで車で1時間で買いにいけます。

今回日本から持参した「簡単家庭料理」を参考にしておりますが、

どうやったらそんな風になるの?なんてことはしょっちゅう。

朝が早くて帰りが早く残業がほとんどない研修だからなせる技。

たべたら、コーヒーメーカーをセットして片付け。

食器洗い機もあるけど、ひとり分だから手で洗ったほうが早い。

後回しにしたら、いやになるのは目に見えてるので、

「食べたらすぐかたづける!」

ということです。

決して花婿修行ではありません。


更新 オランダ時間 10月30日19:00/日本時間 10月31日3:00 


2002年10月29日(火) CM考


CNNを見てるといろいろなCMが流れてきます。

ダイムラークライスラーのCMで、いろいろな国の子供が自分の国の言葉で「車(car)」と言うのですが、

その中で日本らしき国の子供がスーパーの買い物カートから身を乗り出して

「じ・どーしゃー!」

って言うんですけど、日本の子供はどう考えたって

「ブー・ブー」

ですよね。

ま、CMだから必ずしも真実である必要はないし。

あと、全日空のコマーシャルで日本でやっていたのをそのまま訳してるのがあって、

ビジネスクラスがあまりにも快適なんで寝てる間に目的地に着いて、

「映画が見たかった」だの、「なになにが食べたかった」だの言うやつ。

あれを見たら、「日本人はなんてせこいんだろう」と思われないでしょうか。

日本で見ても「なんだそれ」って言う感じでしたけど。

あとは、国の観光のCM。

日本は観光客を誘致するCMをやっていませんが、頻度が高く耳に残っているコピーは、

「Croatia the Mediterranean magic」

「Malaysia turely Asia」

「Egypt everyone wear smile」

ほんとかよ!と思っても、言ったもん勝ちですね。


更新 オランダ時間 10月29日21:20/日本時間 10月30日5:20 


2002年10月28日(月) 安いからって、どうすんの?


会社の帰りにスーパーでお買い物。

買ったものは、

牛乳、バナナ、コーヒー、パン、キャベツ(1玉)、にんじん、ジャガイモ、鳥もも肉、豚バラ、合挽き肉、そして、

たまねぎ一袋:1.5キロ←これどうするんですか?

でもね、安かったんですよ、0.49ユーロ、60円弱ですよ、奥さん!

はかり売りのたまねぎは、古かったんだもの。

そのうち芽が出てきそう。

水栽培したら、花は咲くでしょうか。

それと、しいたけが「SHII-TAKE」って書いて売ってた、もちろん買ったけど。

じゃがいもは袋では買いませんでした、こっちの人はじゃがいも好きだからね。

たまねぎ料理のレシピ募集中です(笑)


更新 オランダ時間 10月28日19:50/日本時間 10月29日3:50 


2002年10月27日(日) 年末の予定


年末に10日程度の休みがある。

日本と違うのはクリスマス休暇があり、新年は1月2日から会社が始まる。

ビザの関係で、2月末には帰国する予定なので高いお金を出して年末に帰国するつもりは、”いまは”ない。

そこまでして日本に帰る”動機”もない。さみしいが。

両親をこちらに呼ぶという案もあったけど、12月に”毎年恒例の”ハワイに行くそうです。

ということで、今のところ、どこかに行こうとは思ってます。

クリスマスシーズンは、高くて混んでいるのだろうか。

昨日、ネットであるところへの航空券を調べたらこちらで買う日本への航空券に近い値段が出てきてしまいました。

そのうち、旅行代理店に値段を調べに行こうと思います。

それとも、誰かこちらに遊びに来ますか?

車で行ける所なら案内しますよ。なんて。


更新 オランダ時間 10月27日18:00/日本時間 10月28日2:00
きょうから時差は−8時間。 


2002年10月26日(土) 夏時間

きょうで夏時間(サマータイム)が終わり。

明日からは、きょうまでの7時は6時に。

1時間戻るんですね。

だから、今日7時におきて、明日も7時におきたとしても今日までの8時だから1時間余計に寝れるんですね。

きょうはずっと考えていたけど、考えればややこしくなるのでやめ。

明日の朝、慌てないように時計を全部直す。

あたりまえのこととして暮らしている人には、どうってことないでしょうが、なんか緊張したりして。

同じ時間が2回来るわけで、切り替わりの時間、(確か明け方の2時)に離陸する飛行機はどっちの時間で飛ぶのか?

とか考えたり。

ま、たしかに夏は夜10時くらいまで明るくて冬は3時くらいには暗くなるのでそういう制度が必要になったのでしょうが。

そうそう、時差が−7時間から−8時間になるので↓を書く時気をつけなきゃ。

(指を折って数えてます)

更新 オランダ時間 10月26日20:00/日本時間 10月27日3:00


2002年10月25日(金) あなたのは「ソナタ」です。

自分専用のレンタカーを借りました。

希望は、オペルアストラクラスのコンパクトオートマチック。

日本ではマニュアルに乗ってますが、左ハンドルで右手のギアチェンジ、

なれないことで集中力が続かないと危ないのでオートマ。

こっちの車はほとんどがマニュアルでオートマの台数が少ない。

前回もそれでボルボのS60に乗っていました。

今回の車はというと、現代(ヒュンダイ)の「ソナタ」。

ヒュンダイは韓国で一番大きな車メーカーです。

この車、ボルボに負けず劣らず大きい。

高速を走るのは快適ですが、ホテルなどの地下駐車場ではもてあましそう。

韓国車に乗るのは初めてですが、「だいじょうぶかな?」ってのが正直なとこ。

外観はけっこう立派。

内装は、とってつけた木目パネルなど、貧乏人が小金を持ったって感じ。

わかりますか?成金チック。

ランク的には2クラスくらい上ですが、向こうの都合なので料金据え置き。

「ソナタ」って名前からわかるように、スポーティではなくサルーンって感じ。

これで、自分の行きたいときに買い物にいけるし、遊びにもいけちゃいます。


更新 オランダ時間 10月26日18:10/日本時間 10月27日1:10 


2002年10月24日(木) パリ総括、な〜んて

そもそもこんなに休みが続いたのは、先週の夜勤明けと今週が週末(金土日)シフトだから。

つまり金曜から来週の金曜まで休みがないということ。

普段は平日昼間のみですが、この変則シフトは昼、夜、週末という具合に回ってきて今回で終わり。

本来のトレーニングの合間に入れられたようなもので、人によってはまったくないこともある。

そのぶん、オランダにいる時間が長くなってしまうのだけれど、おかげで泊りがけの旅行に行くことができた。

今回のパリは、初めてだったものだから「おのぼりさん」状態でとにかく見てまわった。

それでも、まだまだ見るところがあるから、パリってすごいな。

もし、また行くことがあるならもっとじっくりと堪能したいと思う。

パリも地下鉄が張り巡らされていてどこに行くにも便利でした。

ホームも空間が広くて、隣の駅に電車が停まっているところが見えたりしておもしろかった。

乗換えだって行き先と何号線かさらに終着駅がわかっていれば完璧。

車内アナウンスがなくたって電車内の路線図と駅の看板でだいじょうぶ。

ま、あってもわからないでしょうが(笑)

料金も均一だから切符を買うのに迷うこともありません。

そうそう、スーツケースの人は電車と地下鉄で市内に行くことは勧めません。

回転バー式の改札が通れなかったり、重い荷物を持って階段を上がらなければならないから。

2人以上ならタクシー、またはロワシーバスかエールフランスのバスがお勧めです。

あと、地下鉄からRERに乗り換えるとき、(たとえばベルサイユ宮殿に電車で行くとき)は

地下鉄の駅で最後のRERの駅までの切符を買ってください。

乗換駅で切符売り場がないことがありますし、地下鉄の分はRERに含まれるので別に買うより地下鉄分安いと思います。

地下鉄は出口の改札は自動ドアで切符は要りませんがRERは切符がないと出れません。
注)RER:高速地下鉄

オランダに帰ってきて、見慣れた田舎町の風景にほっとしてスーパ−でオランダ語を聞いてほっとしました。

アパートのフライパンは古くて、いくら油をひいてもチャーハンや焼きそばが引っ付いてしまうので自腹で購入。

近くのABN-AMRO銀行(勝手にアムロと呼ぶ)でトラベラーズチェックを両替。

アムロは、手数料が取られないんです!

たまった洗濯をして、またオランダ生活の始まりです。

更新 オランダ時間 10月24日17:50/日本時間 10月25日0:50 


2002年10月23日(水) シャルル・ドゴールにて/帰宅


パリにいる間更新できなかった日記(18日〜)も更新してあります。

ホテルを10時に出て地下鉄からRER(普通電車)に乗り換えて空港へ。
1時間ちょっとで空港に着いた。
フライトは、15時45分だからかなり時間がある。
心配性だから早く着く分には全然問題はない。
空港でガイドブックがないことに気づいた。
電車に乗っていたときは、何回か見た覚えがあったから電車の中に忘れてしまったのでしょう。
美術館のガイドブックを何冊も買ったから荷物がかなり重くなってそちらに気が取られていたことも原因。
これが、旅の最後でよかった。
もしはじめだったら、新しいガイドブックを買いなおさなければいけなかった。
それと、なくしたものがパスポートやチケットでなかっただけでもよかったのかもしれない。
でも、いろいろ書き込みもしていたし、旅の相棒みたいなものだったから残念です。
時間があまるほどあったから昨日出したばかりだけど、また絵葉書を出してみたり。
シャルル・ドゴールのターミナル1は建物が古くてお店もそれほどない。
ターミナル2は新しいからもっと楽しいかもしれない。
ノースウェストなどのアメリカ系の航空会社はチェックイン前に特に厳重に荷物検査をしていた。
搭乗口に向かう検査は、かなり厳しかった。

☆以下、自宅にて

搭乗時間が、出発時間まで遅れた。
フライト自体は約1時間。
今までにないくらい、着陸のアプローチがフラフラだった。
タッチダウン時には、ひっくり返るんじゃないかと思ったくらい。
飛行機、環境が原因?それともパイロットがへた?
タクシーで帰宅。
無事つきました。
荷物を広げたがやはりガイドブックはなかった。
重い荷物を担いでいたせいか、腰がまた少し痛い。
皆さんの日記は、ゆっくり読ませてもらいますね。

「ディズニーランドパリ」と「セーヌ川ディナークルーズ」は、誰かと行くときにとっておきます(笑)
いつだ?誰とだ? という突っ込みはなしで・・・

更新 オランダ時間 10月23日18:30/日本時間 10月24日2:30 


2002年10月22日(火) パリ5日目


電車で「ベルサイユ宮殿」へ。
往復で約5ユーロ、行きは終点、帰りは始発駅だから行きのホームさえわかればなんて事はない。
宮殿前の広場で、見覚えのある後姿を発見。
なんと、同じ日程で休みになった同僚でした!
彼は、車でフランスのお城めぐりをするとのことで冗談で「21日にベルサイユ宮殿で。」といっていたら本当に会ってしまった。
どちらかが先に中に入っていれば、絶対会わなかったと思う。
時間だって全然決めてなかったから、本当に驚いた。
ということで一緒に宮殿内を見学。
ルーブル美術館でお世話になったガイドさんを見かけた。
きょうは、ルーブルが休みだからこっちにきているのか、ガイドさんもいろいろ知らなければいけなくて大変ですね。
それと、修学旅行の学生がいた。
修学旅行が海外はあたりまえの時代というけれど、まさかヨーロッパまでとは。
自分が学生のときのように、説明をしてくれていても退屈そうではっきり行って「もったいない」と思った。
なぜなら、彼らは自分の意志で来ているのではないから、しかも自分のお金じゃないし。
ちなみに自分の修学旅行は、奈良、京都でした。
丸一日グループで自由行動の日があって、どこに行くか決めたりして楽しかったな。
同僚とは昼を一緒に食べてお別れ。
これから凱旋門に行くというから、階段で上がることを強く勧めた(笑)。
帰りの電車から、セーヌ川の島の「自由の女神」を思いがけず見ることができて感激。
あと半日、どこに行こうか迷ったけど「オルセー美術館」に行くことにした。
電車がオルセーのすぐ近くで停まるということもあって。
入場するのに20分くらい並んだ。
マネ、モネ、ゴッボ、ロートレック、ロダン、など教書にも載っている有名どころを鑑賞。
駅を改造して作っただけに、空間の開放感はすばらしく、ルーブルと比べると少ないがそれでもたくさんの作品、
行ってよかった。
「モネ」が一番気に入りました。
トイレで女性、特に若い子が男性用に入っていくのには驚き。
日本のおばちゃんだけじゃないんだね、長い列に並ばなければいけないのには同情しますが。
もし、時間がなくて「ルーブル」と「オルセー」どちらを見る?
と聞かれたら、オルセーを勧めます。
ルーブルは広すぎて、本当に見たいものが絞れればいいですが、歩き回って終わってしまう恐れがあるから。
オルセーをでて、郵便局を探して絵葉書を送る。
郵便局のおにいちゃんは切手を舐めてつけてくれました。
絵葉書には、フランス人の唾液というおまけがつきました(笑)。
地下鉄の回数券「カルネ」もちょうど使い切って、時々雨は降ったけど、おおむね晴れていた。
スリなどの怖い目にも会わなかったし、充実した旅行でした。
出発をやめようと思ったほど痛かった腰も二日目くらいからよくなった。
明日は午後の便だから、昼くらいに空港に着く予定。

フランス人の身振りでわかったこと。
親指と小指を伸ばして手を握って、親指を口に持っていくと「飲み物」のことらしい。
ホテルのおじさんが朝、そうやって「もっと飲むか?」って顔したし、食事に行ってそれをやられて「飲み物はどうするか?」と聞かれていることがわかった。
日本人で言うと、コップを持つ手の形をして口に傾けるような感じ。
なんか新しい発見をしたようでうれしい。(間違っていたらごめんなさい)

記 10月22日 17:00


2002年10月21日(月) パリ4日目


きょうは一日かけて「モン・サン・ミシェル」へ。
早朝にホテルを出て、バスの集合場所へ行く。
いつもながら予定よりかなり早く着いた。
自力で電車、バスを乗り継いでいくには遠すぎる場所なのでパリ発日帰りツアーに参加。
いつもながら、ひとりは自分だけ。
女の子二人はよくいるけど、男二人は見ないし、なんかおかしく思えてしまう。
ということは、男がツアーに参加するにはパートナー(女)を連れて行かなきゃなんないってこと?
でも、なかなか普通の関係じゃ海外旅行に一緒に行かないよね。
片道4時間30分の道のり、現地の目前のレストランで名物といわれるオムレツを食べる。
もともと巡礼者に出していたものだから、そんなにおいしいものではない。
ウェイトレスもツアー客に食傷気味なのか、対応がぞんざいだった。
潮が満ちると完全に島になってしまうが、今は道路がある。
でも、この道路も島の回りの潮の流れに影響があるために取り壊して橋をかけるそうです。
島全体が寺院として建てられ、長い歴史の中では要塞として使われた。
階段がかなりあり、きょうもまた歩きました。
でも、テラス(展望台)からの眺めはすばらしいものでした。
パリから離れているからか、観光客はいるもののそれほど多くはなかった。
日本人は他にもいましたが。
帰りも渋滞に巻き込まれず、帰って来ました。
解散場所の近くで久しぶりの「ラーメン」を食べる。
ドイツの並んで食べるのより、よっぽどマシだった。(おいしくはないが)

記 10月21日 21:10


2002年10月20日(日) パリ3日目


きょうは、ガイドつき「ルーブル美術館」見学。
メンバーは昨日と同じように、カップル、夫婦、女の子同士二人組、それと親子と娘、母と娘、ひとりは自分だけ。
団体用の入り口から入った為、すんなり入れた。
ただし朝早かったため、まだ混雑はしていなかったようです。
このツアーは、無線で解説が聞けるのでガイドさんにぴったりくっつかなくてもよい。
やはり、かなり広くて自分でまわったら歩くだけで一日終わったかもしれない。
午前中で解散、午後は自分行きたいと思ったところ、行かなかったところをまわった。
でも、やっぱり迷子になってしまった方向音痴な自分。
昨日に続いてかなり歩いたので疲れた。
昨日まではルーブルをでた後、ポンピドゥーセンターにある「国立近代美術館」に行こうかと思っていたが見てまわるだけの集中力が保てなさそうなのでやめた。
ルーブルから、「マドレーヌ教会」へ。
地下鉄で2駅、地図で見るとそう遠くはないので歩くことに。
オペラ座とコンコルド広場から来る道が交差するところだった。
日曜日ということで、ミサが行われていた。
生演奏と聖歌。
キリスト教徒ではないけれど、一番後ろの席に座らせてもらい気持ちを沈めて疲れを癒した。
昨日より早い時間にホテルに帰ってきた。

記 10月20日 18:30


2002年10月19日(土) パリ2日目


きょうはとりあえず、午前中は市内観光のツアーに参加。
とりあえず一通り見て、後で気になったところに以降という予定。
朝、ツアー会社に行ってみると「ベルサイユ宮殿」のツアーが2グループもあった。
人気なんですね。
一方、市内観光は10人弱。
若いカップル2組、熟年夫婦、おばちゃん2人組、ひとりで参加は自分だけ。
内容は、「ま、こんなものですか」という感じ。
パリは、ちょっとお洒落さんが来る感じでオランダ普段着(防雨防風仕様)ではちょっと浮いていたかも。
解散後、とりあえず「ピカソ美術館」へ。
ちょっと疲れが取れず、満喫できなかったかも。
その後、コンコルド広場へ。
シャンゼリゼ通りの途中でホットドックを買って食べる。
凱旋門は、見えるがかなり先です。
しかし戻るに戻れないから歩きつづける。
途中で売店がいくつかあるが、ごみ箱が無い。
どうして、どこに捨てるの?
歩きつづけてやっと凱旋門へ。
入り口を入ってみると”階段”だった。
ガイドブックには、エレベータで上がれると書いてあったのに。
小さい子供やお年寄りなど、どう考えても階段では上がれないような人たちがいたところからエレベータはあるようです。
凱旋門の屋上からはパリ市内が一望できる。
散々歩いて、階段を上ったけど、爽快感があった。
でも、きっと筋肉痛だろうな。
まだ明るいけど、きょうは早めに帰りました。

記 10月19日 16時35分


2002年10月18日(金) パリ1日目


出発当日、会社によってデータ入力。
ほとんど寝る時間が無くって、さらに入力がうまくいかなかったがなんとか飛行機には間に合った。
それより重大な問題が前日夜発生。
帰り際に腰をひねって痛めてしまった。
こちらに来てから腰には違和感があったもののそれに追い討ちをかけるようになった。
前日は、腰の痛みでほとんど眠れずにパリ行きを取りやめようかと思った。
明けて、少しは痛みが軽くなったもののまだかなりの痛みがある。
ここで取りやめると、航空券、ホテル、現地ツアーのほとんどがパーになる。
体を取るか金を取るかという究極の(?)選択の上、貧乏性の自分は旅行に行くことにした。
KLMはシャルル・ド・ゴールのターミナル1。
パリ市内までは、シャトルバスでRER(高速鉄道)の駅まで行きRERで北駅、そこから地下鉄でホテルへ。
雨が降ってきたが、何とかホテルは見つかった。
ネットで探した安いホテルだから、こんなものかという感じ。
日本からツアーできたらきっと(間違いなく)こんなホテルには泊まらないでしょう。
腰が痛いのと睡眠不足なので食事は買ってきて部屋で食べた。
その際、薬局に行って塗り薬を買った。

記 10月19日 16:20


2002年10月17日(木) お出かけ準備/寝るなってことかい?

今晩、夜勤であしたの朝帰ってきたら少し寝て、昼には出かけます。

夜勤明けで出かけるのはきついですが、最寄の空港からパリへの直行便は土、日は飛んでないのです。

そうすると、アムステルダムのスキポール空港まで行かなければならないのですが、電車で1時間30分くらいかかるし車は今のところ共用なので断念。

ということは、きょうのうちに準備をしておかなければいけないということですか。

準備といっても日本から海外旅行に行くような大きな荷物で行くつもりも無いので、着替えくらいかな。


更新 オランダ時間 10月17日16:00/日本時間 10月17日23:00
 
☆☆
今週中に入力しなければいけないデータがあるから明日会社に来いとの電話。

いつもこんなだな。

寝る時間なし、でも遊びに行くので文句はいえず。

飛行機で寝るほど時間ないし(1時間30分位)

しょうがない・・・

追記 オランダ時間 10月17日18:10/日本時間 10月18日1:10 


2002年10月15日(火) お休みのすごし方/おにぎりから思うこと

週末から約1週間のシフト休暇があり、自分はパリに行くことにしたが同僚は日本へ帰るそうです。

もちろん、自費です。

1300ユーロだそうです。

金もさることながら、片道11時間超のフライトはきついです、これで引き上げるならまだしも。

理由は、ハードディスクビデオで予約してきたCSのスタートレックが番組改変で放送時間が変更になるのでその対策。

それだけでもないのでしょうが。

英語が苦手でオランダでの研修があまり好きではないようだし、休みの日にも進んで出かけたくないこの人は日本に帰って戻ってこないんじゃないかと半分冗談で思っている。

半分冗談ってことは半分本気ってこと。

心配しすぎなのでしょうか。

ほんの数日のために日本に帰るには、それだけの強い動機が必要。

どうしても会いたい人がいるとか(会いたいという気持ちが一方的な場合は不可)

こっちに呼ぶとしたって長時間の退屈なフライトをしてきてもらうことになるし。

今から、年末の心配をしています。


更新 オランダ時間 10月15日17:10/日本時間 10月16日0:10
☆☆
夜勤の為のおにぎりを作って持って行っている。

日本のようにコンビニやファミレスがどこにでもあっていつでもどこでも食べられるというわけには行かない。

コンビニの代わりをするのがガソリンスタンドで、でも高速道路以外は夜はしまってしまう。

行きがけにサンドウィッチを買っていってもよいのですが、飽きてしまいます。

ドイツで焼き海苔、塩こぶ、梅干などを買ったから準備は万端。

おにぎりを握りながら、子供のころを思い出す。

うちのおにぎりは、よその家のものよりも小さかった。

それは、母の手が小さいからだとしばらくしてから気がついた。

でも、子供にはちょうどよい大きさだった。

母は手だけでなく背も小さい。

父も大きいほうではないから、その二人の子供である兄も自分も大きくなるわけが無かった。

牛乳を毎日飲むという涙ぐましい努力もかなわずに。

自分は特に手が小さい、というか指が短い。

女の子と比べても負けることもあるくらい(笑)

「かわいい」といわれたって、そんなの言われてうれしい歳はもうとっくに過ぎています。

背が小さいことはコンプレックスだった。

手が小さいことでは、高校のときに弓道をやっていたが弓を持つ左手の親指の付け根がぱっくり割れたこともあった。

でも、今はね、どれもこれも自分だし、人には言えないけどけっこう嫌いじゃないよ。


追記 オランダ時間 10月15日 18:30/日本時間 10月16日1:30
 


2002年10月14日(月) 旅行計画始動(遅)


今週は夜勤で、来週は週末の変則シフトで1週間弱のまとまった休みが取れる。

前回の緊急帰国で断念したパリへ。

この間のドイツの呼び出しの件もあって、予約まで決めかねているうちに今週末に休みが迫ってきた。

ネットでチケットの値段を調べて、きょうは旅行代理店に安いパックがあるか見に行った。

もっと前なら、飛行機とホテルパックで2泊3日で200ユーロからで済むところが出発まで日にちが無いので取り扱えないとのこと。

飛行機だけの値段を聞いてみても、自分でネットで調べたと同じ料金、250ユーロ!。

ホテルも週末から満室が多く、何とか予約。

結局、けっこういい値段になりました。

ロンドンの大英博物館の経験から、広すぎて途方にくれないようにルーブル美術館は日本語のガイドツアーを申し込みました。

それと自力で行くのは時間と気合が必要だから、「モンサンミシェル」の一日ツアー。

その他の日は、休館日を吟味しつつこれから策を練る予定。


休みの前にネットができてよかった。
できなければ、車で違うところへ出かけるという手もありますが。

更新 オランダ時間 10月14日18:20/日本時間 10月15日1:20 


2002年10月13日(日) 佐藤琢磨選手おめでとう!/ふと思いついた追記

F1グランプリ最終戦日本グランプリが鈴鹿で行われた。

こちらのテレビでもF1を放送するチャンネルがあるので観戦した。

レースが始まる前には、佐藤選手のインタビューがあって驚いた。

だって、日本のテレビならわかるけどオランダのテレビですよ!

視聴者からの質問に英語で流暢に答えていた。

彼が言うには、イギリスに渡ったときは(彼はイギリスで修行をしてF1のシートを獲得した)

「イエス」と「ノー」しか言えなかったといっていた。

謙遜もあるだろうが、マシンのフィーリングやセッティングをメカニックに伝えるにはかなりの英語が必要だろう。

その点では、かなりの努力をしてきたと思う。

と自分のぬるま湯気分を反省してみたり。

レースは、クルーサードやラルフシューマッハがリタイヤしたこともあったが初ポイントの5位でした。

チェッカーフラッグが振られた後の彼の体全体から喜びが感じられた。

何よりもすごいと思ったのは、優勝したミハイルシューマッハと同一周回だったということ。

6位以降は、一周以上の周回遅れだった。

フェラーリのミハイルシューマッハとバリチェロが指定席の1,2フィニッシュ。

今年のフェラーリは強すぎて、壊れないし、勝つのがあたりまえのようですが、これはこれですごいことなんですよね。

来年の佐藤選手の活躍を期待します。


鈴鹿の観客は半袖の人もいた、日本は暖かいのですか?


更新 オランダ時間 10月13日14:10/日本時間 10月13日21:10 


☆☆☆☆☆☆☆☆☆

ふと思いついた追記。

25歳から30歳は、東南アジアをはじめとしてアジアに深くかかわった5年間だった。
そして今、自分はオランダにいる。
この5年はヨーロッパに縁があるのだろうか。
そして次の5年は、アメリカ?オセアニア?アフリカ?
自分の未来なんて想像もつかないね、平和で穏やかで少し幸せであればいい。

追記 オランダ時間 10月13日15:10/日本時間 10月13日22:10


2002年10月12日(土) カムサハムニダ

週末にホテルからアパートへ引っ越す同僚がドイツまで食材の買出しに行くというので、

一緒に行くことにした。

日本の本を売っている本屋に日本で買っている雑誌が売っていることを前に知っていたので

その雑誌を買うのが一番の目的でした。

日本では毎月6日発売ですが、今月号はまだ入っていなくて17日ころになるとのこと。

また、入荷数は2冊ということで取り置きを勧められたけど来週末は用事があって来れないのと、

他の日本の本屋にいけるかもしれないので今回は見送った。

実は、日本では買っていてもらっているのですが、こっちで読めるなら読みたかった。

この町は、日本食屋も何件もあるけれど、夕飯は韓国焼肉に行った。

炭火ではなかったけれど、ちゃんとした韓国人がやっている韓国焼肉で下手な日本食よりはおいしかった。

韓国以外では、キムチやカクテキ、ナムルなどは別料金ですがここは無料でした!

日本に来た韓国人は、日本の焼肉屋でキムチが別料金だと知ると驚くらしいです。

実際、きょうもそうでしたが韓国ではキムチなどの副菜は、ただで食べ放題です。

今回の出張メンバーの中で、英語はてんでだめだけど韓国語がしゃべれる人がいて、

店の”アジュマ”とひとりでやり取りをしていて

いつもとはうってかわって、まさに「水を得た魚」のような人がいました。

会社も適材適所を考えるべきでは・・・


ちなみにきょう買ったものは、

シチューの素、みりん、日本酒、片栗粉、から揚げ粉、ふりかけ、梅干、のりの佃煮、チンジャオロースーの素など。

本当に使い切るでしょうか???

焼き栗が売っていて買ってみました、ドイツ人のおばちゃんが「おいしいよ」って身振りをして食べていた。(言葉がわからなかったからきっとそう言ってた)

ほくほくしておいしかった。

更新 オランダ時間 10月13日1:20/日本時間 10月13日8:20 


2002年10月11日(金) (B)EAT IT!


MTV全盛の中学時代、マイケル・ジャクソンの「BEAT IT」のパロディで、

アル・ヤンコビックの「EAT IT!」ってのがあったのを突然思い出した。

「食え〜、食え〜、食いまくれ〜」って感じでしょうか。

プロモがけっこうおもしろかったような。

もいっかい見たい。


誰もワカランひとりごとでした。


体育の日は、10月10日じゃないと変、でも3連休いいな。


更新 オランダ時間 10月11日21:50/日本時間 10月12日4:50 


2002年10月10日(木) ひそかに復活してみました。


電話が開通しました。

予想→1ヶ月以上、に対して2週間。

やればできるじゃないか。

ネットができない間、夜はいつもより長かった。

日本から持ってきた本「肩越しの恋人」、買ってから放置されていた直木賞受賞作、二晩で読んでしまった。

重たい思いをして持ってきた退屈なときの最後の手段だった本も残すところ後一冊。

もらったメールに返事がすぐに返せないもどかしさや日本で起きていることがわからない不安、

日に日に更新されているであろう「マイエンピツ」、やはり自分はネット中毒でした(笑)

オフラインで書いている日記は、張り合いがなくだんだん書く意欲が薄れていった。

一応さかのぼって更新しておきますので。

気持ちにも「新鮮さ」があると気づいた。


更新 オランダ時間 10月10日19:10/日本時間 10月11日2:10


2002年10月09日(水) 玄関の鍵が開いていた!


仕事から帰ってきたら玄関の扉が開いているような、開いていた!
今週は朝6時30分に家を出ているので寝ぼけて鍵をちゃんと閉めなかったようです。
恐る恐る家の中に入ってみると、何も取られた様子はない。
自分の部屋は2階の入り口だから、2階の住人は玄関の前を通る。
少なくても、2階の住人はいい人らしい。
気をつけないと。

記 10月9日 19:30


2002年10月06日(日) オランダのアパート事情


こっちのアパートで気が付いたことは、部屋の照明が間接照明しかないこと。
だから、夜はけっこう暗いです。
本を読んだりするのにはちょっと向かないです。
日本のような蛍光灯はなくって、電球のタイプがほとんどです。
それと、アパートはいきなり玄関のところはなくって共同の入り口があってそれから
玄関があるという、日本のマンションのオートロックタイプのように鍵が2箇所つい
ています。
ドアノブは、外からは回すところがついてなくって、鍵を使って回しますが中からは
ノブを回すとあけられます。
イメージが湧くでしょうか。
つまり、外からは鍵がないと開かないってことなんですが。

記 10月6日 19:20


2002年10月05日(土) 携帯電話購入


家の電話の見通しが立たないのでプリペイド式の携帯電話を購入。
メジャーなのは、オランダのKPNとボーダーフォン。
本体、通話料ともにボーダーフォンの方が少し安いらしい。
企業イメージ的にもボーダーフォンのほうがよいのでそちらにした。
電話自体はモノクロだし、日本のようにいろんな機能はついていない。
最低限の連絡手段だからいいでしょう。
通信をするには通信キットとコネクタ変換が必要。
ドライバとの相性も考えるとそこまで投資する気にはなれないので、通信機能なしのデザイン重視で選びました。
日本のように身分証も何も必要なくってすぐ買える。
カードがなくなったらスーパーなどで買って入力する。
とりあえず、新しいおもちゃを買ってもらった子供のようにいじっています。
でも、取扱説明書が「オランダ語」なんですよね。

記 10月5日 20:40


2002年10月02日(水) 車が燃えている


今のアパートは、大きな交差点の近く。
サイレンが鳴って、家の前の交差点に通じる通りが進まないようです。
ベランダに出てみると、道路の真中に車が止まっていてすごい煙が上がっている。
ボンネットのしたからは、炎も見える。
消防車によって消火活動が行われている。
交差点で左折待ち(右側通行なので)している間に、オイルかなんかに引火したようです。
結構古い型の車。
運転手は乗っていないよう。
火が消えると消防士が交差点の外へ車を押し出して、道路を掃除して処理は終わり。
手際はよかった。
数十分後、交差点は何もなかったかのように元に戻った。

記 10月3日 7:20


2002年10月01日(火) ドイツ横断日帰り


車でドイツの東の端のベルリンまで行こうということになり、家を出たのが10時。
ベルリンの手前のポツダム(ポツダム宣言の)についたのが16時ころ。
同僚が持っていた会社の携帯が鳴った。
オランダ国内のものですがなぜかドイツでも通じた。
この間、デュセッルドルフでは通じなかったのに。
ポツダムかベルリンで一泊する予定だったが、電話の内容は「明日会社にこい」とのこと。
ホテルを決めていなかったのが不幸中の幸い。
そのままUターン。
戻ってきたのは、0時ころ。
往復1300キロ、12時間のドライブ。
一日に1000キロ以上運転したのは初めて。
外灯がないので、ドイツのアウトバーンは、夜は疲れます。

記 10月2日 8:30


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