LORANの日記
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2007年08月31日(金) 今朝は大雨でした。


8月最後の日は、大雨で始まりました。

この雨は小学校の子どもたちの、なにを表しているのでしょうか?


私にも孫がいますが、小学校1年生で宿題があります。

小学校低学年生ですから、右脳教育が必要な時期です。


もう平仮名の書き取りを、しなければならないのですね。

誰もが機会均等な社会が理想かも知れませんが、その枠からはみ出し

た人物が、きっと立派になるでしょうね。


自分が行方不明だから、相手の言葉が気になります。

その相手も、自分が気にする相手ですから、同じレベルでしょうね。


本当に必要なのは、教育というお仕着せではありません。

自分が自由に発想することが大切でしょう。


国家権力である政府が、文部省を通して義務教育をすることは、権力

の乱用でしょう。

自由が大切なら、もっと突っ込んだ議論があってもいいでしょう。


こう考えると、小学校低学年生が詰め込み教育されることは、恐ろしい

ですね。

右脳教育が不十分だと、こころを理解しない子どもが増えそうです。


2007年08月30日(木) あと1日で9月です。


早いですね〜。

今年も、あと4ヶ月になりました。

正月から、8ヶ月が過ぎ去りました。


なにをしていても、していなくても、時は過ぎ去っていきます。

テレビや新聞を眺めていても、その時間も過ぎ去っていきます。


そんな無駄な時間を省いて、自分に戻る時間にしたいものです。

あなたがホッとため息をつけるほど、あなたを自由にしたいものです。


あなたが自分に視線を戻したとき、あなたはどこにいますか?

あなたが散歩に出ていたり、空や海を見ていますか?


庭いじりをしていたり、家族のために料理を作っていますか?

いつも自分の世界を楽しんでいますか?


あなたが自分のことをしているとき、あなたは自分の時を支配しています。

たとえ本を読んでいても、あなたは自分の時を支配しています。


ですから、大勢でテレビや新聞の話題に夢中になっていても、うらやむ

ことはありません。


なたたに必要なのは、一人でいるときの静寂なのです。







2007年08月27日(月) 自分の内部の変化


自分の内部の変化を言葉で言い表すことは難しいですね。

自分が体験していない人に、説明するのは・・・


「自分が真理である。」と、私は言っています。

しかし、西洋科学や西洋式教育を受けた日本人には理解不能でしょう。


自分が「光の存在」であることを、どう説明したらいいのでしょう?

誰の力も借りないで、生きていくことができないことも・・・


人は「神のご加護」とか、幸運を望みます。

それを批判することはできませんが、それだけでは不十分です。


神棚や仏壇が、必要ではありません。

お経や聖書が、必要でもありません。


自分が、大自然や地球や宇宙のすべてを信じるなら、先ず、自分の

内部にある「光」を信じましょう。


その「光」は、すべてを創造した「光」を具体化したものです。

もちろん、自分のイメイジーによって「光」が創造されます。


創造とは想像のことで、どちらが先でもいいのです。

「自分がこうなる。」と想像したことは、現実が創造されるからです。


この手法により、現実は次々と変化します。

このときの変化は、平面的ではなく、立体的に変わります。


変化が起きない人が同一平面的に生活しているのに、変化した人は

高層ビルをエレベーターで上の階へ移動するように見えます。


「10年1日の如し」と言う人と、目を見張る変化の人がいます。

これはすべて、ご本人の自由意志による結果です。


なにが原因でもありません。

自分が自分を信じることで、自分を導いてくれる「光」が現れるのです。


ただし、毎日テレビや新聞ばかり見ていては、自分を導いてくれる「光」

に気づくことはできません。



2007年08月24日(金) 大雷雨


昨日早朝、富士海岸へ行きました。

すべてに感謝と祝福を送っていました。


自分自身の中で、「すべてを許します。」と声がしました。

驚いたことに、すごく大勢の人々が叫んでいました。


自分が起こしたことは、すべて自分の責任です。

もしも、自分ではどうにもならないことであるなら、その原因

は自分が過去に蒔いた種(原因)なのでしょう。


なにが大切で、なにを間違えたのでしょう。

この世に、「愛」よりも尊いことがあるのでしょうか?


「愛」は、なによりも大事です。

「親の愛」、「家族の愛」、・・・


それは「磨きあげた水晶」のような、輝きに満ちています。

これを手に入れたときの歓びは、例えようもありません。


こんなに美しい自分の作品に、だれでもうっとりしてしまいます。

そして、永遠に輝きが失われないように祈るでしょう。


しかし、この幸せは、いつか失われてしまうかも知れません。

病気、災害だけでなく、戦争や裏切りが起こることもあります。


それが起こったとき、自分が大切にしていた「愛」が大きいほど、

自分の失意もまた大きいでしょう。


そして、その悲しみは、相手への恨みとなり、呪いとなるでしょう。

その気持ちは、決して分からないわけではありません。


もしも、あなたが転生しているとしたら・・・

その恨みを持ったまま転生していたら・・・


その悲しみが、今回の人生を決定しているとしたら・・・

あなたの恨みの深さは、どれほど深いと思いますか?


どれほどあなたの「愛」が尊くても・・・

あなたが創った「愛」の輝きが眩しくても・・・


それを失ったときの悲しみが深くても・・・

どれほど加害者を恨んでも・・・


決して自分を傷つけてはいかなかったのです。

なぜなら、あなたは完全な光だったからです。


それで私の中で、「すべてを許します。」と叫んでいたのです。


そのとき、突然、雷鳴が轟きました。

一気に大雷雨になりました。


私の中で、この海に似た悲しみが消えていきました。

まるで水蒸気のような、無数の悲しみが上昇していきました。





2007年08月22日(水) じつは、あなたは・・・


今朝、千葉県九十九里海岸へ行きました。

海面を黄金色に染めて、すばらしい朝日が昇りました。

波はとても静かで、風も穏やかでした。


つい先日の千葉沖地震は、この海岸付近が震源地でした。

そのせいでしょうか、強い硫黄の匂いがしました。


この海で瞑想していると、自分の中で光が満ちてきました。


足元の砂の一粒一粒が、別々の輝く光であることが分かりました。

海の水が、一滴一滴、輝く海水の光であることが分かりました。

風は、キラキラと眩く輝く、ヴェールであることが分かりました。

太陽の光は、単なる光の塊りではなく、光の粒子が輝いていました。

地球は、光が無限に集まって、地球の奥底から輝いていました。


自分の光もまた、輝きに満ちました。

自分の意識が、光の高い次元と一つになりました。


いままで自分の体調のせいにしていたものが、消えてしまいました。

確かに不自由な点もありますが、格段に進歩しました。


このような経験を積ませていただき、感謝に絶えません。

誰もが、同じ光であることが、大いなる光の恵みです。



2007年08月20日(月) 愛媛県と富士市


先程、妻が愛媛県から帰宅しました。


今回のツアーは、二人で行くつもりでしたが、あいにくの故障で

用意したチケットも1枚不用になりました。


富士市では、リラックスワークを4時間づつ、2日間開催しました。

一日のワークを強行するよりも、遥かに楽でした。


埼玉県や相模原市などからも、連日参加していただき感謝しています。

愛媛県今治市のセラピー教室も、お陰さまでとても賑やかでした。


ようやく、私たちが別々な行動をとることが、できるようになりました。

今月末で、八年が経ちます。


お互いの経験と実績を重視して、私たちがそれぞれにスタートします。

この世界は、まだまだ未開発です。


いいとか、悪いとかではなく、もっと自分の中の依存を減らす必要があります。

それによって、自分の自立が可能になるでしょう。


新しいスタートを、心から感謝し祝福します。



2007年08月19日(日) 花火


毎朝、海岸へ行きます。

少し防波堤の階段が短い場所です。

今回の事故以来、自重しながら通っています。


いまから5〜6年前、同じ富士海岸の堤防上で花火をしました。

バケツなどを用意し、すっかり清掃した積もりでした。


ところが、一夜明けてみると、私たちの花火の燃えカスや周囲の

花火の、余りにも酷い状態に呆然としました。


翌日から、誰の汚れでも、すべて片付けることにしました。

その甲斐あってか、瞑想する場所は、比較的にきれいになりました。


2年前、左足首を捻挫しました。

それを治すのに、半年かかりました。


それまで、富士〜沼津間の27kmを踏破していましたが、足が壊

れてしまっては洒落になりません。

時間をかけて、ゆっくり治しました。


今回驚いたのは、花火の多さでした。

どうしてこんなに、花火の残骸が多いのでしょう?


公徳心という言葉を聞きますが、公徳心が無いのは大人も同じです。

私が何年間も、ひとりで黙々とゴミ拾いをしていても、手伝ってくれ

た人は皆無でした。


いまは瞑想する場所を神聖な場所と定めたので、仲間と清掃しています。

でも、少し移動しただけで、花火が一杯落ちています。


今回も、誰に頼むのでもなく、ただ、感謝して拾っています。

自分を「聖なる存在」と決めれば、後は自然にそうなるでしょう。


上から命令しても、見ていなければ、なにをしていてもわかりません。

もし、自分が気持ちよくなりたければ、それを実行すればいいでしょう。


2007年08月18日(土) 自分が変わる・・・


先月18日に、入院手術を受けたことは書きました。

その約1ケ月前に、寝室で貧血を起こしていました。

頭部打撲による内出血が原因でした。


この1ヶ月間、自分の身に起こったことを考えていました。

「この世界には、偶然はない。」と言います。


それなら、なぜ、いま、私の身の上に、このようなことが起きたのでしょう?

いままでの自分の人生に、足りないものは無かったのでしょうか?


まったくお恥ずかしいのですが、足りないものだらけなのです。


自分に感謝が足りない。

自分を産んでくれた両親と、すべての生命に感謝が足りない。

どんなに多くの恵みを与えてくれても、そのすべてに感謝が足りない。

自分たち人間を、感情でしか見ていないので感謝が足りない。

貰うものが当然で、与えられないことに、公平や不満を言うばかりです。


ですから、自分の中に深い海のように溜まっているネガティブな感情を

手放すことができません。

それどころか、更に大きな感情を創り上げています。


こんな状態を改善するためには、「肉体、こころ、魂」を信頼するだけでなく、

「意識、潜在意識、大いなる光の意識」の導きに従わなければなりません。


自分が創ってしまった作品の評価に気をとられて、自分の本質の光の輝き

を見失ってしまったことに、人類の悲劇があります。


私は、人類を過小評価していないつもりです。

「私は自分以上でも、自分以下でもありません。」


それは、自分をそのまま受け入れることです。

そうすれば、きっとすべての存在が、あなたを受け入れてくれるでしょう。



2007年08月17日(金) 8月17日です。


先日「秋分」を迎えたかと思たったら、もう17日でした。


昨日は千葉県大網白里町の自宅がある場所が、震度4の地震に見舞われ

ました。

元々、日本列島は東南海の巨大日本海溝の大きな影響を受けています。

ハワイ諸島も毎年4〜5cmづつ、日本へ近付いているそうです。


そう言えば、6500万年前にユカタン半島へ落下した直径10kmの

巨大隕石は、恐竜などすべての生き物を大津波で破滅させたそうです。


太平洋の沿岸が、巨大な穴でです。

ここでは、なにがあってもふしぎではないでしょう。

太平洋の巨大な穴は、その中央の空間へ見る人を導いています。


息子は3日間、私の針治療をして、昨日千葉へ帰りました。

7月18日に千葉の脳神経外科病院で手術を受けてから、1ヶ月です。

人の生命の不思議を、思わないでいられません。


お盆が過ぎ、NTT光フレッツの工事で、中2階のパソコンを1階へ移動

しました。


いままで2ケ月間、途中で止まっていた流れが動きだしました。

無理をしないで、流れのままに、任せていきます。






2007年08月12日(日) 第二回LORANフェスタ イン 静岡 打ち合わせ


昨日、「第二回LORANフェスタ」の打ち合わせを開催しました。

前々回は引越し、前回は私が入院したため、開催が延期されました。


その間に、LORAN富士が移転になり、入院前に紹介誌やチケットの

準備をしてくれるステキな方が見つかりました。

こう考えると、決して無駄な時間を過ごしていなかったことが分かります。


4日前に再診した千葉の病院では、「また2週間後に・・・」でしたが、

昨日は、仲間が民間療法を教えてくれました。


まだ、一晩しか経っていないので、十分な検証はできませんが、浸透圧を

利用した方法なので、きっと効果が期待できそうです。


今朝は、朝日瞑想へ行った近くに住む娘が、海岸でワーク


2007年08月10日(金) 蝉しぐれ


昨夜、千葉県外房から富士市へ帰りました。

夏休みのラッシュを避けて、夜九時過ぎに出発しました。


東金道路〜東関道〜湾岸線まで、とてもスムーズでした。

有明JCTから首都高速C1へ入る直前の江戸橋で渋滞がありました。


この混雑は高速3号線の渋谷の先まで続きました。

やはり夏休みなのでしょか?


のんびりと、途中のSAで休憩しながら帰りました。

帰宅は零時過ぎになりました。


今朝は蝉しぐれで目が覚めました。

千葉にももちろん蝉はいますが、周囲は水田なので、こんなに

至近距離で蝉の鳴き声を聞くことはありません。


なにしろ庭先の木にとまっているので、6mほどでしょうか。

さらに50mほどの水田の向こうにある小学校の校庭の桜の並木

から、無数の蝉が鳴いています。


「耳を聾(ろう)する蝉の声」とは、このことでしょう。

まあ、何年間も地中で生活し、子孫を残すために必死で鳴いている

と想えば、これもまた夏の風物詩と思うしかないでしょうね。


間もなくお盆ですね。

一月後の9月下旬にはお彼岸です。

その頃には、蝉から彼岸花へ主役が変わっていることでしょう。


自分が流れる大河は、刻々と周囲の景観が変化しています。

その変化のスピードはとても速いので、自分の変化が追いつきません。


ただただ呆然自失したまま、人生は終わるのでしょうね。





2007年08月09日(木) 九十九里海岸の日の出です。


AM 4:50 日本中で最も早い、日の出が見られます。

今日は娘や孫まで伴って、夜明けの海へ行きました。


今朝の海の海鳴りは、いつもよりも大きく聞こえました。

50mほど沖合いの浅瀬は、くるぶしほどしかありません。


地元の年配の方が数人、大きな金物で貝を採っていました。

孫も一度海に入ると、1時間も出てきません。

ここには豊かな自然があります。


白子町へ行った帰り、水田の中の道を通りました。

豊かに実った稲穂の上には、とても大きな空がありました。


遥か彼方まで見えるので、雲がとても低く見えます。

先日まで大きな葉を茂らせていた、タバコの葉が収穫を終えて

いました。


いま栽培されているのは落花生で、今日、初物をいただきました。

トウモロコシも、そろそろ少なくなりました。


いまから、富士市へ向けて出発します。

明日からしばらく、富士市にいます。



2007年08月08日(水) 夏空とウロコ雲


ここ千葉の外房では、稲が既に実って色づいています。

お盆明けには、稲刈りが始まりそうです。


大きな入道雲があちこちに見えます。

強い日差しが、降り注いでいます。


田を渡って来る風は、とても爽やかです。

見上げれば、ウロコ雲が高い空をおおっています。


そう言えば、今日は「立秋」でした。

もう秋になっていたのですね。


誰も気づかないうちに、季節は巡っていきます。

咲く花も、実る果実も変わっていきます。


人は人生が永いと思っているので、半年か1年の生命の

生き物の変化にも気づきません。


しかしいつか、自分の色香も失われていきます。

すべてが自然に戻っていきます。


淡々と、悠々と、なんの感傷も持たないで、

自然のすべてと一つになって、

あるがままを、感謝して受け入れて、

生きていけたら、しあわせです。



2007年08月07日(火) ローマ帝国の滅亡


いまから約1600年前の410年に、西ゴート人によってローマは占領され、

476年に完全に滅亡しました。(分裂した東ローマ帝国は存続しました。)


ジュリアス・シーザーに代表されるローマの権威と繁栄は、滅亡の

100年前から始まった民族移動によって崩れ去ったと言われています。


民族移動は気候の激しい変化により、牧畜などが不可能になり、移動を

せざるを得なくなったことで起こりました。


ライン川の北、ドナウ川の東にすんでいたゲルマン民族が、ローマ帝国

へ侵入してきたことから始まりました。


ゲルマン民族の移動の背後には、中央アジアからの遊牧民の移動があった

と言われています。


最も繁栄していたローマ帝国の滅亡は、いまの世界情勢とよく似ています。


ローマ帝国は西の辺境だったイギリスや南のエジプト、中近東、北欧まで

に領土を拡げ、陸上と海上の交通網を整備して、物資の供給を可能にしました。


その結果、首都ローマは大消費地になり、上流階級は贅沢な生活をしました。

毎日のように繰り返される宴会で、彼らは借金漬けになっていたそうです。


そこへ民族移動でゲルマン民族が侵入して来たので、あっけなく滅亡しました。


現在の世界を見ると、かってのローマ帝国はアメリカ帝国にそっくりです。

世界中の富を集め、1955年ごろ最盛期をむかえましたが、以後は世界支配

のために軍事費の巨大化により、借金が膨らみました。


温暖化が世界の気候変動を増幅し、低開発国から多くの労働者が入国しました。

この傾向は、これからも一層強まるでしょう。


アメリカ帝国が崩壊すれば、西洋資本主義国家に影響することは必至です。

消費経済に政策をシフトしている旧社会主義国も挫折するでしょう。


「対岸の火事」を、笑って見ている段階ではなくなりました。


2007年08月06日(月) 真夏ですね〜


昨日は、36℃以上になったところもあったそうです。

今日の静岡県東部地方の最高気温の予想は、33℃です。


水田を挟んで、北側50mに小学校があります。

大きな桜の木がたくさん植えられていますが、明け方から

蝉の大合唱が始まります。


何年間も土中で過ごして、交尾のために短い夏の日を過ごす蝉は

、まるで情熱で焼き尽くすように鳴いています。


あんなに小さな体から、どうしてこんなに大きな鳴き声をだすこ

とができるのか、不思議なほどです。

こんな蝉の生き方は、とてもシンプルで、潔くて大好きです。


人は記憶する動物だそうです。

大脳が発達して、右脳と左脳に分かれているのは人類だけです。


そんなに記憶力を発達させても、その記憶を健康で平和な人生の

達成のために使っているのでしょうか?


そうではなく、自分を不安や恐怖の記憶で束縛しているように、

思われます。

そんな記憶なら、無いほうがましでしょう。


自分の能力を、どのように使うのかは、本人に任されています。

それを、「智恵」と呼んでいます。


知識や技術は蓄積できても、「智恵」はできません。

幼児が、手榴弾を玩具にしているのが現代です。


「智恵」に気づかなければ、人類の未来はないでしょう。




2007年08月04日(土) なぜ疑問を持つの?


疑問を持つ人と、持たない人の違いはなんでしょうか?

単に、性格的なものなのでしょうか?


発明王・エジソンが小学校へ入学して、担任教師を質問ぜめにしたために、

退学になったと伝えられています。他方、LD、ADHD、アスペルガー症候群が

あったのかもという説もあります。


アテナイのソクラテスは、「無知の知」という言葉で知られていますが、

「自分が知らない」ということを自覚した人という意味でしょう。


お釈迦様もまた、自分が無知であるから、悟りを求めたのでしょう。

悟りを得た後、人々に出家を勧め、非日常性の中でなければ答えを求める

ことができないと説いたと思います。


では、疑問を持つ人は、なぜそんなに疑問に執着するのでしょうか?

地位や名誉や家族を捨ててまで、疑問の答えを見つけようとするのでしょうか?

疑問とは、それほどまでに人を動かすものなのでしょうか?


「人は、すべてを初めから知っている。」と思います。

しかし、生まれてきたときに、多分、忘れてしまったのでしょう。


それで、一般の人は、疑問を持たない人が多いのでしょう。

ごく一部の人が、忘れてしまったことに、微かに気づいているのでしょう。


それで、「なぜ、自分はここにいるのだろう?」

「どうして、自分と他人は異なるのだろう?」

「なぜ、人は異なった考えを持つのだろう?」

そんな疑問を持つのでしょう。


答えを既に知っていて、思い出せないので疑問を持つのでしょう。

既に自分が知っている答えと、現実があまりにも違うので、疑問を持つのでしょう。


どうぞ、思い出してください。

あなたは、あなたのことをよく知っています。

あなたがどれほどすばらしい存在であったかを、よく知っています。


あなたの中の真実が、あなたが思い出すことを待っています。



2007年08月03日(金) 海は大荒れです。


今朝の富士海岸は、台風5号の影響で大荒れでした。

テトラポッドへ打ち付ける大波のしぶきが、高く舞い上がっていました。


4号、5号と連続して被害に遭われた九州や四国地方の皆様に、お見舞い

申し上げます。


このような大荒れの海は、ゴーゴーと鳴り響く海鳴りと、打ち寄せて

高く飛び散る波しぶきで、いつもよりもとても刺激的です。


自然は愛であると思いますが、時々、このようなとても激しく、厳しい

表情を見せてくれます。


いつもは海岸すれすれで操業している漁船は、1隻も港から出ることが

できません。

ただただ、海の波がおさまってくれるのを待つだけです。


人生もまた、この海と同じだと思います。

穏やかで優しい表情のときもあります。

大きな恵みを与えてくれます。


しかし、一夜のうちに天候は変化し、風雨が強まり、海は大荒れになります。

海で生きる人は過ぎ去るまで、ひたすらに待つしかありません。


それは誰のせいでもなく、誰を恨むこともできません。

その状況を受け入れて、その状況の中で生きることしかできません。


現代人に欠けているのは、大自然への畏怖と感謝だと思います。

傲慢と不遜が、自らの墓穴を掘っているように思われます。


真摯に自然と付き合うことが必要です。

それが本当の自分に気づく、早道だと思います。


2007年08月02日(木) 富士海岸


今朝は先月の12日以来、久しぶりで富士海岸へ行きました。

この海の特徴は、富士山、富士川に囲まれた駿河湾の最奥です。


富士山のどっしりとした重厚なエネルギーと、富士川の優しく

繊細なエネルギーがミックスしています。


千葉・外房の九十九里海岸のように、豪快なエネルギーではあり

ませんが、とても魅力的なエネルギーの海岸です。


残念なのは、海岸近くまで工業地帯が進出していて、折角の日の

出の朝日が、煙で遮られてしまうことです。


なにが大切なのかを忘れていたら、取り返しのつかない事態にも

なりかねません。


戦後62年経ち、飢餓状態から必死に生き延びてきました。

お金があれば、食料も衣類も住まいも獲得できると働きました。


その癖が今でも抜けないようです。

やはりお金が大切。と思っている人が殆どです。


自然が大切。環境保護が大切。健康が大切。

そう思っていながら、それよりもやはりお金が大切と思っています。


その証拠に、所得を半分にしてもいいか?と尋ねられたら拒否するでしょう。

いまの自分の生活を守りながら、自然環境を大切にしたいのでしょう。


それでもいいのですが、自分の生活を守ることは、現状維持です。

大きな変革はできません。


結局はずるずると、悪化の方向へ流されていくことでしょう。

そして、気づいたときには、手遅れになっているかも知れません。


今朝も瞑想をしていたとき、雲が切れて朝日がまぶしく見えました。

いつでも、どこに居ても、朝日は共にいてくれます。


すばらしい光に感謝します。


2007年08月01日(水) 富士市へ帰りました。






千葉・外房の九十九里海岸は霧が出ていました。

梅雨から今頃まで、日の出頃から濃い霧が発生します。


携帯電話の送信塔の上部は、濃い霧で見えないほどです。

今朝は近くの、今泉海水浴場付近で瞑想しました。


サーファーも今朝は数人だけしかいない、静かな海でした。

ゴーゴーと絶え間なく轟く海鳴りは、私をいつも圧倒します。


そこから車で5分のところに、農家の野菜販売所があります。

カマボコ型の温室のような建物の中に、今朝採れたばかりの

みずみずしい野菜が並べられています。


ここで毎朝のように、とうもろこしを買っています。

今朝は6本買って、富士市の娘宅への土産にしました。

朝取りのとうもろこしの美味しさは、びっくりするほどです。


先日退院してから、車に乗ることは極力避けてきましたが、

今日は移動日なので、高速道路をゆっくりと移動しました。


途中数回工事渋滞の警告がありましたが、徐行しただけで、

一箇所も工事がありませんでした。


8日の病院の診察日まで、富士市にいます。



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