LORANの日記
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アメリカ大統領選挙も中盤に入り、共和党と民主党の公認争いが本格化しています。 どちらもテロとの戦いを主張しています。これは他の先進各国、日本も同じです。
テロはいけない。それなら、テロを攻撃して民間人を殺すことはテロではないのでしょうか?
イラク戦争では、米英軍 1,000人の戦死者に対して、イラク人は 13,000人に上っています。
戦争開始を決めた理由である、イラクの大量破壊兵器の情報はウソであったと、米英双方の議会調査委員会で結論されました。それに先立って、ニューヨークタイムズ紙は、このウソの報道をしたことを謝罪しました。
それでも、いまだに米英軍を中心とする侵略軍は攻撃を続けています。
さらに小泉首相は日本軍の独立した活動を主張しています。
つまり、このイラク戦争もまた、理由はなんでもよかったのです。
アメリカは世界戦略上、民族主義が邪魔なのです。 IMFや世界銀行による金融支配下に置きたいだけなのです。 そのために、世界の軍事費の40%もの巨大な軍隊を保有しているのです。
イギリスはかって中東からインドを植民地支配していました。 イラン、イラクは王制から民族主義に変わり、石油産業は国有化されました。 それでかっての石油利権を取り戻そうと、テキサスの石油成金のブッシュと手を 組んだのでした。
そんな身勝手な理由をテロとの戦いと称して、弱い者いじめをしています。
かって日本には弱い者の味方をするという「判官ひいき」という言葉がありました。 しかし、今回もどうして「長いものには巻かれろ」と強者の味方をするのでしょう?
日本人の誇りもついにカネまみれになり、地に落ちてしまったのでしょうか?
戦後50年間、日本は戦争に加担しませんでした。 ヨーロッパの白人国家が有色人を蔑視し略奪していても、日本は弱者に援助しました。
しかし、湾岸戦争の費用約1兆円を負担し、白人国家の仲間入りをしました。 今回は完全武装の日本軍を派遣するまでにエスカレートしています。
アジア・中東の有色人たちの失望はとても大きいと聞いています。
かっては有色人のお手本であった日本人が、略奪者・白人の仲間になってしまったからです。
私たちは大きな間違いをしています。 なぜ西洋人のものまねばかりするのでしょうか? 西洋人からは有色人として蔑視され、有色人からは西洋人の真似をする裏切り者です。
どちらからも軽蔑されても、尊敬されることはありません。
なにが本当に大事なのか、自分の目で見て、ハートで考えなければなりません。
アメリカ・インディアンのチェロッキー族のメディソン・マン、ホークの本を読んでいました。
ホークは「歩きながら狩りをする鷹」という名前です。
彼の話の中にトーテムアニマルという言葉が出てきます。守護動物の意です。
彼らは、自分を守護してくれる動物を必ず持っているそうです。 その守護となる動物はトーテムアニマルと呼ばれ、自分を守ってくれたり、進むべき道まで教えてくれるのだそうです。 彼のトーテムアニマルはホーク(鷹)です。
チェロッキーと動物の関係は想像以上に密接なもので、動物の持つ癒しの力のことをアニマルメディスンと呼び、その智慧を長老からずっと語り伝えてきました。
遠い昔、チェロッキーの通過儀礼を受ける者は、長老会議に臨み、その者の役割について語られ、ある動物の名前を告げられたといいます。
それぞれの動物は、その者がこの世を旅する間、守ったり、能力を引き出したり、忠告を与えてくれます。そのつながりにより、あらゆる問題に対する答えを知っている内なる自分と対話することが可能になります。
昨夜、一ヶ月のオーストラリア旅行から帰ってきたTSさんが、アボリジニのアートをプレゼントしてくれました。美しいスネークが描かれていました。 これを見た瞬間、私にプレゼントしようと決めたそうです。
スネークをトーテムアニマルに持つ者はとても少なく、創造力が強いそうです。 肉体的、精神的、感情的、霊的な蛇の噛み傷を数多く受けながらも、人生を生き延びることを運命として与えられているそうです。数々の過酷な経験の後に、あらゆる毒を変性させる術を学ぶそうです。毒を中和し統合し変性する智慧を持つのです。智慧、理解、包括性といったグレイトスピリットとの絆を創り出します。その為には意識の変革を成し遂げなければならないと言います。
今日、スネークについて読んだばかりで、アボリジニのスネークのアートをプレゼントされるというシンクロニシティに驚かされました。
いただいたアボリジニのアート
「プレアデスの智慧」 チェロッキーインディアンからのメッセージ 薗田 綾 著 総合法令
私たちは何回も転生していると思います。
今回の人生は何十回目かもしれません。
それだけの経験を積んでいるとしたら、この世の中のことは殆ど知っているはずです。 もしそうであるなら、今回の人生の目的はなんでしょうか?
人類の歴史を見たとき、現在の時代の特徴はなんでしょうか?
科学の発達、資本主義経済の行き詰まり、石油エネルギーの枯渇、大気汚染や環境ホルモンなどの環境問題、廃棄物問題、人口爆発、民族問題、etc.
この時期を選んで生まれてきたとしたら、これらの問題と無関係と言えるでしょうか?
それなのに、いつまでたっても自分個人の利益についてだけ熱心であったとしたら。
他人の目を気にして、自分らしく生きていないとしたら。
人並みの幸せを望んで、家や車やパソコンなどを手に入れることに汲々としていたら。
自分の心や肉体の要求を無視して、自分の魂の存在すら気づかないとしたら。
学校から帰ってきた小学生が、宿題もしないでテレビゲ−ムに夢中だったら、親はきっとゲーム機を取り上げてしまうでしょう。
同じように「もういい加減にしろ!」と言って、あなたが夢中で遊んでいる玩具を取り上げてしまうでしょう。
それで人生に大きな変化が起こります。 突然、勤務先が倒産したり、解雇されたり、病気になったり、大怪我をしたり、事業を継続できなくなったりして、今までの生活ができなくなることがあります。
それは一見不幸なことが起こったようですが、 今まで夢中で遊んでいたものを取り上げられて手放しただけなのです。
それによって、ようやく本来の決めたことを実行することが可能になります。 でもやっと、スタートラインへついただけなのです。
あなたはもう玩具を手放す用意はできましたか?
それとも玩具に夢中になったまま、一生を終えるつもりですか?
「神様との対話」へ瞑想について書きました。
瞑想は現代の危機を救うことができるかも知れません。
私たちは小学校へ入学してから、ずっと知識を得ることと競争することを強要されてきました。成績表は相対評価でしたから級友と競うことになりました。
このような方式の延長線上に社会がありますから、同僚や同業種間で競うことになります。国際化とはこの競争が世界的になったことをいいます。
これでは、口先だけで平和を言っても実現するはずもありません。 資源やエネルギーや環境問題を懸念しても、建前だけの議論で終わります。
左脳は言語・知識や計算を司ります。左脳の計算が競争を生み出すことが原因です。 競争は戦争にまで発展し、争いが絶えることがありません。
私たちはこのように左脳を使うことをずっと訓練してきましたが、右脳はまったくと言っていいほど使っていません。
右脳は感覚と智慧を司ります。 左脳をリラックスすれば動きが緩やかになり、右脳が活発化します。
左脳のリラックスには瞑想が効果的です。競争を忘れてしまいます。 争いが無くなれば、世界は平和になります。
瞑想は腹式呼吸による酸素の摂取と深いリラックスをすれば可能です。
右脳は宇宙意識と繋がっています。瞑想でその意識を確認できます。
右脳による宇宙意識との一体感は歓喜と呼ぶ大きな歓びを感じることが可能です。
歓喜を経験すれば、モノやカネによるウスッペラな喜びなど色あせて見えます。
多くの人が歓喜を経験すれば、世界はきっと大きな変化を起こすでしょう。
LORANではリラックスワークで瞑想をしています。どうぞご参加ください。
2004年07月26日(月) |
新年あけましておめでとうございます。 |
「13の月の暦」では今日から新しい年が始まります。 昨日は、私が住んでいる向かいの部屋の家族が、新しい家を建てて引越しました。 この暦を知らなくても、その通りに動いていることを確認しました。
私たちはだれでも平和で幸せな人生を送りたいと思っています。 悲しみや苦しみに満ちた世界は、もうこりごりだと思っています。 それなら新しい年にそれを実現しましょう。
そう言うとそれを現実にするのは難しいことだと思うかも知れません。 私にはできるけど、世界中にはできない人が大勢いるから。
本当にそうでしょうか?
あなたは平和を望んでいますか? (はい、もちろん。)
あなたは平和に暮らしていますか? (はい、もちろん。)
あなたは幸せに暮らしていますか? (はい、もちろん。)
あなたの家族は幸せですか? (はい、たぶん。)
あなたの友人は幸せですか? (はい、たぶん。)
あなたの周囲の人は幸せですか? (いいえ、わかりません。)
あなたの国の人は幸せですか? (いいえ、違うと思います。)
隣の国の人は幸せですか? (いいえ、違うと思います。)
世界中のすべての国の人は幸せですか? (いいえ、違うと思います。)
人類は幸せですか? (いいえ、違うと思います。)
地球は幸せですか? (いいえ、違うと思います。)
では、あなたは幸せですか? (いいえ、違うと思います。)
あれ?
一人が幸せになれなければ、世界は幸せになれません。 世界が幸せでなければ、一人の幸せはありません。
2004年07月25日(日) |
お伝えしたかったこと |
ここ数日間、新聞の記事をコピーして掲載しました。 一言も論評しないで、そのまま掲載しました。 読者の中には、「なにを伝えたいのだろう?」と思われたかたもいるでしょうね。
三國連太郎さんのインタヴュー記事は、81歳になられてもなお自分の確固たる意思を通している勇気に敬服したからです。ご自分の仕事に徹底して迫っていく気迫に圧倒されます。高齢者問題が次第に大きくなりますが、三國さんのように生きる方が増えたら素晴らしいと思いました。若いときから、妥協しないで自分にこだわって初めてできることですから、お手本にしたいですね。
アフガニスタンで17〜18年間も辺地医療に取り組まれている中村哲医師の本から引用させていただきました。国や国連などの公的機関の援助を受けず、「ペシャワールの会」の会員からの寄付金年約8,000万円を元に活躍されています。ご自分の良心に基づく医療活動は国、民族、宗教などが複雑に絡んだ現地の人々の信頼を全面的に獲得することができました。中村医師のご自分の良心に基づく行動のみが現在の世界に必要であると思います。ともすれば、自分の損得だけで生きる人が圧倒的に多くいます。そのような世界を作ってしまったのは彼ら自身ですが、もとより責任を感じるより相手の非を責めることしか考えていませんから、改善できず悪化する一方です。このような状態を打開するためには良心に従って行動する人が必要になります。それができる人こそが「魂が生きている」人でしょう。
世界中で最も勤労者所得が高いのは日本人でしょう。3歳児から保育園へ入れ、20年間の学校生活を過ごします。より所得条件のいい勤務先を選び、家、車、家電製品などの豊かな財貨に囲まれた生活をします。それが幸せな生活だと信じています。そんな日本で6年間連続で30,000人以上の自殺者がでています。小・中学校生徒の自殺者もいます。同じ国民が同じ思考をし、同じ行動をすることが要求されます。それができない脱落者が自殺に追い込まれます。異分子を排除しようとするのは中世ヨーロッパの魔女狩りと同じです。高校進学は学校を選ばなければ全員が入学できるそうです。にもかかわらず小学生から進学塾へ行くのは親の欲でしょう。開発途上国の国民は貧しく物も持っていませんが、家族は愛しあい、助け合っています。学歴はなくても大らかに自然の中で生きています。うつが5人に一人という日本人より、精神的にははるかに健康です。私たちはどこかで道を間違えました。
昨年1年間の全国の自殺者は、3万4427人で一昨年より7・1%(2284人)増え、統計を取り始めた1978年以降で最悪だったことが22日、警察庁のまとめでわかった。
負債や生活苦など「経済・生活問題」が原因の自殺が初めて8000人を突破するとともに、40―50代の自殺者では動機のトップを占め、リストラや倒産など厳しい経済情勢に苦しむ中高年の実態を浮き彫りにしている。
人口10万人当たりの自殺者数(自殺率)で見ると、前年より1・8人増の27・0人。男女別では、男性が8・2%(1883人)増の2万4963人、女性が4・4%(401人)増の9464人だった。自殺率では男性が40・1人、女性は14・5人となった。
動機は、病苦などの「健康問題」が1万5416人と最も多く、「経済・生活問題」が8897人、「家族問題」が2928人、仕事の失敗など「勤務問題」が1878人の順だった。
中でも「経済・生活問題」の増加が著しく、前年を12・1%(957人)も上回り、過去最悪だった。さらに原因を具体的に分類すると、「倒産」や「事業不振」がほぼ横ばいだったのに対し、「負債」を理由とした自殺が5043人で、一昨年より21・7%増えた。「生活苦」は13・1%増の1321人、「就職失敗」は18・1%増の183人だった。
年齢別では、60歳以上が3・7%増の1万1529人、50歳代が1・8%増の8614人、40歳代が12・6%増の5419人。60歳以上と50歳代は過去最悪だった。
急増したのが、初めて4000人を超えた30歳代の自殺。一昨年を17・0%(668人)上回る4603人だった。専門家は「40〜50歳代がリストラで減り、30歳代にも仕事の負担が重くのしかかるようになり、過度のストレスを抱える人が増えたのではないか」と指摘している。
一方、小中学生の自殺者は93人で、前年より57・6%(34人)増。高校生も前年比29・3%増の225人だった。
都道府県別では、最も多かったのが東京(2967人)で、続いて大阪(2180人)、北海道(1745人)、神奈川(1640人)、愛知(1633人)の順。
逆に少なかったのは鳥取(172人)で、次いで徳島(204人)、香川(258人)の順だった。
(2004/7/23/05:12 読売新聞)
asahi.com
2004年07月22日(木) |
文明の倨傲(きょごう) |
(アフガニスタンで)ある団体が日本と協力して、「恵まれない子供のために」村々に学校を建設するプロジェクトがあり、「哀れな」子供たちを繰り返し説明した。 先進諸国の技術文明の優位を信じる彼らは、学校にはないその地域全体の伝統の中で、日々の生活を通して教えられる「教育」に気づいているとは言えない。 問題は、教育施設が乏しいとか、教材がないとか、そんなことではないはずである。石板にチョークでメモをとり、青空を眺める授業風景もなかなか風情のあるものである。子供たちはちっとも「哀れだ」とは思っていない。羊を追い、薪を背負う労働も、家族の絆を強め、共同体の中で必要な協力と生活の技術とを教える。 日々の祈りは、人間の道を教える倫理教育そのものなのだ。 仮にこの山奥の子供たちが日本や欧米並みになったとすればどうだろう。 おそらく山村は荒れ果て、現金収入を求めて都市に失業者が溢れ、共同体の秩序と 伝統が完全に破壊されるだろう。
「識字率や工業化は社会・文化の優劣を測る物差しになりえない。カネと暴力が 支配する米国社会が優れているのか。武器を生産して無節操に儲けるフランスや ロシアが進んだ国であるのか。欧米の技術文明を盲目的に信ずる日本の教育 システムが、戦後なにをもたらしたのか。 諸君は先ずホワイトハウスへ行き、大統領を教育して武器輸出と対外干渉を 断ち、アフガン戦争の死者200万人に対して、ロシアと共に謝罪することから 始めねばならない。 道義的に腐敗した国が、この平和な山村で教育を論ずるのは笑止の沙汰である。」
「医は国境を越えて」 中村 哲著 石風社 (p185〜 原文のまま)
ペシャワ−ル会ホームページ http://www1m.mesh.ne.jp/~peshawar/
今朝の夜明けは素晴らしかったですね。
愛鷹連峰の稜線から朝日が昇ります。 オレンジから金色、白色へとゆっくり光が変化していきます。
あらゆる宗教が朝日を、太陽を「神」と信じたのも無理はありません。 同じ太陽を「神」としながら、他方を邪教と非難、攻撃するのは愚かなことです。
短パンで海に入っています。 海水は暖かく、いつまでも入ったままでいたいと思います。
塩も水も霊力があると信じられて、いまも神棚に捧げられています。
海水に身を浸けて置くことは、様々な不要なエネルギーの解消に効果があります。
海から上がると、体が軽くなっているのを感じます。
人が集まると自分や自然の波動を感じることが難しくなります。
やはり、夜明け直後のだれもいない海が最高です。
2004年07月20日(火) |
三國 連太郎さんのことば |
出演映画は180本近いですかねぇ。5年周期で自分自身に疑問を持つんですよ。流されているのではないか、流された状態で芝居をしていたのでいいのかなあという疑問が出てくる。世間の評価におぼれてしまうと、自分の目が曇ってしまうんですね。悩んで悩んで、長い時には3年ぐらい遊んだりしてフラフラしながら何かに触発されて、また役者をやってというのを繰り返して……。気がついたら百七十何本になっていました。
(仕事の)選択の基準は……う〜ん、直感、ですか。単なる好奇心だけで見せるものであればやめた方がいい。非常に罪深いことになってしまう。こういうものを今までやったんだと、てらいもなく言える生涯にしたいという気はします。これは年のせいかもしれませんが。
僕は父親だという押し付けは一切しない。押し付けをしないことが親子という自覚の原点になって、いずれ自分に子供が出来たりしたら分かってくるんではないかと思うんです。一緒にメシを食う以外は会ったりもしません。向こうも何も言わないから、私も何も言わない。お互いに背中を見せ合った方がいいんじゃないですかね。自分で理解していく方式を取っております。
だから、恨むときは勝手に恨めばいいわけです。恨まれていいことも僕はやってきてますから、弁解しません。弁解すること自体が父親らしくないと思うんです。
大事なのは、自分の評価を崩せっていうことなんですよ。評価ばかり引きずっていてはダメだということです。人の評価なんてものはみんなインチキなんだ、と思いながらやっていった方がいいんじゃないか。そういうことを子供には言いにくいから孫あてにね、何とはなしに言っています。
今の映画は大事なものを無視しているという気がします。見せ物的な傾向が強くなってきた。合理的なアメリカ映画に浸潤されてしまって、ああいう映画以外は理解しにくいとか言うんですよ。
ある映画会社の役員がね、パーティーで僕に「君は難しい映画ばっかり作るから、日本映画がダメになるんだ」と言う。頭にきちゃって「ああいう責任者がいるからダメなんだ」と言った。それ以来、その人はチラッとも口を利いてくれませんけどね。
日本の人たちも、文化というのは自分の命と大きなかかわりを持っている、という重みを感じる時代が来ますよ。いずれ満足できるところに行き着くというか、原点に返らざるを得ない。だから、いいものは出来てくる。いい物を作れば観客も戻ってきますよ。
(毎日新聞 東京夕刊 原文のまま)
2004年07月19日(月) |
親が子供に残したものは |
むかし、そんな歌があったような気がします。
親が子供を自分の分身と思い、愛情を注ぐのは当然だと思います。 自分の子供時代にできなかった習い事や教育に熱心になるのもわかります。 持ち物やおしゃれにもお金をかけてあげたいのもわかります。
子供を通して、子供時代にできなかったことを擬似体験しているのでしょう。
子供に少しでも楽な生活をさせてあげたいと思い、家を建てたりお金を溜めたり します。
それも決して悪いとは言えません。
親が生活のために夢中で働いてきた結果、生活は楽になりましたが、環境やエネルギーなど様々な問題が発生しました。まったなしの対策が必要です。
自分の家族だけが幸せになればいいと思っていましたが、地球規模、人類全体の 存亡がかっています。
ゴミだらけの地球、熱帯雨林などを伐採してしまった地球、大気汚染や有毒ガスに包まれた地球、石油などエネルギーが枯渇した地球、・・・。
そんな地球をもらった子供は喜ぶのでしょうか?
自分にレッテルを貼っている人が多いですね。
「そんなことできっこない。」 「どうせやっても無駄。」 「私には関係ない。」
「自分は幸せになる資格がありません。」というレッテルです。 どうして自分が幸せになることを拒絶するのでしょう。
そう言うと、「え〜! そんなこと言うわけないでしょ。」と答えるでしょうね。
でも、行動や言動を見ていると、そうとしか思えないのです。
あなたは夢がありますか? その夢は実現すると信じていますか? その夢はいつ実現しますか? その夢の実現のために、あなたは毎日なにをしていますか? 1日に何時間をその実現のために使っていますか? あなたはその夢が実現した世界にふさわしい人ですか?
あなたが幸せになりたければ、その幸せにふさわしい人にならなければなりません。 その努力を毎日続けなければなりません。 不断の努力をしないで幸せになることを望んでいるのは、練習しないで自転車を運転することと同じです。 すぐに転んで痛い思いをするでしょう。
幸せになることは自然の欲求です。それなのに、幸せにふさわしくない行動しかとれないのは、自分が自分を罰しているからです。
もう、自分を許しましょう。 幸せになることを許しましょう。 人を愛することを許しましょう。 人に愛されることを許しましょう。 宇宙や自然やすべてと一つになることを許しましょう。
あなたが決めたとおりにしかならないのです。 あなたが自分を許せば、自分はそうなるだけです。
あなたは車を運転しますか? いつも何km/hで運転していますか? 町中は40km/h、他は60km/h、高速道路は100km/hですか?
私たちの中に規則を守るという制約がインプットされています。 親の言いつけを守る、先生の言いつけを守る、上役の言いつけを守る。 その制約の中で生きています。
言いつけを守ることがいいとか悪いとか言っているのではありません。 あなたを車と仮定したら、どれほどの性能を持っているのでしょうか? その性能をフルに発揮したことがあるのでしょうか?
人は他人が自分を認めてくれない、理解してくれないと言います。 しかし、その人は本当に自分の性能すべてを発揮しているのでしょうか?
もし、他の人と同様に街中を40km/hで走っていたら、そのどの性能を認めて 欲しいというのでしょうか?
速度制限を破ることを勧めているのではありませんが、自分の性能の限界を 知ることはとても大切です。
もし、あなたという車が200km/hで走ることができる高性能のスポーツカーで あったら、あなたは自分にきっと誇りと自信を持つことでしょう。
あなたのすべての性能を試してみませんか? あなたにどんな能力が隠されているかを知らないで、自己嫌悪や自信喪失に 陥っても、まるで笑い話です。
そろそろ、1stギアと2ndギアだけで走行しないで、3rdやtop、over topで フルにアクセルを踏み込こんでみませんか?
すばらしい自分をきっと発見できるでしょう。
梅雨があけて、いよいよ本格的な夏が到来しました。 100m先の小学校の並木にセミがいて、朝早くからやかましく鳴いています。
海岸はさわやかな風が吹いていました。 11日の早朝、トンボがいっぱい飛んでいるのを今年初めて見ました。 前日はまったく見なかったのに、自然の偉大さを知りました。
海岸の砂にへばりつくように「はまごう」が群れて咲いています。 その青く可憐な花は、大自然の中で立派に自己主張しています。 誰にも頼らず、誰にも求めず、しかも誰にも笑顔を見せてくれます。 そんなはまごうを尊敬します。
スペースシャトルから見た宇宙空間に近い星空を映し出してくれるプラネタリュウムがあります。東京都江東区青海にある「日本科学未来館」で30分間の宇宙空間を楽しむことができます。 世界最多の500万個の恒星を映し出しているそうです。
目の前の現実に囚われていたら、真実はなにも見えなくなります。 この機会に宇宙へ飛び出してみたらいかがでしょうか?
asahi com
私たちは一人ひとり自分の物差しを持っています。 この物差しは自分と相手を計ります。 「良い」とか「悪い」とか、「正義」とか「悪」とかを決める物差しです。
自分の物差しは親から与えられたものです。 親と同じ価値観を持っているのはそれが原因です。
日本人という民族、国家の物差しも持っています。 テレビや新聞はこの物差しで記事を書いています。
仏教、神道という日本に根付いた宗教の物差しも持っています。 それに儒教の教えも物差しになっています。
私たちは自由に考え評価していると思っていますが、これらの物差しに合わせて 評価して生活しています。 決して自由な考えとは言えません。
他の国家や民族は同様に独自の物差しを持っています。 これらの物差しは一致しないこともありますので、争いの原因になります。
牛を食べてはいけない宗教や、豚を食べてはいけない宗教があります。 肉を食べても鯨やイルカを食べない国があります。 イヌイット(エスキモー)の中には、鯨に蛋白源を依存している種族もあります。
同じ宗教を信じる者は保護しても、他の宗教を邪教と敵視する宗教もあります。 神様を信じてはいても、宗教の教義という物差しの相違があります。
国家という物差しが優先して、少数民族の存在を否定されることもあります。
「正義」と「悪」の判断を各自の物差しでしているのですから争いが絶えません。
自分の物差しを相手にも理解してもらいたいなら、相手の物差しも認めなければ なりません。
自分の「正義」だけにこだわっているのは、他の人を受け入れられないことによります。
人間の各自の物差しに固執していたら争いが無くなることはありません。
この宇宙を創造した存在の物差しに任せたら、きっと平和になるでしょう。
今朝、早朝の海岸にいました。 とても穏やかな海でした。 さわやかな風が吹き、少しも暑さを感じませんでした。
いつものように東西南北天地のすべてに感謝と祝福を捧げました。
光がいつもより強くわたしを包んでくれました。
風がとてもさわやかなので、風に伝えてみました。
「どうぞ、わたしを運んでください。 わたしを必要とする人のもとへ・・・。」
その場で口から出た言葉をTOP PAGE に書きました。
世界中の人々のこころからこころへ、綿毛が伝わったらすてきですね。
たんぽぽの綿毛のように生きたいと思いました。
昨日の日記の中で国民三大義務の内の1つの義務教育についてふれました。 「子供に教育を受けさせる義務」というのが義務教育の事です。
・すべての国民は、法律の定まる所により、その能力の応じて、等しく教育を 受ける権利を有する。 ・すべての国民は、法律の定める所により、その保護する子女に普通教育を受け させる義務を負う。義務教育は、これを無償とする。 (日本国憲法:第26条の第1項、第2項) ・国民は、その保護する子女に、9年の普通教育を受けさせる義務を負う。 (教育基本法:第4条)
この条文にあるように、子どもが教育を受ける権利を保障するものであり、 国民は子どもに対して教育を受けさせる義務を負っています。その費用を 国は負担します。
子どもは義務教育を受ける義務があるのではありません。 子どもは教育を受ける権利を持ち、保護者が義務を負っているのです。
学校教育の制度を作ったのは大久保利通です。イギリスを手本に制度を作りました。
しかし、制度が始まって直ぐ、亡くなる寸前に間違いだったと述懐しています。 それは、教育は自由な立場でなされなければならないと気づいたからです。 国家が学校教育を管理したら、政治の色づけが濃厚になるからです。 古いとされてきた寺子屋式が正しいと言ったのです。
しかし、その後を引き継いだ伊藤博文はその言葉に触れませんでした。
福沢諭吉は、学校教育が始まった翌年、「学校をすべて壊さなければならない。 そして、国民全体の共有の学校にしなければならない。」と言いました。 官学(政府が管理する学校)ではなく、私学(国民が作った学校)でなければ ならないと説き、自ら慶応義塾大学を創設しました。
しかし、それ以来130年以上にわたり、国家権力が教育を支配してしまいました。
オランダのように、自由な教育が認められる制度を作らなければなりません。
朝から市の広報で「参議院選挙」の投票を呼びかけています。 選挙は「義務教育」「納税」と並ぶ、国民の三大義務の一つです。 敗戦前は「選挙」ではなく「兵役」でした。
「兵役」が「選挙」へ変わったのですが、どちらも義務であることは同じです。 選挙に熱心なのは某宗教信者でしょう。現在与党政府の一翼を担っています。
本来、政教分離を言っていたのに、与党と組んで票集めに余念がありません。
「二大政党」と言っていますが、民主党は自民党の総理大臣経験者3人と幹事長経験者で構成されています。それを野党と呼べるのでしょうか? 実質、第2与党です。
かって野党第1党であった「社会党」は自民党と組んで村山総理を成立させましたが、野党という党の存在意識を自ら放棄したため、国民からソッポを向かれました。
与党自民党がいかにえらそうな公約を言っても、長引く不況や憲法無視の海外派兵や世界第2位の軍事力、719兆円に上る国債発行残高。
国民一人当り約600万円の借金を国から押し付けられて、その政策を支持するはずがありません。
世界一低い金利政策で、少ない年金を預金の金利で埋め合わせしようにもできません。
さらに年金制度自体が崩壊してしまっては、失政以外ではありません。
言っていることとやっていることがまったく信憑性がありません。
投票率が低い水準にあるのは、国民の政治不信の表れです。
投票をしない有権者は、選挙という制度を支持していないことの現われです。
広報で呼びかければ投票率が上がると思うのは、あまりにも国民をなめすぎています。
早朝の散歩で感じることがあります。 誰もいない堤防の上の歩道を歩いていると、たまにすれ違う人の波動を感じます。 その人が歩いてきたコースに波動が残っていて、そこを通るのをためらいます。
イヌは人の数万倍もの嗅覚があって、数日前の足跡もわかるといいますが、人間にもそれに近い感覚があるのでしょう。 人とすれ違ってもわかるのですから、1台の自動車が通っただけでもその後に排気ガスが残っているのを強烈に感じます。
自然豊かな環境の中では、人間は敏感なセンサーを持っているのがわかります。
都会に住むと、その感覚はすべてOFFされてしまいます。 そうしなければ、満員電車には乗れませんし、排気ガスでいっぱいの道を歩くことはできません。
自分の能力を封印して生きることは、自分にとって正しい生き方でしょうか?
自分の体調が悪くなるのは、自分を封印していることが原因ではないでしょうか?
それほどまで自分を犠牲にして、都会で生きなければならない理由はなんでしょうか?
もし、それがお金のためだとしたら、お金は体や健康より大事ということになります。
関東大震災の発生周期は65年とも言われています。 1923年以来、すでに81年が過ぎ、いつ発生しても不思議ではない状況です。 もし、発生すれば10万人〜100万人もの犠牲者が出ると推定されます。 でも、地震が怖くて都会から脱出したという人の話を聞いたことがありません。 都会に住む人は度胸がある人たちだと思います。運を天に任せて生きています。
人が自分の感覚を無くしてしまったら、滅亡の道をたどるしかありません。
今朝も早朝の海へ行ってきました。 風もなく、とても穏やかな日です。
私が瞑想する場所から、1kmほど東に大きな化学工場があります。 そこの高い煙突からモクモクとスゴイ量の煙が立ち上っています。
箱根連山と愛鷹連峰から上った朝日は、この凄まじい煙の向こうへ入ります。 朝日が煙から開放されるまで、しばらく時間がかかります。
この煙と朝日はとても象徴的に思われます。
煙は、産業革命以来の人類の文明や化学の発展を表しています。
朝日は、宇宙や自然の大きな愛の光を表しています。
煙に阻まれて朝日が見えないことは、私たちが享受している便利・快適という いろいろな商品やサービスが、私たちの目を曇らせていることを表しています。
私たちは便利・快適という麻薬に酔ってしまいました。
渡り鳥は自らの種(しゅ)を残すために、海を渡る命がけの試練を与え、弱い 個体をふるい落としています。
人類は「人情」などという卑劣な方法を考え出して、自らの種を弱体化させています。 「人情」は単なるセンチメンタリズムに過ぎません。自然界では通用しません。 「人情」と「愛」はまったく次元が異なるものです。
煙を減らすには、お金や物質万能主義への依存から脱却しなければなりません。
煙が消えて、朝日が私たちを大きな光で包んだとき、新しい世界が始まるでしょう。
今朝も5時に海岸へ行きました。 早朝の海はとても穏やかでした。 漁船が数隻、網を上げていました。 太陽は今朝も元気に力強く輝いていました。
流木に腰掛けて自然と宇宙のすべてに感謝と祝福を捧げます。 そのすべてと自分が一つであることを念じます。
昨日は地球の中心と繋ぐと、体が前後にうねる感じになりました。 クンダリーニという生命創造のエネルギーが、蛇のような動きで背骨を上がっていきます。
瞑想は自分がすべてと一つになる方法です。 瞑想は目を閉じてリラックスし、腹式呼吸を続けていればだれでもできます。
瞑想で自分が自然や宇宙のすべてとつながることができれば、目の前の社会生活などかすんでしまいます。
巨大な存在の一部であることがわかったとき、他の人との比較などできるわけもありません。 衣食住が満たされたら、ほかには何もいらなくなります。 もっといいものとかおいしいものとか言うことはなくなります。
比較や評価がなくなることは、とてもすばらしいことです。 なにも求めたりしなくなりますから、お金も少なくて済みます。 自然や環境にやさしい生き方になります。
皆様にも瞑想をおすすめします。 ご自分がまず瞑想で穏やかになりましょう。 あなたが穏やかになれば、家族が穏やかになります。 いつか、社会が穏やかになり、世界が穏やかになることを信じます。
LORANでは月曜日(AM10〜12:00)と金曜日(PM7:30〜9:30)に リラックスワークを毎月各3回、開催しています。お出かけください。 1回参加しても、6回参加しても月額 \3,000.です。
2004年07月07日(水) |
第2回 名古屋すぴこん |
7月3日(土)、名古屋すぴこんへ出店しました。 前回ご来店いただいたお客様もお見えになり、とても嬉しかったです。 お友達をお連れいただきありがとうございました。 新しいお客様にも多数、ご来店いただき感謝しています。
このささやかなHPをご覧いただいて、セッションを受けに来られたお客様が多くて、とても感激しました。
名古屋すぴこんでの初めてのミニ・ワークショップでは「光の卵」を全員に差し上げました。 お客様のお名前を教えていただき、一人ひとりに必要な光を作りました。 それを頭の頭のてっぺんへ入れさせていただきました。 ほとんどの方が大きな効果があったと思います。
新しい出会いに感謝しています。 まことにありがとうございました。
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