晴れも褻も
〜ハレもケも、と読みます。私らしいかなと。
- 2003年02月25日(火) ほとけさま
京都第二弾。
最初に東寺でたくさんの仏様を拝観しました。
隣のおばさんは手を合わせてらしたけど、私は違うことを考えてた。
…この仏様(大日如来)作るの、大変だっただろうなぁ…
なんまいだと唱えて、心を預けた時、仏様は衆生を救ってくださるんだそうです。
それってすがる対象ができたから、心が楽になるからじゃないかなぁ。
心を預けるために読経をしてもらう、そのために僧が必要である、
心を預けるために仏様を拝観する、そのために大きな仏像が必要である、
仏様に集う真理を利用すると国を建てることもできた
宗教って、ビジネスになる
そんな気がしてしまった。
けっこう成立しているし。
仏様ってなんなのか知りたくなってしまった。
ある強いパワーであって、存在であって、
利用できれば政治的に強い存在になれる。
もちろん、なんまいだと唱える人には一つの救いになる
文化も生み出す
面白いなぁ。宗教を最初に考えた人はすごいや。人間の属性かね。
- 2003年02月05日(水) スイッチングの問題
南口の改札を通り抜けようとしたとき、
ふとそんな言葉が頭に浮かんだ。
こわ。と思って慌ててかき消したけれど、
ここ数日頭の中から消えてくれない。
同じくここ数日頭に浮かんでいるもので、
台所で食器を洗う時、いつも宇多田ヒカルの「光」のプロモが流れる。
一時話題になったあのプロモですが、
あれはこのフレーズでマグカップを洗うとか、
このフレーズの中でお皿を何枚洗うとか全部決まっていたそうな。
何気なく楽しげにやっているように見えますが、
実はいっぱいいっぱいだったと後で知りました。
でもあの楽しそうな感じは好きですよ。
水を切りながら歌いそうになるもん。
確かに食器洗ってる時とかってぜんぜん違うこと考えてるし。
いいこと、悪いこといろいろあると思うけど、
「光」が流れるくらいです、最近の私はいいことを考えています。
♪君という光が私を見つける
***南の島の写真をアップしました。→こちら***