Wakako's Diary 道すがら記

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- 2004年10月31日(日)

熱下がらず。

邦人別人、生きているかも、というのはぬか喜びだった。
未明に遺体が発見されたのである。

本当に、情勢をかき乱すに早くに役立っているのだろうが、
それが誰のためになっているのか、イラクの人たちにとっていいことなのか、首を傾げてしまう。

テロリズムのような、足を引っ張りあうエネルギーの使い方はいかがなものか。

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斉藤道雄「希望のがん治療」集英社新書 (0261)を読んでいる。

三大療法(放射線、抗がん剤、手術)によらず末期癌から復活した人もいる!
という内容。
例えば、玄米療法は効くらしい。
やはりファンケルの発芽玄米は復活か!

ちなみに、売り始めのファンケル発芽玄米に比べ,現在販売されているものはとても食べやすくなっていて,独特のギャバのにおいの薄れており,三分付き玄米みたいな感じ。早速ワタクシめも再開。玄米玄米!

科学的には詰めが甘い部分が多々あると思うし、
色々な療法に対する反応性はおそらく科学的な分析が可能なのだろうから、
まだまだ発展途上の分野だと思いますが、と食らい付いている。

ほんと、Dr.コトーのような名医が現れたらいいんだけどね。




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- 2004年10月30日(土)

雨が良くふる。

発熱。身体がだるくなったり治ったリを繰り返す。

イラクで拘束されていた日本人の遺体が発見されたとか、別人だったとか、ともあれ拷問されて銃殺されたヒトがいたことには間違いなく、早くイラク情勢が安定してほしいと願う。




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目が回る - 2004年10月29日(金)

このところ目が回るような忙しさ。
やはり他の同級生も、能動学習(チュートリアル)が始まってから忙しいと言っていた。結構きついのよ〜〜〜これが。去年まではノート提出がなく、出席だけだったらしいけど、今年からはノートが3割?点になるとか言うのです。

今日は感染症の試験だった。それなりにコアな記述問題だった(汗)。

また来週再来週は続いて試験だし、心休まる時がないって感じ。


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- 2004年10月28日(木)

怒濤のように1日が過ぎる。
今朝はこの秋一番の冷え込みだったらしい。
空は今日もきれいに晴れていた。

能動学習は、去年まではラクチンだったらしいが、分担をしたりしないで各自が一から調べてそれを持ち寄る形式で今やっているので、結構準備は大変。時間がかかる。
一見時間割りが楽になったように思えるが、決して決してそんなことはない。

おまけに、バイトの個人指導、予習をしていなかったがためにぼろぼろで、やっぱり予習していないとダメだと痛感(予備校のハイレベルなテキストの化学は初見だとやっぱ辛い、というか無理です。。。)。次回はなんとかしたいものです。


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- 2004年10月27日(水)

イラクで日本人拘束される。
ちょっとみたかったとのこと。呆れる。

新潟の土砂崩れ現場、車からの救出を中継しているが、
これもいかがなものか。
男の子が無事救出されたのは善いが、
あとはちょっと。。

今日は午後がなかったが、いろいろ用を済ませるために使い
(平日は全部夜が埋まってるため)、
映画のレディースデーなんてどこえやらという感じだった。

急に冷え込んで来ている。風邪に注意。



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- 2004年10月25日(月)

いろいろ書くことは山のようにありますが,
大人気ないですが
ここにはまだ今は書けません。

昨日今日は,食事と病院に行く以外(そして妹たちや叔母,友人達に連絡をとる以外)反応性の鬱のように寝てばかりいました。

新潟は車で生活している被災者の方も多いようですね。
心が痛みます。

では。


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天災 - 2004年10月23日(土)

今年は天災が多すぎる

また地震があった。
今度は新潟で、午後6時頃から何度も大きく揺れが続いている。

台風が猛威をふるって豊岡や舞鶴が濁流に飲まれたばかりなのに。。


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ヤナやつ - 2004年10月22日(金)

昼頃母が緊急入院したと夜知りました。
丁度帰省する予定にはしておりましたが。。

本人が一番辛いのだ、
そのくせ泣いたりする嫌な私。

ほんとに、入院しても子ども達には言わなくていいなんていう母。
多分自分よりも試験を優先しろなんて言うんだろうな。

もっと甘えてくれて良いのに、
と思いつつ、同時に
そのくせ、試験といろいろ重なると嫌だなとおびえる私。
凄くヤナやつ。
追試とかしてくれるような試験だったらまだしも、
CBTもコクシもその他も診断書出すならまだしも
追試なんてしてくれないだろうし。

正当に怖がることは難しい(by寺田寅彦)、
同様に、適切に人を気遣うことは私には難しい。
心配かけたくないといつもいう母、それで当然なんだ、
私が骨をおろうが火事にあおうが親は駆け付けなかったし
(親には正当な来ない理由があったので親を恨むつもりはないけれど)。
それで普通なんだなんて思っていると
いざ私が駆け付ける側になった時その重要性をきちんと判断できず
行動の優先順位が付けられなくなる。

元気なお年寄りはほんとうらやましい。

そして、医療者を志すものとしていかんなと思いつつ、
自分の経済力行動力を越えて
美味しい思いをしているパラサイトシングルは妬ましいをはるか越えている。


私は人を(というより状況か)憎みもするし、
妬みもするし、
少しずつ人生の不平等を受け入れつつあるとはいえ
凄くヤナやつです。





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- 2004年10月21日(木)

午後、私の班は(そうそう、能動学習、またの名をチュートリアルという、それが一昨日から始まったのだ。症例を与えられて診断名を考えて行くのだ)今日はチュートリアルがなかったので午前中のみ授業。レポートを書いたりしてかから、久々に解剖の部屋に顔を出す。ああすっかりさぼっていたなあ。12月の発表までに間に合うのかなあ。。

色々なことが頭の中でごッちゃになって、考えをまとめるのに(正確に言うと、順序と優先順位をつけるのに)ずいぶん時間がかかった。勝手担い手ぽろぽろ涙を流した。何に泣いてるのか分からないけど。自分に泣いてるんだか自分が可哀想なんだか、そんな部分がないとは言えない気がする。勝手な人間だ。あまりごちゃごちゃ考えてても仕方ないし、調べて希望はあると分った。しかし、まあ、試験管を振らない実験、現場に行かない国際医療はない、そんな感じ。

チュートリアルの調べものをしていて、意外にのめり込んでいる。



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またまた台風 - 2004年10月20日(水)

10/19 疲れがこの頃沈着して来ているのか、9月中は朝すっと目覚められたのに、なかなか起きられない。睡眠相がこのところ後ろにずれ込んでいるせいもあるのかもしれない。9月中はアドレナリンが沢山出て私にしては睡眠少なめで連日頑張ってたもんなf^_^;

10/20 また台風がやって来て、午前中だけで大学の授業は午後から休講になった。おかげで、試験も来週に延期になった(みんな今日受けてしまいたかった気持ちもあると思うし、伸びてもうちょっと勉強できるという気持ちもあるだろうし)。

朝、最近いつも現実に近いけど妙な夢を見る。学校絡み。先日は研修か臨床実習の時期みたいな夢だったし、今朝は病理1の実習試験を1人だけ更に粘って先生に頼んで時間を延ばしてもらって最後までかききるという夢で、そのくせその場で採点してもらったら56点で、ただキーワードを二つほど知っていたためおまけで通るとかいう妙な夢だった。

おまけに、試験を受ける前後であちこちなにやら移動していた(岩だらけで道路の急なカーブのある山や、きれいなガラス張りの洋服屋さん〜緑のお洋服がおいてあったのを覚えている〜やアパートがあったりお店があったりする新しい通り〜2回ほど行き来した、藍色の暖簾がかかったりしているような古い通り〜これも2回ほど行き来した)。そして岩だらけの山は友人の運転する車に乗せてもらったのだが、彼女は現実では免許なんか持っていない。まあそんな現実を反映してだか車は激しくぶつかったり崖に落ちたりして、危なかった。途中で私はもういいと車を下りて歩き始めた。二人とも怪我をしなくて済んだのは不思議なくらいだ。そのくせ、私は心の中で笑ってて、「へへへ運転が下手なのは私だけじゃない」なんていじわるな、かつ自分が安心できることを考えていたのだった。

そうして向った試験会場はマンションの下の半地下みたいな薄暗いところで、蝋燭みたいな乏しい灯りがついていた。
弁当を食べながら問題を解いているものもいる。

私は粘って粘って、時間を延ばしてもらって受けたのだった。

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それにしても、早く薬理と薬理実習の試験結果を教えてほしいよう。勉強しなかった訳じゃないけど、機序を覚える(理解する?)ことが苦手で十分に書けなかったもの。。50点くらいならともあれ、60点というのがこういうとき立ちはだかるような壁に感じられたりするのだった(涙)。


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病理1試験 - 2004年10月18日(月)

この三日間、(それなりに)猛烈に勉強していました。まあ、悲しいかなザルみたいな頭なのは確かですが。。

今日は試験で、「え??」というような出題はなく、適切な問題だったと思います。しかし、理解不足や詰めの甘さで十分に書けなかったところや間違えたところもありました。。

もっともっと出来たのではないか、もっとストーリーを作ってよい理解が出来たのではないのか、それが本音です。特に、試験前の時間に友人達と話していたら、良いストーリーを作ってきちんと機序をよく理解している(私は個々の単語に捕われて機序理解が曖昧になりがち)ことが良く分り、ああもっと原点に立ち返って授業プリントを理解すべきだったと思った次第です。

というわけで、これはデキルぞ、合格点とれるぞ、終了直後にはまあまあ出来たぞ、なんて思いましたが、悲しい勘違いかもしれませぬ。厳しく語句の一字一句にこだわって採点したら60点は厳しいかも。。50点くらいかなあ。

まあ、もっと勉強したい気がしているので、再試も悪くないかもしれません。

プレパラートの方は、それに比較して、臓器も指定してあったりして、結構簡単でした。それでも迷ったりはしましたが。

次は感染症です。
細かいことが出て来たりするようなので、ノートをしっかり見直そうと思います。

ああ眠い。

今日は、昨日も、そして一昨日も、良い秋の晴の日でした。


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- 2004年10月15日(金)

10/14 みんな猛烈に勉強している。病理について楽観し過ぎてたかw(゜o゜)w

思うに、受験勉強で培った勉強の要領はそのままここでは通用するのです。むしろ、その要領の良さがあった方がいい。マシンのように勉強して事柄を覚える。少なくとも、学生の間の試験に関しては。さらにマシンのように遊びも部活もできればなおよし。もちろん、いろんな個性があって良いと思うし、ある方がいいのですが。

とはいえ、早いもので、あと1年半しかないんだよ、こうやって座学してるのは!あっという間に臨床実習になって、同じ小さな班の顔ぶれとぐるぐるいろんな科を回って(シャッフルしてくれ!)、そしてあっという間に卒業試験でまた座学なんだよ。ちょっとの間。早いなあ、クラスメートたちとも永遠では当然なく、あっという間に卒業かア。

10/15

いかん。帰り、ちょっとドラッグストアによって必要なものを買うつもりが、ついついカウンターに座ってしまう(いや、座りたかったのも事実である)。そして美容部員さんと盛り上がってしまい、これはケアせねば!といつの間にか(じゃなくてそこで私が決めたんだけど)あれこれ買ってしまっているw(゜o゜)wいかんいかん。資生堂は売り上げ増のために美容部員さんを増強する戦略を現在とっているが、それは見事に効を奏してるのですよ。。。とほほほほ。
帰宅してみるとカウンターでこれは!と思ってたほど効くのかふつふつ疑問が持ち上がる。しかあしメラノサイト増殖をもっと防止したいという願望は(皮膚病変を勉強しつつ)消えることなく、もっと効く、今日カウンターで出て来た、ネットの化粧品サイトで人気だという某商品を使いたい!などとメラメラ思っているのである。

あと、美容院だの化粧品売り場のカウンターだの、ブラッシングや美白の為に通う歯科だのは、自分がケアされる場なのです。あたかも温泉みたいに(私自身は温泉は特に好きではないのですが)癒された気になれるのでした。とほほほほ。



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- 2004年10月13日(水)

疲れが沈着して(?)朝起きあがれず。金縛りみたいに、意識があるのに身体が動かないという状態。ノンレム睡眠とレム睡眠が変にずれたか?

今さらながら、改めて病理1の量の多さに呆然。薬理の比ではないような。。

しかし、薬理と決定的に異なるのは(私にとってね)薬理よりストーリーが分かりやすいということ。なんとか間に合わせます。

冷えるようです。
お母さま、お父さま、暖かく為さってお過ごし下さい。


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- 2004年10月12日(火)

細菌学とウイルス学の試験結果発表。後者は指定範囲をしっかりやっておきさえすれば大丈夫な出題だったので、ほとんど合格していた。

日暮れが早くなった。

晩ごはんに豚汁を作った。
汁もので温まるのが一番。
暖かいんだか涼しいんだか良く分からない天気ではあるけれど。

家族のことが常にとても気になります。
気にしているだけでなくて身体を動かすことが一番だと思うのですが。

今日も日本のあちらこちらで熊が現れているようです。

行きの地下鉄で、物差を座席の隙間に落としてしまい、なんとか取ろうとして四苦八苦していたら、向いの席に座っておられたお祖父様方が「座席を上げたらいい」と助けて下さった。ありがとうございます。
本当に、10数年は使われているよれた物差だけれど、愛用しているので嬉しかった。

あと、私が若く見えて親切にして貰えたのか、それともそうでなくてもあのお祖父様は親切にして下さる方だったのか(後者だと思う)などと全く自意識過剰で要らぬことをついつい考えてしまった(なんて嫌らしい人間だろう私は)。



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- 2004年10月11日(月)

余程山に食べ物がなくなったらしい。
日本のあちらこちらで熊が出没している。
人と熊の共生が理想だと思うのだが。。

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リーグで首位を保っていたダイエーが残念ながらプレーオフで優勝できず。残念。親会社の苦境に負けず、頑張ってほしかった。

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大阪の堂島のジュンク堂など、本屋に行く。

昼寝したりしてノンビリ連休を過ごした。
昨日の夜は資料整理と若干過去問に目を通した病理、そろそろ本腰を入れよう。

それにしても私のわるいところ。
自分の目的や目標はたまた手段だったのか、その実、違ったのか、
見てくれる人がいないと思うだけでやる気が急激に失墜して行く。
う〜ん何のために行為をしているのだか。

その他いろいろ思うところあるが、今日はここまで。


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- 2004年10月10日(日)

10/10 哲学者ジャック・デリダ氏死去。74歳。膵臓癌だったとのこと。
彼は何年も前から、少なくとも8年くらい前には、既に体調が悪く、そう言って苦しそうに講演で話していた(と聞いた)。それでここまで良く生きていて下さいました、と頭を垂れる。

彼はこの世界をどう見つめていたのだろうか。

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ふと、1995年の秋に、自殺した哲学者は誰だっただろうか、と気になる。新聞の夕刊一面に載っていて、それを見た友人がショックを受け電話して来た。長電話になった。誰だっただろう。

ネットで調べてみると、ドゥルーズだった。病気を苦にしていたとも聞いた。私はそれほどショックを受けただろうか、良く覚えていないがサラッと流れてしまった気もする。ドゥルーズを読むと一時期励んでいたにもかかわらず、彼の自殺の後も、その死のことはなかったかのようにテキストを読み、咀嚼できないまま流れて行った。そんな覚えがある。

自分の記憶の曖昧さ。



10/9 台風はこちらにこず、伊豆、そして首都圏に。東京はJRも不通になったり地下鉄も水が溢れたりで大変だったようだ。

DVDでthe day after tomorrowを見る。

DVDはビデオより画質もきれいで良いですねえ。

これをみて気象学を志す若者ッているかな?


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- 2004年10月08日(金)

病態生化学の試験。
出来は微妙なラインだ。
ホルモンのところがあやふやで、二つほど勘違いして間違えてしまった部分を発見したし、頑張って覚えたほど疾病についてきちんと説明しなかったし。170点分の80点が新しい形式の5択問題になっており、それが難しかった(私が糖鎖の部分がイマイチ良く分っていないせいもあるが)。通っていればギリギリという感じだ。

また台風がやってくる。もう10月だというのに。それも今年、十分大きな台風が何個も上陸しているのに、今度は更に大きい模様。過ぎるまでは外にでないで下さいとか、呼び掛けている。

試験が終わってちょっとコスメや服を見たりしたいなあと思ったものの、遅い時間で、不完全燃焼で帰って来た。おまけにこの台風。

しかし帰宅して暫くしてみれば、実際には眠いし、一番したい、か、気になっていること、というのは、案外部屋の片づけだったりするので、外にも出たくはあるものの、雨に降り込められてなんら呵責などなくお家にいられるのも贅沢で良いことだったりする。



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- 2004年10月07日(木)

10/6
疲労が徐々に蓄積。勉強しようと思うがバイトの後帰宅してから1、2時間?で眠くなりクレチン病と橋本病について理解を深めた?ところで眠りに落ちる。

結構良く勉強する学年なので、明日の試験に向けてぬかりなく頑張っておられる人が多い。

10/7
今更ながら、ここはスポコンで勉強するところなのだ、と悟る。
午前中は太陽があったが、日が陰ってくると肌寒い。秋だ。

なんでこんな日に新規に仕事入れちゃったかなあと思いながら、2ヵ月ほど踏ん張るしかないなと思い直しつつ、うだうだ3時間足らず螺旋のような勉強進捗状況。
ここまでうだうだしておいてなんだが、もう丁寧さは捨てよう。最小限だ。最小限!
できるところまで詰め込もう。。


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- 2004年10月05日(火)

肌寒い1日。一雨毎に寒くなる。
おまけに、山科を過ぎた辺りから風が強く、もう一枚上があった方が寒暖が調節でき良かった。

授業は2週間ほぼ診断学ばかりだ。
今日は4時間とも診断学で、うち2時間が話し手と聞き手、あるいは医師と患者役に分かれてのロールプレイイングだった。
最初の話し手と聞き手と言う分け方は、コミュニケーション一般についてが問題なのだが、好きなことに付いて喋ってと言われて皆がぴーちくパーチク好きなことを喋っているのを聞くと、あたかも英会話のクラスでペアを作って会話を作為的にしているみたいな気もしておかしかった。



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- 2004年10月04日(月)

新学期が始まる。病理2の実習講議とも合格。というか、再試をする、再試該当者が各10名くらいずついるということにびっくり。厳しくなったのかな。他の科目も戦々兢々。

夜は眠くて眠くて、さすがに疲れた。
今週はバイトでハード。今までのが一つ減ると踏んでいたので、新規に増やすんじゃなかった。。




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ユメ - 2004年10月03日(日)

天気が荒れ模様。
急に秋が深まったようだ。

夢の中で、住んでいた下宿(なぜか4階建てで小奇麗になっていて、一つの階に一人ずつしか住んでいなかった)で洗濯や布団を干したりしているときに、突然訪問者がやってきた。

編集者が二人来たという。ほかのメンバーは逃げたりあたふたしている。一人は目がぎょろっとしており、通っていた小学校の隣にスタジオや喫茶店などを兼ねたコンクリートのうち流しでできたモダンな建築の施設があり、そこで話したが、自分が編集者を目指しているわけでもなく、あわわとあまり深い質問をできないまま終わってしまった。

間になにやらいろいろ昨日の夢のように出来事があったあと、私はバス路線みたいな路面電車に乗っていた。一時間に一本、畑や緑の間を縫っていく。揺れて飛ばされそうになりながら、終点の建物に着く。キョウラギ山入口とか、そんな名前がついた停留所があるが、乗り降りは1、2人だけだ。
終点は線路が建物に入り込んでいて、こんな狭いところに入るなんて、とドキドキした。これまたコンクリートの建物で、何かの施設なのである。

ここで上の妹に会ったし、外国へ交換留学をする書類がいつの間にかさらさら書いて埋めてあった。

最後はどんな終わり方だったのだろう、鮮やかで不思議な夢だった。

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テレビの「ようこそ先輩」で先生が地球で今起こっている3つの現実を子どもたちに伝える、という授業を行っている。
44人の子どもたちに44個のケーキを配るのだが、4分の1の人間が3個ずつケーキを貰って、4分の3の人間は3人で1つのケーキを分かち合うことになる。

このどいさんという方は,もともとはバレリーナになるのが夢だったが,授業で読んだ「人間の大地」で刻々と子どもたちが1500人ずつ飢餓で死んでいく描写に衝撃を受け,難民支援の道に進まれたという。

そして,今日の授業で一人でも感じた衝撃を大人になるまで温めてくれたら,それでいい,とおっしゃっていた。

とても切なく、泣きたくなった。

誰にも、というのは語弊があるかもしれない。
しかし、大方の人間には,こうして人生に影響を与えるような(可能性として)衝撃を受ける瞬間があるのではないだろうか?少なくとも、私にはあったつもりである。

その衝撃を暖め続けること。

私は暖め続けていた衝撃を途中で放棄した、というか諦めた。そもそも、掲げていた衝撃自体があまりにも抽象的過ぎて具体性にかけていたのかもしれない。
しかし、抽象的だということは、登る道はいくつもある大きな山のようなもので、これから日常の中で、あるいはさまざまな分野で、「具体的に」関わっていくことは可能である、ということでもある。

信念や夢を持って生きる人は強いと思う。人生での優先順位がはっきりしている。

私はその点、信念や夢や目標は中途半端で、いい生活がしたいよと欲もある。俗事に悩め迷える凡人である。

ドイさんはいう。
社会は変わります、変えていこうとすれば変わります、と。

ポジティヴな楽観主義と、それを裏付ける行動力が夢や理想の実現には必要なのだろう。


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204号室の人 - 2004年10月02日(土)

雨。イチローが大リーグで新記録を達成した。テレビで17、8分もかけてそのニュースを流していて,いいのかなあと気になったが。

夕方うたた寝をする。

その中で夢を見た。

大き目の程よく格のあるホテルの中をうろうろしていて、ホテルの庭を歩いていたりするとき、清楚な女の人を見かけた。竹久夢二の絵に出てくるような、うら若い美人である。思わず目が釘付けになった。
どことなくはかなげで、何かストーリーがありそうだった。

時に彼女は夫と思われる男性と連れ立っていたり、一人だったりした。
笑っていても、うら寂しげな表情を浮かべていた。

一度、ホテルの部屋の窓から、カーテンに隠れて、こちらをじいっと見ていたことがあった。寂しそうで、今にも消えそうだった。

私は気になり、ホテルのフロントでその女性に会いたいと申し出た。
意外にあっさりフロントの人は部屋の番号を教えてくれた。
お客様は204号室にお泊りです、と。

私は204号室に向かったが、入れ違いか何かで会えなかった。部屋には誰もいなかったから。空け放たれた窓から、風が入り、カーテンがはためいていた。

私は、もう彼女には会えない、彼女は死んでしまったのだ、と感じた。

時々、古く大きく壊れかけた携帯電話が2、3台登場して、使おうとする端から調子が悪くなったりしながら、時は過ぎた。また、途中でパラリンピックのマラソンで土田和歌子が金メダルをとったニュースも入ってきた。

暫くしてから、あるいは1年2年経っていたのかもしれない。私は何かの勉強会だかのためにホテルの中庭を歩いていた。そしたら、あの彼女の姿を見つけた。何か晴れやかな表情を浮かべていた。

私は、再度204号室に足を運んでみた。

いや、足を運ぼうとしたら、その前にホテルのラウンジで彼女に会うことができた。

こんにちは、お元気でしたか、彼女に声をかけてみた。

視線は交わしていても、おそらく話したこともない人間に対して、彼女は微笑みながら答えた。

「明日離婚するんです」

嬉しそうな彼女に安心して、私もほっと胸をなでおろした。

はかなげな彼女はどこへ行くのだろう。どんな人だったのだろう。


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うれしく切ない青空 - 2004年10月01日(金)

心が弾みうれしくなると同時に、切なくなるまでの青い空。嗚呼、人生は美しい。
なぜこんな日に働かねばならないのか?
郵政民営化より何より、短時間労働とワークシェアリングといったオランダモデル、あるいは北欧型モデルを導入するクーデターを起こすべきではないだろうか?
生れてきたからには、もっと人生を楽しまなければならないのではないだろうか?
そう思わせる秋の空。

魚住昭著「野中広務 差別と権力」講談社を読んでいる。重厚で引き込まれる筆致。どしんと読み応えがある。久々にヒット。もちろん、書かれていることの重みは現代の隠蔽されてきた影の部分ではあるのだけれど。お勧め。


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