Wakako's Diary 道すがら記

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どうやって精神的に安定をはかるか。 - 2002年07月31日(水)

下訳にもなってないような付箋だらけの状態で
カルテの翻訳を出し(渡して)、
ふとスケジュール帳を見ると、なんと。
異様に詰まっているではないか。
東は滋賀県から西は大阪まで、各種バイトが。。
(JR西日本のアーバンネットワークじゃあるまいし。。)

うげげ。

+++++

昨日は、物凄くひさしぶりにK大病院に行った。
カルテを見ながら、5年ぶりですね、と言われた。
夏休み中のせいか、5年前と比べ、待ち合い室の様子は大分穏やかになっていた。思いつめた表情の人より、わりに穏やかな表情の人が多いのである。

3分ならぬ、5分診療でだったが、
・突然泣ける
・過眠(これは思い起こせば去年からで、
語学の授業中であっても先生の真ん前で寝ていたものである)
・考えの固着
ということから投薬を受けた。
薬が効きはじめるまで、2週間程かかるそうだが、
早速副作用の方は感じて、ちょっとムカムカした(副作用をやわらげる胃薬を舐めて飲まなかったため)。

まぁ、容量の限られたお弁当箱に変ないれ方をしているのを、
きちんと詰めるためにお薬は有効なんだと思う。


学校のこととか、いろいろ、無理にがんばる必要はないけど、
自分が力を十分に出せるためには、
実生活でも精神的に安定することが必要だな、とつらつらと思った。

今の学校入ってからだけでも、去年の前期試験のこととか思うに、
(逃避も入ってるけど)力をいい形で出せているとはちょっと言いがたい。


カウンセリングを受け始めてから2年以上になるし(9月に終了する予定だったが、継続した方が良い気がしている)、必要に応じて薬物治療を利用したり、十全かは良く分からないが、必要に迫られるうち、結構専門的ケアを受けるようになっている。

問題は。。これらの専門的ケアを含め、「実生活」をどうやってより精神的に安定したものとするか、である。

いい仕事をする、あるいは今の私が学業を続けるにも、
精神的に安定することが必須である。

お弁当箱の中を、ほどほどに御飯とおかずが入るようにすること。

これが特効薬、なんてことはないと思うが、私みたいな人に肯定されることが重要な人間は、自分の精神的な安定と充実した生活のためには、
身近に支えあったり理解し合えたりする人がいることが重要な気がする。


と母親に言ったところ、
「あんた分かってるじゃない」といった。 
ただ、もう少し気楽に、と。

うーん。

そうかもしれず、そうでないかもしれない、
そして、「自分の手に入れたいものは手に入れる」自己実現の心理学、
あるいは林真理子的(失礼)欲望マシーンであるよりも、
フランクル的に自分に人生とその使命は与えられている、と思うべきなのかも知れない。

が、少なくとも、御大層ではない私は
自分の望む生活に対して、アンテナは張っておこうと、思った。


うーん、しかし、人はすぐにはゲットできないから、
まずは精神的安定か。



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2002年夏⇔1996年初夏。 - 2002年07月30日(火)

1996年の5月29日は、greatな日だった。いや、dreadfulな日だった。

(以下、続く)




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ひとり。 - 2002年07月29日(月)

他の人はこんなことは気にせず、
私がどん底を見てしまうからかも知れないけど、
一人でいることの恐ろしさは、
つまり見ている人がいないことの恐ろしさは、

いつのたれ死しても誰も気付かず、
そしておかしくなっても、自己管理がしっかりしていない限り、
気付くのがおくれてしまうということである。

誰かといると楽しいとか、プラスになるとか、
あるいは安心感があるとか、甘えられるとか、

そういうこと以前に、

一人でいることは、

どこか生命の危険と裏腹で(だからといって人といれば安心だと言い切れないのだが)、

それが一番恐ろしい。


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お母さんへ。 - 2002年07月28日(日)

(後で)


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親の承認/チャンスが与えられる時のために - 2002年07月27日(土)

今日も、バイトの帰り、京阪特急の中で涙がぽろぽろこぼれてこぼれて、止まらなかった。
何に泣いているのか分からなかったけれど。

涙がこぼれてこぼれて止まらなかった。

(以降かきかけ)


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病んでいる。 - 2002年07月25日(木)

カウンセリングに行った。
再考を促す意味だと思うけど、
「そんなに甘えたいのか」云々と問われた。

たしかに、私は、自分の人生を前向きに生きることより、
時として甘えたい願望が強くなっていることがある
(それでも自分の人生を生きているわけではあるが)。

でも、私が甘えたいとか精神的な安らぎを得体って思うことは
間違ってるわけ???

無理だ、それより自分でしっかり生きなさいよ、勉強でもしたら、
という声ばかり私には聞こえる。

「猫の恩返し」でも自分の時間を生きろと言っていたけど
(しかしそれはかけ声だけで、単に夏休みのアトラクション映画だったように思うけど)

バイトしてるくらいしか能がないのかな、
自分の家庭っていうのは無理なのかな(あんたみたいなお子さまには無理だ、と誰もが言いそうな気がする)
私には無理なことなのかな、と思うと、
泣きたくなって、自分を責めてしまう。

甘えても仕方ない人に甘えようとする、そんな私は病んでる。

大人になりきれないだけなのかもしれないし、
他のことで忙しくすればいいのかも知れない(しかしそれは根本的な解決にはならない)。

なんかねぇ、空が青くって、夏休みだな、と思うと、
自分の夢を青い空に描いていようとはもう思わなくて。。夢はどこか日常でしかない、実現/実行するものである、私は平凡に子供の手を引いてお出かけしたい人なんだけどなぁと思うのです。
いえ、それは単に、自分が子供に戻りたいだけなのかも知れません。

子育てしてる時期なんか短いから、
それだけじゃぁ、あと行き詰まる(社会復帰したくなる)だろうことは分かってるんですが、
いったい私の人生って。。。

なにしてるんだろ。





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猫の恩返し・iBook - 2002年07月24日(水)

(後日書きます)


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2002年夏←→1995年夏 - 2002年07月23日(火)

少し前向きな事を。
カルテの翻訳。

前を向いて歩いていれば、きっと、良いことも運も集まってくるさ。

+++++

6年前、と思いきや、数えてみればもう7年前の事になる。

夏。毎日大量の文献を積み上げて図書館で過ごしていた。
しかしひたすら眠るばかり。

ひたすら素振りをせねばならぬと思想を吸収しようとし、
活動せねばならぬと動き、
結局なにも・・研究という意味で・・形になっていなかった。

茫漠としたようにみえる研究に取っ掛かりがつかめず、
かといって研究への熱意もなく、ただ焦りだけがあった。

もう、どうしたら良いのか分からなくなって、
そして余りにも自分が情けなくて、
つるんでいたひとを前に、わんわん泣いた。
彼は、呆然としながら吐き出す言葉もなくおろおろとしていた。

この人を前に泣いても意味がない、と思いながら、
涙が止まらなかった。

いや、その人を前にして泣いても意味はなかったが、
その人と会う口実がなければ、それこそ引きこもっていたのではなかったか。

あれは陽光の差すカフェテリアの南側だった。

  +++

それから10日ほどあとのことだったと思う。
姉妹三人で富山の祖母の家に行った(わたしは乗り合わせるはずの特急列車に乗りそこなったので、駅で落ち合った)。

岐阜の温泉に泊まりに行ったり、宇奈月に寄ったり、楽しかった。
車中で聞いた我が祖先の系譜は面白かった。

そして、富山在住の友人二人と別々に会った。二人とも、共通して、友達がいないとぼやいていたような記憶がある(この閉塞感がなかなかたえがたいのだ)。

恐らく別々の話をしたと思うのだが、それぞれに私は「結婚したい」といった。
別に何のあてもなかったし、(今だって相当の未熟さ加減に辟易しているが)
その時だって十分に大人だったわけでもなかった。ただ、もがいていた。

一人の友人とはお店であったので、さすがにおとなしくしていた(と思う)けど、
もう一人の友人は、友人宅にお邪魔していたので、心置きなく、泣いた。
泣いてどうなるものでもない。しかし、泣いた。泣き続けた。何に対して泣いていたのだろうか。心の安らぎを得たいのに何もない、そういう自分野不安定さに泣いたのだろうか。
そして、涙をぬぐい、洟をかんだ。ティッシュペーパーの箱を空にしてしまうまで。

それから私は教員免許を取り、文学部を出て、教職につき、
フリースクールで非常勤講師をしながら受験勉強をし、医学部に再入学した。

しかし、あれから何が変わったのだろう。

当時、先が見えておらず、ただ不安だった、孤独だった、それが耐えがたく、
またそんな状況にうまく対処できておらず、研究は手につかず・・そんな日々がその後さらに続く事になる。

今も・・耐えがたい孤独とまでは言わないかもしれないが、一人でいるのが(弱虫と罵られてもいい。7年前、母も父も、あんたは学生でしょ、つべこべ言わず、ちゃんと学業に励め、といった。私がさびしいというのは・・自分で何とかすべきだったのだろうが、あんたは学生のひとことで無視された。あのとき、「そうね、さびしいわね。つらいわね」と私は言ってほしかったのかもしれない。・・今朝、母は「いままでどれだけキョロキョロしてきたのよ、自分の選んだ道でしょ、心のよりどころをどこに置くか考えなさいよ」といった。おっしゃるとおりです。おっしゃるとおりです。そして、寂しがり屋なところもある私はもっと早くから手を打っておくべきだったのかもしれない、7年前もそうだったじゃないか、と自分を責める。私が悪い、私が悪い、なにもしなかった私が、そして人間的に欠落していた私が、というようには今は考えなくなったし、いまさら過去を問うても仕方ないのは百も承知だ、けれども、ふと思い出すとやはり私が悪いと自分を責めるのだ。私が悪い私が悪い。私が悪い。手を打たなかった私が悪い私が悪い。勉強もがんばりませんでした。かといって進路も迷いに迷いました。責めるのは生産的ではないのは分かっている、そして、誰も、なにも、悪くないのかもしれない、しれない。

7年前と同様、何かから逃げているだけなのかもしれない。
いや、逃げてる、と思わなくてもいいのかもしれない。わからない。

ただ、どちらにせよ、困る、という事はなにかしら変化が(内面的な事にしろ、外的な事にしろ)必要なわけで、活路を、ということか。

  +++

7年前の夏、あれから何が変わったのだろう。私は前に進んだのだろうか。

私はハイデガーのナチス問題の短い論文をいくつか読み、そして
映画の「シンドラーのリスト」や「ショアー」が話題になった夏だった。







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どうしたらいいんでしょう。 - 2002年07月22日(月)

カレーを作った。
バーゲンでベネトンの革のスニーカーを買った(ベージュ×赤)。
買い物で、紛らわせてないかい、と思いつつ。

+++++

女性セブンの記事「高齢出産おいしいとこどり」を読んでちょっと元気が。。
生物的な年齢は明らかにあるけど、高齢出産の人たち、満足度が高いそうな。
自由を謳歌したあとで、出産・育児をひとつのチャンスと捉える、というか。
ただし、育児・出産をシェアしてくれる人は必須、とか(笑)。
(山下久美子は38歳で離婚、41歳でシングルマザーらしいですが。。)

まあ、で〜んと構えて体力をつけなさいってことでしょうか。

+++++

今日は歩いていたら、涙が止まらなくなったので、
このまま歩いてたらマズイとおもって、そばのマクドナルドに駆け込んで、
涙が引っ込むまでアイスコーヒーをすすってた。
暇暇な学生だからできるといえばそうなんだけど。

わたしは本業は今学生で、そこでがんばるべきなんだけど、
先が長いのもあって(分かって入ったんだろ!といわれるとそうなんだけど、
思い立ったときは実行に移したときより数年前だったから気楽に構えてたんだ)、
公私ともどもいろいろ役割がほしいなぁ、と思います。
お気楽とはいっても、いい加減
一人暮しも(学生生活も!?)飽きてしまいました(苦笑)。
うん。学生生活は今本業で、逃げちゃダメなんだけど。飽きたなんて言っちゃいけないし、きっと専門がはじまったら坂を転げるように忙しくなるんだろうけど。

甘いですが、社会人も、家庭生活も、楽しいだけじゃないけど、
汗をかく甲斐はあるのでは、と思うのねぇ〜。

現在を良く生きる事も大切なんだけど。

そして、私は将来への不安が強すぎるのかもしれないけど。変な具合に。
ピークをずらしたいとか、そんな事を思うのは良くないのかなぁ。

もっと、気楽に気長に構えてもいいのかなぁ。

もう何がいいのかわからない、というか
何がいいのかの前に、現実性があるのはなにかわからない。

優しい友人たちは、私が
現状を打開しようとがんばっているとか、
なんとでもなるとか、言ってくれるけど、

どうしたらいいのかわからない、というか
今を生きるしかないのだけれど。

つまり、今をより良く生きるしかないのだろうけど。

私はすごく楽な生活してるのにね。

でも、楽なのと充実しているのとは違う。

もっと若い頃みたいに、死にそう、とは思わなくなったけど、
でも、何してるんだろ。何してるんだろ。

だからといって、実家に戻りたいなんて、絶対絶対思わない。
そしてそれは答えではない。


そして、こんな私は、一生懸命生きてもいない。


何をしているんだろう。


一体、どれだけ2年前、京都に戻ったときから変わったのだろう。

大きな船がゆっくり動くように、
立派な職業につかならなければいけない、とおもわなかくなった事だけは変わったかもしれない(怠惰に暮らそうとしすぎているかもしれないが)。

何をしているんだろう。


何をしているんだろう。


何をしているんだろう。



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ムーバ生活。 - 2002年07月19日(金)

部屋の片付けをしたりしていたら、結構時間がかかってしまった。

ムーバ生活をしている知り合いが東京に行く、車の同行者募集というので、相乗り。ワゴン車で結構快適でございました!
すいすいすいと、運転手交代もあったりして、よかった!
翌朝、朝焼けの空がきれいだった。


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母。 - 2002年07月18日(木)

カウンセリングに行った。
学校の事と、相変わらず在学中に結婚したいと思ってしまう事を話した。
そこから母の事に話が移り、一人でいる事がシンドイシンドイと、何年も何年も
他人と密に関わりたいと思っているのに、ずっと母親の決める枠から自由ではなかった・・
母は自分が家庭・地方都市に閉じ込められており、自分自身社交的では余りなかったのもあり、子どもの人付き合いにいい顔をしなかった、ゆえに、元来身体を動かすのが余り好きでなく、本を読んだり絵を書いたりしているのが好きだった私はあえてウチから出て外で遊ぼうとしなかった・・
だから、自由になりたくて早く(年齢的には早くないけど)
結婚したいのではないか、と指摘を受けた。

そうかもしれず、そうでないかもしれない。

でも、もっと楽に生きていける道があるのではないか、という気もする。

甘えすぎているかもしれないけど。

結婚がそんなにいいものなのか、とも聞かれた。相変わらず、課題の多い私だが、
実のある話が今日は出来たような気がする。
 



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な・つ・の・ひ - 2002年07月17日(水)

今日は家庭教師を3つ入れていて、うち二つがドタキャンになった。

+++++

私は先の事を考えすぎるんだろうな。

なんだかんだ言っても、自分の責任でしかない(?)わけだし。。

分かってて、先の長いコースに入り、、、

+++++

7月中に有機化学その他、勉強をしてしまおうと思いつつ、
ふつふつと沸いてくる旅行欲とバイト欲(笑)。

+++++

今日は銀行に寄ったついでに、またまた阪急に寄ってお買い物しちゃった。
ペールブルーのステキな麦わらバッグとシビラの夏らしい青みがかったハンカチを買ってご機嫌。

あとは、クール・シルバー・アイシャドウで決まり☆

+++++

森口瑶子ってきれいよね。。




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働くぞ。 - 2002年07月16日(火)

美容院。パーマをかけたかったが、もうちょっと伸びるまで我慢。
今日は、髪を芯からケアするというトリートメント。

昨日今日と、図書館で勉強をしようとしているのだが、睡魔に負けて、なかなかはかどらない。

+++++

思い出した事。先日、カンディンスキー展を見に行ったとき、初めて知った。
カンディンスキーは、はじめ大学で法学を教えていて、30歳から絵の勉強を始めたんだって事を。

+++++

昨日の夜、インターネットで派遣会社のお仕事に11件エントリー登録した。
したらば、今日、面白いほど電話がかかってくる。
働き口は、需要と供給が条件面も含めてミスマッチしているかもしれないが、あるといえばある。

働くぞ〜〜。






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同級生。 - 2002年07月15日(月)

中学からの友人に会った。
やりたい事をやっている、と彼女はいい、
さらにあと2年ほど留学しているという。
当初の予定より大分長くなっているが、学究生活が彼女には向いているのだろう。
アメリカと日本の二重生活は、それぞれの良い所が見えてなかなか楽しいらしい。
(帰ってくるところがある安心感もあるだろう。
水村美苗の「私小説」みたいに、帰る所もなく、かといって根ざしている感じもなく、だと、アイデンティティーが浮遊するのを感じるのだと思う)

6月の末、そして今日、と、元同級生に立て続けに会い、久々の顔を見て、そして
他のみなの近況を聞くと、
みな割にマイペースで、
「らしく」生きてるというか、
そういう時代なのかな、と思い、

そして、リフレッシュ感、或いは、リラックス、或いは向上心、のまじりあった居心地の良さのためか、それぞれと近々もう一度会う予定を立て。。

友人。友人。







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et cetra - 2002年07月14日(日)

新しい家具を組み立てた。部屋がハイパーになるはず。

久々に遊佐未森のCDを聞いているが、
アコースティックな音に身をゆだねて漂うばかりで、何気なく聞き流していた歌詞が、今聞くと、「あ、分かる」って感じなのだ。


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私的土曜日。 - 2002年07月13日(土)

午前中家庭教師。帰りデパートに寄ろうという目論みのため、休日の午前のバイトの割に身だしなみマトモ(ちなみに、最近は年相応に生きているつもりでしたが、ワタクシ、ソニ・プラにあるようなコスメ愛用者のせいか・・なぜか持っているChanelだのChirstian Diorだののルージュの出番はほぼございません、「年齢不詳」「一浪でいける」などと未だ言われておりまして・・うーん。体力的にもそれだけわかけりゃいいんですが)。

帰り、クリアランス・セールに。お中元で頂いた商品券、丸々お洋服の新調に使いましたわ。薄い水色のブラウス(スーツにも合わせやすいもの。ああスーツを着る毎日、懐かしい)、夏らしい紺のストライプのスカート。エメラルド色のカットソー。今回はブルー系で統一。夏用のカーデガンっぽい綿のブラウスがあって、生地もデザインも優れていたけど、割引除外品でお高かったので、断念。

午後の残りは図書館に行くつもりだったのが、お部屋の片付け。やっぱり片付けには時間的ゆとりが必要よね、と思ったり。。・・といってもまだ現在進行中であり(現在11時半近く)、洋服をしまったに留まる。。
今は新しい家具の組み立てて部屋の中がてんやわんやしている。

+++++

はぁ、もう飽きた、ってのは贅沢なんでしょうか?我が侭なんでしょうか?
飽きました。飽きました。

でも、分別ある人たちは言うでしょう。
「お腹が痛いのも、勉強が大変なのも、
仕事が辛いのも、誰だってみんな、がんばってるのよ。
甘えた事を言うんじゃないわよ、あなたいくつなの?」

そうです。私はがんばってもいない。
年相応の責任も負っておらず、かといって与えられた場で十全に生きているとも、
そこを充実させる努力をしているとも、
最低ランク、自分の自由時間を充実させているとも言いがたい。

平和ボケ?

飽きました。

私がすぐ人に甘えようとするのがいけないんでしょうか?
それとも、私が*ほどほど*に肩の力を抜けないからしんどくなるんでしょうか?
(って、言うほどのストレスは何もなく、見合った努力もしてないくせに!)

私は、すべてにおいて、間違っているんでしょうか?


BGM「桃と耳」(遊佐未森ベストアルバム)
・・久々のアコースティックで癒される。







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いよいよ夏休み。 - 2002年07月12日(金)

超暇だった前期の授業がひとまず終わり。。夏休みだ。

同級生たちと8月に北海道旅行することに。
楽しみ。

わたし、こうやって物事を決めていったり形にして行くのがすきなんだよね。。



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夏休み前打ち上げ飲み会 - 2002年07月11日(木)

・夏休み前・打ち上げ飲み会(京都駅ビル内)・・楽しみ
・カウンセリング


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空飛ぶアレナート−美術館おデート。 - 2002年07月10日(水)

友人と、三条京阪で落ち合って河原町三条下るのカフェでランチ(カフェ・ド・パリ。http://www.paris-shoku.com)。小洒落てて、ワンプレート・ランチの味もグッド。クレープもおいしい。

そのあと、小雨降る中移動し、京都・岡崎で「シャガール展」「カンディンスキー展」鑑賞。
日本人に馴染み深いのか、シャガール展のほうが雨模様の平日の割に込んでいたが、友人ともども、カンディンスキー展のほうがよかったな。
シャガールは、飛ぶカップルを描きながら、どこか宗教的なものが漂い、
カンディンスキーのフォルムのほうが分かりやすい気がした。。「コンポジション(声へ)」という水彩画が気になった。
(といっても、カンディンスキーの線と色の解釈が出来るわけでもないけど・・)

平日の午後、美術館めぐりなんて・・学生の贅沢。
楽しい午後だった。

(標題はシャガールの絵より)




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東京ばな奈 - 2002年07月09日(火)

当たり前で、そうあるべきなのだけれど…、
あなたのきもちはもうこちらを向いていないのね、
と、お腹の底から寂しさがこみ上げてきた。

こういうときは、仕事など、きびきび身体を動かしているほうがいいんだろうね。

+++++
3週間ほど前、母に(今まで何回口にしたことだろう)
「一人で生きていくのが辛い」と訴えたところ、
母は「あらぁ、私がいるじゃない。一人じゃないわよ」
といった。それはそれで真実である。確かに真実である。

が、何かが・・微妙に違うような気がする・・

いや、母が言ったように、
「二人でいても心が通い合っていないのは本当に寂しい」
のだろうけれど。。

自分が愛されて、自分が愛する対象がいる、
生きていくための自己愛、にしか過ぎない(?)、
のか、生きていくには必要なのか、よく分からない。

正解はなんだろう。(そんなもの、ありもしないのかもしれないけど)

+++++
昨日、「東京ラブストーリー」を読んでいてなぜほっとしたのか。。

思うに任せぬのが人間関係であり、そしてそれは起こりうることで、
そして心の赴くようにするしかないのであり。。
と作品に頷いたからだろう。

+++++
台風が近づいている。

今日のお菓子は、東京ばな奈のバナナ・ゴーフル。


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東京ラブストーリー - 2002年07月08日(月)

今日は、柴門ふみの漫画「東京ラブストーリー」に、心癒されました。
改めて、良くできてるなぁって思ったりとか。

時に人は奔放な赤名りかになるのかもしれないけど、
ほどほどの幸せのために一生懸命で、
そしてその幸せが幸せでたまらないものである人生となればいいの、かな。





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エンピツ利用開始 - 2002年07月07日(日)

新しい日記形式を利用してみることにした。
書きたいことはいろいろある。
最近読んだ本。町沢静夫「「いい人」はなぜ心を病むのか」

+++++
このエンピツ、友人のお勧めだけあって使いやすい!
色合いが、ふふふ、あっというまにわかこ色ざます(私の部屋はこんな感じ)。

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バイト先で、バイトの合間に「噂の真相」「週刊文春」を読む。山崎幹事長も、辻仁成も、中山美穂(ダメ男が好きらしい)も・・。。記事でスカッとしたのは、「週刊文春」の岩井俊二(映画監督ね)の対談(by糸井重里)、室井滋のエッセイか。

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一見幸せそうな現代消費社会。
とんでもない事が、ごろごろ転がってる。

危うさの上の、もろさの上の、華やかさ。

上を向いて、前を向いて、歩いて行きたい。




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勉強は誰のために? - 2002年07月06日(土)

 家庭教師で教えている生徒が、ふと、勉強は誰のためか、といい始めた。
お母さんのためじゃないよねぇ、というので、自分のためだよ、といった。
あなたがなりたいものになるのには避けて通れないよね、と(自発的な資格修得や再受験を経験すると、こういう視点に切り替わると思う)。

 そうだね、お母さんのためじゃないよね、といいながら、うなづき合っていたが、
彼女は続けた。
「学校の先生が、勉強は、みんなのため、社会のため、にするんや、といっていた」
そうだよね。人材は国の、社会の柱。成員の読み書きそろばん能力は社会を支えてきたはず。自分の幸せのためでもあるが、社会的な貢献の第一歩でもある。
 個が社会のために犠牲になる社会がいいとは言わない。が、この幸せしか考えず、3Sのみがトピックになる社会は、それはそれで、人であることを放棄していよう。

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唐突に、「そういやぁ、みんなで飲みたいっていう話、何人からか出てたよな」と、同級生の再受験仲間の「夏休み前・打ち上げ飲み会」を企画する事に。
ギリな日程で思い立って良かった!
この前行ってすごく満足度高かった炭火焼日本料理店(らしい)に予約。
楽しみだぁ。


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!?? - 2002年07月05日(金)

この日に関しては何を考え、感じたのか、記憶が判然としない(13日現在、私的メモも残っていない)。
授業に三つ出て、そのうち統計ではほとんど居眠りしていた、そして夕方家庭教師に行って、帰り前の日に乗り捨てた自転車をピックアップした、そんな日だった。


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傾眠 - 2002年07月04日(木)

・カウンセリング
・傷ついている事を・・そしてそこに問題があることを・・認めようとしていなかった。認めたくなかった。
・不倫うつ病があるのね。(←町沢静夫の本より)


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日記の空白。 - 2002年07月03日(水)

一月ほど、日記を・・時折ゲストブックにしたためてみたりしたが・・空白にしていた。この間の日々の所感は、おそらく、自分の私的メモの残存分をなんとかつなぎ合わせる、或いは、携帯メールのやり取りをそのまま載せるほうが余程その時々を再現しやすいかもしれない。

また、振り返って書くこともあるかもしれない、そんな空白。



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