ロマンティスト・テイスト...jovanna

 

 

brainchild’s初LIVE DVD - 2012年01月26日(木)

brainchild’s初LIVE DVD
『brainchild’s Electric na tei de TIPP11』が届いた。
2ndアルバム「PANGEA」が凄く良くて、
エマさんがギターを弾いて、歌っている姿を見てみたいと待ちかねていた。
とは言いながらも、CDでとは違って、実際のLIVEで、ギター弾きながらの
ヴォーカルは、もしかしたらちょっと危なっかしいのかも?などと、
非常に失礼な危惧も抱いていた。
けれど蓋を開けたらそんな杞憂は、吹き飛んだ。
思っていた以上に、センターマイクで歌うエマさん、
もうエマさんて呼ぶのは似つかわしくないのかな?
ギターを抱えて歌う菊地英昭の姿の美しさに見惚れた。
ジャケットになっているシルエットだけでもう痺れる程だったけれど。

一曲目は、インスト曲「PANGEA」、これは、超大陸、
海ということなのだろうけれど、
何故か私は、太古の森、原始の森をイメージした。
生い茂る原生林に深い霧が立ち込めてやがて生命が息づき始める
とでもいうような。ゾクゾクしちゃう格好イイ始まりだ。
2曲目「Race」からエマさんのヴォーカル曲が始まる。
偉そうな物言いで申し訳ないけれど、歌上手くなったよねえ。
堂々とした歌いっぷりだ。華やかなオーラが眩い。
ギターソロ、この音、弾き方、好きだ♪
続いてKEITAさんのヴォーカル曲「The Cage」。
KEITAさんはこのLIVEでエレキギター、アコースティックギター、
ヴォーカル、コーラス、キーボード、タンバリンと正に八面六臂の活躍
なのだけれど、特にヴォーカルでは七色の声を駆使してると感じた。


アコースティックコーナーは、「NO FEAR」「金色」。
柔らかく暖かなエマさんの歌声に優しく包まれた。
エマファンの友人に「病気だ」と言われるけれど、
やっぱりどうしても「金の子」は、あの人の事だとしか思えない(笑)
「Unbrella Flower」これはKEITAさんのヴォーカルもエマさんのギター、
ノキアさんのギターも、ベースユマさんもドラム早川さんも
丸ごと全部本当に大好きだ。
「chain」これは、会場一つに盛り上がるだろうなあ。羨ましい。
「cardiod」エマさんとKEITAさんのこの絡まり合い方、凄い。
「Wana go home」深く強い想いが大きく膨らんでまとまって、
確かに北へ伝わったことだろう!
『僕なりのブルースですかね』って語って始まった「心々」。
心の重荷をふっと軽くしてくれるような。好きだ♪
「フクロウの晩餐」自分も一緒にステップを踏みたくなるような
不思議な楽しい曲だ。
「there」KEITAさんの歌声、このメロデイ、浮遊感のある心地良い曲だ。
「サドンデス」ノキアさんのギターに惹きつけられる。
そして気持ち良さそうに楽しそうに歌うエマさんの笑顔に見蕩れる。
ラスト近くでギター弾きまくるエマさんの姿が滅茶苦茶格好良くて痺れる。
生LIVEを見に行く事は叶わなかったけれど、
こうしてDVDを出して下さってありがとうございます。

副音声収録映像も物凄く楽しそうで、このバンドの和気あいあいさ加減が
良く分かって微笑ましい。
副音声は、明日堪能しよう♪




あなたにもあげたい - 2012年01月25日(水)

吉井和哉 Flowers&Powerlight Tour 2011で演奏された
THE YELLOW MONKEY曲「Chelsea Girl」は、
THE YELLOW MONKEY未体験のいたいけな少年少女達を
妖しくエロテックな危ない世界へ誘い込むような曲だ。
この曲を知った当時から、吉井和哉がLIVEで
『あなたにもあげたい』という言葉を発する事で、
お菓子のチェルシーに関係あることと、
多分イギリスで起こった少女誘拐事件が背景にあるのだろうと
思い込んでいた。
ところが実は、これは、
1980年代終わり日本中を震撼させたあの連続幼女誘拐殺害事件に
因んでいるのだそうだ。
この犯人は、既に死刑が執行されて久しいけれど、
事件の長い裁判中に獄中のこの犯人と手紙を交わした少女がいて、
彼がその少女に送った手紙に、彼が子供の頃の思い出で
このチェルシーの歌が心に残っていた事、そして手紙の終わりに
『あなたにもチェルシーあげたい』という言葉が書かれていたのだという。
その事を1992年THE YELLOW MONKEYがデビューした年の秋に
深夜ラジオ番組のパーソナリティーをしていた吉井和哉が、
『物凄く凶悪で恐ろしい犯罪を犯したのは紛れもない事実なのだけれど、
この彼が書いた手紙の文章は、その文通のやりとりは、とても綺麗だっていう、
それも事実』その事がとても考えさせられたというような話をしていて、
それはきっと後に「JAM」での
『あの偉い発明家も 凶悪な犯罪者も みんな昔子供だってね』に
繋がっていくのだろう。
沢山の有名な歌手たちが歌い続けて来た「チェルシーの唄」
甘く優しく幸せに包まれる愛の曲だ。
片や、知る人ぞ知る「Chelsea Girl」。
欲望を抑えきれない人間の愚かさと弱さが垣間見せる
幻想の快楽の歌。
これでこそ吉井和哉!と思わされる曲だ。
Flowers&Powerlight Tour で聴けて嬉しかったなあ。
パフォーマンス含めて大好きな曲だ。
またいつか演って下さい♪

明治チェルシーの唄

作詞:安井かずみ
作曲:小林亜星

なつかしい人に 出会ったような
やさしいたよりが いまとどいた
忘れかけていた 幸せ
あなたにも わけてあげたい
ホラ、チェルシー
もひとつ、チェルシー

小さな願いが かなったときの
うれしい気持は もうかくせない
歌いたくなるような 一日
みんなにも わけてあげたい
ホラ、チェルシー
もひとつ、チェルシー

口笛ふきたい 胸をおさえて
この手のなかには 愛の夢が
わたしにはわかる 明日が
楽しさを わけてあげたい
ホラ、チェルシー
もひとつ、チェルシー 




「NAI」の世界 - 2012年01月16日(月)

1997年4月19日に発売されたTHE YELLOW MONKEY
12枚目のシングル「LOVE LOVE SHOW」のカップリング曲が
「NAI」だ。
1997年春に行われたアリーナツアー「FIX THE SICKS」の初日、
吉井和哉は、MCでいきなり
『昔、阿部定っていう人がいて、アノ時に相手が首を絞めてって言うから、
締めたら死んじゃって、仕方ないから相手の局部を
(THE YELLOW MONKEYでいうところのミルフィーユを)切り取って
持ち歩いたという話をして、
『タイトルはナイです』といって新曲「NAI」を演奏したのだそうだ。
この年の1月に発表された6thアルバム『SICKS』中の
「紫の空」に“気持いいなら首を絞めるよ”というフレーズがある。
濃厚で危険なエロスの極致が匂う曲だ。
それに対して「NAI」は、吉井和哉曰く
『イエローモンキーが一番幸せな時期の、
一瞬の空気を切り取ったような曲』だそうで、
一見、儚い綺麗な曲調だ。
吉井和哉はこの曲に『究極の純愛』を描いたのだろうと思う。
傍にいて、寄り添って、口づけを交わして、、、
だけれど、だからこそ、より一層、「喪失」の恐怖に怯える。
この「NAI」は、性器がない男と女の愛の歌、
いや女と女の歌だという意見もあるけれど、
私は、吉井和哉の愛する映画「髪結いの亭主」も連想してしまう。
愛が時を経て失われる事を恐れて自ら命を絶つことで永遠の愛を
手にしようとした妻、妻を愛するあまり幻想の中で永遠の愛を
求めた夫、男と女、決して交わらず「理想の究極の愛」は、
得られ「NAI」というような。
儚く綺麗な歌だけれど、本当は、最高に、
残酷な歌だと私は、思う。









「ダビデ」と「おじぎ草」のお話 - 2012年01月13日(金)

吉井和哉質問コーナーで、もう一つとても気に為ったのは、
「ダビデ」についてだ。
Q.ダビデの終わりの方、
ギロの音に隠れて、吉井さんの声が聴こえる
気がするんですが、空耳でしょうか?
なにやら語られているような・・・

A.はい。語ってます。
ライブでもやってましたよ。
何を言っているかは内緒。

「内緒」と言われておとなしく引き下がれはしない(笑)
何度も録画映像を見返すが・・・無理だ。
仕方ないので、以前この「ダビデ」と対になっていると話していた
「おじぎ草」を聴いてみた。
歌詞検索「おじぎ草」
゛朝になって 帰りました 鳥のように”
そして「ダビデ」の
゛人でない人を愛したと 石像にされた” という歌詞から、
この「おじぎ草」は、人ではない=女神と連想した。
人間の男と愛し合い、朝になって飛んで行く、、、
暁の女神Eos(エーオス)ではなかろうか。
エーオスは、月の女神セレーネーの姉で美しく、
つねに男性の欲望を目覚ますように生まれついていた。
ある時、軍神アレースと恋に陥った為、
愛の女神アプロディーテの怒りをかい、
人間の男との恋に身をやつすようにされてしまったのだ。
美しい人間の男を誘惑し虜にする。
けれど夜明けが近づくと、愛する男との褥を離れ、
バラ色の指で翼を付け、サフラン色の衣裳を纏い、
Lampos(光)とPhaethon(輝き)という名の
2頭の馬に曳かれた戦車に乗って、太陽神ヘーリオスの先駆けとして
天空に駆け上がって行くのだそうだ。
エーオスに愛された人間の男達は、それぞれ酷い目に合うのだけれど、
この女神のような「おじぎ草」に愛されたのが「ダビデ」だとすれば、
石像にされて目を奪われるくらいはあり得るかもしれない。
”神に何を思われても僕はただの人間でありたい ごめんなさい”
”生まれ変わったら 何がいいかな
少し大きな鳥がいいかな
そしてまた君に逢いたい
Oh my baby その日まで この目を忘れないで
朝日に向かって並んで飛んで行こうよ”

「ダビデ」が生まれ変わって鳥に為れれば良いね。
目も取り戻せれば良いけれど。
それにしても、やっぱり男性の方がロマンチストだ。
女は、怖い♪




「母いすゞ」の世界 - 2012年01月10日(火)

「母いすゞ」の世界
2012年新年初の「吉井和哉への質問」回答に、
「母いすゞ」長女に関するものがあった。
Q.母いすゞの長男の部屋は物置に、
次女とは会話が無い、
父ジャンとは音沙汰が無い・・・
次女ということは長女がいるはずですが、
長女の描写がありません。
これは長女の目線から見たお話ですか?
長女はどうされてますか?

A.果物にたかる蠅追っ払って
がヒントかもしれませんよ

この「母いすゞ」が発表された頃、
ちょうど我が家の長女が結婚間近だったので、
当然のように「母いすゞ」の長女も嫁いでいるか、
自立して平穏に暮らしているのだろうと思い込んでいた。
それが、『果物にたかる蠅』とは!

これは、熟しすぎて蠅がたかる程まで置かれたままの果物、
仏壇に供えられているという事なのだろうと思う。
それでも、この「母いすゞ」は、最後の歌詞の
『母いすゞは 強かった』で表されているように、
過去形=母いすゞは既に他界しているのだろうし、
この歌は、「母いすゞ」の暮らし振りを見守っている第三者の
視点で歌われているのだと感じる。
そうだとするとやっぱりこれは、肉体は滅びても、
まだ精神がこの「母いすゞ」の元に留まっている長女の視点
なのかなあと思ってしまう。
病気でだったらまだいいが。自ら命を絶ったなら辛すぎる。
子供を亡くすだけでもどれ程の悲しみかと思うのに、
自殺で我が子を見送らなくてはならぬなど、絶望の極みだ。
『港町』
『かれこれもう十何年と音沙汰がない 父ジャンとは 』から
女好きのイタリア人船乗りジャンは、日本の港町でいすゞと
恋に落ち子供三人もうけるけれど、悪い虫が騒いで
どこかへ旅立ったまま音信不通。
(でもいすゞ母さんは、いつかまたふらっと戻ってくるのではと
淡く願っている。)
『一度でも愛した人のこと けなすもんじゃないよ』
これは「母いすゞ」自身の矜持とも為っているのだろう。


「いすゞ」という名前から、昭和の中程の時代だと連想されるので、
その頃はまだ外国人とのハーフへの偏見も酷かった筈。
という事で、子供達もそれぞれイジメや差別を受けただろう。
その結果、子供達の「母いすゞ」への反発も大きかったろう。
それでも「母いすゞ」は、今日も、
家を出て行ったまま何年も経つ長男の身を案じている。
多分口もろくに聞いてくれない次女の為に、
光る煮芋を作りサンマを焼く。いつもと変わりなく。
「いすゞ」は、港の荷上げの手伝いで手間賃を貰う。
『エンヤー船が出た エンヤー水揚げだ』
美輪明宏の「ヨイトマケの唄」を思う。
北島三郎の「与作」゛ヘイヘイホー”もよぎる。
日本人の原点の温もりと力強さを感じる。
辛い事、哀しい事、切ない事、いっぱいあるけど、
そればっかりじゃないよ。
強くあろうね!
そういう歌だと思う。





愛・哀コントローラー - 2012年01月01日(日)

20011年12月28日武道館では、「FINE FINE FINE」、「RED LIGHT」、
「嘆くなり我が夜のFantasy」のモンキー曲出現の衝撃、
新しくより強く響いた「HATE」、ダチョウ倶楽部との「マサユメ」の盛り上がり等が
印象的だったけれど、今ふっと唇をついて出てくるのは、
「煩悩コントロール」の
“嵐の中で見つけた金属はまた新しい扉を開く鍵 ”のフレーズだ。
赤と青の照明に照らされて歌う吉井和哉は、息を呑む程美しかったなあ。
”青い龍が空を駆け抜け”で
左右のスクリーンを駆け昇って行く青い光の龍。
それがいつか金色のDNAの二重螺旋の光に変わって、
スクリーンも照明も本当に綺麗だった。
お経のような呟き部分は、多分こうだろうと思う。
”愛別離苦(あいべつりく)怨憎会苦(おんぞうえく)
)「五蘊盛苦」(ごうんじょうく)・・・”
愛する対象と別れねばならない「愛別離苦」(あいべつりく)
憎む対象に出会わなければならない「怨憎会苦」(おんぞうえく)
求めても得られない「求不得苦」(ぐふとっく)
「五蘊盛苦」(ごうんじょうく)
色(しき) =すべての物質を指し示す。この場合、「身体」機能が活発であるために起こる苦しみ
受(しゅ) =物事を見る、外界からの刺激を受ける「心」の機能
想(そう) =見たものについて何事かをイメージする「心」の機能
行(ぎょう)=イメージしたものについて、何らかの意志判断を下す「心」の機能
識(しき) =外的作用(刺激とイメージ)、内的作用(意志判断)を総合して状況判断を下す「心」の機能。
五つの要素(五蘊)、つまり色・受・想・行・識(身体・感覚・概念・心で決めたこと・記憶)のそれぞれに執着することが苦しみなのだそう。仏教では四苦(生・老・病・死)に、「愛別離苦」「怨憎会苦」
「求不得苦」「五蘊盛苦」または「五陰盛苦」を加えて「八苦」。
これが「四苦八苦」。

「五陰盛苦」(ごおんじょうく)
この五陰とは、
「地」は大地のように固い骨。
「水」は唾液とか血といったような液体。
「火」は熟、つまり体温。
「風」は呼吸。
それらが集まって「空」。この五つが人間の精神的作用を構成しているとされ、
「五陰盛苦」(ごおんじょうく)とは、人間生存自身の苦。
”全てを渡され僕らは生まれてきた
全てをクリアして心のドアをひけ" って吉井和哉は、歌うんだね。
「愛」は、「苦」であり「哀」。

”109に増えてしまった煩悩 ”なんて
到底私には、コントロール出来ないけれど、
閉じた心のドアを開く鍵を見つけに行かなきゃなあ♪







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