ロマンティスト・テイスト...jovanna

 

 

YES-YES-YES - 2007年01月31日(水)

GIGS3月号に掲載された吉井和哉武道館レポは、武道館初日12月27日のものだった。
TVで生中継されたのは、28日LIVEだったし、今度発売されるDVDも28日の映像、
最後の最後に演奏されたのが吉井和哉弾き語りの「JAM」だった事もあって、
話題に上るのは、28日LIVEばかりだった。
私自身が参加出来たのが27日だけだったから、GIGSで取り上げて貰えた事が嬉しい。
スカパーで録画した映像を何度も見返したお陰で27日の記憶が
すっかり薄れていたので、GIGSの記事であの日の事が甦って来た。
吉井のMCで『お母さん、日本でコレが出来るのは俺だけなんだよ。』という箇所、
台所に立ったお母様にすっかりスルーされちゃったというオチで会場が大いに沸いたんだったね。
でもGIGSのライターさんが書かれている通り、今のこの音楽シーンで、
金髪であんなフリフリブラウスでキラキララメパンで、スパンコールの手袋で、
ミラーボール煌かせて武道館でロックン・ロール演れる男が
吉井和哉以外に存在するだろうか。
「THANK YOU YOSHII KAZUYA」と題された吉井和哉という一人のミュージシャンの
集大成のようなセットリストを魅せつけた2時間のLIVEは、
28日がTV中継のカメラ&後のDVD化を少なからず意識していたものと違って、
より自然体の本来の吉井和哉のLIVEに近かったのではないかと感じた。
27日のセットリストで言えば、「SPARK」「太陽が燃えている」
「バラ色の日々」「LOVE LOVE SHOW」「パール」と全23曲中
5曲にものぼるTHE YELLOW MONKEYの曲達。
ファンの中には、色んな受け止め方があるようだ。
後に明らかになった吉井の事務所からの独立という事柄を受けて、
このツアーを最後にイエローモンキー曲を封印するからだとか、
ソロ曲だけでは集客に不安があるからだとか。
私にはとてもそんな風には聴こえなかった。
営業戦略だの業界の思惑だの、そんなものに吉井和哉が縛られてたまるか。
私は、吉井があの曲達を歌いたいから歌っているのだと、ただそう感じた。
音楽の道を歩いて来た吉井和哉の行程を
ありのまま示してくれたのだと思う。
何一つ否定する事無く。
LIVEでは、演奏されなかったけれど、私は「SEET CANDY RAIN」に
繋がっているのじゃないかと感じている。


「ありがとうありがとう
私に流れた色んな人たちの血」
So she was crazy
まぼろしの
Sweet candy rain は止み
救いだった神にすらもう
Say goodbye
Say goodbye say
もう誰のせいにもしないって 
(「SWEET CANDY RAIN」YOSHII LOVINSON)


『もう誰のせいにもしないって』という
力強い肯定の言葉だ。
他者も自己も否定しない。
ただありのまま受け止める。受け入れる。
「肯定の言葉」で連想したのは、

ジョン・レノンがオノ・ヨーコと出逢ったきっかけになった
部屋の中央に置いてある梯子を観客が昇って天井を虫眼鏡で覗くと
小さな文字で「YES」と書いてある"Ceiling Painting" という作品だ。

YES-YES-YES

振り返らないで いま君は素敵だよ   
(「YES-YES-YES」オフコース)

私は、吉井和哉の今が好きだ。






この美しいものを 守りたいだけ - 2007年01月26日(金)

「別冊カドカワ」スガシカオ特集号の「Born in’66」コーナーで
スガさんと同じ1966年生まれの吉井和哉が自らの音楽ルーツを
語っている。
『レトロなにおいの」する新しいものが好き』という言葉に
凄く共感した。
興味深かったのが最近また「デビルマン」を読んだという箇所だ。
『最後までくると怖い怖いって思いながらキターッって、
快感みたいになってました』
私も久し振りに読み返してみた。
初めてこのデビルマンという漫画に出会ったのは随分前の事だけれど、
未だにあの鮮烈な感動が色褪せないというのは、本当に素晴らしいと思う。
特に文庫版第5巻の、飛鳥了が己の正体に気付いてからの怒涛の展開が凄い。
美樹が暴徒に襲われる場面、串刺しにされた美樹の頭部、
不動明の怒りと絶望の爆発。そして最終戦争。
すべてが終わって波打ち際で静かに語りあう了と明。
「ゴゴゴゴゴ・・・」と轟音を轟かせて浮かび上がる曼荼羅のような光。
最高に美しいラストシーンだ。
吉井は、今読んでみて色々なテーマが隠れていた事に気付いたと語っている。
『同性愛、宗教、輪廻・・・』
テレビアニメ「デビルマン」のエンディングテーマ曲
「今日もどこかでデビルマン」の中に
“人の世に愛がある 人の世に夢がある
             この美しいものを 守りたいだけ”というフレーズがある。

吉井和哉の歌に密接に繋がっていると感じた。
吉井は、本当にこの「デビルマン」に強烈な思い入れがあるのだろうなあ。
ミック・ロンソンの「Sloughter on 10th Avenue」ライナーノーツに寄せた
『1984年僕は、まるで不動明がデビルマンに
なる為に、飛鳥了の家の、地獄の扉を開けるかのごとく、
一生を変えられてしまう体験をすることになる。』と形容して
ボウイとロンソンの『Life On Mars』を初めて聴いた日の衝撃を記している事でも
判るけれど。
「デビルマン」は、吉井にとって『悪魔の力身につけた正義のヒーロー』として
とても大きな存在なのだろう。
でもね、私は、吉井和哉=不動明=デビルマンだけでなく、
吉井和哉=飛鳥了=堕天使ルシファー=サタンでもあると思っている。
吉井という人間は、人の痛みも苦しみも怒りも喜びも、
弱さも強さも、聖も邪も全て呑み込んで
そして歌にして吐き出せる人だと思っている。
奇麗事だけじゃなくていい。
これからも吉井和哉には、生と性と死の深淵を
聴く者にするっと覗き込ませてしまうような歌を歌って行って欲しい。







吉井和哉コラム更新 - 2007年01月22日(月)

昨日放送された「吉井和哉at武道館」の映像を見終わった頃、
まず携帯サイトで吉井和哉のコラムが更新されていた。
先日KY BBSに現われた吉井が、普通なら一週間掛かるところを
とても作業が順調に進んで3日でMIX作業を終えたと話していた
この「武道館LIVE DVD」が、4月4日に発売決定とのニュースも発表された。
通常盤には、武道館LIVE DVDと「BELIEVE」PV、インタヴュー、未公開映像、
そして初回限定盤には、武道館LIVE音源CDも付くのだとか。
TV放送のは観たけれど、吉井が編集した映像や音源が
どんなものか本当に楽しみだ。
そして今回のコラム、携帯の小さな画面で文字を拾い読みするだけでも
胸が熱くなった。
TVの画面越しに観ているだけでも、あの12月28日武道館
会場の密度の濃さは、私にも判った。
『前世からずっと一緒だった人達が集まっていたような
親近感とは違う、妙な密接感』かあ!
『全ての呪縛から自分を解き放つ事が出来た・・・10年に一回出切るかのライブ』
そう言えるだけの達成感、充実感があったという事が嬉しい。
節目の年、節目の月日に武道館に立てて、「JAM」を演れて本当に良かったね。
『これからは毎年やらせてもらいます』
何て頼もしい言葉だろうか。
今年こそは、この12月28日という記念日を
私も皆と一緒に武道館で祝いたい。




溢れてきたのは愛それだけ - 2007年01月09日(火)

「メカラウロコ8」の映像を見た。
市販されたものではなく、WOWOWでの東京ドーム生中継の映像だ。
何度見てもLIVE前の控え室のメンバー4人+三国さんが映し出される
あの光景から、心臓がバクバクし始めて、皆がステージに上がって
「ジュデイ」が鳴り始めるあの瞬間で早くも涙が零れてしまう。
歌う吉井が、ギター奏でるエマが、ベース爪弾くヒーセが、
逞しいドラムのアニーが、そして華麗にキーボードを響かせる三国さんが
私は、これ程までに好きなんだと思い知らされる。
何年経ってもTHE YELLOW MONKEYは、鮮やかに私の中にいる。
何年経ってもTHE YELLOW MONKEYを忘れる事は、出来ない。
2001年1月8日THE YELLOW MONKEYは、活動を休止した。
2004年7月7日THE YELLOW MONKEYは、解散した。
2007年1月8日吉井和哉は、長年所属した音楽事務所BOWINMAN MUSICを卒業した。
吉井和哉にTHE YELLOW MONKEYの未来を願う事は、もう酷い我執だろうか?
けれど、この映像を見ていたら、もう一度この4人+三国さんのステージに出逢いたいと
願わずに居られなくなる。
こんなに好きにさせた責任を取って欲しい。
昨日1月8日にKY BBSに書き込まれた吉井和哉のコメントに
『社長の大森さんは「がんばって、やれるだけやってこい」と笑顔で励ましてくれました。』と
あったけれど、これはいよいよ海外に活動拠点を移すという事だろうか?
余計な心配をするのはもうやめた。
どんどん好きなだけ好きな景色を見に行けば良い。
安穏な生活に留まるのは、吉井和哉に似つかわしくない。
苦難の道を悩み呻きそして自分の歌を紡ぐのが吉井という男だ。
生きたいように生きてそして果てて欲しい。
願わくば、うんと長生きしてその道筋を見届けたい。





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