ロマンティスト・テイスト...jovanna

 

 

絹のように - 2005年11月25日(金)

「月刊エッセイNo.15」で映像監督の岡田俊二さんが
LIVEを残すところあと東京4ステージになった或る日、
都内の公園で吉井にインタヴューを行った話をされていて、
先日放送された関東ローカルのTV番組で放送されたそうだ。
きっとそれが「STILL ALIVE」のDVDに入るのだろうと思っていたのに
実際は入っておらず、とても残念に思っていた。
けれど心優しい方がそのインタヴュー部分を文字起こしして下さって、
拝見する事が出来た。感謝です!
番組放送当時YLOFCのBBSで吉井のインタヴューについての書き込みを見てから、
注目していた『絹』という言葉は、参照
「絹」なのか。。。
シルクではない、日本語の「絹」なんですね。
「絹」のしなやかさ、きめ細かさ、手触り、そして日本語の「絹」が
持つ気品と重み、そういうもの全てが籠められた想いが伝わって来るようだ。

『ちゃんと絹のようだったって』
吉井がファーストライブツアーを、そういう風に捉えてくれている事が嬉しい。
しなやかに柔らかくYOSHII LOVINSONの世界に包み込まれたような感触を私も受けた。




STILL ALIVE - 2005年11月23日(水)

STILL ALIVE「YOSHII LOVINSON TOUR 2005 AT the WHITE ROOM」
フジTV721の放送とPVは既に見ていたから、
今日はまずDISC2の「TOUR DOCUMENTARY」を見た。
「スティルアライヴ」という曲がバンドの曲になって行くまでの様子、
ツアーが始まる前にまず、吉井がエマさんとバーニーさんに
「スティルアライヴ」のギターの音を伝えている様子が映し出された時点で、
このドキュメントに期待していた甲斐があったと確信した。
吉井と根岸さん、あっくん、バーニーさんそしてエマさん、
まだみんな初々しく緊張まじりに音を合わせていく。
それが次第に、ドラムとベースと二人のギターがしっくり響き始めて
吉井の歌がそれらの音に乗せられて一つの曲が形に為っていく。
挿入されている吉井のインタヴューで
『もともと一人でギターを弾いていた「スティルアライヴ」を
バーニーさんとエマに振り分けるのは大変だった』とか
『THE YELLOW MONKEYの時は、皆がそれぞれ音を作っていたけれど
ソロになって自分が(例えばベースならベースの)音を指示するという
事の重さを判った』というような事を言っていたのが印象的だった。
例えば根岸さんならもっと上手く綺麗に音を纏められるだろうところを
でもそれをすると「YOSHII LOVINSON」では無くなるだろう?みたいな。
新潟初日を迎える前日、新潟フェイズのステージのマイクの前に立った
吉井の表情がさっと変わった場面が一番心に残っている。
ロッキンオンの兵庫慎司さんのインタヴューに答えていたように、
あの時吉井は自分が還るべき場所を自覚したのだろう。
吉井にとって『バンドとしての生命体と想える存在は今でも
THE YELLOW MONKEYだけなのだ』と彼は言う。
この「YOSHII LOVINSON TOUR 2005 AT the WHITE ROOM」を共にした
メンバー達は、もっと互いが自立した運命共同体のような存在なのだそうだ。
『それぞれ別の時間を過ごして来たメンバーが、曲で、ある瞬間で放出或いは
放電する瞬間があるだろう』
このニュアンスが非常に吉井らしい。
彼にとっては、THE YELLOW MONKEYが「生涯一バンド」なのだろう。
けれど、吉井とこのメンバー達は、吉井の想像以上の大きな力を
放電していたのではなかろうか。
仙台、名古屋、それぞれの会場風景、そして最後の地東京でのLIVEを
前にしての吉井は、ツアーでの確かな手ごたえが自信となって
より逞しさと艶やかさを増していた。
「TOUR DOCUMENTARY」の最後に収められたZepp東京での「スティルアライヴ」は、
吉井自身とメンバーとそして吉井和哉を待ち続けたファンと
ツアーに参加した全てのファンの心を吸い込んで、深く澄んだ大きな力を
持った曲に成長していた。

「YOSHII LOVINSON TOUR 2005 AT the WHITE ROOM」に参加出来た事を
幸福に思います。
このDISC2を製作してくれたスタッフの方々に感謝します。




あれから僕たちは・・・ - 2005年11月11日(金)

『THE YELLOW MONKEYは、2001年1月8日の東京ドームの公演で
活動を一旦休止し、メンバー各自充電期間に入ります。
各自の活動は今のところ未定ですので、何か決まりましたら
追ってご報告させていただきます。

                   THE YELLOW MONKEY
         吉井和哉 菊地英昭 廣瀬洋一 菊地英二
                     2000年11月11日』

Petticoat Lane会員の皆さまへ と題された
あの白い紙の日付は、今日11月11日になっている。
あれからもう5年経つ。
実際にこの封筒が届いたのは、11月16日だったと思う。
ネット上で既に第一報を知らされていたとはいえ、この文面を
目にした時のあの足元が崩れるような衝撃と恐怖は、今も忘れる事が出来ない。
去年のあの7月7日に決定されたという解散の知らせが
8月2日にもたらされた時も、それは勿論ショックは大きかったけれど、
5年前のあの日の方が痛手は深かった。
私は、THE YELLOW MONKEYは危機を脱したのだと思い込んでいたから。
それでも、あの頃はまだ「解散」だけは無いと私は信じ込んでいた。
解散しない為に、続ける為に未来の為に、「休止」を選んだのだと。
本当は、彼等の中で(特に吉井の中では)既に気持ちの決着が出ていた事を
後になって知ったけれど。(参照・中原繁氏へのメッセージ
あれから5年、それぞれ充電期間をとったメンバー達は、
まず廣瀬洋一がHEESY WITH DUDESを旗揚げし、
実にヒーセらしいご機嫌なロックン・ロールを奏で、この年末に向け
短くも華々しいHEESY WITH DUDESという一つのバンドに終止符を打とうとしている。
吉井和哉は、2003年10月YOSHII LOVINSONとしてデビューを果たし、
4枚のシングル、2枚のアルバムをリリースし、
夏には待望のLIVEツアーを成功させ、今年一杯で
YOSHII LOVINSONを卒業し来年からは
本名の吉井和哉と活動するのだと宣言している。
菊地英昭は、YOSHII LOVINSONのアルバム「WHITE ROOM」に参加、
LIVEツアーにも参加して、麗しい姿を見せてくれた。
そして菊地英二は、長い充電期間の後、今年の夏から、
河村隆一、吉川晃司、そしてレナード衛藤など、様々なアーティストとの
コラボレーションの場に勇姿を現せてくれている。

あれから、彼等はどれくらいの道のりを歩んで来たのだろう。
“青い陽の中で目指したものを”

そして私は、どれくらい歩いて来れただろう。
「峠」という曲で私が感じた虹を、私は今も信じている。






歌伝説ちあきなおみの世界 - 2005年11月07日(月)

BS放送「歌伝説ちあきなおみの世界」を見た。
1時間半という時間が本当にあっという間に思える程、
密度の濃い時間だった。
私は、ちあきなおみが歌っている映像よりも
コミカルなあのCMや愛嬌のある女優としての演技の方が
映像としては良く覚えている気がする。
だからデビュー曲「雨に濡れた慕情」を歌う姿に驚いた。
髪をなびかせ自転車で走り、公園の遊具で遊ぶデビュー当時の映像が
新鮮だ。この番組は、「歌手ちあきなおみ」の誕生から、
時を経てそれぞれ代表的な曲の映像を散りばめ、何人かの方々が
コメントを出していらっしゃるのだけれど、船村徹さんの
『(ちあきなおみは)おたまじゃくしの裏側を歌う事が出来る』
との言葉が印象的だった。
単に情感を籠めるとかいう次元じゃない。
「紅とんぼ」そして、
私の大好きなあの「朝日のあたる家(朝日楼)」の歌唱を見られて感激した。
紅白で歌ったという「夜へ急ぐ人」の迫力はどうだ!
当時のちあきなおみのインタヴューで、『ステージやLPで
好きな歌を歌う』と語っていたのが心に残った。
『歌いたいという気持が心の中に沸いて来る』だったかな?
ポルトガルのファドという歌を取り上げて歌った「霧笛」。
魂を震わす歌だ。
歌を演じるという次元を超えて、観る者聴く者をちあきなおみという
一人の輝きに呑み込んで仕舞うような「ねえ、あんた」。
圧倒された。
これだけの歌い手が突然表舞台から去って仕舞うなんて
本当に残念だ。
CM曲で流れる「黄昏のビギン」が甘く切なく胸に沁みる。
歌手ちあきなおみとしてはもう私達に歌を届けてくれる事はないのかも
しれないけれど、本名に戻った一個人としての彼女は今も、
自分自身、そして亡くなった愛する人の為に歌を歌っていて下さると
良いのにと思う。




NewSingle「BEAUTIFUL」 発売決定 - 2005年11月01日(火)

今日11月1日から始まったVirgin Musicストリーミング映像
YOSHII LOVINSONスペシャルトレーラー期間限定独占公開
http://www.toshiba-emi.co.jp/vmc/issue/issue_52.htm
11月23日発売のLIVE DVD「STILL ALIVE」のさわりをちょこっと
流すくらいだろうと思っていたけれど、「スティルアライヴ」
、ツアードキュメント映像、「TALI」「欲望」の一部、
それに何と「FINAL COUNTDOWN」は1曲まるごと、
その上2006年1月25日発売予定だという
NewSingle「BEAUTIFUL」のレコーディング風景が映し出されていた。
「BEAUTIFUL」では、映像のみで音声はないのだけれど、
随分と髪の伸びた吉井が穏やかに伸び伸びと歌っているように見えた。
「BEAUTIFUL」って言葉は、よく使われる言葉だけれど、
単体で「BEAUTIFUL」だけの曲名は、少ないのじゃないかな。
美しい、綺麗。beautiful は「美しい」を意味する最も一般的な語。
申し分のない、立派な。素晴らしい。素敵な。
吉井和哉としての最初のシングルで吉井は、どんな意味の
「BEAUTIFUL」を歌うのだろう。
「BEAUTIFUL」で私が一番に思い浮かべたのは、
THE YELLOW MONKEYの5thアルバム『FOUR SEASONS』の
タイトル曲「FOUR SEASONS」だ。
“In changing four seasons I'm crying
美しい希望の季節が
  In changing time'n four seasons I'm crying
  すぐそこまで近づいてる”

私は、この歌に何度も助けられて来た。
自分の力だけではどうしようもないと思えて蹲りそうな時も
この歌の新しい時代の幕開けを予感させる力強さに支えられた。
「バラ色の日々」で
“追いかけても追いかけても 逃げて行く月のように
 指と指の間をすり抜ける バラ色の日々よ
”と客席に歌わせ
『ビューティフォー!』と返してくれた吉井の姿を思い出す。
「FOUR SEASONS」や「バラ色の日々」のようにこの新しい
「BEAUTIFUL」も私の大切な曲になる予感がしている。





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