ロマンティスト・テイスト...jovanna

 

 

LIVEで聴きたい - 2005年10月25日(火)

「SWEET CANDY RAIN」発売当時、YOSHIIはこの歌を、
都会の師走の風景、不良少女が何かを決意して・・・という風に
語っていた。自分の中にはこの「SWEET CANDY RAIN」の少女が
いるのだとも表現していた。
私は、この歌の“みんな帰りたい ほんとはもう”ここを聴く度、
胸をぎゅっと掴まれる想いがする。
“救いだった神にすらもう
 SAY GOOD BYE
 SAY GOOD BYE SAY”
神に縋る弱い過去の自分に別れを告げて、
自分という命を育んでくれた血縁や友人や全ての周りの人達の
愛を噛み締めて、主人公の彼女は歩き出すんだよね。
“もう誰のせいにもしないって”って誓いながら。
来年のLIVEツアーで是非、この歌を歌って欲しい。

そして「BLOWN UP CHILDREN」も生で聴きたい。
本当の事を言えば、「BLOWN UP CHILDREN」だけでなく、
この曲の元になった「Momiji Red leaves」を聴いてみたい。
紅葉の季節だから「at the BLACK HOLE」特典DVDの中で
ほんの少しだけ見られる「Momiji Red leaves」が気になってならないのだ。
『この曲はオンエア出来ないから』
“太陽を待ちながら Love ? You Love ?全部赤くなった”
「全部赤」は、子供達の血の色、赤く色付きやがて葉を散らす情景を
思って仕舞うのだけれど、「BLOWN UP CHILDREN」の方は、
争いを繰り返すこの地球という星に生まれた新しい命たる子供達へ
託す希望と願いが感じられてとても清々しく思える。
この曲も本当に大好きな歌だから、LIVEで新生吉井和哉が
どう表現してくれるのか、とても興味がある。
歌って欲しい。




妄想を背負わされた存在 - 2005年10月14日(金)

月2回送られて来るRock In Golden Ageという冊子を
楽しみに読んでいるけれど、今号の「ロック少年の部屋
『俺ロック』」は、あがた森魚さんのインタヴューだった。
「赤色エレジー」が誕生した経緯を話してくれている。
『大好きな作品から受けた感動を凝縮することで、登場人物
たちに「僕も同じ気持ちだよ」って返事ができた気がしたな。』と
述べておられる。
映画「赤色エレジー」出演時の長髪・Gパン姿、まるでまだ
少年のような体つきをしたあがたさんの姿や若々しい仲間達の姿が
蘇って来た。一気に30数年遡ってしまうとても大きな力を持った
曲だ。
『一度、ヒット曲という、とんがったオブジェができてしまうと、
歌い手は自分で考えていた以上にふくれあがった、さまざまな
反響に応えつづけていかなきゃいけなくなる―20世紀の
あがたは「赤色エレジー」が生み出してしまった、
そうしたイリュージョンから逃れられず、
その先の、゛答え"を探しつづけていたのかもしれない』のだと、
あがたさんは言う。
THE YELLOW MONKEYの場合、「JAM」や「SPARK」のヒットという
状況が少し似ているのじゃないかと思った。
「LOVE LOVE SHOW」や「BURN」をTVの歌番組で歌う
TVのシンガーの自分達をメンバーはどう捉えていたのだろう。
結構客観的に楽しんでいたのじゃないかなとも思うんだけど。
あがたさんは『ロックが歌いつづけているのは
ウッドストックの時代から変わらない、ラヴ&ピースとか、人に対して
優しくありたいとかいう、たわいない妄想にすぎないんだ。
でもロック・スターはそうした妄想から逃れられない、妄想を
背負わされた存在なんだと思う』と、
『妄想を維持しつづけるのは甘くないんだよ』と仰る。
『作ろうとするものが妄想に支配されているんだから、答えなんて
簡単に見つかるはずがない』
本当にその通りですよね。
『思い通りにいかないこともたくさんあるけれど、それもロック
なんだと思っている』
あがたさんの言葉は、すんなりと心の中に入って来る。
あがたさんこそ『永遠のロック少年』だと思う。
吉井和哉の中にも「ロック少年」の部分はきっと沢山あるだろうけど、
私達が彼に託した妄想や幻想の大きさ・重さを、どうかどっしりと受け止めて
ロックスターの道を究めて行って欲しい。
彼に背負わせた荷の巨大さが時折怖くなる事もあるのだけれど、
この前のジョン・レノン祭やMTVやbridgeのインタヴューを見たら
吉井自身ようやく覚悟がついたというか彼の音楽の使命を受け入れた
ようなので、ますます来年のツアーに期待が高まっている。
希望どおり、名古屋初日と大阪城ホールチケットを確保出来た。
2公演だけだけど、目いっぱい楽しみたいと思う。





MTV「YOSHII LOVINSON LIVE SPECIAL」 - 2005年10月11日(火)

7/4 ZEPP東京での「PHOENIX」「欲望」「CALL ME」
「トブヨウニ」の4曲が流れた。
私が参加出来た7/4の映像だし、「PHOENIX」でLIVE開始というのが
とても嬉しかったけれど、この放送で一番心を動かされたのは、
ロッキンオンの兵庫慎司さんによるインタヴューに応えている
YOSHII LOVINSONの言葉だった。
「新潟初日のリハーサルでステージに立った時に、
マイクスタンドの前に立って、目の前にいつものように
マイクがあって、シンメトリーに客席が拡がっていく光景を
見た時に『申し訳ない』と『こういう聖域を与えられていたのに
そこから逃げていたのかと恥ずかしかった』と、
が〜んと目が覚めました。『ああ、ここしか無いじゃん』と」
N.KホールのMC『この私が無事生還したミュージシャンです!』が
改めて甦る。
吉井和哉は、やっと自らの天命を受け入れてくれた。
与えられた音楽の才を生かす使命に身を尽くす覚悟を決めてくれた。
彼の言葉がとても頼もしく誇らしく嬉しかった。
これからの活動形態について、吉井は、
『新しい形で獣道を歩いて行く』と述べていた。
「けものみち」・・・何て吉井らしいことだろう。
ソロとしての吉井和哉の目指す音楽を
どうぞ思うまま突き進めて行って欲しい。
『何回でも生まれ変わり続ける』吉井から私は、
ずっと目が離せないだろう。




ジョン・レノン スーパー・ライヴ - 2005年10月09日(日)

「ジョン・レノン音楽祭2005」私にとって初武道館だった。
楽天会員&クレジット払いにした為にチケットは、思ったより
ステージに近い席になるだろうと予想していたにも関わらず、
THE YELLOW MONKEYを武道館でこの番号で見られたならどんなにか
良かっただろうにという埒もない考えが浮かんだり、
このコンサート開催間際に来年の〜MY FOOLISH HEART〜LIVEの
告知が出されチケット申し込みも始まったから、意識はそちらに取られ勝ち
だった。
けれど、今日ようやく家に帰って来てしみじみ思うのは、
思い切って参加して本当に良かったと言う事だ。
まずコンサート直前、私と友人の席のすぐ前方の黒い幕が開いて
年配の方がDJとして登場したのは、面白かった。
ニッポン放送の前社長だった方なのだそう。
『30年ぶりにターンテーブルを回しに来ました。』って仰って、
レコードをセットする仕草がとても楽しそうで微笑ましかった。
オープニングに登場したYOSHII LOVINSONは、Tシャツ、カーキ色のジャケット、
ジーンズにサングラスというラフな姿でビートルズ時代の
ロックン・ロールナンバーを 歌った。
ジョン・レノンのフイルムが年代順に映し出されて、
参加アーティアストが順に歌&演奏していくのだけれど、
参加者の中で飛び抜けて歌に惹き付けられたのは小柳ゆきだ。
元々歌の上手い人だと思っていたけれど、「女は世界の奴隷か」は
凄かった。パワフルで表現力もあって良く歌いこんでいるなと感じた。
忌野清志郎さんの日本語訳「MOTHER」「IMAGINE」には、圧倒された。
この人の音楽人生の年輪と生き様と凄みが迫って来た。
清志郎さんのサポートドラムの人がまた素晴らしくて、痺れた。
我がYOSHII LOVINSONは、黒のベルベットスーツにピンクのシャツに着替えて
ステージに登場だった。
1曲目は、2001年のドリームライブの時にも歌った「I'm losing you」。
前回と重複すると思わなかったので予想していなかったが、
前回よりもYOSHIIの歌が上手くなっていた。
贔屓目以上に観客の歓声も大きかった。
「この曲は思っていた以上に歌うのは難しかった」と話して歌い出したのは、
「Woman」。これが流れ始めた時は、凄く嬉しかった。
私は先週、YOSHIIがライブで歌うのは、
吉井自身の再出発を絡めた「Starting Over」
限りない優しさと強さを感じさせる「Woman」
美しいメロディと愛に溢れた「Beautiful Boy (Darling Boy) 」
、今のYOSHIIがどう歌うのか興味深い「Watching The Wheels」と
予想&期待していたからだ。
M.Cで今回も明日が自分の誕生日で39歳に為る事、(歓声を貰って)、
「いやあもう39歳ですから」と照れてみせたり、
今回この「Double Fantasy」から3曲選んだのは、ジョンがこのアルバムを
作ったのが39歳の時期でちょと自分の今の年齢と被っている事など、
他の出演者達がジョンへのリスペクトを率直に述べるのに対して、
YOSHIIは実に吉井らしいある意味純粋なジョンへの気持を述べていたと思う。
3曲目は、ずっとYOSHIIに歌って貰いたいと思っていた「Starting Over」だった。
“it's time to spred our wings and fly・・・・・
 it'll be just like starting over−starting over”
4年前ネットでLIVE中継されていた時よりもずっと自信に溢れ
ロックシンガーとしての吉井和哉がいた。
今日でYOSHII LOVINSONという名前は最後、明日からは吉井和哉と、
彼は話したけれど ステージの上で大観衆の心を一身に掌握したその輝きは、
もう吉井和哉のものだと私には感じられた。
「ねえ、素晴らしいでしょう!?」と周りの大勢の観客達に
誇らしい気持で一杯だった。
歌の途中でジャケットのボタンを外し、鮮やかなピンクのシャツの胸を肌蹴てみせた
YOSHIIの艶やかさは、最高だった。
39歳を迎えた吉井和哉のこれからが益々楽しみだ。
オノ・ヨーコさんのステージは、凄まじいものだった。
物狂おしいダンス、怒り、哀しみ、嘆き、喘ぎ声、咆哮・・・ヨーコさんの
パフォーマンスがこれ程までの物だとは思っていなかった。
男と女、力の強いものと弱いもの、人と人、人種と人種、国と国、
理解し合わなければ、口先だけでただ「笑顔でLOVE&PEACE」と言うよりも
ずっと大きな意味を持つのだと感じた。
このオノ・ヨーコさんだからこそジョンは、魂の片割れとして
愛したのだろうし、ジョンが凶弾に倒れる事無く、ヨーコさんと
あのまま共に人生を送っていられたなら、その未来を奪った暴力が憎い、
力で全てを決する世の中を人は変えていかなければ、という事を
改めて感じた。





君のために - 2005年10月05日(水)


『この冊子でYOSHII LOVINSONという
一人のちっぽけなミュージシャンの抱えたロマンのようなものが
少しでも伝わったら幸せです。

来年から吉井和哉に戻ります。
自分に唯一、
音楽だけに使える“才能”のようなものがあるとしたら
これからも惜しみなく
聴いてくれる君のために
フル活用したいと思います。』

この『君のために』って凄い威力だよなあ。
今朝10時からのチケットぴあの予約で、IDもパスワードも合っているのに
何故かログイン出来なくて、携帯からもやってみて駄目で、
一旦諦め午後になってもう一度遣ってみたら何とか申し込み出来て、
疲れ果てて仕舞って居たところへ、あのYLOFCの封筒が届いたのだ。
グレーの「For Love」の文字の上に浮かび上がるYOSHII LOVINSONの
文章を目にしたら、さっきまでの苛立ちもチケットが無事獲れるだろうか
という不安も全部消し飛んでいた。
会員を継続した大勢のファンへのメッセージだという事は判っている。
けれど、YOSHIIが彼の音楽を届けようとしてくれる
その気持は、ファンの一人一人へ向かっているのだと感じた。


For Love
For Sin
For Greed
For Heart
For Blossom
For Water
For Wind
For Cloud
For Sky
For Star
Forever
Forever
Forever
CALL ME   

と題されたそれぞれのページがどれも宝石のように思えた。
YOSHII LOVINSONのファンで良かった。
「CALL ME」という曲が益々大きな意味を持って胸に迫って来た。
血と見紛う程の真っ赤なペンキを浴びた不敵な面構えのこの姿は、
震えが来るほど魅惑的だ。
この目だ。
獣のように激しく雄々しくひたむきな目をしたこの男に
これからもずっと心奪われ続けて行くのだろう。




bridgeインタヴュー - 2005年10月03日(月)

インタヴュアー渋谷陽一氏がYOSHII LOVINSONソロツアー総括&
吉井和哉への改名宣言に至る心境など、流石と唸らされる程、
きっちり吉井に迫ってくれている。
まず公園で撮影されたYOSHIIの顔が穏やかで、特に見開きページで
前方を見遣る眼差しが力強い自信に充ちているようで、
良い表情だと思った。
草原で腰を下ろし微笑むモノクロの写真がとても好きだ。
「at the BLACK HOLE」の頃の写真とは、本当に顔が凄く変わっている。
N.Kホールでの『無事生還したミュージシャンです!』という発言が
想像以上に大きな意味を持っていたのだという事が良く判った。
『一時はもう、イエローモンキーもないし、
俺は音楽できないかなあってほんとに真剣に思ってた』
『一線を退こうかとも思ってたし』
あれだけの人がもう表舞台に立てないかもとまで思っていたという事が、
何度かインタヴューなどでそれらしい発言があったけれど、
今ひとつ実感出来ていなかった。
けれど今回のこのbridgeで、YOSHIIのあのBLACK HOLEは、
そこまで過酷なものだったのかと改めて感じた。
ソロ初ツアーを終えて「覚悟」が付いたんだね。
『新しい吉井和哉として標準語をそろそろ作っていこうかなって』
頼もしい!
この発言を引き出してくれた渋谷陽一氏に大感謝だ。
「声とメロディと歌詞があれば、それは吉井和哉として成立する」
本当にこれは私も同感だ。
もう色々遠慮なんてしないで欲しい。
イエローモンキーの曲をLIVEで遣りたくなったら演ればいい。
今の吉井和哉がイエローモンキーの曲をどう表現するのか興味深い。
カヴァー曲だって聴いてみたい。
過去に囚われて色々反応する人も中にはいるかもしれないけど、
貪欲に柔軟に吉井和哉の音楽を体感したいと願っている
ファンも多い筈だ。
自由に羽ばたいてください。
今日「ぴあ特設サイト」が開設されて
益々ボルテージ上がって来た。
〜MY FOOLISH HEART〜ツアー楽しみでならない。





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