ロマンティスト・テイスト...jovanna

 

 

僕は天使ぢゃないよ - 2004年03月30日(火)

あがた森魚が林静一の『赤色エレジー』を原作に製作・監督・脚本・音楽・
主演した映画『僕は天使ぢゃないよ』を観た。
冒頭で横尾忠則や大滝詠一と道を行くあがた森魚扮する一郎の
柔らかな笑顔をみて、そして幸子が職場の同僚や掃除のおばちゃんと
突然ダンスを踊り出したり、ハムレットの寸劇が挿入されたりするシーンが
何だかとてもコミカルに思えて、林静一の「赤色エレジー」、
あがた森魚の「赤色エレジー」から受ける印象との違和感に戸惑った。
けれど一郎が故郷へ帰り幼い頃の母親との記憶を回想する場面、
まもなく父の死を知らされた場面などから、どんどん映像と
音楽に惹き付けられて、「清怨夜曲」が流れる頃には、涙が
止まらなく為り「赤色エレジー」では、遂にボロ泣きして仕舞った。
一郎と幸子の激しい抱擁も、全裸の倖子が風呂場で一郎の背中を
流すシーンも、全然いやらしくない。
緑魔子の裸は、本当に綺麗だし、一郎と幸子若い二人の愛の交歓も
切なく哀しさが勝っていた。
愛し合い互いに想い合っていても、日々の生活に磨り減らされて、
擦れ違って、やがて愛の暮らしの終わりの時を迎える。
線香花火のシーンが綺麗だった。純粋だからこそ、途方もない程
綺麗でそして儚い愛の形を象徴しているようだった。
それにしても、凄い出演者達だ。
横尾忠則、大瀧詠一、鈴木慶一、泉谷しげる!
岡本喜八監督が出ているのには驚いた。その他大勢のミュージシャンが出演
していて、あがたさんの人徳なのだろう。
一郎と幸子の暮らす4畳半の部屋の場面はモノクローム、
草原や海や外界の人々の場面は、鮮やかな色彩で。
心象風景を切り取ったような映像も素敵だと思ったけれど、
映画をここまで惹き立てているのは、やはり音楽の力が大きいと感じた。
「乙女の儚夢」「清怨夜曲」「赤色エレジー」「僕は天使ぢゃないよ」
このあがた曲の凄さは勿論だが、「街の君」の西岡恭蔵、「ゆうぐれ」の
友部正人、そして何と言っても「びんぼう」の大瀧詠一、
「それはぼくじゃないよ」「乱れ髪」の松本隆・大瀧詠一コンビが素晴らしい。
音楽と映像が融合されて凄まじい相乗効果を醸し出す逸品だと思う。
今まで知らなかったのが勿体無いけれど、今あがたさんのBOXやこのDVDに
出会えた事を幸せに思う。本当に観て良かった。
付け加えると、幸子が一郎に別れを切り出された場面で
『旅行にだって行かなかった。・・・これから二人で・・・。』と
訴えた言葉に、YOSHII LOVINSONの『TALI』が思い浮かんだ。
アルバム発売時のインタヴューで「TALIのテーマは、9・11」と
話されているけれど、『TALI』からは、「赤色エレジー」の匂いも
感じられる。感じる事は自由だよね。
しなやかに柔らかに色んな事を感じられる感受性を大切にして
生きたいと願う。




バンドネオンの豹 - 2004年03月29日(月)

ジャガーという名を聞いただけで反応する体に為って仕舞っている。
勿論、THE YELLOW MONKEYの「jaguar hard pain」の影響だ。
幻想伝奇小説が好きな私は、高橋克彦氏の「バンドネオンの豹」
「聖豹紀」も読んだ事がある。地球支配をもくろむ魔人を討とうとする戦士ジャガー、
地底王国アガルタを舞台に繰り広げられる
目くるめくロマンに満ちた冒険の物語だ。
けれど何故バンドネオンなのかが、どうも良く判っていなかった。
先日、あがた森魚初期三部作を集めた「あがた森魚BOX」を購入して
聴いていたら改めてあがた森魚の凄さに嵌って仕舞った。
大正ロマンというのだろうか、文語調の詞で奏でられる柔らかで
懐かしいその歌声にどっぷりと浸り込んでいた。
「乙女の儚夢」「キネマ館に雨が降る」が特に好きだ。
あがたさんが制作・監督・主演した映画「僕は天使ぢゃないよ」の
サントラDisc: 3はまだ聴いていない。
映画を見る方を先にしたいから。既に手配済みである。
見て、そして聴くのが非常に楽しみだ。
そして今ヘビーローテーション中なのが、あがたさんの「バンドネオンの豹」だ。
高橋克彦氏の「バンドネオンの豹」は、
あがたさんのアルバムからインスパイアされているらしい。
更にこの「バンドネオンの豹」のモデルは、
 勝海舟の孫・目賀田綱美(めがたつなよし)男爵という
実在の人物で青年時代パリ社交界の人気者だったというから驚きだ。
表題曲「バンドネオンの豹」「夜のレクエルド」「シフィリスの
真珠採り」が本当に格好良い。このバンドネオン奏者は、
「jaguar hard pain」の「「薔薇娼婦麗奈」でも華麗な音色を
聴かせて下さっている池田光夫さんなのだそうだ。
そういう関連性を見出す事が出来ただけでも、とても嬉しい。
ところが、このあがたさんの「バンドネオンの豹」は、もっと密接に
吉井和哉に繋がっていたのだ。
随分前に吉井さんがDJをしていた「MIDNIGHT ROCK CITY」という番組に
あがた森魚さんがゲスト出演された時に、次々に映像作品を作り続けているあがたさんに対して
『是非ジャガーで呼んで下さい。』と熱心にお願いしていたのだ。
リアルタイムで聴いていた訳ではないが、このテープを譲って頂いてから
随分経つのに忘れていた事が悔しい。
リスナーからのリクエストで吉井さんの印象を問われて
『ロビンさんは、もうロマンチストですよ。・・・』って言い掛けたところで、
吉井さんが照れて慌てて『もう良いです。』と遮っていたのが
可笑しかった。何年か前までは、吉井さんがあがた森魚さんを好きで
『永遠の遠国』「水晶になりたい」に浸っているとかいう文章を読んで
ほんのり違和感も感じていたのが、YOSHII LOVINSONとしてソロ活動を始めてから、
この人の中にあるピュアな煌きがあがた森魚さんの
柔らかで清らかな波動に通じているのだと思った。
「春の嵐の夜の手品師」は良い曲だ。魂が浄化される心地がする。
ちゃんとキャッチ出来た事を幸せに思う。




「永遠のマリア・カラス」にみるアーティストとしての誠実 - 2004年03月19日(金)

DVD「永遠のマリア・カラス」を観た。
映画としての感想は、『覚え書き』http://www.mypress.jp/v2_writers/sapphire/ でも
述べているけれど、この映画に描かれたマリア・カラスの姿から
私は、どうしても“吉井和哉”という一人のアーティストの生き方を
考え合わせて仕舞ったので、ここに書いてみる。
彼女が『本名マリア・カロゲロプーロス が嫌いで
マリア・カラスに為ろうとした。普通の女に為れていれば良かったのに。
ごく普通の人間として、平凡に生きられたものを。
犠牲を払って、ほんのつかの間、栄光を手に入れた。』
そう、語るシーンで、つい先日YOSHIIさんがラジオで語ったという
『THE YELOW MONKEYを休止してから“吉井和哉”という名前は
一度も使っていない。普通の一人の人間に戻りたかった。
戸籍には、表記が残っているが現在日常生活では、別の漢字を
使っている。アーティスト名は、Yoshii Lovinsonにしているのだ。』という言葉が連想された。
髪の色や形を様々に変え、時には濃いメークも施し華やかな
衣装に眩いライトを浴びて、ステージ上で歌い踊り咲き誇る
ロック・スターであったTHE YELOW MONKEYの“吉井和哉”という
存在。長年活動する中で、内側に溜まっていったモノを
真摯に見つめ、彼の理想の音楽の未来の為にバンド休止を決めた
その厳しい決断は、マリアが映画「カルメン」を撮影中の場面で
『カラスと仕事するなら、昼夜ぶっ通しでやるのよ。』と、
周囲にも完璧を目指す芸術至上主義の信念を垣間見る事が
出来る様に思う。
マリアは、演技としては完璧でもその歌声が作り物でしかない作品を
世に出す事はどうしても認められず、映画「カルメン」を破棄するよう求める。
彼女の芸術者としての誇りが許さなかったのだ。
世紀の歌姫としての全盛期は短かったとしても、彼女の
『私のオペラ人生は、幻想ではなかった。真実だった。』
あの言葉は重い。
YOSHIIさんは、そのラジオの中で
『2001年1月8日の東京ドームのコンサートを
スプリングツアーDVDも監督した人にちゃんと編集して貰って観た』と
話しているのだけれど、その作品がまだ世に出ていないという事は、
YOSHIIさんの中で納得出来ていない何かがあるのではないか、と
感じている。
バンドだから成せる技とソロだから活かせる可能性・・・
YOSHIIさんは、今本当に自由な場所に立っているのだと思う。
マリアが華やかなオペラという舞台よりも愛を選び、
そしてその愛に破れ自分の“声”という宝を喪って仕舞った時、
彼女には酒と煙草と薬物、そして過去愛した男達の写真と
昔のレコードしか残されてはいなかったけれど、
YOSHIIさんには、この37歳というまだ充分に未来を求められる
年齢で、彼にしか表現出来ない音楽を創る“才能と声”が未来がある事を
本当に嬉しく思う。
純粋に映画を鑑賞するという見方を思いっきり逸脱しているとは
思うけれど、映画の中の才能を枯らした老いたマリアの姿や
彼女の晩年を救う事が出来なかったという悔いと時が経ても変わらず
彼女へ抱く親愛の情がこの映画を創らせたんだろうなと
思わされるゼフィレッリ監督の、この映画を通して伝わって来る
思いが、芸術というものの厳しさ、神に愛される事の眩さと儚さ、
ミューズの神に向かってか弱い人間達が懸命に手をさし伸ばしている
そういう姿が、心底美しいと思って仕舞うのだ。






「ブラウン・バニー」サントラ - 2004年03月12日(金)

YOSHII LOVINSONが見たい映画として名を挙げていた
ヴィンセント・ギャロ製作・脚本・監督・美術・撮影・編集・主演
「ブラウン・バニー」が気に為って堪らない。
けれどこの田舎では、上映される筈もなく、DVDが出るのは一体いつの事かと
萎れていたら、サントラは既に出ているという事なので
早速購入した。Amazonにして正解だった。あのジャケでは、
レジに持って行く勇気がないもの(笑)
ギャロが選曲したという1.から5.までの60年、70年代の楽曲は、
素敵だ。これらの音楽がどんな映像のもとに流れているのか、
期待が高まる。6.から10.までは、レッド・ホット・チリペパーズの
ギタリストであるジョン・フルシアンテがこの映画の為に
サウンドトラックを製作している。
映画のストーリーからイメージして曲を書いたそうだ。
実際は、映画には使われなかったが、ヴィンセント・ギャロは、
ジョンが作った音楽のCDを毎日聴き、撮影を行っていたという。
ジョンの曲は、ギターの響きが素晴らしい事は勿論なのだが、
歌声も良い。愛のもの狂おしさ、孤独、そして美しさ、そういうものが、
このサントラから強く伝わって来る。
映画を観る先にサントラを買う事に躊躇いもあったけれど、
これは、音楽としても非常に優れた作品だと思う。
YOSHIIさんは、もう「ブラウン・バニー」を観る事は、出来たのだろうか?
どういう感想を持ったのか、聞いてみたい。
ジョン・フルシアンテのソロ・アルバム「シャドウズ・コライド・
ウィズ・ピープル」も入手済みだ。これは、明日聴こう。
この人は、もの凄いハイペースで作品を作り続けているんだよね。
正に驚異的だ。YOSHIIさんも、このサントラとソロ・アルバムで
大きな刺激を受けているんじゃないかな。
『それでは、セカンドアルバムの製作に取り掛かる。』
本当に頼もしい言葉を我々に残してくれたそのセカンドアルバム、
期待しています。




空を飛べ - 2004年03月08日(月)

YOSHII LOVINSONのCOLUMNが更新されていた。
全国ラジオキャンペーンが終わり、各地で出迎えてくれたファンへの
感謝と、旅の途中で出遭った小冊子への感想などが述べられていた。
70歳の世界最高年齢エベレスト登頂に成功したプロスキーヤーの
三浦雄一郎さんのインタヴューに記されていたという“鳥葬”の話に、
私もかつてNHKの番組で見たチベットの“鳥葬”を思い出した。
気候の厳しいチベットでは、火葬にするための燃料となる樹木が乏しく、
岩場や凍土も多く土葬にも適さない為、“鳥葬”が一般的に
行われているそうだ。人が死を迎え魂が離れ、単なる肉の魂となった遺体は、
鳥葬場に運ばれ、天葬師と呼ばれる遺体の処理をする人達によって、
皮を剥ぎ内臓が取り出され、聖なる鳥、ハゲタカによって
その肉を喰われるのだ。残った骨を天葬師が砕いて、またハゲタカに
与え、最終的には骨すら綺麗に食べ尽くされてしまう。
美しく整えられた葬式と火葬への流れに慣れた現代の日本人の目には、
残酷に映るその“鳥葬”という儀式は、けれど、チベットの人々に
とっては至極当然で自然な行いなのだろう。
魂が離れた肉体は、他の生き物に施しとして与えられ、鳥と共にに空高く
舞い上がり天に還って行く。“鳥葬”は“天葬”とも呼ばれるそうだ。
三浦さんの「エベレストで凍った鳥達の話」から、
『“20GO”の歌詞に出てくる屍が自分の事だと気が付いた』と
綴ったYOSHIIさんの言葉に感慨深い。
人も鳥も皆大きな自然の一部に過ぎない。
生まれて、死んで、大地に還って、魂は再び生まれ変わると信じて。
厳しく潔く・・・けれどとても自由に満ち溢れていて眩しく思える。
続いてYOSHIIさんは、去年シアトルのインディアン居住区で出遭った
“白頭鷲”の言い伝えの話も披露している。
インディアンは白頭鷲を「神に近い鳥」として
崇拝し、天からのメッセージを伝える鳥であるとも捉えているという。
YOSHIIさんの頭上を白頭鷲が回転して飛んでいた事から
『素晴らしい幸運が訪れるに違いない。』と現地の人に言われた
エピソードは、非常にYOSHIIさんらしくて面白い。
新たに出遭う人や鳥?も自分のラッキーに変える力も
才能の内ですね。
『それでは、セカンドアルバムの製作に取り掛かる。』の言葉が
最高に頼もしいです。頑張って下さい。楽しみにお待ちします!




明日の為に - 2004年03月07日(日)

THE YELLOW MONKEYのBBSで論争が起こっていた。
BBSのあり方を考えるとても良い機会と思うのに、今朝行ってみたら
また元通りに収まりそうだった。書き込みしようとしたが
500字以内にも関わらず出来ない。何故?
以下、書き込みしようとしていた内容。

特定の個人の方を批判する積もりは全くありませんが、
BBSを考える良い機会だと思います。ここの過去ログは、
2000年8月24日から保管されています。膨大な量です。
活動休止から3年以上経ちメンバーのソロ活動が始まり
其々HPには、BBSやKOEもある。なのに依然としてここに
ファンの交流の場BBSが稼動し、過去ログが保管されている状況を私達は、
当たり前のように感じ過ぎていないでしょうか?
管理の手間と費用を掛けて貰っている事をもっと真摯に受け留めるべきだと考えます。
「美しいBBS」とは、其々感じ方の違いもあるでしょうが、
「気に入らない時はスルー」だけではイケナイと思うのです。
時間が経って見直した時、新たに此処を訪れた人が目にした時に、
良いBBSだと感じる事が出来るように、例えば一つのスレへの連続投稿は慎む。
個々へのレスではなく纏めレスを心掛ける。そういう自覚は
必要ではないでしょうか。また楽しく深く交流する手段としては、
メールが望ましいとも思います。MONKEYが復活するまで、
この場所が続いていて欲しいと願うから、改めてBBSについて考えてみたいです。
****
あとでまた考えてみよう。

残念ながらタイミングを逃してしまったようだ。
昨日のうちに、字数制限を受けたなら分割投稿でも良いから書いて置けば
良かったのだろうが、今となっては遅すぎる。
一日経って落ち着いて考えてみれば、あのBBSの事は頻繁にBBSを
利用する人達が考えて行くべきものであるのかも知れない。
見ているだけの私などが口を出すべき問題じゃないという気がして来た。
いつ失くなっても不思議はない場所だものね。
執着してはイケナイのかも。
もしかしたらYOSHII LOVINSONのファンクラブが出来た時点で
あの場所は役目を終えるのでは?とも思い始めている。





My追加

 

 

 

 

INDEX
past  will

溶けた砂
時の谷間