ロマンティスト・テイスト...jovanna

 

 

仲間を求める中毒患者 - 2003年10月29日(水)

YOSHII LOVINSONの『TALI』発売から4週間が過ぎ、
デイリーでは昨日現在まだ17位、今日発表されたウィークリーでは
19位、推定累積売り上げ枚数は、10万枚に届く勢いらしい。
吉井和哉の曲を待ち望んでいたファンのみならず、
広い層に聴かれ支持されている表われであろうと思うと、
とても嬉しい。
ノンタイアップでおまけにCCCDで、TV・ラジオ出演はおろか、
雑誌への露出も無い状況で、本当に楽曲で勝負した結果が
出ている事に、ファンとしては、この上ない喜びと誇りを感じるのだ。
『結婚しようよBABY 』という刺激的なフレーズが非常に
印象的なこの歌は、つくづく生と性の切なさ、ひたむきさが
胸に迫ってくる吉井そのもののような曲だ。
THE YELLOW MONKEY時代の煌びやかさは影を潜めているものの、
彼独特の淫靡な香りのする翳を帯びた情念の世界は、
健康的な愛や友情の歌に慣れた人々にも、
きっと魅惑的に映るのだろう。
吉井和哉の毒は、じわじわと全身に拡がって、気付いた時には、
すっかり蟻地獄に堕とされて仕舞う。
早く『TALI』に続く新曲で中毒患者が拡がれば良いのに!と、
物騒な事を考えてほくそえんでいる。




改めて誓う - 2003年10月22日(水)

「菊地英昭」本を読み返して見て、エマさんの『ドーム公演は良く出来た。
五官の全てに満足させられた気がした。やって良かった。』との
言葉に、久し振りに「メカラウロコ8」を観た。
この映像は、3時間という長さもそうだけれど、観るのには
大変な気力を必要とする。
軽い気持ちで眺める事が出来ないからだ。
以前は、ビデオテープの劣化が怖かったから尚更大切に大切に
観ていた。けれどHDDに収め、更にDVD-Rにも入れたから、
今は心置きなくじっくり観る事が出来る。有り難い事だ。
ライブ直前の楽屋でのメンバー達、特に吉井和哉の表情に、
胸がキリキリ痛む思いがして、でもステージ袖に進んでSEが
鳴り始め、やがて『ジュディ』のイントロが響いて、
ステージに4人が現れた時、このゾクゾクと震える昂揚感は凄まじい。
黒コートにサングラスという出で立ちのロビンが最高にイカす。
アルバム『8』から4曲畳み掛けて続いて定番曲を遣って、
妖しくセクシーな『GIRLIE』が幻想的に掻き鳴らされるロビンのギターが
『天国旅行』へと繋がったあの場面は、何度観ても
背中に電流が走る。
「菊地英昭」本でエマさんも仰っているが、
『<天国旅行>という曲は、ライブで最大限に表現出来る楽曲構成、
詞の内容』だ。ドームのあの広い空間が、一つの世界に凝縮されていて、
それに浸る事の出来る陶酔と恍惚感は何物にも換え難いと思った。
そして次々に繰り出される、本物のエンターティメントを
見せ付けるライブパフォーマンスが鮮やかに際立った曲の後に、
『たくさんの希望と絶望と興奮をありがとう』
『とても演りたかった曲』と紹介された『峠』。
演奏するエマ、ヒーセ、アニー、そして歌うロビンの気迫が怖い程だ。
彼等の11年間の道のり、そしてこれから進んで行く新たな道、
4人の戦士達の闘気が立ち昇っていく様が見えるようで、
痛く切ないだけじゃない、『虹』を私達に見せてくれた彼等の強さと
大きさに圧倒された。
曲中ロビンが魅せる何とも形容し難い凄みを帯びた笑みに
心臓を鷲掴みされる。この人は、ステージの申し子だ。
『PEARL』の後に『楽しいね。ねっ。コンサート楽しいね。』と
繰り返してましたよね。
どうですか?THE YELLOW MONKEYのステージを離れて早2年10ヶ月近く。
疼きませんか?
アニーのドラム、ヒーセのベース、エマのギターで
一心に歌う自分を夢に見たりしませんか?
あなたがメンバーと共のステージで、会心の笑みを見せてくれる日を
待っています。




青い陽の中で目指したものを - 2003年10月20日(月)

思い立って、2年前に発行されたエマさんの単行本
『菊地英昭LET THE MUSIC DO THE TALKING』を
読み返してみた。第4章「パンチドランカー・ツアー」、
第5章「ギター・コレクション」のTHE YELLOW MONKEYの
活動休止について語った部分、そして第6章「ロックスター」の
「ザ・イエロー・モンキーへの道」以降の部分だ。
2年前初めてこの本を読んだ時は、パンチドランカーツアーが
メンバー達にとってどれ程過酷なものだったか、その後のバンド
全体へ及ぼした影響がどれだけ大きかったかを考えると辛くなったし、
イギリスで『BRILLIANT WORLD』と『GIRLIE』を録り終えて
帰って来た吉井が『とりあえず、もう疲れた。』と発した
第一声が、休止の決定を告げたのだ、という辺りは、
今読んでも胸が痛くなる。
その後のスプリング・ツアーのリハーサルに向けての
メンバーの緊迫感は、読んでいるこちらまで張り詰めた空気が
伝わるようだし、各地のライブでの爆発的な燃焼と充実感は、
「スプリング・ツアー」DVDにも収められている。
エマは、『現時点での自分たちを何か形に残したかったんだよね、きっと。』という。
そうして『《8》のトータルな印象をイメージする時に、俺は、常にスプリング・ツアーが
脳裏にあった。気の流れが
絞り込まれて、集中出来て。その際たる証が<峠>なんだけど。』と。
「峠」は希望の歌だ。
荒野を進む男達を導く光の歌だ。
『うちらはいつも目標があった。・・・いつもそういうものに向かってやっていたよな。
・・・休止をしてしまう訳だし、その前にせめて、
そういう目標に向かってやってみようよ。』とドーム公演を
成功させた彼ら。この人達は本当に律儀で真面目なバンドマンだと思う。
そして、しなやかに強く前向きだ。
先ずヒーセがHEESEY WITH DUDES でソロワークを始め、今
YOSHII LOVINSONがたった独りでの文字通りソロデヴューを飾った。
雑誌の連載しか姿の見えないエマは?全く音沙汰の無いアニーの
現状は?とヤキモキしていたけれども、今日この「菊地英昭」を
読み返してみていたら、心が落ち着いた。
この人達には、目標が見えている。
峠を越えて、4人は再び出逢うだろう。信じています。




「赤色エレジー」 - 2003年10月15日(水)

YOSHII LOVINSONの『TALI』からこの林静一の漫画「赤色エレジー」を
連想したと、ある人から聞いた。
私は、あがた森魚の「赤色エレジー」は知っていたけれど、
この歌が1970年から1971年にかけて雑誌に連載された漫画「赤色エレジー」を
モチーフにして作られたものだった事は知らなかった。
早速読んでみて、衝撃を受けた。
ぼろぼろ泣けて泣けて仕様が無くて、でも、哀しく切ないだけではないのだ。
貧しさの中で身を寄せ合う二人の姿が愛しく、いじらしくて、堪らなかった。
ひたむきに愛し合う二人なのに、何かがすれ違って行って、
ラストシーン、一郎は独りの部屋で酔って吐いて、苦しみ泣きもがく。
『でも・・・・・・明日になれば 朝がくれば・・・・・・
苦しいことなんか忘れられる 
昨日も そう 思った・・・・・・』
生きる事はなんて苦しい事なんだろう。
愛する事はなんて綺麗で残酷なのだろう。
でも辛くても苦しくても「明日」を生きていかなきゃいけないんだよね。
たとえ独りでも、心に愛を持っていられれば、どんなに力強い事だろうと思った。
あがた森魚の「赤色エレジー」からもそう思うのだけれど、
私は、ただ切なく哀しいだけじゃなく、恋愛の尊さ、けなげさ、
炎のただ中にいる恍惚感あるいは陶酔感のようなモノを感じるのだ。
ひたむきな愛の強さへの憧れ、そういうロマンも秘めているようだ。
『TALI』の初回盤が、赤いセロファンのような懐かしい色なのも、
もしかしたら「赤色エレジー」に繋がっているのかも、ふとそんな気がした。




夢見るちから - 2003年10月10日(金)

随分と久し振りに「R&RNニューズメーカー」を買った。
押部啓子さんの『TALI』レヴューが載っていたからだ。
『詞も、私小説的なものは前から時々書いていたが、
「TALI」はそこから更に"小説"がとれた、より"私的に映る書き方"を
している。』
という文章がとても印象的だった。
『TALI』の歌詞は、YOSHII LOVINSON名義でソロデビューを決めた
吉井和哉の意思の表明なんだろう。
ベース、ギター、キーボード、パーカッションも全て
自分で演奏し、自宅で独りきりのプリプロ(ダクション)を経て、
レコーディングでは本人以外のプレーヤーは、ジョシュ・フリースという
ドラマーだけだそうだ。
正直、一番最初に聴いた時には、THE YELLOW MONKEYでの
華麗なエマのギターやヒーセのドライビングベース、アニーの
キレのあるドラムに馴染んだ耳には、『TALI』の音が
薄味に感じて仕舞っていた。
けれど、ヘッドホンで聴いていると、思いの他それぞれの音色が
細かく構築されているのに気付く。
素人が偉そうに言って申し訳ないけれど、きっとモノ凄く緻密な
作業を延々続けていたのだろうと推測すると胸が熱くなる。
『TALI』の内ジャケットに映されたあの部屋で、真剣に機材を操作したり、
『TALI』の告知ポスターのまるで幼子のように無邪気な笑顔をうかべたりしながら。
37歳の誕生日を迎えた一人のアーティストとして、自然体で
音楽に打ち込んで行こうとする意志を打ち出しているんだと思う。
「結婚」というある意味衝撃的なフレーズは、
THE YELLOW MONKEYのフロントマンとしての妖しく煌びやかな
ヴォーカリスト吉井和哉である自分から、繊細で内省的な面を持つ
素朴で飾らない個人としての吉井和哉への融合というか回帰というか、
そういう事ではないかと感じた。

(卓球少女)愛のメッセージ でファンへ送られた
『それではみなさんも、目標にむかって がんばって下さい。』は、
ファンへの言葉であると共に、自分自身へ向けたエールであるように
思えて、胸が熱くなった。
2年9ヶ月待ち続けて、ようやく吉井和哉の歌を聴く事が出来たら、
今度は、歌う姿を見たいと願って仕舞う。
アルバムも早く聴きたい。ライブも見たい。
ファンの渇望は留まる事を知らない。
けれど、去年のお誕生日に
『メンバー全員が準備万端になるまで、まだ時間はかかりそうです。
でもみんなそれぞれ、がんばってます。』
と、メーッセージをくれた、その言葉を信じて待っていようと思う。
夢を見続ける事は、思い続ける事は、大きな力を持つ。
そう信じる事で強くなれる。




愛のメッセージ - 2003年10月08日(水)

吉井和哉氏37歳のBIRTHDAYにTHE YELLOW MONKEYオフィシャルに
本人からのメッセージが掲載された。
「(卓球少女)愛のメッセージ 」というタイトルで。
去年の“愛のめっせーじ”は、「お岩いの言葉」やら「入れ歯」やら
だじゃれ満載のメッセージだったけれど、今年の吉井和哉の言葉は
何のてらいもなく、真っ直ぐに私達ファンへ向けられた
「愛のメッセージ」だったと感じられて、本当に嬉しかった。
デビューシングル『TALI』オリコンウィークリーチャート第二位
おめでとうございます。
派手な露出も何も無くてこれほどの好スタートをきれるとは
嬉しい驚きです。
モンキーファンはもとより世間の人にも、YOSHII LOVINSONは
受け入れられたのだと言う事が非常に嬉しい。
『取材とか発言する場が少ない代わりに、
YOSHII LOVINSONのオフィシャルHPでこれから
自分の近況等を気軽に日記みたいにつけれたらと
おもいます。毎日とはいきませんが、、。』
お部屋に写ってたノートパソコンで書き込んで下さるんでしょうか。
夢みたいです。休止からのこの長い年月、あなたの動向が全く見えない
世界は何て味気なく淋しいものだった事でしょう。
この秋『TALI』が届けられて、一度に何もかも輝き出したように
感じています。『目標にむかってがんばって』
この言葉が、とても力強く優しく響きました。
あなたと同じこの時に生きている事を感謝します。
生まれて来てくれてありがとう☆





少しだけ赤裸々に - 2003年10月06日(月)

『TALI』の歌詞について、私なりに感じた事を纏めておこうと思う。
まず、吉井和哉のソロが「YOSHII LOVINSON」名義で行なわれると
知った時、LOVIN(の息子)SON(きっと息子が出来て嬉しいんだろうな〜。)とか、MICK RONSONのSONも掛けているのだろうと思っていた。
試聴会で『TALI』の前半が流れた時
“育子 BABY I LOVE”の部分は、“IF IT GOES”もしくは”IF YOU GO”かと思っていた。
だから、雑誌に歌詞が載った時は凄まじい衝撃を受けた。
「育子」は人の名前だったのか、と。
けれど曲を聴くうちに「育子」は固有名詞ではなく、子を育むということ、曲の主人公が愛するのは「育子」ではなく「BABY」の方ではないかと、
感じるようになった。
何故なら、“結婚しようよBABY”と歌っているにも関わらず、
“いつもふたりで”と訴えているにも関わらず、私にはこの歌の情景に
主人公以外の人の姿が感じられないからだ。
『TALI-seaside mix』の方がそれは顕著なのだが、こちらは、
波打ち際にただ独り主人公が佇んでいる深い寂寥感が漂っているように思う。「育子」は、生身を持つ人間では無いのではなかろうか。
主人公・・・おそらく吉井和哉という個人を色濃く投影されているだろう
人間の中に大切に抱き締めている愛の象徴とか、
もっと言えば「音楽への熱情」とか、そういう形のないモノのような
気がしている。
その場合、「BABY」は、吉井和哉の作り出す音楽そのものだという
見方も出来るのではなかろうか。
一方、「育子」は、吉井の中にいる幻の女・・・二重人格としてずっとそばに寄り添って生きてきた女性ではないか、という意見を頂いた。
これはメカラウロコだった。PVを見て「ヘドウィグ・アンド・アングリーインチ」の冒頭アニメ「愛の起源」とシンクロした意味が良く判る。
「育子」の意味、「YOSHII LOVINSON」に込められた意味・・・
吉井さん本人に詳しく語って貰わない事には、我々にはただ惑う事しか
出来ないけれど、こうやって歌詞の意味を、「ああでもない、こうでもない」と想像して熱くなれるのは、THE YELLOW MONKEYファンならではの
楽しみだと思う。
ソロデビューと言うのに、TV出演はおろか音楽雑誌のインタヴュー記事も無し、というミステリアスな新人さんだけど、アルバム完成の暁には、
ロッキンオンの山崎洋一郎氏、渋谷御大に出張って頂いて、
ぎゅうぎゅう吉井LOVINSONさんに迫って貰いたい。




歩いて行こうね - 2003年10月01日(水)

10月1日、YOSHII LOVINSON の『TALI』発売だ。
初回盤赤色マキシケースCDを無事入手出来た。
綺麗な赤のケースを取り出して、ドキドキしながら
CDラジカセで聴いた。音が出た。良かった。
PVを何度も繰り返し見ていたけれども、こうして歌詞カードを
じっくり見て聴くのは格別である。
一つ一つの言葉がひたひたと心に沁み込んで来る。
切なくて堪らないのだけれど、荒れ模様だった空に
ふっと虹が浮かんでいるのを見つけたみたいな、
そんな儚さを伴った歓びや夢や痛みを感じた。
「TALI」YOSHII LOVINSONと書かれた歌詞カードを見て、
改めてTHE YELLOW MONKEYの吉井和哉とは違うのだと感じさせられた
けれど、「TALI-seaside mix」で、その事をはっきりと認識した。
このサウンドは、YOSHII LOVINSON個人の音だ。
波打ち際に佇んでこの曲を聴いていたら、波に攫われて海に引き込まれて仕舞うんじゃないかと思うほど、寂寥感が募った。
『結婚しようよ BABY』と歌っているのに、こんなにも孤独感を
感じるのは何故だろう。
この歌の主人公は、吉井和哉の投影なのかも知れないけれど、
『“辛かった”“楽しかった”積もうね積もうね BABYILOVE』
この人の人生はこれからも決して平坦な道のりではないだろう。
幾つもの峠を越えて行くのだろうけど、その旅の途中で、
色んな愛や哀しみを糧として得られて行ければ良いと、心から願う。

「スティルアライヴ」では、正直衝撃を受けて仕舞った。
弾き語りだとは聴いていたから曲調がこういうものかもと、予想は
していたのだが、この歌詞には驚かされた。
危う過ぎないだろうか。空に消えて行って仕舞いそうだ。
ギリギリの所で留まっている“最後の枯葉”。
YOSHII LOVINSONの世界は、どんな拡がりを持っているのだろう。
もっともっと知りたい。3曲だけじゃ全然足らない。
早くアルバムを聴いてみたい。
ところで試聴会で吉井さんが言ってた初公開の自宅写真、
宅録の作業風景を見られて非常に嬉しいのだけれど、
どう考えても灰皿の大きさと煙草の吸殻の量が尋常じゃありません。
お願いですから量を減らして下さい。
肺ガンで歌を歌えなく為る事が怖いんです。
 





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