ロマンティスト・テイスト...jovanna

 

 

グラウンド・ゼロ - 2002年09月11日(水)

あの衝撃的なニューヨークテロ事件からちょうど一年、
世界貿易センタービル付近が「グラウンド・ゼロ」と呼ばれているという。
今朝のテレビ番組で見たのだけれど、この「グラウンド・ゼロ」とは、元々は
核で何もかもが焼け野原になってしまった、という意味で使われるスラング
なのだそうだ。それが、事件後アメリカのメディアが、「核爆弾のような惨状」と表現し、
一般にも「爆心地」という意味合いで「グラウンド・ゼロ」と呼ばれるようになったという。
番組では、広島、長崎への原爆投下時の軍のデザインを模した帽子が
紹介されていた。
テロ再発防止の為に警備に当たっている人々が、あの帽子を被っているらしい。
それは、何か違うのじゃないかと感じた。
3000人近くの犠牲者や遺族の方々は、本当に気の毒だと思う。
今だ傷跡が生々しく残る近辺地域の方のご苦労も察する事が出来る。
けれど、戦争の名の元に原爆を落とされて文字通り地獄絵図と化した、
広島、長崎の惨状と戦後57年経って今尚原爆症で苦しんでいる人が大勢ある事を、
かの国の人々は知っているのだろうか。
いやそれ以上に、「原爆投下は戦争早期終結にプラスになった。誇るべき事。」位に
考える風潮が在るのではなかろうか。
テロ直後のブッシュ大統領の「報復」発言にも、私は強い違和感を感じた。
今尚、紛争は終わる事なく、無残な自爆テロも続いている。
我々は唯一の戦争による被爆国民である。
それなのに、アメリカメディアと一緒になって、「グラウンド・ゼロ」等と言っていて良いのだろうか。
戦争反対、核兵器廃絶をもっと強くアピールすべきなのではなかろうか。
昨年、テロが起こった時、私の脳裏にはずっと、THE YELLOW MONKEYの
「球根」が鳴っていた。今日も私はこの歌を聴く。
「球根」と英語バージョンの「BULB」が心に響く。
混沌の中に生まれた希望の歌だ。
「BULB」の訳詞の最後の部分、
“そこから何が生まれるだろう?俺達に・・・・・・。”
花を咲かせたい。希望の水をまいて。





あなたがいなけりゃ - 2002年09月03日(火)

BSで放送された、86年クイーン・ライブを観た。
私は昔、クイーンで一番美しいのはロジャー・テイラー、
次にブライアン・メイ、ジョン・ディーコンも整った顔立ちだし、
フレデイは正直、難点があると思っていた。
けれど、このライブは私の一番苦手な筈の、短く刈り上げた髪+
ぶ厚い口髭にも関わらず、何とフレデイのステージ姿の美しい事だろう!
高く振り上げる腕、深く仰け反る背筋の強さ、軽やかなマイクスタンド捌き、
ポーズの一つ一つがピタッと決まっている。
迫力のある、その表情もこの上なく美しい事に気付いた。
私は、これ見よがしの胸毛が非常に苦手なのだけれど、
不思議だ!フレデイは大丈夫だった。否、大丈夫に為った。
「WE ARE THE CHANPIONS」でピアノを弾く上半身裸のフレデイは
本当に美しかった。
ビデオが終わって、今度「フレディ・マーキュリー追悼コンサート」のDVDを観た。
凄い顔ぶれだ。ロバート・プラント、デヴィッド・ボウイ、ミック・ロンソン、
イアン・ハンター、アクセル・ローズetc.
大物アーティストの面々のバックで演奏するフレディ・マーキュリー以外の
クイーンを見ていると、何故この場にフレデイが居ないのか?
何故フレデイの歌声が聴けないのか?と心底思ってしまう。
だって、これだけの凄いロック・ミュージシャン達がブライアン・メイのギターで
ジョン・ディーコンのベースで、ロジャー・テイラーのドラムで
唄ったり演奏したりしてるんだよ?
この場所にフレデイが居てくれたら、どんなに素晴らしいのに!と思わない?
華やかで、この上なく豪華なステージだからこそ、とても淋しく思えた。

そして、「すべての若き野郎ども」と「ヒーローズ」で、イアン・ハンター、デヴィッド・ボウイと
共演したミック・ロンソン…この人は、ロック・シンガー吉井和哉誕生の
生みの親、とも言うべき人である。
この1992年4月の追悼コンサートの約1年後1993年4月29日には、肝臓ガンで
世を去る事になるのだけれど、追悼コンサートの時には、
既に病魔に冒されていたのだろう。
ステージ上のロンソンの姿は美しく、華麗なギターを響かせてくれたけど
今見ると、とても痛々しく思える。病気と闘いながら、ソロ・アルバム
「Heaven And Hull」の制作に取り掛かっていたらしい。
もっともっと生きていて欲しかった。
フレデイがもし今も生きていたら、どんなに素晴らしい曲を作り出して
呉れていた事か!
ミックも病魔に倒れる事がなかったら、あの優しく暖かな歌声と美しいギターを
もっと聴かせてくれていただろうに。繰り言に過ぎないけれど。





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