山ちゃんの仕方がねえさ闘病記
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2012年09月23日(日) |
孫にキーボードあげた |
昨日娘が孫たちを連れてきたので、先日買ったキーボードを孫娘にあげる。ことにした。
娘たちのときにはピアノタッチの電子ピアノを与えて、ピアノ教室にも通わせたものだったが、その時のトラウマがあるのか、娘は孫に習わせるとはなかなか言わない。でも孫の方は学校で触っているのか、鍵盤で遊びたそうにはしていた。
こんどのは普通のキーボードであり、ピアノタッチではないが、鍵盤に慣れるには良いかもしれない。孫はとっても嬉しそうにしていた。
そうしたらなんだか親の方もうれしそうで、「楽譜を持っていこうかしら」などと、娘より自分の方がその気になっているのかも。
なんでもいいけど、ちゃんと小学生の孫に触らせてあげてよね。そして教えてあげられてたらもったいいいな。
今度来たときに、こんな曲が弾けるようななった、とかいって教えてくれたらうれしいね。
義和団運動とはたまには耳にするものの、どんなことなのかほとんど知らずにいたので、手に取った一冊である。歴史の教科書にはきっと記述はあるのだろうが、自分としてはあまり知識がない。そこで義和団運動を知るべく選んだ本書であるが、なかなか難しかった。 さて一連の義和団運動を単純化して整理すれば 「列強の中国侵略」 ↓ 「河北農村におけるキリスト教会の専横」 ↓ 「列強の侵略による中国亡国の危機」 があり、これを中国人は 「儒教・仏教・道教三教混成の千年王国」 で跳ね返そうとしたということだそうだ。西欧はキリスト教の布教を媒介にして中国侵略を進めようとした。これは西欧の常套手段である。 「我々を抑圧する敵を滅ぼせ。」これは古代・中世・近代・現代の「宗教的原理主義者」たちあるいはナチス・ドイツの反ユダヤ主義あるいは第二次世界大戦中の日本軍の大陸その他での行動といった「千年王国」的側面をもった運動には随所に随時に出現するパターンなのだそうだ。千年王国運動は圧迫する敵を「悪魔」と規定し、悪魔の皆殺しの果てに悪魔なき理想郷を想定するからだという。 ところで義和団とはどういう組織だったのか。もともと義和拳とか梅花拳、神拳、紅拳などが出てくるが、義和拳は少林拳の中の梅花拳という拳法の名を変えたものであり、この拳法を習う者が集団化し義和団と称したようだ。始めのうち極端に保護された西洋人の布教活動はエスカレートし各地で非教民を苦しめた。これに業を煮やした村民たちは、これに対抗するため拳法を習い始める。これが最終的には義和拳と呼ばれるに至る。 そしてついに一部の義和拳の集団が教会を襲撃し始める。そして教民に対して大弾圧を加える。清朝朝廷ではこれの取り扱いを協議するが、「扶清滅洋」を掲げる義和拳集団を「以民制夷」として列強に対抗する手先として利用する。 しかし列強側が連合軍を組織し上陸するとたちまち形成は逆転、清朝は列強に屈することになってしまう。これによって逆に義和団はさっきまで友軍であった清朝の官軍に大弾圧を加えられるのである。(連合軍には日本も含まれる) それにしても列強の恐ろしいほどの内政干渉と賠償請求であった。1901年11カ国との間で条約が結ばれ、賠償金4億5千万両、39年払いだという。元金だけでも当時の清朝の国庫収入の5カ年分に相当した。中国政府は1940年までこの賠償金を払い続けることになった。
2012年09月20日(木) |
中国の人たちは気の毒だ |
昨日付けの日経国産面から、
------------------------------------------------------ 中国人の矛先は尖閣問題から日本人そのものに向かいつつあるようだ。「おまえは日本人だろ。この地下鉄から今すぐ降りろ」。北京在住の日系企業幹部(54)は午後、市内を横断する地下鉄1号線に乗っていると丸刈りの30歳代とみられる中国人男性から罵声を浴びた。「日本の政府開発援助(ODA)で造った地下鉄だぞ。便利だろ」と反論すると、「そんなはずはない」と言い捨てて立ち去ったという。 ------------------------------------------------------
国際的な対外イメージの悪化を懸念してか官制デモはおさまりつつあるようだが、こういう「歴史」を知らされていない中国人民は気の毒だと思う。
放送大学に「アメリカの歴史と文化」という講座があり、先に取っていた「中国社会の歴史的展開」、「北東アジアの歴史と朝鮮半島」という二つの講座が済んだらアメリカに移ろうと思っていた。しかしいまだに中国・朝鮮から抜け切れずにいる。そこで全てを極めてからというのも難しい話だし、遅くならないうちにアメリカにも着手する必要があると考え本書を手に取った次第である。 著者は本書を3章に分けて解説している。 第1章 アメリカ史の裏側 第2章 不可思議な政治・経済 第3章 「アメリカの戦争」を検証する この3つの章建てをみるとどうしても政治・経済や対外戦争に興味が向かいがちだが、私としては第1章で取り上げられている独立戦争や南北戦争、奴隷問題に最も関心があった。 アメリカが13州の植民地時代に本国イギリスと戦った独立戦争は、イギリスが課した重税によって植民地人が経済的に行き詰まり一揆のような形で起こったと思われているが、それは誤解だそうだ。最大の対立点は重税ではなく、大英帝国における北米植民地の地位に関する認識の相違であった。「ボストン茶会事件」が発端となったといわれ、今でもボストンへ行くと観光客相手に、港に停泊している船から急進派の人々が積み荷の茶を海中に投げ捨てるパフォーマンスを見せてくれる。 なお、格調高いと言われている「独立宣言」であるが、第二章において本国の国王ジョージ三世の悪行の数々が述べられているそうだ。第一部は対外的メッセージであり、第二部は国内向けのものだったようだ。 南北戦争は奴隷解放のための戦いだったと思っていたら、どうやらそうではないらしい。当時は「奴隷州」と「自由州」とが並立しており、自由州が勢力を拡大しつつあった。これに危機感を抱いた南部の州が連合を組織し、連邦政府に対して攻撃を仕掛け南北戦争が始まったという。だから戦争勃発当初、その目的は奴隷解放ではなく、連邦の維持であった。あのリンカーンでさえ奴隷解放に対して心情的には共感していたものの、彼にとってより重要なのは連邦の統一という最大の目的を実現するための手段に過ぎなかったというのだ。 これまで私はリンカーンが奴隷解放のために南北戦争を戦った英雄だと思い込んできたが、実はちょっと違うということを知り、がっかりもしたし、目からウロコであった。
最近スマホ中毒か、パソコンに触る機会がめっきり減ってしまいました。 スマホはベッド上でできるので便利なのです。
しかもこの日記はPCからしか更新できないので、更新機会も減った気がします。 いまさら別のブログサイトに移すのも面倒だし、困っています。
今日はとりあえず本棚を掲載してみます。
いかがでしょうか。
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