山ちゃんの仕方がねえさ闘病記
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友人で世界銀行に勤務している慶長寿彰さんがワシントンから帰省したので、いつもの仲間である大坪秀一さん、風張知子さん、そして大先輩の音喜多博さんが来てくれました。慶長さんは先日まで出張していたタジキスタンのマトリョーシカを土産に持ってきてくれました。ロシアのマトリョーシカとは違うのだそうです。
一つはムスリムなので黒いスカーフをかぶっていること もうひとつはおなかのところに丸い民族打楽器を持っているところ だそうです。
はっち館長の風張さんとは久しぶりでしたので、はっちの様子も含めていろんな話を聞きました。はっちの資料もたくさんいただきました。 さすがに病人の見舞いに来ているだけあってか、みなさん自分の病についても話してくださり、年をとったんだなと感じました。私より彼らの方が実感したのではないでしょうか。
なによりこれから彼らが最も脂がのって、要職につき活躍することでしょう。身体を厭いながらも頑張ってほしいと思います。
今は茨城は牛久市に住んでいる同期生の関口がお盆の帰省をしたついでに妹を伴って我が家を訪れてくれた。
学生時代は学科は異なるが、安藤先生の英語の講義が合併授業だったので、土木と化学とで一緒の授業を受けた仲だ。社会人になってから米国勤務を経験した彼はすっかりバイリンガルになったようだ。
妹さんの方はその兄を通じてではなく、私が社会人になってから職場の先輩に連れていかれた子ども会の事務局で知り合った。まだ右も左もわからない頃に先輩について行ったら、仕事ではなく、いわゆる社会奉仕活動の一つである「子ども会」のお手伝いであった。事務局だから機関紙の発行や配布、各種イベントの準備、後始末などだ。そこにお手伝いに来ていたのか子ども会上がりのジュニア・リーダーたちであった。彼の妹もその中の一人であった。実は当時彼女と一度だけデートしたことがあった。子ども会の機関紙を配るのを口実にドライブに誘った。でもそれ切りになった。
そんな思い出話をしているうちに時間はどんどん過ぎていった。とても楽しいひと時であった。
それもこれも遠い思い出のようである。
本書のタイトルである「伝奇」とはなんであろうか。筆者は途中で次のように説明している。 奇を伝えるのが「伝奇」である。唐より以前は怪を志(しる)すという意味で「志怪」と称していた。だから伝奇は小説や物語と同じ普通名詞である。
唐代は伝奇がたくさん書かれたようである。それは需要と供給の関係でもある。一般の読書人から歓迎されたから当時伝奇が流行したのだと筆者はあとがきの中で述べている。 本書は17の小編を集めた短篇集である。中でも「杜子春」は芥川龍之介の作品がよく知られているが、これは「続玄怪録」が原作だそうで、二つの作品を比較するように紹介しており、読んでいてとても面白いと思った。
八戸赤十字病院で4週に1回の定期診察であった。ここ数日腰から背中にかけて激痛が走ることが度々あり先生に相談したら、来週CT撮像してみることになった。手術から9年、最後にレントゲンを撮ったのも数年前になるだろうか。そろそろ良く診てもらう必要があるだろう。
帰り際にタクシーを待っていると、見たことのある顔が正面玄関から入ってきた。池本さんであった。最初に入院したときちょうど政策推進室でお世話になった。ご子息がけがをされたとかで来ているそうだ。依頼したタクシーが来てしまったので、充分にお話ができず残念であった。
前回読んだ「聊斎志異の怪」に続き、中国文学の「聊斎志異」の邦訳本の二冊目として陳舜臣氏の著作を読んだ。 「聊斎志異」そのものは清代初期蒲松齢により書かれた短編小説集でほぼ五百話あるが、筆者の陳氏は十二巻本の「鋳雪斎抄本」から各巻一編ずつ選んだという。 怪異譚といっても背筋の凍りつくような恐ろしい話は少なく、現実の人間とあの世から舞い戻った亡霊が情を交わすといった話が多いようだ。特にこの世の男と女の幽霊がセックスをするといった話も多く、当時の中国庶民の間ではその手の著作が好まれたのではないか。日本の怪談話とはかなり趣が異なるのにはちょっと驚く。
現在BS JAPANで放送中の「画皮 千年の恋」のベースになったと思われる作品は取り上げられてはいないようで、本当はそれを期待して購入した面もあったので、ちょっと残念ではあった。
なお、「聊斎志異の怪」で太宰治の「清貧譚」が紹介されていたが、本書では「黄英とその弟」という太宰ベースにしたという短編が掲載されており、あわせて読み比べるのも面白いと思う。
とにかく中国の怪談は冥界からやってきた妖しい女たちが俗世の男たちを籠絡したりあるいは援助したりする。そこにはお色気が絡んでくるという独特なパターンが存在するようだ。 だから怪談と言えどもただ怖いだけではなく、面白く読み進められるものも多いようだ。
先日の雷雨のあと、ネットにつながらなくなりました。 調べてもらったら、モデムが故障したようです。 原因はやはり先日の雷雨の際、落雷の影響で壊れたらしいです。 モデムを交換してもらい、やっと復旧しました。 一安心です。
また、ここの日記サイトも一時繋がらなくなり、とうとう閉鎖されたかと心配しましたが、また繋がるようになりました。 安心しました。 これまでの日記データをバックアップしないと。
お昼の12時からBSで中国のドラマ「画皮(がひ)」を毎日放送しているが、このホラーの原作が「聊斎志異」である。 ドラマはキツネが人間の美女に化け、自らの美しさを保つために次々と人間の心臓を食らう。それはかつて罠にかかって苦しんでいたキツネ(自分)を助けてくれた男に恋をしたためであった。
「聊斎志異の怪」は原作「聊斎志異」からの抜粋であるためか、ドラマ「画皮」の原作は見当たらなかった。本書の原作本である「聊斎志異」には当然入っているのであろうが、ドラマにまでなるような作品を「聊斎志異の怪」では、訳者の志村氏はなぜ取り上げなかったのだろうか。原作は400編を超す世界最大の怪異譚アンソロジーといわれるそうだが、その中から約40編を抜粋した短編集が「聊斎志異の怪」である。読んで面白いものと、映像にしたときに楽しめるものとは異なるのかもしれない。
その中で気付いたことは、中国の怪奇ものには「お色気もの」が多いということである。キツネの妖怪が人間の若者に恋をするとか、妻にした女が実は妖怪であったとか、夜中に布団の中に潜り込んできた美女は妖怪だったなどという展開が多い。
巻末に附録として、芥川龍之介と太宰治が「聊斎志異」をベースに書いたという怪談を原作とともに掲載しているが、どれも原作より芥川・太宰のほうが面白いと思った。彼らも原作を凌ぐというつもりで書いたであろうし、支那の人たちにも読んでもらいたいと書いているほどだから、自信があったに相違ない。
結局、私はこの3編が中で最も面白いと思えた。
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