山ちゃんの仕方がねえさ闘病記
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2005年12月28日(水) |
郷土芸能保存会30周年記念誌 |
職場の若手、下水道建設の佐々木、駅西区画整理の石橋・山田の3名がきてくれた。市庁郷土芸能保存会の30周年記念誌を届けてくれたのだ。もちろん私の記事は掲載されていないが、写真には何箇所か写っているところがある。
3人からは記念誌製作の苦労話や、役所での仕事の話などをいろいろと聞き楽しい時間を過ごした。やはりあまりに楽しくてすごく疲れた。かれらのペースについていけず疲れたのであった。
またまた3週間ぶりの通院日であった。今日は体調不良につき辛かった。でも散髪や血液検査その他一応のメニューは全部こなした。
今回の血液検査の結果、いつもと違い炎症反応が出ているといわれ、どこか変わったところはないかと質問された。そういえばちょと喉の調子が悪い。診てもらったら少々腫れているということなのだ。風邪の前兆である。熱でも出たものじゃ大変なことになる。そこでこ抗生剤を出してもらうことになった。このまま治って欲しい。
若い頃ローターアクトクラブなどでお世話になった八戸信用金庫の大島義勝さんが見舞ってくださった。久しぶりに会った。私が病気で寝ていることをずっと知らなかったそうだ。
大島さんにはローターアクトなどサークル活動でお世話になった。結婚したときには新居のアパートの世話をしてもらった。彼の直ぐ近所に住まいした。披露宴では司会までしていただいた。いろんな相談にものってくれた。兄貴のような存在である。
下の息子さんが大学を卒業して画家を目指しているそうだ。22日付けのデーリー東北に紹介されていた。抽象画だそうで、いろいろと心配されていた。
春日・鈴木夫妻が大賀(たいが)くんを連れてやってきた。うちの孫の桜菜よりも3ヶ月ほど遅く生まれているにもかかわらず大きい。食べ方が違うようだ。うちのは食が細い。
話は育児の話題が中心となった。彼女は今のところ育児休暇中だそうでまだ仕事はしていない。仕事を再開したら大変になるかなあ。
二人の子どもたちは徐々に慣れてきてしばらくして遊びだした。
元の下水道部の仲間、工藤、畠山、安原の3人が見舞ってくれた。差し入れに映画のDVD数本貸してくれた。以前労災病院に入院していたときにもDVDを借りたが、そのときとは違うタイトルのものばかりだ。じっくりと鑑賞したい。
久しぶりに大笑いした。やはり仲間がくると楽しいもだ。話題は笑えるものから深刻なものまで、特に妻神次長が来たときにはどんな話題がでているのかなど幅広く語らった。
途中外に猫がやってきた。猫は自分で戸を開けて出て行くという話をしたら、信じてもらえなかった。実際に見てもらえれば判るのだが、そのときハイドがいなかったのが残念である。猫は両手で戸を開けるのだ。
妻がおやきを買ってきてくれた。以前ピア・ドゥで買ったことのあったものである。日記にも写真入で書いた。
何しろ皮が薄い。1〜2mmぐらいしかない。あとはあんこがぎっしりと詰まっている。どうやってこのおやきを焼くのか現場を見てみたいものだ。
以前このことを日記に書いたらたくさんの反響があった。私の記事に誘われてたくさん買いすぎたとか、食べ過ぎたとか。今回は体調を考慮して半分だけいただいた。
またまた3週間目の通院日であった。とっても寒い朝という天気予報だったのでダウンジャケットを出してもらい着ていった。下はジャージの中にタイツをはいた。これで寒さには万全だった。しかも外に出たら割りと穏やかな天気だった。
今回も予約できなかったせいか午前中の患者の最後であった。血液検査の結果はいつもの通り変わりなしであった。ということは、悪くなってはいないが良くもなってない。現状維持ということだ。
しばらく日記を更新しなかったせいでか、心配してくださったある先輩から葉書を頂戴した。昭和60年代に港湾漁港班の仕事をしたときにお世話になった大先輩である。この先輩からはもう数度葉書を頂戴している。当時の仕事の苦労話やイベントの立案。実施についてなど思い出を綴っていた。
なかでも「仲間に恵まれる」ことの素晴らしさを強調しておられた。私も素晴らしい先輩に恵まれ充実した時を過ごしたことを覚えている。
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