山ちゃんの仕方がねえさ闘病記
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デカドロンの影響で睡魔がr強い。朝食後爆睡しているところへ房間建設の社長がみえた。我が家のバリアフリー化工事の請求にきたのだ。工事が終わってからしばらく経つので、どうしたものかと妻と話していた矢先だった。さすがに月末なので決着がついたのだろう。こちらも支払いが済んでさっぱりした。
放送大学のレポートを出してもらった。こちらもさっぱりした。
12月2日締め切りの放送大学のレポートが完成した。明日妻から郵送してもらう。一安心した。
NHKBSハイビジョンでは「世界遺産青きドナウ」を放映し始めた。美しい景色と出演者たちの博識に感動した。ドナウというとどうしても小学生のときの器楽合奏を思い出さずにはいられない。番組の中でも「ドナウ川のさざなみ」の曲が流れ、演奏会で失敗したときのことを思い出した。でも一度は訪れてみたい地域である。
演奏会の失敗の模様⇒2003.9.10の日記
昨日からデカドロンを服用し始めている。今回は薬の影響が出始めるのが早い。二日目にしてずうっと眠ってばかりだ。食欲も激減し、昼食、夕食とも半分ぐらいしか食べられなかった。果物で誤魔化した。
職場の人からメールをもらった。八戸市や海洋立市などでネット検索していたら私の日記にぶち当たったというのだ。そこで私も同様に検索してみたら同様に検索にひっかった。思わず読み返してみた。病気になる前の日記であったが、ずいぶんと生意気なことを書いていたものだ。
今日は3週間目の通院日であった。 10時に八戸赤十字病院に着き、受付を済ませた後、血液検査のため採血室へ行く。今日はいつもより空いていて、待ち時間はほとんど無かった。
検査結果が出るまで一時間はかかる。この待ち時間を利用して、病院内の床屋へ行く。寒くなってきたのであまり短くするのはやめた。
床屋が済んだのは11時30分ごろ、第3内科へ戻る。すぐに呼ばれて診察室へ入る。
デカドロンを飲む日数を4日から3日に減らしたら、IgGという蛋白の数値が若干上がった。これまでは少しずつだが減少傾向にあったのでこれが日数を減らしたのが原因なのかどうか、誤差の範囲内なのかはっきりしないため、もう一回様子を見ることにした。
12時30分には自宅へ帰ることができた。
今日は勤労感謝の日であるが、この日は櫛引八幡宮の収穫感謝祭の日でもある。今年も母に出席してもらった。
水道企業団の田中光彦さん夫妻が見舞ってくださった。しばらくぶりに会ったが私のことを見て、顔色も良く太ったと言っていた。
田中さんとは市役所に入った頃からのお付き合いだ。当時道路建設課に配属された田私は、土木港湾課に勤務している田中さんとは隣の職場だった。職場の行事はいつも同じチームになったのでなじみとなった。運動会などでも一緒に走ったものだ。走ろう会に共に入会したこともあった。また、お祭りやえんぶりでは笛吹きとして教えてもらった。
職場以外では青少年のサークル活動にも連れて行ってもらったものだ。その場で田中さんの奥さんとも一緒に活動したものだ。奥さんは小中野でモンパルという美容室を経営している。私の妻もお世話になっている。
湊の義兄(妻の兄)が妻の車のタイヤ交換のために来てくれた。これまでは私が自分の車と妻の車と両方を交換していたが、今回は義兄にお願いした。軽自動車だからすぐに終わった。しばらくぶりに私の顔を見て、少し太ったと言っていた。
私の車は娘に貸したままになっているが、こちらのほうも義兄がタイヤ交換してくれたそうだ。後輪のタイヤが磨り減っていて、新しいものと取り替える必要があるそうだ。やつらの乗り方が悪かったのだろう。一昨年買ったばかりだったのに。
そうこうしているうちに娘が桜菜ちゃんを連れてやってきた。お風呂に入りご飯を食べて帰っていった。
2004年11月17日(水) |
【写真付】猫のハイド |
ハイドのやつが夜中に布団にもぐりこんだり、ベッドにジャンプしてきたりでうるさいのなんの。一晩中うるさくて眠れなかった。おかげで今日は睡眠不足で、午前中は熟睡した。
ベッドに横になっていると、私の胸の上に平気で上がってくる。そこでそのまま座ってくつろぎだす。
朝食後、すぐに近所に住んでいる消防団の栄田分団長が来てくれた。イクラをたくさん持ってきてくださった。いつもいろいろと頂き物をしている。
3月に八幡で火事があった。強い風が吹く日に国道104号沿いで店舗兼住宅が焼けたのだ。そのときに一番乗りで消火に駆けつけたのが分団長率いる八幡の消防団だった。そのときの様子をリアルに興奮しながら語ってくれた。
最近その国道104号で交通事故があった。八戸から三戸方面へ抜ける唯一の幹線である。交通量はものすごく多く、特に大型車の通行が激しい。分団長が言うにはそのうちに大きな事故が起こるような気がする。特に子供たちが危ないのだそうだ。沿線の人たちの中には「魔物がいる」という人までいるそうだ。はやくバイパスを作って欲しいと言っていた。
午後になって田面木の叔父がいつものように野菜を持ってきてくれた。今日は大根を30本もくれた。野菜が高騰している折、大変に助かる。
2004年11月14日(日) |
【写真付】孫の桜菜ちゃん |
デカドロンの影響で具合悪がっているうちに、録画しておいた放送大学の講義がまた溜まってしまっていた。でも今回はデカドロンを4日続けるところ3日にしてもらった分、飲み終わったあと尾を引く日数が少ない。今日はだいぶ気分がよく、講義を3つ聴いた。レポートは12月2日提出だから間に合うようについていかなければならない。
夕方娘が孫を連れてやってきた。動きがとてもよく、活発である。今日はすこぶる機嫌が良い。我が家の全員が大はしゃぎである。特に妻と母は大喜びで孫の桜菜ちゃんをあやしている。
朝一番に房間建設の社長がやってきた。先日写したバリアフリー化工事の完成写真を写すのが、一枚足りなかったのだそうだ。話し好きな同級生なもので、しばらく歓談していった。
消防団の仲間がやってきた。今月の末に忘年会を予定しているのだが、元老の皆様に出す案内をどうしたものか相談したいとのことだった。二人で文案をひねり、一文を作成した。その後最近の消防団の話をして解散した。
東京事務所の風張さんからメールをもらった。なんとヘルニアで手術のため入院していたのだそうだ。全く今まで知らなかった。私の入院中は何度も見舞いに来ていただいていたのに失礼した。
朝一番に房間建設の社長がきてくれた。我が家のバリアフリー化が完了していないので様子をみにきたようであった。建具の直しがまだだったので、その場で携帯電話で指示した。
午後になって建具やさんがやってきた。敷居の直しなどほんの小一時間で済ませていった。終わった後は全く快適に出来上がっている。
2004年11月07日(日) |
【写真付】ツーショット |
娘が孫を連れてやってきた。(←ずいぶん年寄りじみた物言いである。) 私48歳、娘23歳、孫0歳。
ツーショット写真を写してみた。
トルコ帰りの妻神次長が来てくださった。昨日成田に着いたのだそうだ。市庁の剣道部を中心に、トルコはイスタンブールに剣道指南の旅に出かけた人たちの様子をデジカメの映像をもとに教えていってくれた。全員無事の帰国だそうである。何よりまずそれをお祝いしたい。
なんといってもイスタンブール、テロ警戒中のなか、無事にこられたのは何よりだ。現地の日本人の先生に、危険な場所はどこかと尋ねたら、それは場所ではなく運だと返事が返ってきたそうだ。まあもっともな答えかも知れない。
イスタンブールで3日間、その後パリ見物を3日間したのだそうだ。おみやげにパリで有名なチョコレート屋のチョコをいただいた。
今日はデカドロンも二日目だ。テンションが高い。いつもは午前中眠っているのに、今日は録画しておいた放送大学の講座を聞いて過ごした。先週は具合が悪かったので、放送大学の録画も溜まっていた。
朝起きがけは少々寒い気がしたのだが日中はは暖かい日だった。久しぶりにエアコンを使用した。体調が優れないときにはじっとりと汗をかくのだが、今日はそのおかげで快適であった。エアコンも夏だけ使わなくても良いのだ。
夕食後はさすがに即眠気が襲ってきた。日記をつけるのもままならない。メールのチェックも大変だ。明日のことを考え早く寝よう。
いとこから電話があった。息子が住宅建設のために開発許可を申請中とのことである。私が以前開発許可の担当部署にいたのを思い出してどんなものか聞いてみたかったらしい。
私が開発担当だったのは、平成8年から平成11年までの4年間である。その後都市計画法の改正や市の開発指導要綱の改正などがあり、当時とは大幅に条件が変わっている。知り得る範囲で最大限にアドバイスしてあげた。
2004年11月03日(水) |
【写真付】金沢のみやげ |
朝食後早々に書道クラブの佐藤先生が来てくれた。土曜日の例会にメンバーに報告しなければならないため様子を見に来たと言っていた。
新潟県中越地震のさなか、北陸へ旅行に行ったのだそうである。大雨の被害の金沢や新潟地震の被害をタッチの差ですり抜けてきたそうである。地震の2時間前に長岡を通ったのだそうだ。
土産に金沢の純金箔とみそ漬を持ってきてくれた。
写真を掲載しようと思ったのだが、FTPソフトがうまく作動しない。写真ファイルがアップロードできない。SP2をインストールしてからだ。どうもうまくない。
今日は3週間に1度の診察の日であった。予約の時刻は10時。でも赤十字病院はあまり予約の時刻にはシビアではない。
いつもどおりに受付を済ませ、血液検査へと向かった。検査室ではいつもは番号札をくれるのに今日は診察券と書類をそのまま受け取った。どうしたのかと思ったら機械の整備中とのことで、一連の作業がストップしていた。再開するまで15分ほど待った。
その待ち時間の間に知り合い二人に会った。一人は母の友人で、私の顔を見てずいぶん太って顔色も良いと言ってくださった。もう一人は隣の庭園の持ち主の奥さんであった。庭の話に花が咲いた。
採血から結果が出るまで小一時間かかる。その時間を利用して床屋へいった。入院しているときから利用している病院内の理髪店なのでなじみだ。あらかじめ予約しておいた。いつも寝てばかりいるからと思い、これまでは髪の毛を短くしていたが、今回はもうすぐ寒い冬がやってくるので少し伸ばすことにした。
ちょうど一時間ぐらいで床屋が済んで第3内科に戻ってみると、間もなく私の診察の順番であった。血液の数値データは良い方向にあるとのことで一安心した。
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