山ちゃんの仕方がねえさ闘病記
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2004年07月31日(土) デカ二日目

デカドロン2日目。さすがにだるい、苦しい。

朝から午後4時まで寝ていた。もちろん夜中も寝ている。よく眠れるものだ。

午後4時過ぎに娘一家が来た。買い物の途中に寄ったらしい。お袋の要望でソフトクリームを買ってきた。食べないつもりだったが、一口ご馳走になった。


2004年07月30日(金) デカドロン開始

今日も暑い日だった。

今日から例のデカドロンの服用が始まった。今日のところは飲み始めたばかりなのでなんともないが、明日あたりから筋肉のこわばりとかが発生してくるだろう。辛い日々がやってきそうで怖い。


2004年07月29日(木) 畑中さんのお見舞い

住宅課の畑中さんが訪ねてきてくださった。退院祝いに来てくれたのだ。時間休を取って来てくれた。私の母とともにお世話になっている。今日は生ウニを差し入れてくださった。夕ご飯は生ウニ丼となった。

畑中さんには本当に世話になりっぱなしである。お祭りの時などは、トラ舞のグループにおでんやモツ煮込みなどを大きななべで差し入れてくださる。毎年欠かさずだ。その縁でお嬢さんとうちのメンバー大崎とがくっついたわけだが。

そういえばもうすぐお祭りである。トラ舞の笛吹きが少なくて困っているそうだ。畑中さんも話していた。私は笛吹きに復帰できそうもないから新しい笛吹きを捜してほしい。

夕刻、高舘の叔父がやってきた。やはり退院のお祝いに来てくれた。


2004年07月28日(水) 通院日

今日は2週間ごとの病院の受信日だった。予約時間10時半に向け動き出した。今回は2回目なので、ちょっとは慣れているため、行動も余裕だ。通院のドキュメントは以下の様である。

10時にタクシーを呼ぶ電話をする。10分後タクシーに乗り赤十字病院へ。5分後到着。10時半より早めに第3内科の受付を済ませる。

10時40分、55番中央採血室にて採血。ここから血液検査の検査結果が出るまで1時間以上かかるという。ひたすら待つことになる。

入院時に一緒になったことがある軽米町職員の工藤さんが先客で待合室にいた。最近東京へ行ってきたそうだ。あの39度になった日のことだ。国立がんセンターでセカンドオピニオンを求めてきたそうだ。現在の治療法で問題なさそうだ。ご苦労様である。

車椅子で待っているのは辛いので、診察室脇のの4つあるベッドのうち一つを借りて横になり、順番を待つ。

午後1時過ぎ、やっとのことで主治医の沼岡先生がやってくる。数値データ的には順調で問題ないとのこと。入院中に行った骨髄穿刺の結果も、骨髄腫細胞は減少しているようで、いい傾向だ。よく管理されている、という結果が出ている。それを聞いて一安心。

終了後は一目散に自宅へ帰る。支払いや投薬は後回しだ。正面玄関でタクシーを呼ぶ。そこから自宅までまたおよそ5分。とりあえず私を涼しい自宅に帰宅させて、その後妻が支払いと薬を取りにもう一度今度は自家用車で日赤病院まで向かう。妻にはご苦労様だ。

帰宅してみると、ちょうど来客中であった。木村家筋の親戚で大橋敬子さんが見舞いに来てくださった。浪岡実明さんが連れてきてくれたのだ。本当に久しぶりであった。


2004年07月26日(月) HERO

久しぶりに雨が降ったような気がする。大雨・洪水注意報が出たのでもっとたくさん降るかと思ったら、それほどでもなかった。明日の朝までに降るかもしれないらしい。

夕べNHKBS−2で映画を観た。「HERO」であった。なかなか面白かった。中国のアクション映画であるが、新しいジャンルといえるのだそうだ。
ソンバンさんからいただいたDVDは中国語と英語の字幕であったため、理解ができなかったが、今回は良くわかった。


2004年07月24日(土) 誕生日

今日24日は私の誕生日であった。48歳になった。今年の夏、最も暑い日だったそうだ。

いつも最高に暑い時で、ガキの頃は母がよくスイカを買ってくれたものだ。今回は妻が焼肉の用意をしてくれた。発泡酒を少々いただきながら、焼肉を食った。

娘の夫が本をプレゼントしてくれた。
長井秀和 「間違いない!」
蒔田幸治 「トリック」
ピーター・デイヴィッド 「スパイダーマン2」
ヒマな私には最高の贈り物だ。


2004年07月23日(金) エアコン設置

私の居室にエアコンをつけてもらった。今日は暑い日だったのでちょうど良かった。


2004年07月22日(木) 写真アルバム消える

以前のホームページの写真アルバムに、Photo Highwayという有料サイトを利用していたが、利用期限が切れたらしく、アルバムが消されてしまっていた。今日まで気がつかずにいた。

確か昨年の今頃、年間の利用契約をしたのではなかったかと思う。それなのに警告なしに消してしまうとは何事か。せめて機嫌が切れますよ、ぐらいのメールは送って欲しいものだ。

おかげで香港旅行の写真や中国三千人友好交流のアルバムなどがすべて消えてしまった。残念極まりない。ホームページも舌足らずのものになってしまった。本当に悔しい。

バックアップをしようと思っていた矢先であった。中でも日中友好交流のアルバムは、それ自体でストーリーを持たせてあったので、なくなったのは極めて残念だ。


2004年07月21日(水) 【写真付】お花

今日は暑いので一日中寝ていた。暑さ対策には動かないのが一番かも
しれない。

風張さんがおくってくださったお花
そうこうしているうちに、宅急便でお花が届いた。東京事務所の風張さんが退院祝いにお花をおくってくださったのだ。さっそく玄関のかざりスペースに飾っておいた。こんな大きな素敵な花は久しぶり。家族で大感激であった。

午後になっていつもの古里電気がきた。テレビとプリンタの代金を支払った。次はDVDプレーヤーの番だ。どんなのがいいか意見を求めたが、あまりに細かくて訳がわからなくなりそうだった。カタログとにらめっこしてよく研究したい。


2004年07月19日(月) 友人の訪問

下水道事務所当時の同僚で、観光課勤務の安原清友さんが遊びに来てくれた。必死に三社大祭やえんぶりの売込みをしているそうだ。三社大祭の記事が載った旅行雑誌なども見せてくれた。がんばっているらしい。

彼は現在は類家に住んでいるそうだが、以前は八幡地区に住居を構えたいとも言っていた。一緒に土地を探したこともある。こういう人に八幡の住人になってもらいたいと思うがどうにかならないものか。

安原さんと歓談中に消防団の松田鉄満団員がやってきた。操法大会のDVDを2巻持ってきてくれた。あと、消防団で帽子をそろえるらしい。サイズをきかれて、思わず
「いらねぇ」
と叫んでしまった。もう消防活動には参加できる見通しは無いのに、帽子だけ新調してもらうわけにもいくまいと思う。そう言ってもつかわれてきた鉄ちゃんが気の毒だからMサイズを申告しておいた。ちょっと小さかったか。

夕方DVDを鑑賞しようと思ったら、2巻のうち1巻は何も映らなかった。間違えて映っていないメディアを持ってきたのではないだろうか。


2004年07月17日(土) 【写真付】赤いお魚

盛岡に福田パンというパンやさんがあるそうだ。そこではコッペパンにジャムを挟んだものを販売している。今日消防団の栄田分団長がおすそ分けしてくださったのは「抹茶あん」と「バターあん」の2種類。

佐藤先生が差し入れてくれたお魚
書道クラブの佐藤先生が、今日の釣果を持ってきてくれた。
「ほれ、赤魚」
といっておいていったお魚は、嵯峨とか目抜けとかいうやつで、赤いお魚であった。焼き魚、あら汁などにしていただいだ。最高であった。次はクリーム・シチューとかになるらしい。


2004年07月16日(金) 快気祝

昨日も今日も眠い。眠いの一言に尽きる。体もだるい。これが病院だったらどんなだろうと思うとぞっとする。

退院したものだから「快気祝」を見舞ってくださった皆さんに配るべく、住所を調べたり妻と悪戦苦闘の数日である。

中には数人、住所がわからない人がいる。幸いメールアドレスがわかるので、メールで問い合わせることにした。全部判るとうれしいところだ。

写真を見た友人から、今後は「まごかて」にもせいを出すようにという忠告があった。妻とおふくろがまごかてに夢中だから、私が入り込む隙間はない。


2004年07月14日(水) 【写真付】最初の通院

今日は退院後初の診療日であった。午前10時の予約に間に合うようタクシーをお願いし、自宅を出た。自宅から赤十字病院まで5分もかからない。その意味では最高のロケーションである。

9時45分に病院到着。10時採血。結果が出るまで1時間はかかるからベッドで横になって待っててもいいよ、というやさしい看護婦の言葉に甘え、4つあるベッドの一つを借りる。その時点では4つとも空いていた。

結局先生から診てもらったのが12時過ぎで、ベッドで1時間半は待っていた。車椅子に座って待っているのを想像するとぞっとする。ベッドを貸してもらって助かった。

松田副分団長が差し入れてくれた見事なさくらんぼ
自宅へ戻ったらすぐに松田副分団長が来てくれた。素晴らしいさくらんぼを差し入れてくれた。こんなに立派なきれいに並んださくらんぼは直接見たことが無い。

初めての通院で緊張したのか、ずいぶん疲れたことに気がついた。自宅へ戻ってからは気持ちが悪くて昼食をまともに摂れなかった。




2004年07月13日(火) 痛み止め

痛み止めは、デュロパッチテープという貼り薬を、三日間ほど胸に貼り付けている。三日経つと交換する。以前は飲み薬をもらい服用していたが、副作用が大きいため、この貼り薬に代えて貰っている。今日はそのデュロパッチテープの交換日だ。三日目の午前10時と決まっている。

早いもので退院してから一週間になる。これも早いもので、明日はもう一回目の通院日だ。

日曜の日記に私がベッド上で孫を抱いている写真を載せたら、見方によっては「私が出産したようにも見える」というコメントをくれた輩がいる。よく見れば確かにそうとも言える。ニヤニヤしてしまった。

久しぶりにテレビを見ている。夕べは「水戸黄門」、今日は「はみだし刑事情熱系」。たまにはテレビもいいもんだ。


2004年07月11日(日) 【写真付】孫の桜菜ちゃん

夕べから降っている雨が止まずに降り続いている。気温もさほど上がらない。しのぎやすい一日だった。昨日の具合の悪さはナンだったのだろう。あんなのが続いたら自宅で暮らすことなんか全くできないと思った。それが今日はだいぶ良くなって、落ち着いた。良かった。

昨日から娘夫婦が泊まっている。孫の名前が決定した。『桜菜』と書いて『らな』と読むそうだ。いかにも今の若いものが付けそうな名前だ。

孫の桜菜ちゃんと祖父母夫婦?
娘は生後一週間の「らなチャン」を連れてきて、曾祖母に当たるおふくろたちと写真の撮影会を始めた。ついでに休んでいる私のところまでやってきて写真を撮り出した。赤ちゃんは小さい。それで無くとも小さめに生まれてきたから、余計に小さく感じる。比べては失礼だが、飼い猫のハイドよりも小さいのだ。

撮影した後は、印刷してくれの大合唱で、先日購入したばかりのCANNONのPIXUSで印刷してあげた。このプリンタはとてもきれいで速い。感動ものである。

ついでに名刺の作成ソフトを作動させてみた。ソフトの使い方をすっかり忘れていて、印刷がうまくいかなかった。あちこち弄り回し、やっとのことで思い出して、名刺のマルチカードに収まるよう印刷できた。やはり使っていないと忘れるものだ。


2004年07月10日(土) 気分優れず

今日は暑い。だるくて気持ちが悪い。

娘夫婦がやってきた。赤ん坊が退院したのだ。初めて目にする孫。かわいいものだ。

夕方、田面木の叔父が出産祝いを届けに来てくれた。いつものように収穫した野菜類も一緒だ。野菜が取れるといつもご馳走になっている。おかげで我が家の家計は大助かりだ。

午後になってたいそう気分が悪くなってきた。背中が引きつるように痛むような引っ張られるような感触があるのだ。その耐え難い感触が夜まで続いた。辛かった。


2004年07月09日(金) テレビ購入

徐々に生活環境が整えつつある。

今日はテレビの周辺を整理した。、ダイニングに居間からテレビをもって行き、私が仮住まいにした居間には一回り小さいテレビを入れた。三菱のテレビだが、火を噴いたりしないだろうね。

あとは、この部屋(私が寝泊りしている部屋)にエアコンを設置する。これがないと猛暑に日にはいかに北国といえども風がない日は辛いだろう。

それとDVD+ハードディスク・レコーダーを導入する。これにより放送大学の放送をチェックできるし、何より今夏はギリシア・アテネ・オリンピックをチェックできるというものだ。大人のおもちゃといえるだろうか。そう、おもちゃを買う雰囲気だ。

消防団の先輩から馬肉をいただいた。先日五戸の上田さんから馬肉をいただいたばかりだったが、今日また馬肉をいただいた。ご馳走になって体調回復の一助としたい。


2004年07月07日(水) プリンタをいじる

夕べはさすがにぐっすりと眠った。こんなに熟睡したのは何ヶ月ぶりだろうか。いや、入院してからこんなに眠ったことはないと思う。体が一安心したんだろう。

昨日は暑い一日だった。30度もあったらしい。我が家でもエアコンを入れたり、おふくろがリモコンの操作がうまくいかないと騒いだり(リモコンの電池が切れていた)、で大騒ぎだった。それでも病院にいるよりは数段ましなんだろう。30度でエアコンの無いあの病室に閉じ込められるのは想像しがたい。

バスケットボール部OBの上田先輩から馬肉のセットがクール宅急便で送られてきた。先日お見舞いに来ていただいたときに、上田さんの
「何が食いたい?馬肉でも食うか?」
という質問に
「食う、食う、何でも食っちゃう。」
などと安易に回答したせいで、また先輩に負担をかけてしまった。でも本当に美味しい馬刺しと桜なべをいただくことができた。持つべきものは『いい先輩』である。

昨日購入したプリンタの調子を見るため、いろいろなものを印刷してみた。

夕方、書道クラブの佐藤先生が今日の釣果をおすそ分けくださった。八木漁港沖でメバルを釣ったのだそうだ。退院のお祝いに赤いお魚でちょうど良かったと話していた。


2004年07月06日(火) 退院

とうとう退院した。午前10時に晴れて八戸赤十字病院を後しにた。ナースステーションにいた顔なじみの看護婦全員が手を振ってくれた。

やっと自宅へ戻った。自宅は爽快である。なにしろ病院ではプライバシーはないに等しいから、それを考えると自宅が何倍もいいということがわかる。

午後になって、父の介護保険の介護グッズの担当者がやってきて、お風呂の手すりなどの取り付けを行った。その他に新たに別なものも注文してやった。

入れ替わるように古里電気が来た。注文しておいたプリンタがきた。CANNONのPixus860iである。CDでのダイレクト・プリントができるタイプということでこのプリンタになった。インストールまでしてもらった。

退院したと思ったら、うちへ帰ってすぐ来客ということで、今日はとても疲れた。


2004年07月05日(月) 久々看護婦ランキング

今日が八戸赤十字病院最後の夜である。残り少ない日赤での思い出に、久々の5C看護婦美人ランキングをつけてみたい。

スレンダー美人・・・外山看護師
 スレンダーでかっこいい。当初は色白と思っていたが、ハワイ旅行から帰ってきてからちょっと黒くなったが、それでも美形。
美女系美人・・・藤丸看護師、中山看護師
 声もかわいい。あの声で「どうしたの?」ときかれるとグッときてしまう。
爽やか系美人・・・夏川戸看護師
 はきはきして、あいさつから何からすべて爽やか。
今後第3内科に入院予定の人はぜひ参考にして欲しい。

午後は最後のリハビリをしてきた。リハビリの先生には本当にお世話になった。このリハビリがあったおかげでここまで歩けるようになった。ちなみにリハビリの先生は川崎理学療法士・・・爽やか系美人といったところか。

リハビリから帰って居眠りをしていると、バスケットボール部の先輩北川さんが来てくれた。最近不動産業の事務所を開設したそうだ。だったら私のホームページでも宣伝しておこうと思ったのに、そんなにおおっぴらに載せないでという。地道にやるんだそうで、なんて控えめな人なんだろうと思った。

夕方、政策推進室のメンバーが、退院間近と聞き、やってきてくれた。今回も楽しい職場の話題で盛り上がった。退院してもよろしく。


2004年07月04日(日) 外泊から帰る

自宅三日目。痛み止めの薬の張り替えをすっかり忘れるところだった。

父は毎週通っているリハビリテーション協会のイベントに出かけていった。朝食後例の通り眠くて午前中寝ていた。よって昼食もあまりすすまなかった。午後もさっぱりせず、半分眠ったり、半分テレビを観たり。夕方になってやっと目覚めたという感じである。

退院してもこんな状態では、家でうまくやっていけるのだろうかと心配になったりするが、いつもの「なんとかなるさ」気分で解消してしまう。

夕方病院へ戻ると、看護婦さんたちが心配そうに集まってきた。自宅にいる間なんとも無かったかとか、いま熱はないか、血圧はどうか、みんな調べられたが、すべて合格であった。


2004年07月03日(土) 【写真付】爺さま記念日

朝起きてみて、昨日のマルクの後がそれほど痛まないのには助かった。でもいつものように眠気は強い。11時過ぎまで眠った。

妻神次長がくださった鯛と餅
午後になって都市開発部の妻神次長が来てくださった。病院のほうへ来てくださったらしいが、一時帰宅中ということで、急遽自宅を訪ねてくださった。

間もなく退院という報を聞き、紅白の餅と鯛の尾頭付きをくださった。紅白の餅というのはなんでもない日には作っていないらしく、売っていないそうだ。フルーツの五色餅で代用した。鯛はゆべし餅の鯛であった。たいへんごちそうさまでした。


娘の娘
午前11時11分、娘が女児を出産した。体重2,544kg、身長45.0cm、出産予定日当日ピッタシ。予定日に出産するのは4%の確率だそうだ。

私から見ると「孫」ということになる。ということはこの子から見れば私は祖父か。おじいさん、じい、じさま、爺や、グランパ。いろいろ呼び方はあるんだろうがどれもしっくりとこない。47歳で「「じさま」はないよな。


2004年07月02日(金) 何度目かの骨髄穿刺

昨年の7月2日に背中の手術をした。つまり手術記念日、今日もアニバーサリーである。

八戸赤十字病院に来て、初めてのマルク(骨髄穿刺)をやった。痛いのは判っているのでビビっているのが看護婦たちにも分かっているらしく、からかわれた。

医大から来た先生は、医大に入院していたときに、主治医の先生にいつもついてくる医師で、研修医かなんかだろうか、顔を良く知っていた。確かに手際よく、痛みも少なかった。

終了後、その医師が言うには、
「骨が硬くなっているみたいですね。この病気の人は、骨がもろくなっているので割りと簡単に刺さるんですが、結構抵抗がありましたから。(サリドマイドが)効いてるんですね。」
ということだった。この調子で効果を発揮し続けて欲しいものだ。

今日は二度目の一時帰宅。午後3時ごろ妻の車で自宅へ連れてきてもらった。やはり自宅は良い。安心できる。


2004年07月01日(木) 【写真付】慶長さん現る

いとこの佐々木和雄さんがウニを差し入れてくださった。1回分といいながらも小さいタッパに一つの生ウニはたっぷりな量である。和雄さんにも退院予定を知らせたら喜んでくれた。

午前中に回診があった。そこでマルクをやっていないことがばれてしまった。マルクとは「骨髄穿刺」のことで、胸の骨に針を刺し、骨髄を直接抜いて検査する手法である。前回岩手医大でやったときには、後遺症的に痛みがなかなか取れなかったので、できればやらないで過ごしたかったが、データがないとそれも問題である。明日医大からマルクが上手な先生がくるそうである。それで明日やることになった。ドキドキである。

慶長さんからいただいたお土産
午後リハビリから帰ってくると、病室の前で手を振っている人がいた。慶長さんではないか。休暇で八戸に帰ってくるのは知っていたが6月の末から7月上旬というだけで、細かい日程は不確かだった。それが突然私の病室に現れた。

奥さんがシドニーで行われる会議に出席するため、休暇をとってオーストラリアへ行き、その後ニュージーランドへ行ってきたそうだ。うらやましい限りだ。退院の予定を知って大いに喜んでくれた。

「ホームページは続けるんでしょ。」という言葉に、ネタがなくなってきたのでどうしたものか悩んでいると話したら、看護婦の話題なんか面白かったので、そういう話題でいいから是非続けるよう勧められた。

お土産にニュージーランドのフットボールチーム、オール・ブラックスのブランドのTシャツ、キャップ、マカダミアナッツ・チョコレート、そしてカモノハシのキーホルダーをいただいた。


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