実家にいる弟より、こんな写真が送られてきました。 タイトルは、”お母さん退職記念!!” 「こんな感じやったわ!」というコメント付き。 そう、母が、長年勤めていた銀行を、6月末付けで退職したのです。
私たち子供が生まれてからは、子供のために時間を自由に使えるように、と、パートタイムに切り替えて、家事と仕事を両立してきた母。 それでも会社では、正社員並み、もしかしたらそれ以上の働きをしてきた母。 弟も社会人になり、もうそろそろこのハードな二足の草鞋を脱ぐ時期だ、と、とうとう退職を決意したのです。
母も母なりに、一つの大きな人生の区切りであるから、いろいろ思うところはあるだろうけれど。 ようやく、自分のために時間を使えるようになるのだから、これからの人生を楽しんでほしいものです。
しかし、写真を見ていて、なんとなく、涙が。 歳とったなぁ、3人とも・・・。
今日は、ウィーン行きのチケットを買うのに、予想外に時間がかかってしまって。 ちょうど、そろそろ夏のバケーションの時期だから、皆、旅行するのですね。 チケット買うのに約1時間も並んだのは、久しぶりでした。 で、その後いろいろ振込みの手続き等をしに銀行へ行ったのですが、なんだか最近いろいろとシステムが変わったらしくて、「おおお、いつもと違う、こりゃいいな。」とご満悦だった私、調子に乗って、大切な銀行のカードをATMの中に忘れてきてしまったのです・・・!! 気が付いたのは、一時間後。 慌てて銀行へ戻り、カードを止めてもらい、新しいカードを注文しました。 ATMに忘れるのは、よくあることらしく、窓口の兄ちゃんは、にこやかに対応。 でも、口座の中のお金が誰かに引き出されたかどうかは、結局今のところわからずじまいでした。 まあ、一度に引き出せる金額は決まっているので、誰かに取られていたとしても、そんな大金ではないはずなのですが。 多分、大丈夫であろう・・。 しかし、いやいや、焦ったのなんの。
ようやく、やっと、なんとなくショパンのソナタ、どう弾きたいのか全体の形が見えてきました。今まで細かく練習しておいて良かった。 仕上がるときは一気に仕上がるものなんです。 教授よ、焦らせないで。ちゃんと出来るんだから。
・・・そういえば、今日、友人に「最近いくちゃん、怒ってばっかりだね」と言われたのでした。 よくサイトを見てくれている友人で、最近の日記に、怒りの文章が多い、と。 「ささや」でご飯食べながら言われたのですが、ふと、ああ、そうだなぁ。と。 ・・・疲れてんのかな。最近、よくイライラするな。 まあ、7日の帰国前に試験とかウィーン行きとか、いろいろやる事があって、ちょっとテンパッてはいるのですが。 微妙に反省したのでした。
今日は、友人の一人が明日完全帰国すると言うので、顔を見せに行ったり、他の友人の引越しを手伝ったりと、いろいろ充実。 あしたは、お買い物に行かなくちゃ。
2004年06月28日(月) |
ドイツ人女性への怒り、即興演奏の試験 |
ライプツィヒに向かう電車の中、不意に前方で大喧嘩が始まった。 若い女性が、中年の男性に向かって「そこは私の席なのよ!!立ちなさい!!」と、キンキンの高い大声で連呼しているのだ。
彼女は、もともと席を予約していたわけではなく、予約なしの空席に座っていた。でも、まだ電車はすいていて、向かい側の予約席には人は来ない。なので、彼女は、「人が来るまで」と、その予約席(若干快適)の方に移動していたのだ。 しかし、次の駅からドカッと客が乗り込んできて、電車は満席。 彼女がもともと座っていたはずの予約なしの空席に、中年男性が座った。そこで彼女がなんと言ったのかはわからないが、彼女は他人が予約した予約席にそのまま座り、中年男性もそのまましばらく座っていた。 電車が動き出し、ようやく落ち着いたころに、遅れて老人2人が彼女達のいる席へやってきた。予約席を予約していた客だ。 老人は、当然、自分が予約した席に座っている彼女に、どいてくれ、と言う。 彼女は、「じゃあ、あなた退きなさい」と、中年男性に言う。 中年男性としては、空いていたから座ったのであって、退く筋合いはない、と動かない。
彼女は、どんどんエスカレートして、「そこは私が座っていたのよ!!!立ちなさい!!立ちなさい!!」と、車両全員に聞こえる大声で叫ぶ。 一方、それに立ち向かう中年男性の声は小さくて聞こえない。 キンキン響く大声を聞かされている他の客達はいいかげんうんざりしてきて、なんとなく「中年男性がさっさと退けばいいじゃん」という雰囲気になっていく。 結局、車掌が来て、中年男性が連れて行かれてしまった。 周りの客達も、ホッとして、「よかったわね」と、彼女に声をかける・・・。
しかし、しかし、彼女は、全く同じことを「私」に、その喧嘩の前にしていたのである!! 私は最初の駅で、車両に乗り込んですぐの、その予約なしの席を、実は真っ先に確保していたのだ。 そこへ、大騒ぎしながら乗り込んできた女性2人。私が荷物を置いていたその席で立ち止まって「ここ、ここ」と言うので、私はてっきり隣の予約席の客だと思い、窓側へ入りやすいように、いったん荷物を持ったまま通路へ出たのだ。 すると、あっという間に、私が確保していたはずの席に女性は荷物を置き、車両の出入り口に近いその通路で派手にお別れの抱擁を始めた。 私が、「はやく席に入ってよね」と思いながらも、待っていると、彼女達は怪訝な目で私を見て、「あなた予約したの?」と訊くのだ。 「いや、その空いていた席なんだけど」と言うと、「あなた予約してたわけじゃないんでしょ、そこ私の席よ」と、主張。 は?と思って、「でも、あなただって予約してないでしょ、そこ私がいたのよ」と言うと、「そうよ、でも私はそこをもう取ったの」と、当然のごとく、のたまうのだ。 あきれてモノも言えず、ここで争っては他の席が取れなくなる、と、私は急いでその場を離れ、手近に何とか空いていた予約なしの席を確保できたのだが、座ってからムカムカと腹が立ってきた。 あの、人を人とも思わないあの態度はなんなんだ!! もちろん、一瞬は私も荷物を持って席を離れましたよ、そこを付かれると痛いけれど、明らかに私がそこを確保していたことは、わかるじゃないか。 アジア人だからって見下した目で見るんじゃないよ、チクショウ。 もっと言い返してやるべきだった!! 自分のことしか見えない、自分がいつも正しいと思っている、ドイツ人女性の嫌な部分。 昔同居していたドイツ人との最悪な日々の思い出(エッセイ「同居生活のススメ」参照)が嫌でもよみがえってきて、余計にムカッ腹はおさまらない。もう、忘れつつあったのに。 Scheisse!!(ドイツ語で人をののしる言葉。クソッ、最悪、とか、そんな感じ。)
そう思ってムカムカしているときに、やっぱり一波乱やらかしたよ、その女性。 私から言わせれば、彼女は自分が確保した席から離れていたんだから、中年男性がそのまま座っていて当然なのだ。かわいそうなおじさん。 どうして、こうも自分勝手に物事を判断して、それを周り全部に押し付けられるのかね、ドイツ人女性ってヤツは。(もちろんそうでない人もたくさんいるのだけど) あんなにキンキンと怒鳴りたてられれば、相手は折れるしかないだろうよ。 そんなに、大喧嘩して車内の注目を浴びて、相手を嫌な目に合わせてまで、その席に座りたいのかね。スゴスゴと連れられていく中年男性を尻目に、「してやったり」とばかりに偉そうにその席に座って、あんた恥ずかしくないのかね。 多分、彼女的には、「当然よ、私が正しいのよ」としか思えないんだろうなぁ・・。なにが、「ありがとう、皆さん」だよ。信じられない。
はあ、うんざりだ。ドイツ人の気質は、絶対に好きになれない。
気分が悪いまま、ライプツィヒに到着。 ムカついていたのと、読んでいたピアノの本が面白かったのとで、あっという間の2時間の電車の旅。 一時間ほど練習室で弾いてから、即興演奏の試験。 自分が他の生徒に授業をする試験は、なんとか、のりきった・・・んじゃないかな。 不安なのは、3人でのセッション。 テーマは「海の上の月」「山の上の月」「街の上の月」。うーん、わかりにくい。 「海」以外は、どうも具体的なイメージが浮かばないまま、セッション開始。 他の2人も、どうもイマイチはっきりイメージができていなかったらしく、3つのテーマの区切りがわからないまま、もう終わる?え、あんた、まだやるの?もう「街」までやったんじゃないの?とお互いに無言で戸惑いつつ、いつのまにか5テーマ分ぐらい弾いてしまった・・・。 どうなんでしょう、これ。 ・・・落ちるとしたら、これが原因だな。
ピアノが面白くて仕方がない。 実際に鍵盤に向かっている時間は少ないのだけど、頭の中が、音楽だらけだ。 飲み会に行く気にもならない。もっと、勉強したい。
2004年06月26日(土) |
Waldbu"hne |
明日は、ベルリンフィルの今シーズン最後の演奏会である、野外演奏会がWaldbu"hne(直訳すると”森の舞台”)で行われる。 今年で私はこのシーズンをドイツで迎えるのが4回目(!!)になるわけで、つまりWaldbu"hneでの演奏会も、もう4度目。 今年は、いろいろと忙しくてピクニック気分で半日潰すわけにもいかないし、もう過去3度も観たので、今回は今日のリハーサルを見に行くことに。
この野外コンサート、本当に毎年人気で、チケットを手に入れるのはとても困難。 普段クラシックを聴かない人たちも、お祭り気分でやってくるのだ。手には、ワインとビールとピクニックのお弁当。ゆったりと野外でくつろぎながら、今シーズン最後のコンサートを盛り上げる。会場全体でウェーブしてみたり、花火をしたり、踊ったり歌ったり・・・。 日本でもテレビ放送されるし、本当に楽しい気持ちになれるイベント。
で、リハーサルは、団員さんの家族や、招待客だけが聴く事ができまして。(私は、友人がオケに乗っているので、招待していただきました。) 過去3回、山のように人がいる状態でしかこの舞台を見たことがなかったから、こういう内輪だけが集まっている、人の少ないWaldbu"hneは、とても新鮮。いつもは、会場が人で埋まっていて身動きもできないくらいの雰囲気なのですが。 場所取り合戦をしていた去年までがウソのよう・・。ゆったりと、好きなところに座って、テレビのインタビューを受けているラトルを遠目から見たり、団員さんたちの家族団欒を眺めたりしながら、リハが始まるのを待つ、優雅な私。 人が少ないから、子供達も走りたい放題。演奏が始まっても、いろんなところから子供のはしゃぐ声や泣き声や雄叫び(笑)が聴こえてきて・・・。最初は微笑ましく思っていたものの、やっぱり「音楽聴きなさい」と説教したくなってしまった。 子供にとっては、前半の、若きピアニスト、ラン・ランの弾く直情的なチャイコフスキーは魅力がなかったようで。私は、楽しく聴きましたが。 とにかく、若い!曲に入り込みすぎじゃ・・、と思ってしまう体の動きが笑えたけど、しっかり弾いていて好感を持った。 しかし、マイクで拾って音を出すと、粗が目立って怖いねぇ。ピアノだけじゃなく、オケの方も・・。
後半の「くるみ割り人形」の2幕では、いつのまにか子供達が主役に・・。 ある女の子が、一人、舞台のすぐ前で音楽にあわせて踊りだして、あまりにも可愛いもんだから、他の子供達も(親に勧められたのか)恐る恐る前のほうに出てきて、あっという間に舞台の前の芝生は、子供達のダンスパーティー会場状態。 同じような歳の子供でも、音楽にあわせて生き生きと踊りだす子と、踊りたくてもどうしていいのかわからずに固まってしまっている子、そして、テレビカメラの前にどうしても行きたがる子、親に無理やり前のほうへ引っ張ってこられて嫌だ嫌だと引き返す子、そういう個性を見ているだけでも、「ああ、子供社会も大変だなあ」なんて思ってしまった。 そして、面白かったのは、子供達に「花のワルツ」のようなゆったりした3拍子は踊れない、ということを発見した事。 それまではクルクルはしゃいで踊っていたのに、「花のワルツ」ではどう踊っていいのかわからない様子。 なんだ、西洋人にだって、3拍子は難しいんじゃん。なんだ。
オケは、けっこう弾けてなかったりバラバラだったりしていて(気が抜けてるんでしょうね、お祭りだし)オイオイとおもったけど、ま、明日の本番ではきっと良くなるのでしょう。
森の中なので、寒い寒い。 リハ終了後、キンキンに冷えた空に光る月の美しかった事・・。
2004年06月24日(木) |
教授との諍い、to do list |
疲れがピークでございます。 朝、7時に起きて(いつもこうやって書いてしまうのは、朝早く起きるという事が私にとってはものすごく大変だからなのです・・)、ライプツィヒヘ。
レッスン。 はー、やっぱり私は、教授のことが好きになれないみたいです。残念なことに。 今、私は、ショパンのソナタ、この夏の終わりに、実は一つコンクールに出てみようかと思っているので、それに向けてもう一度やり直しているわけですよ。 昔一度弾いた曲だからこそ、もう一度ゆっくりと細かいところを新しい視点で見直し、頭に入れなおしている作業中なのです。夏の終わりまではまだかなり時間があるし、焦って今、速く弾かなくてもいいと思っているのです。 その、私のペースってモノを、全然理解してくれない。 説明しているんですよ、今は、まだ全体を通しての事じゃなくて、細かく部分的なことを重点的に練習しているんだ、と。でも、彼は、それが気に食わないらしいです。 「自分のレッスンには、完成した状態で持ってこい」ってわけです。 「昔弾いていたあの状態で何が悪い」と。 あのねー、一年前と同じ演奏なんてしたくないですよ、こっちは。 もちろん、一年前の演奏が悪かったとは言いません。でも、成長するべきでしょうが。解釈だって、変わるものでしょうが。
まったく、彼は、自分のレッスンでは、生徒はスラスラ、スピーディーに弾くべきだ、全体さえ形作れればそれでいいとでも思っているのでしょうか。
夏のイタリアでの講習会でも、「今までやった曲は持ってくるな、時間はたくさんあるだろう、新しい曲を持ってこい」と。 ・・・あのー、私、コンクール前の最終チェックをしてもらうために講習会に行こうと思っているのに、本番で弾く曲を見てくれないっていうんですか。 もちろん、新しい曲もやらなくてはいけないけれど、ちょっと待ってよ、私、何曲弾くと思ってるんですか。6曲ですよ。トータル約2時間ですよ。
もう、いいかげん、頭にきました。 いいですよ、やってやろうじゃないか。 コンクール用の曲も、ばっちりに準備して、その上、新しい曲もやろうじゃないですか。 文句言わせないわよ。ちくしょー、ホント、あったまくる。
ムカツキまくって、疲れも倍増。 レッスン後は友人たちと軽く食事しながらお喋りして鬱憤を晴らしましたが。
ライプツィヒの友人関係も、様変わりしていきます。 今学期、もうすぐ終わるのですが、それとともに、帰国などでライプツィヒから離れていく友人が結構いるのです。 ずっと親しくしていて、室内楽の授業でもお世話になっているファゴットの友人も、とうとう帰国するとのこと。 しばらく会えなくなるんだねー。なんて、感傷に浸ってみたりして。 ドイツでは、7月は、別れの季節でもあるのですね・・。
そういう私も、来月7日には日本行きの飛行機に乗ります。 それまでにやらなくちゃいけないことが結構あるぞ。 4日から5日、6日まではウィーンだし。
・イタリアでの宿の手配 ・講習会への最終登録 ・ウィーンへのチケットの手配 ・日本へのチケットの受け取り ・来学期の授業登録 ・室内楽の試験のプログラム作成・共演者へのお礼 ・ウィーンへのお土産、日本へのお土産 ・留守中に私の家を借りる方(作家さん)への鍵などの受け渡し ・他にも会っておかなくてはならない人、返すべきものがある人がちらほら・・
げー、時間ない〜。
2004年06月23日(水) |
ヨーロッパ選手権とフィルハーモニカー |
ドイツが負けてしまいました。 サッカー。ヨーロッパ選手権。
ちょうど、試合のとき、私はベルリンフィルを聴きにフィルハーモニーにいたのですが、演奏会の前半が終わり休憩に入った途端、いつもと違ってすごい速さで舞台裏に引っ込んでいく団員さんたち。思わず笑ってしまいました。 いつもはないはずの大型テレビが、サッカーのために設置されているのです。舞台裏に(笑)。 そう言われれば、今日はお客さんも、この時期にしてはわりと少ない?さすがのベルリンフィルも、ドイツ人のサッカー熱には負けるのか・・・。
私も舞台裏を覗きに行くと、ちょうどドイツが一点先取。 でも、そのすぐ後に一点取られて、同点のまま、演奏会は後半へ突入。 おかげで、なんとなく、なんとなく、演奏に集中できず・・。 いい演奏だったのですが。
終演後も、舞台裏は大変な事になっていました。 いつもなら、さっさと帰っていく団員さんたちが、ワイワイとテレビの前でビール片手に観戦。 私の大好きなチェロ奏者さん(超上手いんですよ〜)が、私のすぐ隣にいて、もう、ドッキドキでした。サッカーそっちのけの私。写真隠し撮りしてしまった。しかも、目が合ってしまった。キャー。
結局、ドイツは負けてしまったわけですが、なかなか楽しかったわ。 「ベルリンフィルのメンバーと一緒に観戦」なんて、あんまり出来ない経験だもんなー(笑)。
その後、大好きなビオラ奏者である清水直子さんとも軽くお喋りして、一緒にフィルハーモニーを出たのは終演から1時間半後。 そこに、直子さんのファンの方がやってきて、サインをお願いしていかれまして。 一時間半も、外で待っていたんだなー。すごいなー。 そして、そんなすごい人である直子さんと、気軽にお喋りさせていただいているこの状況に、感謝感謝の私なのでした。
試験やなんやでゴタゴタしていて、実はそれどころではなかったのですが、またしてもお食事パーティーでございます。 美味しいフォアグラを、打楽器奏者さんが買ってきてくださったので、彼が日本に帰る前にお名残惜しむ意味も兼ねて。 いやいや、またしても美味しかったです。 写真は、もう旬も終わりの白アスパラのサーモン添え。 そして、甘い白ワインを片手に、フォアグラをそのまま、トーストに塗ったり、野菜と食べたりしました。
少人数で飲む楽しみ。 酔っ払うと、議論の論点がどんどんずれていって、収拾つかなくなったりもするけれど、少人数だからこその暖かさがあって良いですね。 私は今日もわりとローペースで飲んでいたので、友人がどんどん壊れていく(笑)のを見て楽しんでいたのですが。 酔っ払ったときの思考の飛び方って、おもしろいですねー。 結構真面目な話を議論していたんだけど、ちょっと覚めた目で見ると、酔っ払ってなきゃたいしたことないテーマだったりして、そしてそれを熱心に話している自分が面白かったりもして。 自分と考え方が似ている人と話すのも楽しいものだけど、こうやって全然違う視点を持っている人と話すのも、ある意味おもしろい、というか、「そうくるか、おい」的な驚きがあって新鮮ですね。 と、少人数での飲み会の良さを再確認したのでありました。
2004年06月21日(月) |
余韻&ハリーポッター |
昨日の安永さんたちのレッスンの余韻が醒めやらぬまま、ライプツィヒへ。 室内楽の授業。 昨日レッスンが終わってから、一音も弾いていないまま、授業に行かざるをえない状況だったわけだけど、それでもやっぱり、昨日のレッスンの影響力は大きかった。 音の出し方、音楽の作り方、聴き方、全て、ガラッと変わるんだもの。 すごいっすよ。 申し訳ないけれど、いつもの授業が生ぬるくて仕方ありませんでした。
もう一度、ブラームスだけじゃなくて、全部の曲をやり直したい。
夜は、即興演奏の試験前の予備テストを受けてきました。 10人近くで、いきなり、セッションをしよう、ということになり。 テーマは、ヨーロッパ選手権で盛り上がっている今日この頃なので、「サッカー」。 (ドイツは水曜日に勝たないと決勝に出られる可能性は低いのです) トロンボーン4人、チェロ2人、フルート2人にピアノ3人、他にドラムやマリンバやピッコロなどを使って、皆で、即興・・・。 はっきり言って、音楽というよりは、ただのカオスだったような気もしないでもない。かなり笑えました。こんなんでいいのか、おい。
昨日のレッスンを録音したMDを聴いたり、即興演奏の楽しさを思い出したりしていて、なんだか、行き帰りの列車の中でも一人テンションが高くて、いつもなら寝てしまうのに、ギンギンに目は冴えたまま。 帰ってきた今、ようやく、非常に疲れております・・・。
そういえば、書くのを忘れていましたが、土曜日にハリーポッターの映画を見に行ってきたんです。 私は、この話が売れ始めた当初、小説を2巻まで読んで、「これくらいどこにでもある話だろ」「売れている理由がわからない」と思い、3巻も途中まで読んで放置して(全部読んだものと自分では思っていたのだけど、今回映画を見て、どうも最後まで読んでいなかったことに気が付きました。ラストの記憶がないもん。)、ずっと、アンチ・ハリポタのスタンスだったのです。 ところが、私の周りの友人たちは、ハリポタファンが多い。 特に、分別知ったる年上のお姉さま方からの推薦の声が異常にでかい。 しまいには、「子供の心がわかんないなんて、いくちゃん、汚れてるのよ(笑)」とまで言われる始末。 納得いかないー!! 言わせてもらえば、私が子供の頃、ハリーポッターみたいにご都合主義じゃない、差別もない、もっと良質な子供向けのお話はたくさんありましたよ。 佐藤さとるさんのファンタジーとか、ミヒャエル・エンデとか。 ああいう、表面的な魔法とかの子供だましにひっかかってるのは、当の子供達よりも大人のほうなんじゃないのー?プロット的にも余計のものが多くて、わざわざそんなことしなくても的なところがいっぱいあるじゃん、と、主張してきたわけです。
それが、この間から、1・2巻のDVDを友人に進められるままに観て、しぶしぶ「まあ、ロンとか、可愛いよね」ともらしたところ、その友は、我が意を得たり、と、ここぞとばかりに、3巻の映画をどうしても観るべきだ、と主張。「あの3人の成長した姿とか見たいと思わない?」なんて口説かれて、ハリ―ポッター支持者である友人たち3人とともに、結局、観にいったわけです。
結果、映画は、言うほどでもなく・・(日本ではまだ公開されていないのかな。すみません)。 私としては、映画だけ観れば、1・2巻のほうが作りとして良かったと思う。ドイツ語で、わかりにくかったからかとも思ったけど、後で、借りた3巻の小説を読み返してみると、なんていうか、ドイツ語だからっていうんじゃなくて、映画にする限界なんじゃないか、と。 小説のほうは、3巻が、1・2よりも群を抜いて面白いと思ったのですがね。これなら、次の巻を待ち望む気持ちもわからなくもない、と。 で、小説的にちょっと複雑になってきた分、映画にしてみると、盛り込む要素が増えてしまって、結局、細かい心理とかが、描ききれないわけです。 監督が変わったせいもあるのかなー。
アンチ・ハリポタである私ですら、なんとなく、小説を擁護したい気持ちになってしまって、まあ、友人たちのたくらみは、ある意味成功したのかもしれないけれど、どうなんでしょうねぇ・・。
2004年06月20日(日) |
偉大な2人のレッスン |
実は、今日ですね。 安永徹さんと、奥さんの市野あゆみさんに、無理言ってお願いして、ブラームスのビオラソナタを見てもらったのです。
いや、もう、絶句。 レベルが違うんですよ。もう。 今まで、いろんな先生にレッスンしてもらったけれど、まるっきり、違うの。 視点が違うというか、細かいというか、繊細で柔軟で・・。
変に褒める事はしないし、弾けてないからといって見放すこともない。 そういう、人間的なところから違うんですよ、なんか。
ああ、もう、レッスン後は、脱力しきってしまいました。 自分の至らなさに落ち込むし 偉大な2人のオーラにあてられて、なんだか言葉も出ない
ということで今日はこの辺で。
即興演奏の授業も、試験に向けて佳境に入ってまいりました。 「即興」といっても、ジャズみたいに、コードに沿ってルールを守りながらの即興ではなくて、本当に「イメージの音楽での具体化」という感じ。 最初はかなり戸惑ったこの授業も、最近ではかなり楽しくなってきています。
試験では、私自身が、他の2人の生徒に授業をしなくてはいけなかったりもして、それが厄介だったりもするんだけど、でも自分が演奏する分には、もう、問題なし。楽しい。 今日も「朝露」「雨」「鍾乳洞の中の岩から落ちる水滴」の3テーマで、ギター2本とセッションしていて、お互いが好き勝手にやりながらも、楽しかったわー。 やっぱり、こういうのは、一人でやるよりも、他の人とセッションするのがいい。 面白いことをやって、皆でニヤリと笑ったりするのが、いい。
ベルリンに帰ってきて、コンサートへ。 今日のコンサートは、現代モノばかり。聴きながら、「あ、これも即興で使える、このアイディアもいただき」なんて、ウキウキしてしまいました。
本当はねぇ、コードに沿った即興のルールとかも、勉強したいんだけどねぇ。 ジャズでのアドリブができるといいなぁ、と思うのだけど。 つまりは作曲だよなー。 でも、難しい作曲技法とかは置いておいて、ただただ、イメージをそのまま音にする作業は、単純に楽しかったりするなぁ。 自分のピアノの技術がどうとかこうとか、考えなくていいもんなー・・・。
自分のピアノにおける技術や考え方が、ものすごく上達したなぁ、と思う日もあれば、 全然ダメじゃん。なにやっても、自分、ヘタクソー、めっさダメダメ。と思う日もある。 そんな日は、練習していても、「一体この練習が本当に役に立つのか、正しいのか」みたいな疑念まで湧いてきて、やる気がなくなることこの上ない。
いやね、今日のレッスンに、一年ぐらい前にやったショパンのソナタをもう一度持っていったのですよ。 自分なりに、いろいろと曲の見方も変ったし、技術的にラクに弾けるようになった所もあるし、新しい指使いにしてみたり、流れ的におかしかったところを実験的に変えてみたり、ま、要するにいろんな部分が、一年前とは違っていたはずなんです。 ・・・でも、レッスンで、教授にそれに気が付いてもらえなかった。 もちろん、まだその「変えた部分」というのは、昔からのクセが思わず出てしまったりと、少したどたどしかったりするから、そこを「弾けてないじゃないか」と言われるのも仕方がないと思う。 でも、「変えたからこそ、まだ慣れていないんです」と、わざわざ言い訳しなくてはいけないのが、なんだか情けない。 私は、どうしてこう変えたのか、どうしてこういう流れにしたいと思ったのか、よく楽譜を読んだ上で考えた、そういうことを、教授はわかってくれると、そして、それに対してのコメントが(良いにしろ悪いにしろ)もらえるものだとばかり、思っていたのだ。 もちろん、今日は教授もひどく疲れていたみたい(自分で「今日は疲れているのだ、すまない」と言っていた)だからかもしれないけれど、でも、なぁ・・。
つまり、自分が思ったほど「変わっていない」ということなのか。 変えたと思っても、変わった、と他人に伝わるほどではないのか。 一年で、聴く耳が変わった、楽譜を読む意識が変わった、上達した、と、密かに大喜びしていた自分は、ただの自意識過剰だったのか、とさえ思ってしまう。
そして、どうも、教授と私の、曲に対するイメージがなんだか噛み合わないのだ。 多分、根本のところで違うのだと思う。相手の「イメージ」を理解しようと試みる作業は、難しい。そして、お互いに自分のやりたい事が伝わっていないのがわかるから、お互いに憂鬱が募る。 あの人は、説明不足なところが多々あって、なんだか言っていることが良く理解できないこともある。ドイツ語がどうこう、というのではなくて・・。実際に「こうだよ」と弾いてもらっても、どこが違うわけ?と、なることが多い。 もちろん、センスもいいし、よいレッスンをしてくれるときもあるのだけど(特に、私自身が「弾けている」ときは上機嫌になる)、こうやって私自身がなんだかよくわからないぞ、と、迷いだしたときに、それに対するいいアドヴァイスをくれたことが、今まであったかどうか・・・。 「言っていることがよくわからない」「何が違うのかわからない」と言っても、「キミがもうちょっと弾きこめば自然にわかってくる」みたいな突き放し方をする。そうとしか言いようがない気持ちもわかる。でも、違った角度から説明してみようという気すら起きないのか、と、私もいらだってくる。 もし、その私の「弾き込み方」が間違っていたら、どうしよう、と、不安にもなる。 だって、私自身は、今までの弾き方が、好きだったりするし、教授が弾いてくれるソナタを、あまり良いと思わないのだから。
まあ、でも、客観的に聴いてそういう意見が出るという事は、どっちにしろ、弾き込みが足りないという事なんだろう。 もうちょっと、研究するしかないなぁ。 文句言わせないくらいに、変えた部分も、自分の「モノ」にするまで弾き込まなくちゃ。
しかし、朝からマグデブルクで室内楽のレッスンを受け、そしてライプツィヒヘ移動して、なかなかハードな一日でした。精神的にも肉体的にも・・。
2004年06月16日(水) |
エッセイ書いてしまった |
明日は、マグデブルクと、ライプツィヒに行く予定。 レッスンが一日に2つ。きっついなー。
ということで、今日は練習練習。 でも、その合い間を縫って、ひとつ、エッセイを書いてしまいました。
この日記は、「エンピツ」という日記サイトのスペースを使っているのだけど、ここに決めるにあたって、いろいろと他の日記サイトも調べたのです。 アンテナ、という機能とか、blogという言葉とかに出会ったのも、その頃。 そうしているうちに、他の人たちの面白い日記を見つけてしまったり・・・と、ま、つまりネットサーフィンをしていたわけです。 で、いろいろ見ていて、考えた事を、IKUKO的blog考察としてまとめてみました。 ちょっと、blogというものを実際に知らない方にとっては、わかりにくいエッセイかもしれないけれど。
今回のは、多分、異論が出るだろうなぁ。 私の文章を読んで、感想をくださる方たちにとって、もしかしたら失礼な事を書いているのかもしれないし、こんな事を書けば、さらに掲示板に書き込んでくださる人たちは減ってしまうかもしれないしなー。(と、どんどん弱気になる・・) ま、でも、パソコン依存症になる前に、こういう文章をアップしておかないと、ということで。 エッセイ・インターネットの世界―IKUKO的blog考察
明日はライプツィヒに一泊するので更新できません。
「耳」って、結局は、頭なんですね。 わけわかんないっすか。
いや、つまり、「聴覚」ってやつは、結局は、どこを聴こうとするか、という意識であるわけで。 聴こうと思わなければ聴こえない。 聴こうと思うから聴こえてくる。 そういうものが、世の中にはいっぱいあるんですね。
例えば、今聴こえてくる、窓の外の鳥の鳴き声だって、「あ、鳥の鳴き声だ」と意識しなければ聴こえないわけで。 誰かが自分に話し掛けていても、それに気がつかなければ、聞こえていないということで。 結局は、視覚も聴覚も、意識という媒体によって知覚されているのだ。 ・・・まるで、京極夏彦の世界だな、書いていることが。
いや、なんでこんな事書いているのかというとですね。 ショパンのソナタb-mollの4楽章を弾いていてですね。 昔(といっても一年前)は、とにかくチャンチャラ弾きまくってたわけですよ。 でも、今回は少しでも進歩しなければ、と、細かく細かく和音やら旋律の動きやらをゆっくりと頭に叩き込むように、練習し始めたのです。 そうすると、ねぇ。 まったく、曲が、違うのですよ。 こんなに、いろんな色が、このフレーズに、この一小節に、あるのか、と。 ただただ、弾きまくっていては、わかんなかったものが、頭で理解したとたんに、びっくりするほど聴こえてくるなんて。 こんなに、深みが増すものか、と。 今まで、私ゃ、何やってたんでしょうねぇ、よよよよ・・・(涙)。
結局は、「耳がいい」というのは、意識的に聴ける、ということなんだな。 もちろん感覚だけで、出来ちゃう人もいるだろうけど、凡人である私は、一生懸命頭を使って、意識を起こしてあげなくては、耳も、起きないわけです。
しかし、私の耳にはこう聴こえていても、他人の耳にどう聴こえているのかは、一生わからない、謎のままなんだよなぁ。 世の中の奥深い事よ。
日本に帰る前に、ウィーンに行く事に決めました。 昔、ベルリンで習っていた先生が、今はウィーンにお住まいなので、レッスンを受けに行こうと思いまして。 そう、私の大好きな、Hughes先生でございます。
で、時間はあるかどうか、彼にメールを書いたら、その日のうちに返事が来て、「7月初めならウィーンにちゃんといるからいつでも来なさい。うちに泊めてあげられないのが残念だ。」とのこと。 あー、なんて優しいのー。 すぐに返事を書くところが彼らしいんだよね。 しかも、現在3歳の娘さんの写真まで添付されていて、心なごむ事この上なし。
・・・しかし、「泊めてあげられなくて」ということは、やっぱり、2回ぐらいはレッスンしてくれるって事なのかな・・。 それとも、まさか日帰りはするまい、ということかな。 私自身は、夜行を使ってベルリン‐ウィーン間、日帰りでもOKの気分だったんだけど。 まあ、友人を頼って、一泊するつもりで、もしくは2泊になることも覚悟しておかなくては。
7月2日が室内楽の試験になる可能性が強いらしいので、その後、早速行ってくるつもり。忙しくなるぞ・・。
高校時代、私はコーラス部に入っていたのですが、そのOB会のメーリングリストが出来たらしいです。 メーリングリストなるもの、私は今までよく知らなかったのですが、いやいや、世の中にはいろんなシステムがあるんですねぇ。 上手く出来てるもんだ。 これを機会に、高校時代の友人や先輩後輩達との交流が出来るといいのだけど。
というわけで、さっそく登録しました。
高校部活のOB会は、組織が出来上がっていて、それなりに長所も短所も含みながらも、しっかり活動しているのです。 毎年、現役の高校生達のコンサートのお手伝いをしたりして。 私はドイツ在住ということで、お役目は免除されていますが、役員の方々はそれなりに大変な様子。それでもOB会を存続させているのは、高校時代の思い出がものすごく美しかったからなのでしょう。 すごいなー、と思います。
本音を書いてしまうと、私個人は、高校時代の部活は、わりとつらかった事が多くて(顧問の先生の変わり目だったこと、そして人数的にキツかったことなど・・)、それでも、コーラスが好きな気持ちだけでなんとかやってきたからなぁ。もちろん楽しい事もたくさんあったけど。
でも実は、むしろ中学校時代のメンバーと、OB会というか合唱団を発足させたい気持ちのほうが強いんですよね(笑)。 なんてったって、全国一位になったような活発な部活でしたから。 日本に帰ったら、本気で呼びかけてみようかな・・。
「ささや」に、行ってきました。←やっぱり行ったか、私・・。 この秋から、学校が週一回のレッスンだけになる予定なので、もしそうなれば時間が余るので、「ささや」でバイトするのもいいかも。と、考えてみたり。 家に籠もって練習するだけでは、せっかくドイツにいるのに、もったいないもんな。 もちろん、卒業試験の準備で大変にはなるのだけど、やっぱり、世間勉強もしなくちゃ、なんて思ったりして。
お食事パーティー再び。 写真は、もう食べ残しですが、牛フィレのルッコラのせ。 奮発して、極上のフィレ肉買っちゃいました。600gで11ユーロ。 塊のまま胡椒をまぶし、表面をあぶりまして、その後薄く切って、塩胡椒。軽くオーブンで焼き、ルッコラをのせた所に熱したオリーブオイルをジュッとかける。そしてバルサミコ酢をかけてオシマイ。 例の打楽器奏者さんが、作ってくれました。 いやいや、美味かった。簡単だし。 他にも、ホワイトアスパラのリゾット。美味かったー。ぱうかーさんありがとう。
先週、飲み過ぎたので、今回は、ローペースで、またまた美味しいワインをいただきました。 いやいや、幸せだった。
それもこれも、美味しい素材が比較的安く手に入るからなんですね。 日本だと、もっと高くつくのだろうなー。 こんなに贅沢な食生活でいいのでしょうか。 ま、最近、日本食料理屋「ささや」にも行ってないし、よしとしましょう。
朝早起きして、ライプツィヒヘ。 朝9時から2時間、ばっちりとブラームスのビオラソナタ、レッスン受けてきました。
私の室内楽の先生、シュヴァルツロックさん、という若い男の先生なのですが、 なかなか、熱いレッスンをしてくれるのです。 私は、実は初めて彼に付いた時から、彼の音の出し方やタッチのテクニック、腕の使い方などは好きではなかったのですが(実際音があまり飛ばない)、そことは別に、音楽全体の構成の仕方、曲をおもしろくするアイディアなどは、レッスンを重ねるごとに、いいなぁ、と思えてきておりまして。 思いも付かなかったことに、気付かせてくれるというか。 例えば、対比を大げさにしてみたり、隠れていたフレーズをわざと前面に持ってきたり。 以前は、「少しクドイよなー。田舎くさくないか?」なんて思うような、恥ずかしくなるくらいの熱くルバートをかける音楽作りもよくやっていたんだけど、最近はそういうところがちょっとなくなって、結構洗練させたすっきりとした音楽を、生徒にも提案してくれるのです。
ということで、今回のレッスンも、なかなかおもしろかった。 なによりも、若くて体力もあるし、意欲的なので、2時間レッスンでも飽きないんですね。ものすごく熱心に、楽しくレッスンしてくれる。 彼自身がレッスンしていて本当に楽しそうなのが、こっちとしても嬉しい事で。 私の専科のピアノのほうの教授とは大違いだ(笑)。まあ、教授のほうの音楽的センスは、私も信頼はしているのですがね。なにしろ、気分屋だから、レッスンにムラがあって・・。 まあ、教える立場というのは、難しいものですね。
朝早くからはるばるライプツィヒまで一緒に来てくれたビオラさんに感謝。
即興演奏の授業も終えて、ベルリンに速攻帰ってきて、夜はベルリンフィルを聴きに行きました。 演奏会で、ある友人に偶然会い、なんとなく話しているうちに「ああ、最近こうやって外の人たちとゆっくりお話してなかったなー。」と。 なんだか小さな対人関係の中でここ一週間過ごしてきたなー。 たまには、こうやって、新鮮な人付き合いもしなくちゃな。
この夏、8月半ばから2つほど、イタリアの講習会に参加しようと思っているのです。 一つは、私のライプツィヒの先生が、イタリアのおいしいワイン生産地で開くもの。 そして、その後、もう一つイタリア国内のものに参加して、それからちょっとイタリア旅行する予定。
まあ、旅行についてはまだまだ未定なんだけど、とにかく講習会の申し込みを済まさなくては、と、この一週間ほどウダウダと準備していたのですが。 こういうのって、めんどくさいんですよ。 まず、イタリアなので、履歴書を英語で書かなくてはならない。 ドイツ語では何度も書いているので、大丈夫なんだけど、英語ではどうやって書くんだっけな、と、四苦八苦。
そして、ビックリしたのが、入金方法なんですがね。 講習会するくらいなら、専用の口座を作って、振り込ませるのが普通でしょうに、なんと、郵便為替で送れ、とのこと。 さすが、イタリア。 そしてですねぇ。やっぱり、国際送金なので、手数料が思った以上に高いのですよ。 講習会費用450ユーロを送るために、25ユーロ・・。 んー、イタイ。 手持ちのお金がなくなりそうで、ヒヤヒヤしました。
いやいや、でも、考えてみると、日本に一時帰国するまであと一ヶ月ほど。 そして2ヵ月後にはイタリアか。 意外と、のんびり出来ないじゃないの。 ああ、月日が過ぎるのは早いものだー。
明日は日帰りライプツィヒ。 朝6時の電車です。寝なくちゃ。
この前の我が家でのパーティーの様子を、ところどころビデオカメラで撮っていたのです。 で、改めてそれを見ると・・・。
恥ずかしいもんですねー!!!
酔っぱらって皆に絡んでいる自分を、醒めーた目で見ると、もう、穴があったら入りたい、という心境でございます。 私、場の雰囲気、読めてねー・・・。 嵐のようにその場にやってきて、嵐のように皆をかき回して、嵐のように去っていく自分の姿は、もう、笑うしかありません。 恥ずかしーーーーー!
いや、もちろん、酔っていないときは、普通にまともに、話をしているんですがね。
しかし、パーティーの様子をビデオに撮ったりするのは、大学時代にもやっていたけど、あの頃はもっと面白かったぞ。 この歳にもなって、飲み会をビデオに撮るのは、やっぱりノリとして間違っていたのでしょうか・・・。 結構、嫌がっていた男の人もいたしなぁ。もっと、メンバーを考えてああいう事はするべきでございました。
・・・ま、おもしろかったんだけどね。
最近、トランプにハマっているのです。 2週間ほど前に、友人宅で「大貧民」をして以来、なんとなくトランプブームでして。 最近覚えたのは、「コパック」。二人用のゲーム。 これが、なかなか頭を使うので、おもしろいのですよ。 遊び方はこちら。
映画「グラン・ブルー」(DVDにて昨日鑑賞) なんだかんだ言って、ちゃんと最初から最後まで通して観たのは初めてだったりします。 いや、ずっと昔に一度ちゃんと観たっけかな。 とにかく、久しぶりに観ると、新鮮!! 昔は、ただとにかく、海への男のロマンだー、なんて、そんな印象しか持たなかったような気がしますが、やっぱり歳を経て見直すと、感じ方は変わってくるもので。 ありゃー、すごい、愛の話じゃないですか。 以下、ネタバレ承知で書くので、まだ見ていない方はご注意を。
もちろん、ジョアンナはジャックに一目惚れだったあげく、結局一緒に過ごした期間はそんなに長くないので、年月を経た深い愛情かといわれると、そんなことはないのだけど。 妊娠がわかったときの、表情といったら、見ていてこっちが泣けてきそうでした。 女の「妊娠の喜び」なんて、昔観たときはわかんなかったからなぁ。 そして、そんなふうに、これから家族として生きていける一番輝いているときに、死ぬとわかって海の底に潜りに行こうとするジャックに、自ら決断して「行きなさい」と言う、女としての強さ。 すごいのよ、このセリフが。「Go, go and see my love」。 ジャックは、海の底で、ジョアンナの愛をちゃんと見たのだろうか。 海のことばっかり考えているバカな男のまま(こうやってバカだと思うのが、現実を知ってしまった女である現在の私・・)、終わってはほしくないぞ。
しかし、エンゾ役だったジャン・レノ。いいねぇー、やっぱり。 そして、イタリア人って、やっぱり、いいねー。 いやいや、おもしろかった。
室内楽の試験に向けて、ブラームスのビオラソナタ、佳境に入っていきそうです。 やっと、なんとなく、流れが自分の中で納得できつつある。 ビオラさんと一緒に練習しないで、かなり個人練習したのがよかったみたい。 自分が納得しないまま、合わせたってしょうがないもんな。 ブラームスの、この優柔不断というか内に内にこもる音楽の作り方は、方向性を持たせるのがとても難しい。 ともすると、非常につまんなく演奏してしまいそうで、とにかく、どこにポイントを置くのかよくよく考えなくては。 うーむ、しかし、ブラームス、苦手だなぁ・・・。
実は、二日酔いです。 今日一日、ずっと二日酔いでした。
昨日、日本からやってきている打楽器奏者さんが、我が家で料理の腕を披露してくださいまして。 もう旬が終わりつつあるホワイトアスパラをふんだんに使っての、お食事パーティー。私の大好きなエビも大きいプリプリのものを用意していただきました。
いやいや、メンバーが揃うまでの間、ちょっとだけ飲み始めているつもりが、もう、美味しいおつまみのおかげで、最初からハイペースでワインをカパカパ空けてしまって。 自分の家で開いたパーティーなのに、最後までコトを見届けずに、夜中3時過ぎに一人で撃沈。 なんかねー、家で飲むと、絶対途中で寝ちゃうんですよ、最近。歳ですかねぇ。 というわけで、来てくださった皆さん、ホント申し訳ありませんでした。
で、ですね。 朝起きると、水道工事で蛇口から水は出ないし、冷蔵庫のコンセントがなぜか切られていて霜が溶け出して床はひどい状態。 そして私はひどい二日酔い。 そのうえ、ドイツ語の授業があるのをすっかり忘れていて、痛む頭を抱えつつ慌ててバス停まで走り、貧血で倒れそうになってしまいました。あれはヤバかった。 ・・・お酒、しばらくひかえます・・。
でも、ですね。 二日酔いで気持ち悪いなぁ、と思いつつピアノ弾いていると、なんだか面白いのですよ。 いつもと違うものが見えてくる。 体調悪いにもかかわらず、のめり込んでしまいました。やっぱりピアノはいいぜ、ショパンはいいぜ。
アバドです! アバド!!アバド!!
現常任指揮者ラトルの前任であったアバド。 私が、ベルリンにきてまだ間もない頃にアバドの演奏に衝撃を受けたのが、私のコンサートにハマることになったきっかけでした。現在も続く私のコンサート通いは、そこから始まったと言っても過言ではありません。 私にとっては、オケの面白さを教えてくれるきっかけとなった、大恩人サマなのです。愛しちゃってるんです。
病気で痩せてしまった身体で、今にも倒れるんじゃないかと心配になるくらい、大きく指揮をする、2年前の、神がかったアバド。 でも、今日は、以前よりもお元気そうで、楽しそうで・・。
ということで、まともに演奏会日記を書ける状態ではなく、 批判精神はぶっ飛び、 とにかくアバドアバド、と、目はクギヅケ。 前半はポディウムで、アバドの真正面に陣取り、表情を満喫。 後半は立見席で、音楽を堪能です。
演奏終了後、すぐに客席一番前まで走り、目をハートにしながら至近距離のアバドを見つめておりました。 写真があまり上手く撮れなくて残念。 お客さんたちも盛り上がりまくっていて、舞台近くはアバドファンだらけでした。 ちなみに、一番前で嬉々としてカメラを構えている私の姿は、いろんな友人たちに目撃されていたらしく・・・。ちょっと恥ずかしい。
まともではないにしろ、一応演奏会日記もアップしました。
(上の写真、載せちゃっていいのでしょうか。肖像権にひっかかるかしら。 問題があるようならばお知らせください。)
ライプツィヒから帰ってきて、久しぶりにネットを見ると、 御手洗怜美さんの事件。 小学生の頃って、こんなふうに、ある意味残酷に、友人を言葉で傷つけることを、平気でやる時期だと思う。 それが、ネット上であろうと、なかろうと。
なんていうか、結局は、想像力の、偏りなんだろうな。 自分に向かっての他者からの悪意が少しでもあれば、世の中全部が自分を否定しているような錯覚にまで陥ってしまうのは、わからなくもない話で。 でも、想像力を、自分に関するマイナス方面の想像にばかり、たくましく伸ばしてしまって、 相手を殺したらどうなるのか、相手の痛みはどうなのか、という方面にそのイマジネーションを使わない。使えない。
クラスメートの中には「私も同じことをしてしまうそうだ」とコメントしている子もいるようだ。 一歩間違えれば、どこにでも起こり得る事件。 怖い世の中だ。
でも、一番びっくりしたのは、この事件に関する井上防災担当大臣の発言。 「元気な女性が多くなってきた」などと言ったらしいじゃないですか。 それを読んで、もう、なんだか、暗澹たる気持ちになってしまった。 大臣たるものが、こんな的外れな発言しか出来ないのか。 こんなオトナに引っ張っていってもらう日本の先に、何があるんだ? びっくりした。
まあ、こんな嫌な話ばかりじゃなくて、楽しいお話もしましょう。 突然ですが、蚊に刺されて、薬も何もないとき、その刺されたところをどうしますか? よく、爪で「バッテン」を付けたりしませんでした? 痛みで、痒さが和らぐような気がする、と、×印を刺されたところに付けるのです。(私は、逆に刺された痕が残りそうであまりしないようにしているのですが。) ベルリンに帰ってきていつものスーパーへ買い物へ行ったんです。 オレンジ色の袋のスーパーです。 日用雑貨もたくさん扱っているのですが、 そこの特価製品の一つに、なにやらプラスチックの小さな部品が。 なんだろう?と見てみると。 「蚊に刺された場所に『バッテン』を付ける道具」。 おいおい。 プラスチックの先が、プラスドライバのようになっているのです。それで、患部を押さえる、らしい。値段を忘れてしまったのが残念。 しかし、さすがドイツ。こんなもの売るなよー!!
マグデブルクの演奏会後の打ち上げで飲んだサングリア(赤ワインにレモン・オレンジ・砂糖・シナモンなどをいれたスペインの飲み物。ジンを入れることもある。)を、調子に乗って結構飲んでしまって、お腹がいっぱいで眠れない。 ・・というのを言い訳に、朝寝坊。
立て続けであった本番が終わり、気が抜けたのですね。 マグデブルクからライプツィヒに帰ってきた後、眠れない、と言いつつ、ウダウダとファゴットの友人から借りた、かわぐちかいじの「ジパング」を夜中、8巻から14巻まで一気に読破してしまいました。おもしろかったぜ。 レッスンがあるというのに。あはは。
マグデブルクに一緒に行ったイタリア娘と、スペイン女が、ちょうど私のレッスンが始まる前にやってきて、前日の室内楽の演奏の録音を聴いてほしい、と、私の先生と雑談を始めたので、これ幸い、と、私もその雑談の輪に混じって、レッスン時間を短縮させる事に成功。 うちの先生は、室内楽の演奏会に私も出演していた事を知らなくて、「私も出ていたのよ」と言うと、「そりゃ大変だったなー!!」と、驚き、そして、「じゃあ今日のレッスンはほどほどにしよう」と。 新しい曲をちゃんと用意してなかったので、どっちにしろ今日のレッスンは、レッスンにならないだろうと思っていたのよ。 ラッキー。30分ほど弾いて、おしまい。 来週はお休みなので、「この2週間、レッスンの重圧なしで、キミもストレスなく練習できるだろう」とのお言葉。 ハイハイ、頑張りますよ。
練習室を待っている時に、イギリス人の男の子と話していて、 卒業後、どうするのか、という話になり。 日本に帰るよ、と言うと、「じゃあ、キミはキミの人生を日本で始めるんだね」と言われた。 もちろん、ドイツ語はお互いに母国語じゃないので、ニュアンスは違うとは思うが、でも、面白い言い回しだな、と思う。 いかにも、外国的、というか。 学生時代というのは、完全に『モラトリアム』なんだな、彼にとっては。 つまり、学生している間は、まだ「人生が始まっていない」、ということですか。 なるほどね。 それとも、英語にそんな言い回しがあるのかしら。
マグデブルクでの室内楽コンサート。 総勢13名で、1時間40分、電車に揺られる。
私はどうも、イタリア娘に惹かれるらしい。
行きの電車の中で、私はイタリア人・スペイン人・フィンランド人たち、そして他の二人の日本人たちと大騒ぎしていた。 ラテン系ってのは、また、よっく喋るのだ。 私とほぼ同レベルのドイツ語力にもかかわらず、何であんなに喋れるのだろう? 自分が間違ったドイツ語を話す、という事をなんとも思っていないのだ。 隣に座っていたドイツ人のオバチャンに、「これでドイツ語、合ってる?」と訊いて、なんだか和気あいあいと仲良くなってしまったりしていて。 間違いを恐れて、積極的に話し掛ける事を苦手とする私との、大きな違いだ。
そして、イタリア娘。 彼女達(というのも、今回イタリア娘は一人だけだったが、私にはピサにもう一人大好きなイタリア娘がいるのだ。)は、どうしてあんなに生命力に溢れているんだろう。 表情が豊かで、声が大きくて、一度笑い出すと、涙を流すまで笑う。 イタリア男の茶目っ気ある女性へのアプローチに、ユーモアで応対する。
特に私とピアノが同じ門下である、今回一緒に旅した彼女は、天性の魅力を持っていて、明るくて華やかで、そばにいるだけで楽しくなる子なのだ。 「オー、イクコー!!」と、出会うと、いつも大げさなほどに歓迎してくれる(笑)。 そういえば、イタリア娘とは、なぜか私は、自然と仲良くなってしまう。 どことなく、イタリアの女性と私とは、感性が似ているようだ。もちろん、ドイツ人女性と比べれば、の話だけど。 あけっぴろげな感覚が、ちょっと共通するのかもしれない(笑)。
そんなこんなで、楽しくお喋りしながら、マグデブルクに着き、 楽しく演奏してまいりました。 ところどころミスもしたし、ちょっと鍵盤を叩きすぎて硬い音を出しすぎた感もあったけど、まあ、ここ数日でかなり上達したのではないでしょうか。 お客さんが少なくて、ちょっと寂しかったけど、でも演奏中、気持ちよかったわ。 オーボエ・ファゴットさん、ありがとうー!また一ヵ月後の試験、よろしく。
ショパンエチュードop.10-5「黒鍵」と、バラード4番を弾きました。 他の人がリストとかコンツェルトとか弾くというのに、なぜか私が一番最後・・。 なんとなく、余計なプレッシャーが。 待ち時間が長いのは嫌なもんです。
エチュード、前日から調子が悪く、まあ、予想通りちょこちょことミスを連発。 これが入試だったら確実に落ちてるな(笑)。 バラードの方は、演奏後にたくさんの人から「よかった」と声をかけてもらって、自分としても結構悦に入っていたにもかかわらず、あとで録音したMDを聴くと、ドーンと落ち込んでしまった。 やっぱり、エチュードでの失敗で、かなり動揺していた模様。 いつもよりも、ちょっとテンポが前に前に進みすぎていて、余裕がない。 うーむ。もっと、たっぷりと聴かせたかったのに。もっと、歌えたはずなのに。 悔しい。 それでも、先生は「雰囲気の作り方も良し、『物語』を語れていた、後半の盛り上げには引き込まれた」と、評価してくれたので、まあ良かったのでしょうね・・。
しかし、こうやって考えてみると、私の場合、 演奏会のあと、喜ぶよりも落ち込む方が多い気がするなぁ。 ドイツに来てから少しずつではあれ、確実に上達はしているはずなのに、 いつまでたっても、満足できない。 理想が高すぎるのだろうなぁ。
|