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2009年03月31日(火)
「某ビールメーカー経営トップを、庶民的な居酒屋に招待した友人」の話

『無趣味のすすめ』(村上龍著・幻冬舎)より。

(村上龍さんのエッセイ集から。「もてなしと接待」という項の一部です)

【「最適」なもてなしのために必要なのはレストランガイドではなく、情報と誠意だ。三ツ星のフレンチか「吉兆」に接待すればとりあえず場所は間違いないかも知れない。だが予約が困難でしかも高価だし、権威や美食が嫌いな人もいる。あまり親しくない相手と寿司屋のカウンターで横並びに座るのは案外白けるし、鍋を囲むのは家庭的すぎるし、エスニック料理などで相手の好みを読み違えると取り返しがつかない。
 最終的に重要なのは、レストラン・料理屋のランクや種類ではなく、もてなす側の誠意が相手に伝わるかどうかだと思う。わたしの友人のTVプロデューサーは、某ビールメーカー経営トップを、庶民的な居酒屋に招待することにした。他のスタッフは巨大企業トップを接待するのにそんなところでは失礼だと意見したが、友人はかまわず入口に縄のれんが下がる店に連れて行った。ただし、その店の壁一面をあらかじめそのビールメーカーの新商品のポスターで埋めたのだった。営業出身のビール会社社長は、友人の誠意を理解し、非常に喜んだらしい。もてなしや接待にマニュアルはない。誠意を相手に伝えるための、想像力が問われるのだ。】

〜〜〜〜〜〜〜

 僕くらいの年齢(30代後半)になると、「もてなし」とか「接待」をすることもされることもあるので、この話、とても興味深かったです。
 「有名な店」や「いま話題の店」であれば、「その店に連れていってもらった」というだけで「ここ、高いんじゃないですか?」「ここを予約するのは大変だったでしょう」というような印象を持ちますし、相手の「誠意」を感じるはずです。
 ただ、この話に出てくるような「大企業のトップ」だとか、「超有名人」だと、そういった店に招待するだけでは、ちょっとインパクトが弱いのも事実でしょう。
 それにしても、この「TVプロデューサー」の某ビールメーカー経営トップに対する「接待」は、かなりの冒険ですよね。企業のトップがみんな、高級店が大好きで、庶民的な居酒屋を軽蔑しているということはないのでしょうが、「軽くみられているのではないか」と相手に思われる危険はありますから。

 この「その店の壁一面をあらかじめそのビールメーカーの新商品のポスターで埋める」というのは、インパクトがありますし、それだけのことをするためには、かなりの手間をかけたのだろうな、と相手に想像させることもできるでしょう。
 たしかに、このアイディアは素晴らしい、と思います。
 ただ、この「もてなし」が成功したのは、その「アイディアの奇抜さ」だけではないのです。
 村上龍さんはこの文章のなかでさらりとしか触れていませんが、この社長は「営業出身」だったそうです。
 ということは、「ひとつの店が、自社の新商品のポスターで埋め尽くされるまで」のプロセスを当然想像したはず。このプロデューサーが店の人と懇意でなければできないことでしょうし、店側もこのメーカーに対する好意と信頼がなければ、そう簡単には受け入れられない提案にちがいありません。
 いくら「庶民的」とはいっても、お金さえ積めばなんでもやってくれそうな、「いまにもつぶれそうな不味い店」じゃないはずだし。
 社長は、過去の「営業」としての経験から、それが完成するまでの苦労も瞬時に理解し、プロデューサーの「誠意」を感じたのでしょう。
 もし、この社長が苦労知らず、贅沢三昧の二代目だったり、技術畑の人であれば、この「もてなし」は、うまく伝わらなかったかもしれません。

 もちろん、こういうのは経歴だけでなく、その人の個性に左右される面が大きいので(営業出身でも、「あざといことしやがって」と不快に思う人だっているだろうから)、この社長の好みについても、かなりリサーチした結果が、この「もてなし」につながっているはずです。

 「もてなし」や「接待」というのは、「相手の好みを知る」のが基本で、それに加えて、「予想をちょっと良い方向に裏切る」ことができれば最高なのでしょうね。
 そうは言ってみても、実際はこういうアイディアなんてなかなか思いつくものじゃないし、外したときのリスクを考えれば、「有名店」「話題の店」を選んでおいたほうが無難なのでしょうけど。



2009年03月26日(木)
「神舟7号映像捏造疑惑」と「他人を笑いものにしているつもりの人間」の脆さ

『と学会年間・BROWN』(と学会著・楽工社)より。

(「と学会」会長・山本弘さんのまえがき「知識を蔑む者は足をすくわれる」から)

【2008年秋、日本のネット上で、「神舟7号映像捏造疑惑」が持ち上がった。9月27日に中国の宇宙船・神舟7号が行った船外活動の映像に、画面上方に向かって移動する「泡」のようなものが写っている。これは宇宙で撮影されたものではなく、プールの中で撮ったニセの映像に違いない……というのである(http://dic.nicovideo.jp/v/sm4765291)。
 その少し前、北京オリンピックの開会式の映像でCGが使われたり、少女の歌が口パクだったりで、中国の印象をかなり落としたのは事実だ。しかし、この映像に関しては、捏造の証拠はまったくないと断言できる。
 映像の最初のほうで、飛行士が小さな国旗を振っているのだが、その動きはまさに真空で無重力の状態の動きなのである。水の抵抗らしきものは見られない。また、実際にプール内で行われた宇宙飛行士の訓練映像では、水のせいで画面がかなり青みがかっているが、神舟7号の映像ではそんなものは見られない。水中ではないのだから、謎の物体も「泡」ではありえない。おそらく宇宙服や船体からはじけ飛んだ何かのゴミだろう。
 さらに詳しく知りたい方は、宇宙開発に詳しいライターの松浦晋也氏のブログを参照していただきたい(http://smatsu.air-nifty.com/lbyd/7/index.html)。
 それにしても、捏造説を主張する者たちの発言には、まったくあきれる。「背景に星が写っていないのがおかしい」「旗の動きが無重力とは思えない」「光源が不自然だ」……それも1人や2人ではなく、大勢の人間がそう言っているのだ。実際には、スペースシャトルや国際宇宙ステーションの船外活動の映像にも、背後に星なんか写っていない。宇宙飛行士や宇宙船に露出を合わせると、星は暗すぎて写らないのだ。
 つまり「無重力とは思えない」「不自然だ」などと言っている連中は、本物の宇宙での船外活動の映像も、宇宙飛行士のプールでの訓練映像も、まともに見たことがないのだ。それなのに、自分には映像の真偽を判断できる能力があると思い上がっている。
 この騒ぎを見て、僕は本当に腹が立ち、日本人として恥ずかしくなった。当人たちは「捏造だ」と騒いで中国を笑いものにしているつもりなのだろうが、実際には日本人の知的水準の低さが世界に宣伝されてしまったのだから。

 一般人の頭の中にある「宇宙」のイメージは、SF映画やマンガやアニメから得たものである。星の海の中に地球や宇宙船が浮かんでいる映像を見慣れているもので、それが本当だと思いこんでいる。「宇宙で撮影しても星は写らない場合が多い」という、カメラについての基礎知識があればすぐわかる程度の情報でさえ、知られていない。
 そんなこと知らなくても日常生活に支障はない? まあ、普段ならそうだろう。しかし、今回の神舟7号疑惑のように、正しい知識の欠如のせいで足をすくわれることは多いのだ。
 無論、1人の人間があらゆる分野の知識に精通するのは不可能である、だが、知識がなければないで、正しい知識を検索してみればいいだけのことだ。そのためのインターネットだろう。スペースシャトルや国際宇宙ステーションの船外活動の映像なんて、検索すればいくらでもヒットする。正しい知識を書いたサイトも見つかる。
「捏造だ」と騒いだ連中は、その程度の労力しかかけなかった人間――自分の「常識」や主観的印象に絶大な自信を持ち、知識を得ることをうとんじるタイプの人間である。こういう人間はおそらく、これから何度でも騙されるだろう。】


参考リンク(1):中国の「神舟7号」の船外活動の映像の中に・・・泡が?(ニコニコ動画)


参考リンク(2):神舟7号における、船外活動の画像に関するFAQ(よくある質問と答え)Ver.1.1(2008年10月16日木曜日版)

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 患者さんに薬を処方しようとすると、「薬は副作用があるから、飲みたくない」と言われることがけっこうあります。
 嫌がっている人の口をこじ開けて内服していただくわけにもいかないので、とりあえず説得するのですが、必ずしもうまくいくとは限りません。

 いや、「絶対に薬なんて飲まない」というのなら、それはひとつの人生観としてこちらも尊重しなければならないのだろうな、と思うのですが、「病院の薬は副作用があるからイヤ、副作用のない○○っていう健康食品で治療します」という人がけっこういるのです。
 われわれからすると、そういう「何が入っているかもわからないし、効果が客観的・統計的に分析されているわけでもない『自然食品』」と、ちゃんと治験が行われ、安全性・効果についてもひととおり評価された上で認可された「病院の薬」とでは、どちらが「安全」で「効果的」かなんて自明の理のはずなのですが……

 こういう患者さんたちというのは、たいがい、「病院は薬漬けにして儲けようとしている」とか「隣の××さんは副作用でひどい目に遭った」という話をされます。
 そして、彼らは一様に「病院や医者には、騙されないぞ!自分は『本当に効く薬』を知っているんだ」と考えているのです。
 そんなに効果がある薬であれば、資本主義社会では、すぐに大手製薬メーカーが商品化するに決まっています。そうならないのは、「効かない(効く可能性がものすごく低い)」か「安全性に欠ける」などの欠陥があるからなのに。

 僕もこの「神舟7号映像捏造疑惑」の話はネットで目にしていましたが、正直、「ああ、また中国か……」というくらいの感想しかなかったんですよね。中国非難の書き込みをすることはなかったけれども、「真相」を追求するほどの興味も誠意もありませんでした。

 僕自身は、こうしてネットで「批判する」こともありますし、「批判される」こともあります。
 そういう場合に、いつも、自分が「責める側」にまわったときは、「責められているとき」よりも油断してしまうものなのだな、ということを痛感します。
 この「神舟7号」で「尻馬に乗って」中国批判をした人たちは(まあ、中国にはそんなふうに疑われてもしょうがない「既往」があったのも事実なんですが)、「中国には騙されないぞ!」「自分たちは『真実』を知っているんだ!」と一気呵成に声をあげました。
 そして、結果的にネットという公的な場所で、「自分の無知をさらけだしてしまった」のです。
 「みんながそう言っているから」という理由で、自分で検証もせずに(それこそ、ネットが使える環境にあれば、検証することはそんなに難しくないはずなのに)、あるいは、批判する対象を自分で直接見て理解しようともせずに、叩いたり、あざ笑ったりするような人が、世の中にはたくさんいます。
 そういう人の多くは、「自分は『隠された真実』を知っている」と思いこんでいて、他者を「そんなことも知らないバカ」だとみなしているのです。
 もし自分が騙されたら、それは「自分の怠惰」ではなくて、「タチの悪い相手のせい」。
 もちろん、騙す側が悪いのですが、そういう姿勢でいるかぎり、その人は、これからも騙され続けることでしょう。だって、「自分が信じたいものしか信じない」のだから。
 ネットでの検索レベルでも、関連サイトを3〜5ヶ所くらいみて回れば、たいがいの「嘘」や「思い込み」はわかるはず。
 ところが、それをやっている人は、本当にごくごく少数です。

 この話、僕自身にとってもすごく耳に痛かったし(僕もいままで「めんどくさいから」十分な検証もせずに批判的なことを書くことがあったので)、あらためて気をつけなければならないな、と感じています。
 これは、「マナーの話」だけじゃなくて、「自分の身を守ること」にもつながってくる話なので。

 人は、「わからない」から騙されることばかりではなく、「自分だけはわかっていると過信しているから」騙されることも多いのですよね。
 「マスコミは信じられない!」という人が、誰が書いたのかわからないような、匿名掲示板の書き込みを「隠された真実」だと思いこむのは、ものすごく変なことです。
 にもかかわらず、そんな怪しげな場所で「自分は真偽を見抜ける」という根拠のない自信を持っている人が、ものすごくたくさんいます。
 それが、ネットの世界。

 「事実」っていうのは、大概、面白くないか、めんどくさいか、不快なものです。正しい知識を検索することそのものも、けっして簡単ではありません。
 でも、それを知ろうとしなければ、他人に都合よく利用されるだけで、前には進めないんですよね。
 
 



2009年03月23日(月)
「ブタもおだてりゃ木にのぼる」という言葉を作った男

『僕たちの好きなタイムボカンシリーズ(別冊宝島779)』(宝島社)より。

(タツノコプロ草創期から演出家として『タイムボカン』シリーズをはじめとする、数々のアニメ作品を世に送りだしてきた笹川ひろし監督へのインタビューの一部です。文は小林保さん)

【1975年10月、これまでにないSFとコテコテのギャグが融合したアニメ作品『タイムボカン』のテレビ放映がスタートした。後にシリーズ化され、1983年の『イタダキマン』まで7作品が作られることとなる、その礎がここに誕生したわけだ。
 しかし、『タイムボカン』が世に出るまでには3年ものお蔵入り期間があった。タイムトラベルをテーマにしたギャグ物というコンセプトがスポンサーに理解されにくかったためだ。

笹川ひろし:別にどこかから依頼されたわけでもなかったんですよ。タイムトラベル物で、しかもギャグ物を作ろうとタツノコプロ内で企画しましてね。タイトルも『タイムボカン』ではなく『タンマー大作戦』だったんです。ちょうど、その頃からテレビでもコンピュータ映像が使えるようになって、この作品ではスキャニメイトっていう文字や画面がグニャグニャって変型して他の図形になる技術を取り入れようということになりましてね。それで、15分ぐらいのパイロットフィルムを作ったんです。ところが、なかなか売れなくてね、これが(笑)。何かシリアス物みたいな印象を与えるようなんですよ。真面目なタイムマシン物と思われる方が多かったようでね。「なんだ、これは?」っていう戸惑いがあったと見えて、実際、15分程度のパイロットフィルムでは、とても説明しきれないんですよ。

 結果『タイムボカン』の前身である『タンマー大作戦』は3年もの間、フィルム倉庫の片隅でホコリを被ることになる。普通、何年もお蔵入りしてしまった企画が日の目を見る機会など、そうあるわけではない。ところが、この企画に目を付けた企業が現れる、玩具メーカーのタカトクトイズだ。

(中略)

 1シリーズにつき4〜5人の演出家がローテーションで作品を担当しているが、脚本から絵コンテに至るまで作品のすべてをチェックするのが総監督である笹川さんの仕事だった。作品中のギャグは会議で決定するものもあったが、チェックの段階で笹川さんが盛り込んだものも、かなりの数にのぼった。

笹川:いろんな方がシナリオや絵コンテを描いていますから、ひとつの作品としての統一感を出すために僕がチェックするんですね。その最中にアイデアが閃くこともあるわけですよ。それをコンテに描き足したり。そうすると必要のないカットが出てきてしまう。放送時間は決まってますからね。で、いらない所を外して思いつきのギャグを差し込んだりしてました。だから、矛盾していますがシナリオどおりの絵コンテが出来てくると、まずNGなんです。「シナリオでは、こうなってるじゃないですか」と言われると「このアニメは、ちょっと違うんです」って説明してね(笑)。演出家にしても他の人が面白いことをやったとなれば、自分はもっとやってやろうとなる。演出家の競争意識が相乗効果を生んで、作品を面白くした部分は大きいでしょうね」

 ところが、その競争意識が思わぬ過剰な演出へとエスカレートしていく。爆破のあとでドロンジョが裸になるシーンが、それである。

笹川:演出家を抑えようとすると今度はアニメーターがエスカレートする。もう何コマぐらいはいいんじゃないのってことで、露出度が増していくんですよ。チラッとドロンジョの胸が見えてしまったりして、これは気をつけなければいけないと思ったことが何度もありました。でも、そう言ってる自分もやってるんですよね(笑)。

 流行語にもなった「ブタもおだてりゃ木にのぼる」。ご存知、『ヤッターマン』中の大ヒットギャグである。木に登っていく「おだてブタ」。そして、この名文句の生みの親は総監督の笹川さんだった。

笹川:もともとは小ネタのひとつだったんですけど、何だか反響が大きかったですねぇ。よく、「あなたが、この言葉を作ったんですか?」と質問されるんですが、そうじゃないんです。福島県に住んでいた子どもの頃、どこかで耳にした言葉なんですよ。だから、福島出身の人は「自分も聞いたことがある」と言う方が多いですね。人間って面白いもので、けなされるより誉められた方が伸びるんですよ。教訓ってわけじゃないんですが、好きな言葉として僕の頭の中に残っていた。それを具現化したものなんです。でも、面白い話があってね。以前、金田一春彦先生が『笑っていいとも』という番組のなかで、この言葉はあるアニメプロダクションが作ったものだと説明されていたんですよ。そんなぁ、おかしいなぁと思ってね(笑)】

〜〜〜〜〜〜〜

 『タイムボカン』シリーズがこれだけの「歴史的ヒット作」になってみると、3年間も「お蔵入り」だったことが疑問に思えます。
 でも、ここで笹川さんが仰っておられるように、この作品の魅力をスポンサーに伝えるのは、なかなか難しかったのではないでしょうか。
 「真面目なタイムマシン物」だと思う人が多かった、ということなのですが、笹川さんによると、放送開始から5話目くらいまでは、視聴率も上がらず、「もっと真面目にやったほうがいいんじゃないの」なんて周囲から言われたこともあったそうです。
 このインタビューを読んでいると、『ヤッターマン』の世界は、数多くの演出家やアニメーターが切磋琢磨してつくられていたのだ、ということがよくわかります。そして、製作側にとっても、この作品の「自由度」は、すごく魅力的なものだったのでしょう。放送時小学生だった僕は、「ドロンジョさまの露出」がエスカレートしていくことに驚いていたのですが、その陰にはこんな「競争意識」が働いていたんですね。

 現在公開されている映画の『ヤッターマン』を観ながら考えていたのですが、いまの世の中では、ボヤッキーの「全国の女性高生のみなさ〜ん」とか、原爆の「キノコ雲」を思い起こさせるドロンボ―メカの爆発シーンでの「ドクロ雲」とか、ヘタすれば「おしおき」という言葉だって、「子供にふさわしくない」と弾劾されてもおかしくないですよね。
 幸いなことに、リメイク作品でも、あまりそういう「規制」はなされていないようなのですけど。
 
 それにしても、あの「ブタもおだてりゃ木にのぼる」という言葉、僕もすっかり『ヤッターマン』から生まれたのだと思いこんでいたのですが、笹川さんによると、「福島県(の一部?)でもともと使われていた言い回しなんですね。
 あの金田一先生も『ヤッターマン』を視ておられたのかもしれませんが、テレビで有名な学者が言っているからといって、鵜呑みにしないほうがいいんだなあ、と考えさせられました。
 笹川さんか『ヤッターマン』のスタッフに一言確認すれば済む話のはずなのに。
 結局のところ、最初に作ったのが誰にせよ、あの言葉がこれほど世に広まったのは、やはり、「おだてブタ」のキャラクターと登場するタイミング、声優さんの力のおかげなので、実質的には「あるアニメプロダクションがつくったようなもの」なのかもしれませんが。



2009年03月19日(木)
「こんな風に、ヌケヌケと大人になって、そんなことをしていたことを笑いなから話している自分ってどうなんだろうね」

『労働者K』(ケラリーノ・サンドロヴィッチ著・角川学芸出版)より。

(劇作家・劇団「ナイロン100℃」の主宰(「有頂天」のケラさん、として記憶している人も多いかもしれません)、ケラリーノ・サンドロヴィッチさんの19年ぶりのエッセイ集から。ケラさんは小学校2年生で転校した際にいじめに遭い、「蟻を食べさせられたり」「腐った牛乳をイッキ飲みさせられたり」「デパートのオモチャ売場で何万円ものプラモデルを万引きさせられたり」「女子更衣室に全裸で放り込まれたり」したことがあったそうです)

【そんな時に私がまず考えたことは、「親にバレないようにせねば」ということだった。息子がそんな虐待を受けていると知った時、父や母はどんなにショックを受けるだろう。よりによって自分の息子がそんなメに遭うなんて。その気持ちを考えると、なんとしても隠し通さねばならないと思った。だから、教師にもバレないようにしなくてはならなかった。いじめられ中に教師が遠くに見えると、場所を移動していじめてくれるように頼んだものだ。本当の話である。
 いじめを受けている子供達が親にも教師にも言えず、一人で抱え込んでしまう気持ちは、そんなわけでよくわかる。そうした子供がクラスに一人、校内に30人以上いたはずだ。しかし、少なくとも私の6年間の小学校生活に、自殺した子供は一人もいなかった。
 もちろん今の子供達を弱虫呼ばわりするつもりはない。何がどう変わってしまったのか、ただただ不思議なのだ。
 みたいな話を、先日、街でバッタリ会った高校時代の友人(女性)としていた時、実は彼女高校時代にいじめられていたことを聞いた。「ああ、そう言われりゃいじめられてたなあ、この子」と思い出したのだが、事態はかなり深刻だったようで、ある時期などは、(当時はまだそんな言葉はなかったが)援助交際をほぼ毎日、場合によっては1日に何人ものオッサンを相手にさせられていたのだという。稼いだ金は彼女には一銭も入っていない。すべていじめっ子にスルーしていたのだ。「少しはくすねとけばよかった」と彼女は笑いながら言った。
「こんな風に、ヌケヌケと大人になって、そんなことをしていたことを笑いなから話している自分ってどうなんだろうね」
 彼女は自嘲気味に再び笑い、手を振りながら亭主と子供が待つというTSUTAYAの店内へと姿を消して行った。
 うーん、どうなんだろうねと言われてもなあ……。生きててよかったんじゃないかとしか言えないよ。】

〜〜〜〜〜〜〜

 「少なくとも私の6年間の小学校生活に、自殺した子供は一人もいなかった」という体験は、必ずしも「それに比べていまの子供はいじめへの耐性が弱くなった」という結論とは結び付けられないとは思うのですが(いじめで自殺する子供というのは、いくらその人数が多い時代でも「1校にひとり」という頻度ではないので)、ここで紹介されているケラさんと「高校時代の友人女性の話」に、僕はうまく言葉にできない苛立ちと哀しみを感じずにはいられませんでした。

 僕も小学校5年生のときに転校して、しばらくはクラスに溶け込めずに辛い思いをしたり、嫌がらせをされたりしていたんですよね。ここに書かれているほどの酷い体験ではなかったし、しばらくしたらクラスのもっとも小規模のグループに紛れ込み、なんとか生き延びることができるようになりましたし。
 でも、そのときはたしかに、「自分がいじめられていることそのもの」よりも、「自分がいじめられていると思われること」のほうがイヤだったような気がします。子供には、子供なりのプライドがあったんですよね。大人になると、そういう大事なことは、すっかり忘れてしまうのですが。

 この「高校時代の友人だった女性の話」を読んで、僕はものすごくやるせない気持ちになりました。
 これだけ酷いいじめ(というか、人間として扱われていないですよねこれ)を受けながらも、「援助交際」を続け、いじめっ子に上納していた彼女。でも、そのことは「友人」だったケラさんにとってさえ、「そういえば、いじめられてたっけ、この子」というくらいの記憶でしかありません。
 そして、彼女をそんな酷い目に遭わせた「いじめっ子」たちに天罰が当たって、いまは不幸のどん底に落ちているかというと、たぶん、そんなことはないはずです。
 いじめっ子たちもまた、自分が過去にやったことなんかすっかり忘れて、「ヌケヌケと大人になって」いるのでしょう。
 「いじめ」によって、誰かが「自殺」でもすれば、メディアに大々的にとりあげられ、いじめた側が責められることもあるのでしょうが、「いじめられた側」が耐え抜いて大人になってしまえば、「いじめた側」も「いやあ、昔は酷いことやってたよね、あはははは」みたいな過去の悪さ自慢のネタにしてしまうくらいのものです。

「こんな風に、ヌケヌケと大人になって、そんなことをしていたことを笑いなから話している自分ってどうなんだろうね」
 平凡でもそれなりに幸せに生きていることを「ヌケヌケと大人になっている」なんて自嘲してしまう人生って、なんてやるせないのだろう。
 他人をそんな目に遭わせた人たちは、自分たちがしたことが他人にそんな影響を与えていることなんて、想像したこともないはずなのに。

 これを読んで、「人間って、しぶといよな」と感動したのと同時に「それでも生きているって、なんかやってられないよな」という苛立ちを感じざるをえませんでした。

 彼女が背負ってきた人生の「重さ」を考えると、これは確かに「生きててよかったんじゃないか」としか言えないよなあ……それが「きれいごと」でしかないのだとしても。



2009年03月16日(月)
絵本『ぐりとぐら』ができるまで。

『ダ・ヴィンチ』2008年6月号(メディアファクトリー)の記事「『ぐりとぐら』ができるまで。〜中川李枝子と山脇百合子の物語〜」(取材・文:岡田芳枝)より

(『ぐりとぐら』は、文章を中川李枝子さん、絵を山脇(大村)百合子さんが担当されているのですが、お二人は血がつながった姉妹。中川さんは1935年生まれ、山脇さんは1941年生まれ。お二人は『いやいやえん』でデビューされたのですが、デビュー当時中川さんは「みどり保育園」で保育士として働きながら同人誌グループに参加、山脇さんは高校生だったそうです)

【その後、李枝子さんは月刊雑誌『母の友』(福音館書店刊)に『たまご』という作品を掲載し、再び挿絵を百合子さんが担当。その作品を読んだ福音館書店の松居編集長より「これを絵本にしませんか?」と声がかかる。そうして出来上がった絵本が『ぐりとぐら』だ。

中川李枝子:『たまご』も『ぐりとぐら』もね、みどり保育園のみんなのために書いたお話だったんです。みどり保育園の子どもたちは『ちびくろさんぼ』がだーい好きだったの。遊びの時間は全部ちびくろさんぼゴッコになっちゃうくらいにね。で、ある日、園長先生が、家から材料を持ってきてホットケーキをつくってくださったら、子どもたちは大喜び! まず先生が焼いてくれたことが嬉しいでしょ、そしてそれをみんなで食べるってことがなにより嬉しい。嬉しかったから、お家に帰ってお母さんたちにも話をして、そうしているうちに、分厚くてとっても大きい、立派なホットケーキを食べたことになっているのよね。本当は貧弱なホットケーキだったのに(笑)。それをきいて、みんなに大盤振舞したいなって思ったの。それで、ちびくろさんぼの向こうを張って、大きなカステラにしたんです。だって、カステラのほうが材料がいいし、高いでしょ(笑)。あと、大きな大きなカステラにしたかったから、主人公は小ちゃい野ねずみにした……というわけなんです。
 ぐりとぐらという名前は、フランスの絵本に登場する歌から思いつきました。黒猫と白猫がいろんな冒険をするお話で、そのなかに、グリ、グル、グラ……って歌を歌うシーンがあるんです。保育園でその絵本を基にした紙芝居をすると、そこでみんながとても盛り上がるのよね。それで、ぐりとぐら。

 一方、当時、上智大学の3年生だった百合子さんは、絵本にするにあたって新たに絵を描き下ろすことに。

山脇百合子:まず最初に、上野にある科学博物館で、今泉先生という方にねずみの標本をたくさん見せていただいたのだけれど、そのなかにオレンジ色のねずみがいて。ああ、このねずみがいいなあと思って、それを描くことにしました。洋服は、『たまご』の挿絵を描くときに「二本足で立っていて洋服を着ているねずみにしてもいい?」と姉に聞いたんです。絵はね、お話が面白かったから、描きやすかったですよ。

 トンガリ帽子のような赤い屋根の家のなかには、あたたかそうな暖炉にたくさんのハーブや植木。そして、森や海にはたくさんの動物たちとの出会いや発見……。おふたりがこうして『ぐりとぐら』を生み出して、今年で45年。日常を楽しく面白く工夫して暮らす二匹の世界は、まったく古びることなく、いまも絵本のスタンダードとして世界中で愛され続けている。

山脇:お話が単純明快だから……っていうと失礼よね(笑)。練りに練った末の単純明快だから、いいんじゃないかしら。

中川:そうなの。単純明快を一生懸命つくるのよ。きっと、たくさんいい作品を読んできたから良かったんじゃないかと思うの。石井桃子さんがね、「書くということは、教わるものではなく、本をたくさん読んで、そこから自分で掴み取るものなんですよ」とおっしゃっていたんですけれど、私は岩波少年文庫のおかげで、それを掴みとれたんじゃないかなと思います。あとね、教訓を込めてはいけないの。本で何かを教えようなんてしてはいけないと、私は思うの。楽しめれば、それでいいのよ。

山脇:でも、読む人によってはわからないわよ。「やっぱり大掃除はしなくちゃいけないというメッセージが行間に溢れている」なんて思う人がいるかもしれないもの(笑)。そのときは……仕方がないわよね。その人がそう感じたんだから(笑)」

中川:そうよ。読む人の自由ですもの。

――そう言って笑い合う李枝子さんと百合子さんに、最後の質問をしてみた。「ぐりとぐらは、いったい何歳なのでしょう?」すると、こんな返事が返ってきた。

山脇:この人たちは、立派な自立した大人なのよ、ね?

中川:そうねえ、なんでも自分たちのことは自分でできるものね。

山脇:ええ。じゃなきゃ、お掃除もこんなに上手にできないし、お料理だって、もっと下手っぴじゃないかしら(笑)?】

参考リンク:30年ぶりの『ぐりとぐら』(琥珀色の戯言)

〜〜〜〜〜〜〜

 子供ができて、僕も「絵本」を手に取るようになりました。
 30年くらい、「絵本売場」には寄りついたこともなかったのだけれど、「これは自分の子供に読んでもらいたい本だろうか?」という視点で絵本に接するというのは、すごく新鮮な体験です。

 この『ぐりとぐら』は、子供のころ僕が大好きだった絵本。家に置いてあったので妻に尋ねると、「友達がお土産に持ってきてくれた」とのことでした。「まだあったんだなあ」と懐かしく思いながらページをめくっていると、けっこう字が多いことと、最後の「卵の殻」の利用法の意外性にあらためて驚かされました。

 『ぐりとぐら』は、1963年に「こどものとも」誌上で発表されて以来、日本だけでなく世界各国で愛され続けるふたごの野ネズミ「ぐり」と「ぐら」のお話。
 
ぼくらの なまえは ぐりと ぐら

このよで いちばん すきなのは

おりょうりすること たべること

ぐり ぐら ぐり ぐら


 この「ぐり ぐら ぐり ぐら」のところ、読んでいるほうもけっこう楽しくなってくるんですよね。まだよくわからない顔をしている息子そっちのけで、延々と「ぐり ぐら ぐり ぐら」と続けてしまいそうなくらいに。

 この『ダ・ヴィンチ』のインタビューを読んで、僕は『ぐりとぐら』の2人の作者が姉妹であることと、中川さんが実際に保育園で働き、子供たちと接した経験から、この物語をつくりあげたことを知りました。

 1960年代前半の日本での「ホットケーキ」は、子供たちにとって、「すごい御馳走」だったと想像できますし、中川さんが「それなら、もっと豪華に『大きなカステラ』を!」と考えたのもよくわかります。
 僕がこの絵本を読んだ1970年代の半ばでも、「カステラ」というのは、「長崎に行った人がお土産に買ってきてくれたのを年に1回口にできるかどうか」だったという記憶があります。『ぐりとぐら』の大きなカステラは、本当に美味しそうで、それを「けちじゃないよ」と森の仲間たちに惜しげもなく分け与えるのを読んで、「僕もその場にいたかった……」とつくづく思ったんだよなあ。

 いまの子供たちにとっては、「カステラ」はあまり珍しいものではないし、「ごちそう」ではないのかもしれませんが、この絵本はいまでも売れ続けていますから、「あのカステラ」は、いまの子供たちにとっても、まだまだ魅力があるのでしょうね。

 このインタビューのなかで僕がもっとも印象に残ったのは、中川さんの
【教訓を込めてはいけないの。本で何かを教えようなんてしてはいけないと、私は思うの。楽しめれば、それでいいのよ。】
という言葉でした。
 「親としての目線」でみると、どうしても「教訓を与える本」「勉強になる本」みたいなのを読ませたいという衝動に駆られるのだけれど(そして、そういう「押し付けがましい絵本」って、たくさんあるんです)、子供はそういう本をちゃんと見分けて、拒絶反応を示します。
 そういえば、僕もそういう「親にとって都合が良い本」は、あんまり好きになれなかった。
 面白いとか、美味しそうとか、楽しそうとか、カッコいいとか、気持ち悪いけど心に引っかかるとか、そういう絵本が、僕の友達だったのです。

 その一方で、山脇さんが仰っておられるように、
【でも、読む人によってはわからないわよ。「やっぱり大掃除はしなくちゃいけないというメッセージが行間に溢れている」なんて思う人がいるかもしれないもの(笑)。そのときは……仕方がないわよね。その人がそう感じたんだから(笑)」】

というのもまたひとつの「読みかた」なんですよね。
読者っていうのは、けっこう勝手な読みかたをして楽しむものだし、それができる作品のほうが「広がり」があるのではないかと思います。
子供は子供で、自分なりの「読みかた」をしているのです。

 最後にお二人は、ぐりとぐらが「自立した大人であることの理由」として、「なんでも自分たちのことは自分でできるものね」と語っておられます。掃除や料理といった「日常」を自分でこなし、それを楽しめるのが「大人」。
 これ、家事が苦手な僕にとっては、すごく耳の痛い話ではあるんですけどね。



2009年03月13日(金)
ホリエモンが「フジテレビを買収して実行したかった、たったひとつのこと」

『徹底抗戦』(堀江貴文著・集英社)より。

(「ホリエモン」こと堀江貴文元社長が「ライブドア事件の真相」を語ったという本の一部です。ニッポン放送買収について)

【私はニッポン放送の社内をどうにかしようとも思っていなかったし、リストラをするつもりも全くなかった。実際、ライブドアがこれまでに買収した会社でリストラを行ったことはない。それは当時も言っていたが、マスコミにはスルーされていた。
 そもそもニッポン放送のことはフジテレビの持株会社としてしか見ておらず、ニッポン放送の事業そのものにはあまり関心はなかった。もちろんネット事業とシナジーがある部分は積極的に仕掛けていくし、経費など共通化できるものは共通化したいと思っていたが、それ以上でもそれ以下でもなかった。
 とはいうものの、フジテレビ側の拒否反応は、凄いものがあった。
 私としては、全く悪気がなかったのだけれど、フジテレビ側は「とんでもないことをしでかしてくれた」と思ったようで、早速私が出演していたフジテレビの番組は放送中止になってしまった。私は正直「参ったな〜」という感じだったのだが、始まってしまったものはしょうがない。最後まで頑張ることにした。
 繰り返すが、こちらとしてはニッポン放送やらフジテレビやらにドカドカ乗り込んでいって、やれリストラだ、などとやるつもりは全くなかった。だけど向こうはそうは思っていない。狙いがフジテレビのコンテンツだとか、全くピントのずれた見解を示されたりもしたので、困ってしまった。
 実を言うと、テレビ放送にライブドアのURLを貼り付けるのが、私がしたかった唯一のこと。なのに、そのことを伝えると「え? そんなこと?」という風で完全に相手にされなかった。「あいつは裏の野望を隠している」みたいな穿った見方をされた。ネット業界の人もその本質をわかっている人は少なかった。
 さらに、コンサルタントの大前研一さんなんかも、私のやりたいことを勘違いされていたらしく、
「ポータルサイトは複数媒体のコンテンツを並列に出せるのがメリットで、ひとつの放送局に偏るのは間違いだ」
 というような全く本質を突いていない見解を堂々とコラムに出されたりしていて、
「まったくしょーがねーなー」と思ってしまったのだった。
 そもそもライブドアのポータルサイトのページビューが「ヤフージャパン」に大きく離されているのだから、そのページビューを増やすために放送の圧倒的なリーチを使うというこんなシンプルな発想が、なぜ、みんな理解できないのか。そのことが、理解できなかった。】

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 堀江さん自身の言葉ではありますが、これを読んだあとも、「当時も本当に画面にライブドアのURLを貼るだけでいいと思っていたのだろうか?」とは感じてしまうんですよね。

 あのときのライブドアの「ニッポン放送買収劇」はニッポン放送・フジテレビ自身をはじめとして他局や他媒体を巻き込んでの大騒ぎになりました。僕が記憶しているところでは、「オールナイトニッポン」などでおなじみのニッポン放送の有名パーソナリティたちが「ライブドアがニッポン放送を買ったら、もう出演しない!」というメッセージを出していましたし。
 この堀江さんの話を読むと「悪気はない」のだろうけど、ここまで「ニッポン放送の事業そのものにはあまり関心はない」と言われてしまうと、そんな人に買われたくはないだろうなあ、という気もします。
 「お前らはフジテレビへの足がかりでしかないから」って明言している堀江さんですが、それってニッポン放送に対しては「逆効果」だったのではないかなあ。これでは、ニッポン放送は、何かあったらすぐ見捨てられそうですよね。
 余計なお世話ながら、「表向きだけでも、『新しいニッポン放送をつくってみせる!』とか言っておけばいいのに……」と思ってしまうのですが、そういう嘘がつけないところがまた、堀江さんらしいといえばらしいのかも。

 僕がこの「ライブドアのニッポン放送買収、フジテレビを傘下に」というニュースを聞いたとき、ホリエモンは、あのFOXテレビを擁するメディア王、ルパート・マードックを目指しているのではないか、と考えました。
 「アメリカで最も人気があるテレビネットワーク」であるのと同時に、「タカ派の偏った報道で世論を動かしている」FOXテレビ。
 そんなのが日本にできたらたまらんなあ……と恐れていたんですけどね。

 堀江元社長は、「実を言うと、テレビ放送にライブドアのURLを貼り付けるのが、私がしたかった唯一のこと」だとこの本のなかで仰っておられます。
 もちろん、本当に「支配」したら、それだけでは飽き足らず、FOXみたいになっていったのかもしれませんが。
 
 最初にこれを読んだとき、言い方は悪いのですが、「そんなチンケなことしか考えてなかったの?」と僕は拍子抜けしたのです。
 でも、「テレビの画面にずっとURLが表示されている」というのは、たしかに「ライブドアのポータルサイトを宣伝するには、いちばんの近道」ではあるでしょう。
 なんのかんの言っても、「テレビ」の影響力はまだまだ大きいのです。
 ラジオでは、「(人気の高い)オバケ番組」と言われている伊集院光さんの番組でさえ聴取率1%。新聞は部数のわりに広告を読んでいる人は少ないでしょうし(宮沢りえのヌード写真集の宣伝とかなら別として)、若者たちへの影響力は小さい。「テレビ」の場合、視聴率1桁の「不人気ドラマ」が話題になりますが、5%でも、「ラジオのオバケ番組の5倍」です。田舎なら、深夜番組や教育番組でも、テレビに出ればちょっとした有名人。

 やっぱり、「テレビの画面にライブドアのURLがずっと貼られている」というのは、かなりの影響力があるはずです。あの「アナログ」が見たくもないのにいつも目に入ってくるのと同じで。

 ただ、これが「ライブドアの宣伝のためには最良の方法」であっても、それ以上の「野心」を持たない、あるいは持てないところが、堀江さんの善いところでもあり、「限界」だったのかな、とも僕は感じるのですけれど。



2009年03月11日(水)
村上春樹「ネット空間にはびこる正論原理主義を怖いと思う」

『文藝春秋』2009年4月号の村上春樹さんへの独占インタビュー「僕はなぜエルサレムに行ったのか」より。

(2009年2月15日にイスラエルでエルサレム賞を受賞され、「壁と卵」のスピーチをされた村上春樹さんへの独占インタビューへの一部です。引用部はすべて村上さんの発言)

【ネット上では、僕が英語で行ったスピーチを、いろんな人が自分なりの日本語に訳してくれたようです。翻訳という作業を通じて、みんな僕の伝えたかったことを引き取って考えてくれたのは、嬉しいことでした。
 一方で、ネット空間にはびこる正論原理主義を怖いと思うのは、ひとつには僕が1960年代の学生運動を知っているからです。おおまかに言えば、純粋な理屈を強い言葉で言い立て、大上段に論理を振りかざす人間が技術的に勝ち残り、自分の言葉で誠実に語ろうとする人々が、日和見主義と糾弾されて排除されていった。その結果学生運動はどんどん痩せ細って教条的になり、それが連合赤軍事件に行き着いてしまったのです。そういうのを二度と繰り返してはならない。
 ベトナム反戦運動や学生運動は、もともと強い理想主義から発したものでした。それが世界的な規模で広まり、盛り上がった。それはほんの短い間だけど、世界を大きく変えてしまいそうに見えました。でも僕らの世代の大多数は、運動に挫折したとたんわりにあっさり理想を捨て、生き方を転換して企業戦士として働き、日本経済の発展に力強く貢献した。そしてその結果、バブルをつくって弾けさせ、喪われた十年をもたらしました。そういう意味では日本の戦後史に対して、我々はいわば集合的な責任を負っているとも言える。】

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 この『文藝春秋』に掲載された村上春樹さんのインタビュー、前日にasahi.comの記事として、村上さんの【「ネット空間にはびこる正論原理主義を怖いと思う」とも語っている 】という言葉が採り上げられていて、僕は「ネット空間における正論原理主義」ってどういうものなんだ?とすごく疑問に感じていたのです。
 「正論」がどうして怖いのだろう?
 発売された、この『文藝春秋』でのインタビュー全文を読んで、ようやく村上さんが言っていることの意味が少しわかったような気がします。

 ここで村上さんが語られている「正論原理主義」というのは、【純粋な理屈を強い言葉で言い立て、大上段に論理を振りかざす】ことのようです。
 そして、その「正論原理主義者」たちは、「反対派」だけではなく、言葉を慎重に選んだり、いろんな立場の人々のことを慮ったりしてなかなか口を開けない人たちを「日和見主義者」だと強く批判して押しつぶしたり、追い出してしまう。
 そして、「正しさ」はどんどん先鋭化して、「異端を排除する」ことにばかり向かっていくのです。
 結果的には、社会を変革することよりも、内部での「正しさ比べ」になってしまい、それについていけない人たちは脱落していくばかり。
 それでは、どんなに「正論」を主張していたとしても、世界を変えるにはあまりに少ない人々の力しか集められません。

 ネット上というのは、「言葉だけの世界」だけに、なおさら、そういう「言葉の正しさ比べ」になりやすいんですよね。
 本当に「大事なこと」は、「そう簡単に言葉にはできないこと」にあるのかもしれないのに。
 僕は学生運動をリアルタイムで体験した世代ではありませんが、こうして毎日ネットにかかわっていると、「ネット空間にはびこる正論原理主義」そして、「その『正論』の尻馬に乗ることで、自分の優越感を満たしたい人」の多さに辟易しますし、僕自身もそういう人間のひとりであることを感じます。
 
 あの時代、体を張って「正義」を訴えたはずの人の多くが、その後あっさり「転向」してしまったことは、ある意味ものすごく象徴的なことなんですよね。
 「正論」って、ある種の人々にとっては、流行の服みたいなものなんだよ、たぶん。
 でも、それは他者にとって、「玩具のピストル」じゃない。



2009年03月07日(土)
三池崇史監督が『ヤッターマン』を選んだ理由

『オトナファミ』April 2009 No.17(エンターブレイン)での映画『ヤッターマン』の特集記事より。映画『ヤッターマン』の三池崇史監督へのインタビューの一部です。

【インタビュアー:『ヤッターマン』でなく『ガッチャマン』を映画化する話もあったそうですが?

三池崇史:まあどちらも候補の一つではあったんですが、順番ってあると思うんですよ。『ガッチャマン』を実写化しても絶対まだハリウッドに勝てない。日本の映画の環境でやったところで「よくがんばったね」という結果にしかならないでしょう。ただ『ヤッターマン』は、ハリウッドで作るより絶対面白いですよ。同じお金をかけるなら絶対にそっちのほうがいい。

インタビュアー:『ヤッターマン』ならではの魅力ってなんでしょうか?

三池:やっぱりスタッフの全員に『ヤッターマン』が宿っていて、それぞれがコダワリを持っているから、自然と『ヤッターマン』ができ上がるんですよ。僕らも含めて、子供の頃『ヤッターマン』にアタマをふにゃふにゃにされた人間が世界中にいる。改めてタツノコプロの作品を観てみると、ナンセンスな中にエッジが利いていて、そういう影響を受けた我々の世代が今映画作りなんかをしているわけで、勝手にですけれども、映画化の必然性は感じましたね。

インタビュアー:では実写化するに当たって、必ず外せないポイントはどこでしたか?

三池:あえて言うならワンパターンの繰り返し。映画は2時間弱だから、だいたいアニメの3本立てですね。最初は戦いのシーンなんで1話目の途中から始まって、30分番組をくっつけていく感じ。そうすると、こういうときに絶対指令がくるよねとか、展開もおのずと決まってくる(笑)。で、結局ドロンボーが負けるわけですが、敵なんだけど愛せるキャラになってる。映画が終わったときに誰も憎むべき人がいないというか、みんな一生懸命なんだよ、みたいな(笑)。ヒーローを作るために、憎むべき相手を作らない。ひどい人間を仕立てあげないことですかね。

インタビュアー:主題歌や挿入歌がどれもほぼフルコーラスで流れるのは監督の指示ですか?

三池:そうですね。ただドロンボーダンスなんかは実際3番まであるんですが、映画では2番まで。もちろんアニメ版だと1番だけだし、映画的流れから考えても1番だけでいいんだけど、撮っていたら「やっぱり2番も聴きたい」って思って(笑)。うまくいかなくても編集でカットできると思ったんですけど、今となっては3番までやっておけばよかったなって思っています。】

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 『ヤッターマン』のアニメが始まったのは1977年。僕がちょうど小学校に入学した年でした。『ヤッターマン』は土曜日の夕方に放送されていましたから、この番組を観ながら、明日は学校に行かなくてもいいという幸せに浸っていたんですよね。

 今回、『ヤッターマン』が実写映画化されるにあたって、三池崇史監督の起用が決まったとき、僕は正直、「『ヤッターマン』の知名度頼りの低予算・粗製乱造映画になるのでは……」と危惧していたのです。まあ、そういいうのもまた『ヤッターマン』らしいと言えなくはないのですけど。
 撮影中に伝わってくるニュースも「深田恭子のセクシーな衣装に注目!」みたいなものばっかりなので、公開前から、「映画館には行く必要なし。レンタルDVDになったら、一度は観て文句つける予定リスト」に入れてしまっていました。
 でも、実際に公開日になってみて、この三池崇史監督のインタビューを読むと、なんとなく「やっぱり映画館で観てみようかな……」という気分になってきたんですよね。
 1960年生まれの三池監督は、『ヤッターマン』にそんなに思い入れはなく、あくまでも「仕事」として監督をやっているのではないかと僕は想像していたのだけれども、このインタビューでの監督の言葉には、たしかに『ヤッターマン』への愛情を感じます。「ワンパターンであること」や「主題歌や挿入歌へのこだわり」を聞くと、「三池監督、けっこうファンの気持ちをわかってるなあ」と驚いてしまいました。

 日本で映画化するなら、日本人が映画化するなら、同じ予算で『ガッチャマン』をやるよりも『ヤッターマン』のほうが面白くなる、というのもすごく納得できましたし、僕もやっぱり『ヤッターマン』映画館で観てみようと思います。鳥山明先生すら歯切れの悪い『ドラゴンボール・エボリューション』に比べたら、はるかに原作への愛情がこもった作品みたいなので。
 まあ、『ヤッターマン』だったら、ものすごくダメな映画だったとしても、それはそれで話のタネにはなりそうですしね。



2009年03月04日(水)
久石譲さんの『もののけ姫のテーマ』誕生秘話

『NHK「トップランナー」の言葉』(NHK『トップランナー』制作班著・三笠書房)より。

(作曲家・久石譲さんの回(1998年3月6日放送)の一部です。宮崎駿監督の作品の音楽について)

【宮崎作品に対して久石は、1984年の『風の谷のナウシカ』以来、6作(番組放送時・現在は9作)にわたり多大な貢献をしてきた。とくに1992年『紅の豚』から5年ぶりに公開された『もののけ姫』では、わずか1分半の曲に2週間をかけるほど、音づくりに悩むことがあったという。

久石譲「『もののけ姫』に対しては、本当に正面から取り組んだんです。自分自身で逃げ道がないようにした。
 何でもそうですが、正面切って自分の逃げ道がないようにすると、気負いが先に立って逆にうまくいかないことってありますよね。だからわざと斜に構えて取り組むようなこともあります。そうするとかえっていいスタンスで良い仕事ができることがある。
 でもこれ(『もののけ姫』)に関しては宮崎監督の熱意に圧倒されちゃって、こちらも防御を張っている間もないうちに引きこまれてしまった。そうなると、こちらとしてもやることはただ一つ。フルオーケストラでいいものをつくることだけだった。これはキツかった。でもうまくいってよかったと思います」

 しかし、あの不朽の名作ともいえる『もののけ姫』のテーマ(歌)が誕生した瞬間について久石は、ファンには意外とも驚愕とも思える証言をする。

久石「あれにかけた時間は20分か30分ぐらいかなあ。だって全体のテーマ曲とは思ってみませんでしたから。
 実はいつものイメージアルバムづくりのやり方だと、宮崎さんからこういうイメージです、と10個ぐらい言葉をいただくんですよ。その言葉に対してこちらもイメージを広げて曲を書いていくんです。でも『もののけ姫』に関して言えば、来る言葉がすべて『たたり(神)』とか『もののけ(姫)』とかでしょ。どうしても暗くなってしまって、明るいアルバムはまずできない。
 宮崎さんもこれはマズイと思ったらしくて、珍しく1曲1曲に対して内容をしっかり書いた手紙をいただいたんです。その中の『もののけ姫』のところに、『はりつめた弓のふるえる弦(つる)よ 月の光に』というポエムのような一節があって、これは歌になるなと素直に思って、ささっとつくってレコーディングしちゃった。それがテーマになったという経緯ですね」

 宮崎監督との間で育まれたそんな絶妙のパートナーシップは、一見、入りこむ隙すらないような最高のコンビネーションだ。だが久石は極めて冷静である。

久石「いや、コンビではないですよ。毎回、宮崎監督は、『どこかにいい作曲家はいないか?』と探していると思いますよ。そのたびにたまたま、『やっぱり久石がいいや』と思って使ってもらっているだけだと思います。
 だから1回でもつまらない仕事をしちゃえば、それで終わりですね」

 この厳しさ、プロ対プロのクールな関係は、北野監督との場合でも同じだという。

久石「僕ら、すごくハッキリしているのは、仕事の場でしか会わないんです。普段飲みに行くようなことも一切しません。映画のたびに、『今度はこいう映画ですが、どうですか?』『では一緒に』というスタンスです。
 だからもう、本数を重ねるにつれてすごく苦しくなってきます。ほんと、苦しいですよ。だって同じ手は使えませんから。だから同じように一生勉強していかないと。だって『この前やったのとまた同じじゃない』と言われたら終わっちゃいますから。そう考えると、本当に、すごく厳しい現場なんです、音楽の現場というのはね」】

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 宮崎駿監督、北野武監督作品の音楽といえば、久石譲さん。
 日本を代表する作曲家のひとりであり、映画音楽の第一人者(坂本龍一さんもいらっしゃいますが、最近はあまり仕事をされていないようですので)として知られています。
 宮崎アニメの音楽を聴いたことがないという日本人は、たぶん少数派のはず。
 先日アカデミー賞の外国語映画賞を受賞した、『おくりびと』の音楽も久石さんだったんですよね。

 これは、久石譲さんがちょうど10年前、『もののけ姫』の音楽と宮崎駿監督との関係について語られたものなのですが、あの『もののけ姫』のテーマ曲が、「20分か30分ぐらい」で作られたものだということに僕はすっかり驚いてしまいました。
 『もののけ姫』の音楽には、久石さんにとってもすごく情熱を持って臨まれていて、「1分半の曲に2週間もかけたこともあった」そうです。
 これを読んだときには、「ミュージシャンの曲作りって、そのくらいかかってもおかしくないんじゃないか?」と思ったのですが、映画の場面にあわせてかなり多くの曲を作らなければならない映画音楽では、かなり手早く仕事をこなさなければならないようです。「音楽ができていないから、公開を遅らせる」というわけにはいかないだろうし。
 それにしてもあの印象に残る名曲が、「20分〜30分」というのは、あまりにも早い。この久石さんのお話からすると、久石さん自身も最初はそんなに思い入れがなく、サッと出来てしまった曲が、結果的にメインテーマとして使われることになった、というのが真相のようですね。

 宮崎駿監督から久石さんへの「リクエスト」が、ふだんは「10個のキーワード」で構成されていて、それを見ただけで久石さんがあんな「映画に合った曲」を作ってしまうというのにも驚かされます。
 『もののけ姫』は、キーワードが暗い言葉ばかりになってマズイと思った、というのには、ちょっと笑ってしまいましたけど。
 たしかに、あの映画の世界を10個のキーワードであらわしていったら、ホラー映画の音楽になってしまいそう。

 この番組から10年経って、久石さんが宮崎駿、北野武監督と一緒に飲みに行くような関係になったかどうか僕にはわかりませんが、この時点でもあれだけの実績を残していて、「宮崎駿監督作品の音楽といえば久石譲」と世間では認められていたはずです。
 それでも、久石さんは、これだけの危機感を持って仕事をされていたのですね。
 まあ、これは逆に「オレ以上の作曲家はそうそういないはず」という自信のあらわれのような気もしますが。
 「前と同じようなものは出せない」と言いながらも、久石さんの仕事量は減っておらず、他の監督の作品にも精力的に曲を提供されています。
 ここまで久石さんの存在が大きくなってしまうと、正直、「久石譲がいなくなったら、日本の映画音楽はどうなるのだろう?」という不安もちょっとあります。すぎやまこういち先生と『ドラゴンクエスト』のようなものかもしれませんね。



2009年03月01日(日)
伊集院光が語る「活字メディアと生のフリートークの共通点」

『BRUTUS (ブルータス)』2009年3/1号(マガジンハウス)の特集記事「なにしろラジオ好きなもので。」より。

(TBSラジオで毎週月曜日深夜25時〜27時にオンエアされている「深夜の馬鹿力」のパーソナリティとして人気の伊集院光さんのお話の一部です。)

【実は、活字メディアであんまり上手にしゃべれた試しがないんで、最近はあまりお引受けしないようにしてきたんです。ましてや生放送の直前にラジオ以外の仕事をするなんて……今こうして『BRUTUS』のインタビューに応えてるのって、僕としては実に画期的なことなんで、変な気持ちです。
 で、そういう状況に置かれてみてふと気づいたんですけど、活字メディアとラジオの生のフリートークってすごく対極にあるようでいて、結局のところ「編集している」って部分では共通しているんじゃないかと。
 僕は『深夜の馬鹿力』って番組の冒頭で毎回フリートークをしてますけど、生放送でフリーとはいうものの、その場で思ったままを口にしているわけじゃない。だからといってあらかじめ考えてきているわけじゃないんだけど、言葉として発する前に、必ず頭の中で編集をしてると思うんですよ。
 例えば「ビデオを燃えないゴミの日に捨てようとしたら、おじさんに”ビデオは燃えるゴミだ”って怒られて、新しいゴミの区分にかなりの違和感を覚えた」って話をする時に、「捨てようと思ったビデオがエロいビデオだった件を入れようか入れまいか」「入れるのならば具体的なタイトルまで入れようか」「それはかなり生々しいからやめようか」っていうたぐいの「編集」を自分の中で絶えずしてる。
 それはひとつには、ディテールを逐一説明していたら時間がいくらあっても足りないってこともあるんですけど、言葉で縛りすぎるとイメージが限定されて、それがリスナーが想像しているイメージとズレて、かえって違和感を与えてしまうこともある。
 「ブス」とだけ言っとけばリスナーは自分にとってのブスを勝手に思い浮かべて納得するのに、なまじ特定の名前を言ったりすると、「俺の好みと違うじゃん」「そいつは美人じゃねえか」「そいつ誰?」なんてことになって、肝心な部分が入っていかない。かといって、端折りすぎても伝わらないんですよね、これが。
 ミスチルの桜井氏と対談した時、「曲を聴いて星空を思い浮かべてほしいと思ったら、星座の名前までは言わないほうがいい」って言ってて、「この言い方ができるから、ミュージシャンはモテるんだな」ってことは置いといて(笑)、ある程度は聴き手の自由な想像にゆだねたほうが思いがきちんと伝わる、同じ思いを共有できるってことです。
 だからフリートークがどれだけ面白くなるかは、どこまで話をふくらませて、どこまで端折るかっていう「さじ加減」にかかってくる。ただ、それには僕とリスナーとの間に信頼関係がないと絶対駄目なんです。
 だからこそフリートークの部分でも、「リスナーから来たハガキの行間も含めてキャッチして、それをちゃんとリリースしよう」っていうのが僕の目標です。まあうまくいったりいかなかったり、いかなかったりいかなかったりですけど(笑)。

(中略)

 で、今僕が思うのは、ここいらで「ラジオのよさって何?」ってことを業界全体で一度腰据えて考えてみたほうがいいんじゃねえのってことです。
「今の若い世代に”ラジオって意外に面白い”って感じてもらえるものは何なのか?」とか、「ラジオCMのテレビCMにはない強みって何なのか?」とか、「夜中聴くのはきつい深夜放送世代の社会人にどうアプローチするのか?」とかを考える。
 具体的には、有料で携帯電話配信をするならば、いくらで何分が最適なのか、高すぎれば聴かないし、長すぎれば、本来ラジオを聴く時間を犠牲にして聴いてしまうので本末転倒だし……とにかく考え抜く。
 ラジオをまったく聴かない層を取り込むために、「ラジオを腋に挟んでおくと、猛烈な腋の臭いが消えますよ―」とデマを流すとか(笑)、何でもいいんですよ。】

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 この伊集院光さんの『深夜の馬鹿力』は、この号の『BRUTUS』によると、「深夜帯で唯一、聴取率1%を叩き出すお化け番組」なのだそうです。
 実は僕自身は、この番組が九州ではオンエアされていないので、上京した際断片的に聴いたり、伊集院さんのエッセイ集『のはなし』を読んだりしたことしかないのですけど。

 「深夜帯での聴取率1%」=「お化け番組」というのは、ラジオが置かれている現状をよくあらわしているのかもしれません。
 同じ時間帯でも、テレビ番組であれば、1%でこんなに評価されることはないでしょうから。
 いまの中高生は、僕がそうしていたように、ラジオの深夜放送を聴きながら勉強しているのかなあ。

 この伊集院さんのお話というのは、「ラジオ好き」だった僕にとって、とても興味深いものでした。
 そして、「思いついたことを適当にしゃべっている」ように思えるフリートークについて、パーソナリティはここまでギリギリのところの「編集」をしているのかと驚かされました。
 そこまでやるならキッチリ台本を作ってしまえばいいじゃないか、とも思うのだけれど、深夜ラジオのフリートークっていうのは、「いかにも台本通り」だと、かえってリスナーも盛り上がらないような気がします。深夜放送だと「今思いついたことをダラダラしゃべっているような感じ」のほうが、聴いてて楽しかったんですよね、なんとなく。
 それに、パーソナリティのなかには、「具体的に名前を挙げる」ことによって「毒舌」でウケを狙うタイプの人もいるので、すべての人が、伊集院さんと同じような考えかたをしているのではないはず。

 でも、少なくとも若いリスナーが多い深夜放送では、こういう「言葉を介してのパーソナリティとリスナーの想像力の綱引き」というのはけっこう大事な要素なのではないかと思うのです。
 言葉っていうのは不思議なもので、テレビだと、「絶世の美女」を表現するために、美しい女優さんを連れてきても「イメージと違う」と思う人は必ずいるはずです。
 ところが、ラジオや小説だと、受け手は勝手に「自分にとっての絶世の美女」を思い浮かべてくれます。
 だからといって、あまりに「絶世の美女が……」なんて相手の想像力に任せっぱなしにしようとすると、「なんだこの幼稚な表現は……」としらけてしまうんですけどね。
 そのあたりの「さじ加減」というのは本当に難しいのだけれど、それを実際に意識してしゃべっているパーソナリティは、そんなに多くはないような気がします。
 長く続いている人気パーソナリティに「言葉の編集のプロ」であるシンガーソングライターが多いのは、彼らが「もともと人気者だったから」だけではなく、「言葉を通じて聴き手と想像力の綱引きをすることに慣れている」という理由が大きいのではないでしょうか。

 僕は何年か前に大学の研究室で働いていたとき、「ラジオの面白さ」を再発見して、またラジオを聴くようになったのですが、「ラジオの魅力」っていうのは、僕にとっては、「人がしゃべっているのを聴いていられる楽しさ」なんですよね。
 テレビはある程度集中して観ないといけないし、誰かの話を長い時間カットせずに聴かせてはくれない。
 ラジオには、「想像力を刺激される」のと同時に、「誰かがそばにいてくれるような安心感」があるような気がします。
 
 個人的には、やっぱり年齢的にも起きなければならない時間的にも深夜放送を聴くのは辛いので、有料でもいいからいつでも聴けるように配信してくれないかな、とも思うのですけどね。
 ポッドキャストもだいぶメジャーになってきましたし(iPodの大きな容量というのは、ラジオ番組を録音して入れておくのにもかなり便利です)、これからは「パーソナリティがしゃべるラジオ番組」が見直されてくるのではないか、僕は、そんなふうに少し期待しているのです。
 深夜放送っていうのは、あの時間に眠気と闘いながら聴くからこそ、いっそう面白く感じるものなのかもしれませんが。