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2008年08月31日(日) ■ |
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宮崎駿監督を悩ませた、『風の谷のナウシカ』の「3つのラストシーン」 |
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『仕事道楽―スタジオジブリの現場』(鈴木敏夫著・岩波新書)より。
【『ナウシカ』というと、ぼくがいつもふれるエピソードが二つあります。 一つは製作終盤のときの話。当然のように、どんどんどんどん制作期間を食っちゃって、映画がなかなか完成しない。さすがの宮さん(宮崎駿監督)もあせった。じつは宮さんというのは、締切りになんとかして間に合わせたいタイプの人なんです。それで、彼が高畑(勲)さんとかぼくとか、関係する主要な人をみんな集めて訴えた。「このままじゃ映画が間に合わない」と。 進行に責任を持つプロデューサーは高畑さんです。宮さんはプロデューサーの判断を聞きたいと言う。そこで高畑さんがやおら前に出て言った言葉を、ぼくはいまだによく覚えています。何と言ったと思います? 「間に合わないものはしようがない」 高畑さんという人は、こういうときよけいな形容詞を挟まない。しかも声がでかい。人間っておもしろいですね。そういうときは誰も声が出ない。ただ、下を向いて黙っている。ぼくもどうしたらいいかわからなくて、そのときはさすがに下を向いていました。 しばらく沈黙が続いたあと、宮さんは「プロデューサーがそう言っているんだから、これ以上会議をやってもしようがない」。そのあと、宮さんは必死になって徹夜を続けました。それでやっと映画が完成するんです。 高畑さんの名プロデューサーぶりをいろいろ言いましたけど、最後の最後、高畑さんは監督の立場になっちゃうんです。「間に合わないものはしようがない」、監督・高畑勲のこの言葉に、そのあと何度泣かされたか。 高畑さんは監督として、そういう時間制限に無頓着といわないまでも、けっこう平気です。『ハイジ』のときにもこんな話があったそうです。毎週放送ですから、とにかくストックを作っておかなければならない。みんなその作業に励んでいたわけですが、ところが来週から放送だぞという、最後の最後の段階でまだ、肝心のオープニングの絵が決まっていなかった。宮さんは絵を描く担当だから、「パクさん(彼は高畑さんをそう呼ぶ)、早くやろうよ」と言うんだけど、高畑さんはなかなか重い腰を上げない。そうこうするうちに、高畑さんがプロデューサーをつかまえて、議論をはじめてしまった。聞くともなしに聞いていたら、「なんで1週間に1本放映しなければいけないのか」。これが1時間で終わらず、2時間たっても3時間たっても、えんえんと続く。スタッフは監督の指示が必要ですから、ただ待つしかない。それで、宮さんはしようがなくて、高畑さんにいっさい相談することなく、あのオープニングを作ったそうです。このエピソードは宮さんから百万回(笑)聞きました。 そもそも高畑さんのデビュー作『太陽の王子ホルス』のときからそうだったらしい。悠々と急がないから、宮さんが心配する。「パクさん、大丈夫なの? 公開に間に合わないよ」。高畑さんは平気でこう言う、「人質を取ってんだから大丈夫だよ」。「何なの、人質って」「フィルム」だよ。
もう一つはラストシーンです。王蟲(オーム)が突進してくる前にナウシカが降り立ちます。宮さんは最初、そこでエンドマークというつもりだったんです。あそこで終わっていたら、あの映画はどうだったんだろう? あまりにもカタルシスがないと思いませんか? こういうとき、宮さんはサービス精神が足りないんですよ。 ラストシーンの絵コンテを見て「これでいいのかなあ」と思っていたら、高畑さんもそう思ったらしい。二人で喫茶店に入って、「これはいかがなものか」という話になった。高畑さん「鈴木さん、どう思う?」、ぼく「終わりとしては、ちょっとあっけないですね。いいんでしょうか?」。高畑さんの疑問は、要するに、これは娯楽映画だ、娯楽映画なのにこの終わり方でいいのか、ということなんです。高畑さんは理屈を考えるの得意でしょう、話が長いんですよ。そしてどんどん話題が広がる。ああでもないこうでもないって、多分、8時間ぐらいしゃべってたんじゃないかなあ。 で、「鈴木さん、手伝ってください」と言うので、二人でラストシーンの案をいろいろ考えた。案は3つでした。A案は宮さんの案そのまま。王蟲が突進しその前にナウシカが降り立って、いきなりエンド。これはこれで宮さんらしいけどね。B案、これは高畑さんが言い出したもので、王蟲が突進してきてナウシカが吹き飛ばされる、そしてナウシカは永遠の伝説になる。C案、ナウシカはいったん死んで、そして甦る。 「鈴木さん、この3つの案のなかで、どれがいいでしょうかね」 「そりゃ死んで甦ったらいいですね」 「じゃ、それで宮さんを説得しますか」 それで二人、宮さんのところへ行きました。そういうとき高畑さんはずるいんですよ。みんなぼくにしゃべらせる。どうしてかというと、責任をとりたくない(笑)。自分が決めて、それに宮さんが従ったとしても、もしかしたら宮さんはあとで後悔する、そうすると自分の責任になるでしょう。それが嫌で、ぼくに言わせたいわけ。わかってましたけど、しようがないから、ぼくが案をしゃべる役回りになりました。 「宮さん、このラストなんですけど、ナウシカが降り立ったところで終わっちゃうと、お客さんはなかなかわかりにくいんじゃないですか? いったんバーンと跳ね飛ばされて、死んだのかと思ったところで、じつは甦る、というのはどうでしょう?」 そのときもう公開間近で、宮さんも焦っていた。宮さんは話を聞いて、「わかりました。じゃ、それでやりますから」と言って、いまのかたちにした。『ナウシカ』のラストシーンに感動された方には申しわけないんですが、現場ではだいたいこんな話をしているんですよ。 このラストシーンがじつはあとで評判になってしまいます。原作とまるでちがうじゃないかという声もあって、いろいろ論議を呼びました。宮さんはまじめですからね、悩むんです。深刻な顔をして「鈴木さん、ほんとにあのラストでよかったのかな」と言われたときには、ぼくはドキドキしました。いまだに宮さんはあのシーンで悩んでいますね。】
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あのラストシーンに感動してしまい、涙が止まらなかった僕としては(映画を観て泣いたのはあれが生まれてはじめてのことだったので、いまでもよく覚えているんです)、「あのラストでいいに決まってるじゃないですか!というより、あれ以外にありえない!」と強く主張したいところではあります。あの「青き衣をまといて金色の野に降りたつ」ナウシカの姿こそが、『風の谷のナウシカ』の「最大の見せ場」のはずなのに。 ところが、スタジオジブリの名プロデューサーであり、宮崎駿・高畑勲両監督の盟友でもある鈴木敏夫さんによると、あのラストシーンは、「本来、宮崎駿監督が考えていたもの」とは、全然別物になってしまったんですね。 もし、「王蟲が突進してくる前にナウシカが降り立った場面でエンドマーク」とか、高畑さんの案の「王蟲が突進してきてナウシカが吹き飛ばされる、そしてナウシカは永遠の伝説になる」というようなラストになっていれば、たぶん、『風の谷のナウシカ』に対する世間の評価というのは、まったく違ったものになっているのではないでしょうか。 完成版のラストシーンよりも「メッセージ性は高い」ような気もしますけど、その結末を見せられれば、気分よく映画館を出てくるのは難しいはず。
鈴木敏夫さんは、『アニメージュ』という雑誌の編集に関わったのをきっかけに宮崎駿、高畑勲両監督と知り合い、彼らの作品に惹かれて、徳間書店の編集者から「スタジオジブリ」の主要スタッフとして活躍されています。 元々「アニメ制作者」ではない鈴木さんの「映画に声優ではなく、タレントを起用しての話題づくり」や「タイアップによる宣伝」などに対しては、批判的な声も根強くあるようですし、僕も「やり手の営業マン」「豪腕」のイメージがあって、ちょっと苦手なタイプの人だな、と思っていました。 でも、この本を読むと、「宮崎駿のもの」だと思い込んでいた「ジブリ作品」は、けっして、宮崎駿ひとりの力で成り立っているのではないのだな、とうことがよくわかります。高畑勲監督のさまざまなエピソードも紹介されているのですが、それを読んでいると、高畑監督に比べたら、宮崎駿監督のほうが、まだ「常識人」だと感じずにはいられません。 にもかかわらず、高畑勲という人間と一緒に仕事をすることを最も望んでいるのは、やっぱり宮崎駿監督なんですよね。そして、高畑さんは肝心なところではいつも、「宮崎駿の弱点」をしっかりサポートしているのです。 もし鈴木さんがいなければ、少なくとも、ラストシーンへの違和感を宮崎駿監督に告げなかったら、『風の谷のナウシカ』は、ここまで歴史的な作品にはならなかったでしょう。どんなに優れた作品でも、ラストシーンの印象って、すごく大事ですから。 そして、『ナウシカ』が失敗していたら、現在の「スタジオジブリ」も存在しなかったと思われます。
もちろん、鈴木さんの力だけで「ジブリのアニメ作品」そのものを制作することはできないでしょうけど、「ジブリの作品は、宮崎駿ひとりのものではない」のです。 それにしても、「いまだに宮さんはあのシーンで悩んでいる」という鈴木さんの言葉には驚かされます。売れたからいい、世間で評価されているからいい、というふうに割りきることができないのが、宮崎駿監督の「らしさ」であり、「創作者としてのプライド」なのかもしれませんね。
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2008年08月29日(金) ■ |
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「大舞台(ダイブタイ)」なのか、「大舞台(オオブタイ)」なのか、わからなくなりました。 |
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『適当な日本語』(金田一秀穂著・アスキー新書)より。
(日本語学者・金田一秀穂先生が、日本語についての「相談」に答えるという形式で書かれた本の一部です)
【<相談20>大舞台(ダイブタイ)なのか、大舞台(オオブタイ)なのか、わからなくなりました。
<解答20> 接頭語の「大」という字を(オオ)と読むか、(ダイ)と読むかには、大まかなルールがあります。本体が和語であれば(オオ)になり、漢語であれば(ダイ)と読みます。例えば「大騒ぎ」や「大喰らい」が「オオ」、「大事件」や「大行進」は「ダイ」となります。 ただし例外があって、漢語であっても、よく慣れた言葉は和語扱いで、「オオ」と読むのです。「大掃除」とか「大勝負」などは、そういう例です。 このような例外は、規則がないので、覚えるしかない、ということになります。問題の「舞台」は漢語ですが、「オオブタイ」と読むのが通例になっています。どうして、と聞かれても困ります。ついでに、「大地震」は「ダイジシン」なのか「オオジシン」なのか、よく分かりません。私の知っている年寄りは、「オオジシン」と言っていました。NHKの放送用語も「オオジシン」です。しかし、阪神・淡路大震災以降、「ダイジシン」を使う人が多くなったそうです。関東大震災を経験した人にしてみれば、地震はとても「慣れた」言葉だったのだろうと考えられます。】
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この「大舞台」の読みかたというのは、けっこう話題になることが多いですよね。世間の「日本語通」には、「アナウンサーのくせに、『だいぶたい』なんて読んでるなんて……」などとあきれてみせる人もけっこういるのですが、この「接頭語の『大』の読みかたのルール」をちゃんと知って、アナウンサーをバカにしている人はそんなに多くはないはずです。 いや、僕も知らなかったからこそ、ここで紹介しているのですけど。
【本体が和語であれば(オオ)になり、漢語であれば(ダイ)と読みます。】という金田一先生の解説を読むと「なるほど」と納得できますし、もうこれで間違うことも(あまり)ないはず、と思うのですが、その後の【ただし例外があって、漢語であっても、よく慣れた言葉は和語扱いで、「オオ」と読むのです。】というところで、ちょっと雲行きが怪しくなってきます。 「じゃあ、どんな言葉が、『よく慣れた言葉』なんだ?」と。
「大騒動(おおそうどう)」は、「よく慣れた言葉」で、「大混乱(だいこんらん)」は「あまり慣れていない言葉」なのでしょうか……まあ、耳慣れたこの2つの言葉を、それぞれ「だいそうどう」とか「おおこんらん」と読む人はいないとは思うのですが、どのあたりがその「境界」なのかは、なんだかよくわかりませんよね。 結局のところ、【このような例外は、規則がないので、覚えるしかない】のでしょう。でも、「例外」があるということは、この規則そのものが『完璧」ではないわけです。 こういう話を読むと、アナウンサーが「大舞台」を「だいぶたい」と読んだときに、嬉々として「アナウンサーのくせに間違ってる!」なんて指摘するのもあんまりカッコいい行為ではないような気がします。「ルール通り」なら、むしろ「だいぶたい」のほうが「正しい」わけですし。
日本語の「正しさ」なんて、けっこう曖昧なもので、時代によって変わってしまうのです。 しかし、「大地震」という言葉に「慣れて」、「オオジシン」が一般化してしまうのは、遠慮したいものではありますね。
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2008年08月27日(水) ■ |
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『ハゲワシと少女』と一人のカメラマン |
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『ジャーナリズム崩壊』(上杉隆著・幻冬舎新書)より。
【1993年、アフリカのスーダンを大飢饉が襲っていた。悲惨な現状を世界に伝えるため、多くのジャーナリストが現地入りを果たしていた。その中には、ニューヨーク・タイムズと契約したカメラマン、ケビン・カーター氏の姿もあった。
カーター氏は、国連食糧配給センターのあったアヨド村を訪れて、栄養失調や伝染病で死んでいく子どもたちの姿をカメラにおさめていた。一羽のハゲワシが、飢えのために地面にうずくまっている少女を狙っているシーンに遭遇したのはその時である。 同年3月26日、ニューヨーク・タイムズは一面トップにカーターのその写真「ハゲワシと少女」を掲載した。 反響は絶大だった。この写真を機にスーダンへの支援を表明するボランティアが次々と現れた。また、タイムズには寄付が集まり、アフリカ飢餓救済運動の再興のきっかけともなった。だが、そうした声の中には、なぜ少女を助けなかったのかという批判も少なからず含まれていたのもまた確かだった。 翌1994年、この写真がピュリッツァー賞を取ると、論争が再燃する。なぜ、その場で少女を助けなかったのかという問題提起は、最終的には「報道か、人命か」という大テーマに発展した。 ピュリッツァー賞授賞式の1ヵ月後、カーターが自殺し、少なくともジャーナリズムの世界ではこの論争に終止符が打たれた。その結論は次のようなものであった。 ――ひとりの少女の生命を救うことで、同じ境遇のさらに多くの子どもたちの生命が危険に晒される可能性がある。それを避けるためにも、ジャーナリストは対象(被写体)に触れるべきではない。 ジャーナリズムはときに世界を動かす。カーターが写真を撮ったからこそ、アフリカへの感心が高まり、多くの子どもたちが救われたのだ。 取材現場にいて、そうした自制心を常に働かせることは決して容易いことではない。だた、取材対象とのそうした距離感を保つことこそ、ジャーナリストに求められていることではないだろうか。】
参考リンク:ケビン・カーター(Wikipedia)
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この写真が「ハゲワシと少女」です。 おそらく、見たことがある方も多いのではないでしょうか。
この文章を読みながら、僕はこんなことを考えずにはいられませんでした。 「ケビン・カーターが、もし、ピュリッツァー賞受賞後に自殺をせず、有名ジャーナリストとして大威張りで世間を闊歩していたら、果たして、世界はこの写真、そして、ジャーナリズムの『善意』を信じていられるだろうか?」
たしかに、「歴史的な事実」からすれば、このひとりの子どもの「犠牲」によって、その何千、何万倍もの子どもが救われたのだと思います。結果からみれば、ケビン・カーターの行為は「正しかった」し、彼の写真のおかげで助かった子どもたちも、それに同意するでしょう。
しかしながら、この子ども、あるいはその親の立場からみると、ケビン・カーターがその場で「子どもを助けるより写真を撮ることを選んだ」のは、「非人間的な行為」ではありますよね。 ただし、参考リンクのWikipediaの記述によると、この少女の近くには母親がおり、切実に『命の危険にさらされていた』わけではないようです。 それでも僕としては、彼がシャッターを切るまでの時間に「もし目を突かれて失明することにでもなったら……」というような想像もしてしまうのです。 ケビン・カーターがこの写真を撮ったのは、本当に「100%の良心」によるものだったのか? 彼は、子どもたちが次々と死んでいく悲惨な現地の状況を伝えようと、この写真を撮り、発表したのですが、それが「世界を動かしたこと」と「彼自身も名誉と批判を受けたこと」が、彼の運命を変えてしまいました。 おそらく、この写真を撮ったときのケビン・カーターは、目の前の場面のあまりのインパクトに、「シャッターチャンス!」だと感じたに違いありません。そして、この写真が自分を「成功」させてくれることを願った。 もし、彼がカメラを持っていなかったら、ジャーナリストでなかったら、まず、ハゲワシを追い払っていたはずです。僕は、こういう場面で、写真を撮るより、ハゲワシを追い払う人間でありたい。 しかしながら、もし彼がそうしていたら、多くの子どもたちが救われなかったかもしれません。 この『ハゲワシと少女』と一人のカメラマンの話は、ケビン・カーターの自殺によって、「美化」されてしまっているように僕には感じられます。彼があの写真により成功し、人生を謳歌していたとしても、「ジャーナリストは世界のために目の前の人を見殺しにしてもしょうがない」「ジャーナリストは対象(被写体)に触れるべきではない」という彼らの「結論」に、頷くことができるでしょうか?
たぶん、同じような場面で、「写真を撮る」ことよりも「対象を助ける」ことを優先し、ジャーナリストとして無名のまま終わってしまった人がたくさんいたのではないかな、と想像してしまうのです。 僕は、そういう人たちのほうが「ひとりの人間としては偉大」なのではないかと考えずにはいられません。
ケビン・カーターは、写真を撮る前に少女を助けるべきだったのか?
「ジャーナリスト」もまた「ひとりの人間」である限り、この問いに対する正しい答えは無いのでしょう。
戦場カメラマン、ロバート・キャパは、こんなことを言っています。 「悲しむ人の傍らにいて、その苦しみを記録することしかできないのは、時にはつらい」 ケビン・カーターもまた、この「つらさ」をカメラと一緒に抱えていたのだと僕は思います。 そして、「ジャーナリスト」を自称するのであれば、「取材対象とのそうした距離感を保つ」ことを正当化するだけではなくて、そうしなければいけない「つらさ」を感じる人間であってもらいたい、と考えずにはいられません。
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2008年08月25日(月) ■ |
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『大戸屋』で「極貧の人のためのボトルキープ」が可能だった時代 |
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『うまうまノート』(室井滋著・講談社文庫)より。
【渋谷宮益坂を友人と一緒に歩いていたら、「オヤッ!?」と目に留まったものがある。とあるビルの階段下から2階めざして作っている、女の子たちの行列だ。 何なのかわからぬまま、私たちもスーッとその列の最後尾に並んで、それから2階の看板を見上げる。定食チェーンの店、『大戸屋』とあった。 「あれまぁ、女の子たちに人気っつうのは聞いてたけど、こんなに順番待つくらいなの!?」 驚き、興味津々。そのまま、私たちも食事してみようという気になった。 さて、店内に入って、またびっくり。 中は広く、明るく、こざっぱりとして、とっても清潔だった。お客さんの約8割が女性のせいか、とにかく雰囲気がやわらかで、くつろげそうな感じ。
(中略)
私が何を見てもいちいち声に出して騒ぎ立てるので、そのうち友人が怪訝そうに聞いてきた。 「ねぇシゲル、さっきから一人で何をそんなにヒャーヒャー言ってんの? 恥ずかしい……。皆、こっち見て笑ってるわよ」 ハッとなって私は首をすくめ、口に手を当てて黙った。 しかし、『大戸屋』のこの大変身を目の当たりにして、騒ぐなというほうが無理というもの。私は友人に向かって、小声で興奮のその理由を話し始めたのである。 今から20年ほど前、私は大学生で、この『大戸屋』1号店である池袋東口店や、高田馬場さかえ通り店に通っていた。 当時の『大戸屋』のお客は、その9割5分がおっちゃんや男子学生で、女の子の姿なぞほとんど見かけられなかったものである。 店のメニューの安さといったらなく、贅沢さえ言わなければ、とにかくお腹はいっぱいになったが、女の子が出入りするのにはちょっと憚られるものがあった。 『大戸屋』の常連イコール金欠というイメージが、私たち学生の間では常識となっていたので、「あの子って、よーく大戸屋に行ってるらしいよ」なんて女の子が噂されてしまうのは、とても格好の悪いことだった。失礼ながら、そういう意味では、ハッキリ言って『吉野家』に一人で入るほうがまだましだったのである。 当時の『大戸屋』が極貧の人のための店……というのには、実はひと役かっていた商品があった。 桃屋の『ごはんですよ!』か、『江戸むらさき』である。 古い話なので、どっちだったかはもう忘れてしまったが、このビン詰めののりを大戸屋では、ボトルキープさせてもらえたのだ。カウンターの前にはボトルを置く棚がもうけられ、何十……いや、何百という『ごはんですよ』が並べられていたものだ。ボトルには首から輪ゴムで丸いラベルが掛けられ、そこには氏名とボトルキープを開始した日付が書かれた。 月末近く、親からの仕送りが入る前の4〜5日、キュウキュウに苦しかった私は、仕方なくコソコソと『大戸屋』に行った。ご飯セット(白飯・みそ汁・お新香)さえたのめば、あとはこのボトルののりをおかずにして、何とかご飯を呑み込めたのだ。 さて、ある時、このボトルを巡って、小さな事件……いや、心の葛藤が生まれた。 それは憧れの先輩と一緒にテーブルについて、各々、「ボトルね」と、自分のマイボトルを注文した時に起こった。 私のビンの中身がもうほとんどなくなっているのを見て、先輩がやさしく、「ほれ、俺の喰えば? ……もう期限スレスレだけど」と自分のを差し出してくれたのだが……。 その時、私としたら箸を持つ手をピタリと止めてしまった。先輩のことをとても好きなはずだったのに、なぜか私はそのビンの中に箸をつっこんでのりをとることができなかったのだ。 お店の規則で、ボトルキープの期間は3ヵ月間と決められており、それを超えてしまうと、自動的に捨てられてしまうことになっていた。 先輩は、この期限スレスレということに私が神経質になって食べないのだと勝手に思ったようで、「平気、平気、まだ3ヵ月以内、腐ってないさ」と笑った。 しかし、そうではないのだ。 先輩の……先輩だけのいろんなものが染みついた、プライベートなボトルに、自分はどうしても踏みこんでゆく勇気がもてなかったのだ。 「好きって思ってたけど、本当はそんなに好きじゃあなかったんだ……」 踏み絵のようなボトルで、自分でも気づかなかった気持ちがあからさまになってしまった。 私はそれ以降、先輩と一緒に大戸屋へ行くことは二度となかったのである。】
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この『うまうまノート』が単行本になったのが2003年11月だそうですから、今からだいたい5年くらい前に室井さんが書かれた文章です。 僕は九州在住なので、実際に『大戸屋』の中に入ったことはないのですけど、先日東京に行った際、お昼時に女性がたくさん並んでいる店が、この『大戸屋』だったことを憶えています。東京在住の女性のブログには、けっこうこの『大戸屋』が出てくるので、「ここが『大戸屋』か」と。
僕にとっては、「都会のキャリアウーマン御用達」の「オシャレ定食屋」というイメージがあるこの『大戸屋』なのですが、室井さんがよく利用していた時代には、「男性・学生向けのワイルドな定食屋」だったようです。いまとなっては、「『吉野家』に女性ひとりで入るのが恥ずかしい」というのも、ちょっと信じがたい話ではあるのですが、田舎では、いまでも女性がひとりで外食していると、周囲のおばちゃんたちの好奇の目にさらされることもあるそうです(と、僕の妻が言ってました)。
この『大戸屋』の「ボトルキープ」の話を読んでいると、なんだか、「学生時代の大学の周りの定食屋」のことを思い出してしまいます。さすがに僕の大学の周りには『ごはんですよ』をキープできる定食屋はありませんでしたが、味はそこそこながら、「とにかく安くて、お腹いっぱいになることができる」という定食屋には、かなりお世話になったものです。 今をときめく「女性に人気の『大戸屋』」にもそんな時代があったのだなあ、と思うと、なんだか急に親しみがわいてくるなあ。「ご飯セット」なんて、そんなに儲かりそうもないメニューがあったなんて。 『大戸屋』は、何がきっかけで、今の路線に転換することになったのだろうか……
ところで、室井さんが先輩の「マイボトル」に箸を入れられなかった気持ち、僕はなんとなくわかります。 ただ、今から考えると、それは室井さんがその先輩のことを「好きじゃなかった」というより、その人の「衛生観念」の問題じゃないか、という気もするんですけどね。いくら相手のことが好きでも、食器や食べ物を「共有」できないという人はけっこういますし、『ごはんですよ』だと、たしかに、いろんなものが混ざっていてもわからないだろうし……
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2008年08月22日(金) ■ |
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『デトロイト・メタル・シティ(DMC)』の作者・若杉公徳さんを驚かせた「雑誌連載中に人気が下がった回」 |
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『QJ(クイック・ジャパン)・vol.79』(太田出版)の『デトロイト・メタル・シティ(DMC)』特集の「『DMC』作者・若杉公徳インタビュー」より。取材・文は吉田大助さん。
【インタビュアー:クラウザー1世が初登場する65話、素晴らしかったです。根岸=クラウザー2世の「もう」は名言中の名言ですね。
若杉公徳:やらなくていいのに、やっちゃうんですよね。そこは今までやってきた責任感が働いちゃうんですよ。健気ですよね……。
インタビュアー:1世は最初から出す予定だったんですか?
若杉:いや、最初はまったく何も考えてないです。「名前に2世って付いてるけど、なんだろうな?」と読者に思わせるためだけにやってました。もし担当編集さんに「1世がいないのに2世は変じゃないか」と言われてたら、直してたかもしれないくらいです。
(中略)
インタビュアー:1世のキャラクターはどう作っていきましたか。
若杉:もともと『DMC』の一番最初の打ち合わせでは、クラウザーはメイクを落とすとおっさんっていう設定で、彼が主人公のギャグ漫画だったんですよ。でも、『ヤングアニマル』は若い人が読む雑誌なので、若い人を主人公にしたんですね。ギャップで笑いを取るためには、メイクを取ったら若くてかわいい男、という方がよりハマるかなとも思ったし。それで、1世を出すことになったので、ボツになったおっさんが出てきました。
(中略)
インタビュアー:『DMC』が驚異的なのは、一話完結スタイルのギャグを続けているところですね。時おり長編ストーリーも入り込んでくるけれど、ページのなかにギャグは欠かさないし、終わった後には必ず基本形に戻ってくる。連載を続ける大変さから考えても、ついストーリーだけになってしまいがちだと思うんですが。
若杉:一話読み切りは、やらないとイヤなんですよね。長編が終わったらまた読み切りを描いて、ちゃんとギャグを描いてオチをつけて、そういうバランスでやっていきたいんです。理由は単純で、これはギャグ漫画なので。6巻も最初の5話はショートネタが続いていて、ジャギ(和田)がビジュアル系バンドに入りかけたり、カミュ(西田)が秋葉原で活躍したり、それぞれのキャラのプライベートを描いているので読んでもらいたいですね。クラウザーの「48のポリ殺し」も、1巻で出したっきり(TRACK4)だったので、またやれて良かったです。ただ、6巻は根岸が1世に負ける回まで収録されているんですけど、雑誌ではその回で人気が下がったらしいんですよ。主人公が負けると下がるみたいで。読者はそこまで感情移入しているんだなあと思うと嬉しいですけど、勝たせるための負けですから! 連載では1世編はもうそろそろ終わるので、決着を楽しみにしてください。
(中略)
インタビュアー:毎回新しいネタを生み出す大変さはありながらも、描けば描くほどネタのデータベースが広がっていくというふうに考えれば、もしかして描きやすさも出てくる?
若杉:あ〜、そういう部分はあるかもしれないですね。でも、描けるからってあんまりダラダラ続けるのはどうかなと思うので。テンションが落ちたと言われないように、終わるときはスパッと終わらせたいと思ってます。
インタビュアー:ちなみに、ハロルド作石さんの音楽漫画『BECK』への競争心は?
若杉:好きだからこそ、『BECK』ではやれないことをやりたい、と思って描いてます。結構元ネタにしてる部分も多いんですけど(笑)。『BECK』を読んで音楽を始めた人って多いと思うんですけど、『DMC』読んで音楽を始めた人っていないだろうなぁと思うと、ちょっと寂しいです。
インタビュアー:きっとゼロではないですよ(笑)。
(中略)
インタビュアー:最後に、今後の『DMC』について、野望を聞かせてください。
若杉:ギャグ漫画なので、面白くて笑える、というところにだけは気をつけて続けていきたいです。それと、クラウザーさんをバカボンのパパくらい、いろんな人に知ってもらいたい。ギャグのキャラクターといえばクラウザーさん、って思われるように頑張ります。】
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明日(2008年8月23日)からは、松山ケンイチさん主演の映画も公開される、『DMC』こと、『デトロイト・メタル・シティ』。マンガ好きの間ではけっこう早い時期から話題になっていたこの作品なのですが、この特集のなかで、担当編集者さんが「いまは5巻で累計300万部」と仰っています。 もちろん大ヒット作品ではあるのですが、掲載されていたのが『ヤングアニマル』(白泉社)というそんなにメジャーではない雑誌であったこともあり、世間での認知度は、まだそんなに高くはなさそうです。 それも、今回の映画化により、かなり変わってくるのでしょうけど。
このインタビューには、若杉公徳さんの写真も掲載されているのですが、写真での若杉さんは、けっこう朴訥な好青年、という印象です。ああいうマンガを描くのだから、それこそ、「クラウザーさん」のような人なのではないかと期待してしまうのですが、「ギャグ漫画を描き続ける」というのは、マメさと論理的思考力が必要なのかもしれないな、と僕はこのインタビューを読んでいて感じました。 そういえば、『こち亀』こと『こちら葛飾区亀有公園前派出所』も頑なに「一話完結型」を守っているギャグマンガですよね。なかには、『キン肉マン』のように、ギャグマンガだったはずが、いつのまにかストーリーマンガに「転向」して成功した例もあるのですが。 読者からすると、「長編」のほうが気合が入っているように感じるけれど、描く側からすれば、毎回ちゃんと笑わせるところやオチをつけなければならない(そして、次の回はまた一からはじめなければならない)「一話完結」のほうが大変な仕事のようです。「ギャグマンガ(とそれを描くマンガ家)は、ストーリーマンガに比べて短命」だと言われていますし。 僕がこのインタビューを読んでいていちばん興味深かったのは、若杉さんが「連載中に主人公・根岸が『負けた』回で人気が下がった」と仰っていたことでした。 いや、『北斗の拳』のようなヒーローマンガや『キャプテン翼』のようなスポーツマンガ(……って例がいちいち昔のマンガですみません)では、「主人公を応援している」読者が多いというのはよくわかるんですよ。でも、『DMC』のようなギャグマンガでは、若杉さんも仰っておられるように「勝つための前フリとしての負け」であり、「負けるのもネタのうち」じゃないかと……
ところが、読者はやっぱり、「主人公が負けるとイヤ」みたいなのです。 みんな、クラウザーさんが好きだし、それがギャグの一部であっても「負けてほしくない」のだなあ。 ずっと「主人公が圧倒的に勝ち続ける」マンガでは面白くないに決まっているのですが、やっぱり「主人公が負ける」と、なんだかもどかしい。 もしかしたら、『DMC』をギャグマンガとして読んでいない人も、けっこういるのかもしれませんね。
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2008年08月20日(水) ■ |
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どうして日本人には「亡命」する人がいないのか? |
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『相手に「伝わる」話し方』(池上彰著・講談社現代新書)より。
【ニュースにはむずかしい言葉が数多く登場します。テレビを見ている人は、むずかしい言葉、意味のわからない言葉が出てくるたびに、そこから先へは理解が進まなくなります。その言葉がキーワードだったら、視聴者にはニュースに伝わらなくなります。 逆に言えば、キーワードをわかりやすく説明することができれば、見ている人は、「ああ、そういうことなんだ」と腑に落ちることでしょう。 むずかしい言葉の多くは、漢字の熟語です。幸いなことに、私たちが使っている漢字は、ひとつひとつの文字が意味を持っています。その漢字の意味をおさらいするだけで、むずかしい用語の説明ができ、ニュースのポイントも理解できることが多いのです。
たとえば、「亡命」という言葉です。 2002年5月、中国の瀋陽で発生した、北朝鮮からの越境者による「亡命」事件。自分の国にいては生きていけないと考えた住民5人が、国境を越えて中国へ入り、瀋陽にある日本の総領事館に逃げ込みました。このとき「亡命」という言葉がしばしば登場しました。 ところが、「亡命」というのは、不思議な言葉です。「命を亡くす」と書きます。そもそも命が助かりたいから亡命するはずなのに、なぜこういう字を書くのでしょうか。 私は、この言葉を説明するだけでも、この事件の本質を説明できるのではないか、と考えました。 調べてみると、この場合の「命」とは、「戸籍」を意味することがわかりました。たとえば赤ちゃんが生まれて名前をつけることを「命名」といいます。「戸籍に名前を登録する」という意味です。「命」は戸籍なので、「亡命」は「戸籍を失う」ということになります。「亡命」は命を失うのではななく、戸籍を失う、つまり自分の国を捨てて逃げることです。 こうして考えていきますと、日本人がどこかの国に亡命した、というニュースを聞くことはないことにも気づきます。自分の国を捨てたければ、さっさとどこかの国に移住すればいいからです。わざわざ亡命しなくても、自由に海外旅行ができ、日本から出ていくことができるのです。 ということは、亡命するのは、自由に海外に出ることができない国の国民、または自由に海外に出られない立場の人が国外脱出を試みることであるとわかります。北朝鮮は国民の自由な海外旅行や海外移住を認めていませんから、どうしても国外に出たい人は、亡命するしかないのです。 「亡命」希望者が出る国は、「海外に行きたい」と思っている国民を無理やり抑えつけている国であることがわかります。】
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この「助かりたいから他の国に行くはずなのに、どうして『亡命』なんだろう?」という疑問、僕も子どもの頃に抱いていた記憶があります。結局、僕は池上さんみたいにちゃんと調べて確かめることもないまま、こんな年齢になってしまったのですけど。 たしかに、「命」の意味が、僕たちがイメージしている「生命」ではなくて、「戸籍」であるということを知れば、「亡命」という言葉も納得できますよね。
どうして日本人には「亡命」する人がいないのか(正確には、「よど号事件」の犯人グループのような「亡命者」もいたのですが)、と僕はかねがね思っていたのですけど、ここに書かれているように、日本人であれば、「日本がイヤなら海外に『移住』すればいいんじゃない?」ということなんですね。 そういえば、以前、「日本人のパスポート」というのは裏社会ですごく重宝される、という話を聞いたことがあります。その理由は、「日本のパスポートほど、世界のほとんどの国に入ることができるものは稀有」だから。 北朝鮮は難しいでしょうが、それ以外の国で、「日本人入国拒否」という国は思いつきません。
そう考えると、僕たちが日頃考えている以上に、「日本」は「世界に敵が少ない国」なのかもしれませんね。「日本に亡命してくる人」がいないというのは、「敵がいない」というより「蚊帳の外」なのかな、という気もしますけど。
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2008年08月18日(月) ■ |
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スティーブ・ジョブズの「3分間で100億円を生むプレゼン」と「ホワイトボードへの異常な執着」 |
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『スティーブ・ジョブズ 神の交渉力』(竹内一正著・リュウ・ブックスアステ新書)より。
【スティーブ・ジョブズのプレゼンテーションは、「3分間で100億円を生む」と評される。 iPodの販売総計が2200万台を突破する間、彼は3回プレゼンを行った。売上総額をプレゼン時間で割ると、3分間約100億円になるという。 世の中には多くの天才的なパフォーマーがいるが、ジョブズのように、業績や技術などに関する話に2時間も聴衆に身を乗り出させ、聞きほれさせるエンターテインメントはいない。最後には、感動のあまりのスタンディング・オベーション(総立ち拍手)が鳴りやまなくなるプレゼンは神技であり、魔法のショーである。 彼の卓越したプレゼン能力が、アップルという会社のブランド力を高めている。その力は、iPodやマッキントッシュ(マック)と同様に、最高の商品ともいえる。同時に、最高の営業交渉でもある。 たとえば1984年1月のアップル株主総会だ。 28歳のジョブズは、真っ暗な中、スポットライトに照らされて登場する。ダブルのジャケットに水玉模様の蝶ネクタイ姿で、ボブ・ディランの歌詞の一節を朗読してみせる。業績報告は社長のジョン・スカリーに譲り、再びジョブズにスポットライトが当たると、 「もう十分しゃべったよ。ここらでマッキントッシュにしゃべってもらおう」 と、組み上がったばかりの新製品マッキントッシュを鞄から取り出した。マシンは、 「コンニチワ、私はマッキントッシュです」 と合成音声で話し出す。聴衆が驚きながら見つめていると、こう続けた。 「人前で話すのは得意じゃないので、一つの定理をご紹介します。『持ち上げられないコンピュータを信ずることなかれ』です」 大型コンピュータで世界を制覇し、エクセレントカンパニーと賞賛されたIBMのパソコンが、ひどく重かったことを皮肉った意味だ。さらに、こうジョブズの紹介を行った。 「では、誇りを持って、私の父親というべき人物を紹介しましょう。スティーブ・ジョブズです」 斬新で未来的なデザインのパソコンがステージの上でしゃべり、ジョブズを紹介する。みごとな演出だ。観客はあっけにとられ、すぐに割れんばかりの拍手が会場全体に巻き起こった。そのときジョブズは伝説になった。マックは100日間で7万台もの売上を記録している。】
【ジョブズは、自分が認めるプロジェクトや人間のためには、社内の他部門から平気で予算をぶんどる。技術者が足りなければ別プロジェクトからかっさらってくる。最高の条件で最高のメンバーが最高の結果を出すようにしていった。 だから、こんなこともある。 別プロジェクトからジョブズのチームに異動が決まった技術者が、ジョブズたちの建物に引っ越そうと、机のまわりを整理していた。するとジョブズがやってくるなり、いきなりパソコンの電源を引っこ抜いた。そしてパソコンと本人をクルマに乗せて職場から連行していった。開発スケジュールが迫っていたのだ。 アップルの成長は、「だからジョブズと働きたいんだ」と思う才能豊かな連中とジョブズとの相互引力が成し遂げていたといえる。 反対にジョブズは、才能や貢献を認めていない人物が口答えでもしようものなら、導火線なしのダイナマイトとなる。期待に応えられない場合も悲惨な結果が待ち受ける。 能力がなくて首になるのであればまだましだった。なんでもないささいなことで逆鱗にふれ、社史からも名前を消された人間がいる。 ピクサーの創業メンバーであるCGの魔術師アルビー・レイ・スミスだ。
スタンフォード大学でコンピュータサイエンスの博士号を収得したアルビーは、CGを使って観客に感動を与える長編フルアニメづくりの夢を求めてピクサーの創業に関わった中心人物だ。それが、ある会議でジョブズに反論したために、ピクサーを離れることになったばかりではなく、社史からも消されることになった。 理由は実にささいなことだ。 なんとホワイトボードが原因だった。 ジョブズは、もともとアルビーの批判には比較的素直に耳を傾けていた。ときには指摘を検討することもあった。パソコンビジネスでは経験も才能も他を圧倒していたジョブズも、映画制作では素人だった。CG制作の経験豊富なアルビーの意見は十分聞くに値した。 ところが、ある会議の席上、いつものようにジョブズが会議室でホワイトボードに書きながら話をしているところに、アルビーが割って入った。そこまではよかった。だが、アルビーがホワイトボードのところに行き、意見を説明しながらボードに書き込もうとしたのが致命傷となった。 とたんにジョブズが爆発した。ヒステリックに叫び、アルビーをさげすみ愚弄する言葉を投げつけると、部屋を飛び出していった。 ジョブズは基本的にマイクロ・マネジメントを行う。現場のこまかい点にまでくちばしを突っ込んで、担当者レベルの些事までコントロールしたがる。といって、ホワイトボードへの猛烈な執着は不可解だ。 ジョブズには、「自分の」ホワイトボードに「自分以外の」アルビーが書き込むという行為が許せなかったらしい。ホワイトボードのどこに、そんなにこだわる価値があるのか。 その答えは、世界中でジョブズただ一人しか知らない。 ともあれアルビーは辞表を提出し、ピクサーは重要な人材を失うこととなった。 しかしジョブズは、まだ気に入らなかった。ピクサーの歴史まで変えようと行動した。スピーチやインタビューからも、ピクサーのウェブサイトからもアルビー・レイ・スミスという名前を抹殺した。ピクサーをCGの先頭を走る企業とするために、何年も尽くしてきた人物だというのにである。 ジョブズは太陽のようなものかもしれない。距離を置いていると暖かく心地よい。しかし近づきすぎると灼熱のエネルギーーで燃やし尽くされて滅ぶ。 巨大イベントで、ジョブズはハリウッドスターのように何千人もの観衆を魅了するが、会議室では、怒鳴り、服従させて指示を出す。ジョブズのエネルギーは、半径10メートル以上離れている人々を熱狂させ、半径5メートル以内の人々を恐怖に陥れる。】
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神か悪魔か、スティーブ・ジョブズ。 ジョブズという人のさまざまなエピソードを読んでいると、僕のなかでは曹操や織田信長のイメージが浮かんでくるのです。
この1984年1月のジョブズのプレゼンの記事をパソコン雑誌で読み、当時まだ中学生だった僕は、すごく感動したものでした。 今と違って、「パソコンが喋る」ということだけで大きな驚きであった時代に、新しい「夢のマシン」であるマッキントッシュが、こんなにカッコよく登場するなんて! 「普通の新製品のプレゼンテーション」であれば、演者が「マッキントッシュはこんなマシンで、こんなふうに喋れます!」と紹介するはずです。ところが、この「伝説のプレゼン」では、「マッキントッシュが生みの親であるジョブズを紹介している」のです。当時のパソコンの機能ですから、そんなに自由自在に喋れるわけがなかったのに、こういう「見せかた」の工夫によって、「マッキントッシュは夢のマシン」だというイメージ作りに見事に成功したジョブズ。本当に、アップルというのは「お洒落な企業」だったのですよ当時から。 もっとも、ジョブズは企業のトップとしてはあまりにも独善的・専制的で、マッキントッシュの売れ行きが発売後しばらくすると鈍化してしまったこともあり、この後アップルを追放されているんですけどね(ジョブズは1985年にアップルの会長を辞職、1997年にアップルに復帰)。
しかし、アルビー・レイ・スミス事件でのジョブズの行動には、「経営者として」以前の「人間性の問題」があるんじゃないかと思わずにはいられません。 たぶんこれは「ホワイトボードだけの問題」ではなく、それ以前からジョブズの中にアルビー・レイ・スミスへの「不快感」「嫌悪感」が澱のように積もっていたのが些細なきっかけて「暴発」したのでしょうけど、それにしても、あれだけの大きな会社の社長が、社内の有能なスタッフをこういう形で「切り捨てる」なんていうのは、ちょっと信じがたい話です。いや、「クビにする」だけでは飽き足らず、「社史から名前を抹殺する」なんて、いつの時代の専制君主のエピソードなんだろう…… 長年コンピューター・ビジネスに関わっているジョブズであれば、そんなふうに「存在を抹殺」しようとすれば、かえってネットで批判されたり、軽蔑されたりすることは、すぐに理解できるはずなのに。
僕のような「能力にもモチベーションにも自信がない人間」にとっては、「こんな上司のもとで働くのは勘弁してほしい……」としか思えないスティーブ・ジョブズなのですが、それでも(というより、だからこそ?)彼の周りには優秀な人材が集まり、日々「世界を驚かせるような新製品」が生み出されているのです。 この本では、「それでも、なぜ多くの有能な人材がジョブズと働きたがるのか?」という問いに、こんなふうに答えています。
【スティーブ・ジョブズの下で働くのは大変なことだ。忠誠と能力が要求され、彼のメガネにかなわないと、あっという間に切り捨てられてしまう。にもかかわらず、なぜ多くの有能な人材がジョブズと働きたがるかと言えば、 (1)ジョブズと一緒なら、どこにもない「ものすごいもの」を生み出せる気がするから (2)その障害はジョブズがみごとなくらいに取り除いてくれるから という二点に集約されるだろう。
特に(2)の交渉に関しては、不可能に見えれば見えるほど他人任せにしない。みずから乗り出してものにしてくる頼もしさだ。】
本当に「有能な人材」が「上司に求めるもの」というのは、結局のところ「優しさ」や「公正さ」ではなく(もちろん、それもあったほうが良い資質でしょうけど)、「自分の力が発揮できる環境をつくってくれること」なのですね。
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2008年08月16日(土) ■ |
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新聞記事の評価基準「アフガニスタン・ルール」 |
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『ジャーナリズム崩壊』(上杉隆著・幻冬舎新書)より。
【前フリが長くなったが、話をアフガニスタン・ルールに戻そう。これはタイムズ本社に通っていた夏、本社の記者たちに聞いた話だ。 1980年頃、ニューヨーク・タイムズとコロンビア大学では大いなる議論が起こっていた。1979年からのアフガニスタン戦争で、多くの記者が現地入りし、素晴らしい記事をいくつも出稿していた。政権の中枢に迫り、容赦ない筆致でもってアフガン政府や反政府軍の内部情報を伝えていた。それはタイムズ内でも高い評価を得、自然、ピュリッツァー賞に推す声が大きくなってきたという。 一方で、同年、メトロセクションでも評判を呼ぶ連載キャンペーンが始まっていた。ニューヨークのある消防署の不正経費支出疑惑を追及する一連の記事に対しては、さまざまな論議を呼んだ。市民の反応は大きく、取材先からは大きな反発があり、訴訟も含めた激しい応酬が当局との間で起こったという。 このふたつの記事については、タイムズ内でもどちらが優れているかと話題になった。そうしたジャーナリスティックな論争は、のちにアフガニスタン・ルールと呼ばれる次のような結論でもって終止符が打たれる。 メディア界では、アフガニスタンの記事のほうが圧倒的に高い評価を受けていた。世界的にもそうだ。ところが、ニューヨーク市民の関心はそれほどでもない。むしろ、読者からは消防署の記事のほうがずっと人気があった。その温度差にタイムズ編集部は次のような結論を導く。 アフガニスタンの記事は確かに優れてはいる。だが、おそらくアフガニスタン当地では誰も読んでいないだろう。アフガンでは英語を理解する人は確かにいるが、それはごく一部の限られたエリート層であり、そもそもそうした政府要人たちはみな戦闘中である。自国の新聞はおろか、米国の地方紙であるニューヨーク・タイムズを手に入れて目を通す暇などない。当然ながら、タイムズに対する反発は皆無であり、検証も不可能だ。 ところが消防署の記事は違う。些細な事例まですべての市民が知悉(ちしつ)していることであり、実に多くの読者や当事者たちが共通認識でもって記事の細部まで読んでいる。当然、わずかなミスに対しても多くの反論が寄せられ、毎回さまざまな論争の材料を提供し続けた。確かに世界的な影響はなかったかもしれないが、現在進行形の身近な現象を切り取ることの困難さと重要性を知らせるに十分な記事だった。 こうしてタイムズ内ではアフガニスタン・ルールという次のような評価基準が定まる。 遠い外国の政府の記事は言語の違いなどから反論されにくく、また検証も困難なため、厳しい論調で書かれやすい。同じ理屈で、過去の出来事は現在進行形のものよりも、すでに情報源が存在しないことや再検証が難しいなどの理由で大胆に書かれやすい。また、読者や新聞の発行地から遠く離れれば離れるほど、関心も薄まり、検証も難しくなるため自由な筆致で書かれやすい。 これらの現象から、最終的な編集権を持つニューヨーク本社から離れれば離れるほど、比較的取材は易く、取材対象に対しても厳しい記事になる傾向があるということを知ったという。 逆に言えば、アフガニスタン・ルールとは、取材対象が新聞発行地に近ければ近いほど、取材や記事執筆に困難が伴うということをいうのである。 ここまでの話はタイムズ本社で過ごした際、複数の人物から聞いた話なので、若干、事実関係にブレがあるかもしれない。だが趣旨は記した通りである。 つまり、彼らの到達した結論は、一見大事に見えるアフガン戦争の記事も、卑近なニューヨークの消防署の記事も、それぞれが困難を伴って同じように苦労をもって取材し書かれたものであり、ともに敬意を払うべきものなのだ、ということなのである。】
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僕はこの本で、はじめて「アフガニスタン・ルール」という言葉を知りました。 ごく一般的な「ニュースの受け手」である僕が、この文章を読む前に、もし、「アフガニスタンの戦争に関する報道」と「地元の消防署の不正疑惑」の2つのニュースについて、「どちらが価値があると思う?」と問われたとしたら、まちがいなく、「そんなの、アフガニスタンの戦争のことに決まっているじゃないか。『世界レベルの問題』だし、これを報道しているジャーナリストたちだって、命がけでやっているんだから」と答えていたと思います。地元のニュースのほうに「個人的な興味」があったとしても、それと「客観的にみたニュースとしての価値」は別物だと考えたはずです。
僕がこの「アフガニスタン・ルール」の話を読んでいて驚いたのは、アメリカのジャーナリズムの世界には、こういう2つのニュースの価値を真剣に「比較」する姿勢がある、ということでした。日本だったら、「まあ、『みんなちがって、みんないい』、じゃないか」というようなお茶の濁し方をされて、次の話題に移ってしまいそうですよねこれ。内心では、「そんなの、世界的なニュースのほうが『偉い』に決まっているじゃないか」と思いながら。
そして、この話を読んでいて痛切に感じるのは、「アメリカでは、『ニュースを伝えること』だけではなくて、そのニュースが『受け手にとって意味があること』『受け手によって検証されること』もニュースの価値に含まれると考えられている」ということです。 いや、「ニューヨーク・タイムズで報道されること」には、やはり世界的な影響はあると思うのですよ、彼ら自身は「アフガニスタンの現場の人たちには、読まれないし、反響もない」と謙遜していたとしても。
もちろん、これが報道の現場の「本音」かどうかは僕にはわかりませんし、実際は、それでも「世界を飛び回るジャーナリスト」のほうに憧れる人が多いのだろうな、とは思います。この「ルール」の存在理由も、こういう「建前」をつくることによって、地元で地道に取材している記者たちのモチベーションを高めたい、という意図だってありそうです。 それでも、これは「受け手の存在を重視した報道」において非常に大事なことですし、ニュースの受け手の側にとっても、この「アフガニスタン・ルール」は、知っておくべき考え方であることはまちがいありません。 受け手側からみると、「海外の大きなニュースというのは、そのスケールの大きさだけで圧倒されてしまいがちだけれど、嘘や偏見が含まれやすく、それが検証される機会も少ない」のです。そして、「取材対象に対しても厳しい記事になる傾向がある」。
これは、マスコミだけではなく、ブログにもあてはまる「ルール」です。 僕も書く側として、「自分から遠い人ほど、厳しいことを書きやすい」という実感はあるんですよね。 匿名(ハンドルネーム)で書いているとはいえ、日本の総理大臣の悪口は書けても、職場の同僚の悪口は書きにくい。中国政府は批判できても、地元の町内会の運営や会社の勤務状況については批判しにくい。 まあ、ブログの場合は、あんまり身内の悪口ばっかり書いても、読む側も何のことだかわからないし、不快になるだけなのも事実なんですけどね。
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2008年08月14日(木) ■ |
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押井守監督が語る、「『うる星やつら』の友人関係」 |
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『凡人として生きるということ』(押井守著・幻冬舎新書)より。
【では、友人と仕事仲間の違いとは何か。仕事仲間とは、ともに仕事をする仲間なのだから、仕事上の自分の可能性を高めてくれる相手ということになる。いくら監督がいばっても、スタッフがいなければ映画は完成しない。つまり、僕にとっての仕事仲間であるスタッフのおかげで、僕は映画監督を名乗っていられる。 『スカイ・クロラ The Sky Crawlers』では、若い石井明彦プロデューサーと一緒に作品を作り上げてきた。彼と僕は親子ほども年が離れているが、それでも仕事仲間である以上、年齢の差はまったく気にならない。始終一緒にいて映画のことを語り合い、何十時間、何百時間と話し合っているが、彼は友人ではない。信頼できる仕事仲間であって、仕事以外で付き合う気は僕にはないし、彼にもその気はないはずだ。 僕にとって彼は自分の仕事で有用だから付き合っているのであって、彼にとっての僕もそのような人間なのである。このように、お互いが相手を頼りにしているという関係が成り立たなければ、仕事上のパートナーとは成り得ない。だから、相手との関わりをこれほど実感できるコミュニケーション手段は、仕事のほかには僕は見つけられない。 人間関係を以上のように考察すると、次の結論を得ることができる。互いに利用しあう関係が仕事仲間であって、「損得抜きで付き合う」といった関係が友人同士の付き合いである、ということだ。 だが、僕に言わせてもらえば、損得抜きで付き合うことは、それほど立派で大切なことなのだろうか、ということだ。 もちろん、損得というのは、何も金銭のことばかりを言っているのではない、生きているという充実感を得ることも含めて、損得である。僕と石井プロデューサーは、1本の映画を一緒に作って、その映画を素晴らしいものにして、ある価値を新たに創出したいと、同じ夢を抱いているわけだ、レーニンとトロツキーが共闘したのと同じだ。 新しい価値を生み出すという利害が一致したから付き合っている。もちろんその結果、映画はヒットすれば、お金も儲かるわけだが、別の章でも述べた通り、それが第一の目的ではない。 僕らは確かに損得ありで付き合っている。こいつと付き合ったら損だ、という人間を仕事のパートナーには選ばない。しかしそれが、損得抜きの友人関係よりも、価値のない関係だと誰が断じることができようか。 そうやって突き詰めていけば、本当に損得抜きで付き合える友人関係というものが、はたして本当に存在するのかどうかも疑わしくなってくる。恋人にしても配偶者にしても、そこにあるのは無償の愛ばかりではなく、大方はやはり損得の計算はあるだろう。 動物と人間の関係にしても、「えさをくれる」「癒してくれる」というギブ・アンド・テークの関係が成り立っていると言えなくもない。「こいつだけは親友で、損得抜きで付き合える」という相手がいる人は、まあ確かに幸せだが、本当にその人と損得を考えずに付き合っていると言えるのか。 「何かあったら助けてくれる」とか、「寂しい時はいつでも会ってくれる」とか、その程度の計算や打算は当然働いているからこそ成立する関係もあるはずだ。 それもないというのなら、友人が手ひどい裏切り行為をしたとしても、笑って許せるくらいの気持ちになれない限りは、「損得はない」と言い切れないのではないだろうか。 だから僕は、本当に損得のない相手と会うと、話すことすらなくなってしまう。昔の同級生に会っても、「お互い年取ったもんだ」「何だ、お前のその腹」といった会話を交わせば、もう話すこともない。
ところが、漫画やアニメの世界はもう、友情、友情のオンパレードだ。ハリウッド映画にしても同じである。確かにその中では、損得抜きの友情が描かれる。どんなにひどい目に遭わされても、「お前はオレの大事な友達だ」と主人公が彼や彼女を助ける。美しい主人公たちは、時に自分の命を狙う相手にさえ、友情を発揮することがある。 それに比べて、僕たちは何と薄汚れた存在なのだろう。打算がなければ人と付き合うこともできない。損得でしか、友達を作ることもできない――。虚構の美しい友情を見せられて、そんなふうに若者が考えはしないか、と心配になるくらい美しい友情で、映画やアニメや漫画やドラマの世界は満ち溢れている。だが、現実はそうではないのだ。 第一章で述べたようなデマゴギーが、ここにもひとつあった。漫画やアニメで描かれた友情など、未来からやってきた殺人ロボットと同じくらいに、いやそれよりももっと虚飾に満ちた表現だ。 少なくとも僕は、そんな友情を描いたことはこれまでにただの一度もない。学園コメディーである『うる星やつら』には主人公の友人たちが何人も登場するが、あの中で描かれるのは主人公たちの欲望であって、その欲望を実現するために誰と誰が共闘し、誰と組むのが有利かという、そういう関係だけだ。それこそが、現実世界で「友人関係」と呼ばれているものの実態に近いと僕は考えて、アニメーションにしたのである。 僕自身はどうかというと、やはり価値観を共有できる人間としか付き合えなかった。ということは、つまり、損得でしか人と付き合えなかったということだ。だから、彼女がいくら欲しくても、民青や革マルの女の子と付き合うわけにはいかなかった。
(中略)
「友人は手段」という言い方は、「友情は美しい」というより、ずっと冷たく聞こえるかもしれない。でも、そう割り切ってしまえば、別に友達がいようがいまいが、そんなことは気にならなくなる。仲間外れにされようと、同級生から無視されようと、そんなことはどうでもよくなってくるはずなのだ。 ところが、世間があまりに美しい虚構の友情を若者たちに押し付けるから、どうしても友人の少ない人間はどこか欠陥人間のような見方をされてしまう。そしてその傾向は、近年ますます強くなっているようだ。 ある広告会社の調査によれば、「あなたは何人の友達がいますか?」と子供に聞くと、現在は昔よりかなり友達が増えているという。少子化で自分の周囲にいる子供の数は相当減っているのに、友達の数は逆に増えている。 この珍現象はつまり、現在は動機なくして友人を作る時代になったということの表れなのだろう。友達を作るのは何かを生み出したいからではなく、友達を作ることそのものに、若者が価値を置き始めているからなのだ。手段が目的になったということである。 だから、友達を作ったからといって、その友達と何かを成し遂げようと考えているわけではない。友達が多い人、というふうに周囲から見られることだけが自己目的化している、というわけだ。】
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これを読みながら、僕は「そんなふうに『仕事上有用な相手』との付き合いだけで生きていけるのは、あなたが『世界のオシイ』だからなのでは……」と言いたくなってしまったんですよね。確かに、押井さんほど「仕事に充実感を得られる人」であれば、それでいいのかもしれないけれど、世の中の人の大部分にとっては、仕事というのは、「生きていくための手段」でしかないわけで。 押井守にはなれない僕らとしては、仕事の後に一緒にお酒を飲んで「憂さ晴らし」をするための「友達」だって必要なのです。
しかしながら、「友人は手段」と考えるのは、けっして悪いことではないと僕も思います。自己否定の泥沼に陥らないためには、たしかに有効かもしれません。 僕も「友達」が少ないので、「あなたの親友は何人?」なんて聞かれると、ちょっと落ち込んでしまうのです。そもそも、そう問われたときに「じゃあ、どういうのが親友?」「あいつを『親友』って言ってしまっていいのだろうか?」と悩みますし。 僕にとっての「親友」のイメージって、太宰治の『走れメロス』の、メロスと彼の身代わりになった友人・セリヌンティウスなのですが、物語のなかでは、このふたりですら、お互いのことを「ちらと疑った」のですよね。 そうやって考えていくと、厳密な意味での「親友」なんて存在することのほうが奇跡的なのではないかと。
でも、「いつもケータイでメールのやりとりをしているから、あの子は『親友』」って答える人もいますし、それが間違っているというものでもありません。定義が曖昧なものを「何人」って聞くほうが間違っているのですが、こういう質問に「ゼロ」とか答えるのって、それだけで「人生終わってる」ような気がするんですよね、自分自身でも。
そういうタイプの人間にとっては、「損得抜きの友達なんて、いなくてもいいんだ(あるいは、いないのが当然なんだ)」というこの押井さんの考えには、けっこう勇気づけられるのではないでしょうか。
この文章のなかで、押井監督は、自らの出世作であるアニメ『うる星やつら』での「友人関係」について書かれているのですが、押井監督は、【あの中で描かれるのは主人公たちの欲望であって、その欲望を実現するために誰と誰が共闘し、誰と組むのが有利かという、そういう関係だけだ】と考えておられたようです。そして、【それこそが、現実世界で「友人関係」と呼ばれているものの実態に近い】と。 原作者である高橋留美子さんも同じ考えだったかどうかはわかりませんし、物語のなかでは、「損得抜き(あるいは、損得度外視)の友情」が描かれているように思われる話もあったのですけど、そう言われてみれば、『うる星やつら』というのは、荒唐無稽な話のように見える一方で、ものすごく「学園生活の雰囲気」みたいなものを内包していたような気がします。 こいつらは、どうしてこんなに節操がないんだ!と呆れる僕もまた、節操がない学生だったのだよなあ。
こういう「身も蓋も無いこと」が書けるのは、やっぱり、「押井守の特権」だと感じますし、「凡人」としては、それなりに「友達らしき人」がいたほうが生きていきやすいとは思います。 「損得抜きの友達」なんて、「現実にはありえないファンタジー」だからこそ、漫画やアニメの世界では必要とされるのかもしれませんね。
『うる星やつら』が、あの時代の孤独なオタクたちにあれほど愛されたのは、押井さんからのメッセージをみんな無意識のうちに受け取っていたから、なのだろうか……
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2008年08月12日(火) ■ |
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日本の「テレビCMのルール」あれこれ |
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『日経エンタテインメント!2008.9月号』(日経BP社)の記事「CM業界の規制〜意外に厳しい? CMルール総まくり!」より。
(「CM業界の規制」についてまとめた記事の一部です)
【<音にまつわるルール>生理用品にCMソングがないのはどうして?
CMの音付けには様々なルールがある。まず「広告とは番組と区別されるものでなければならない」が大原則。特にニュースと混同されるおそれのあるものは間違いなく考査で引っかかる。ニュース速報のチャイム音や、アナウンサー口調の「ただいま入った情報によりますと、○○の料金が大幅に値下がりした模様です」てなナレーションなど。報道番組の前後に流す場合はとくに厳しいらしい。 家庭内の話題として不適切なものは取扱いに注意する、という観点から生理用品にはCMソングを使用しない取り決めも。「子どもが歌うことにつながるので好ましくない」ため。たしかに、幼稚園児が「♪夜でも安心タンポンポ〜ン」なんて歌ったら困りマス…。 放送基準には「外国語だけのCMは原則として取り扱わない」の一文も。以前、パリに本社を置く企業が全編フランス語のイメージCMを作った。が、日本人に分かるようにテロップで説明するべし、と突き返されてしまったとか。 NGの憂き目に遭った実例には、仏壇のCMで「小冊子ご希望の方はフリーダイアル0120−ゴクラクイコまで」という語呂合わせが引っかかったケースもある。死亡や葬儀に関するものは視聴者を不快にさせないよう十分考慮すること、と決められているためだ。妙にウマイ語呂合わせがアダとなってしまったのだろう…合掌。
<競馬&パチンコのCM>射幸心をあおってはダメ!
かつて競馬場で勝ち馬予想をするシーンを描いたCMが全面作り直しとなったことがある。理由は「投票券購入行為につながるため」。え?馬券を売るためにCMを流すんじゃないの?ってツッコミたくなるが「極度に射幸心をあおるCM」はご法度なのだ。 同じ理由からパチンコCMで出玉の映像や、♪チンジャラジャラ〜の音もダメ。そういえば「クラブケイバ」も「パチンコ冬のソナタ」もさわやか路線だなぁ。
<CMの時間制限>「またCMかよっ!」と言わせない分量とは?
アメフト(NFL)では、試合終了2分前に自動的に試合が中断する。これはクライマックス直前にCMを入れたいテレビ局の希望で決められたルールなんだとか。 日本ではCMの量とタイミングが厳格に決められている。CMの分量は全放送時間の18%まで。これは1週間単位で計算されるため、時間帯で多少バラつくことも。でもCMを減らしたら収入も減るわけで、各局上限ギリギリをCM時間に割いている。さらにプライムタイムでは30分番組で3分まで、60分番組で6分までと細かく限度量が決められている。 番組と番組の間に流れるスポットCMでは15秒で78音節なんて音声標準もある。かつて社名を8回連呼して「視聴者を不快にする」と3回に減らされた例も。8回は…たしかに耳障りかも。】
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「CMのルール」あれこれ。 これを読むと、僕たちが日頃何気なく観ているCMにも、さまざまな「決まりごと」があるというのがわかります。 あれだけ頻繁に流れているパチンコ台のCMは「イメージ映像」みたいなものばかりで、なぜ実際の台の映像が流れないのだろう?と僕はかねがね疑問に思っていたのですが、あれは、「そういうルール」だからなのですね。 でも、本気で「射幸心をあおってはいけない」というのなら、競馬やパチンコ台のCMそのものを禁止にすれば良いはずです。 競馬などは、あの「健全そうなCM」で競馬場に誘われ、大金を損している「ああいうCMを観なければ、競馬場に寄り付かなかったはずの人」だって少なくないでしょう。 間口を広げる、抵抗感を減らすという意味では、「健全そうなCM」=「射幸心をあおらない」とは限らないとは思うんだけどなあ。 このあたりは、CMに対する広告業界の「本音と建前」が透けてみえるところではありますね。 生理用品のCMソングはたしかに自分の子どもが歌っていたら気まずいでしょうが、それを言うなら「消費者金融のCMソングはどうなんだ?」とも思いますし。
それにしても、プライムタイムのCMって、「60分番組で最高6分まで」だということに僕はちょっと驚きました。感覚的には番組の3分の1くらいがCMの時間で、「もうCM?」という感じなのだけれど、実際はどんなにCMの時間が長いわけではないようです。 最近はTV番組をDVD録画で観る人たちが「CMを観てくれない」ことが広告業界では問題になっているらしいのですが、CMをとばして観ていると、CM前後に同じ内容が繰り返されていたりして、60分番組(といっても、実際は天気予報などが8時54分からはじまることが多いので、54〜55分番組)を観るのにかかる時間って、40分くらいのような気がするのですけど。
しかし、「CM先進国」のアメリカはすごい!CMを入れたいテレビ局の都合で、国民的スポーツのルールさえ変わってしまうのだから。 まあ、これは「現代のスポーツとお金の結びつき」のひとつの例でしかない話ではあります。 北京オリンピックだって、アメリカの水泳のスター選手が活躍する時間をアメリカの視聴者に合わせるために、午前中に決勝が行われることになったそうですから。 サッカーがアメリカで人気だったら、ワールドカップの試合も終了5分前に「CMタイム」が入っていたかもしれませんね。
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2008年08月10日(日) ■ |
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横幅14センチのノートを1本の定規で9等分するための「職人ワザ」 |
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『職人ワザ!』(いとうせいこう著・新潮文庫)より。
(いとうせいこうさんが、江戸文字、手ぬぐい、パイプ製造、鰻職人などの伝統的な「モノづくりの達人」たちの「ワザの秘密」について書かれたルポタージュ。扇子職人・荒井修(おさむ)さんの回の一部)
【職人の幾何学、というコトバが浮かんだ。 職人たちはこうしてブン回しで円を描き、そこから日本の紋様を様々に発展させてきた。その歴史を目の当たりに見た、と思った。”見当”に支えられ、手によって支えられてきた職人の幾何学。 「あ、オサムさん、前にさ、線を等分にする方法を教わったでしょ?」 「そんなたいそうな呼び方は知らねえけど」 「あれ、俺、忘れちゃったんだけど」 「忘れんなよ、ちゃんと教えたのにさ」 オサムさんは定規を取り出し、編集者が持っていたノートの横幅を計り始める。 「端から端までが今、約14センチありますな。細かい数字まではよく見えないし、知ってる必要もない。さあ、何等分したい? 半端な数で言ってみなよ」 「9」 「よし、そんな変な分け方をしてみましょう」 ノートの端の任意の点に定規のゼロの点を合わせ、そこだけを動かさずに定規を斜めにしていく。 「9の倍数で適当なのは18だな」 ノートの一方の端までが18センチになるように定規をずらすと、オサムさんは2センチずつ点を振った。そして、再び任意の点に定規を置いて、そこから同じ作業をする。
「こうして付けた上下の点をつなぎゃいいの」 見事にノートは9等分されていた。 「昔の職人なんていうのは、計算も出来なきゃ字も書けないってのがいっぱいいたわけじゃないの。そういう人たちは、こんな形で幾つ割りなんていうのをやってたわけですよ」 もともとノートの幅は”14センチ足す半端な数”だから、それを計算で9等分すればむしろ正確ではなくなる。余りの数にピタリと点を打つことなど人間には不可能だからだ。職人の方法で等分した方が、手作業としてはよっぽど精密なのである。 「9つ割りにして何センチずつかなんてことは、この際必要ない」 「目的は完全に達してるわけですもんね。この方法のほうがクレバーだ」 「扇子でもさ、紙と骨の長さの割合ってもんがあんだよ。どういう風なのが一番かっこよく見えるかってのが。それを”六掛けの二分上がり”って言うの。上から六つ来て、二分だけ上がる」 これも考えてみれば、二回だけ十等分の計算をすればすぐにわかるようになっている。上から58パーセントとかいう面倒な考え方はしなくていいわけだ。ゆとりの教育などと言って、円周率を3にしてしまうくらいなら、むしろこういう方法をいくつも教えた方がいいのではないか。そこには知性というものが光っているからである。数学嫌いの僕も、もし子供の頃、この手の不思議に出会っていれば、目を輝かせていたに違いないと思った。コンパスひとつで美しい紋様を作り、定規ひとつで線を何等分にも出来ると、あの頃知っていたら……。】
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もし、僕の前に1冊のノートと1本の定規が置かれ、同じことを要求されたとしたら、僕はたぶん、一生懸命ノートの横幅を定規で測り、それを9で割り、その数字の近いところに端から点を打っていったと思います。 ですから、この「職人の線を等分にする方法」を読んで、「こんなやり方があったのか!」と、正直驚きました。いや、驚いたというよりは、こういう方法を自分が知らなかった、思いつかなかったことが悔しかった、というほうが正確かもしれません。 いろんな分野や状況で「応用」するための基礎になる、あるいは、どんな状況でも確実性が高いという点では、「ちゃんと計算して、その数字にしたがって作業をする」とうのは意味のあることですから、「計算できないほうが偉い」ということはないでしょう。こういう職人たちの多くは、こういう「手を動かして作業を効率化するテクニック」には長けていても、頭の中だけで計算することはできなかったはずですし。 でも、たしかに「こういう『職人ワザ』を学校で子どもたちに教えてみるのは、とても意義深いことではないかな」という気がするんですよね。 「定規」という「その場にあるものの長さを測るため」の道具もちょっと使い方を工夫すれば、こんなふうに役立てることもできるというのは、「柔軟な発想法」に繋がるようにも思います。
こうして、「伝統工芸の職人さんたちの話」を読んでいて僕があらためて感じたのは、「職人芸」というのは、なんでも「勘」とか「慣れ」で解釈されてしまいがちだけれど、実際は、この定規の使い方のように、ちゃんと「科学的かつ合理的」な手法に基づいているものがほとんどなのだということでした。まあ、こういうのって、ただ傍目で眺めているだけでは、「定規を適当にあてているだけなのに、線がちゃんと等分されてる、『職人の勘』って凄い!」みたいにしか見えないものなのかもしれませんけど。
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2008年08月07日(木) ■ |
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金メダルひとつで40億円も稼いだ男 |
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『Number.708』(文藝春秋)の記事「日本人金メダリスト完全大事典―栄光を手にした者たちのその後―」の欄外のコラム「金メダルは人生を変える〜海外編」より。
【金メダルによってその後の人生が変わるのは海外のほうが極端だ。 中でも際立つのが、タイで初の金メダリストとなったボクシングのソムラック・カムシンだろう。アトランタ大会で優勝すると国中が大騒ぎ。報奨金、生涯年金などが一挙に舞い込み、日本円にして40億円ほどの大金を手にしたというのだ。悲しいかな、絶頂期はあっという間。不動産投資などに失敗して借金までつくった。引退した現在はどん底からはい上がり、テレビ番組製作会社を経営しながらジムで「ソムラック2世」を育てる毎日を送っているそうである。 女子柔道で谷亮子を下した北朝鮮のケー・スンヒも凄い。金正日総書記から高級自動車やアパートをプレゼントされ、2006年に体育団の監督と結婚した際もお祝いの食事を贈られているという。 アンソニー・ネスティはソウル大会で男子100mバタフライを制し、スリナムに初の金メダルをもたらした。記念切手や金貨になっただけでなく、名門フロリダ大学にも進学できた。 この3者に共通するのは、金メダルの常連国ではないことに加え、伏兵が制した世界が驚く優勝だったこと。驚きが大きいほど、見返りも大きいということだ。
参考リンク:ソムラック・カムシン(億万のココロ)】
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アトランタオリンピックは1996年開催。 ソムラック・カムシンさんは、この大会のボクシング・フェザー級で、タイ史上初の金メダルを獲得しました。 参考リンクによると、
【タイ史上初の金メダリストに贈られたのはドイツ製高級車1台と政府や企業からの報奨金、1億3000万円!更にタイの初任給の8倍、2000バーツが一生毎月振り込まれる。そしてCM出演なども含め、一夜で手にした金額は8000万バーツ!これを日本の価値に置き換えると、なんと45億円!そのお金で3000万円の豪邸を購入!】
ということなのですが、この「ソムラック・フィーバー」は、当時の日本でもちょっとした話題になったような記憶があります。 しかしながら、ソムラックさんの「栄光」は長くは続かなかったようです。いきなり大金持ち、超有名人になってしまったことは、彼自身にとっても、けっして良いことばかりではなかったのです。
【そんなソムラックはテレビ出演や映画出演も果たし、タイでは有名人になった。また、ガソリンスタンドや飲料水の工場も経営、不動産にも投資するように。だが、なれない職業に手を出したばっかりに、ことごとく失敗。何と借金を負うことになる。】
「金メダルひとつで40億円も稼いだ男」は、その成功のために、かえって借金をする羽目になってしまったんですよね、結局。大金を手にすることがなければ、つつましく暮らしていたのかもしれないのに。
日本人にとっては、オリンピックのたびに「日本がメダルを獲れる」ことが大前提で、「いくつ獲れるか」が話題になります。 冬季オリンピックでは、トリノのように「荒川静香さんがフィギュアで金メダルを獲れなければゼロだった」ということもあるのですが、夏のオリンピックでは、日本の「お家芸」とされている柔道の存在などもあり、「ゼロ」はまずありえないでしょう。 しかしながら、世界には「オリンピックでメダルを獲るのが当たり前」の国だけではないのです。
アテネオリンピック (2004年) での国・地域別メダル受賞数一覧(Wikipedia)
前回、2004年のアテネオリンピックには、202の国・地域が参加していましたが、そのうち、メダルを獲得した国・地域の数は、75にとどまっています。もちろん、人口が多い「大国」のほうが数多くのメダルを獲得する傾向があるので、人口比としては「メダルを獲得した国に属している人のほうがはるかに多い」のでしょうけど、「メダルをひとつ獲る」ことだって難しい国・地域が、世界にはたくさんあるのです。あれだけたくさんの競技があるように見えるにもかかわらず、アテネオリンピックでは、3個以上の金メダルを獲得できた国は、わずか25か国しかありません(ちなみに、最高はアメリカの36個、日本は16個の5位と、「大健闘」でした。タイもアテネでは金3個の大躍進)。
日本では、メダリストたちへの報奨金が低いとよく言われますが、やはり、メダルに手が届くかどうかには、その国の経済力も含めた「練習環境」が大きくモノを言ってくるようです。 しかしながら、一部の人気競技を除けば、ショートトラックのメダリストが「食べていけないから」という理由でプロの競輪選手に転向していくというのも日本の現実。
まあ、実際に競技をしている選手たちにとっては、「あとはどうなってもいいから、一度金メダルを獲ってみたい」というのが本音なのかもしれませんね。それはもう、万国共通で。
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2008年08月05日(火) ■ |
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某有名人材派遣業者の「登録カード」の甘い罠 |
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『「生きづらさ」について』(雨宮処凛・萱野稔人共著/光文社新書)より。
(人間関係、貧困、社会の中で疎外感や居場所のなさ…… 雨宮処凛(あまみやかりん)さんと萱野稔人(かやのとしひと)さんによる、現代の「生きづらさ」についての対談集の一部です)
【雨宮処凛:非正規雇用と借金のつながりでいえば、露骨なのが「フルキャストファイナンス」ですよね。
萱野稔人:まさに派遣業者自身がサラ金をやっている。
雨宮:フルキャストで働く人には登録カードをつくる必要があるんですが、なんとその登録カードがサラ金(フルキャストファイナンス)のカードにもなっている(笑)。これは果たして合法なのかと思ってしまうほど、恐ろしいシステムです。しかも、フルキャストで働くと、日払いの給与明細の裏にフルキャストファイナンスの広告が入っていて、「いつでもお気軽に」みたいなコピーが踊っている(笑)。なぜこういうのが野放しになっていて規制されないのか不思議です。
萱野:それは完全に昔の飯場(土木建築の現場近くに仮設された労働者の合宿所)と同じ構造になっていますよね。 飯場では、流動化した不安定労働者を集めて、働かせて、仕事が終わると賭博をさせる。その賭博を開帳しているのは、もちろん飯場を管理している労務供給業者です。で、労働者が賭博で負けるとカネを貸す。その結果、労働者は借金のせいで、いくら仕事が厳しくてもやめられなくなる。 さらにいえば、どんなギャンブルや宝くじでも、一番儲けるのは、賭けをしているプレイヤーではなく、それを開帳してテラ銭(賭け金のなかに含まれる参加料、主催者の開帳手数料)を手にする主催者です。つまり賭博をすればするほど、労働者は――誰が勝とうが――トータルとしてどんどんお金を吸い上げられていく。飯場で稼いだお金よりも、借金のほうが膨らんでしまうということだって珍しくありません。
雨宮:今年(2008年)のメーデーのアフターパーティでも、一緒に司会をした33歳の駐車監視員の人からそういう話が出ました。 彼の友達や同僚たちのリアルな世界というのは、職場の近くにパチンコがあって、そのとなりにサラ金があるというものです。で、仕事が終わったらすぐパチンコにいって、お金がなくなったらサラ金で借りて、またパチンコに戻り、時間になったら家に帰って寝て、翌朝また仕事へ行く。借金のために働き続ける。そういうサイクルのなかで完結してしまっている。 パチンコとサラ金は、全国の国道沿いの風景です。これは経済的に元気のない地方でも変わりません。仕事と借金とギャンブルの循環のなかに閉じ込められたような生活は日本中にある。】
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そういえば、僕が今住んでいるアパートを借りるときも、不動産会社の人に「うち(の系列の不動産)は家賃がカード引き落としになっているので」ということで、クレジットカードに加入させられた記憶があります。なんだか腑に落ちなかったのですが、いまさら新しい会社で部屋探しをするのも面倒だったので、結局入ってしまったんだよなあ。
あらゆる業種で、さまざまな特典付きの「●●カード」への加入が呼びかけられているのですが、こんなにカードを作らせたがる企業が多いというのは、「カードを作らせる側」にとって、それがいかに「美味しいビジネス」であるか、ということを示しているのでしょうね。 本当に「お客にだけ得なカード」を、あんなに一生懸命宣伝するとは思えませんし。
しかし、この「フルキャストファイナンス」の話は、なんだかあまりに露骨すぎて、それこそ「笑うしかない」ですね。 フルキャスト側からすると、「そういう機能がついているだけで、使うかどうかは自己責任」なのでしょうけど、フルキャストで働くのに必要な登録カードにあらかじめそういう機能がついていて(ということは、フルキャストで働く=サラ金のカードを作らされ、手元に置かされる、ということです)、しかも、「日払いの給与明細の裏にフルキャストファイナンスの広告が入っていて、『いつでもお気軽に』みたいなコピーが踊っている」というのですから、これはもう、明らかに「派遣社員として登録した人たちの不安定な立場を狙って、サラ金でお金を借りさせ、さらに搾り取ろう」という発想だとしか思えません。 「無理矢理借金させているわけではないし、最終的には、そのカードを持っている人の問題」なのかもしれませんが、少なくともフルキャストは、登録している人たちのことを大事にし、今後の生活を向上させようとしているようには見えませんよね。
ある意味「商売上手」であることは否定できませんが、これは恐ろしいシステムです。サラ金に行ったり、カードを作ったりすることに抵抗がある人でも、自分がすでに手にしているカードに「そういう機能」がついていれば、あまり深く考えることもなく使ってしまう場合も多いはず。
飯場の賭博の話やパチンコ屋とサラ金の話からもわかるように、「貧困層から、さらに効率よく搾取するシステム」というのは、「特別な場所で行われている、特別な人たちの間だけのこと」ではなくなっているのです。 当人すら気づかないままに『蟹工船』に乗り込んでいる人も少なくないのではないかと思います。
それににしてもフルキャスト、「自分の会社に登録してくれた人」に、企業としてここまでやるのか……
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2008年08月03日(日) ■ |
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空港の出発ロビーが到着ロビーよりも上にある理由 |
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『お父さんのためのゲーム企画講座』(斉藤由多加著・デジトイズ出版局)より(この本はニンテンドーDSの『ザ・タワー DS』の購入特典として企画制作された非売品のオリジナル書籍です)。
【かつて挫折し、いま再着手している企画に、「空港」があります。 そもそもこの企画を着想したのは、10年以上前のこと、グアムの空港で入国審査をまっているときです。 「グアムは東京から3時間半。飛行機がお好きな方はハワイへどうそ」といいう見事な広告に載せられて家族とグアムにいったことがあります。3時間半で到着したにもかかわらず、入国審査ゲートが整備されてなかったせいで、到着してから2時間も待たされたときのことです。 「待たせない空港にするにはどうすればいいか――?」とひたすら行列の中で考えたわけです。
(中略)
さてグアム空港での体験から、「混雑しない空港」とはどういう構造をしていればいいのか、それが着想の原点です。そして、プレイヤーがそれをつくれる場を提供しよう、それがこの「空港ゲーム」のコンセプトです。 ですから、このゲームの基本構造は「人を待たせない空港は、そのグレードが上がってゆく」というものです。
(中略)
空港にはどんな要素があるのか、私は書き出してみることにします。 ここでは、空港の待ち時間に影響するもの、という基準で書き出してゆく必要があります。
(中略)
どこの空港も、なぜか出発ロビーは到着ロビーよりも上にある……。
なぜでしょうか? この答えのヒントは預け荷物のルートにあります。 空港の要素で決して忘れてはならないのが預け荷物です。 前にリストアップした空港のアップした空港の要素に、この重要な要素がまったく入っていないことに私は気づきました。これはそれまで私が表面的な空港しか見ていなかった、という事実の表れです。 預け荷物というのは、一度カウンターで預けたら、到着するまで乗客と接することはありません。 では荷物はどうやって振り分けられるのでしょうか? 荷物につけられたバーコード札? そんな機械式の読み取り方法で大小すべての荷物が間違いなく無事に届くと思いますか? あるいは、空港の中のどこのルートを辿って同じ飛行機に乗せられるのでしょうか? こうやって、新たな素朴な疑問はゲームのヒントへと向かい始めるのです。 その答えは必ずあります。なにせ日々実際に運営されているのですから。 この答えをずらずらと書くことはここでは割愛します。文章で書くにはとても複雑ですから。 ただ冒頭のロビー階の答えだけはお教えしておきましょう。 荷物をのせたコンベアーが移動する向きは、常に下向きのほうが安全面で確実性が高いからです。だから出発ロビーは上にある。荷物をのせたコンベアーは下りながら機体までたどり着くのです。】
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『ザ・タワー』『シーマン』などのオリジナリティあふれるゲームの作者である斎藤さん、次の作品は「空港」を題材にしたものになるようです。 ゲーム作家というのは、どんなきっかけで新しいゲームのアイディアを思いつくのだろう、と僕は疑問だったのですが、この文章を読んでみると、彼らにとってのきっかけは、「特別な体験」ではなくて、日常生活のなかのちょっとしたインスピレーションのようです。
言われてみれば、僕の知る限り、世界中のある程度大きな空港はどこでも、「出発ロビーは到着ロビーよりも上にある」のです。でも、それを「なぜだろう?」と考える人は、そんなに多くはないはずです。案内表示に従って荷物を預けて手荷物審査を受け、飛行機に乗るだけ。あまりに当たり前のことになりすぎていて、そこに疑問を感じるのはなかなか難しい。 その「理由」にしても、「言われてみれば、それが合理的」ですよね。「荷物をのせたコンベアーが移動する向きは、常に下向きのほうが安全面で確実性が高い」というのはよくわかります。しかしながら、こういう「理由」を問われたときって、ついつい、「人間」のことばかりあれこれ考えてしまって、「荷物」のことは頭に浮かんでこないものです。
こういう「日頃当たり前だと思っていること」に疑問を持つトレーニングをして、その理由を突き詰めていくのが、新しいアイディアを生み出すための秘訣なんですね。アイディアが出ないのは、「環境」のせいではなくて、「ものの見方」の違いなんだよなあ……
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2008年08月01日(金) ■ |
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「日本一の花火大会」と「教祖祭PL花火芸術」 |
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『日本の10大新宗教』(島田裕巳著・幻冬舎新書)より。
【もう一つ、PL教団を有名にしているのが、毎年8月1日に行われる花火大会である。打ち上げ会場は聖丘カントリークラブが使われ、打ち上げられる花火の数は12万発にも及ぶ。ちなみに、隅田川花火大会が2万発で、東京湾大華火祭が1万2000発である。PLが打ち上げる花火の数は、東京湾の10倍である。 私も一度、このPLの花火大会を見たことがあるが、それはすさまじいものだった。圧巻なのはラストで、どの花火大会でも景気よく数多くの花火が連続して打ち上げられるが、PLの場合、その数は8000発で、それが一挙に連続して打ち上げられる。空全体が花火によって埋め尽くされ、空全体が爆発しているように感じられる。そんな光景は、それまで見たことがないし、それからも見たことがない。PLの花火を経験すると、ほかの花火大会に感動することは難しくなる。 重要なのは、この花火大会が、たんなる客寄せや観光行事としてではなく、あくまで宗教行事として営まれている点である。その正式な名称は、「教祖祭PL花火芸術」と言う。PL教団の初代教祖は、御木徳一(みき。とくはる)という人物だが、彼は晩年、自分が「死んだら嘆いたりせずに花火を打ち上げて祝ってくれ」と話していたという。この遺志にしたがって、教祖の亡くなった日に、花火という発想も、「人生は芸術である」を掲げるPL教団らしい。 宗教法人としての認可を受ける際には、アルファベットの表記が認められておらず、PL教団の正式な名称は、パーフェクト・リバティー教団である。この「完全なる自由」を掲げる教団は、高校野球にしても、ゴルフ場にしても、そして花火にしても、一般にイメージされる新宗教とは異なり、かなり現代的である。】
参考リンク:規模縮小!?大阪・PL花火大会“大リストラ”の真相(ネタりか)
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「PL」という名前を聞いて僕がいちばん最初に思いつくのは、高校野球の名門・PL学園です。高校野球の名門校には、天理高校や創価高校など、宗教団体を母体とした高校が多いのですが、この本によると、「全国の私立高校の3分の1は宗教団体を母体としている」そうなので、「高校に宗教団体が関わっている」ことそのものは、全然珍しいことではないみたいです。
おそらく、地元の人たちには、この「PL花火大会」、ものすごく有名なのでしょうが、僕はこの『日本の10大新宗教』という本を読むまで、この「日本最大の花火大会」である、「教祖祭PL花火芸術」のことを知りませんでした。 まあ、花火大会というのは基本的に「地元の人たちのためのイベント」なので、九州在住の僕は知らなくても当然なのかもしれませんが、そんなに大規模な花火大会であれば、名前くらい聞いたことがあってもよさそうなものなんですけどね。
参考リンクによると、 【国内最大規模の花火大会として知られるが、昨年まで10万発としてきた花火の数を、今年は「2万発」と発表したため「規模が縮小されたのか」と1000件近くの問い合わせが相次ぐ事態となっている。】 ということなのですが、実際は、 【PL教団によると、花火の量や規模はこれまでと同じだが「より厳密に数え方を変えた」(教団渉外課)という。例えば、1つの大玉を打ち上げ、上空で10個の小さな玉が広がった場合、昨年までは「10発」と数えていたが、今年からは打ち上げた数で「1発」とすることにした。 数字上はあえて“激減”させた形だが、教団は「花火の数ばかりを求めて見物客が押し寄せ、万が一の事故につながっては元も子もない」と打ち明ける。】 ということなので、「数え方を変えただけ」みたいです。この参考リンクの記事によると、花火大会の「●●発!」というのには、ちゃんとした基準はないようです。
それにしても、この「日本一の花火大会」を開催できるPL教団というのは、かなりの財力があるのだろうと思われます。 一般的な花火大会というのは、多くの地元企業がスポンサーにつくケースが多いのですが、「特定の宗教団体による宗教行事」であれば、スポンサーも「どこでもいい」というわけにはいかないでしょう。 入場料を取るわけでもないのに、全部教団からの「持ち出し」でやっているのであれば、すごい金額の負担になるはずです。そもそも、打ち上げ会場の聖丘カントリークラブも、PL教団が経営母体のゴルフ場らしいですし。
いわゆる「新宗教」が関わっていると、すぐに「洗脳されるんじゃないか」と身構えてしまう人も多いのではないかと思うのですが、「花火」となると、それが「教祖祭PL花火芸術」という「宗教行事」であっても、「抵抗感」がなくなってしまうものなのだなあ、と考えさせられる話ではありますね。
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