初日 最新 目次 MAIL HOME


活字中毒R。
じっぽ
MAIL
HOME

My追加

2007年12月31日(月)
「活字中毒R。」〜2007年総集編

本年も、「活字中毒R。」におつきあいいただき、ありがとうございました。
大晦日ということで、今年僕の記憶に残っていたり、反応が多かったものを10個挙げて、2007年の締めにさせていただきたいと思います。
(番号は便宜的につけたもので、「順位」ではないです)

(1)「悩むこと」と「考えること」の違い (2/5)

 やっぱり「悩む」よりも「考える」ことだよなあ、と僕も毎日悩んでいます。でも、こういう「意識の持ち方」ってけっこう大事なのではないかと。


(2)漱石と鴎外と太宰と藤村の「著作権ビジネス」 (3/6)

 歴史に残る作家たちの「著作権意識」について。大作家には、お金にもこだわりがある人が多かった、という話。


(3)元人気アイドルの「デビューして貧乏になっちゃった話」 (3/19)

 アイドルになるのもラクじゃないですね、ここまで酷いとは思いませんでした(プロダクションにもよるのでしょうけど)。


(4)デビュー直後の高橋留美子先生からの手紙 (4/18)

 漫画家・高橋留美子先生がデビューした時期の凄すぎるエピソード。


(5)「妻だけが親友」という男たち (5/20)

 仲が良すぎるのも考えもの、ということでしょうか……


(6)「どうしてできないの?」(6/25)

 僕もいろいろと考えさせられる文章でした。人って、自分が言われて嫌だったこともけっこうすぐ忘れて他人に投げつけてしまうんですよね。


(7)「僕が人の話を聞く時に、絶対にやらないようにしていることが一つあります」 (8/28)

 「聞き上手」になるために気をつけるべきこと。人の話をそのまま聞くっていうのは、簡単そうでけっこう難しいんですよね実際は。


(8)「本当の本当のところは『嫌ンなるのに理屈なんざねェ』わな」 (11/11)

 これはもう、「その通りです……」としか言いようがありません。まあ、だからこそ、「絶対に嫌にならない方法」が存在しないとも言えるのですが。


(9)「苦労」してるのを「努力」してると思ってる人 (11/19)

 そういえば、「苦労話」とは言うけど「努力話」とは言わないですよね。みんな結局苦労のほうが好きなのでしょうか。


(10)「本は捨てられない」という微妙な感情 (12/7)

 「本」への愛着と、「本を作る産業」の将来への不安とのせめぎあい。


 昨年までの『活字中毒R。』では、時間やネタが無いときにネットから最近のニュースを引用してきて採りあげることが多かったのですが、今年はあえて「自分で読んだ本や雑誌から、興味深い話を探してくること」にこだわってきました。
 そのため、更新頻度は例年に比べてかなり低くなってしまいましたが、「更新するためだけに書いた日」がほとんど無くなったことに、個人的には満足しています。
 来年もこのくらいのペースでやっていければ考えております。
 どうか引き続きお付き合いくださいませ。

 『いやしのつえ』のほうも、ひとつよしなに。


 それでは皆様、よいお年を!



2007年12月29日(土)
「うずくまって泣きました」で激売れした本

『本の雑誌・増刊〜おすすめ文庫王国2007年度版』(本の雑誌社)より。

(「都内大型書店×2 対談◆文庫売れ筋ランキング Best 100 06→07」の一部です。対談されているのは、Jさん(ジュンク堂書店池袋本店)とMさん(丸善お茶の水店)のお二人)

【J:ひとつ悔しかったのはこれ。26位『生きる力がつく「孤独力」』。

M:何でですか?

J:これね、最近なんか売りたいと思って、ちびちび目立つところに置いてたんですよ。そしたら丸善さんでこんな上位にいる。そうか、すでにこんな売れている本だったんだって。

M:これは営業さんの力ですよ。お店に合いますよって提案されて、それで置いてみたら売れちゃった。

J:そうなんですか。実は僕もいま営業さんに言われて仕掛けている『モルヒネ』がそんな感じです。あれ? もしかして『モルヒネ』の帯にあるMさんって、Mさんですか。あっ、そうなんや。これ激売れしてます。ありがとうございます(笑)。

M:売れましたねえ。読んで面白かったし、これは売れるんじゃないかって、POP立てたんです。「うずくまって泣きました」って。そうしたらバーンと売れちゃった。

J:ああいうPOPって、迷います? 何種類か書きます?

M:一つのタイトルに一種類しか書かないですね。ただ1、2ヵ月経って古くさくなってくると、ちょっと書くとこ変えようかなって、書き換えることはあります。

J:POP立てて、失敗したものってあります?

M:ありますよ(笑)。

J:あるんだ。よかった(笑)。

M:やっぱりいろいろ書いてみて、反応見て。『煩悩カフェ』だって、普通に並べても売れないですからね。

J:あとPOPでこれ書いたら恥ずかしいってありませんか。

M:あります。「うずくまって泣きました」だって恥ずかしかったですよ。周りの人間にウソつくなとか言われましたもん(笑)。

J:ああいうの書かれへんなあ。一皮剥けないと。そもそも好きな本をみんなに薦めたいっていう気持ちがあんまりなくて、ただ買いに来たお客様が間違いなく見つけられればいいと思っているんですよ。

M:でも訊かれたりしないですか。うちなんか病院が近いんで、入院患者さんやお見舞いの人に何かない?って訊かれることが多くて。

J:ああ、ありますね。あれって困りますよね。

M:困りますよ。とりあえず主人公は死んじゃいけない。でも結局、死ぬの多いんですよ。

J:何かお薦めあります? 教えてください(笑)。

M:ええっと、まあ、これも死んじゃうんですけど『流星ワゴン』は、面白いからいつもお薦めしてますね。

J:やっぱり趣味が出るなぁ。僕、宇野千代が大好きなんです。だから何を訊かれても宇野千代。

M:それじゃあ来年はベスト100に宇野千代を。

J:そんな店、嫌ですよ(笑)。】

〜〜〜〜〜〜〜

 僕も『モルヒネ』の「うずくまって泣きました」という帯の言葉をはじめて見たときには、「いくらなんでもそんなヤツはいないだろ……」と心の中でツッコミを入れてしまいました。いやそもそも、「うずくまって泣く」なんてシチュエーション、人生でそんなに何度もあるとは思えませんし。
 しかしながら、確かにこれはインパクトがあるキャッチコピーだったのは事実で、『モルヒネ』という作品が売れる要因のひとつとなり、あの『世界の中心で、愛をさけぶ』の【泣きながら一気に読みました――柴咲コウ】と並ぶ、「名キャッチコピー」であったことは間違いなさそうです。

 でも、確かに書店員さんにとっては、こういう言葉をPOPに書くのはけっこう恥ずかしいのではないか、という気もします。
 僕も書店で気になったPOPを見つけるとついつい通りがかりの店員さんの名札をチラッと確認してしまいますし。Mさんも、うずくまって泣いたのは、この人?というような視線をけっこう浴びたのではないでしょうか。それでもやっぱり、自分が気に入った本を「売りたい」「読んでもらいたい」のが書店員の性なのかなあ。本当に、作家たちは彼らに足を向けて寝られませんね。

 そして、「お薦めの本」を聞かれたりすることもよくあるようで、「相手がどんな人で、どんな状況にあるのかわからない」にもかかわらず、何か本を薦めるというのはけっこう辛いものがありそうです。
 癌で闘病している女性にリリー・フランキーさんの『東京タワー』はちょっとまずいでしょうけど、世間に溢れている「感動小説」の大部分は、【でも結局、死ぬの多い】ですしね。
 ……って、Mさんも「死んじゃう話」を薦めているみたいですけど。



2007年12月27日(木)
『ジョジョ』と『ポストペット』の奇妙な関係

『ユリイカ』(青土社)11月臨時増刊号「総特集・荒木飛呂彦――鋼鉄の魂は走りつづける」より。

(「男たちの奇妙な愛情!?」と題した座談会の一部です。出席者は、荒木飛呂彦先生と斎藤環さん(表象精神病理学者)、金田淳子さん(社会学者)。2007年10月27日に収録されたものだそうです)

【斎藤環:でも真面目な話。現実にもスタンドはすごくクリエイティブなほうに役に立っていますよね。アーティストの八谷和彦さんが作った『ポストペット』というメールソフトがあって、モモというピンクのクマとかが大人気なんですけど、あれは重ちーのハーヴェストから思いついたらしいですよ。

荒木飛呂彦:そうなんですか。面白いですねえ。あれはレコード屋のクーポン券を集めていて思いついたんです。集めるとCD貰えたりしたじゃないですか。その辺に落ちてたりするから。これを集めてくるやつがいたらいいいなあって(笑)。

金田淳子:えらく庶民的な話ですね(笑)。でも皆でしゃべていて、どのスタンドが欲しいかという話になった時、やっぱり日常生活でスタープラチナは役に立たないから、皆ハーヴェストって言いますね。あれが荒木先生の物欲から生まれたスタンドだったとは……ますます好きになりました(笑)。でも、ただのせこいスタンドかと思ったら、意外にすごく強いところもまた魅力ですよね。仗助と億泰のコンビを敵にまわして互角の戦いを展開した。

荒木:あれがスタンドの最初の発想なんです。一見弱いと思った人間をどうやって強くするかという。

金田:この能力って意味ないんじゃないかというものを上手く戦いに組み込みますよね。

荒木:で、悪役が全員前向きなんです。

金田:私もシリアルキラーのくせに異常に前向きな吉良吉影とかすごく好きなんですけど。

荒木:前向きにするって決めたんです。前向きにしていないとストーリーが破綻しちゃうんで。少年マンガが破綻しちゃうんです。吉良吉影のかわいそうな部分も本当は描きたかったんですけど、でも描いちゃうと暗いし、敵にならないんですよね。

金田:吉良吉影の「わたしは人を殺さずにはいられないという「サガ」を背負ってはいるが……「幸福に生きてみせるぞ!」」っていうあの前向きさにひきこまれましたね。私もいろいろダメなサガを持っているので。だから吉良吉影が倒されちゃったのはちょっと悲しい。

荒木:まあ、悪い人間ですからね。あれを生き延びさせちゃうとちょっとまずい。そう言えば、乙一君も「吉良吉影に救われました」って言ってたね(笑)。

金田:乙一さんも暗いサガが多そうですもんね(笑)。ノベライズ版楽しみにしてます。

荒木:あれがすばらしい出来なんです。

金田:そうなんですか! 11月16日に出るそうですけど、その日は私の誕生日でもありまして、荒木先生と乙一さんからの誕生日プレゼントだ!って勝手に思ってました(笑)。

荒木:じゃあ送りますよ。

金田:えーーーっ! なんで荒木先生はこんなに偉いのに、超やさしいんですか?(笑)

荒木:わかんない(笑)。先輩に虐げられてるからだと思います(笑)。

金田:こせきこうじ先生はそんなに厳しかったんですか?

荒木:そうですね(笑)。僕より上の漫画家って皆怖いんですよ。

斎藤:秋本治先生なんかはどうなんですか?

荒木:秋本先生はやさしいですよ。僕は仕事のしかたとか全部、秋本先生を見習っていますからね。締切には絶対に遅れないとか週休二日は取るとかパーティには絶対に出るとかね。

金田:どうしてそんなことが出来るのか不思議ですよ。あの絵の密度をきっちり5日とかで仕上げられるのは神業としか思えない。やっぱりベタなんかは筆でパッとドリッピングでやったりするんですか?(笑)

荒木:しないって(笑)。普通にやってます。あくまで岸辺露伴は漫画家として僕の憧れの姿というだけで、あれを僕のキャラクターと思ってもらったら困る。】

〜〜〜〜〜〜〜

 この後、荒木先生は「作品を描くときに地図とか家の見取り図を最初に描く」となどというような荒木先生のこだわりの話が出てきて、「そうは言っても、岸辺露伴って、かなり荒木先生のキャラクターを反映しているのでは……」という気もするのですけどね。

 僕がリアルタイムで『週刊少年ジャンプ』を読んでいた15年〜20年前には、「ジャンプの中でも異質な漫画」であったはずの『ジョジョの奇妙な冒険』が、現在活躍しているクリエイターたちに与えた影響の大きさには、本当に驚かされてしまいます。
 正直、「ハーヴェスト」(とても小さく全部で500体程のスタンド。本体の命令に従い、物を拾い集めることができる。一体一体の力は小さいが、数が多いので強い)から『ポストペット』を発想したという八谷さんの「発想力」もすごいとは思うんですけどね。乙一さんのエピソードにもあるように、『ジョジョ』というのは、ある種の人々に、ものすごく強力なイマジネーションを与えてくれる作品なのかもしれません。「吉良吉影に救われました」ってどんな救われかたなんだ……と言いたくもなりますが。

 あと、ここでの荒木先生の発言で驚かされるのが、『こち亀』の秋本治先生が「締切には絶対に遅れない」「週休2日は必ず取る」というルールをちゃんと守って仕事をされているということでした。荒木先生は、「さすがに週刊でやるのはキツくなってきた」とのことで連載の場を月刊の『ウルトラジャンプ』に移されているわけですが、考えようによっては、「休みを減らせばまだまだ週刊誌でも描ける」はずですよね。でも、そうしないのが荒木先生の流儀だということなのでしょう。
 それにしても、「30年間休載なし」という『こち亀』は本当にすごい!もちろん、アシスタントなどの周囲のスタッフに恵まれている、という面も大きいのだとは思います。

 ちなみに僕は、なんといってもディオの「ザ・ワールド」が欲しいです。あれがあればやりたい放題だと思うのですけど……
 まあ、「ハーヴェスト」を選ぶ人が多いということは、多くの人は、悪いことをしまくったり世界を支配したりするより、地道かつ確実に幸せになりたいのだ、ということなのでしょうね。



2007年12月25日(火)
『突撃!隣の晩ごはん』の「突撃のマナー」

『阿川佐和子の会えばなるほど〜この人に会いたい6』(文春文庫)より。

(阿川佐和子さんとヨネスケさんの対談の一部です。「突撃!隣の晩ごはん」のレポーターとしての体験について。2006年6月1日号の『週刊文春』掲載)

【阿川佐和子:それにしてもいろんなもの食べられていいですね。

ヨネスケ:青森の酪農農家へ行ったときは、初産のメス牛が産後1週間だけ出すグズグズのお乳があるんです。ザル豆腐か湯葉みたいな感じの。それを生姜醤油で食べるのがムチャクチャうまいんです。

阿川:おいしそう! 超珍品ですね。一番おいしかったのは?

ヨネスケ:やっぱり漁師町。タイの刺し身やアワビや伊勢エビとかがあって。カレーライスもアワビとかサザエとかウニが入ってるんですよ。

阿川:ゴージャス!

ヨネスケ:でも、自給自足だから「大したもんじゃないです」って恥ずかしがるの。漁師さんにとっては、肉じゃないとご馳走じゃないんです。

阿川:そうか、収穫の残り物って意識なのね、伊勢エビじゃ。

ヨネスケ:それから、最近は米離れしてるって言われてるけど、これも嘘で、晩ごはんはほとんどお米ですよ。あとは蕎麦かうどん。僕が3000軒近く行った中で晩ごはんにパン食ってたの、3軒だけです。

(中略)

阿川:ヨネスケさんは好き嫌いはないんですか。

ヨネスケ:好きなのは和食系。もうお刺し身だったら、365日、毎日三度三度でもいいです。僕は半農半漁のところで育ちましたから、キザなようですが旬のものしか食べないです。カツオも戻りガツオは食べない。その辺はこだわってる。味噌汁に入れる具も一つだけ。大根と油揚げを入れたら、二つの味が出ちゃうから入れない。

阿川:粋だねえ。嫌いなのは?

ヨネスケ:スイカとセロリ。だけど、『晩ごはん』ではまず出てこなかったね。あと四人家族で串カツが四本しかなかったら、僕は絶対手をつけないんです。僕がかじっちゃったら、それを食べるの嫌でしょう。それから、カレーライスもルウの味はみますけど、ご飯にかけて食べることはないんですよ。残すと無駄にしちゃうから。

阿川:『突撃』のマナーがいろいろあるんですね。

ヨネスケ:『晩ご飯』が始まったとき、日本テレビのディレクターに「お前、テレビだからっていい気になるなよ。全部画面に出るから、平身低頭で行けよ」と言われたのがずーっと耳に残ってて。カメラマンのアシスタントは必ず靴を揃えろとか、終わったときは全員で「どうもありがとうございました」と挨拶するとか、いろいろルールがあるんです。

阿川:いや〜、偉い! 全国のテレビマンに教えなきゃいけない。

ヨネスケ:身体障害者の方がいても、入れてくれる家があるんですよ。青梅に行ったときは下半身マヒの子がいて、お母さんが「どうぞこの子を映してください」って言うんです。何でか訊いたら、「この子は学校に行けないからテレビが友達なんです。そのテレビに自分が映るのは大変なことなんです」って。そういうときは絶対カットしない。これもルール。

阿川:へえ。

ヨネスケ:鹿児島で水頭症の双子がいる家に行ったときもマイクを噛んじゃったりしたんだけど、そのまんま出した。入れてくれるってことはテレビに映りたいってことだから出してあげてというのが、僕のポリシー。

阿川:なるほどね。

ヨネスケ:あと断られたところもいっぱいあるんですが、断るときってすごい顔してるじゃないですか。それをテレビに出して「あの人、普段はあんなにニコニコしてるのに、実際はこういう人なのね」って言われると悪いからカットしてる。陽気で「あっら〜、今日はダメなのよぉ」っていう人は出しますけど。】

〜〜〜〜〜〜〜

 「突撃!隣の晩ごはん」は、1985年から2001年まで日本テレビ系列のワイドショー『ルックルックこんにちは』内のコーナーとして放映され、2003年に『ザ!情報ツウ』という番組で復活。そして2006年からは、『NNN NEWS リアルタイム』内で「突撃リアル!隣の晩ご飯」として再復活しているそうです。僕が観たことがあるのは、最初の『ルックルックこんにちは』時代のものだけなのですが、「なんか下世話であつかましい企画だよなあ」という印象で、あんまり好感は抱いていなかったような記憶があります。

 この「突撃!隣の晩ご飯」、Wikipediaでは、

【「ルックルック」で放送されていたヨネスケの「突撃!隣の晩ごはん」は、事前の連絡もなく見ず知らずの家に突然訪問する「元祖アポ無しロケ」であった。そのため多くのハプニングがあり、暴力団組長の自宅とは知らずに訪問してしまったこともあったと言う(しかしその組長は話の分かる人で、コーナーの趣旨を理解してくれていたので、トラブルには至らなかった)】

 というようなエピソードも紹介されており、少なくとも以前のものは「仕込み」ではなかったみたいです。そう簡単に家に上げてくれて、夕食のメニューを世間に公開してくれる人なんていないだろ……と僕などは考えてしまうのですが、この番組が全盛期であった20年前から10年前くらいの日本では、テレビに映れるのなら、そういう「プライバシー」を公開することに抵抗がないという人が、けっこう多かったのかもしれません。

 ここでヨネスケさんが語っておられる「突撃!隣の晩ご飯」の裏側というのは、僕にとってとても興味深いものでした。あんな「あつかましい」企画であるにもかかわらず(あるいは、それゆえに)、ヨネスケさんをはじめとするスタッフの気配りは、並大抵のものではなかったようです。

 「靴を揃える」とか「終わったら全員できちんと挨拶する」なんていうのは、ある意味「社会人として当然のこと」なのではないかという気もするのですが、テレビにたくさん出演されている阿川佐和子さんのリアクションからすると、そういうことに対して無頓着な「テレビに出してやっているんだから」という態度のスタッフも、けっして少なくはないのでしょう。

 それにしても、「家族の人数を頭に入れておいて、串カツに手をつけるかどうか決める」とか、「カレーのルウはご飯にはかけない」なんていう「ルール」は、視聴者にとってはむしろ「不自然なこと」でしかないのですから、この番組のスタッフが「出演してくれる人たち」にどれだけ気を遣っていたのか、ということが伝わってくる話です。
 それこそ、テレビバラエティとしては、「食い散らかす」くらいのほうが、面白く感じる人も多そうなのですが、そういう「ルール」があればこそ、これだけ長い間続けることができたのでしょうね。

 ところで、「入れてくれた家に障害を持つ子供がいた場合の話」に関しては、僕も考えさせられました。
 正直、僕はそういう場面を目にすると「感動をあおろうとしているのでは?」なんて疑問に感じていましたし、「その場面をカットしない」ことに全国の視聴者から「テレビで見世物にするのか!」なんて苦情が来ていたりもしたのではないでしょうか?
 いや、僕はこのヨネスケさんの「ルール」に対しては、諸手を上げて「賛成!」とは言い難いものがあるのですが(それは僕が、「テレビに映る」ということに憧れなくなった世代だからなのかもしれませんけど)、こういう背景や「ポリシー」があってのことだったと聞くと、本人(あるいは家族)が望んでいるものを「かわいそうだから映すな!」とか言うのが「正論」なのかどうか、すごく考えさせられます。

 しかし、この番組がこんなに人気があって長く続いているということは、やっぱりみんな、なるべく表には出さないようにしていても、「他人のことが気になる」のですよね……
 



2007年12月22日(土)
戦国時代の鉄砲の「本当の威力」

『本の雑誌』2008年1月号(本の雑誌社)のコラム「グランド・ヒストリーへの長い旅」(神谷竜介著)より。

【ここ十数年、鉄砲伝来に関する研究の進展は著しいそうで、かつての常識はずいぶん見直しを迫られているらしい。宇田川武久『真説 鉄砲伝来』(平凡社新書)と鈴木眞哉『鉄砲と日本人』(ちくま文芸文庫)を読んで正直悄然。ありゃ、むかし習った話とけっこう違うのね。
 種子島にポルトガル式の鉄砲が伝来したのは1543年(天文十二)年というのが公式発表(?)。ところが、江戸時代になってから書かれた『鉄炮記』に基づく記録で信憑性はかなり疑わしい。どうやら「種子島」以前に一部の倭寇勢力によって日本に持ち込まれていたのは確実とのことだ。
 おまけに鉄砲の威力、精度、汎用性についても疑問が呈されている。鉄砲と言われて真っ先に頭に浮かぶのは大河ドラマの合戦シーンである。果敢につっこむ戦国最強の武田騎馬軍団。柵の向こうから三列に組まれた織田の鉄砲隊が火を噴くと、さしもの騎馬隊もバタバタと倒れ、斯くて日本古来の合戦術に革新をもたらした織田が戦国の世に終止符を打って天下布武への道を開く……。
 どうやら全然違うらしい。この当時の鉄砲の殺傷能力は15メートル以上離れたらほぼゼロ。最長で150メートルまで敵を倒せた弓矢に比べてお粗末きわまりない性能。しかも命中精度はお話にならないレベルで、駆け抜ける馬上の敵を狙い澄まして撃つなんて不可能。さらに火薬を入れて弾を込めて火をつけて引き金を引く一連の発射作業は、三列に重ねたくらいで押し寄せる騎馬隊を片っ端から打ち落とせるほど早くできっこない。鉄砲がこの時期までに戦術・戦略レベルで日本の合戦に激変をもたらした可能性はどうにも低いのだそうだ。うわーん、大河ドラマのバカ〜。
 そうなれば今度は、それ以外の要素が織田の強さを下支えし、戦国の幕引きのドライブになったということだから、新たな疑問と課題が生まれて楽しいのだが、それでも「うーん」という気はする。】

〜〜〜〜〜〜〜

 織田・徳川連合軍と武田(勝頼)軍との「長篠の戦い」は、「織田・徳川軍の鉄砲隊が大活躍し、武田の騎馬隊を打ち破った歴史的な合戦なのだと、僕もずっと思っていました。
 馬止めの柵に行く手を阻まれる武田の騎馬隊を、柵の間から三列に並んだ鉄砲隊が次々と撃ち倒していったというのが、まさにこの合戦の「イメージ映像」だったんですよね。
 ところが、このコラムによると、そのイメージは歴史的事実とは異なるものなのだとか。確かに、「殺傷能力があるのは15メートルまで」「命中精度も低い」というのが事実であれば、三列に並んだくらいでは、一発撃ってまた時間をかけて弾を込めて……という戦法に比べたら有効性は上がるとしても、鉄砲隊の力だけで合戦の結果た左右されるというほどの「決定力」はなさそうな気がします。
 そもそも、この「長篠の戦」は、通説では織田・徳川連合軍3万5000の兵力に対して、遠征してきた武田軍の兵力は1万5000。おまけに武田軍は内部分裂で戦わずして本国に引き返した部隊もいたのだとか。いくら歴史的に「弱かった」とされている織田軍でも、「大きなミスさえなければ負けるはずがない戦い」ではあったのです。
 実際のところ、戦国時代の日本の合戦で「鉄砲の力で勝敗が決した」とされているものって、この「長篠の戦」以外に僕は知らないんですよね。
 もちろん、この「長篠の戦」以降は、織田信長による「天下布武」が着々と進行し、大きな野戦そのものが少なくなり、城攻めが多くなったというようなこともあるのでしょうが、その後も鉄砲は合戦において一般的な兵器のひとつとはなったものの、コストがかかることもあり、明治維新によって日本に近代的な軍隊が創設されるまで「主力兵器」にはならなかったのです。

 400年以上も昔のことについて、「ここ十数年で研究が著しく進展した」というのもすごい話ですよね。僕たちが「歴史的事実」だと認識していることのなかには、まだまだ後世の人間が「物語をそのまま史実だと思い込んでしまったこと」がたくさん隠されているのでしょう。

 実は、元弓道部の僕がこの文章でいちばん驚いたのって、「最長で150メートルまで敵を倒せた弓矢」という話だったんですけどね。150メートルって、どうやってそんなに飛ばすの?そもそも、的が見えないのでは……



2007年12月20日(木)
『FF』の生みの親、坂口博信氏が語る「『ファイナルファンタジー』との20年」

『週刊ファミ通』(エンターブレイン)2007/12/21号の記事「坂口博信氏が語る『ファイナルファンタジー』」より。聞き手は浜村通信さんです。

【浜村通信:いまさらこれを聞くのは、ちょっと照れくさいのですが(笑)。改めて、『FF(ファイナルファンタジー)』を作ったきっかけを教えてください。

坂口博信:長年つき合ってきた浜村さんの質問とは思えない(笑)。それは、何度もお話していますが、当時『ドラゴンクエスト』がビジネスとして成功を収めて、「ファミコンでRPGが作れる」とみんな気づいたんです。僕もその中のひとりですが、当時は『ヘラクレスの栄光』や『星をみるひと』など、開発中のRPGが4本程度発表されており、『FF』もそうした『ドラクエ』に続く、チャレンジャーの中の1本でした。

浜村:でもファミ通では、『FF』をほかの作品よりも大きく扱っていましたよね?

坂口:ええ。いまなら言っても大丈夫でしょうが、当時、開発中のROMを持って”ファミリーコンピューターマガジン”の編集部へうかがったんです。そしたら、門前払いされて(苦笑)。

浜村:え!

坂口:そんなソフトは扱えないと。でも、ファミ通だけは大きく取り上げてくれたんです。そこは、いまでも本当に恩を感じていますね。

浜村:当時は何人で作られていたんですか?

坂口:僕と宣伝担当の竹村、企画の石井浩一(『聖剣伝説』シリーズの生みの親)と浅井、プログラムのナーシャ・ジベリ、ドット絵を描いた渋谷員子、そして音楽の植松伸夫(『FF』シリーズの作曲家)。立ち上げはこの7人ですね。当時、同じ社内で別のゲームを開発していた田中弘道(『FF11』プロデューサー)のチームは最初から20人くらいいましたから、人気のなさがわかりますよね(笑)。

浜村:不遇な状況から始まっているんですね。

坂口:本当に人気のない……(笑)。僕がついスタッフにきびしく当たってしまうので。でも石井は、竹村が「このチーム、ダメなんじゃない」って言ったことを聞いて、逆にがんばる気になったらしい(笑)。

浜村:それは、このチームではヒット作は作れないという意味だったのですか?

坂口:少人数でしたし、売れないと思ったんでしょう。『ファイナルファンタジー』というタイトルも、これが売れなかったら最後にしよう、籍を残していた大学へ戻ろうという気持ちの表れで、まさに最後のファンタジーという意味でつけていましたから。留年をくり返していたので、大学へ戻ったとしても友だちなどはいないという、本当にファイナルな状況だったんですが(苦笑)。

浜村:そんな”最後”と名づけた作品が、いきなり40万本近いヒットとなるわけですね。

坂口:それが、最初の出荷は20万本の予定だったんです。当時は、ROMの生産に2〜3ヶ月かかっていたので、初期出荷イコールそのタイトルの販売本数という状態になる。だから社内でケンカして、「これだけのソフトは二度と作れないから、40万本作ってくれ」と言い張って。億単位の費用が発生するので、会社としてはものすごい冒険だったのに、当時は「金なんかなんとかしろよ」くらいにしか思っていませんでしたね(笑)。でも、あれだけのヒット作になったのは、当時の経営陣が体を張ってくれたおかげですので、いまは感謝していますよ。

(中略)

浜村:続編は『2』などの偶数を作るチームと、奇数を作るチームに分かれるという、ずいぶん変則的な方法にしていましたよね。

坂口:シリーズというのは、『2』で方向性が決まりますよね。その当時は大きく変えたいというのが自分たちの気持ちで、変えていくのが『FF』だ、ということにしたかった。とくに具体的な理由はありませんでしたが、以降にも受け継がれていきましたね。あとは『1』『2』『3』と、同じ機種でも技術の進歩でできることが増えていったので、それを使いこなさないとダメだという思いもありました。もし、技術の進化がなかったら、『FF』の進化もなかったかもしれません。

浜村:『FF』は、ハードの進化とともに、大作になっていくイメージがありましたね。

坂口:『3』のときに、少年ジャンプの鳥嶋さん(鳥嶋和彦氏。元週刊少年ジャンプ編集長で、『ドラゴンボール』などの編集担当も努めた。現集英社取締役)と初めてお会いしたとき、当時の『FF』の何がいけないのか、という話をされました。何でこんなこと言われなきゃいけないんだろうと思ったのですが(笑)、でもそれがひとつのきっかけで、『4』からまた大きく変わりましたね。マンガやアニメの世界で培われてきた表現方法を、スーパーファミコンというハードの性能のおかげで取り込めるようになり、よりキャラクターを立てる演出を使っていくようにしたんです。『4』は逆にキャラを立てすぎて自由度がない、とも言われましたが(苦笑)。そのおかげでハードの進化に合わせて、自分たちの意識も変えていかなくてはという想いが芽生えましたね。

(中略)

浜村:『FF』はつねにチャレンジをして、あとに続く道を、時代を作り続けてきましたよね。

坂口:あの、本当に格好つけるわけじゃありませんが、そのつどそのつど、集まってきたスタッフが優秀だったんです。

浜村:皆さん、いまでも仲がいいですよね。

坂口:そうですね、いち企画でスタートした『FF』だから、いま植松さんと会っても友だちのような感覚です。もともとのメンバーがそういう雰囲気を持っているので、作品にとっていい環境だったんでしょうね。

浜村:坂口さんと一緒に飲んでいると、周囲のスタッフが坂口さんに向かっていろいろ言い出しますもんね。

坂口:「坂口さん、それ間違ってますよ!」って当然のように言いますね(笑)。でも、作り手はどうしても自己満足で作ることに陥りがちなので、言ってくれるほうがいいんです。僕は『FF』のまえの作品で自己満足に陥って失敗したので、開発終盤にはゲームをテストプレイするモニターをチーム内に必ず入れるようにしました。とくに、やり込み系で、言いたい放題の子を選んで。彼らが言うんですよ。「坂口さん、この場所の宝箱、カネかよ」って。ハラ立ちますよねぇ。だから、「いいじゃん、カネで」と返すと、「ダメだ、わかってないこの人」って(笑)。でも、それを聞いて直すことが大切で。100万本売れたら50万人の人が、やっぱりそう感じるんです。そういう子たちってゲームに対してセンシティブなんですよ。いまその子たちは、開発スタッフに採用されて、がんばっていますね。

浜村:『FF』の中で人が育ったんですね。いまでは『FF』は、坂口さんのライバルになったわけですが、どう思われていますか?

坂口:戦国時代だったら、自分の前に現れた敵が息子だったというイメージですね。こいつを倒さないと先に進めないというような。……ライバルとは違って、むしろどんどん強くなっていってほしいです。商品として扱う以上に、作品であってほしいと思う。『FF』に込められた、そのときどきの最新技術で最高峰のものを、唯一無二のものとしてチャレンジして作る精神を貫いてほしいですね。

浜村:なるほど。では、最後に坂口さんにとっての『FF』とは何か。教えてください。

坂口:昔の精神としては、やはり商品ではなくて作品ですね。毎回魂を込めて、制作途中で浮かんだアイデアは決してつぎに取っておかず、すべて注ぎ込む。だから、終わったときは空っぽで、つぎに何を作ればいいのかわからない。でも、そうして自分を追い込むことで、また新しいモノが生まれるんです。そういう精神は、今後の『FF』にも引き継がれていくといいなぁと思いますね。】


参考リンク:『ファイナルファンタジー』誕生秘話

〜〜〜〜〜〜〜

 本日(2007年12月20日)、ニンテンドーDSで、『4』のリメイク版が発売された『FF』。
 この対談を読んでいると、『ファイナルファンタジー』がファミコンで発売された時代(1987年12月18日発売)のことがいろいろと思い出されてきたのです。
 『ドラゴンクエスト(1)』が最初にファミコンで発売されたときには、「こんな動きのないゲーム、ファミコンで遊んでいる子供たちに受け入れられるはずがない」と嘲笑する声がけっこうあったこと、そして、『ドラゴンクエスト』が大ヒットした途端に、雨後の筍のごとく、「ドラゴンクエスト風ファミコンRPG」が乱発されたこと。
 現在では、『ドラクエ』『FF』として、「日本を代表するRPGの双璧」される『FF』なのですが、このゲームが発表された当時、多くのゲーマーたちは、「ふーん、なんかちょっと絵はキレイだけど、また『ドラゴンクエスト』の二番煎じか……」という目でこのゲームを見ていたような記憶があるのです。当時の僕たちは、この手の「『ドラクエ』風RPG」に飽き飽きしながらも、そんなに頻繁に『ドラゴンクエスト』の新作が出るわけでもないので、何度も淡い期待を抱いては痛い目に遭わされていたんですよね。

 ずっと基本的なシステムや世界観に大きな変動がない『ドラクエ』に比べると、ここで坂口さんが語られているように、常に「変わってていくのが『FF』」でしたし、その「次はどんな『FF』なんだ?」という期待感が、『FF』の大きな魅力だったのです。
 『FF』に関しては、『2』や『8』など「これはちょっと……」と投げ出してしまうようなナンバリングタイトルもあったのですが、「変わっていくのが『FF』」だけに「今度は面白い『FF』の順番なのでは……」と、ついつい買い続けてしまっているような面もありましたし。

 個々のキャラクターがゲーム中に発言することがあまりなく、キャラクター作りの自由度が高かった『FF3』に比べて、今回DSでリメイク版が発売された『FF4』は、かなり「ドラマチック」である代わりに、「キャラクターが勝手に動いてドラマを進めてしまう」という印象がスーパーファミコン版発売時からあったのですけど、その理由が、『週刊少年ジャンプ』の鳥嶋さんのアドバイスにあったというのは、このインタビューではじめて知りました。おそらく、その方向転換こそが『FF』をこれだけ売れる商品にしたきっかけだったとは思うのですが、その一方で、『3』がけっこう好きだった僕には、「鳥嶋さん、余計なこと言ってくれたなあ……」という気持ちもあるんですよね。もし『3』の方向で進化していたら、その後の『FF』そして、日本のRPGは、いったいどうなっていたんだろう、と。

 この対談記事を読んでいて僕が最も印象に残ったのは、「『FF』の生みの親」である、坂口博信さん自身のことでした。
 『FF1』のときに、「ついスタッフにきびしく当たってしまい、人気がなかった」という青年が、この人気シリーズの制作に関わっていくことによって、どんどん「周りの人の意見を聞くようになっていったり、上司に感謝の気持ちを持つようになっていった」というのは、「人間として、社会人としての成長過程」そのものだったのではないか、と。

【「坂口さん、それ間違ってますよ!」って当然のように言いますね(笑)。でも、作り手はどうしても自己満足で作ることに陥りがちなので、言ってくれるほうがいいんです。僕は『FF』のまえの作品で自己満足に陥って失敗したので、開発終盤にはゲームをテストプレイするモニターをチーム内に必ず入れるようにしました。とくに、やり込み系で、言いたい放題の子を選んで。彼らが言うんですよ。「坂口さん、この場所の宝箱、カネかよ」って。ハラ立ちますよねぇ。だから、「いいじゃん、カネで」と返すと、「ダメだ、わかってないこの人」って(笑)。でも、それを聞いて直すことが大切で。】

 「『FF』の中でいちばん育った人」は、その「生みの親」である、坂口さん自身なのかもしれませんね。



2007年12月19日(水)
「角居君、”普通”って何だ?」

『挑戦!競馬革命』(角居勝彦著・宝島社新書)より。

(今年の日本ダービーを制した牝馬・ウオッカを管理している角居勝彦調教師の著書より)

【話は前後しますが、アグネスワールドの遠征前、美浦トレーニングセンターの検疫厩舎に入ることになり、私はそこにつき添っていました。検疫中のため、ほかの馬と分けなければならず、夜中の12時ぐらいに調教を始め、4時か5時には終わらせていました。
 通常の調教時間は早朝6時〜7時から始まります。暇を持て余したため、美浦のトップ(調教師)である藤澤和雄先生の厩舎を覗かせてもらいました。
 そのとき、藤澤先生に「暇だったら乗ってみるか?」と声を掛けてもらいました。跨った馬はどれも力強く、常足だけでもぞっとするパワフルさです。
 当時、ほとんどの厩舎で、普段の調教は”20−20”が普通だと思われていました。”20−20”とは、坂路で1ハロン(200メートル)を20秒ずつで乗り、時にはしまい(最後の1ハロン)を16〜17秒程度に強くする、というものです。調教師から「普通に流して」と言われれば当然のように”20−20”にしたものです。
 ところが藤澤厩舎では、普段の調教から”15−15”の時計で乗られ、週に2回ほど”15−15”より強い調教が入ります。
 何の疑問も持たずに、
「普通調教が強いですね。毎日、こういう時計ですか?」と聞きました。
 すると即座に「角居君、”普通”って何だ?」と。
 考えてみれば、誰が決めたかわからないまま、普通だと思われていたことを、誰もが疑問を持たずに行っていたわけです。

 私自身、”普通でいい”という指示があると、自分なりの感覚でコースを走らせていましたが、藤澤先生は、それぞれの馬の状態や性格に合わせた調教メニューを細かく考えていました。同じ「普通」でも、未勝利馬とオープン馬では中身がまったく違うのです。
 人間が思う「普通」が、実は馬にとっては普通ではない。人間の感覚でアバウトに行われていることが間違いで、馬ごとに変化させなければならない、というのです。
 固定観念が覆される一言で、衝撃的な会話でした。】

〜〜〜〜〜〜〜

 この「”普通”って何だ?」という問いに、日本を代表する名調教師・藤澤和雄の凄さが集約されていると言ってもいいのかもしれません。
 僕たちはふだん、何気なく「普通にやっといて」なんて頼んだり頼まれたりしていますし、仕事を終えたあとも「まあ、普通にこなせたから問題ないだろう」と安心したり、「普通にやっているだけなのに、なんで文句言われなきゃならないんだ……」なんて怒ったりしていますよね。
 でも、あらためて、「じゃあ、その『普通』って具体的にはどういうこと?どのくらいの質で、どのくらいの量なの?」なんて聞かれて、キチンとそれを言葉にすることができるでしょうか?
 僕にはそれは無理だなあ、と、これを読みながら考え込んでしまいました。
 自分でもよくわからない曖昧なものを「このくらいが『普通』のはずだから」ということで納得してしまうのは、僕の悪い癖でもあるんですよね。
 「みんながこのくらいやっているから」「それが今までの『常識』だから」というような理由で、「普通」に対して何の疑問も持たなければ、当然のことながら、「普通」以上の仕事はできません。
 そこで、「普通」に妥協しないからこそ、人より優れた結果を残すことができるのです。
 まあ、「普通」じゃないことをやれば、失敗することもあるでしょうし、その場合は「なんでそんな常識はずれのことを!」なんて批判を浴びることも多いので、責任がある立場になればなるほど、「普通」から外れるのは難しいところもあるんでしょうけど。
 ウオッカだって、牡馬にたった1頭混じって挑戦した日本ダービーで圧勝できたからこそ「偉業」だとみんな評価したわけで、もし惨敗していたら、「だからオークスに行けばよかったのに……」と、批判する人もたくさんいたはずです。

 頂点に立つっていうのは、並大抵の努力と覚悟じゃダメなんだなあ、と思い知らされる話ではあります。
 常人には、「普通」を確実に維持していくことすら、けっこう大変だったりもするのですけどね……




2007年12月17日(月)
「芸能界で一番緊張する芸人」江頭2:50

『hon-nin・vol.05』(太田出版)より。

(吉田豪さんのインタビュー記事「hon-nin列伝・第六回」の一部です。ゲストは江頭2:50さん)

【吉田豪:それで大川興業に入ってから、江頭さんの中では将来どうなりたいっていう目標はあったんですか?

江頭2:50:う〜ん……たとえば大川総裁が田中角栄邸に突撃する話とかが大好きでしたから、やっぱりそういうのになりたいって思ってましたね。

吉田:その方向性だと、テレビにはまず出られないという危惧とかもなく。

江頭:ああ、まったく全然テレビとか気にしてなかったですね(キッパリ)。だって、大川興業って、たとえば小田急の向ヶ丘遊園で営業やるじゃないですか。普通だったらステージでネタだけやればいいのに、違うんですよ。目の前のお客さんじゃなくて、「関係ない遠くの人たちを笑わせてこい」とか振られて。俺、走りながら考えましたよ。そしたら、そこにちょうどジェットコースターがあるから、ジェットコースターに乗って、そこで「ドーンと鳴った花火が…………」ってやったり。ステージで聞くとドップラー効果みたいになって笑うんですよ(笑)。あと、すっごい向こうのモノレールに乗って、「ドーンとなった花火が……」って。やっぱりステージからは小さ〜く見えるんですよ。モノレールの中では完全にキチガイが来た! って感じで。もう、そんなのばっかりでしたね。

吉田:追い込まれて何をするか、みたいな状態になってたわけですかね。

江頭:うん! あと横浜博でも、営業は台風で中止なのに、「あそこにいるイラン人たちを笑わせてこい」とか言われて。中止なのに、そんなことまでする必要ないじゃないですか! で、関係ないイラン人の客の前で「ア―――――ッ! ドンドンドーン」とかやって。イラン人、怒ってんのに。

吉田:ダハハハハ! その原点が、いまでも続いてる気がしますよね。

江頭:絶対にそれはあります。

吉田:効率の悪い笑いっていうか、やらなくてもいいことをやるっていう。

江頭:だから……ステージはどうでもいいから、とにかくどういう凶器を使ってもいいから笑わせるってことを、ものすごく学びました。向ヶ丘遊園のときも、その次に出番の芸人が、「こんなあとやれねえぞ! 草木も生えてねえよ」って言ってて。

吉田:そんなことばかりやってると、対応力ができて強くなりますよね。

江頭:メチャクチャ強くなります! いまもそれあると思いますよ、『「ぷっ」すま』に出てても。ディレクターの髪の毛を引っ張ろうが、カメラマンを蹴飛ばそうが、とにかく笑いに持っていかなきゃって。ウンコしててもいいけど、とにかく笑わせないとっていうのはあります、僕の中では。

吉田:でも、テレビでウンコしたって放送はできないわけじゃないですか。

江頭:1回放送しましたよ。テレ東の『少年バット』って番組で。ある文化人に「お前、ホモだろ!」って言って、「お前なんかこれだ!」ってウンコしたらモザイク入りで流れて(笑)。

吉田:そこまでやるのは責任感なんですかね。そんな責任感じなくてもいいのに、もっと軽く流してもいいのにっていう。

江頭:ああ、そうかもしれないです。僕は正直な話、芸能界で一番緊張するタイプで、これは間違いないです。

吉田:本番前には毎回手が震えるし。

江頭:……そうです。スケジュール切られた瞬間からプレッシャーで眠れないです。もう前の日とか寝ないで、ノートにシミュレーションとかいっぱい書きます。使わないんですけどね。それぐらい押し潰されそうになります。でも、上の芸人さんから聞いた話だと「緊張しない人間はダメだ」、と。それが正解だと僕は思ってます。

吉田:江頭さんに関しては絶対に正解だと思いますね。だからこそギリギリの表現になってるし、命を懸けてやってる感じが透けて見えますもん。

江頭:あ、そうですか(笑)。……正直な話、テレビでウケなかったときは自殺しようかなと思います(あっさりと)。このコンクリートにぶち当たって死のうって。もうダメなんですよね、手を抜こうと思っても。

吉田:どうにも手を抜きようがない。

江頭:だから誰よりもスタジオに早く入って。テレビで収録の4時間前に入るヤツいないですよ! まだ楽屋に「江頭様」って貼ってないですもん。

吉田:ドラマならわかりますけど、バラエティでそこまでやる必要は……。

江頭:ないのかもしれないですけどね。だから正直な話、いっぱい仕事がきたとしても選ばせてもらって……こんなこと言っちゃダメなんですけど。】

〜〜〜〜〜〜〜

 江頭2:50さんの有名な言葉に「1クールのレギュラーより1回の伝説」というのがあるのですが、このインタビューを読んでいると、江頭2:50という芸人の凄さに、ただただ圧倒されるばかりです。
 僕は正直、江頭さんがテレビでやっている「芸」の面白さはよくわからないんですけど、この人は「芸人」としての生きかたこそが、最高の「芸」なのかもしれません。
 しかし、江頭さんというのは、本当に真面目な人みたいですね。これだけ「誰かを笑わせること」に対して真摯な芸人というのは、なかなかいないのではないでしょうか。そして、けっこう芸歴は長いはずなのに、こんなに緊張してしまうという芸人もあまりいないはずです。「緊張しない人間はダメだ」というのはわかりますが、こんなにいつも張り詰めていては、身がもたないのではないか、と心配にもなりますよね。

 これを読むと、江頭さんというのは、ある種の完璧主義者なのではないかと思われます。とにかくメチャクチャなことをやっているだけにしか見えない江頭さんの「芸」も「前日からノートでシミュレーションしていた」ものらしいですし。たぶん、本番ではそんなシミュレーションの内容は頭から飛んでしまっていて、真っ白になってやっているんでしょうけど、それでも、次にテレビに出るときには、またシミュレーションをしておかなければ安心できない……僕も(江頭さんほどではないですが)緊張してしまうタイプなので、そういう心境って、なんとなくわかるような気がするのです。

 先日、とんねるずの『みなさんのおかげでした』の名物コーナー「食わず嫌い王選手権」のメイキングが放送されていたのですが、ほとんどアドリブでダラダラしゃべっているように見えるあのコーナーも、実はとんねるずの2人は入念にリハーサルをして、「この食べ物のときにはこういうふうに突っ込むから、こうリアクションして……」というように、ちゃんと台本を作っているそうなのです(ゲストのリアクションに関しては、「ゲスト任せ」みたいでしたけど)。実は、「その場の勢いでやっているように見せている芸人」ほど、陰でキッチリ準備をしているものなのかもしれません。本当にその場の勢いで笑わせられる人なんて、ごくごく一握りの「天才中の天才」が「絶好調のとき」だけなのでしょう。

 江頭さんの場合は、大川興業のスタイルを「真面目に」追求していったために今のスタイルになっただけで、もし最初の方向性が違っていたら、全然別のタイプの芸人になっていた可能性もありそうだよなあ。

 それにしても、向ヶ丘遊園、いったいどんな客層を狙って、大川興業にステージを依頼したのでしょうか?まさか、こんなことまでやるとは依頼主も夢にも思わなかったでしょうけど……



2007年12月16日(日)
『ハチワンダイバー』の作者に「引導を渡した」プロ棋士

『このマンガがすごい! 2008』(『このマンガがすごい!』編集部・編:宝島社)より。

(「オトコ編」1位に輝いた『ハチワンダイバー』の作者である柴田ヨクサルさんへのインタビューの一部です。取材・文は伊熊恒介さん)

【インタビュアー:ご出身は北海道の……。

柴田ヨクサル:留辺蕊(るべしべ)って町なんですけど、今はもう北見市に吸収合併されてしまいました。なんにもない田舎なんで、将棋も暇つぶしの一環で始めて。

インタビュアー:奥深さにハマッていった。

柴田:しばらくして子供たちを集めてやる大会に出たんですけど、そこには同い年くらいで、けっこう強いやつがいるんですよ。単純にそういうやつに負けたくないっていうのもあって。まあ、その子たちもそんなに強くなくて、ちょっと覚えるとすぐ抜かしちゃったんですけど。

インタビュアー:留辺蕊の少年将棋界で強豪としてのしていくわけですね。

柴田:はい。デパートの大会で勝ったりして。

インタビュアー:勝ち上がるたびに、将棋の面白さに引き込まれて。

柴田:ただ、途中でファミコンが我が家にやってきた時には、横道にそれるんですけど(笑)。やっぱり将棋のほうが面白かったですね。

インタビュアー:どのくらいまで上り詰めたんですか?

柴田:小6のときには相当強くなっていたので、将棋連盟の留辺蕊支部長から奨励会入りの話が出てきました。

インタビュアー:おお、将来の目標は決まった!

柴田:小学校の卒業アルバムには「自分のなりたいもの」に「プロ棋士」って書きました。今見ると、悲しくなりますね。

インタビュアー:そのくらいの意気込みはあったんですね。

柴田:それで、何回かプロの方と指して実力をためされて、関根茂九段(当時。現在は引退)と二枚落ちでやって勝てたら、いよいよプロ入りをお願いするって話になったんですよ。でも、結局負けてしまって。しかも「これじゃ通用しないよ」って言われて恐ろしいほどのショックを受けて、その日からぱったりと指さなくなりました。

インタビュアー:子供にもバッサリ言うんですね……。

柴田:その日のことはずっと後悔をしていて、今でもなんとなく局面を思い返すことがあります。

インタビュアー:四半世紀近くも経っているのに。

柴田:ものすごく恥ずかしい手をさしてしまいましたから。「あの時、なんてあの手を?」みたいな……。

インタビュアー:その悔しさみたいなものが、1巻で菅田が泣きながら指すシーンに投影されているのでは?

柴田:多少あります。

インタビュアー:やっぱり泣きましたか。

柴田:家に帰って泣いたと思います。

インタビュアー:そこからもう一度「見返してやるぞ!」って気には?

柴田:ならなかったですね。その日からは将棋を見るのも嫌になっちゃいました。今くらいの精神力があれば立ち直れたと思うんですけど、当時は無理でした。

インタビュアー:それまで天狗になっていた自分が全否定されたんですね。

柴田:完全に天狗でした。もう、調子こきまくりですよ。どこのデパートにいっても子供相手なら負けないし。

インタビュアー:では、中学に入ったら将棋のことは忘れちゃってたですか?

柴田:そうですね。それからは将棋のプロになるっていうのは、ぜんぜん考えなくなっていました。今思えば、羽生善治さん達とほぼ同期でしたから、最強世代の天才たちと当たることを考えたら、あそこで挫折していてよかったと思いますよ(笑)。

(中略)

インタビュアー:将棋を知っている読者と、門外漢の割合はどのくらいなんでしょう?

柴田:8対2、くらいで考えていたんですけど、どうやらそうでもない感じで。実際には6対4くらいじゃないかな?

インタビュアー:棋譜の監修は鈴木大介八段ですね。

柴田:将棋だけじゃなくて、いろんな面で本当に助けていただいてます。

インタビュアー:対局シーンに関しては、どのような関わり方なんですか?

柴田:僕から鈴木八段に「こういう流れで、この戦法を使って逆転勝ちするように作ってください」っていう感じでざっくりお伝えすると、途中の棋譜も含めて作っていただけるんですよ。その棋譜が実に感動的で、これをどうやって伝えようかと日々考えています。

インタビュアー:それはプレッシャーですね。

柴田:ええ。対局場面にこりすぎると、将棋を知らない読者がついていけなくなってしまうし。

担当:いつもそこで紛糾してますね。「NHKの将棋中継じゃないんですから!」って(笑)。

柴田:でも、本当に将棋の好きな人は、対局自体にワクワクもするから、小さな画面でも、しっかり持ち駒まで描いています。もし時間あって、そこで考えてもらえれば、それなりのものがわかるようにはしてあります。】

〜〜〜〜〜〜〜

 現在『週刊ヤングジャンプ(集英社)連載中の『ハチワンダイバー』、この本のランキング(オトコ版)でも見事1位に輝いており、まさに絶好調、という感じです。
 僕はこのインタビューで、作者の柴田ヨクサルさんが、子供時代に真剣に棋士を目指していたというのをはじめて知りました。ある有名な棋士が「私はこうして棋士になれたけど、兄は私より頭が悪かったから東大に行った」と言ったという伝説があるのですが、プロ棋士の世界というのは、まさに「選ばれた天才中の天才」たちがしのぎを削る厳しい世界なのです。

 柴田さんは1972年生まれですから、僕とほぼ同世代。「ファミコン直撃世代」にもかかわらず、柴田さんが、「最終的にファミコンに転ばずに将棋を選んだ」というのは、「よっぽど将棋が好きだったんだなあ」という気がします。当時は、僕も含め、多くの子供たちがファミコンをはじめとするテレビゲームに転んで、人生を誤ったり、人生の目標を変えてしまったり(ゲームデザイナーになる!とか、「ナムコに就職する!」とか叫んだり)していましたから。

 そんな柴田さんが、「プロ棋士になる夢を諦めた対局の話」には、僕も絶句してしまいました。「二枚落ち」ということは、相手には飛車と角が無いわけです。いくら当時の柴田さんがまだ子供で、相手はプロ棋士、しかも九段とはいえ、この条件で勝てなければ「才能が無い」と言われるのも仕方ないのかもしれません。でも、今までずっとプロ棋士になることを人生の目標としていた子供に、たった一度の勝負で「引導」を渡してしまうのは、あまりに残酷ではないかとも思うんですよね。
 プロ棋士の世界は、一部に「負けたら終わり」のトーナメント方式の大会もありますが、多くはリーグ戦であり、「負けなしの連勝」ができなくても、安定して8勝2敗、7勝3敗を続けられればかなり立派な成績なのです。あの羽生善治さんですら、2006年度(2006年4月〜2007年3月)における、タイトル戦などの公式戦では34勝17敗の勝率67%。逆に言えば、「羽生さんでもタイトルがかかった勝負で強い棋士を相手にすれば、3回に1回は負ける」世界です(ただし、ランクが下のほうになるほど、勝ち続けないとなかなか上には行けないのも事実なのですが)。
 たとえば、10局くらい指してみて、「やっぱりダメだ」というのなら話はわからなくもないのですが、たった一度の勝負で「これじゃ通用しない」と言い切るなんて……

 プロ棋士というのは、本当にそれだけで「わかる」ものなのかなあ……いや、結果的には、柴田さんはマンガ家として成功することができ、こうしてまた将棋について笑って語れるようになったから良いものの、子供時代にこういう形で挫折してしまったら、二度と立ち直れなくなる人もいるのではないかという気もします。
ただ、確かに「才能の無さを見切ることができるのなら、早いほうがいい」のも事実なんですよね。

【満21歳(2002年度以前の奨励会試験合格者においては満23歳)の誕生日までに初段、満26歳の誕生日を迎える三段リーグ終了までに四段に昇段できなかった者は退会となる。ただし三段リーグで勝ち越しを続ければ満29歳を迎えるリーグ終了まで延長して在籍できる】

というのが奨励会の年齢に関する規定なのですが(四段になれば晴れて「プロ」の仲間入り)、「プロ棋士を目指したにもかかわらず挫折した人」というのは、「20代後半になっても何の資格もない、将棋のことしか知らない人間」としてその後の人生を送らなければならないのです。それを考えると、「がんばれ、やればできる!」って励ますことだけが「目の前の子供への本当の優しさ」ではないのかもしれません。

 それにしても、ここで紹介されている鈴木大介八段に関するエピソードを読むと、やっぱりプロ棋士っていうのは、すごい人たちなんだなあ、と驚かされるばかりです。リクエストに応じて、「感動的な棋譜をつくりあげる」なんて、単なる「将棋好き」の僕にとっては、想像もつかないような話だ……



2007年12月14日(金)
映画関係者の予想を裏切った『恋空』

『日経エンタテインメント!2008.1月号』(日経BP社)の記事「インサイドレポート」の「『恋空』『クローズ〜』大ヒット 映画界の読みがはずれたワケ」より。

【『恋空』『クローズZERO』の予想外の大ヒットに映画界が沸いている。映画関係者の公開前の予想では「どちらも興行収入で10億円から15億円程度ではないか」との声が多かった。しかし、最終的に『恋空』が40億円、『クローズZERO』が27億円程度を見込んでいる。
 『恋空』の中心客層は女子中高生で、彼女に連れられて見に来る男子中高生も多い。逆に『クローズZERO』は男子中高生を集めている。主演の小栗旬目当ての10代20代の女性も多い。

 映画関係者がいかに2作品に期待していなかったか、上映館に如実に現れていた。例えば東京・渋谷では、『恋空』がシネフロント(座席数245)、『クローズZERO』がアミューズCQN(座席数200)。東宝配給作品は、ヒットが見込める作品の場合、東宝系の渋東シネタワー(座席数252、346、610、794の4館)で上映される。配給元の東宝自らがヒットに自信がなかったといえるだろう。
 シネコンも同様だ。特に『恋空』の初日2日間は、チケットが上映2時間前に売り切れるシネコンが続出。大ヒットにならないと予想したシネコン側は座席数の少ないスクリーンで上映した結果、映画を見られずに帰ったり、代わりにほかの映画を見る中高生を多数生むことになった。
 現在の映画興行界を支える観客は30代の家族連れで、10代は最も映画を見に来ない。だから映画界は、いくら人気のケータイ恋愛小説とヤンキーマンガが原作とはいえ、期待値は高くなかったのだ。
 2作品を製作したのがTBS。同社の目利きがズバリ的中した。】

〜〜〜〜〜〜〜

 そういえば、ちょっと前に僕が『ALWAYS 続・三丁目の夕日』を観に行ったとき、地元のシネコンのチケット売り場に平日のレイトショーにもかかわらず若い男女が大勢行列していたんですよね。
「おお、さすが『ALWAYS 続・三丁目の夕日』はテレビで前作も放映されてたし、人気あるんだなあ……」と思っていたのですが、その大勢の人たちが、『恋空』入場開始のアナウンスとともに、一斉に館内に入っていたのには、かなり驚いてしまいました。
 ええっ、本当にみんな、『恋空』なんか(すみません、僕は観たことないんですけど、そういう先入観を持ってたんです)観るの?って。

 それにしても、まさかあの『恋空』の映画がこんなに大ヒットするなんて、夢にも思いませんでした。映画館で予告編が流れているときも、「おお、新垣結衣ちゃんはかわいいねえ。でも、ケータイ小説原作だから、所詮ネタ映画だろ……こんなの誰が観るんだ?」などと内心、小馬鹿にしていたのに。
 『クローズZERO』も、「この時代にヤンキー漫画なんて……誰が観るんだこれ?」という感じだったんですよね。原作も知らなかったし、公開前にキャストがテレビにプロモーションで出ていたときも、「こんな映画宣伝してもしょうがないだろ……」とか、半ば呆れていたものです。公開前に僕が聞かれたら「興行収入10億」という予想だって、「そんなにヒットするわけないだろ……」と苦笑していたはず。

 この記事を読んでみると、関係者ですら、そんなに大きな期待をしていなかったということがよくわかります。むしろ、映画に詳しい人たちだからこそ、「こんなの売れないだろうな……」という先入観を持ってしまったのかもしれません。
 言われてみれば確かに、10代、とくに中高生って、最近あんまり映画館で見なかったような気がします。レンタルしてきた作品を家のDVDプレイヤーで再生することに慣れており、「映画を映画館で観る」ということに特別な感慨を抱かない彼らにとっては、「映画館で観るとお金がかかる」だけなのかもしれません。だからこそ、製作側も「中高生をターゲットにした作品」も作ることに躊躇するという悪循環。
 でも、『恋空』や『クローズZERO』の大ヒットから考えると、中高生にも、潜在的な映画への需要はあった、ということなのです。『恋空』をきっかけに、ほかの映画を観てみようと思った人もいるかもしれませんし。

 この号の『日経エンタテインメント!』のヒットランキングによると、2007年(2006年11月〜2007年公開作品対象)の日本での興行収入の1位は『パイレーツ・オブ・カリビアン/ワールド・エンド』の110億円、以下、『ハリー・ポッターと不死鳥の騎士団』が93億円、『HERO』が82億円で、ここまでがベスト3。
 『恋空』が興行収入40億円となれば、『ダイ・ハード4.0』『トランスフォーマー』『武士の一分』と同額で、9位相当になります。ちなみに『クローズZERO』が27億円だったとすると、『幸せのちから』『アンフェア the movie』と並ぶ19位相当。
 あれだけフジテレビが懸命に宣伝していた『西遊記』が43億円だったことを考えると、費用対効果という面では、『恋空』のこの「稼ぎ」は、驚異的なものではないでしょうか。

 それにしても、これまでも『恋空』みたいな映画ってたくさんあったと思うのですが、なぜ、『恋空』は、こんなに大きな成功を収めることができたのか、僕には正直よくわからないんですよね。原作人気や主人公に人気絶頂の新垣結衣さんを起用したこと、Mr.Childrenの主題歌『旅立ちの唄』が名曲であったことなど、たくさんの「要因」はあったのでしょうけど、いままで映画化されたこの手の作品だって、「人気の原作やタレント」を起用してきたはずなのに。
 何か特別な「秘密」があるのだろうかと、あれだけバカにしていたにもかかわらず、DVD化されたら観てみようかという気分になってきました。
 さすがに、映画館で観る勇気はなかなか出ないんですけど……



2007年12月11日(火)
8年間婚約していたフランス人カップルの「別れの言葉」

『金曜日のパリ』(雨宮塔子著・小学館文庫)より。

(人気アナウンサーとして働いていたTBSを退社後、フランスのパリでの生活を送っている雨宮さんのエッセイの一部です。文中のフランス語には、僕のパソコンでは入力できない(上に「´」とかがついている)アルファベットが使われており、この引用は原文そのままではない偽フランス語になってしまっています。申し訳ありません)

【フランス……。パリ市長が自らのホモセクシャルを宣言したように、恋愛の形はなんでもありの国といったところがある。カップル同士で相手を替えるといった行為も頻繁に行われているという。恋愛……。当事者にしかわからないことが多いなかで、人様の恋愛について口を挟む気は毛頭ない。が、先日、軽く聞き流せないことを耳にした。なんでも、8年間婚約していた間柄(フランスでは年若くして婚約を結ぶ人が少なくない)のフランス人カップルが別れることになったのだが、その別れの言葉が“On s’est trompe”(僕たち
は相手を間違えていた)だったというのだ。その話をしてくれた友人によると、この表現を聞いたのはこれが最初ではないとい言う。
 別れるに至った経緯はふたりの間にとどめておいてもらうとして、それでも真剣に付き合っていたふたりの最後の言葉が、“間違えていた”というのはあまりに寂しすぎる。ひいては、その人と向き合っていた自分をも否定することになるのではないだろうか。そう友人に返すと、そういう考え方はフランス人にはあまりないと彼女は言い、もうひとつ、何度か聞いたことがあるというセリフを教えてくれた。
“Tu n’etais pas la femme de ma vie”(君は僕の生涯の女性ではなかった)
 いつか出会う最愛の人を求めて、いくつになっても女性、男性であり続けるこの国の人たちはとても素敵だとは思う。そういう自由と孤独を愛する大人の国に惹かれて渡仏した部分も大きい。
 両親が離婚した後、ボーイフレンドのいる母親と一緒に暮らしていたあるフランス人の少年は、日本へ遊びに来たとき、パリにいる母親に連絡をとったものの、母親は息子がどこへ行ったのか忘れていて、かつ新たな恋人ができたと報告を受けたという話に、決して少なくないそういった境遇の子供たちはどう育っていくのだろうかと思った。友人の話を聞きながら、自由の代償としての責任の取り方が大人らしいかどうかは、まだこの国から答えをもらっていないことに気づいた。
 子供を育てながらより一層女を磨き、いつまでも恋愛体質でいるフランス女性もいいけれど、最近素敵だと思う女性に共通していることは、“恋愛”というものに捕らわれていない女性だ。】

〜〜〜〜〜〜〜

 もし、「8年間婚約していた」という日本人カップルが別れることになったら、彼らは、どんな別れの言葉を交わすのでしょうか?
 まあ、日本の場合は、「交際8年」はあっても、「婚約8年」というのは現実的にはほとんどありえない話なのですが、一度は婚約するに至ったカップルであれば、どちらかが結婚詐欺師でもないかぎり、「僕たちは相手を間違えていた」という言葉は「想定外」のはずです。日本人カップルの場合は、「お互いにいろいろ事情があるから、仕方ないね……」とか、「いい人だったんだけど、価値観のギャップが埋められなくて」というような「事情説明」が一般的なのではないでしょうか。「今度生まれ変わったら、絶対一緒になろうね」とか言う人だっていますよね、きっと。
考えてみれば、そんなに引きずるくらい好きなら、生まれ変わるまで待たなくてもいいような気もしますけど。

 そういう意味では、フランス人は、ある意味「正直」で「潔い」と言えるのかもしれません。もし同じような状況になったとすれば、そんなに長くもない人生において、8年間もの自分の恋愛を「間違っちゃった」と言い切る自信、僕には全くありませんから。だって、そんなことを認めてしまったら、自分がバカだということを公言しているみたいだし、元恋人も傷つくだろうし。
 こういう話を聞くと、日本人とフランス人というのは、「恋愛感覚」が根本的に違うのかな、と考えてしまいます。どちらが正しい、とか決められるようなものではないのですが、僕にはやっぱり、日本的な「恋愛感覚」のほうがしっくりくるのです。

 日本の夫婦の典型的な「離婚しない理由」として、「子どものため」というのがあるのですが、僕は以前から、この言葉を耳にするたびに「自分たちに別れる勇気がないのを子どものせいにするなよ、そんな家庭で『お前がいたから別れられなかった』って言われ続ける子どもの身にもなってみろよ……」と反発せずにはいられませんでした。
 でも、こうして実際に「自分の恋愛のほうが、子どもの存在よりはるかに優先順位が高い」というフランス人の生き方を目の当たりにしてみると、やっぱり、「少しは子どものことも考えてやれよ……」と言いたくなってしまうんだよなあ……



2007年12月10日(月)
ある作家が、「妻に日記を書くように勧めたときの言葉」

『日記をのぞく』(日本経済新聞社・編)より。

(「現代日記文学の傑作」として知られる『富士日記』の著者・武田百合子さんに、夫であり、有名な作家でもある武田泰淳さんが日記を書くことを勧めたときの話)

【「まことに、すがすがしく、心あつく、簡にして深い、日々の記録である」。『富士日記』の解説で水上勉はこう評したものだ。日記には、地元の人たちとの日々の触れ合いや季節ごとの行事、買い物の値段、谷崎潤一郎や高見順ら著名人の訃報などが、簡潔明瞭に記されている。それはまた、一つの世相史でもある。
「朝、ごはん、うに、海苔、卵、鯖の味噌煮(略)酒屋で。ビール二打、卵十個、納豆一個、マッチ(大)三箱、コロッケ三個、計三千八十円」
 昭和41年(1966年)三月二十七日。四十歳。
 百合子の「絵葉書のように」(『私の文章修行』朝日新聞社)によると、日記を書くように勧めたとき、夫の泰淳はどんな風につけてもいいこと、何も書くことがなかったらその日に買ったものと天気だけでもいいこと、面白かったことやしたことがあったら書けばいい、と言ったという。また、百合子自身も、自分に似合わない言葉や、きらいな言葉は使うまい、と心に決めていた。
 朝昼晩の食事メニューがいわば”定食”にもなっていた日記には、近くの店で買って来たまぐろを照り焼きにし、大根をおろすといった、ごく日常の光景が実にきめ細かく描写されている。五感で写しとったことをのびのびと直截的に表した文章に接すると、あたかも同じときに同じところに身を置いているかのように引き込まれていく。
「帰り、スタンドで売っている山芋を買うと、おじさんは『タダでやる』といってきかない。わるいから、なめ茸の瓶詰二個、ごぼう味噌漬など、買ってしまう。すると今度は、おでんを二皿『タダでやる』と言う。タダで食べる。おじさんは、そばに椅子を持ってきて腰かけて話をする」
 昭和40年(1965年)十月二十五日。四十歳。】

〜〜〜〜〜〜〜

 この『富士日記』は、随筆家・武田百合子さん(1925〜93)が、1964年から富士山麓の山荘(山梨県鳴沢村)での日常生活を、夫の武田泰淳さんが亡くなられる直前までの13年間にわたって綴ったものです。
 日本の現代日記文学における、ひとつの「金字塔」として知られる傑作なのですが、この日記には、別に何か特別すごい「歴史的な大事件」が書かれているわけではないんですよね。

 僕がこの『富士日記』の項を読んで印象に残ったのは、【日記を書くように勧めたとき、夫の泰淳はどんな風につけてもいいこと、何も書くことがなかったらその日に買ったものと天気だけでもいいこと、面白かったことやしたことがあったら書けばいい、と言った】という部分でした。言われてみれば、ごく当たり前の話ではあるのですが、「書くことがないから、ブログを続けられない」と悩んでいる人にとっては、かなり役に立つ話ではないかと思うのです。
 この本で紹介されている古今の「有名な日記」のなかで目立つのは、「筆者が日々食べているものを記録している日記がかなり多い」ということでした。大きなイベントや面白いエピソードが毎日起こるなんてことは、どんな有名人でもまずありえないと思うのですが、「買い物」「食事」というのは、生きているかぎりどんな人でも日々行っていることで、しかも、それを記録するだけで、けっこう日々の生活の貴重な記録になるのです。
 大きな買い物をした日、御馳走を食べた日、食事がのどを通らなかった日にも、それぞれの「理由」があるでしょうし、後から思い返してみたら、「ごくふつうの家族の夕食」がすごく貴重な時間だった、ということだってあるはずです。もちろん、書くことがたくさんある人は「食事の内容」をわざわざ記録する必要はないでしょうけど、「ブログをやってみたいけど、書くことがない」という人は、まず、「家計簿」や「食事記録」からはじめてみれば良いのではないでしょうか。それなら、「書くことがない日」は存在しないはずだから。
 その好例として、『食べたものを淡々を記録するよ』という有名なブログもありますし。

 実は、歴史研究家たちによると、そういう「淡々と記録してある日記」というのは、けっこう貴重なのだそうです。歴史的事件や宮廷料理のレシピなどの「記録」はたくさんあっても、その時代の「普通の生活(物価や日常食べていたもの、その製法など)」というのはなかなか正確なデータが残っていないものらしいので。

 もちろん、この『富士日記』のような作品が誰にだって書けるというわけではありませんが、そういう「文学的な評価」はさておき、書いてみてはじめてわかることって、けっこうたくさんあるのではないかと思いますしね。



2007年12月07日(金)
「本は捨てられない」という微妙な感情

『本棚探偵の回想』(喜国雅彦著・双葉文庫)より。

(「単行本のためのあとがき」の一部です)

【昔ほど、素直に「古本古本」と声高に言えなくなっています。ここに書いたとおり、出版不況の一因に「新古書店」の存在があげられているからです。僕の場合は「新刊書店で売っている本を安く買うため」ではなく「絶版になった本を見つけるため」に、そこを利用しているのですが「ではそこで新刊を買ったことは一度もないのか?」と問われれば「それはある」と答えざるをえません。「でもそれは昔のこと。今ほど状況が切迫していなかったから」という言い訳は、遠い外野から見れば意味を持ちません。あとは自分なりにどう折り合いをつけていくかです。
 そこでこうすることにしました。「とりあえず、新古書店には本を持っていかない」
 他で1000円で売っている本が300円で売っていたら、欲しくなるのは人情です。というか、そんなに欲しくなくても、つい買ってしまいます。そこで買った人はこう思います。
「700円儲けたぜ」
 この「儲かった感」が曲者なのです。これがあるから、人はギャンブルに手を出すし、大安売りには並んでしまいます。本当に欲しかったものかどうか、差し引き儲かったかどうかは問題になりません。儲かった感が残ればいいのです。そこで、新古書店について考えます。買うときは儲かったと思うけれど、売るときはどうでしょう。指が千切れるほどの重い荷を持っていって、買い取ってもらい「儲かった」と思うことがあるでしょうか? ほとんどの場合「え、たったそれだけ?」と思うはずです。
 小一時間かけて本を選んで、汗を流して、ガソリン代を使って、手にしたお金。時給に換算したら、幾らになるでしょう。そこで「儲かった」と思う人は少ないに違いありません。ではなぜ、人はわざわざそんなことをするのでしょうか? そこには「儲かった感」以外に重要なポイントがあるからだと思います。
 それは「本は捨てられない」という微妙な感情です。
 本が好きな人なら判るでしょう。本は物であって、物ではないのです。この気持ちがあるがゆえに、出版業にかかわっていて、新古書店の根絶を願っている人でさえ、意外に平気で新古書店に本を売ります。本が好きだから、本を邪険にできないから、捨てることができないから、です。そこが店の思うつぼです。環境保護という問題も、店側に味方しました。捨てるぐらいなら、ゴミになるなら、誰かの元に行ってほしい。そういう善意の心が結果的に某チェーン店に本を集めているような気がします。でも考えて下さい。すべての本が第二の所有者を持つワケではありません。というか、そんな幸福な本はわずかにすぎません。大部分の本は結局は資源ゴミとして回されるのです。自分が出すか、店が出すかの違いだけなのです。だから本を捨てることに臆病になる必要はないのです。
 というワケで、僕はいらなくなった本は資源ゴミに出します。表紙を破って。状態の良い本は回収業者が集めて、やっぱり新古書店に持って行きます。だから僕は表紙にカッターを入れます。売り物にできなくするために。それはとても悲しい行為です。だから思います。せめて自分の著作だけは「もうこの本いらないや」と思われないように、少しでも面白くしよう、と。】

〜〜〜〜〜〜〜

 この文章を読みながら、僕は岡田斗司夫さんが、『いつまでもデブだと思うなよ』の中で、「もったいないから目の前の食べ物を残さないで全部食べてしまうという人がいるけれど、一度自分が口をつけたものがアフリカの人に届くわけではないのだし、その食べ物の行き先が『自分で食べてさらに体を害する』のと『捨ててしまう』の二者択一しかないのなら、後者のほうがまだ『合理的』なのではないか?」と書かれていたことを思い出しました。まあ、古本をブッ●オフに売っても売った人が何か困るのかというと、そういうわけでもないどころか、幾ばくかのお金ももらえるわけですから、全く同じ話というわけではないんですけど。

 ただ、本当にすべての読者が「新古書店でしか本を買わない」というようになってしまっては、いつかは新しい本が出なくなってしまいますよね。そして、どんどん古くなっていく「昔出た本」が新古書店で循環されていくだけ、と世界になってしまう可能性だってあるわけです。一介の本好きでしかない僕にとっては実感が湧かない話なのですが、出版業界にとっては、「売れそうな本しか出せなくなってきている」のは確かなようです。「優れた作品を書いても食えない」ということになれば、作家や漫画家の質も落ちていく一方でしょう。

 しかしながら、僕もやっぱり「本を捨てられない人間」なんですよね。
 本を傷つけるのはしのびないし、さりとて、これ以上、本に部屋を占拠されたら生活するためのスペースが無くなってしまいます。引越しをするときなどは、まさに「本地獄」。引越しセンターの屈強な人々が本のギッシリ詰まったダンボールを持ち上げようとして苦悶の表情を浮かべているのを見るたびに、申し訳ないなあ、と思うのです。
 それで最近は、某ブッ●オフに本を持っていくことも多くなりました。
 実は、ブッ●オフで買い取ってもらうメリットというのは、「お金がもらえる」だけではないんですよね。
 都会ではどうかわからないのですが、田舎では、「多量の本を一度に捨てる」のは、けっこう大変。引き取ってくれる日は2週間に1回しかないとか、かなり遠い収集センターまで運んでいく必要があるとか、いろんな制限があります。
 ところが、ブッ●オフは、持ち込み(あるいは、出張買い取りを依頼)さえすれば、収集日じゃなくても、気軽に本を引き取ってくれる(どころか、お金まで払ってくれる)のです。
 それでも本を「捨てる」ほど、僕はブッ●オフを嫌いにはなれません。

 喜国さんが、「出版する側の人間」として、愛する本に自ら傷をつけてまで「新古書店に抵抗する」という姿勢はすごいと思います。でも、読書家の大部分である、「本は好きだけど、そんなに経済的な余裕もないし、新刊書店に操を立てる必要もない人」たちには、たぶん、そこまで「愛する本に対して、自分でけじめをつける」覚悟はないはず。「捨てられた犬がどこかで幸せになる可能性はものすごく低い」ことが頭ではわかっていても、捨てるのではなく自分で保健所に連れて行って「決着をつける」人が少ないのと同じように。
 そもそも、本をブッ●オフに売るのに、「飼い犬を捨てる」ような「罪悪感」を持つ人のほうが、圧倒的に少数派でしょうしね。

 「自分の読んだ本が、知らない誰かの手に渡って、その人を感動させる」というのは、新古書店に本を売る側のひとつの「ロマン」です。
 でもまあ、そういうのって、「少しでもお金にしたい」とか「ゴミの日に早起きして出しに行くのがめんどくさい」という自分の欲望や怠惰さに対するカモフラージュ、という面もあるのかもしれませんね。

 面白い新刊書が無くなってしまうのは困るんだけど……と思いつつ、結局ブッ●オフに本を多量に買い取ってもらっている僕のような「本好き」が、きっと、ブッ●オフを支えているんだろうなあ……



2007年12月04日(火)
『ポケットモンスター』を所持していると逮捕される国

『世界のとんでも法律集』(盛田則夫著・中公新書ラクレ)より。

【ポケットモンスターのカードを国内に持ち込むことは違法である。

                  [サウジアラビア・2001年宗教令]


 冗談のような宗教令に見えますが、そのままの言葉で効力を持つ、立派な法です。
 2001年3月27日。サウジアラビアのイスラム法最高権威者アブデルアジズ師が日本発のアニメ「ポケットモンスター」のすべてを禁止しました。国民がカードを持つこともビデオを見ることも、ぬいぐるみを持つことも禁止です。理由は、

(1)イスラムで禁止されている偶像崇拝にあたる。
(2)カード自体にギャンブル性があり、子どもたちに賭博行為を教えるものである。
(3)キャラクターが進化していくという設定は、進化論を否定するイスラムの立場からは受け入れられない間違った思想である。
(4)対立する宿敵であるユダヤ教のダビデの星そっくりのシンボルマークが登場する。

の4点。もし所持していることが判明した場合、当局によって拘束されます。
 イスラム諸国においては、「偶像崇拝」「賭博」「進化論」「ユダヤ教」じは悪魔の所業。ちょっとした軽犯罪ではすまず、非常に重い罰が下される可能性が高い行為なのです。】

〜〜〜〜〜〜〜

 子ども向けの玩具である『ポケモン』に、ここまで神経質にならなくても……と『ポケモン』の母国である日本で生まれ育った僕は思いますし、ここに書かれている「理由」も、かなり強引な解釈のように感じるのですけど、それはあくまでも「こちら側の考え方」でしかないんですよね。

 そういえば、イスラム圏では、映画『ロード・オブ・ザ・リング』も、「キリスト教的な世界観の作品」「冥王サウロンとその手下はイスラム世界の象徴であり、『アメリカの正義』をアピールしようとしている映画だ」ということで規制されたそうです。ペルシア軍を魑魅魍魎のように描いている『300(スリーハンドレッド)』などは、さすがにクレームがついてもしょうがないかな、とは思うのですが……

 この「イスラム世界からの見かた」というのは、日本人である僕からすれば違和感がものすごくあるのですけど、【(2)カード自体にギャンブル性があり、子どもたちに賭博行為を教えるものである】というような項目に関しては、けっして「間違い」ではないですよね。ああいうカードを持っているかいないかというのは、子どもたちにとっては「格差」というものを認識するきっかけにもなるでしょうし。
 逆に、日本やアメリカというのは、そういう「格差」に対して寛容な社会である、とも言えそうです。

 この法では、日本からサウジアラビアにやってきた子どもが、友達に『ポケモン』のカードをプレゼントするだけで、「当局に拘束」されることになるわけです。実際にそこまで厳格に運用されているのかはわかりませんが、『ポケモン』で遊ぶことすら許されないサウジアラビアの子どもたちは、どうやって遊んでいるのだろう?と、考え込んでしまう話ではありますね。
 向こう側からすれば、「こんな不謹慎なもので日本人の子どもは遊んでいるのか?」という感じなのかもしれませんが。



2007年12月03日(月)
「イギリスのユーモアの特徴は何だ?」

『誰だってズルしたい!』(東海林さだお著・文春文庫)より。

(巻末の東海林さだおさんと土屋賢二さんの特別対談「ユーモアはいじましい。」の一部です)

【東海林さだお:人を笑わせるような人はあんまり評価されない、(銀行などが)お金も貸してくれないというのは、日本のユーモアに対する評価ですね。イギリスなんかだと違う。

土屋賢二:イギリスは、特に政治家がみんなユーモアがあるんですよね。ユーモアのセンスが人間の最低条件みたいな大事なポイントになってますね。

東海林:日本では大事どころかマイナスポイントになる。ふざけた奴だとか誠実じゃないとか。

土屋:真面目さとか誠実さとユーモアのセンスは、相反するものじゃないんですけどね。たとえば、東海林さんが面白いことを書くからといって、誠実でも真面目でもないとは言えない。でも、誠実で真面目だとも言えない(笑)。

東海林:軽い奴だって評価はあるよ。

土屋:僕はそれも間違ってると思うんです。人間がどういうものを笑うかを考えると、テレビのコント見てても、病気とか失恋とか葬式とか、ものすごく大きい不幸があったり、耐えがたい出来事があったときを舞台にして笑ったりしますよね。ですから、深刻な部分を笑い飛ばそうとする人じゃないかと思う。

東海林:深刻な事態に負けない。

土屋:イギリスなんかでは、そういう能力が非常に尊重されているんですよ。第二次世界大戦中にヒトラーが英仏海峡を封鎖したときも、イギリスの新聞は見出しに「ヨーロッパ大陸が孤立した」と書いたんです。孤立したのはイギリスなんですけど(笑)。

東海林:へえ。

土屋:それ読んで、読者は笑わないだろうけど、そういう深刻な事態になっても屈しないよということを示してるんだろうと思う。

東海林:余裕があるよって。

土屋:そうそう。ユーモアのある人は、重大な事態に立ち至っても余裕がある人という評価になるわけですね。

東海林:日本なんか重大な事態のときにユーモアを発揮した政治家っていないでしょ?

土屋:ほとんどいないですね。僕はよく知らないですけど。

東海林:僕も知らないけど。

土屋:知らない同士で言うと、いないですね(笑)。

東海林:ゼロね。それ、恐いんです。

土屋:イギリスだと、ブレア首相みたいなおかしいこと言いそうもない顔した人でも、首相就任後の初めての選挙のとき「イギリスが抱えている問題は3つある。教育と教育と教育だ」と言ったりしますからね(笑)。

東海林:イギリスにそういうユーモアが生まれたのは、どういう土壌なんですか。

土屋:よくわからないです。ただ僕がイギリスで感じたのは、みんな、やっぱり強い人間を尊敬するみたいです。

東海林:チャーチルみたいな?

土屋:ええ。肉体的にだけじゃなくて、精神的にも強い人。どんな不幸な事態に立ち至っても挫けない人間。ですから、よく『007』で死ぬ間際にジョークを飛ばしたりしますよね。

東海林:はい。

土屋:で、いろんな人に「イギリスのユーモアの特徴は何だ?」と訊いたら「自分を笑う能力だ」って。日本だったら、政治家が悪口言われて名誉毀損で訴えたりするようなケースでも、イギリスでは言われた本人が笑ったりする。そう振る舞うぐらいの余裕のある人間じゃないと、軽蔑されてしまうんです。】

〜〜〜〜〜〜〜

 僕はこれを読みながら、「そういえば、ドリフのコントって、けっこう『深刻な事態』をネタにしたものが多かったよなあ」なんて考えていました。定番の「お葬式ネタ」なんて、かなり「不謹慎」ではありますよね。
 しかしながら、そういうシチュエーションだからこそ、「笑い」というのは生まれやすいという面もあるのでしょう。

 僕は正直なところ「イギリス人のユーモアのセンス」というのは今ひとつ理解できないところがありますし(『Mr. ビーン』とか、どこが面白いのかよくわからないです)、【第二次世界大戦中にヒトラーが英仏海峡を封鎖したときも、イギリスの新聞は見出しに「ヨーロッパ大陸が孤立した」と書いたんです。孤立したのはイギリスなんですけど】という話に対しても、これって一種の「大本営発表」みたいなもので、結果的にイギリスが戦争に勝ったから「笑い話」になっているだけなのではないかなあ、という気もするのです。
 まあ、書かれている内容は嘘ではないので、少なくとも多くのイギリス人は「実情」を知りながらも苦笑していたのでしょう。そして、そういう「余裕」こそが、イギリスを勝利に導いた面はあるのかもしれません。もちろん、そこには「最低限の精神的な余裕が持てるくらいの物質的な余裕」がまだまだあった、のだとしても。

 しかしながら、ここで「イギリス人のユーモアの特徴」として挙げられている「自分を笑う能力」というのは、実はとてもすばらしい「生きていく知恵」なのではないかと思うのです。お互いに悪口を言い合い、言葉尻をとらえあって、「揚げ足取りの応酬」になっている日本の国会などを見ていると、「そんなつまらないことはもういいから、ちゃんと仕事してくれよ」と言いたくなるんですよね。ああいうときに、「言われた本人が笑ってしまう」くらいの余裕があれば、悪口を言う側だって、逆に考え込んでしまうはずです。この相手の悪口を言っても、相手は受け流してしまうし、かえって自分の印象が悪くなるだけなのではないか、と。悪口を言われたら真っ赤になって言い返すほうが、「人間的」ではあるんでしょうけど、そんな人間は「タフ」だと認めてもらえないのです。

 【「イギリスが抱えている問題は3つある。教育と教育と教育だ」】とブレア首相が言ったという話を聞くと、イギリス人のユーモアに対する矜持はすばらしいけれど、個々のユーモアに関しては、そんなに日本とレベルが違うってわけではないような気もしますが。