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2004年03月31日(水)
「恵まれた市長の娘」に残された選択肢

山梨日日新聞の記事より。

【静岡県警は三十日、二十六日から行方不明になっていた同県磐田市の鈴木望市長の長女(22)=同市天竜=を山梨県内で保護した、と発表した。静岡、山梨両県警の調べによると、南都留郡富士河口湖町西湖の青木ケ原樹海を一人で歩いている長女を富岳風穴チケット販売所の男性職員(57)が見つけた。長女はかなり衰弱した様子だが、けがはないという。「連れ去られたのではなく、ずっと一人でいた」などと話しており、静岡県警は事件性はないと断定した。

 両県警の調べや販売所職員によると、長女は三十日午後五時十分ごろ、雨でずぶぬれになって青木ケ原樹海からはだしで出て来たところを販売所職員が発見。自分で職員から電話を借りて母親に連絡、通報を受けた静岡県警からの情報で、現場に駆け付けた富士吉田署員が保護した。

 販売所の事務室でバケツに入れた湯で足を洗った長女は「どうやって来たの」との男性職員の問い掛けに「分からない」などと答え動揺した様子だったという。長女は自ら母親に電話をかけたが「お母さん」と言った後、泣き崩れて言葉を発せられなかったことから、男性職員が電話を代わり居場所と連絡先を伝えた。男性職員が名前を尋ねたところ、小さな声でフルネームを答えたという。

 長女は十八日に関西の大学を卒業。二十七日からは就職が内定していた会社の研修に参加する予定だった。】

記事全文は、こちらからどうぞ。


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 このニュースを聞いての世間の反応は「無事でよかった」というのと「人騒がせな!」が半々、といったところではないでしょうか?僕自身もそんな感じではあったのですが。
 でも、この記事を読むと、なんだか僕はとてもせつなくなってしまったのです。ああ、この女性もきっと辛かったのだろうな、って。
 彼女は、関西の大学を卒業したばかりで、地元の浜松市に就職することになり、実家に戻っていたそうです。たぶん、いろんな不安があったのだと思います。
 失踪当日は地元の高校時代の友人と会うことになっていたそうですが、大学の4年間というのは大人としての人間関係の形成に大きく影響する時期です。大学時代の友人たちと離れて、「市長の娘」として地元企業に就職するというのは、たぶん、大きなプレッシャーがあったのではないでしょうか?
 その仕事が、彼女が本来やりたかったものかどうかはわかりませんが、いずれにしても「コネで入った」とか特別視される可能性だってあるでしょうし、誰からも後ろ指をさされないように、真面目に働いてみせないといけません。磐田市長自身が「市長の娘として、恥ずかしいことはするな」なんて口にしなくても、子供というのは、そういう「空気」みたいなものを敏感に感じ取ってしまう場合もあるのです。

 僕が通っていた医学部にも、「選ばれた人たち」はいました。彼らは「教授の息子」だったり、「大病院の娘」だったり、さまざまな背景を持って、医学部までやってきたのです。中には「恵まれた人生」とやらを謳歌していたように見える者もいましたが、多くは「自分の選択」について、悩みを抱えていた記憶があります。
 医者の子供というのは、子供の頃から「お医者さんになるんでしょ?」なんて近所のオバサンに言われたり、親戚から「医者の子だから、成績が良いのは当たり前」なんて決め付けられたり、親からは「医学部に行くんだよね?」というような暗黙の進路決定がなされていたりする場合が多いのです。最終的には自分で決めた道のはずなのだけど「レールに乗って生きている人」と他人に思われる辛さというのは、やはり、他人には理解しがたいものだという気がします。
 本当はみんな、レールから外れて生きていく自信がなかったり、周囲の期待を裏切って生きるという選択をする勇気がなかったりして、必死にレールにしがみついているだけなのに。

 僕は、彼女が自分でもよくわからないまま失踪してしまった気持ち、なんとなくわかるような気がするのです。親が敷いてくれた(と他人には思われているであろう)レールの上をこのまま進んでいくことへの疑問と、そのことを親や周囲の人に直接ぶつけられない「良い子」である自分へのもどかしさ。「市長の娘なんだから」と言われ続けるプレッシャー。
 本当に「人騒がせな、傲慢な人間」なら、こんなことにはならなかったはず。もっと違う方法で、自分の思い通りにしたり、発散したりもできただろうから。
 たぶん彼女には「この方法しかなかった」んですよね。

 何の面識もない方ですが「とりあえず、生きていてくれてよかった」と僕は思っているのです。

 こんな時代もあったねと、いつか笑える日がくるさ。
 いつかきっと、僕も、あなたも。



2004年03月30日(火)
いつか、ししおどしの音が聴こえてくる部屋で。

サンケイスポーツの記事より。

【タレント、明石家さんま(48)が歌手、森進一(56)の紹介で20代の社長令嬢とお見合していたことが29日、わかった。

 30日発売の「女性自身」が報じている。それによると、5日放送のフジテレビ系「さんまのまんま」で、ゲスト出演した森に「女、紹介しておくんなはれや」と懇願したことがきっかけ。律儀な森は、収録翌日に「探してきました」と連絡してきた。お相手は20代の美人社長令嬢で、先月都内で森を含めた3人で食事した。もっともその後の関西ローカル番組では、前妻の女優、大竹しのぶ(46)との間に生まれたいまるちゃん(14)が20歳になるまで再婚する踏ん切りがつかないことも吐露している。

 昨年9月には、「さんまのまんま」の特番で飯島直子(36)に「とりあえず半年間同棲しよう」とアプローチするなど、50歳を目前に控え真剣に結婚を考えている節も窺えたが。はたして真相は?】

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 僕はこの年までお見合いというのをやったことはないのですが(ずっと付き合っている人がいますから、礼儀として、さすがにちょっとね)、なんとなく、憧れみたいなものはあるのです。日本庭園が眼前に広がる和室で、ししおどしの「カッコン」という音を聴きながら、「あの…ご趣味は?」なんて和服のお嬢さんと会話するなんて、ちょっと憧れてしまいます。
 「あとは若いものに任せて…」なんて仲人さんがいなくなってしまって、お互いに照れながら「どうしましょうか…」なんて顔を見合わせるふたり。
 くーっ、いいなあお見合い!

 妄想モードに入ってしまい、大変失礼いたしました。まあ、最近のお見合いは、そんな「和」の心溢れるものではなくて、セッティングだけやってホテルのロビーで当人たちが直接待ち合わせ、なんて形式も増えているみたいですね。確かに、そのほうが気楽だろうし、仲人さんが職場の偉い人だったりすると「断りたくても断り難い」という状況にもなりますし。

 ところで、細かいことを言うようですが、この森進一さんの紹介でのさんまさんの「お見合い」って、本当に「お見合い」なんでしょうか?単に「森さんと社長令嬢の3人で食事をした」だけのような気もするのですが。確かに「友達紹介という形式のお見合い」もあるみたいなんですけどね。
 
 いや、僕だってお見合いの釣書の写真が深津絵里さんだったら、思わず「会う!」って言うでしょうが、「相手が本気だと思えないようなお見合い」というのは、やっぱりやりにくいかも。自分は相手のことを知っていて、相手は自分のことを全然知らないって状況は、お見合いとしてはどうなんでしょうか。いきなり「明石屋さんまと結婚する気ない?」とか聞かれたら、現実だとは思えないよなあ。

 いろんな人の話を聞いてみると、最近は「結婚する相手がいないからお見合い」という場合と「条件が合う人のなかで相手を見つけるためにお見合い」という、2つのパターンがあるみたいです。むしろ、「ポジティブなお見合い」が増えているのだとか。

 それにしても、森さんは律儀な人ですよね。さんまさんの「女、紹介しておくんなはれや」って、「結婚相手」とは、ちょっとニュアンスが違うような気もするんですが。もし遊ばれちゃったらどうするの?とか心配してみたり。

 僕は正直、今でも一度くらいやってみたいんですけどね、ししおどしカッコン。
 それでも、相手が深津さんだったら絶対隠しカメラを探すと思う!



2004年03月29日(月)
その『一声』が、すべてを変える。

日刊スポーツの記事「日曜日のヒーロー」、3月21日分の高橋英樹さんのインタビュー記事より。

【夫婦仲をよくする秘けつは「尊敬と信頼と感謝」と語る。家にいる時は2人で絶え間なく会話している。

 高橋「どんな時でも『ありがとう』という言葉を言うように心がけています。仕事を終えて帰宅すると『お疲れさま』。私が『待っててくれてありがとう』。当然、分かっていても言葉にしないと伝わらないでしょ。『ありがとう』と言うのに1秒もかかりません。1秒を惜しんでどうすんのよということですよ。

 そんなおしどり夫婦も30年間に2度けんかしたことがある。

 高橋「結婚して7年後に子供が生まれ、子育て論でちょっと。妻も子育てで疲れていたのかも。もう1回は結婚1年後。違う家庭で育ったから習慣が違い、互いに遠慮があったんですね。朝食がまるで旅館の食事のように酢の物、煮物、焼き魚と並ぶんです。申し訳ないからと全部食べると、妻は足りないのかと思って翌朝、一品増やしてるんですよ。我慢して全部食べてましたが、1年後に苦しくなってぶつかりました」。 】

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 挨拶って大事なんだなあ、と僕は仕事をはじめてから、やっとわかるようになった気がします。今でも、道を歩いていて、知らない近所の人に笑顔で挨拶、なんて芸当はできませんが。
 この高橋さんの「ありがとう」って言うのに、一秒もかからないじゃないか、それを惜しんでどうする!という言葉は、なかなかいいなあ、と思います。
 僕の大学時代の先輩に、外食をしに行ったあと、「ごちそうさま」と必ず店員さんに一声かけて店を出る人がいました。引っ込み思案の僕としては、正直「どうしてそんなことができるんだろう?」と考えてしまって、ある日、先輩に聞いてみたのです。そうすると、返ってきた答えは、「俺もこういう店でバイトしてたから、一声かけてくれるとすごく嬉しいのって、わかるからね。『ごちそうさん』の一言で、全然違うもんだよ。」というものでした。
 それで、実際に僕もやってみる練習をしたのです。もちろん、最初はうまく声にならなかったりもしましたけど。
 僕は「他人から気を遣われていることに、自分で気を遣ってしまう」というタイプの人間なので、あまり常連扱いとかされるのは好きではないのですが、そうやって、一声かけるようにすることで、逆にラクになったところがたくさんあるような気がします。
 それまでは、お釣りをもらって店を出るまで、なんとなく居場所がない感じがしたのですが、そういうふうに一声かけることによって、「自分の立ち位置」ができるような気がするのです。店を出るタイミングもできるし。

 そういうのって、うまく言葉にするのは難しいのですが、英語で言うところの”a”と”the”の違い、とでも言えばいいのでしょうか。
 人間にとって、「自分に関係のない人間」というのは、基本的に単なる風景の一部です。しかし、一声かけられて、そこに繋がりが生まれることによって、その人を「人間」として認識するようになるのです。
 「挨拶をする」「一声かける」というのは、相手に「この人は人間だから、人間として扱わなくてはならない」と認識させるという効果もあるのではないでしょうか。
 「挨拶をすることによって、自分が主導権を握れる」という感覚。
 逆に、どんなに仲の良い夫婦であっても、こういう物理的な刺激によって、お互いが”the"であることを再認識していかないと、少しずつ「風景」になっていくのかもしれません。

 年を取り、お互いに慣れが生じると「言葉をかけることの大切さ」というのは、見失いがちになるものです。「言わなくてもわかるよね」って。そういう関係というのは、とても気楽なものではありますし。
 でも、そんな中でも、ときには「言葉で伝える」っていうことが、必要なのだと思います。
 高橋さんのインタビューの後半にあるように、愛し合って結婚したはずの夫婦で、お互いに相手を思いやっている結果のはずなのに、すれ違いを生んでしまうことだってあるわけですから。
 だいたい、「言わなくてもわかってるはず」って他人に対しては思い込みがちなのにもかかわらず、自分が言葉をかけられないと「ひょっとして、何か気に障るようなことをやったのかな…」なんて、つい考えてしまうんですよね…

 それにしても高橋さん、毎日おかずが一品ずつ増えていったら、一年後はさぞかし凄いことになっていたのでは。

 まあ、わかっていても、その『一声』がなかなか出ないのが、僕も含めて「普通の人」なのだと思います。「自分にはできない」って決めつける前に、日頃から意識しないとダメなんですね、きっと。



2004年03月28日(日)
「知る」ということは、自分が変わるということ。

「バカの壁」(養老孟司著・新潮新書)より。

【自分で1年考えて出てきた結論は、「知るということは根本的にはガンの告知だ」ということでした。学生には、「君たちだってガンになることがある。ガンになって、治療法がなくて、あと半年の命だよと言われることがある。そうしたら、あそこで咲いている花が違って見えるだろう」と話してみます。
 この話は非常にわかり易いようで、学生にも通じる。そのぐらいのイマジネーションは彼らだって持っている。
 その桜が違って見えた段階で、去年までどういう思いであの桜を見ていたか考えてみろ。多分、思い出せない。では、桜が変わったのか。そうではない。それは自分が変わったということに過ぎない。知るというのはそういうことなのです。
 知るということは、自分がガラッと変わることです。したがって、世界がまったく変わってしまう。見え方が変わってしまう。それが昨日までと殆ど同じ世界でも。】

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 「知る」ということが、はたして人間を幸せにするのかどうか?「バカの壁」のこの部分を読んで、僕はそんなことを考えてしまいました。
 まあ、「ガンになる」という体験は、一生のうちに何度も経験することではありませんし、僕も実体験はないのですが(ないならないに越したことはないですよね)、例えば、学生時代に気になっていた女の子が「○○先輩と付き合っている」という話を聞いたあと、その女の子が違ってみえるような感じなのかな、と想像しました。

 養老さんは、この本の中で「現代人は、それぞれの人間の『個性』というものは不変のもので、まわりの環境が変わっていくものだと思っているようだが、実際には周りのものはほぼ不変で、それを受け取る人間の「感じ方」が変わっていくのだ、と語られています。
 もちろん、時代によって変化するものというのはたくさんあるのでしょうが、確かに「自分は不変である」というのは、単なる思い込みなのかもしれないなあ、と思うのです。
 子供の頃の自分と今の自分は、さまざまなことに関する考え方が変わってきていますしね。ドリフのコントを観て「バカだなあ、面白いなあ」と思っていた僕が、今同じものを観て感じることは「上手いなあ、この間の取り方が素晴らしい」とか「懐かしいなあ」だったりするわけですし。観ているのは、多少の映像や音の劣化があるとしても、同じ映像のはずなのに。

 医師という仕事をやっていると、「知ることの面白さ」と同時に「知ることの怖さ」を感じることも多いのです。「知ること」によって、何か対応ができる場合はともかく、まだ若い患者さんの治療不可能なガンを発見して、思い悩むこともありますし。「病気のことがわかっていいねえ」なんて言われても、むしろ「ああ、病気って怖いねえ」と素直に忌避して、「今の自分には関係ないこと」にできないというのは、気が重くなることだってあります。
 万能の天才と言われたミケランジェロは、晩年まで「自分には、まだ知りたいこと、できることがたくさんあるのに、とにかくそれをやる時間が無いんだ…」と思い悩んでいたと言います。「知っている」「できる」から幸せ、というわけでは、きっとないのでしょう。「知っている」からこそ、満足できないこともある。
 松井秀喜選手は僕よりはるかに野球が上手ですが、現実には松井選手なりの「野球に対する悩み」があって、それは、投げればフォアボール、打てば三振の僕の悩みよりも、はるかに深いものかもしれないのです。

 「知る」というのは、本当は、自分を不幸な方角に向けることなのかもしれない。他の国の生活を知らなければ、北朝鮮の人々だって、そんなに「不幸」ではないのでしょうし。

 それでも、「知っている」という優越感は、何事にも換え難いところがあるんですよね。それで人は、常に自分を「更新」しようとし続けてしまう。
 「人間」というOSは、アップデートしすぎて、かえって不安定でセキュリティホールだらけなのかも。



2004年03月27日(土)
「理由なき批判よ、ありがとう。」

時事通信の記事より。

【1985年10月に始まったテレビ朝日系の報道番組「ニュースステーション」が26日、最終回を迎え、キャスターの久米宏さん(59)は、番組の最後に「厳しい批判、激しい抗議も受けた。中には理由なき批判もたくさんあったが、そういう人が大勢いたからこそ続けられた。ありがとう」などと別れのあいさつをした。
 久米さんは「日本の民放は戦後生まれで、国民を戦争に向かってミスリードしたことはない。これからもそういうことがないことを祈っている」とコメント。その上で関係者への感謝の言葉を述べた後、手酌でコップにビールをついで一気飲みし、「お別れです。さようなら」と締めくくった。】

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 僕はこの久米さんの挨拶、リアルタイムでは観られなかったのですが、家に帰って録画したものを観ながら、なんだかとてもしんみりしてしまいました、なんのかんの言って、18年半も続いている番組ですし、当時からやっている番組なんて、「サザエさん」と「笑点」くらい。
 ところで、この最後のコメントで僕が考えさせられたのは、久米さん「厳しい批判、激しい抗議も受けた。中には理由なき批判もたくさんあったが、そういう人が大勢いたからこそ続けられた。ありがとう」という部分でした。確かに、あれだけの人気番組でしたし、いろいろ問題もありました。でも、どうしてあえて「理由なき批判」というのに言及したのでしょうか?

 こういうふうにWEBで文章を書いていると、僕くらいのマイナーな立場でも、いろいろな批判や抗議を受けることもあります。その中には「その指摘はもっともだ…」と僕を反省されるものがある一方で、「どこにそんなことが書いてあるんだろう…」と書いた本人の僕が首をかしげるようなものや、明らかに思いこみや先入観に支配されて、誹謗中傷をするような内容のものもありますし、単に「どこかに怒りをぶつけたくて、投げた石が偶然僕のところに飛んできた」というようなものもあるのです。
 でも、僕はそういうものに「感謝」しているかというと、かなわんなあ…と思いつつ溜息をつくくらいが関の山、なんですけどね。

 本当は、久米さんやテレビ朝日のスタッフも、辛いことはたくさんあったのだと思います。「理由なき批判」(例えば、「調子に乗るな」みたいなものですよね、きっと)に対して、「なんでそんな言いがかりを!」と憤ったこともしばしばあったのでしょう。
 ただ、そういうことは、たぶん「何かをやろうとする人」にとっては避けて通れない道であり、スタッフは「こんな誹謗中傷には負けない!」という怒りのエネルギーをバネにしたり、「ベクトルは違うけど、とりあえずわざわざ抗議しようと思うくらい一生懸命観ている人がいる」というようにプラス思考に変えたりして、ずっとやってきたんだろうなあ。
 もちろん「仕事だから」という面もあるのでしょうけど。

 僕は、少なくとも「誹謗中傷する人」よりは、「誹謗中傷される人」でありたいと思います(いや、積極的に「責めろ!」って言っているわけじゃないですよ。そんな趣味はない)。

 まあ、久米さんのことだから、「こういうふうに言ったら、誹謗中傷してた奴らは、きっと悔しがるだろうなあ、ふふふ」とか内心考えていたのかもしれませんが。
 「誹謗中傷好きの人」にとっては、この「言ってくれてありがとう」というのは、一番言われて悔しい言葉なのかな、とも思いますしね。



2004年03月26日(金)
「ニュースステーション」の時代

スポーツニッポンの記事より。

【テレビ朝日の看板報道番組「ニュースステーション」が、26日夜の放送で幕を閉じる。85年10月の開始から18年半。26日の放送終盤では、番組を支えた久米宏キャスター(59)がお茶の間に何らかのコメントを発表するとみられる。

 今週の「Nステ」は、これまでの名場面など交えて18年間を振り返る総決算モード。最終回では「セレモニー的な演出は考えていないが、本人から何らかのコメントをしていただけると思う」(早河洋・編成制作局長)。久米氏のラストメッセージに注目が集まる。

 日航ジャンボ機墜落事故があった85年、NHKの独壇場だった大型報道番組のジャンルに挑戦した「Nステ」。午後10時台を週5日間ぶち抜く大胆編成、外部制作会社を重用した制作手法、久米氏を司会者に見立てた構成などで、新しい報道番組の形を示した。

 当初苦戦した視聴率も、翌86年のフィリピン政変、ベルリンの壁崩壊などで急伸。「中学生にも分かりやすく」という久米氏の“物言う”キャスターぶりも注目され、TBS「ニュース22プライムタイム」「筑紫哲也ニュース23」など、伝え手が主張するライバル番組が生まれた。

 一方、00年10月には久米氏が「長い間ありがとうございました」と言い残し一時降板する騒動も。政治、選挙報道をめぐる自民党周辺とのあつれきもしばしば表面化。瞬発的な発言が物議をかもすこともあった。

 テレビ朝日の広瀬道貞社長は「時間をかけ、今までにない形のニュース番組を提供できた。久米さんの話し方には天才的なものがあった」とコメント。「Nステ」の足跡を財産に、午後10時台は古舘伊知郎(49)らの「報道ステーション」に一新する。】

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 最近はすっかり、「お騒がせ番組」みたいになってしまっていた「ニュースステーション」ですが、僕は、この番組がはじまった頃のことを今でも覚えています。
 テレビ朝日が、月曜日から金曜日まで午後10時代をすべて使って新しいニュース番組を始める、というのは、当時はすごく話題になったものでした。
 メインキャスターに久米宏というのも、斬新な起用というイメージがありましたし。
 18年番組を続けてきた今となっては、視聴者どころか本人までもマンネリになってしまった観のあるキャスター・久米宏ですが、「ニュースステーション」開始前は、「ザ・ベストテン」とか「ぴったしカンカン」などでの軽妙な喋りで知られた、エンターテインメント系のアナウンサーだったわけですから。
 「ニュースステーション」の少し前に、故横山やすしさんと「TVスクランブル」というニュースへのツッコミ番組に出られてはいたのですが、僕たちの中では、まだまだ「久米宏がニュースキャスター?」という感じだったのです。
 だいたい、それまでのニュースキャスターといえば、なるべく正確にニュースを伝えるためだけの「真面目な語り部」でしたから、女性問題で謹慎したことさえある久米さんの起用というのは、本当に驚くべきことで。「この番組、どのくらいもつんだろう?」なんて、囁かれていましたっけ。確か、開始直後はなかなか視聴率が上がらず、苦しい時代もあったような記憶もあります。「ニュースステーション」は、放送開始の時点では「権力」ではなく、むしろ「挑戦者」だったのです。

 「ニュースステーション」は、当初の不調にも負けず、終わりませんでした。それどころか、久米さんの「自分が思ったことを即座に口にする」という新しいキャスター像が次第に支持されていって「他のニュースはつまらないけど、ニュースステーションは面白い」という人が沢山出てきました。僕は広島ファンだったので、久米さんが番組内でカープを応援してくれたときには、ものすごく嬉しかった記憶がありますし。マイナー球団のファンにとっては、そういうのって忘れられないんだよなあ。
 それに、「スペシャル」も、少なくとも最初のころは映像が美しくて、「観てよかったなあ」と思うものが多かったし。ちょうどベルリンの壁崩壊、などで、「ニュースな時代」でもあったのです。

 ダイオキシン報道や自民党との軋轢、先日の障害者問題と、長く続いて、影響力が大きくなった分だけ問題も多かった番組ではありますが、この番組が日本の報道番組に与えた影響は、良くも悪くも巨大なものだと思います。「ニュースステーション」までは、司会者が自分の言葉を口にするのはタブーだとされていたのに、今ではごく当たり前の光景になってしまいましたし。

 あれから18年。中学生だった僕は30過ぎのオジサンになってしまいましたし、画面の向こうの久米さんの髪にも白いものが目立ちます。
 激動する世界に胸を躍らせた僕はごく平凡な大人になり、当初はたどたどしくも勢いだけはあった久米さんの司会も、最近は恬淡としている印象すらありました。
 18年間の「日常」という意味では、ドリフの「全員集合」より長かったんですよね、しかも土日を除く毎日。久米さん自身だって、こんなに続くとは夢にも思っていなかったはず。

 功罪いろいろあるのでしょうが、僕にとって、この18年間は、ニュースといえば「ニュースステーション」でした。
 まだ今夜の最終回の放送がありますが、とりあえず、18年間おつかれさまでした。



2004年03月25日(木)
関西人は「白い巨塔」がお好き?

サンケイスポーツの記事より。

【23日に放送されたSMAP・草なぎ剛(29)主演のフジテレビ系「僕と彼女と彼女の生きる道」の最終回の視聴率が、全12回で最高となる27.1%(ビデオリサーチ、関東地区調べ)を記録したことが24日、分かった。
 同作は草なぎ扮する無感動のエリートサラリーマンが、長女の成長とともに優しさと温もりに目覚めていく人間ドラマ。放送当初から、心の変化をうまく表現した草なぎの演技力が高く評価されたようだ。関西地区では29.5%を記録した。】

共同通信の記事2つ。
【22日夜に放送された、木村拓哉さん主演のフジテレビ系連続ドラマ「プライド」最終回の視聴率は、関東地区で28・8%、関西地区で27・2%だったことが23日、ビデオリサーチの調べで分かった。
 瞬間最高視聴率は、番組終盤に関東で33・2%。関西で31・5%を記録。全11回の平均視聴率は関東地区が25・1%、関西地区が26・1%だった。
 番組は、SMAPの木村さんが1年ぶりにドラマで主演。実業団のアイスホッケー部を舞台に恋や友情を描いた。】

【18日にフジテレビ系で放送された人気ドラマ「白い巨塔」の最終回視聴率が、関東地区で32・1%、関西地区で39・9%を記録したことが19日、ビデオリサーチ(東京)の調べで分かった。1978年に田宮二郎さん主演の前作が最終回で記録した31・4%を超えた。
 特に主人公の財前五郎教授が亡くなった終盤近くの午後11時すぎには、関東地区で36・9%の瞬間最高視聴率を記録。ドラマの舞台となった関西地区では45・7%に達した。
 今回の「白い巨塔」は唐沢寿明さんの主演で昨年10月から約半年間にわたって放送され、全21回を通じての平均視聴率は関東地区で23・9%、関西地区で26・0%だった。】

参考リンク:『れんドラ110』

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 今期のテレビドラマは、好調な作品が多かったようで、とくにSMAPのメンバー主演のものと「白い巨塔」の視聴率は、かなり頻回に話題になりました。僕自身は、「白い巨塔」以外のドラマは、ほとんど観ていないのですけど。

 ところで、こうして3つほどテレビドラマの視聴率の記事を並べてみたのですが、実は、前から疑問に感じていたことがあるのです。
 それは、「どうして、関東と関西、別々に集計しているのだろう?」ということ。
 確かにスポーツ中継とかなら、そのチームがフランチャイズの地域であれは当然視聴率がいいだろうし、そうでなければ視聴率は落ちるだろうと思うのですが、テレビドラマなどでは、そんなに違いはないと予測していたのですが。
 これが、けっこう違いがあるんですよね。

 上に挙げた3つのドラマでは、「プライド」だけが関東優位で、「白い巨塔」と「僕と彼女と…」は、関西のほうが視聴率が上でした。僕はこれを見て、「話題になるドラマを観たがる関東人」「人情モノに弱い関西人」とか、「やっぱり、白い巨塔は、浪速大学が舞台(某O阪大学がモデル、なんて言われていますが)だからかなあ…」なんて考えたのです。しかし、「白い巨塔」の登場人物で、コテコテの関西人は西田敏行が演じていた財前の義父だけだったような気もするんですけど。「舞台が関西」というだけで、ここまで視聴率が違うものなのでしょうか?関東と関西で8%も違うなんて…

 ただ、参考リンクの「連ドラ110」でこの3ヶ月分を調べてみると、「僕と彼女と…」は、だいたい関西優位なのですが、関東・関西に大きな違いはない程度、「プライド」も、回によっては、関西優位の場合もあったようです。「白い巨塔」だけは、終始「関西の視聴率の方が、圧倒的に高い」という傾向がありましたが。
 その他のドラマについては、「砂の器」も東西同じくらいだし(ただし、全体的にドラマは関西のほうが若干視聴率が高めなので、「砂の器」は関東ウケしているのかもしれません)、他のドラマも、もともと視聴率がそんなに高くないものが多いのもあって、目だった東西の違いはありませんでした。

 正直「地元意識」というのが希薄な僕にはどうにもよくわからないのですが、こんなに「白い巨塔」が関西ウケしているのは、やっぱり舞台が関西だからなのでしょうか?ドラマとしては、西田敏行の喋り言葉くらいなのに。「地元が舞台」というのは、ここまで視聴意欲をそそるものなのかと、疑問でなりません。
 「白い巨塔」は、ドラマ自体も面白かったとは思うけど、どうしてこんなに違いが出たのでしょうか?
 「地元意識」だけで説明できるものなのかな、これって。



2004年03月24日(水)
「週刊文春」の自作自演商法と「報道の自由」

共同通信の記事より。

【田中真紀子前外相の長女に関する記事で出版禁止の仮処分命令を受けた「週刊文春」が、25日発売の4月1日号で「長女が『純然たる私人』とは考えていない」と主張し、裁判所決定に強く抗議する特集を組んだことが、24日明らかになった。
 「裁判所には負けない」と銘打った特集は約45ページ。評論家、立花隆氏の緊急寄稿、詳細な検証記事、各界著名人35人のコメント、編集長見解などで構成した。部数は約83万部。
 検証記事は今回の経過を時系列で示し「通常の取材活動と比べると、取材範囲を極力狭めている」とプライバシーへの配慮を説明。長女が前外相の選挙運動や外遊などに同行したことなどを挙げ「田中家の政治家が公私を厳格に峻別(しゅんべつ)してきたとは到底言えない」としている。】

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 なんだか、これって「週刊文春」の自作自演なのではないか、という気がしてきたのですが。「裁判所には負けない」って言われても、裁判所だって、好きでこんな事件に関わっているわけじゃないでしょうし、せめて「田中家の圧力には負けない」くらいのほうが良いのでは。
 ちなみに、83万部という部数は、「週刊文春」は「公称77万部」だそうですから、いつもより漸増という感じです。
 彼らが言うところの「田中家の長女は私人ではない」という点は、確かに一理あるような気もします。とはいえ、件の記事を読んだ僕の感想は「そんなことをわざわざ『週刊文春』が、ページを割いて記事にする必要があるの?」というものでした。
 要約すると、【田中真紀子さんの長女が真紀子さんの反対を押し切って結婚したが、夫の海外赴任中に、夫が出張で家を空けることが多いことなどですれ違いが大きくなり、結婚して1年くらいで離婚された】というものです。
 うーん、この話そのものについては、「ああ、いきなり新婚で海外赴任、しかも夫がいない生活なんて、大変だったろうなあ、まあ、それですれ違いがあって離婚というのは、ありがちな話だ…」としか思えないのですが。

 正直、こんなありふれた離婚が週刊誌に載ってしまうなんて、有名人はたまらないよなあ、なんて。「離婚」というのは、どう考えてもプライベートなことですし、それを報道することに「公共性」があるとは思えません。
 
 「田中家の政治家が公私を厳格に峻別(しゅんべつ)してきたとは到底言えない」というのは、確かにその通りです。でも、だからといって、マスコミまで「公私を厳格に峻別しない記事」を載せてもいい、ということにはならないはず。それ以前に、こんなことを報道する価値があるの?ということを考えてしまいますし、こんなつまらないことで「報道の自由」「言論の自由」という、メディアが拠って立つ源を振りかざすのは、傍から見ると「権利の濫用」にしか見えないのです。政治家の汚職とか企業の問題ならともかく。
 もちろん現場の人間にとっては「ここで妥協したら、なし崩し的に『報道の自由』が奪われてしまうのではないか」という危機感もあるのでしょう。「田中家だから許されないのか?」という思いもきっとあるのだと思いますが。

 でもね、これは「田中家だから許されない」というよりは、今までは「そうやって傷つけてきた相手が、抵抗する手段を持たない弱い人々だったから」なのかもしれませんよ。

 「田中家だから報道できない」のではなくて、「田中家でも報道してはダメなものはダメ」なのです。この記事そのものは、本当は、こんなふうに話題にならなければ、みんな読み飛ばす程度の「つまらない記事」なのに。

 メディアはもっと「報道の自由」という権利を自分たちで大事にするべきです。そうしないと、いくら「狼が来たぞ!」と叫んでも、誰も信じなくなりますよ。
 だいたい、「公私を厳格に峻別(しゅんべつ)してきたとは到底言えない」というのは、マスコミにだってあてはまることで、スポンサーやジャニーズ事務所に対しては、「プライバシーを尊重している」のでしょうか?
 そういう「オトナの事情」があるのもわかりますし、メディアが伝えてくれることによって、僕たちが知ることができることも、たくさんあるのは百も承知の上ではあるのだけど。
 そして、医者や警察官がそうであるように、マスコミ人の多くは良心的な人であると信じたいのですが。

 僕は、田中真紀子さんのことは大嫌いです。政治家としては全く見識がないし、故田中角栄氏が戦後の日本の政治家のうちで唯一「本物の平民出身」の総理大臣であるにもかかわらず(そして、それが田中角栄という政治家の最大の魅力なのに)、「家柄」とか「血筋」とか言っている、つまらない人だと思います。
 でも、この記事は、ちょっとあんまりなのではないでしょうか?
 「違法」となった場合に読んだ人の記憶から、記事のすべてを消すことができれば、「出版差し止め」をやる必要はないんでしょうけど。
 どう考えても、「書かれる側」に比べて、「書く側」は無責任で、リスクが少ないのですから。

 映画「MIB(メン・イン・ブラック)」の記憶を消す「ピカッ」ってやつがあれば、ねえ。
 



2004年03月23日(火)
これだけは許してもらいたい、男女不平等な施設

共同通信の記事より。

【「坊っちゃん湯」を男女平等に−。夏目漱石の小説「坊っちゃん」に登場する道後温泉本館(松山市)の改築計画を検討している松山市の諮問委員会は22日、男湯3室、女湯2室の本館の浴室を、男女2室ずつとする方針をまとめ中村時広市長に報告書を提出した。女湯の湯船も従来より広くする。
 市観光施設経営管理課によると、延べ約1600平方メートル、木造3階建ての本館は築100年以上経過し老朽化が激しいため、改築に向け2004年度から設計計画を立てることにし、諮問委員会が基本的な方針を協議。
 男性客より女性客が来館する傾向が高まっているため、浴室数、スペースとも男湯の方が“優遇”されている現状を改め、男女間に格差がないようにした。
 同経営管理課の担当者は「女性客が増えており、ニーズに応えることにした」としている。】

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 確かに、女性には温泉好きが多いようですし(というか、僕の周囲では、男の「温泉好き」って、あんまり耳にしないような…)、一般的に女性のほうが温泉に行ってもお風呂に入っている時間が長いような気がしますから、この改装は政界でしょう。別に「男女平等」とか言わなくても、純粋に営業戦略としても。
 逆に、最近の僕の印象では、女性用の浴室のほうが、キレイだったり、いろんな種類の温泉があるんじゃないかなあ、なんて思うくらいですし。
 明らかに女性のお客さん目当ての造りのところもありますしね。

 まあ、時代に即した改築で、これはこれで良いのでしょう。「男女平等」とはいえ、一部の混浴のスペースを除いては男と女が一緒に入るってわけにもいかないし、ニーズに合わせての改築は妥当なところです。100年以上の建物が無くなってしまうのは歴史的には寂しいですが、それも安全性などを考えたらいたしかたないところ。

 しかし、僕はこういう「男女平等」で、ひとつ考え直してもらいたいところがあるのです。
 それは、「どうしてどこも、女子トイレの数があんなに少ないのか?」ということ。あるいは、「男女平等な数が設置してある」のかもしれませんが。
 ちょっとしたイベントなどの際には、男子トイレにだって行列ができることがりますが、それでも「何十分も待たされた」ような記憶はほとんどありません。さまざまなファクターで、女性のひとり平均のトイレ使用時間は男性より長いだろうし、おそらく個室を作るのには、男性用の小用便器1個よりはるかにコストがかかるのでしょうけど、だからといって、あそこまでの行列ができるくらい数が少ないというのは、どうにかならないのかなあ、と。それには、使う側の「せっかく自分の順番なのだから…」という意識もあるのかもしれませんが。男子の小用の場合、他にやることはないわけですから。

 でも、あの行列って、本当に困りますよね。僕は男ですが、連れがあの渋滞にハマってしまったりすると、やっぱり気が気ではありません。「もう少しではじまるのに…」なんていうこともしばしばだし、「花火を観に行ったつもりが、トイレに並びに行ったようなもの」なんてこともあります。
 もちろん、並んでいる女性たちほど、切実な思いではないのかもしれませんが…

 というわけで、男女不平等でもいいですから、公共の場での女子トイレ、もう少し増やしていただけないものでしょうか?
 たぶん、男にとっても女にとっても、そのほうがいいんじゃないかなあ。



2004年03月22日(月)
「ハルウララは、走りたくて走っているんじゃない!」

毎日新聞の記事より。

【高知競馬でデビュー以来の105連敗中のハルウララ号(牝、8歳)は22日、中央競馬の武豊騎手が騎乗、第10レースに臨んだが11頭中10着に終わった。

 この日は天才騎手と超人気馬の「夢の顔合わせ」を見ようとファンが早朝から続々と詰めかけ、高知市長浜の高知競馬場には新記録の1万3000人が入場した。全国の地方競馬場や場外馬券売り場でも「武・ウララ」馬券を買い求める人の列ができ、オッズは一時、1.0倍となった。

 レースは雨を含んだ馬場で行われ、重馬場得意のハルウララの初勝利も期待されたが、スタートから後方のまま。武騎手のムチにも反応が悪く、直線でも伸びなかった。

 勝てないのに、懸命に走り続ける姿が人気を呼んだハルウララ号に「1度は勝利を」と、別の馬に乗るため高知競馬場に来る予定だった武騎手に高知県競馬組合が依頼して騎乗が実現した。一般の競馬ファンの関心も集めたが「夢の初勝利」は達成できなかった。】

ハルウララについての、作家・安倍譲二さんの話(SANSPO.COM)
【「開門前に3000人並んだというが、どんな人たちなのか知りたい。若者に貴重な月曜日をつぶしてほしくない。アザラシのタマちゃんと同じで、高知競馬の人しか知らなかったはずなのに、ハルウララ人気のあおり方は目に余る。8歳のハルウララが今後走れなくなり、繁殖牝馬として牧場にも行けなくなった時にどうなるか、現実をメディアは知らせていない。『負けても負けても走る』というが、ハルウララは走りたくて走っているんじゃない」】

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ハルウララについて、前回書いたものはコチラ

 天才・武豊とのコンビで悲願の初勝利を期待された、希代の連敗馬・ハルウララだったのですが、まさに、「何の見せ場もない惨敗」を喫してしまいました。「武豊が乗ってもダメなのか…」という嘆き節もありましたが、競馬をずっと観てきた人間からすれば、慣れない高知競馬場で、初騎乗の馬、しかも105連敗中で実力に疑問符、という状態では、いくら天才騎手でも、いたしかたないところだったのではないでしょうか。むしろ、「怪我なく回って来られて良かった」と一安心しているかも。元来、競馬は馬7、人3もしくは、馬8、人2の割合で結果が決まると言われており、騎手の実力だけではいかんともしがたいものですし。そもそも、高知競馬場でレースをやる限りは、地元の騎手のほうがコースにも慣れているし、馬の特徴も知っていますから、結果を出しやすいのでは?なんて気もするんですけどね。

 まあ、これでとりあえず、「祭り」のひとつのピークは終わりました。「武豊にエスコートされ、悲願の初勝利をあげるハルウララ」、という夢は、打ち砕かれたのです。世間的には、「もうこれで、ハルウララは勝てないだろうな」というのが、大部分の人の「結論」でしょう。

 競馬関係者、あるいは、古くからの競馬ファンの中には、「弱いくせに人気になる」ハルウララに対して、苦々しい思いをしている人も少なくないようで、僕も「このハルウララ人気のあおり方は目に余る」という気持ちを持っていました。みんなマスコミに踊らされているいるだけなんだろ?って。ハルウララが生まれた牧場の人などは、周りに「あの連敗馬を生産したのは、あなたの牧場なんだって?」いうことで、仲間内では肩身の狭い思いをしているらしいですし。

 でも、その一方で、今朝の記事によると、「1年間のトータルで赤字になったら、即廃止」という厳しい状況にある高知競馬にとっては、ハルウララは、まさに救世主のようです。今日の開催だけで、3億円の売り上げ、なんて予想も出ており、おかげで、当面の売り上げ目標はクリアできそうなのだとか。
 「みんな流行りモノにすぐ飛びついて」と言いたいところなのですが、ハルウララ人気のおかげで、少なくとも高知競馬が廃止されれば行き場がなくなるであろう馬たちの命が、少しでも延びたのは紛れもない事実です。「走りたくて走ってるんじゃない」のは、別にハルウララに限ったことでもないわけで、ナリタブライアンだって、「走ったら強かった」だけで、本当は走りたくなかったのかもしれないし。「競馬なんて動物愛護の精神に反する」というのなら、話はわかるのだけど、サラブレッドたちにとっては、「走るしかない」のが現実なのですし、あまりに走ることに特化しすぎたサラブレッドたちは、野生に戻って生きていけるほどの生命力はないのです。

 高知競馬自体も、正直なところ、「自分たちが生き延びるのに必死」な状態なのでしょう。「競馬の本質に反する」とか「マスコミに煽られて」なんて言われても、生きるか死ぬかの状態で、ハルウララという極楽に繋がっていそうな蜘蛛の糸が垂れてくれば、それにしがみつくのは当然のことです。少なくとも、その「生き延びようとする企業努力」を責められる資格がある人が、そんなに沢山いるとは思えません。

 ハルウララは、また惨敗してしまいました。「弱い馬」であるのは、まちがいない。
 でも、今日のレース、僕は「競馬はそんなに甘くない」と思いつつも、心のどこかで、「武豊にエスコートされての、106戦目での奇跡の初勝利」を期待していたような気がします。そういう「信じられないような奇跡」をごくたまにでも、見せてくれるのが競馬の魅力なのです。
 そして、そういう「奇跡が見られるのではないか?」というワクワクするような気持ちを一瞬でも感じられるのも、競馬の素晴らしいところなわけで。今日は1日、このレースの結果が気になって仕方がありませんでした。
 …たとえ、夢が破れて現実を思い知らされることになったとしても。

 ハルウララの馬券を買った人たちは、たぶん「夢」を買ったのです。外れることを半分は承知の上で。

 しかしながら、ハルウララは、高知競馬にとっては「延命策」ではあっても、根治療法ではありません。ブームが去れば、また競馬場には閑古鳥が鳴くでしょう。ハルウララ自身は、競技用の乗馬に転向する予定で、命を奪われることはないにしても。
 たぶん、日本にはこんなにたくさん、競馬場は要らないのでしょう。
 でも、生まれてしまった以上、生き延びるためには、やれるだけのことをやるしかない。そこには、働く人もいれば、馬たちもいるのですから。
 ハルウララをきっかけに、地方競馬にも興味を持つ人が少しでも増えてくれればいいのですが…
 
 競馬というのは残酷です。
 でも、だからこそみんな、その生命の一瞬の輝きに惹きつけられるのかな、とも思うのです。
 
 まあ、ハルウララの「商品価値」からすれば、「武豊が乗っても勝てない」ほうが、結果的にはいいんじゃないでしょうか。「ひとつ勝ったら、ただの弱い馬」になってしまうかもしれないし。
武豊騎手は、ヘタクソ呼ばわりされてちょっとかわいそうですけど。

 個人的には、もう引退させてあげたい気もしますが、今の高知競馬の現状では、なかなか難しいでしょうね。
 もう、彼女が背負わされているのは「1勝への夢」だけじゃなくなっているからなあ…
 今となっては、身近な関係者だって「走らせたくて走らせているんじゃない」のかもしれません。



2004年03月21日(日)
「テレビ時代」のドリフターズ

「だめだこりゃ」(いかりや長介著・新潮文庫)より。

(いかりや長介さんが「笑い」について書かれたものをいくつか)

【いまからおもえば当たり前のことのようだが、「テレビにおける笑いの芸」ということについて、まだ誰も気づいていなかったのだ。テレビでの笑いは、古典落語のように「あいつの『らくだ』は、いつ聞いてもいいね」とはならない世界なのだ。飽きられるのが早く、常に新鮮さを求められる。

(中略)

 テレビの消化力の強さを、テレビ局の人間も気づいていなかったとおもう。同じネタでも、違う局の番組でやれば、その局のスタッフははじめて見るネタだから、彼らにはウケるのだ。芸人は「あ、まだウケる」とおもってしまう。芸人は同じネタでいい、局の視聴率稼げるからありがたい、お互いに「これはおいしいぞ」とおもっていただろう。ところが、見る側からすれば、チャンネルが4でも6でも8でも10でも同じこと、「あ、また同じネタだ」となるだけだ。これは早晩飽きられるなと気づいた。
 よし、ジャズ喫茶もテレビも一緒だ、ドリフは新ネタを武器にしようと決めた。】

【「いかりやは作家の台本をまるで採用しない」「ディレクターを信用しない」「全部一人でやりたがる独裁者」「鬼だ、蛇だ」「金をかすめとってんじゃねえか?」という風評が立った。何をかいわんや、である。私はいつでもネタに追われていた。追いまくられていた。ゼエゼエいっていた。フーフーいっていた。ネタを書き、舞台にのせるまでつくりあげる作業を他人にやってもらえるなら、こんなに楽なことはない。
 だが、作家の書いてくる本、ディレクターのつける演出は、それぞれよく考えられてはいたが、やはり「頭で」考えられたものにすぎない場合が多く、そのまま客の前にかけられるものではなかった。だからどうしても、一度分解し、再構築する作業が必要になったのだ。我々、演じ手は失敗すると次の日から街を歩けなくなる恐怖が常にあった。「ウケないかもしれないけどやるだけやってみようよ」というようなネタではダメなのだ。一度こっきりの生本番なのだ。「この次」がないのだ。裏方と演じ手の危機感の違いがそこにあったのだと思う。】

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 僕は、かねがね疑問に思っていたのです。
 どうして、「お笑い」の人たちは、テレビのレギュラー番組などでは、「狂言回し」の役になってしまって、自分たちのネタを披露することがほとんどないのだろう?って。
 でも、こうして「ドリフターズのリーダーでありブレーン」であったいかりやさんの言葉を読むと、「テレビの消費力の怖さ」をあらためて感じました。
 舞台であれば、その場のお客さんだけを相手にすればいいわけですから、練りに練ったネタを繰り返し演ってもみんな喜んでくれるでしょう。その代わり、一度にたくさんの人を笑わせることはできませんが。
 でも、テレビで一度やったネタは、もう「どこかで観たことがあるネタ」になってしまうんですよね。
 芸人にとっては、「テレビでネタをやること」というのは、大きなチャンスであると同時に「商売のタネをひとつ潰してしまう」ことでもあるのでしょう。
 ドリフターズは、昨日書いた、いかりやさんの述懐にもあったように「特別の才能を持たない人間の集団」だった(と、当時のいかりやさんは認識していた)ために、「消費されても、常に新しいネタを出し続ける」ということを武器にして、テレビ時代を生き抜いてきたのです。
 それを16年間も毎週続けてきたというのは、ある意味奇跡的なこと、なのかもしれません。
 ドリフターズの「笑い」というのは、ほとんど「計算された笑い」でした。コント55号がアドリブ(あるいはアクシデント)を得意にしていた野に対して、「自分たちには才能が無い」と感じていたいかりやさんは、「とにかく考えて、計算していく」ことによって、対抗していくことにしたのです。
 萩本欽一さんは「素人いじり」を得意にしていましたが、僕の記憶では、ドリフのステージに素人が上がったのを見たことがありません(いわゆる地方の「営業」とかでは、どうだったかはわかりませんが)。「笑い」に関しては素人の芸能人も出演していましたが、ネタについては、かなり入念にリハーサルをやっていたみたいですし、要所要所はメンバーが締めるようになっていました。

 いかりやさんは、本当に「真面目に笑いと向き合っていた人」なのだなあ、とあらためて感じます。そして、16年間、自分の中の臆病な面とも闘っていたのだろうなあ、と。「独善者」「鬼」「蛇」なんて言われながら、ずっと「テレビに出るのが怖かった普通の人」という一面を持ち続けてきたのでしょう。

 いかりやさんの訃報を聞いたとき、僕はちょっと不謹慎ながら、「最初はグー、またまたグー、いかりやちょーすけ、頭はパー」というギャグを思い出しました。
 あの頃は、本当に「いかりや長介の頭はパー」だと思っていたのにね。



2004年03月20日(土)
憎むべき、そして愛すべきリーダー、いかりや長介

「だめだこりゃ」(いかりや長介著・新潮文庫)より。

【私は長男で、上に相談に乗ってくれるきょうだいはいなかった。なぜかわからないけれど、いつも私が何かを決定しなけらばならない立場に立たされてきた。静岡でのバンドのときもそうだった。ジミー時田のところにいたときも、リーダーではなかったのに、そういう立場になってしまった。外部との交渉係・渉外担当。何かの決定役はいつも私だった。ドリフターズでも、オーナーの桜井氏がフェードアウトして、結局、責任者みたいになった。】

【ドリフを始めたときは、誰一人として、まさかドリフの名前を墓場にまで持っていくことになるとはおもわなかったはずだ。
 すべては成り行きだった。偶然だった。
 誰一人、ずば抜けた才能を持つメンバーはいなかった。他人を蹴落としてまで芸能界で生き抜いていこう、という根性の持ち主もいなかった。テレビに出始めた頃に「クレイジーキャッツみたいになろう」とおもったくらいで、確固たる目標すらなかった。
 ドリフターという言葉を英語の辞書でひけば、流れ者とか漂流物と書いてある。私たちは名前通り、漂流物のように潮の流れるままに流されてきたのだとおもう。】

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 今日、いかりや長介さんの訃報を聞きました。
 1969年に始まった「8時だョ!全員集合」を観て育った、1971年生まれの僕にとっては、親の世代にとって、長嶋さんが太陽であったように、ドリフターズは太陽だったのです。もっとも、この太陽は、子供にとっては「今週もバカなことやってるなあ!」なんて笑わせてくれる、尊敬、というより共感の対象だったのですが。

 ドリフターズのなかで、いかりや長介という人は、ある意味異質な存在だったような気がします。5人(僕は荒井注さんがメンバーだった時代の記憶がほとんどありませんから、荒井さんが脱退して、志村けんさんが加わってからの5人とさせてください)のなかで、いつもいかりやさんは、学校の先生だったり、会社の課長だったり、部隊の隊長だったりと、リーダー役を務めていたのです。
 そして、「いつも偉そうにみんなをガミガミ怒っているダミ声のオジサン」に、他の普段はイジメられている4人のメンバーがいかに反撃するかというのが、ドリフのコントの見せ場だった記憶があります。子供にとっては、いかりやさんは、いわば学校の先生や親のような「権力の象徴」のような存在だったわけです。
 ですから、いかりやさんがコントのなかで他のメンバーにやりこめられる姿は、当時の僕には、とてもとても爽快なものでした。

 逆に考えれば、いかりやさんはそういう「イジメ役」をドリフターズのなかで一身に担って、狂言回しに徹してきたとも言えるのでしょう。そして、この「偉そうなオジサン」が、ドリフがやっていた「面白いこと」の大部分を脚本家として一生懸命考えており、金銭と名声を得てバラバラになろうするドリフターズのなかで、口うるさいまでの情熱で他のメンバーを引っ張ってきたという事実を僕が知ったのは、つい最近のことです。

 独善的で、口うるさくて、礼儀にこだわり、妥協を知らず、自分に厳しく、おせっかいやき。
 「全員集合」での彼は、子供の僕には、むしろ憎たらしいほどの存在だったのですが、今から考えると、「いかりや長介」というのは、僕たちにとっての「父親像」とか「リーダー像」のひとつの典型例であり、ある意味理想だったのかもしれません。

 自分は難しい顔をしながら、他人を笑わせることに命を削った男。
 享年72歳。けっして「若すぎる死」ではないかもしれない。それでも、まだまだこれからの人だったような気がするのです。

 またひとり「昭和の愛すべき頑固おやじ」が、この世を去りました。
 さよなら、長さん。
 さよなら、僕たちのドリフターズ。



2004年03月19日(金)
大声では歌えない「君が代」

「Irregular Expression(3/19)」で取り上げられていた、朝日新聞の社説(3/18)より。

【卒業式と入学式の季節がやってきた。思い出を胸に刻んで旅立ち、新たな出発をする節目の行事である。

 ところが、この時期になると、決まってうっとうしいことが起こる。日の丸掲揚と君が代斉唱を徹底させようという動きが年ごとに強まっているからだ。
 突出しているのが東京都教育委員会だ。卒業式や入学式で日の丸に向かって起立せず、君が代を歌わない生徒の多い学校を特別に調査する方針を決めた。担任らの日頃の言動を調べ、生徒の行動に影響を与えたと判断すれば、教師を処分する。
 国旗を掲げ国歌を歌わせるのに、そんなことまでする必要があるのだろうか。どう考えても、都教委のやり方はいきすぎだ。
 卒業式や入学式は本来、生徒たちのためにあるはずだ。日の丸に向かって起立することに抵抗感を持つ生徒もいるだろうし、君が代の歌詞に違和感を持つ生徒もいるだろう。教師や仲間と議論し、自分の判断で、立たなかったり歌わなかったりするならば、それはそれでいいではないか。
 学校や生徒の自主性を生かそうという教育改革が進められてきた。国旗と国歌に限って、なにがなんでも一律の方針を押しつけるのは自己矛盾というものだろう。
 しかし、文部科学省は学習指導要領に基づき、国旗掲揚・国歌斉唱を徹底するよう求め、毎年、実際に学校で実施されたかどうかを調べている。各地の教育委員会も処分を掲げて締めつけを強めた。もはや強制しているとしかいいようがない。

 だが、むりやり起立させ、歌わせても国旗や国歌への理解が深まるわけでない。
 サッカー場で日本代表を応援する人たちが日の丸を振り、君が代を歌う。そうしたことが国旗や国歌の自然なあり方だ。
 卒業式や入学式は子どもたちにとって大切な思い出になる。大人たちが不毛な対立を持ち込むのはもうやめにしたい。】


社説の全文はコチラです。できれば全部読んでいただいたほうが良いと思います。

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 ちょっと長い引用になってしまいました。
 現在30を少し過ぎた僕は、「君が代」というのをまともに歌ったことがありません。だいたい、中学校や高校の式典などで、大声を張り上げて国歌や校歌を歌う生徒なんて、皆無だった記憶があるのですが。周りも全然歌わないし、せいぜい口パク。ああ、そういえばヘンな替え歌が流行ったときは、みんな替え歌のほうは大声で歌っていたかなあ。

 僕は、小学校くらいのころから、この「君が代」という歌が理解不能でした。というか、なんでこんなものを民主国家の一般市民である僕たちが歌わされなければならないの?って。
 「君」とは天皇陛下のことなのですが、まとめてしまえば「天皇陛下の御世が長い間続きますように」という内容の辛気臭いメロディの歌をなんで歌わされるのか?と。
 僕は別に天皇制を今の時点で廃止するべきだなんて思いませんが、だからといって、「臣下ではない」はずの僕たちが、とくに好きでも嫌いでもない人の応援歌を歌わされるというのは、どうも合点がいかなくて。
 ですから、スポーツの大会などで、胸を張って国歌を聴いているアメリカの選手たちを観ると、なんだかとても羨ましく感じました。あっちのテーマソングは、カッコよくていいなあ、って。

 「日の丸・君が代」というのは、「反戦」のひとつのキーワードとされてきました。「あの旗のもとに侵略戦争が…」というトラウマが、「国旗・国歌アレルギー」となって、根強く残っているのです。それこそ、「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」というやつなのでしょうし、まあある意味では、そういう考えすぎなくらいの「平和主義」というのが、戦後の日本の平和を支えてきた面もあると思うのです。なんのかんの言っても、僕もそういう教育を受けてきた世代ですから、やっぱり、「日の丸・君が代」には身構えてしまうし、最初に思い出すのは右翼の街宣車。

【だが、むりやり起立させ、歌わせても国旗や国歌への理解が深まるわけでない。
サッカー場で日本代表を応援する人たちが日の丸を振り、君が代を歌う。そうしたことが国旗や国歌の自然なあり方だ。 】

 朝日新聞の人はこう書かれているのですが、逆に僕は、今でも不思議でならないのです。どうしてあの人たちは、サッカー場にいると、あんなに抵抗無く「君が代」を大声で歌ったり、「日の丸」を振ったりできるんだろう?って。彼らも卒業式で「君が代」をあんなに熱唱したりは絶対にしないはずなのに。心情的には、どちらかというと「日の丸」というのは単なるシンプルなデザインの「記号」だと思いますから、あんまりこだわりはないんですけど、「君が代」って、現代日本の国歌として相応しいと思う?
 「サッカーの応援歌」としてなら大声で歌えて、卒業式で歌うのをみんな恥ずかしがるのが「国歌の自然なあり方」なの?
 ああいうふうに、「サッカーの試合だから、テンション上げていこーぜ!君が代だってなんだって歌ってやるぜ!」というのが、本当の「愛国心」なんでしょうか?
 僕は、そういう国民性って、ちょっと怖いなあ、という気がしているのです。
 もちろん、ああいう形でのストレス発散も悪いことではないのだけれど、みんなが歌っていれば、サッカーの応援だからということで「天皇陛下の歌」を大声で唱和してしまったり、ワールドカップで予選を突破したからって、暴動を起こしてしまうような日本人。みんながやるなら、自分もやる。それでいいのか?

 本当は、もっと現代の日本人が自然に受け入れられるような「国歌」があってしかるべきなのではないかなあ、と僕は思います。国歌だからとって、歌詞に納得できない歌を大声で歌うのはイヤだし、もちろん、「サッカーの応援だから」という理由でもイヤです。

 「君が代」自体に罪はないのです、きっと。でも、サッカーの応援ごときで、そんなに簡単にいろんなことに妥協してもいいのかなあ。

 だいたい、独裁国家というのは、国威発揚のために、スポーツ振興に力を入れたりするものだしね…



2004年03月18日(木)
思い返せば、覚えているのはロクデモナイことばかり。

「読もう!コミックビーム」(桜玉吉著・エンターブレイン)のあとがき(筆者は「コミックビーム」編集長・奥村勝彦さん)より。

【しかしまあ、たかが8年と4ヶ月の間に、いろいろあったもんだ。著者(桜玉吉さん)にしてからが、2度にわたる長期連載離脱、さらに本来、作家にとって頼れる存在である編集の広瀬(ヒロポン)が、ヒューズを3度ほど飛ばし、滅茶苦茶だった。ついでに言っとくと本書の原稿の管理も滅茶苦茶だった。
 不思議な事に思い返せば、覚えているのはロクデモナイことばっかだなあ。
 イイことだって少しはあったはずなのに、ちっとも記憶に残ってない。
 もしかしたら本当に楽しいことはロクデモナイことなのかもしれんな。】

〜〜〜〜〜〜〜

 僕はこの文章を読んで、なんだかしみじみと「そうかもしれないなあ…」なんて思ってしまいました。本当に、「覚えているのはロクデモナイことばっかり」だな、って。
 卒業シーズン真っ盛りなわけですが、僕が大学を卒業してから、もう8年になります。あんまり優秀でもなく、さりとて悪いことを率先してやれるほどのバイタリティもなかった僕にとっては、大学時代がとくに楽しいものだという印象はありませんでした。
 少なくとも、卒業した時点では。

 でも、こうして時間が経つにつれ、なんだか、あの頃はすごくいい時代だったような気がしてくるのです。部活の試合で結果が出せなくて部室でひとり落ちこんでいたこととか、試験明けに徹夜でラーメンを食べにいったこととか、後輩とご飯を食べに行ったら、道に迷った挙句に山奥でガス欠になりそうになって、真夏にクーラーも消して必死に運転したこととか…
 ああ、「いい時代」とかいいながら、思い出すことは、やっぱり「ロクデモナイこと」ばかり。

 本当に不思議なものです。当時の僕は、そんなロクデモナイことに一喜一憂して、毎日を過ごしていたんですから。もちろん、楽しかったことだって、記憶にはあるんですが、その楽しかったことには、いつも「バカバカしいような失敗」とかが一緒についてきているのです。友達と旅行に行った話では誰かが財布を失くしていたり、当時好きだった人のことを思い出せば、記憶に残っているのは、なぜか男と一緒に歩いているのを偶然見た場面だったり。
 でも、久々に会った旧友と飲みながら話して盛り上がるのは、そんな「ロクデモナイこと」ばっかりなんですよね。

 本当に楽しいのは、確かに「ロクデモナイこと」なのかもしれません。そして、本当に大事な人は、「ロクデモナイこと」を一緒にやってくれた人なのかも。
 少なくとも僕は、過去の栄光を自慢げに語る人よりも、過去の「ロクデモないこと」を照れながら話す人のほうが好きです。
 たぶん僕も「ロクデモナイ人間」なのでしょう。

 でもね、それはなぜか、とても温かくて優しい記憶なんだよ。



2004年03月17日(水)
「オンリーワン」になれない、和光大学の悲劇

共同通信の記事より。

【和光大学(東京都町田市)がオウム真理教松本智津夫被告(49)=教祖名麻原彰晃、東京地裁で死刑判決を受け控訴=の三女(20)に対し、いったん入試合格を通知しながら「平穏な環境を守れない」などとして入学不許可を決めていたことが15日、分かった。
 同大の三橋修学長は「当人が学内外で特異な存在になる一方、他の学生が平穏に学ぶ機会を奪う可能性もある。苦渋の決断だが社会的批判もあり得ると思っている」と説明している。
 同大の説明などによると、三女は和光大人間関係学部を受験し、大学入試センター試験の成績でいったんは合格を通知。その後提出された家族構成などの書類から父親のことが判明したため、同大が入学許可を保留して検討していた。
 その結果同大は入学不許可を決め、12日に「現時点では諸般の事情により本学に迎えることができないという結論になった。ご寛恕(かんじょ)ください」との文書を郵送した。】

〜〜〜〜〜〜〜

 僕は今日の昼間に、ちょうどこのニュースをテレビで観ていたのですが、在学生の「入学拒否はおかしい」とか、「不安もあるし、仕方がない」というようなインタビューのあとに、コメンテーターが、「こんなの(入学拒否)大学として失格だ!」と憤っていたのを観て、「理想としては、そうだけどなあ…」と思いつつも、「ご寛恕ください」という文書を送った大学側の心境も、わからなくはないような気がしました。
 「学問の城」である大学は、そういう社会的に疎外された人間を差別せずに受け入れる、というのが理想なのでしょうけど。

 ちょっと下世話な話になりますが、ヤフーで調べたところ、三女さんが受験した和光大学人間関係学部というのは、全学生数が4000人足らずで、偏差値が50くらい。テレビでの報道によると、「こじんまりとしてはいるけれど、生徒の個性を活かせる教育」をモットーにしているそうです。
 でも、その「こじんまりとした大学」にとって、今回のことは、正直「降って湧いたような災難」かもしれません。インタビューに答えた生徒の一人が答えていたように(今は、オウムとは離れて元信者の世話になっているらしいのですが)、「やっぱり、不安」という気持ちになる人はいるでしょう。ただでさえ、大学時代というのは、いろいろな「仲間作り」の皮を被った宗教的なものに染まりやすい時期でもありますし。「関わらなければいい」のかもしれませんが、それでも「巻き込まれたくない」というのは、当然の心情なのではないでしょうか。

 でも、この話を聞いて、僕は「仮にこれが東大や京大、早稲田・慶応だったら、この三女さんを受け入れたのではないかなあ」と思いました。いや、これらの有名大学は、別にとりたててリベラルなところではないかもしれませんし、度量がある、というわけでもないでしょうけど。
 だって、「この三女がいるから、和光大学には行かない!」という受験生がいても、「この三女がいるから、東大には行かない!」という受験生は、まずいないと思うから。
 悲しい話ですが、和光大学がいくら個性をうたってみたところで、受験生にとっては"one of them"の大学です。「ココにしか受からない」ということがあるかもしれませんが、大部分の受験生にとっては、「和光大学に絶対行きたい!」という選び方よりは、「自分の偏差値では、このへんかな…」というような選び方をされることが多い大学でしょう。和光大学にちょっとマイナス要因があれば(オウムの教祖の娘がいる、なんて、格好の「マイナス要因」ですよね)、「じゃあ、他の大学にしようかな」と思われるだけでしょう。同じような大学は、沢山あるのですし。
 もちろん、卒業生・在校生にとっては、愛すべき母校であることは、まちがいないのですが…
 
 ちょっと前に「ラルク・アン・シエル」というバンドが、「ビジュアル系」と言われたことに抗議して、NHKに出演拒否をしました。そのとき僕が思ったのは、「自己主張をするには、ある程度『力』が必要なんだな…」という虚無感だったのです。だって、全然売れてない、視聴率を稼げない芸能人がそんなふうに「抗議の出演拒否」をしてみても、NHKは、「それなら、別にいいよ」と他の人を出演させるだけでしょうから。

 「ご寛恕ください」というのは、日本語としては、自己の否を認め、相手に「赦し」を求める、かなり高レベルの謝罪の言葉です。平謝り、という感じ。
 僕は大学勤めをしていましたが、大学の辞令なんて、普通は字面だけみれば、「○○殿」を「○○に任ずる」とか「○○を供与する」というような、素っ気なくて、偉そうな言葉ばかりなのに。
 今回の決断は、「どこにでもある、中堅大学のひとつ」の和光大学としては、苦汁に満ちたものだったのでしょうし、「学問の城としての名誉を護るべきだ!」という意見もあったのだと思います。しかしながら、大学の経営とか、なにかトラブルがあったときの対応とかを考えると、やっぱり難しかったんでしょうね。
 僕も「そんな覚悟もなく、大学なんて偉そうにやってるのか」と思う一方で、多くの学生や教職員の生活を支えている「大学」というものを考えると、「それも、仕方なかったのかな…」という気もするのです。
 こういうときに「事なかれ主義」に陥らざるをえないのは、「オンリーワン」ではない存在の、悲しき宿命。

 まあ、書面だけで判断せずに、入学させてみてから判断してもよかったんじゃないかな、とは思うんですけどねえ。それもキレイ事、なのかな…
 



2004年03月16日(火)
高橋尚子選手に、伝えたい言葉。

日刊スポーツの記事より。

【アテネ五輪マラソンの女子代表に高橋尚子選手(31)が落選したことを受け、父良明さん(62)は勤務先の岐阜県関市の幼稚園で会見し、「尚子もアテネに行きたがっていたので、行かせてやりたかった」と残念そうに話しながらも「生身の人間には喜びばかりではないことも分かったので、さらに一回り成長してほしい」とエールを送った。

 また、岐阜市の自宅でテレビで落選を知った母滋子さんはインターホン越しに「今はお話しすることはありません」と言葉少なだったが、高橋選手に対し「(いつか)道は開けると伝えたい」ときっぱりと話した。】

〜〜〜〜〜〜〜

 僕は、高橋尚子選手の大ファンというわけではないんですが、昨日の「落選会見」を観ていたら、なんだかとても悲しくなってしまいました。
 今までは、僕とほとんど同世代の高橋選手に対して、あの年で「監督、監督」と小出監督ベッタリなのは、ちょっと気持ち悪いなあ、とか、なんか優等生すぎるよなあ、なんて、どうも好きになれないところが多かったんですけどね。
 昨日、悔しさとか悲しさを押し殺してインタビューにキチンと答える姿に、たぶん、代表に選ばれた他の選手たちも救われたのではないでしょうか。

 彼女は今、31歳。ランナーとしては、けっして高齢すぎるというわけではありませんが、少なくとも、これからどんどん力をつけていく、というコンディションではないでしょう。次のオリンピック、という言葉が昨日の会見で出なかったことからも(もちろん、あの状況ではそんな能天気なことは、口にできる雰囲気ではなかったでしょうが)、少なくても「結果を出せる選手」としての選手寿命は、それほど残っていないのではないかと思います。
 2000年にシドニーで金メダルを獲得してからこの3年半、彼女はさまざまなプレッシャーと戦ってきました。そして、社会的名声もお金も得て、普通の人間であれば、もう走ることに対してモチベーションが無くなるのではないかと思われるような状況の中、ずっと走り続けてきたのです。
 20代後半から30代前半というのは、人生において、ひとつの「転機」となりうる時期だと思うのですが、その大事な4年間、彼女はただひたすら走り続けてきたわけで。
 いろんな娯楽、勉強、恋愛、それに、画面の向こうの彼女を観ながら僕がやっていたような、ゴロゴロしてボーっと過ごすような気楽な時間…
 そんなものを沢山犠牲にして、高橋選手は走り続けてきたのです。
 もちろん、その犠牲は誰かに強制されたものではないでしょうし、他の代表選手だって、たくさんのものを犠牲にして、オリンピックに出場することに賭けてきたはずです。そして、その陰には、「残念とすら報道もされないような、高橋尚子になれなかったランナーたち」も。
 そういう意味では、「金メダルを取って、好きな陸上をやって生活できる」という高橋選手は、恵まれすぎている存在なのかもしれませんが。

 僕は、この御両親の話を読んで、どんなに有名になっても、親は親なんだなあ、と感じました。もちろん、ここに書いてあるのは「外向きの公式発言」であって、本音としては、「そろそろのんびりさせてあげたい」というような気持ちだってあるんじゃないかな、と思います。
 その中でとくに「一回り成長してもらいたい」「道は開ける」という言葉に、僕は最初、不思議な印象を受けました。だって、高橋尚子という人は、「世界最高のランナー」なのですし、今の年齢からいっても上がり目はそんなにないはずなのに。
 「これ以上、成長しようがないんじゃない?」「どこに道があるんだろう?」とか思ってみたり。

 でも、おそらく御両親の真意は違うんですよね、きっと。
 昔、14歳の岩崎恭子さんが、水泳で金メダルを獲得したときに「今まで生きてきたなかで、いちばん幸せ」と発言したのを、当時21歳だった僕は、微笑ましい気持ちで聞いていました。「14歳で、『今まで生きてきた中で』なんて語るなよ」って。
 僕は今、こんなことを考えます。
 「岩崎さんは、あれからの12年間で、『今まで生きてきた中で、いちばん幸せ』って感じた瞬間が、一度でもあったのだろうか?」って。
 普通の人は、オリンピックで金メダルを取る快感なんて味わう機会はないでしょうし、一度でもそんな快感を味わえれば十分じゃないか、なんて思う一方、14歳がピークで、それ以降が「余生」である人生は、ちょっと寂しいんじゃないかな、とも感じるのです。

 高橋尚子選手だって、死ぬまで陸上を続けることは可能かもしれませんが、競技者としての時間は、もう残り少ないでしょう。
 そういう意味では、これもひとつの「転機」なのかもしれません。

 マラソン7戦6勝、2着1回。シドニーオリンピック金メダリスト。元世界記録保持者。
 高橋尚子選手、あなたは凄いランナーだと思います。一度の挫折なんて、今までのキャリアからすれば、どうでもいい些細なことだと思えるくらいに。

 個人的には、「頑張れ」よりも、「これから、もっともっと、幸せになってね」という言葉を贈りたいと思います。
 どうすればもっと幸せになれるかは僕にもわかりませんけど、まだまだ、人生のピークはこれからだと信じたい。



2004年03月15日(月)
ハルウララと武豊と偽善者たちと

共同通信の記事より。

【高知競馬(高知市長浜)でデビュー以来105連敗中の人気牝馬ハルウララ(8歳)の出演映画の計画が8日、実現する見通しとなった。
 作品を企画している東京都港区の制作会社「アマナスキネマ東京」の担当者が同日、高知県庁と高知市役所を訪れ、撮影への協力を要請。県は「喜ばしいこと」、市も「積極的に協力したい」と、前向きの姿勢を示した。
 高知県競馬組合との調整も順調に進んでおり、ハルウララの銀幕デビューが確実となった。
 同社によると、脚本は同県中村市出身の中島丈博さんが担当し、監督には「次郎物語」などを手掛けた森川時久さんを起用。ハルウララと宗石大調教師やきゅう務員との物語を中心に描く予定という。同社は年内完成と、来春の公開を目指している。】

参考リンク:武豊の日記(3/8)

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 「負けても負けても頑張って走り続ける姿が日本中に感動を与えている」という、このハルウララなのですが、「頑張っている姿に感動する」という人々がいる一方で、「単なる弱い馬に、何を大騒ぎしているんだ?」という意見があるのも事実です。

 もう1年くらい前になるのでしょうか、僕は、雑誌のグラビアのある写真に目が釘付けになりました。その写真には、目を見開いた1頭の馬が、頭から血を流して横たわっていたのです。
 もう、名前は忘れてしまいましたが、その馬は九州の中津競馬という競馬場でいくつかの勝利を挙げた若駒で、将来を嘱望されていた、とのことでした。しかし、不況や娯楽の多様化に伴い、全国各地で地方競馬は次々と廃止されていくなか、中津競馬の廃止によって行き場がなくなったその馬の末路は、「安楽死」でした。
 そんなに頑張っていたのに、かわいそう、だと僕も思います。しかし、その一方で、馬が生きていくのには当然お金もかかりますし、人間に飼育されることに馴れたサラブレッドをいきなり野生に戻すわけにもいきません。彼女(その馬はメスだったので)を生かすには、お金と場所、そして人の手が必要なのです。そう考えると、「安楽死」を選んだ馬主の判断は、必ずしも責められないでしょう。「結果を残せない馬」の余生をすべて面倒をみるには、お金も、人手も、スペースも全然足らないのですから。

 ハルウララに関する報道を観るたびに、僕はこの馬の死顔を思い出します。たぶん、中央競馬のレースで大活躍できるほどの能力はなかったにしろ、この馬はたぶん、ハルウララよりは強い馬だったでしょうから。そして、全国には、そういうふうにして命を落とした馬は、たくさんいるのです。どうして、100戦以上も走って1勝もできない馬だけが、こんなにもてはやされるのか?競馬というのは、馬にとっては「仲間と競争しながら競馬場を一回りしてくるだけのこと」であって、「一生懸命走っているのに勝てない」というのは、人間が勝手に築き上げたストーリー。本当は、ハルウララは「レースに集中できない馬」だったり、「真面目に走っていない馬」なのかもしれません。高知競馬というのは、率直なところ全国の地方競馬の中でもかなりレベルの低いところなのに、そこでも全然勝てないというのは、競走馬としては、能力的には「駄馬」であることは間違いないでしょう。

 でも、その一方で、「ハルウララなんて駄馬は、さっさと安楽死させちまえ」とか、「そんな弱い馬をもてはやすな」とも思えないのです。
 ハルウララという馬は、話題になるまでは、賞金的には大赤字の馬でした。走っても走っても勝てず、ただ出走手当てとたまに入着賞金を稼いでくるだけの、厩舎のお荷物、というあたりが妥当な評価だったと思います。少なくとも中央競馬には、こんな馬を置いておく余裕のある厩舎はないはず(それ以前に、ずっと未勝利だと、出せるレースもほとんどなくなるし、預託料も高いですから)。
 ハルウララを預かっている宗石調教師の姿は、NHKのドキュメンタリーでは、このように描かれていました。
 【「ここは馬の老人ホームですよ」と言いながら、ハルウララより年を食った9歳や10歳の馬たちにエサをあげているのだ。お金がないから高価な配合飼料なんか買えない。でも、なんとか馬たちを勝たせてやりたいから、農家の畑を借りて自分で牧草を育て、新鮮なエサを与えている。】
 宗石調教師は、競馬界では非常に変わった人で、「普通だったら、もう引退=安楽死」になるような馬たちを「元気なかぎりは、走らせてやりたい」と気長に走らせる人のようです。それは別に、ハルウララに限ったことではなくて。それだともちろん、調教師としての成績は上がらないのですが。年老いて勝てない馬よりも、若くて強い馬に入れ替えたほうが、当然結果も出るはず。
 「強い馬を育てる」のが目的の競馬界では、かなり異質なことを宗石調教師はされています。そして、あまり語られることはありませんが、ハルウララの馬主さんも、少なくともこの馬が話題になるまでの90連敗くらいまで、毎月赤字なのに、気長にハルウララの飼葉代(預託料)を支払い続けて、応援してきたのでしょう。

 競馬の本質は、「最強」を目指すブラッドスポーツです。でも、僕は思うのです。「最強」を目指す弱肉強食の競馬がある一方で、1万頭に1頭でも、こういう「負け続けても愛される馬」がいてもいいんじゃないかな、って。
 競馬というのは、本質的に、人間の思い入れによって支えられているもので、実際に馬がやっていることというのは、「コースを走ること」だけなのですから。
 この最弱馬によって、生きる活力が与えられる人がいる、という事実は、たとえそれが勘違いや思い込みであっても、否定できないことです。

 いや、武豊騎手の気持ちはよくわかります。1着賞金が10万円とかのレースで弱い馬に乗って勝利を求められるというのは、この天才をもってしても厳しいでしょうし、勝てる可能性、勝つことによるメリット(額面通りだとすると、勝っても武豊がもらえるのは5000円!)と負けることによるデメリット(たぶん、競馬をよく知らない人には、「ハルウララを勝たせなれないなんて、武豊なんてたいしたことないなあ」なんて思う人も多いでしょうから)を考えると、気が重くなるでしょうし、「これで引退だから」と御祝儀的に頼まれていたものが「引退かどうかはわかりません」なんて言われたら、愚痴のひとつも言いたくなりますよ。ノボトゥルーに乗るついでに「善意で」ハルウララに乗るようなものなのに。
 僕は武豊騎手のことは嫌いですが(いつもいい馬に乗って勝っている、という判官びいきのような感情と、僕が馬券を買うと来なくて買わないと来るような印象があるので)、今回彼がハルウララに乗るのは、競馬界のリーダーとしての責任感みたいなものも感じるのです。少しでも話題になって、地方競馬の活性化につながればいい、というような。

 「弱い馬は役に立たないから皆殺し」という発想よりは、「弱い馬でも、運がよければ生き延びられる可能性もある」というほうが、少しは救いがあると、僕は思うのです。不公平、かもしれませんが。
 だいたい、人間という種の中で大部分の人は、ナリタブライアンどころか、ノボトゥルーにもほど遠い、ハルウララなのですから。負けても負けても走り続けなくてはならない、悲しい生き物。
 競馬の世界にくらい「負けても負けても応援され、愛される敗者」がいてもいいんじゃないでしょうか。
 
 それは、「偽善」なのかもしれません。
 でも、ひとりの競馬ファンとしては、この「偽善の物語」で、馬主さんたちが、自分の持ち馬に対して少しでも長い目でみるようになってくれたり、一般の人たちに、「競馬場には最強じゃない馬たちのドラマがある」ということが、伝わってくれればいいなあ、と。
 そうすれば、これからも出てくるであろう「あの中津の馬」だって、死なずにすむかもしれないし。
 僕は、「偽悪」や「露悪」よりも、「つまらない、日常的な偽善」のほうが、遥かに人間を幸福にすると思うのです。

 ハルウララ、せっかく生き延びられそうなんだから、怪我しないていどに頑張れよ。



2004年03月14日(日)
残念な「バウムクーヘンの穴」

「どぜうの丸かじり」(東海林さだお著・朝日新聞社)より。

【ぼくは最近テレビで知ったのだが、バウムクーヘンは心棒にケーキの生地を垂らしては回して焼き固め、また垂らしては焼き固め、そうやってだんだん太くしていく。
 その一回転、一回転があの年輪状のスジになる。
 実に気の長い話で、焼きあがるまでに一時間かかるそうだ。
 心棒の長さは1メートル近く、焼きあがったところでそれを抜き取る。
 その抜き取った穴が件の穴なのだ。
 その穴をじっと見つめている一家の胸のうちに、ある共通の思いが込みあげてくるのであった。
 それは”残念”であった。
 もしこの穴なかりせば、の思いであった。
 穴なくしてそこんところにもケーキが詰まっていたならば、の思いであった。
 残念の思いは、次第に怒りに変わっていくのだった。
 怒りの原因になっているのは、”ズル”である。
「この穴はズルだ」「ズルの穴だ」。】

〜〜〜〜〜〜〜

 この東海林さんのエッセイを読んで、僕はようやく「バウムクーヘンの穴」に対する積年の疑問から解放されたような気がしました。いや、本当はどこかで一度くらいは聞いたことがあるんでしょうけど。
 今ではコンビニとかで普通に売られているバウムクーヘンですが、僕が子供のころは、「頂き物」でもないかぎり、なかなかお目にかかる機会がない代物でした。白いクリーム(?)がかかった、「ユーハイム」のバウムクーヘンなんて、本当に大御馳走だったものなあ。親にかくれてこっそり、「ちょっと一切れだけ」のつもりが、いつの間にか一目でわかるくらい減ってしまって、気まずい思いをすることもしばしばでした。
 そういえば、あまりに勿体なくって(貧乏性ですから)、あの年輪みたいになっている層を一層ずつ剥がして食べたりしていたものです。さすがに、そんなにちょびっとずつ食べると、味はよくわからなかったような。
 あの穴が、バウムクーヘンの「風情」なんでしょうけど、当時は、「材料費ケチってるよ、木の真ん中に穴なんか開いてないのに!」と内心忸怩たる思いだったものです。だいたい、こんな穴、ないほうが作りやすいんじゃないの?とか。
 でも、この作りかたからすると、あの「バウムクーヘンの穴」っていうのは、必要不可欠なものなんですね。あの頃の僕に、「その穴に罪はない」と教えてあげたいくらい。

 最近は、バウムクーヘンも全然珍しい食べ物じゃなくなって、あの穴の存在に気をとめる人も少なくなってしまったんだろうなあ。

 しかし、今ふと思ったのですが、バウムクーヘンの心棒って、あんなに太くないとダメなの?やっぱり、ちょっと誤魔化されているような気も…
 



2004年03月13日(土)
大部分の日本人が興味ない「九州新幹線、本日部分開業!」

読売新聞の記事より。

【九州新幹線の新八代―鹿児島中央間(127キロ)が13日、開業した。鹿児島中央駅(鹿児島市)からは午前6時に「つばめ30号」が、新八代駅(熊本県八代市)からは同6時40分に「同101号」がそれぞれ座席数(392席)を超える満員の乗客を乗せて出発した。

 開業により、これまで特急で2時間2分かかった新八代―鹿児島中央間は最短34分に。博多―鹿児島中央間は新八代で新幹線と特急「リレーつばめ」を乗り継ぐことで、従来の3時間40分が最短で2時間10分に縮まった。

 全線開業すれば、博多―鹿児島中央間は1時間20分で結ばれる。全線開通は2010―12年度末になる見込み。

 九州新幹線の新車両「つばめ」は800系。乗り心地を重視したデジタル列車自動制御装置を備えているほか、1000メートルにつき35メートル上昇する急こう配があるためモーターを全車両(6両編成)に取り付けている。

 鹿児島中央駅では、未明から始発列車の自由席を求めて200人以上が列を作った。午前5時過ぎから始まった式典で、石原進・JR九州社長は「開業による時間短縮効果は極めて大きい。早期全線開通に向けて努力したい」とあいさつ。

 須賀竜郎・鹿児島県知事は「県民が待ち焦がれていた新幹線。鹿児島中央駅をわが国の南の起点として発展させたい」と述べ、整備計画決定から30年余りを経て悲願を実らせた地元の思いを代弁した。】

〜〜〜〜〜〜〜

 今日、ついに九州新幹線が部分開業しました。とはいえ、このニュースって、たぶん九州以外の人には「ふうん」って感じなのかもしれないなあ、なんて思いますけど。
 実際、ほんとうにこれに喜んでいるのは、九州全体というより、鹿児島の人と一部の鉄道マニアだけなのではないか、とも感じてしまいます。
 その他の人たちについては、そんなに頻繁に利用するとも思えない路線、ではありますしね。
 しかし、九州全体でみると、これで博多と鹿児島の間の距離は、ずいぶん近くなりました。今まで鹿児島から博多に行くには、片道3時間40分かかるわけですから、よっぽど無理をしない限り1泊することが必要だったのですが、今回の開通で2時間10分になったことによって、日帰りでイベントや買い物などに行くことだって可能になったような感じです。全線開通すれば、九州の北から南まで1時間20分!小倉から鹿児島まででも1時間半になるわけで。
 この九州新幹線というのは、「九州をひとつにする」という意味では、意義深いものかもしれません。でも、その一方で、博多への一極集中化と、九州内での「格差」を生み出してしまう可能性が高いような気もします。地図上の距離よりも、新幹線が近くを通っているかどうかで、実質的な「行くのに必要な時間」というのが変わってきますし。もともと九州内でも福岡からみれば、大分とか宮崎とかは、実際に行くとなるとちょっと交通が不便で、「距離を感じる」ものですから。

 この新幹線、着工までは、「そんなもの、必要なの?」という議論がけっこうありました。でも、実際に完成してみれば、祝賀ムード一色。まあ、できて、動き出してしまったものにネガティヴキャンペーンをやっても仕方ない、ということなのかなあ。
 実際に開通すれば「それで助かる人もいる」のだし、地域の活性化には役立つとは思います。こうやって道路公団も、高速道路をたくさん造ってきたのでしょうし、できてしまえば、それなりに役に立つのは間違いないし。
でも、「30年の悲願」とは言うけれど、実際、30年前ほど切実にみんな新幹線を必要としているかと言われれば、どうかなあ、とか思うんですけどねえ。

 もっとも、この九州新幹線の評価は、博多〜鹿児島中央の全線が開通しないと、なんとも言えないところがあるのも事実です。東京から鹿児島まで1本に繋がれば、またそれには大きな意義があるかもしれません。しかし、そうなるとやっぱり搭乗手続きの煩雑さはあるものの飛行機のほうが…という気もするし。
 「無いよりは、あったほうがいい」のは間違いないとは思うけど、コストに見合っただけの価値があるのか?ということになると、疑問ではあるのです。
そもそも、新幹線なんて、日本の隅々にまで通す必要があるのでしょうか?
 「日本の大動脈」なんて言われますけど、大動脈って手や足の先までは通ってないのに。

 なにはともあれ、「つばめ」は、今日から走り出しました。僕もそのうち利用すると思います。なんのかんの言っても、速いほうを選んでしまうだろうし。

 しかし、たまにしか利用しない僕としては、九州がここまで狭くなってしまって、旅情みたいなものが失われていくことに、一抹の寂しさがあるのも事実。
 34分って、ちょっと速すぎるよなあ。本の一冊も読めないや。



2004年03月12日(金)
貴男はまことに男の中の男であります。

「眠る盃」(向田邦子著・講談社文庫)より。

【マハシャイ・マミオ殿

 偏食・好色・内弁慶・小心・テレ屋・甘ったれ・新しもの好き・体裁屋・嘘つき・凝り性・怠け者・女房自慢・癇癪持ち・自信過剰・健忘症・医者嫌い・風呂嫌い・尊大・気まぐれ・オッチョコチョイ……。

 きりがないからやめますが、貴男はまことに男の中の男であります。
 私はそこに惚れているのです。】

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 マミオさんは、向田さんが文字通り「猫かわいがり」していた愛猫です。
 僕が向田邦子さんのこの文章を最初に目にしたのは高校生のときだったのですが、そのときは、正直言って、この文章の意味が、よくわかりませんでした。他のエッセイは当時の僕にも明快で、「昭和の香り」を感じながら読んでいたのに、この一節だけはどうも納得いかなくて。
 なんとなく、ここで述べられているマミオさんへの賛辞というのは、向田さんの(人間においても)「理想の男性像」なのだろうなあ、というふうには感じたのですけど。
 でも、ここに掲げられているマミオさんの性格・行動というのは、当時の僕からみても、「褒められたものもじゃない」というか、「えっ、こんなのどこがいいの?」というようなものばかりです。うーん、美点となりうるのは、せいぜい「凝り性」と「女房自慢」くらいなのではないか…と。
 そういう「違和感」みたいなものが、僕にとって、この文章を忘れられないものにしていたのかもしれません。

 しかし、あれから15年くらい経って、あらためてこの向田さんのマミオさんへの賛辞を読み返してみると、30歳を過ぎた僕には、向田さんが、マミオさんを「男の中の男」と書いた気持ちがわかるような気がしてきたのです。
 人間というのは、美点に惹かれるだけではないのだな、という不思議な実感。
 「どうしようもない男」なのに、どうしてあんな奴がモテるんだ?と腹が立つような人って、身のまわりにいませんか?女好きで、自信過剰で、気まぐれで…
 でも、人間というのは、そういう「どうしようもなさ」みたいなものや「自分に素直な生き方」のようなものに、強く惹かれてしまう傾向があるみたいなんですよね。
 僕などは、「自分はこんなに頑張っているつもりなのに、どうしてダメなんだろう…」なんてずっと考えていたりしたのですが、こと男女の間に関しては、必ずしも「頑張ればいい」「優しければいい」「謙虚ならいい」というものではないのかもしれません。まあ、だからといって、マミオさんの真似をすればいいのか?と言われると、形だけ真似しても、嫌われるだけのような気もします。
 風呂に入らなかったら惚れてもらえるのなら、なんて簡単なんだろう!

 やっぱり、この年になっても、向田さんの言葉の意味は掴みきれてないみたい。
 僕も、まだまだ「男の中の男」には、程遠いですね…



2004年03月11日(木)
「酒鬼薔薇聖斗」も、記憶の欠片にしか過ぎない。

時事通信の記事より。

【神戸市須磨区で1997年に起きた児童連続殺傷事件で逮捕され、関東医療少年院(東京都府中市)に収容されていた当時14歳の男性(21)が10日、同少年院を仮退院した。法務省は退院したことを遺族側に通知、被害者側へ異例の対応を取った。男性は実社会と接しながら保護観察下に置かれ、社会復帰に向けた最終段階へ移った。】

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読売新聞の記事より。

【犯行時14歳という年齢と残忍な行為が社会に大きな衝撃を与えた神戸市の連続児童殺傷事件から約7年。医療少年院に収容されていた当時少年の加害者男性(21)が仮退院した10日、遺族は、「心に重い十字架を背負って生きていってほしい」との思いをつづった。

 犯行当時、「さあ、ゲームの始まりです」と大人社会に挑戦状を書いた男性は、その後の矯正教育で遺族の手記を繰り返し読み、「二度と同じ気持ちになることはない」との言葉も口にするようになった。

 「生きるよう迫らないでほしい。どこか静かな場所で独りで死にたい」

 関係者の話によると、少年審判で、男性はしきりにそう訴えたという。当時、男性は神戸少年鑑別所の中。自殺防止の独房で、24時間の監視態勢が取られていた。

 2001年9月、男性は出院準備のための教育課程に編入され、2か月後、ある中等少年院に移った。技能資格をとるとともに集団生活の中で社会性を身につけるためだった。

 傷害事件を起こした少年という扱いで、約20人と寮生活を体験した。「生意気だ」と殴られるなど、いじめを受けたこともあったが、友人もでき、いくつかの資格も得て、1年後、再び医療少年院に戻った。

 そこで、教官を通じ、男性が殺害した2遺族の手記を繰り返し読み、こんな感想を漏らしたという。

 「できることなら何でもしたい。遺族らの悲しみに近づけるように努め、罪の重さを一生背負い、償い続ける。あのころの自分は、まるで夢、幻のよう。犯罪で自分の存在を確認しようとしたこと自体、理解できない。2度と同じ気持ちになることはない」

 犯罪をおこした少年の矯正に携わる関係者はいう。

 「男性は現在、水泳で言えば、スタート台に立ったところ。後は、水という社会に飛び込んで、泳ぎ切ることができるかどうか。見守っていきたい」】

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 あの「酒鬼薔薇聖斗」が、少年院を仮退院しました。6年半前に「酒鬼薔薇」が、中学生だったと知ったときの驚きとやるせなさに比べたら、僕は自分がこのニュースについて、あまり心が動かなくなってしまっていることに自分でも驚いています。
 「忘れることができる」というのは、人間の長所のひとつだと言われますよね。
 抱えていては生きていけないような辛いことでも、人間は少しずつ忘れていくことができます。「絶対に忘れられないこと」でも、その手触りの感覚はどんどん失われていって、次第に思い出す頻度も減ってくるのです。
 …だから、なんとか生きていくこともできるのだろうけど。

 この6年半、僕はあの事件のことなどほとんど思い出すこともなく、日々を送ってきましたが、もちろん、当事者たちにとっては、忘れることもできない日々だったのだと思います。
 今頃は子供も反抗期で、ごく普通のお母さんであったはずの人が手記を出し、亡くなったわが子に感謝の気持ちを述べたり、ごく普通のお父さんだったひとが、少年事件の被害者の代表のようになってしまったり…
 変わってしまったのは、「失われた命」だけではないのです。

 彼は、少年院で「更生」したと判断されました。そしてそこには、上の文章からうかがえるような、関係者たちの熱意と努力があったのです。たぶん、この「社会的不適応者」である少年をなんとかしてあげたい、という気持ちが、スタッフにはあったのでしょうね。少なくとも「人間らしくなった」みたいですし。

 ああ、でも僕は冷たい人間なので、正直なところ、この関係者たたちが「酒鬼薔薇聖斗」に対して示した熱意と努力を読んで、「なんだか割に合わない話だ…」としか思えませんでした。
 彼が命を奪った2人の子供たちにこの6年半降り注いだ雨は、悔悟の念だけだったというのに。
 どうして、「殺した側」に、こんなに愛情が注がれて、殺された側は、ただ風化していくだけなのだろう?
 「酒鬼薔薇聖斗」は、「重い十字架」を背負って生きていくことになるでしょう。すべてが非公開にされるのでしょうが、人の口に戸は立てられませんし、ネットも彼を「別の人間」にしてはおかないはず。本人から罪の意識は消えないでしょうし、死んだほうがマシだ、と思うことだってあるでしょう。

 でも、僕はやっぱり、彼を「赦す」ことはできない。
 どんなに辛い人生でも(出生直後に死んでしまったりしない限り)「楽しいと感じる瞬間」というのはあるはずです。好きな音楽を聴いたときとか、美味しいものを食べたときとか。たとえそれが、後悔の闇に浮かぶ、一瞬の灯台の光のようなものであっても。
 彼に命を奪われた子供たちには、そんな瞬間が訪れることは、もう二度とないのです。

 彼は6年半前、「判断能力のない、かわいそうな子供」だったそうですから、こんなふうに考える僕は、きっと「非論理的で、少年保護の気持ちのない人間」なのでしょう。それでも、思えてしまうものは仕方がない。
 そもそも「生きて償う」ということ自体が、すでに「不公平」なのではないでしょうか?

 本当に、人間というのは忘れっぽい生き物なのだなあ、と最近つくづく感じます。一時の大きな波が去ったら、「ペパーダイン大学」で一世を風靡した古賀議員だって「絶対議員辞職しろ!」とか思っている人はほとんどいなくなっちゃったみたいだし、浅田農産の会長夫妻も、ナアナアで時間さえ稼げれば、いつの間にかみんな忘れてしまって、自殺しなくても済んだんじゃないかな、という気もしてきました。
 
 結局、世の中というのは、生きている人、生にしがみついている人にとって、都合がいいようにできているのでしょう。
 僕も死んだことはないから、比較しようがないし、「死んだ人に都合がいい世の中」というのも想像がつかないのですが…



2004年03月10日(水)
結婚後ふたりが最初に買ったもの

「『たま』という船に乗っていた」(石川浩司著・ぴあ)より。

(たまの「ランニング」こと、パーカッション(太鼓?)の石川浩司さんが結婚した理由)

【デートはたいてい知らない駅で降りて町歩きをするか、もしくは新宿のダンキンドーナツで延々ふたりでセブンブリッジであった。金を使わずに遊ぶのが楽しかったのだ。
 ちゅーか、それ以前にもちろん金なんてなかったんだけどね。
 そこで考えた。
 帰る家が同じなら、ずっと遊んでいられるじゃないか。
 それが俺が結婚を決意した一番の理由だった。
 そして遊ぶために結婚した最たる証拠に、結婚後ふたりが最初に買ったものが鍋でもやかんでもなく、そのちょっと前に発売されたファミコンであったという事実がそれを物語っている。
 帰宅時間を気にしなくてもいい環境で、毎日白熱の勝負をしていたのだ。】

〜〜〜〜〜〜〜

 ひょっとしたら、「たま」というバンドのことを御存知ない方も多いのかもしれませんが、「たま」は、僕が高校時代に大流行したアマチュアバンドが競う番組である「イカ天」こと「イカすバンド天国」で大ブレイクした、4人組です。1990年のデビュー曲「さよなら人類」は大ヒットして、バンドブームの体現者のような存在でした(実際は「たま」ほどバンドブームの対極にいた存在はないような気もするのですが)。2003年10月に解散。
 これは、「たま」でランニング姿で太鼓を叩いていた山下清みたいな人、こと石川浩司さんが、「たま」の歴史を振り返る中で、奥さんとの馴れ初めから結婚までを書いているうちの一部です。

 「結婚する理由」というのは、おそらく人それぞれなのでしょう。「ずっと一緒にいたい」というのもあるし、一種の社会的信用と関連してしまう面もありますし(まだまだ、「結婚して家庭を持ってこそ大人」という考えの人は、多いみたい)、経済的な面もあるでしょう。「老後の不安」なんてのを挙げる人もいます。
 まあ、石川さんも奥さんも、「ダンキンドーナツでセブンブリッジを一日中」なんてのは、今から20年前の話にしても、あまりにインドア&安上がりなデートだったと思うのですが。でも、「ずっと遊んでいられるから」という理由での結婚というのは、なんだか目からウロコが落ちたような気がしました。
 最近いろんなところで、「やっぱり結婚には条件が大事」とか「学歴は無視できない」とか「生まれ育った環境が違いすぎると難しい」なんて話を耳にして、「結婚っていうのは、難しいことだなあ」なんて考えることが多かったものですから。
 こういう「一緒にファミコンをずっとやっているための結婚」なんてのも、アリなのだなあ、なんて。
 もちろん、そういうのは「いいかげんな気持ちでの結婚」だと思う人も多いのだと思います。でも、今のところ石川さん夫妻はお幸せそうですし、逆に、条件ばかりに拘って、結局「性格の不一致」で別れてしまう夫婦だって少なくはないでしょう。
 そんなふうに考えすぎると、かえって結婚とかできなくなっていくばっかり、なのですが。

 「結婚して最初に買ったもの」が、ファミコンでも、2人がそれを望んでいるのなら、案外うまくいくもの、なのかな。
 やっぱり、「お互いの価値観」というのは大きいのかもしれない。
 



2004年03月09日(火)
「死因などは、桑田さんの意向により、明らかにしていない」

【人気バンド「サザンオールスターズ」のボーカル・桑田佳祐さん(48)の父、桑田久司(くわた・ひさし)さんが6日に死去したことが8日、分かった。享年77歳。

 関係者によると、久司さんはここしばらく病気療養中だった。死因などは、桑田さんの意向により、明らかにしていない。サザンは新作アルバムの製作作業に入っていたが、桑田さんが最期をみとったかどうかは不明。

 桑田さんは姉と共に、神奈川・茅ケ崎市で多角的に事業を展開していた久司さんに育てられた。1994年2月には、母の昌子さんを心筋こうそくで亡くしている。関係者によると、久司さんは「優しそうなお父さんだった」という。

 葬儀・告別式は10日午前10時から東京都港区芝公園4の7の35、増上寺光摂殿で。喪主は長男の桑田佳祐(くわた・けいすけ)さん。

 サザンは4月14日に通算48作目のシングル「彩〜Aja〜」(あや)を発売して今年の活動をスタートさせる予定。】

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 僕は桑田さんのお父さんがどんな方かは全然存じ上げなかったのですが、優しくておおらかな人だったのだろうなあ、なんて想像しています。日本を代表するバンドになった後ならともかく、デビューしたてのサザンを見たときの小学生の僕や僕の母親の反応は、「いいところの大学生(桑田さんは青山学院大学在学中にデビュー)なのに、バカなことやってる人たちがいるなあ…」というものでしたから。たぶん、本人たちもこんなふうにずっと音楽をやっていくとは思っていなかっただろうし、親御さんも心配だったのではないかなあ、なんて。
 謹んで、ご冥福をお祈り申し上げます。

 ところで、僕がこの記事を読んで、ちょっと違和感を感じたところがあるのです。それは【死因などは、桑田さんの意向により、明らかにしていない】【桑田さんが最期をみとったかどうかは不明】という部分。

 今のところ、誰かが亡くなったことを伝える記事、いわゆる「死亡記事」には、死亡した原因(死因)が記載されることが多くて、この記事の中でも、(普通は明かされるものなんだけど)【桑田さんの意向により、明らかにしていない】というニュアンスになっています。
 でも、考えてみれば、「死因は公開されるのが当たり前」なのでしょうか?
 僕が自分の親を看取った後も、いろいろなところに電話などで連絡しなければならなかったのですが、そういうのって、けっこう辛い仕事なのです。でも、訃報を伝えた人のうちの多くから最初に出た言葉が、「どうして亡くなられたの?」だったのは、ちょっと辛かった。
 ハッキリ言うと、病名については、「あらかじめ伝えておくべき人」には、ちゃんと伝えていたつもりでしたし、その病名を口にするだけでも悲しくなることだってあるのです。それに、死因を知ったからといって、知った人にとっては、「かわいそうに」とか「あの人、心臓の病気で亡くなられたんですって」というような「興味の対象」でしかないことなのだから、それより他に死者に言うべき言葉があるのじゃないか?と悲しくなりました。
 端的に言うと、「死因を知りたいっていうのは、あなたの野次馬根性なんじゃないの?」ということです。
 亡くなった人間が、自分の思い出ならともかく、死んだ原因の病気のことをあれこれ語り継いで欲しいだろうとも思わないしね。
 僕自身は、仕事として「この人がどうして亡くなったのか?」というのを調べています。でも、知り合いの訃報に対して、「どうして亡くなったの?」と尋ねることはありません(遺族から話されれば聴きますが)。だって、僕が仕事として死因を調べるのは少しでも将来の人類の役に立つ(と思いたい)からで、自分の興味で他人に不快な思いをさせたいからではないからです。
 実際は、どう声をかけたらいいかわからなくて、「どうして亡くなられたんですか?」と口にしてしまう場合も多いのかもしれないけれど。
 もし尋ねたいのなら、なるべく遠い親戚に聞くことをオススメします。
 どうして、お通夜で悲しみにくれて疲れきっている家族にわざわざ「聞いたって何の意味もないこと」を聞くの?

 この記事のような「言う必要がないこと」を「隠しておきたいこと」のように取り扱うという習慣は、もうやめたほうがいいんじゃないでしょうか。「書かない、言わないのが当たり前で、公開したい人だけ書く」ようにすればいい。みんな、けっこう嫌な思いをしているはずなのに。

 それとも、人類の大部分は、「どうして死んだか、ぜひみんなに聞いてもらいたいような素晴らしい死に方」をしているのでしょうか?
 「じいちゃんは老衰で、眠るように逝きましたよ…」
 そういう死に方ばかりなら、いいんでしょうけどね。

【桑田さんが最期をみとったかどうかは不明】なんて、本人と家族以外には「関係ないこと」なのに、まさに余計なお世話だよなあ…



2004年03月08日(月)
みんな自分は鶴や亀

スポーツ報知の記事より。

【シダックスの野村克也GM兼監督(68)が7日、長嶋監督の入院後初めて報道陣の前に姿を見せた。埼玉・戸田市内のグラウンドで練習を見守った野村監督は、ミスター入院についてはコメントを控えたが、独自の健康法を披露することで長嶋監督を思いやった。

 一番衝撃を受けているのは、この人かもしれない。「その件については、一切話さないよ」心なしか、元気がない。同じ68歳。感じるものは山ほどある。

 「亀理論というのがあるんだよ。長生きする動物は動かない。亀は万年とも言うしな。運動は新幹線の階段の上り下りぐらいで十分」まるで、精力的にキャンプを視察した長嶋監督に対し、もっとゆっくりしようよと呼びかけているようでもあった。

 9日には社会人東京大会が初戦を迎える。野間口貴彦投手(20)の日本代表入りに向け、長嶋監督も視察の意向を示していた大会だ。言葉ではなく、勝利で。野村監督は最愛のライバルの快気を願い“68歳の意地”をプレゼントする。】

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 「長生きする動物は動かない」
 まあ、この言葉が長嶋監督への応援メッセージなのかどうかはともかくとして、これを聞いて、「野村さん、何年野球選手やってたんですか!」とツッコミたくなったのは、僕だけではないと思います。野村監督というのは、「こういう言い方しかできない人」なんだろうなあ、とはあらためて感じましたが。
 それにしても、これは記者の主観が多すぎる記事ではありますけどね。

 現実問題として、「自分より鍛えているはず」のスポーツ選手の早すぎる訃報にドキッとすることは、けっして珍しいことではないのです。もちろん、統計学的には、適度な運動や食事管理というのは、長生きのためには大事なこと。しかしながら、「運動すればするほどいい」のかというと、やりすぎは必ずしもプラスにならないのも事実だし、体にどんなに気をつけていても、有史以来「死ななかった人間」というのは、今のところ存在しません。そう考えると、どんな厳密な自己管理も「長生きできる可能性をアップする」だけで、自己管理と寿命は、人類全体では相関するとしても、個人レベルでは「どうしてあんなに気をつけていた人がこんなに早く…」ということもあれば「あんな滅茶苦茶な生活をしていても、長生きできるものなんだな」というケースは、星の数ほどあるのです。
自己管理と寿命が正比例するようでは、それはそれで人生面白みがないような気もするんですけどね。

 僕が思うに、長嶋さんが快癒されたら、たぶん「動かない人生」は選ばないと思うのです。たとえ、病気の再発のリスクが上がったとしても。誰だって、「長生きできるから、ずっとベッドに横になっているように」とか言われても、そんな人生は退屈でやりきれないでしょうから。それもまた、その人の宿命なんだろうな、なんて。人間は亀にはなれませんしね。
じっとしていても、死なないわけじゃない。結局、人間的に生きようと思えば、リスクを完全に排除なんてできないのです。結局、どこかで折り合いをつけて、リスクを受け入れていくしかない。
 ただし、一般論としては、自己管理をしている人のほうが、元気で長生きできます、それは、まぎれもない事実ですからね。

 でも、やっぱり僕も自分のこととなると、「気をつけても早死にするかもしれないし」とか「適当にやってても案外長生きできるんじゃないかな」なんて都合よく考えがちですが。



2004年03月07日(日)
涙の謝罪は、誰のため?

日刊スポーツの記事より。

【NHK朝ドラ「まんてん」のヒロインを務めた女優宮地真緒(20)が6日、写真誌「フライデー」に27歳の音楽関係者とのデートを報じられた件でファンに涙で謝罪した。2月13日発売の同誌で焼き肉デートや路上での額へのキスなどが報道された後、宮地が公の場に姿を現したのは初めて。この日、東京・池袋のHMVで新曲「早花咲月〜さはなさづき〜」の発売記念イベントで新曲を含め2曲歌い終えた直後、ファンの前で突然、デート激写について語り始めた。
 「ご心配を掛けてすみませんでした。彼とは仲のいい友達で、仕事のことなどを相談しているうちに行過ぎた行動をしてしまった。一社会人として、1人のタレントとして自覚のない行動を反省しています」。
 目頭を押さえ、声を詰まらせた宮地だが、ファンから「真緒ちゃん頑張れ」の声援が飛び交う中、頭を下げた。同誌は宮地のマンションのベランダに男性用シャツが干してあることから「半同せい」とも報じた。報道陣から「彼氏としての付き合いは」と聞かれると宮地は「ご想像にお任せします」と否定も肯定もしなかった。「これからは女優として、歌手として仕事に集中したい」と話した。】

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 僕は宮地さんのファンというわけではないので、ちょっと参考にならないのかもしれませんが、これって「自覚のない行動」として、謝罪しなければならないようなことなんでしょうか?
 20歳の宮地さんと27歳のお相手が、一緒に焼肉食べに行っても、路上でキスしても、「まあ、そういうこともあるだろうな」という感じしかしないんですけど。むしろ、自然なことじゃないかな、なんて。
 宮地さんも古典的なアイドルってわけじゃないし、「ファンの夢を壊してごめんなさい」という意味であれば、正直言って、松浦亜弥さんならともかく、宮地さんにそこまでみんな、そういう「処女性」を期待してないだろうと僕は思うんだけどなあ。
 「ご心配を掛けてすみませんでした」と言われても、なんか違うような…彼女自身が、「芸能人としての戦略ミス」と自分で反省したり、関係者に謝罪すべき点はあると思うのですが、少なくともファンに向かって「軽率な行動」とか謝る筋合いはないのではないでしょうか?
 そんな「軽率な行動」と言い切ってしまえるような相手とつきあってたのか!とか、かえって疑問になってしまいます。相手にも失礼だし。
 僕が相手の男性だったら、「俺は『軽率な相手』なのか…」とショックを受けること必定。
 そういうのが「芸能界の掟」なのかもしれませんが、こういうよくわからない謝罪というのは、かえって逆効果な印象もあるのです。
 少なくとも現在では「いい付き合いをしていますので、温かく見守ってください」と言ってしまったほうが、かえって爽やかなんじゃないかと思いますが…自分の(元も含めて)恋人や恋愛を悪く言う人って、なんとなくいいかげんな感じがします。

 写真週刊誌も、放っておいてあげればいいのにね。まあ、それが商売なんだろうけど。
 



2004年03月06日(土)
「新人らしくないね。」という言葉

「私がアナウンサー」(菊間千乃著・文春文庫)より。

(フジテレビアナウンサー・菊間千乃さんが新人時代を回想して)

【「新人らしくないね。」私が新人の頃よく言われた言葉。そして一番嫌いな言葉だった。失敗しないように一生懸命やった。不安を打ち消すように、必死に取り組んできた。だから、大きな失敗はなかったように思う。でも、それが「新人らしくなく、つまらない」と言われた。小さくまとまるな、そうも言われた。当時の私は、その意味がよくわからず、わざとヘラヘラして、失敗すればいいのか?NG出せばいいの?アナウンサーっていったいなんなの?そんなことでも、悩み出してしまった。】

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 この言葉を読んで、僕は大学時代に一緒に病院実習していた女の子を思い出してしまいました。彼女は真面目で要領がよくて、先生の質問にもいつもきちんと答えていたし、カンファレンスでの発表も文句のつけようがなかったのです。僕はその姿をみて、うまくできない自分に強いコンプレックスを感じていたものでした。
 でも、この菊間さんの言葉を読むと、そういう彼女も、ひょっとしたら、こんなことを考えていたのかなあ、なんていう気もするのですよね。僕自身だって、優等生だった中学生のころくらいまでは、「子供らしくない」なんて周りから言われて、「じゃあ、子供らしく、やりたくもない缶蹴りでもしたり、読みたくもない「世界の名作」を読んだりしなければならないのだろうか?って。
 「子供らしさ」って、結局、大人の側からの「イメージの押し付け」なのです。「子供らしくしろ!」というのは、本当は「自分の思い通りにしろ!」という意味で。
 自分が大人になってみると、確かに子供というのは「幼い存在」で、「つまらないことで悩んでいる」ような気がしてくるのですが、「好きで悩んでいたわけじゃなくって、それが不安で仕方なかった」だけなんですよね、自分が子供だったときには。

 「他人とは違う人」「失敗しない人」に対して投げつけられる言葉で「○○らしくない」というのは、ある意味、究極のイヤミです。だって、失敗したら怒られるし、うまくやれば「らしくない」って嘆かれるのでは、本当に、行き場がなくなってしまいます。

 「らしさ」って、何なのでしょうね…考えれば考えるほど、泥沼にはまってしまう。
 まあ、あんまりそんなこと考えなくても、上司からみたら「新人らしく」失敗してみせられる人というのも、世間にはいるような気もするんですよね。
 でも、そういう人も「自分はこんなに一生懸命やっているのに、なんでうまくいかないんだろう…」なんて悩んでいるのかもしれません。
 他の人はうまくやっているように見えるんだよなあ、失敗さえも含めて。

 こうして悩むことは、けっしてマイナスにはならないとは思いますし、医者なんて仕事は「医者らしくしよう!」なんてプレッシャーに支えられて、身についていくのかなあ、なんていう気もするんですけどね。
 その「らしさ」っていうのは、自分で見つけ出すもので、他人に決め付けられることではないんだけどさ。



2004年03月05日(金)
「長嶋茂雄」という聖域

市井紗耶香さんの話はこちらを御覧ください。


毎日新聞の記事より。

【脳卒中の疑いで4日、東京女子医大病院(東京都新宿区)に緊急入院したプロ野球の元巨人監督でアテネ五輪野球日本代表の長嶋茂雄監督(68)について、同病院脳神経センターの内山真一郎教授が5日、記者会見し、「中程度の脳こうそくが起き、右半身に軽いまひがある。生命に危険があるほどではないが、軽くはない」と発表した。

 内山教授によると、「(CT検査で)左の大脳に脳こうそくと思われる影が見られる」という。手足が自由に動かせない状態だが、意識はあり、会話はできる状態。ただ鎮静剤などを投与しているため、言葉はやや不明瞭(ふめいりょう)だという。

 今後の回復見通しについて、内山教授は「まだ不安定な状態で、ここ1週間の治療が大事になる。長期的なお話はできない」と明言を避けた。現在は脳にできた血栓を溶かすための点滴治療などを施しており、現時点では手術をする考えはないという。

 8月のアテネ五輪代表監督についても、「長期的な展望については差し控えたい」と述べるにとどまった。】

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 かなり以前に、こんな話を聞いた記憶があります。
 「メディアには、絶対に悪口を書いてはいけない『聖域』がある。ひとりは天皇陛下、ひとりは石原裕次郎(美空ひばりも、だったかな…)、そして、もうひとりは長嶋茂雄だ」
 現在では、某〇。ニーズ事務所の偉い人なども、この「聖域」として扱われていると言って良いでしょう。
 しかしながら、これらの人たちと比較してみると、長嶋茂雄という人の異質さは、あらためて浮き彫りにされるような気がします。天皇陛下の悪口なんて、右翼に狙われるかもしれないし、石原さんや美空さん、某大手芸能事務所の偉い人などは、悪口を書くことによって、「圧力」をかけられる恐れがあるわけです(出演拒否とか、ですね)。でも、長嶋さんというのは、そういった圧力みたいなものとは無縁な存在なのに、「聖域」として扱われている、唯一無二の人なのではないでしょうか。
もちろん、巨人の監督をやっていたときには、その采配能力を疑問視する声は上がりましたが、それ以上に「長嶋待望論」というか「長嶋さんのやることだから」と、巨人ファンはみんな、不平を言いながらも長嶋さんについていったような気がします。僕のようなアンチ巨人からすれば、「普通の監督だったら、もう何回解任されていることやら…」と思っていたんですけどね。
 それでも、2000年のONシリーズのような節目には、ちゃんと日本一になってしまう男。
 人々から愛されることによって「聖域」になってしまった、不滅の背番号3。

 さきほどから書いているように、僕は子供の頃から巨人が大嫌いでした。金をばらまいての補強と、テレビから聞こえてくる、あからさまに巨人の選手を贔屓した実況放送。広島ファンであると同時に、もしくはそれ以上にアンチ巨人だったのです。
 しかし、うちの母親は野球自体にはほとんど興味はなかったようなのですが、テレビに長嶋監督が映ると、「あっ、長嶋さん!」と嬉しそうに観ていたという記憶があります。
 「こんな巨人の犬のどこがいいんだ!」と小学生の僕がその背信行為を責めると、「う〜ん、でも長嶋さんだけは別」と、答えていたのを思い出します。母は関東育ちだったということもあったのかもしれないけれど、僕は今まで、本当にたくさんの人から、この「巨人は好きじゃないけど、長島さんだけは別」という言葉を聞いてきたのです。
 現在32の僕は、長嶋さんの現役時代のプレーや「巨人軍は永遠に不滅です!」というシーンのリアルタイムの記憶はありません。記憶している長嶋さんは、すでに「長嶋監督」だったのです。そして、一流プレイヤーで「記録より記憶に残る選手」であったという長嶋茂雄というのは、「巨人軍」の象徴として、けっして好意的にみることはできませんでした。
 なんだよ、みんな長嶋、長嶋って。王のほうがホームランたくさん打ってるのに!とか。

 正直、今でも長嶋茂雄という人間が、僕にはよくわかりませんし、「好き?」と聞かれれば、「面白い人だとは思うけど…」という感じです。あの、さまざまな伝説(野球観戦に行って、息子を忘れてきたとか、素っ裸で素振りをしていた、とか)で知られる天真爛漫なキャラクターは、確かに魅力的だと思うし、血液型B型、というのを聞くと、「要するに、長嶋さんみたいな人か」と思ってしまうのですが。
 でも、長嶋さんがプロ野球の監督としてのキャリアを終えられてから考えてみると、アンチ巨人としての僕は、「大多数の人に愛される球団=長嶋茂雄」に反発し続けていたような気がするのです。そして、巨人ファンは、きっとこの愛すべき人に「ほんとに何も考えてないんだから!」って言いながら、ずっとついてきたのだろうな、って。
 いつまでも現役で天真爛漫な長嶋さんに憧れる人もいれば、それに対して僕のように「つくられた虚像」を感じる人間もいた。どちらにしても、「心に引っかかる人」であることは間違いありません。

 「68歳の男性が脳梗塞を発症」
 医療を生業にしている僕にとっては、「よくある話」のひとつです。でも、この68歳の男性が長嶋茂雄という人だと、世間というのはこんなに過剰に「信じられない!」というリアクションを示すものなのだなあ、ということをあらためて知りました。

 「やっぱり、長嶋さんが好きだ!」なんて気持ちには、僕はいまさらなれません。
 それでもやっぱり、この人には元気で長生きしてもらいたいと思います。
 好き嫌いというより、やっぱり「昭和の神」ですし、悲しむ人もたくさんいるだろうし。

 たぶん、長嶋茂雄以外に「長嶋茂雄を演じ続けられる人」は、今後も出てこないはずです。
 今回の急病の話を聞いて、なんとなく、「ずっと長嶋茂雄をやらせてしまって、すみません」とか思ってしまいました。

 キライキライも好きのうちって、こういうこと、なのでしょうか…



2004年03月04日(木)
市井紗耶香、その間違いだらけの人生

日刊スポーツの記事より。

【元「モーニング娘。」で芸能界を引退した市井紗耶香(さやか)さん(20)が妊娠5カ月であることが1日、分かった。2日発売の写真週刊誌「フラッシュ」が報じており、相手は「市井紗耶香 in CUBIC−CROSS」のメンバーだったギタリストの吉沢直樹(28)。モー娘出身者からは真矢と結婚した石黒彩に続いて2人目の“お母さん”となる。
 同誌には吉沢が都内のマンションを引き払い、千葉にある市井の実家に引っ越しをする2人の写真などが掲載されている。入籍はこれからになるという。
 市井は98年5月のオーディションに合格し、モー娘入り。「プッチモニ」などで活躍し、安倍なつみ、後藤真希らと並ぶ人気を誇ったが、00年5月に「シンガー・ソングライターの勉強をするために」とグループを卒業。その後、ユニット「市井紗耶香−」として再デビューしたが、昨年11月にホームページで「私は自分のなりたいもの、自分の幸せのもっとを探しに行きます」と引退を発表した。】

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 いや、御本人は幸せなんでしょうけど…
 4年前に、「プッチモニ」などでモーニング娘。のなかでも人気絶頂だった市井紗耶香さんの脱退には、みんなビックリしたものです。せっかくこんなに人気が出てきたのに、どうして今辞めちゃうの?というのが、とくにモー娘。のファンでもない僕の実感でした。傍からみれば、ちょうど「旬」の時期でしたし。まあ、それはそれで彼女なりの人生設計みたいなものがあるのかな、とも思ったのですが。「シンガーソングライターになるための勉強をしたい」という理由については、それなら、今の立場を利用して、そのままソロになったほうがいいのにな、という気はしましたけど。あるいは、仕事が忙しすぎて体調を崩したり、他のメンバーといまくいかなくなったのかな、などと勘繰ったりも。

 しかし、「しっかり勉強して」と言ったわりには脱退後1年半で「市井紗耶香 in CUBIC−CROSS」として復帰、そして、復帰後は、プロモーションのやり方が悪かったのか曲に恵まれなかったのか、モーニング娘。脱退時の人気はどこへやら、ほとんど「鳴かず飛ばず」という感じで、ヒット曲もないままの今回の引退→妊娠・結婚となったわけです。本当は、妊娠→引退・結婚なのかもしれませんが。
 でもまあ、「市井紗耶香 in CUBIC−CROSS」の曲を聴いた時点で、「これは売れないだろうなあ…」と思った人は多かったと思うんですけどね。

 市井さんの人生は、傍からみたら、まさに「自分の道を行こうとして、間違った選択肢を選び続けた人生」だったような気がします。例えば、あのとき辛抱して、モーニング娘。のメンバーを続けていたら…とか、再デビューも、どうせならもっと待望論があった早い時期か、本当に勉強してからにするか、あるいは、もっと時代や彼女のキャラクターに合ったプロデュースをしてもらっていたらどうか…なんて。そのミスチョイスっぷりには、同情すら感じてしまうくらいです。
 結婚相手の28歳のギタリストも、「その年になって、20歳の妻の実家にお引越しかよ…」と頼りない印象ですし(何か事情があるのかもしれませんが)。広末さんと同じ、若くしての妊娠・結婚にしても、売れてないだけに、なおさら悲喜劇の感もあり。
 
 結局、「彼女のなりたかったもの」は、「お嫁さん」であり、「お母さん」だった、ということなのでしょうか?
 たぶん、本当は違っていたのだと思います。まあ、そういう人生もあり、だとは思いますけどね。

 写真週刊誌の取材に、市井さんは「後悔していません。とても幸せ」と答えたそうです。でも、それって「周りの人は後悔していると思っているんじゃないかな」と彼女も感じていることの裏返し。「相手を厳選して」代議士や教祖や若手実業家の妻になる人もいれば、傍からみたら「どうしてそっちの方向に行くの?」と不思議がられながら、若くして「普通の母親」になってしまう人もいる。
 市井紗耶香って、結局、なんだったのだろう…とか、つい僕は思ってしまうのですけど、本当は、そういうのが「あたりまえの人生」なのかもしれませんね。その場その場では、彼女なりの「ベストの選択」をしてきているはずでしょうし。
 自分や周りの人の人生って、多かれ少なかれ「市井紗耶香的」なんですよね、きっと。「正しい」「自分の道」と自分では思いこんでいる、他人から観たら間違いだらけの人生。
 誰でも、他人の人生はわかったような気になって「あのときああしていれば良かったのに、バカだなあ」なんて、言ってしまうものだけれど。
 



2004年03月03日(水)
どうしようもない「共働きの食卓」

「週刊SPA!」(2004.3/2号)の特集記事「実録・20→30代、『フツーの食生活』白書」より。

(建設会社勤務・34歳の夫と小学校教師・32歳の妻、そして保育園に行っている3歳の娘、という家族の場合。家で夕食を摂るのは週に2日くらいで、それ以外の日の夕食は「ジョナサン」「デニーズ」「手づくりうどん味の民芸」の3軒のローテーションとのこと)

【<ファミレス通い>
妻「ホテルで食事なんて言うと、夫が『なんで食べ物にそんなに金をかけるの?』って。ボーナスや誕生日でも、『カニ道楽』ぐらい。チェーン店なら、“子連れお断り”の心配もないし」
 一方、ファミレス食生活に対して、恵一さんに文句はないのか。
夫「文句?誰にですか?ファミレスに?妻に?文句があるなら自分で作れってことだし、僕は自分では作れませんから。働いて、家事も同じようにやれって言われたら、僕はできない。ファミレスは、パスタとかハンバーグとか、メニューが決まってしまうところはあるけど」
 和美さんはそんな食生活を振り返り、力強く笑った。
「昼は毎日給食でバランスいいから、長生きするわって言ってます」】

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 この記事そのものは、あまりに「コンビニ・ファミレス漬け」になってしまった日本の20〜30代の若者とその子供たちへの警鐘なのでしょう。僕も読んでいて、本当に耳に痛かったし。
 独身研修医の食生活なんて「何か食べられればマシ」という感じで、食事の時間は不規則で、内容も売店の同じようなメニューの弁当やカップラーメン、菓子パン、なんてのが多かったんだよなあ。
 それは今も基本的には同じで、昼は出前やコンビニ、夜は遅くなるからファミレスか居酒屋やラーメン屋というのが現状です。
 しかし、この記事でいくらライターが嘆いたところで(というか、雑誌のライターというのも、同じような食生活の人が多いのでは、なんて僕は思っているのですが)、どうしようもないよなあ、というのが実感。

 僕は夕食はひとりか同僚と一緒か彼女と一緒、なのですが、どのパターンにしても、「健康的な、いわゆる『スローフード』」なんていうのは望めません。彼女も仕事がいつも遅くて合流したときには22時とか23時、なんてのはザラですから、地方の中小都市ではそんな時間に「ちょっと手の込んだもの」なんて食べるのは難しいですし。毎日高級料理屋に行くわけにもいかないですし、ましてや「作って」なんて言えない。もちろん、僕にも作る技術もなければ、時間もない。
 そう考えると、僕たちは結婚していなくて、子供がいないというだけで、この夫婦を責められないんですよね。ああ、例えば僕たちに子供がいたら、こんなふうなんだろうなあ、とリアルに感じるだけのことで。
 この記事の中では、夫婦は確信犯的に描かれているのですが、実際は内心「このままじゃ良くないんだろうけど…」とは考えているんでしょうけどねえ。

 本当に、「仕事と家庭の両立」というのは難しいことだなあ、と最近つくづく思います。
 「これじゃあ、子供がかわいそう」と言われても、じゃあ、子供のために仕事を辞めたり、仕事をセーブするのが正しいことなのか?仕事をしたい共働きの夫婦は、どちらかが犠牲になるか、家庭を持つことをあきらめなければならないのか?それが、「正しい家族の姿」なのか?
 少なくとも、僕たちには「家族団欒の理想の食卓」は、実現できそうにないような気がします。

 どうしようもない「共働きの食卓」は、なんだかとてもせつない。



2004年03月02日(火)
「号泣させる準備はできている」

サンケイスポーツの記事より。

【フジテレビの大多亮プロデューサーが1日、東京・宇田川町の渋谷ビデオスタジオで、同局系の次期月9ドラマ「愛し君へ」(4月19日スタート、月曜後9・0、初回は15分拡大)の説明会を開いた。

 公開中の映画「解夏」のドラマ化で、視力を失っていく売れっ子カメラマン・俊介(藤木直人)の姿を、彼を愛し支えようとする女医・四季(菅野美穂)の視点で綴るヒューマンタッチのラブ・ストーリー。原作は歌手、さだまさしの同名小説。共演には四季の友人役で伊東美咲、玉木宏。父親役に泉谷しげる。

 月9続投の大多氏は「今回は号泣のゲツク」と明言。「ラブ&ファイトで盛り上がる『プライド』とは正反対。大きな運命を背負ってしまったら人はどう動くか。その心情をきちっと描きたい」と説明した。

 脚本は「あなたの隣に誰かいる」の坂元裕二氏で6日の長崎ロケからクランクインする。】

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 さだまさしさん原作の「解夏」は、感動的な映画みたいですね。
 ちなみに、映画版のあらすじはこちら

 今回のドラマ版では、「視力を失っていく売れっ子カメラマンと彼を愛し支えようとする女医のラブ・ストーリー」というふうに、筋が変えられています。これはおそらく、カメラマンという、とくに「目」が重要な職業の男性と医者でありながら、恋人の病気を治せない女性、という、悲劇性を増す効果を狙っているようです。
 「今回は号泣のゲツク」なんて、すごい自信だなあ。

 しかし、僕はなんとなく、「この番組では泣けないだろうなあ」という予感がしています。もともと、あまり「感動の映画」で泣くことはほとんどないですし。
 そういえば、「タイタニック」では泣きそうになりましたが、あれは「真っ暗な冬の海で、あんな怖い目にあった人たちがいたのだなあ、もしあの場に自分がいたら…」というような恐怖感からでした。ジャックとローズの悲恋なんていうのは、「所詮作り話だしなあ」「女は強いなあ」という程度の印象しかなくて。

 正直、あまりに「感動させてやる!」という舞台設定のドラマって、好きじゃないのです。かえって「そういうシナリオなんだろ?」なんて言ってしまいたくなるので。作り物感が強いというか…
 僕が「泣ける」のは、ドキュメンタリーやスポーツなんですよね。

 こういう「感動のドラマ」で素直に泣ける人って、気持ちが真っ直ぐなような気がするし、なんだか羨ましくもあるのです。でも、その一方で、「本当に主人公に感情移入していたら、ここで泣けるのか?」と思うような状況って、けっこう多いんですよね。本当は「感動している自分に酔っている」だけなんじゃないの?って。「主人公にとっては、泣いているどころじゃない状況」で、泣いている観客って、けっこう多い。

 実際は、「ストーリーに感動して泣く」というよりは、「感動したい人」の泣きのスイッチを押すだけ、という話ばっかりのような…
要するに「泣く人は何を観ても泣くし、泣かない人は、何を観ても泣かない」のではないかなあ、という気がするんですよね。
「泣けば感動している」というものでもないだろうし。
 もちろん、大部分の観客は、その両極の間のどこかに位置しているわけですけど。

 僕は、映画版の「解夏」の魅力というのは、「普通の小学校の先生とその恋人」という「ごくありふれた人々」に起こった、誰にでも起こりうる悲劇を描いた、というところにあると思うのです。
 それを考えると、今回の設定の変更やいかにも「月9的」な凝った言い回しや演出というのは、かえって観る側の「リアルな共感」を無くしてしまう結果になるのではないかな、という予感がします。

 「号泣させる準備はできている」
 なんだか、そういうふうに、作り手の「泣かせてやる」っていう意図が透けているのって、僕はちょっと苦手。

 ちなみに、今まででいちばん泣いた映画は中学校のときに観た「風の谷のナウシカ」です。あのエンディングは、ガマンできなかった…
 やっぱり僕も、「泣きたい人」なのかな。



2004年03月01日(月)
第76回アカデミー賞決定!〜僕が賞をあげたい人

ロイター通信の記事より。

【第76回アカデミー賞授賞式が29日、当地のコダック・シアターで行われ、作品賞には、ピーター・ジャクソン監督の「ロード・オブ・ザ・リング/王の帰還」が輝いた。
 同作品は、J・R・R・トールキンの著作をベースにした3作目の作品。
 作品賞のほか、監督賞など11部門をさらい、「タイタニック」と「ベン・ハー」の持つ史上最多記録に並んだ。】

参考リンク:第76回アカデミー賞・25部門受賞一覧

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 日本のメディアにとっては、なんといっても渡辺謙さんの助演男優賞、そして外国語映画賞の「トワイライト・サムライ」こと「たそがれ清兵衛」の受賞なるか、というのが注目の的だったわけですが、結局、この両者は受賞には届きませんでした。残念なことではありますが、ともに世界に大きくアピールしたという点においては、非常に意義があったと思います。受賞できなかったからといって、渡辺さんの存在感が変わるものでもないでしょうし。

 僕の個人的な感想としては、「ロード・オブ・ザ・リング〜王の帰還」の地滑り的大勝というのは、非常に嬉しくもあり、ちょっと意外な感じもしました。下馬評では有利とされてはいたのですが、「ファンタジーなどの架空世界は不利」とかいう噂もあって、ちょっと心配していたので。
 ただ、「王の帰還」は、視覚効果、作曲、美術などの演出系の賞はほぼ総なめ、という感じなのですが、出演した役者さんたち個人としては、完全に賞から無視されており、それもなんだかなあ、なんて思いもするのですけど。

 考えてみると、「ロード・オブ・ザ・リング」シリーズは、「ゴッドファーザー」シリーズのような、1作ごとにその続編という形で、3部作がバラバラに撮られたものではなく、全部一度に撮って、それが分割されて公開されたものです。それなのに、今回の「王の帰還」だけがこんなに多くの栄冠に包まれるのは、ちょっとおかしな感じもしますよね。僕は昨年も「シカゴ」より「戦場のピアニスト」か「2つの塔」じゃないか、なんて思ったし。

 どうも、今回の受賞の背景には、世界的な大ヒットへの賞賛や(「タイタニック」に続く、史上2位だそうですよ)「3部作を通しての評価」という意味あいもあるみたいです。そういえば「羊たちの沈黙」が受賞したときには、倒産した映画会社へのはなむけ、なんていう話がまことしやかに流れていましたし。主演・助演の賞なども「この役者にそろそろ…」なんて空気が影響する面もありそうですし。
 まあ、それもまた、「面白さ」のひとつなのかもしれません。

 そういうふうに考えると、数ある映画賞の中でもとくに権威がある「アカデミー賞」というのも、必ずしも公平ではない面もあるということなのでしょう。もちろん、数ある作品の中で、良い映画でないとノミネートされることはないに決まってはいるのですが。
 そんなことはみんなわかっていても、やっぱり、「形ある栄光が欲しい」と考えるのが人情だというのは、よくわかるのだけれど。

 渡辺謙さんは残念でしたが、今回のノミネートで「実績」を作りましたし、これからのステップアップのキッカケには十分なると思います。「バットマン」の悪役で出演することが決まったらしいし。いつか、「そろそろKEN WATANABEに…」という空気が味方してくれるときだって、来るかもしれない。

 良い作品が選ばれるのは確かだけれど、そこには、いろいろな人間の思惑が絡んできますから、「最高の作品」かどうかは、なんとも言えないところです。
 「良質だけど地味な作品だから、あえて賞を与えよう」なんていうのも、ある意味「贔屓」なわけですし。

 まあ、とりあえず今年の結果には、僕は満足しています。
 そうだ、もし僕が誰か役者さんに賞をあげられるとしたらこの人にぜひあげたい!顔は知られていないけど、本当に、凄い仕事をした人だと思うので。