某携帯サイトさんの日記を読んで、初めて知りました。 衣類等に使われる動物の毛皮は、生きたまま剥がされるそうです。
気絶するまで殴り、蹴り、意識を失ったところで毛皮を剥ぐ。 しかし、皮を剥がれる時の壮絶な痛さ故に途中で意識を取り戻したり 皮を剥いだ後に、明らかに致死量以上に出血しているにも関わらず 死ぬことが出来ず、最期まで痛みに足掻きながら死んでいく動物もいるそうです。
保健所で捨て犬・捨て猫を殺す際も同じですよね。 安楽死なんて手間暇かけて苦しみを感じさせないように殺すわけではなく 麻袋に入れられて、ガス室に入れられて、もがき苦しみながら死んでいきます。 丁度、ヒトラーがユダヤ人を処分したのと同じ要領ですね。
私は幼い頃、テレビで紅白歌合戦を見ていた時に某ジャニーズ系アイドルが 何か動物のファーを首に巻いて出てきたのを見て それだけでいきなり号泣しだしたような人間なので、 こういう話題だけは個人的見解を避けさせていただきます。 どうしても主観的で独りよがりな考えしか出来なさそうなので。 事実、こういうことがあるんだってー、と伝えるだけに留めます。
でも、だからと言って動物愛護団体に賛成なわけでもないです。 医薬品や化粧品を作る際には動物での試行が必要不可欠だ。 それを嘆いておきながら、貴方達は薬は飲まないのか。化粧はしないのか。 そう問われて是と答える人間が一体何人居るものか。 中国では犬や猫を食べる。それは可哀想だから反対する。 そんな意見には呆れを通り越して逆に腹が立ちます。 なら、牛や豚や鳥は可哀想ではないのか。 魚の生き作りは?生きたまま沸騰した鍋にぶち込まれるカニは? 他国の食文化を、個人の偏見だけで否定するのは止めてくれ。
私は、獣医を目指していた頃、自分は“人間”が嫌いなのだと思っていた。 “生きる為に必要な命の犠牲”の量のハードルを、 歴史を重ねる毎にどんどん高くしていく人間全体が嫌いなのだろうと。 でも、今保育士を目指している自分を見て、それに疑問を抱きました。 人間全体が嫌いなら、何故私は人間と関わろうとしているのだろう。 どうして私は、嫌っている筈の人間を育てようとしているのだろう。 ほんの少しの時間考えて、ああ、そうじゃない、と思いました。 私は多分、“人間社会の強者”が嫌いなのだと思います。 それは動植物から見た人間であり、子どもから見た大人であり。 人間社会が嫌いで、それを動かしている上位の人間が嫌いで。 だからただ、人間社会に反発したかったのだろうと思います。 反発する為に、人間社会で強者と判断される地位が欲しくて、 でも強者の側で、今の人間社会に溶け込む気にはなれなくて。 寧ろ弱者とされる側の立場に立って、強者に反論したかった。 その結果目指したものが、獣医師であり、保育士だったのだろうと思います。
トコトントントン少数派。良いよ別に。今に始まった事じゃない。 社会に出ても、今の反発心を無くさずにいられれば良いな。
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