◎ 行ってきます。 ◎


何やら何も解決されてない気もしますが
とりあえず明日から青森に行って来ます。

…他に特に何のネタもありません(ぇ
まぁ、という訳で。

第29回全国高等学校総合文化祭文芸部門に出場する方ー。
多分私がウロついているんで気をつけて下さい(…何を?


   − 2005年07月26日(火) −

◎ ずっと、ずっと。 ◎

入院中、外出した時に買ってもらった、一鉢の紫陽花。
最近日差しが強すぎるせいで、一時期枯れかけてしまって心配したけれど
今日見てみたら、ちゃんと青々とした新しい葉を付けていた。

中学2年生の頃に学校の立志式で貰った、一株の金柑。
アブラムシやアゲハ蝶の幼虫の格好の餌場になってしまっても、
それにも負けず、食べられた所からすぐに新しい小さな芽を出していく。

強くて
健気で
優しくて
そんな姿が
酷く愛おしい。

大好きだよ。
皆、みんな。
ずっとずっと、元気でいてね。

   − 2005年07月25日(月) −

◎ 振り返る。 ◎


此処から進める自信が無い。

土曜日にクリニックに行った時に、6月まで入院していた
病院でやった心理テストの結果を少しだけ教えてもらえた。


私は、自我…というか、アイデンティティが欠如しているらしい。


…要するに、『自分らしさ』が何なのか分かってない、って事だよね。

…何なんだ、『自分らしさ』って(←言われた通り分かってない

自分らしさ…性格?
そう考えて、自分の性格というか日々の行動というかを振り返ってみると
変に考え方が甘くて
妙な所で生真面目で
弱虫なのに泣けなくて
感情的な表面と冷めた内面が常に表裏一体で
『他人』に合わせるのが下手くそで
だから団体行動には向いていなくて
だけど他人の目が異様に気になって
毎日を曖昧に生きている。
…そんな感じ?
日頃は結構思い付くんだけれど、いざ書き出そうとしてみると
ぽっと頭から抜けてしまって。どうも上手く表現出来ません。

これからもあのクリニックに通い続ければ、
もっと詳しい『心理テストの結果』を教えて貰えるかな。
…楽しみだなぁ。


   − 2005年07月24日(日) −

◎ 頭痛が治らん…。 ◎

吐き気も酷いんでもう寝ます…。

   − 2005年07月21日(木) −

◎ 気付いた事。 ◎

夕方、気付いた。
昨日から続いている、頭痛も、吐き気も。
涙を流せば、その瞬間だけ、嘘のように消えた。

…この頭痛は。吐き気は。
泣けなくなった…退院以来、泣ける環境が極端に限られてしまった自分が
己の限界を他人に知らせようと試みている、新しい手段なのだろうか。
全く、よくもまぁ臨機応変に色々な手段を考え付くものだ。
私の身体は、『身体』だけがそんなに努力をしても
『心』によって全てを踏み躙られる事に、まだ気付かないのだろうか。
いい加減に気付いて欲しい。
『私の身体』がいくら努力しても、報われない事を。
『私の心』をどうにかしない事には、どうにもならない事を。

そういえば。
入院中に取り上げられたカッターと
強制的に預けさせられた剃刀は
退院するその日が来ても、結局返してもらえなかった。
…あのカッター、素直に工作用具として切れ味が気に入ってたのにな。

   − 2005年07月20日(水) −

◎ 止まらない。 ◎

今日は、とても苦しい1日だった。
昨日、友人と夜遅くまで遊び回っていたせいなのか
それとも月も半ばを過ぎて、疲れが溜まり始めたのか
何が原因なのかは分からないけれど。

今朝が体調的に辛いだろうということは、昨晩から覚悟していた。
上記通り、友達と遠出をして遊びに行ったから。

でも、まさかここまで辛くなるとは思わなかった。

HRには遅刻したけれど、1限目には間に合った。
けれど、授業の途中から酷い頭痛に襲われて。
それに続いて嘔吐感まで覚え、口が渇いた。

堪えきれなくなって、1限目の終わり間近に授業を抜けた。
地歴公民講義室を出て、扉を閉めた瞬間、一気に吐き気が強くなって。
歩く事も出来ずにその場に蹲った。

「大丈夫か?保健室、行けるか?」
私が講義室の傍から動けずにいることに気付いたらしい先生が
声を掛けてきて、近くに居た女子生徒に私を保健室まで送るようにと命じた。
けれど、私は「大丈夫です」と言って、それを断った。

とりあえずその場から立ち去らなければ、と思った私は、
講義室から一番近かったトイレに逃げ込んだ。

そして、必死で吐こうとしながら、泣いた。
涙だけ零すなんて出来なくて、声が喉の奥から漏れた。

2限、3限と授業は続き、その間も体調は戻らなかった。
2限目の英語は完全に机に突っ伏しながら
3限目の数学はぼろぼろと泣きながら
それでも何故か、保健室に行く事だけは拒んでいた。
どの先生に何と言われようとも、4限あった授業は結局、全部受けた。

その後、明日が終業式という事で、大掃除があって。
皆程役には立てないながらも、自分なりに必死で掃除を手伝った。

何が自分をここまで駆り立てていたのかは分からないけれど、
とにかく皆と同じ事をしようと必死だった。

そして、今に至って。
未だに頭痛と喉元の不快感は残っているけれど、
学校で堪えていた苦しみと比べれば、随分楽になった。

夕飯に手をつけようとしない私を見かねて、母が理由を尋ねてきた。
私は素直に、今日の学校での体調不良の事を話した。

結果、明日は『意地でも授業に出よう』なんて無理をせず、
午後の終業式だけでも出られればそれで充分だから
ゆっくり起きて、明日の体調を見ながら学校には行こう、という事になった。

…あと、1日。
明日が終業式だから…あと1日だったのになぁ。
何で、今日が『限界の日』になってしまったんだろう。
何で、折角の最後の日に、皆と同じように授業を受けられないんだろう。
…言葉が見つからないくらい、悔しいよ。

明日は夕方から、三者面談もあります。
普通は両親のどちらかだけが来るものなのだろうけれど、
明日の私の面談は、両親とも来る『四者面談』になりました。
私は、今年度は卒業しないから…皆みたいに、進路の話は出ないと思う。
…じゃあ、一体何の話をするんだろう?


   − 2005年07月19日(火) −

◎ 遠く、遠く。 ◎


怖い。

何が?

解らない。


解の無い問いと
終わりの見えない苦しみの中で
ぼやけた思考を動かそうとするけれど
何も反応を返してはくれない。
『自分』にすら、私は見捨てられたのだろうか。


泣くな。

笑え。

…笑って、くれ。

   − 2005年07月17日(日) −

◎ 先生へ。 ◎


望む事は何もありません。
薬にも
医者にも。
この病気の兆しが現れてから、ほぼ丸1年が経ちました。
どんな本でも
『うつ病は早期発見・早期治療をすればそれだけ早く治る病気です』
と歌ってありますが
それなら私は一体何だというのでしょう。
異変に気付いたのは早い方だったと思います。
だから最初は、診断書の病名だって『抑うつ症状』だった。
それからは
医者に言われた通りに薬を飲んで
医者に言われた通りに無理を減らして
自分なりに頑張ってみたつもりだったのに。
1ヶ月経っても
2ヶ月経っても
5ヶ月経っても
私の症状は、良くならず、寧ろ悪化していく一方で。
32条の申告をする為に、再び診断書を書いてもらった時には
『抑うつ症状』だった筈の病名が『神経性症うつ病』になっていました。
入院を勧められた時、先生は言いましたね。
「劉さんのうつの度合いは、かなり重い方だと思うから」
初めて診察を受けた時、貴方は「中程度のうつ症状ですね」と言ったのに。

何故、早期に発見し、治療しようとしたのに、症状が悪化するのですか?
何故、入院しても、結局何も改善されなかったのですか?

だからもう、望む事は何もありません。
だから、それなら何を頼れば良いのかと、今悩んでいるところです。
どうすればこの症状が改善するのかと、模索しているところです。

…ねぇ、先生。
私はどうすれば良いのですか?
私はあとどれぐらいで治りますか?

…今日の診察で、どれだけ私が悲しくなったか、気付いていますか?


   − 2005年07月16日(土) −

◎ 失うこと。 ◎


「何でそんなに自分に自信が持てないの?」
友人に初めてそう質問されたのは、いつの事だっただろう。

初めて――一度目の時は、そんなこと考えた事も無かったから
ちゃんとした返答をすることが出来なかった。

でもその後、二度、三度と同じ質問を繰り返されるうちに
私は自分なりの答えを出して、そして言葉を返した。


「多分、小・中学生の頃に、同級生に根こそぎ取られちゃったからだよ」


それが、私の答え。
友人の問いの原因が、私の性格などの内因的なものでないとしたら
過去の苦い記憶が関係しているとしか考えられない。


いつの頃からか、自信を喪失してしまった私。
そして、そんな私は、近々もっと大きなものを失うことになっている。
そう遠くはない未来に。
不安定だけれど、確定している未来。
望まない未来を目指しながら、私は進まなければならない。

どれだけのものを失えば、私は楽になれるのだろう。
どれだけのものを奪えば、世間は満足するのだろう。

でも、その時に一番辛いのは、きっと私じゃない。
だから私は、その未来が来た時には、出来るだけ強気でいようと思う。
周りが安心して悲しみに暮れられるように。
周りを支える為に、一番強気でいられるように努力したい。

そして
周りの皆が、心行くまで悲しんで、再び前を向く事が出来たら。
そうしたら、次は私が座り込んで、盛大に悲しもうと思う。

…せめて。
せめて、大好きな人達くらいは支えられる人間でありたい。
そして、大好きな人達を悲しませないように、一人で泣ける人間になりたい。

後で壊れても良いから、一時的にでも強くなりたい。


   − 2005年07月15日(金) −

◎ クラスマッチ1日目。 ◎

今日から明日までクラスマッチだ。
うちのクラスは理系だから女子が少ない。そのせいか、いや、そのせいで、出場種目は当然のようにバレーボールになっていた。
…私はソフトボールが良かったな、なんて、冗談でも言えなかった。
だって私は…バレーボールの選手登録すらされていないような存在だから。
もうきっと、高校のクラスマッチでソフトを出来る日は来ないのだろう。
1年の頃は、クラスが文理で分かれていなかったから
1つのクラスからソフトボールとバレーボール、両方のチームを作って出す事が可能だった。
でも、2・3年になって、理系になってからはそれが出来ない。
例え出来たとしても、ソフトをやりたがる女子は殆ど居ない。

…1年の頃、ソフトが出来た時、チーム全員がろくに経験も無い初心者で、
練習ですらどこのチームにも勝てなくて。「最弱だねー」って皆で笑った。
でも、それでも嬉しかった。ソフトが出来る事が本当に嬉しかった。

私は女で、そのせいで色々な障害があって…でも、その障害を乗り越えるだけの勇気もなくて、結局、私は野球もソフトも、本格的にどこかのチームに所属して習う事は出来なかった。…否、しなかった。
本当は好きで好きでしょうがないのに、やろうと思えば色々な手段があっただろうに、結局私の野球やソフトへの情熱は『好き』で『観戦する側』に居るだけに留まった。

男に生まれ、時期を逃さずに小学校でソフトを習い始めた弟は、
中学生になった今、シニアのチームに所属して野球をしている。
凄く羨ましい。けれど、憎しみの類の感情は一切湧かない。
逆に、私が辿りたかった道を着実に歩いてくれている弟の成長は、
私にとって本当に楽しみで、そのまま夢を追っていて欲しいと思う。

私は本当は、高校に入ったら、野球部のマネージャーになりたかったんだ。
選手にはなれないけれど、せめて、どうにかして野球に携わりたかった。
…でも、うちの学校の野球部は、「マネージャーは要りません!」と高らかに宣言していたから、結局また、私はやりたい事が出来なかった。
だけど、これで良かったのかもしれない。
今の部活…文芸部に入れて、私は幸せだったと思うから。
尊敬出来る先輩と、信頼出来る同輩を得られて、本当に幸せだから。
…後輩とは…実はあまり面識がないので、これから少しずつ部活に顔を出して、何とか親睦を深めようと思います。

何だか話が脱線し始めたので、今日はこの辺で終わります。
明日もクラスマッチ。友達の応援とか…出来れば良いな。

   − 2005年07月12日(火) −

◎ 消えていくもの。 ◎


ねぇ。

…最近、どんどん『欲』が無くなってきてるんだ。

今月末に行ける、青森で開かれる部活の全国大会。
一年前に出場権を得ることが出来て
それからずっとずっと楽しみにしてて
それの為に、病院の心理士さんの忠告も押し切って
殆ど無理矢理退院して、今、此処に居るのに。

…何かね。

最近、その大会すらも『どうでも良いや』って思えちゃうんだ。

あの時の希望も不安も期待も熱意も嘘みたいに、無かったことみたいに。


…こんな風にして、色々な興味や欲が無くなっていくのかなぁ。

これからどんどん

食欲も物欲も無くなって

大好きな人達の気持ちを思いやる感情も無くなって


その末に


最終的に






…死んじゃうのかなぁ…。





『私が死んだら泣いてくれる人が居る』っていう確信があるから
私は今、こうして此処に居る。
大好きな人達を悲しませたくないから、その一心で、此処に居る。

でも。

その気持ちまで…忘れちゃったら…?


怖い。
昔は本の虫だった私が、今は、興味をそそられて何か本を手に取っても
それを1ページ開いて一章節目を通しただけで、興味が萎える。
テレビも見ない。ゲームもしない。
かろうじて学校へ行って、そしてこうしてネットをしている。

…次は何を忘れるんだろう。何が消えていくんだろう。


   − 2005年07月11日(月) −

◎ 私の処方箋。 ◎

今日は入院していた病院に、診察の為に行ってきました。
そこでようやく今服用している薬の正式名称等を知る事が出来たので
それを記録しておこうと思います。
前に書いた処方箋とは少々変わってます…入院中に私が訴えたんで。

++朝・昼・夕++
・トレドミン錠25
・リーマス錠100
・レキソタン錠2mg
・ガスモチン錠5mg
・酸化マグネシウム0.5g

++朝・夕++
・ノリトレン錠

++眠剤++
・ハルシオン0.25mg錠
・ドラール錠20

入院中や退院してからのこの一週間強は、眠剤飲んでも寝付けない場合に飲む
『追加眠剤』っていうカタチでロヒプノール2mgが入っていたけれど
今回からはもう追加眠剤は処方されなくなったみたい。

今日は土曜日だったから、私の元主治医が不在で。
代わりに初めて、その病院の院長先生に診てもらった。
…でも、私は昔の主治医とすら馬が合わなかったけれど
今日診察してくれた院長先生とは、もっと合わない気がする。

私は退院してから、出来るだけ『笑うように』心がけていた。
学校で授業に出た時にはもちろん、家で家族に対してだって。
それが無茶だと知りながら、余計な負担になると知りながら、
それでも必死で笑い続けた。心配をかけないように、必死で。
泣く時には必死で独りになれる場所を探した。
…そんな私の『無茶』を、我侭だけど、先生に気付いてもらいたかった。
心理士やソーシャルワーカーの人は、母にこの一週間の私の様子を訊いてから
何を問いかけても無反応な私を見て、「きつかったでしょう?」って言ってくれた。無茶に気付いてくれた。
でも、診察してくれた先生は「家族となら喋れる?それなら大丈夫でしょう」と、『はい、診察終わり』とばかりに言い放った。
初めての先生だけど。
前の主治医にすら、あまり理解してもらえなかったけど。
私は、「辛かったね」って。「頑張ったね」って言って欲しかったんだ。
笑うことをやめるつもりはないけれど、もう良いんだよって止めて欲しかった。

そしてその先生は薬について説明する時にも
「精神病ってのは薬だけで治る病気の方が少ないんですよ。
 手助けをするだけだから、あとは他の要素で…」
とか何とか言ってたけれど。『他の要素』って何?
入院していた4ヶ月弱、色々な活動があった。
それが先生の言う『他の要素』なのだろうけれど。
その『他の要素』で、入院中に先生達は私を楽にしてくれた?
ただでさえ薬の効きが悪い私は、毎日泣きながら過ごしていた。
入院中だってそうだったのに、病院外に出てきた私は
何処で・何にその『他の要素』を見つければ良いの?

笑うのを止めたら、涙が止まらなくなる。
だから、笑う。精一杯、必死で。


   − 2005年07月09日(土) −

◎ 助けて。 ◎


逃げ場が、無い。

保健室は養護の先生が苦手だから行きたくない。
教室は苦手な人が居るから行きたくない。
でも、友達には会いたい。だから学校には行かなきゃ。
どうせ学校休んだところで、今度は罪悪感に潰されるし。

…でも。
じゃあ、私は何処に居れば良いの?

昨日でテストも終わり、今日から通常の授業が始まった。
でも、3限目で限界だった。その後の休み時間に、教室を飛び出した。
上に書いた理由があるから、保健室には行かなかった。
只、病院に居た頃みたいに外を求めて、ふらふらと校庭に出た。
他学年が体育の授業をやっているのを横目で見ながら、
プール下の…多分日頃は野球部の休憩場と化しているであろう場所で
適当に汚れていない椅子を見繕って座って、一人で泣いた。

苦しい苦しい苦しい。
誰か助けて。苦しいよ。

分からない授業。

忘れかけていた対人関係。

色々なものがごっちゃになって、何が何だか分からなくなって。
…でも、次の瞬間、何かがプツンと切れて。
苦しさは消えない。
けれど、涙は止まった。
だから、教室に戻った。
戻る途中で体育の先生に何かを話しかけられたけれど、よく覚えていない。
只、「保健室行くか?」と訊かれたのに対して「教室に戻ります」って
そう、一言だけ答えたのは覚えている。
そして私は、15分くらい遅れて教室に戻り、普通に化学の授業を受けた。
その後はちゃんと『皆と同じように』行動して、
それでもやっぱり放活(『放課後活用』という名の自習時間)に出られる程の気力も体力も残っていなかったから、それはサボって帰ってきた。

…明日で、一週間が終わる。
明日は何処に居よう?…どうやって乗り切ろう。


   − 2005年07月07日(木) −

◎ まとまらない。 ◎


言いたい事は沢山ある。
でも、口からはちっとも出てこない。

遂に朝のSHRに行けなくなった。
登校三日目。…思ったより続かなかったな。



   − 2005年07月05日(火) −

◎ ネタ書き溜め。 ◎


繋いだ手
貴方の其れは
酷く冷えていた。

私には
貴方の其れを
温めることは
出来なくて。

「ごめんね」と零したら
貴方は淡く微笑んで
「触っていてくれるだけで嬉しいから」
そんな言の葉を返してきた。

綺麗な闇に溶けてしまいそうな貴方を
私は必死で繋ぎ止める
温もりを伝える事は出来ない
作り物の左手で。

溶けないで
消えないで
此処に居て

ずっと、ずっと

体温は伝わらなくても
気持ちはきっと伝わるから。

そう、信じて。
私は今日も、貴方と手を繋ぐ。

   − 2005年07月04日(月) −

◎ 口癖。 ◎

いつの間にか
私の口癖は
「ありがとう」と
「大丈夫です」と
「ごめんなさい」になっていた。

些細な事でも『ありがとう』。
嫌われるのが怖いから。

平気じゃなくても『大丈夫です』。
下手に会話をするのが面倒だから。

何に対してかも分からずに『ごめんなさい』。
近くの人・遠くの人への罪悪感が絶えないから。

何処に居ても、何をしていても
私は必死で『何か』から逃げようとしている。
それが迫り来る『現実』なのか
病から来る意味の無い『不安』なのか。

…そもそも、さぁ。
私って本当に『病気』なの?
『五月病』の延長版じゃなくて?

周りは受け入れてくれるのに
一番この病気を受け入れていないのは、自分自身。
ごめんね、自分。物分りの悪い子で、ごめんね。

…ずっとずっと苦しめて、ごめんね。


   − 2005年07月03日(日) −

◎ 初めての『高校3年生』 ◎

学校に行った。
生徒の前では笑えた。
先生の前では笑えなかった。

3ヶ月間空席だった、私の席。
それでも確かにそれはしっかりと存在していて
その証に、3ヶ月分のプリントが詰まっていた。

数学の宿題。
英語の小テスト。
国語の問題集の回答。
その他諸々の問題集のコピー。
そして、模試で使用したらしい冊子。

今日から皆はテストで、それを受けない私は
英語科職員室隣の教育相談室で、それらの仕分けをした。

各教科ごとにプリントを分けて
模試の冊子で、成績優秀者の一覧表を見ていたら
突然涙が零れ始めた。

みんな みんな
私が立ち止まっている間に
こんなに沢山のことを学んだんだね。
私の知識は『高校2年生』で止まったままで
復習を全くしていない今は、それすらあやふやで。

「勉強の出来ない人間なんて猿以下だ」
今でも鮮明に覚えている、父の言葉。
とにかく勉学には厳しい人だから、他にも色んな事を言われた。
ごめんね、ごめんなさい、お父さん。
ヒトは、知恵以外に他の動物に勝るものを持っていないのに
その知恵すらも習得出来ないような娘になっちゃったね。
期待に添えない娘でごめんなさい。

…ねぇ。
勉強、したいよ。出来るようになりたいよ。
やっぱり私は、『勉強をしない自分』に価値を見出せない。
勉強しなきゃ、成績を上げなきゃ、存在を否定されそうで怖い。
心では必死でそう思うのに、頭と身体はそれについてきてくれない。

どうして人並みのことも出来ないの?
どうして私はこんな生活を送ってるの?

どうすればこの『病気』は治るの?
医者も薬も、入院したって結局助けてくれなかった。
じゃあ誰を・何を頼れば良いの?
…いつになったら、『普通の子ども』に戻れるの?

放課後、学校でパニックを起こした。
あんなに感情を表に出したのは初めてだった。
家に帰ってきても、その不安感も涙も止まらなくて
気付いたら、サンダルをつっかけて家から逃げ出していた。

辿り着いた先は、私の母校の小学校。
何でそこに来たのかは分からない。
でも、ゆっくりと遊具をひとつひとつ回っていくうちに、
気分は晴れなくても涙だけは止まってくれた。


   − 2005年07月01日(金) −

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