梅雨の晴れ間の貴重な晴天。いつものよ うに、一緒に住むための「部屋」を探して 歩き疲れた香苗と海斗は、コーヒーショッ プの窓際の席で一休み。 ◇ 2人の「部屋」がいつまでも見つからない理 由は、いつの間にか、お互いに「求めるも の」が変わってしまったから。 だが、香苗はそのことを、2人が積み重ね てきた長い年月をリセットする理由にはし たくなかった。それ以上に大切なものがき っとある。そんなことを考えながら、空に なったコーヒーカップの底を見つめ、自問 自答を繰り返していた。 ◇ 「このまま部屋を探し続けていいのかな」 香苗は、ついにその答えを海斗に委ねた。 聞こえているのか、いないのか。火のない 煙草を咥えたまま、行方不明のライターを 執念深くさがしている海斗に、香苗は少し 苛立っていた。 さすがに、いつもと違う空気を感じとった海 斗は、ようやく煙草に火をつけると、重い口 を開いて静かにいった。 「今の俺には探せない」 ◇ 視線を窓の外に移し、雲の流れをじっと見 つめる香苗は、幸せになりたくて探してい たはずの「答え」が、こんなに苦しいものと は思っていなかった。
大学時代の音楽サークルの仲間にいわせ ると、今日子はロマンチストで一途な女の 子。誰もがそう信じて疑わない。 卒業後、定期的に開催される音楽サークル の会合では、毎回のように、今日子が「葉 加瀬太郎」似の徹に、「今でも惚れているん じゃないか」という話題で盛り上がる。 今日子にはそれが居たたまれない。 ◇ 高校時代のこと。ある朝、惚れた男に告白 し、めでたく付き合うことになったが、日が 沈む前に飽きて振ったという残酷な事実が ある。 もちろん、皆に非難されたことはいうまでも ない。社会人になった今でも、時折話題に のぼっては責め立てられる今日子だった。 ◇ だが、大学の音楽サークルの仲間は、今日 子が「熱しやすく冷めやすい」ことなど、知る 由もない。 入部したその日に「葉加瀬太郎」似の徹に 一目惚れをした今日子は、「運命の人に出 会った」と、サークルの全員に打ち明けた。 ところが、惚れていたのは入部してわずか 3日間。熱が冷めたその理由は、徹が履い ていた「蛍光色の靴下」が眩しかったから。 今日子はそれを、誰にも言えずに卒業した のだった。
もうすぐ夏がやってくる。 「5月の紫外線」が気になる頃。千秋は日 差しを防ぐ「帽子」を探していた。 だが、なかなか自分に似合う「帽子」を見 つけることが出来ない。 隣を歩く風子の「帽子」が羨ましくて仕方 が無い。それは風子にとても良く似合って いた。 ◇ 風子と別れた後。たまたま通りがかった 公園の木の下にあるベンチに腰掛け、日 が沈むのを待つことにした。 木漏れ日を見上げ、ひとり物思いに耽る 千秋は、「5月の紫外線」を気にしながら 歩く自分に、少し疲れていた。 「どうしよう、そばかすが出来ちゃう」 はたと母親の頬に散りばめられた「そば かす」を思い出す。 強い日差しのなか、庭の「植物」を心から 愛し、毎日たっぷりと「水」をやる母親の姿 が目に浮かぶ。 素顔のきれいな彼女には、日差しを防ぐ 「帽子」も、「日焼け止めクリーム」も必要 なかった。 ◇ 千秋は、すくっと立ち上がり日向に出ると、 直射日光を顔いっぱいに浴びて目を閉じ た。 だが少しも経たないうちに「5月の紫外線」 が千秋を煽る。 「急がないと。夏はもうそこまで来ている」 結局、千秋が公園を去ったのは、日が暮 れた後。明日もまた、何処にあるかわから ない「帽子」を探して歩き続ける。
「外は雨だし、2階のレストランでランチし よう」 和美と知恵、昭吾は職場の同僚。同じプ ロジェクトチームにいる3人は、長引いた 会議のせいで、お腹と背中がくっつきそう。 3人が会議室を出て廊下に出ると、背後か ら和美と知恵を呼び止める部長の声がし た。 「至急午前中の会議資料を集めて、議事 録を発行してくれないか」 顔を見合わせて立ち止まる和美と知恵。 「急ごう、席がなくなっちゃうよ」昭吾の言 葉に知恵は小さく頷く。2人の足は、エレ ベーターホールへ向かっていた。 「わかりました」 和美は、部長にそう返事をすると、誰にも 聞こえない、小さな溜息をひとつ吐いて職 場へ引き返した。 エレベーターホールから、昭吾の笑い声 が微かに響く。 雨は、いっそう激しく降っていた。
今日、懐かしい場所で友人に会った。 「きっと素敵な空間なんだろうなぁ」 いつも下から眺めては通り過ぎるだけだっ た、駅構内の中2階にあるスターバックス。 いつしかそこで、「未来の王子様と待ち合 わせをするんだわ」なんて夢を見ていた。 友人が仕事を終えるのを待つ間。 今日こそはと期待に胸を膨らませ、下見を 兼ねてスターバックスへの階段をあがる。 「なんじゃこれ・・・」 空想にふける暇があったら、「直ちに行動 に移し、事実確認をせよ」ということだ。 偶然、明日もまたこの場所で人に会う。 だがもう二度とスターバックスを見上げる ことはないだろう。 そんなことを考えながら、小さな間違いに 気がついた私は、小さな夢を失くし、店内 をぐるりと見渡すと、ゆっくり階段を下りた。 それでも― 例え目の前の「現実」が、自分の求めてい たものとは違っても、そこに「本質」が見え たことを、良しとしたい。 心に描く「イメージ」、「想像力」を、大切に していこう。 どんな夢も、見ているだけじゃ前に進めな い。たくさん失敗をして、広く存在する「現 実」から、学んでいくことがきっと大切。 そのうち、「思い通り」に夢を叶える日が、 やって来るかもしれないのだから。 もしいつか途方に暮れることがあっても― どんな「現実」も、その時、その場所に自 分が生きていた「真実」だけは永遠に残る。 決して消えることはないんだ。 懐かしい場所での、懐かしい友人との再 会が、それに気づかせてくれた。
「アハハハッ」 「難しそう」という先入観から、手に入れて 以来、しばらく放置していた本を読んでみ ると、これが意外に面白い。 「やっぱ笑える話っていいよねー」などと独 り言をいいながら、一人部屋で笑い転げて いた時のこと。 廊下を歩いていた母親が、私の部屋に接近 し、扉の前で足を止める気配がした。 「怪しい者ではありません」といわんばかり に、本のページを、わざと聞こえるように音 を立てて捲る私。 我が子が一人部屋にこもってブツブツと独り 言をいっている。いつ何が起こるかわからな いその気配に、母親は震えていたに違いな い。 ハッ 震えていたのは母親だけ・・・? よくよく考えてみると 学校や職場でも、勉強や仕事をする際、にわ か声を出しながら暗記する習性があったこと は否めない。 ブツブツとお経のように唱えている時がある かと思えば、突然「あれ、おかしい、なんで かね・・・」などと喋り出す。 学生時代、先生の話しにいちいち大きく首 を縦に振り、頷く人を見て思ったこと。 「心の中で頷こうよ」 独り言をいう私に対して、周りに居合わせた 人々が、それに似た気持ちを抱いていたとし ても不思議はない。 なんだか怖くなってきた。 今更だけど、今度、勇気を出して友人に聞い てみよう。
菜の花も終わってしまったんだ。 いつもの帰り道。坂の途中、ふと線路沿い の土手一面に鮮やかに咲いていた菜の花 がなくなっていることに気がつき、足を止め る。 花の命は短い、か。 全てが「混沌」のなかにある。そんな自分 を振り切るように、視線を真っ直ぐ前に戻 し再び歩き続けた。 −もしあらゆる「恐怖」を超えるものが「好 奇心」であるならば− そんな問いを自分に浴びせ、ぴょんぴょん 跳ねながら、こっちへ向かって歩いてくる 少女の姿を、ぼんやりと眺めていた。 やがて、真っ白なワンピースを着たその少 女は、目の前でくるりと舞うと、スキップで 軽快に通り過ぎていった。 その姿は 菜の花の黄色のように鮮明に、私の脳裏 に焼きついた。 ただ「歩く」ことを純粋に楽しんでいた幼い 頃の自分を思い出す。 『ツツジ』の花の蜜がとても甘かったこと。 『蛇いちご』を食べたこと。 『蜜蜂』を素手で捕まえ、糸を巻きつけて はブンブン飛ばして遊んだこと。 小学校の階段を『5段抜かしで駆け下りる』 に挑戦し、骨折したこと。 うーん。色んな意味で痛い。(笑) でも、「勇気」とか「変わること」以前に大 事なものを持っていたように思う。 だから 歩きながら舞う少女のような心を、いつま でも忘れないでいたい。 菜の花は、来年も再来年もずっと、またこ こで咲き誇るんだ。
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