「あのさ、恋人ができたんだ」 良く晴れた昼下がり。いつもと変わらない 景色。街も人も雑踏も、何気なく流れてい く。 彼女は結婚していた。 「それで、相手はどんなひと?」 自分の当惑を打ち消すように彼女に尋ね る。その瞬間、最近読んだ文章の一部分 が頭をよぎった。 「ひとつの事実、ひとつの現実、などに対 して、ぼくはいつも異なる二つの思い−ア ンビバレントな感情というのでしょうか、そ んな感じを抱いていたという自覚がありま す」<五木寛之「大河の一滴」より> 日常、私の心を揺さぶるような、思わず何 かをいってしまいたくなるような、そんな時 でさえ、アンビバレントな感情というものが 存在する。 あの日もそうだった。 「二つの思い」が交差する。戸惑いは止め どなく風に流されて、私は答えを探してい た。 あるんだ、昼ドラのような話。 「そろそろ夕飯の買い物に行かなくちゃ。 母親が旅行中なの。カレーにしようかな」 壊れかけた自転車に急ブレーキをかける ようにいった。 「何買うの?」彼女は尋ねた。 「ニンジン、ジャガイモ、お肉、かな」 と答える。 「あ!実家から送ってきた美味しいジャガ イモがある。あげるから、買い物帰り家寄っ てよ。うちもカレーにする。ニンジン一本く れる?二人だからそんなにいらないのよ」 「まるで近所のおばさん同士だ」 不意に、何の迷いもなく交わされた笑顔。 さっきよりも優しい風が吹きぬけて行く。 歩いている道を、何回も振り返って、人は 大人になるんだ。 息を切らす前に、彼女ならきっと立ち止ま れる。 相変わらず答えは見当たらないけど、「じゃ あね」と別れて歩き出す彼女の後姿が、い つもより愛しく思えた。
『郵便屋さんから一通の手紙を受け取る女性』 仕事、プライベートと思うように行かないこと が重なり、閉じていた頃。 ドイツへ旅行に行く職場の先輩に、ドイツの工 芸品の中でも有名な「すず製の壁飾り」を買っ てきて欲しいと頼んだことがある。 「良い知らせが届きますように」 その言葉と一緒に受け取ったこの壁飾りに は、いつまでも、どんな時でも、持ち続けたい 「希望」がある。
伝える、受け入れる言葉というものを考 える時。 相手が傷ついても、自分が傷ついても、 思っていることをストレートにいうひと。 誰かを傷つけるのが恐くて、それによっ て自分が傷つくのが恐くて、慎重に言葉 を選んで伝えるひと。 「優しいひと」はだれ? なんて、きっとそれだけじゃわからない。 時として言葉は凶器にもなり得る。 相手がどういう人間かを見極めて話すこ とは大切だと思う。 かといって、いくら想像力を働かせて言 葉を選んだとしても、相手はそれを望ん でいないかも知れないし、かえって傷つ けてしまうこともある。 堂々巡りだ。 そんなことをいちいち考えていたら、何も 喋れなくなっちゃうよね。「自分らしく」 生きていれば、それでいいんだと思う。 それでも、ふと立ち止まって言葉という ものを考えることがあれば 自分の周りにいる人を見てみよう。 今、側にいるひと。必要な時に、大事な ことを伝えようとしてくれるひと。なかに は厳しい意見だってあるだろう。例え価 値感が違っても、きっとそこに悪意は感 じないはず。 本当に心に響いた言葉なら、取り入れて いけばいいよね。 だから そんな言葉を伝える、受けえ入れる勇気、 「しなやかな心」を持っているひとが、強く て「優しいひと」なんじゃないのかな、と思 う。
理想を語るのは簡単だけど、現実は思うよう にいかないもの。 いくら本気で「こうありたい」自分があったとし ても、もしくは「わかっている」つもりでも、実 は陰で持って生まれた性格が邪魔していた、 なんてことはある。 「そんな欠陥も個性さ!」なんて、悲しい現実 を受け入れて開き直るのもなぁ・・・。それより、 やっぱり理想を目指して生きて行けたらいい。 人それぞれ、「理想」も「正しいこと」も違うから、 無理に「分からせよう」とか、「批判」すること 事体が間違っているのかも知れない。 冷静になって相手の立場っていうのも考えなく ちゃね。 でも、「分かってもらいたい」気持ちを伝えるこ とはきっと大事なんだと思う。 だから、分かってもらえなくても、分かってあげ られなくてもいいのかも。そこに「受け入れる」、 「伝える」姿勢さえあれば。 どれも、理想に過ぎないかな? でも、そうありたい。 せめて、身近にいる大切な人に。
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