Sotto voce
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(本題に入る前に) そりゃ、ここでは真っ黒な本音をぶつけることが多い。 だけど、争って決裂した当時ならともかく、 ここの読者様の誰よりも、その当事者がみてるとわかってて、 その人の悪口かくやつがどこにいるかっての。 (本人はとぼけてるけど、 なんせほぼ毎日、日に二回はチェックされてるのは知ってるから、 勝手にみるな!と何度か暴言は吐いたけども)
とはいえ、誤解させるような文章書いたのはこちらなので、 文章は削除させていただきました。 本当に申し訳ありませんでした。
さて、本題。
父に続き、母も倒れた。
元々自分の体力気力を過信する人だった。 じっとしてるのが嫌いだから、 休みの日にのんびりする、ということをしない人だった。
異変に気づき、医者嫌いのくせに、 珍しくすぐに病院に行った母を、 速やかに専門の病院に行かせる手続きを踏んだかかりつけ医師と、 自分で運転していく、と言い張った母を叱り飛ばして 遠く離れた専門病院に連れて行った母の友人に本当に感謝したい。
母は一人暮らしだから、 誰にも見つけられず手遅れの状態になる、 という可能性は十分にあったからだ。
脳梗塞。
多少ろれつが回らないものの、 担当医師や看護師が苦笑いするほど、 自分の状況を明確に話せる。
ただ、 独学で身につけた、ひいき目なしに見ても美しい母の文字は、 利き腕の麻痺でみるも無残にゆがみ、 (それがきっかけで自分の異変に気づけたわけだが)
食事のときも箸をうまく持つことができず、 母のもどかしさが伝わってくる。
久々に娘ふたりが同時にそろっただけで涙する母の姿、 それだけ気力が衰えている、 そんな母を見ただけで泣けてきた。
これを、友人たちが見ているSNSやブログで書くわけには行かない。 ただでさえ父の病気にまつわる愚痴を吐いて 心配をかけている仲間たちには言えない。 ましてやこれを書くことで不幸自慢、と受け取る人物がいるのも事実。
老いていく両親。 健康だけが自慢だった母さえも倒れた。 私たち姉妹には、親の看病、介護という現実が 待ったなしに突きつけられる。
しかも私たちの側は経済的危機にも瀕している。
これを乗り越えれば、楽になれる。 口には出さないものの、 他人どころか親戚縁者にまで馬鹿にされても、 いつか乗り越えてやると歯を食いしばっている。
それに耐え切れなくなって弱音を吐いたりもするけれども。 そのよりどころであるここを勝手に覗いて、
かわいそうがられたがり? 不幸自慢? いろいろあっておかしくなってる? 性格悪くなった? ふざけるな。 いいたい奴は勝手に言えばいい。
いつか乗り越える。 今は逆風でも乗り越える。 絶対。
2012年11月14日(水) |
Slow waltz。 |
友が空に召された日に、 某所に友の写真と思い出を綴った。
自己満足かもしれないけど、 31歳の若さで永遠に時を止めてしまった、 大切な友のことを忘れたくなくて。
そして、彼の人柄を愛してくれていた 仲間たちとともに、改めて彼を偲びたくて。
彼が空に旅立った日、 日付が変わった頃、 PCのなかに今でも大切に保存してある 在りし日の彼の写真を選ぶ作業をしていた。
傍らには、彼の愛したアールグレイの紅茶 添えたのは、彼曰く「最高のお茶うけ」の 赤いパッケージのチョコレート BGMは、彼がこよなく愛したSTARDUST REVUE。
12年前の、彼の結婚式の二次会の写真では、 彼と、彼が一筋にその思いを寄せた人と、 私と、元相方と、我々の中では姉貴分の女性が、 後に喧嘩別れしたり、友のように永遠の旅に出て ばらばらになってしまう未来など 全く想像つかないほどの笑顔でそこにいる。
11年前に、ネットで繋がった縁で、 北海道民、鹿児島県民、神奈川県民、福岡県民が 福岡で対面したときの写真もある。 くしくもその3年後、同じ11月に友は旅立ってしまうわけだが。
そんな思い出の写真と、 今の私の思いを綴った頁。 そこに、かつて、友を愛した人たちが、 その人なりの、友への思いを綴ってくれた。
自分だけでなく、この思いを分かち合う仲間のいることの心強さ。 8年たった今も、彼の存在は、私たちの心から消えていない。
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