Sotto voce
DiaryINDEXpastwill


2012年08月14日(火) 歌姫回想。

前回日記からの続きになるが。

過去3年分のメールのログを遡りながら、
友人知人のアドレスデータを再登録する作業をしていたら、
3年前のあるメールでふと手が止まった。

そのメールの相手は、かつての飲み仲間。
SNSのカラオケコミュがきっかけで出会い、
やがて歌好き酒好きということで意気投合し。

彼女に出会うまで、
周りがちやほやしてくるのを真に受けて
唄に関してはちょっと天狗になっていたけれど、
彼女の歌声を生で聴いたときの衝撃といったらもう。

後に彼女が、
日本で3本の指に入る歌姫の名を自分のHNにしても
誰も文句を言わないどころか納得してしまうほどの歌声。

後にカラオケコミュを追い出される格好になった我々が、
新たにコミュを立ち上げたわけだが、
元々いたコミュから、新コミュへごっそりとメンバーが移籍したのは
ひとえに彼女の魅力あってこそだろう。

彼女は、そのコミュの主宰と交際していた。
相手は妻子もちだと言うのに、
彼女は堂々としたもので、
「●●さんは私のもの!」と誰にでも宣言して
私はそれを傍から冷や冷やしながら眺めていた。

うまく行っていたのは、最初の数ヶ月だけ。
だんだんその歯車が狂い始め、
やがて二人は破局する。

その頃から彼女はだんだんおかしくなっていく。
そして、彼女と距離を置く人間も増えてきた。
私も、その一人。

後に聞いた話だが、
彼女は私のことも疑っていた。
紗月は●●さんのことを好きなんじゃないか、と。

その当時、私に好きな人がいたことも、
一方で、心からずっと消えない存在があることも
彼女は知っていたはずなのに。


私もそのコミュのスタッフの一員だったので、
コミュのオフ会の打ち合わせで
主宰と個人的に電話したりするのを
快く思っていなかったらしい。

やがて彼女はコミュを去り、
そして、みんなの前からも消える。

一時は鹿児島に戻ってきて、
しばらくは彼女側についた人たちと交流していたけれど、
結局その人たちからも離れ、鹿児島からも去り、
そして今はどこにいるのかすら誰も知らない。

そんな彼女から届いていたメール。

「さっちゃんは、私のことどう思ってる?」
「一度本音で話をしたい」
「どれくらい待てば、話してくれるかな?」

それに対する私の返事が残っていないので
どんな返事をしたのかはわからないが、
あの当時は彼女に関わる人間関係のことで悩んでいたから
今は話せない、時間をくれ、とでも言ったのだろう。

結局彼女とは会うこともないまま、もうすぐ3年になる。
彼女と一番親しかった女性が、
鹿児島から他県へ転勤し、
そして今春、さらに別の地へ異動になったことで、
3年近くの時間の流れの速さを痛感している。


彼女の、あるときを境にして
どこかやけになっているような
その生き様が彼女の身を滅ぼすことになるような気がして
あのまま鹿児島にいたらどうなっていただろう
そんな風に彼女を思い出すこともある。


彼女は今、どこで何をしているのだろう。
陽気な寂しがりやだから、
今日もどこかの町で、
酒と歌と仲間に囲まれて暮らしているのだろうか。


2012年08月13日(月) 携帯電話。

知っている人は知っているが、
父親の入院治療費その他諸々から来る多額の出費に、
携帯電話代すら払えなくなって数ヶ月。

ここ数ヶ月は誰かと待ち合わせして出かける、
ということがほぼ皆無に近く、
外出中に職場から電話が来ることもほとんどなく、
やっと「携帯電話のない不便さ」も苦にならなくなってきたが、
どうにか新たに再契約できそうな運びとなり。

じゃあこの際だから、とアドレス帖の整理をしていたら、
ひとつのグループの中のデータを消すはずが、
アドレス帳データ全消去。

携帯自体は解約になっているので、
携帯会社のサーバー?にバックアップされてる
最新データは当然拾えるはずもなく。

幸い、microSDの中に2年前のデータが残ってたので
大部分のデータはそこから復活。

職場関連は職場に行けば現在のデータが拾えるのでいいけれど
プライベートの交友関係のデータが、
正しいのかそうじゃないのかわからず。

が、それも、携帯会社の過去の携帯受信メールを
PC上に残せるサービスに加入してたおかげで
約3年分の受信メールを遡って、
手打ちで打ち込んでほぼ復活完了。

それにしても携帯を持つようになってからの10年。
給料日前の数日間止まることはあっても、
これだけ長く携帯を持たない日々はなかった。

最初の1ヶ月は本当に不安だった。
その当時は父の体調が本調子でなかったこともあり
いつまた再入院するか、
そのことで呼び出しが来るか、
外に出ていて気が気じゃなかった。

さすがに2ヶ月、3ヶ月過ぎると
家に帰れば、リアルタイムではないものの
SNS等のメールや、自宅電話で相手との意思疎通を図るのにも慣れた。
何しろ、外に出ていて電話を気にしなくていい。

正直、外にいて
「出たくないなあ」と思う電話が来ることもある。
それをまったく気にしないでいいのだから。

人は携帯を持つようになって
他人と短時間で連絡をとる手段ができて
たとえば連絡の行き違いなども容易に解決できるようになったけれど、
それが当たり前になって、
ちょっと連絡が取れないと不安になったりして、
携帯電話という手段に縛られてしまってるのではないかと思えてならない。


2012年08月07日(火) 満7年、そして。

まだ忘れていない
やっぱり思い出した

あれから7年たっても
あのときのことは
心も身体もちゃんと覚えていた。

2005年8月6日の夜から8月7日の明け方に起こったこと
まるで昨日のことのように思い出した。

思い出の場所はなくなり
あの時の彼の車は別のものに代わり
そして何よりも彼も私も
容姿と相手への心証は変わり果てている。

ここに来るまでの7年間
彼との思い出は辛いことが多すぎるのに
たまらなく甘くて幸せなあの日の記憶が
消されずに残っているから性質が悪い。

あの人が心から敬愛する男性歌手を見るだけで
拒絶反応が起こり
あの人が私のSNSのページに足を踏み入れた形跡を見るだけで
どうしようもなく緊張するのに

何の気まぐれか 不意にメールをよこしてきて
また会おうといった相手の心が見えなくて怖い
今度こそ私は決定的に傷つけられるんじゃないか
そうとしか思えない

彼を振り切る作業は
今もずっと現在進行形で続いていて
雑務にまぎれた日常のおかげで
大分「気にしなく」なれていて

なのになぜ思い出す
彼と出会ってからの18年と言う時間が
完全に忘れ去ることを許さないのか


安積 紗月 |MAILHomePage

My追加