Sotto voce
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38歳の私を苦しめているのは、 他でもない、7〜8年前の私。
にっちもさっちもいかないこの状況を、 誰かのせいにできたならどんなに楽だろう。
止まらない胃痛と不眠が、確実に私を追い詰める。
大人になればなるほど 他人に対して様々な自分を見せられる、 その時に応じた最適な行動・表情… 仮面の使い分けがうまくできる人ほど 世の中をうまく渡っていけるんだろうな。
人あたりのよさそうな顔で 実は心の底では相手を見下して 仮面の下で悪態をついていたとしても。
どこかひとつだけは、 自分の黒や灰色の感情さえも 正直に吐き出せる場所が欲しい。
そういう想いから、 日記帳的な場所をSNSだけでなく、別に作っていて。
そのひとつは、先日8年間のログもろとも消してしまったけど、 私にとってはここがそうだったはずなのに 真っ正直に書き綴っても、 根拠はないけれど、 なんか見張られてるような息苦しさがして、 結局言葉を選んでしまっている矛盾。 (この内容で言葉選んでるの?って思われるかもだけど)
twitterもアカウントは持ってるけれど、 自分の気持ちを吐露するには140文字ではたらなさ過ぎて、 結局有名人や、興味のある分野の呟きを読むだけの場所になっている。
活字には、温度がない。 文字だけなら、どんな解釈でも出来る。
自分は口に出して 自分の言いたいことをうまく伝えられない。 昔からそうだった。 いいことにしても、悪いことにしても。
「今こんなこといったら(したら)まずいかな?」と 変に考えすぎて結局何も出来ずに、ってことも多々あるし、
たとえば誰かと言い争いになった時、 とことん自分の気持ちをぶつける事よりも、 その場を丸く治めたくて、 悪くいえば、とっととその問題を終わらせたくて 相手に原因があったとしても 自分から頭を下げてきたりした。
何とか克服してきたつもりだったけど、 やっぱり今でもこうやって文字にした方が、 自分の言いたいことは相手に伝えやすい、 そう思っていた。
でもわかった。
自分の話を聴くつもりのない相手には どれだけ言葉を重ねても どんなに真実を伝えようとしても、 相手が自分を否定的に見るようになってしまったら、 自分の意図とは真逆の解釈にとられてしまうこと。
そうなってしまったら 何を言っても いいわけとしか受け取ってもらえないむなしさ。
ある言葉を、口でいうんじゃなくて、 文字だけでみればどんな印象を受ける?と 当事者じゃなく、第三者的な立場の人に投げかけてみたら 「文字だけなら、あなたはそんなつもりはなくても、 真逆の感情がこもった言葉にとられてしまうかもね」と アドバイスされて気付いた時にはもうおそくて。
そこで粘って粘って誤解をとこうとすれば伝わったのか??
でも私はわかってもらえないならもういいや、と 誤解されっぱなしで悪者扱いされるほうを選んでしまった。 この諦め癖、子供の頃から治らないなあ(苦笑)
大好きな、大切な友達が 突然いなくなったあの日から、今日で満7年。
まだ消せない彼のアドレス 彼の結婚式の写真 彼が生前綴っていた言葉 彼の笑顔 彼の歌声 彼と交わした最後の約束
普段は思い出さなくても 11月14日が近づくと、次々と思い出す。 まだどこかで、 彼の時間が31年で止まってしまったことを 受け入れられずにいるのかもしれない。
あれから7年。 同い年だった彼は、永遠に31歳のまま。 残された私たちだけが、年を重ねていく。
彼のことは、まだしばらく忘れられない。 ならば、彼が空から見守ってくれているから 私たちはこうやって生きているんだ、そう思うことにした。 無理に記憶から消すことは辞めようと思った。
じゃなきゃ、なんで、どうして、もっと生きたかった。 そんな感情を抱く暇すらないほど あっという間に逝ってしまった彼に申し訳ない。
彼がどこかで見ていてくれるから こうやって頑張れる。 彼と関わった仲間たちが、いつか彼のことを忘れたとしても。 私もいつか、気持ちの整理がついて 彼のことを忘れてしまう日が来るかもしれないとしても。 こうやって思い出している間は 彼は私たちの記憶の中で生きているのだから。
鹿児島ローカルの番組で、 かつて好きだった人の実家のお店が出ていた。
私がかつて一人で暮らした街で、 コーヒーのうまい店といえばここ、と 誰にでも紹介できるお店が、その人の実家だった。
19歳?20歳??の頃、友達に紹介されてその店を知り。 自分にはまだ敷居が高いと思える雰囲気のその店で、 彼と、彼のお父様が美味しいコーヒーを振舞っていた。
「あの店の人、かっこいいよね」 あの店に通う人は皆そう口にしていた。 確かに、20代の頃のあの人はかっこよかった。 でも、その時はなんとも思えなかった。
それから十数年たち、再びその人に出会った時、 あの20代の頃の輝きはなかったけれど、 あの頃よりは身近に彼と接する機会があったせいか、 40前の彼に心奪われた。
彼はわけあって勘当同然で家をでて、 紆余曲折あって、十数年のちに故郷へ帰ってきた。 今でも実家の敷居はまたげない彼だけど、 彼が入れてくれたコーヒー、作ってくれた料理は 実家のお店で味わった、あの味と少しも変わらなくて。
今ではその店は、 彼の弟さんが2店舗目を任されるまでになっている。
画面の向こうにいたのは、弟さん。
スリムな兄と比べると、少しふっくらしているけど。 やっぱりそこは同じDNA、あの人にどこか似ているし、声もそっくりだ。
あの人に会うことはもうないだろう、 あの人には、ずっと思い続けてやっと手に入れた恋人がいる。 その恋人には配偶者がいるけれど、 それでもいいと、その人を近くで見ていられるなら一生ひとりでもいい、 そんな覚悟を抱いて、日々を生き抜いている彼。
私も彼への気持ちについては、とっくに整理できたはずなのに。 思い出の場所、あの人に似た人を間近にみると、 心の奥の、封印した気持ちが少しつつかれるような、 そんな感覚に陥ってしまった。
久々に、弟さんのいるほうでなく、 あの人と出会った、彼の実家のお店に行きたいと思った。 カウンターにあの人の姿はないのだけれど、 あの頃の思い出と、美味しいコーヒーに、触れたくなって。
2011年11月09日(水) |
おとぎばなしのような。 |
逆転ハッピーエンド、なんか 今さら信じる、期待する時代はとっくに過ぎただろう?
ありえないぐらい、 今の状況をひっくり返すような幸せな夢に 逆にうなされ泣いて目覚めた朝。
一日一日を何とか終わらせるだけで必死なんだよ。 とにかく一日何とか生き抜いた、無事に終われた。 それだけしか見えなくなっている目先の狭さ。
明日になったらまた、どうやって一日を終わらせるか それだけしか考えられない。
何日か、何週間かあとの楽しみ、それを励みに頑張る。 少なくとも今年の初めまではそれが出来ていた。 だけどそれすらもう、考えられなくなっているんだよ。
こんな毎日に嫌気がさしてるけど、 だからと言って自らそれを終わらせても、 私は何も残せない、むしろ 残された人たちに生きてる時以上に迷惑かけることになる。
それが嫌だから、一日一日を必死で乗り越えているんだよ。
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