Sotto voce
DiaryINDEX|past|will
あの人の欲求要求に
できる限り応えたいけれど
気持ちと意思がかみ合わない。
忙しい時間を割いて
会う時間を作ってくれてるのに
あの人が求めることに
どうしても心と身体が比例しない
全てを受け入れたいのに
ぎりぎりの所で拒んでしまう
気にするな、と言ってくれる
あの人の言葉が優しさが胸に突き刺さる。
前回日記に書いた、
昨年亡くなった友人の墓参りに行った。
友人の奥様に場所を聞き、
私は土地勘がないので同行者に運転してもらい、
郊外の山上に立つ、彼が眠る共同墓地へ。
室内型の墓地、と聞いていたので
建物に、各人のお墓というか仏壇というか
とにかくそう言うスペースが並んでいるのかと思いきや。
受付で渡されたのは、キャッシュカードぐらいの1枚のカード。
そのカードを使うと、収納されてるお墓が
エレベーターか何かで運ばれてきて、
扉が開くとお墓とご対面〜♪という段取りで。
まさにお墓の立体駐車場というかんじで
しばらくは開いた口がふさがらなかった。
都会のお墓はそう言う形なのかもしれないが、
田舎の、家族や先祖の墓を一族で守り抜くという習慣が
当たり前のように身についてる自分にとっては
あまりにも機械化されすぎたそのお墓のシステムは
なんともいえない違和感、味気ない、そんな感じがしたのだ。
周りに誰もいなかったので、20分ほど滞在して帰ってきたのだが、
なんともいえない寂しさ、ああいう形で亡き人を偲ぶシステム。
そう言う複雑な感情が心の奥底に張り付いたまま消えない。
2005年11月14日(月) |
今日のことを、きっと忘れることはないだろう。 |
11月14日。
大切な、とっても大切な友人が急逝した、昨年の今日。
あの悲しみと喪失感は、
まだざらざらとした感触で心の中にあるのに
もう、1年経ってしまった。
なぜ彼なんだ、と神様を恨んだ。
元々宗教とか信じないたちだけど
あの日を境に、心の底から神様の存在を信じなくなった。
聞こうと思えば、行こうと思えば
今日までの365日の間にそうすることができたはずなのに
彼のお墓参りに行く=彼が逝ったことを現実として受け止める、
それが怖くて、それを認めたくなくて
何もできないまま時間ばかりが過ぎた。
最期のお別れの日、眠る彼を前に誓ったこと
絶対に、自分で自分を殺したりしない
彼の分まで生き抜く。
時々、それを破りそうになるけど
何度かそう言う行為をしたけど
あともう少し、のところで何とか思いとどまっている。
2004年11月14日。
きっと、この日付を忘れることはないだろう。
来年も再来年も、この日を生きて迎えるたびに
彼のことと、彼への誓いを改めて胸に刻むことになるのだろう。
私に会いたくないのなら、
はっきりそう言えばいい。
うそをつかれたとわかったときに
どんな気持ちになるか
君はきっとわかっていないんだ。
期待しちゃいけないとわかってても
珍しく昼間に会えることにすごく期待していた。
だからこそ、当日キャンセルになってひどく落ち込んだ。
期待する方がバカだってわかってても
期待した分落胆も大きくて。
自分で選んだはずなのに
苦しくて泣きたくて仕方ない。
仕事を失くして心と時間の余裕が出てくると
君のことを考える時間が増えた。
君にとって、私の優先順位は
いったい何番目なんだろう???
自分の為に時間を空けてくれないひとを
責めるほど子供でもない
だけど全てを飲み込んで余裕ぶるような
物わかりのいい女にはなりきれない。
このまま自分の感情のままに突き進むのと
今の状態で心にうそをついて引き下がるか
どちらが傷が小さくて済むだろう?
君と一緒にいることを望んだとき
やっと築き上げた関係を
今度こそは壊さないと誓った
でもその誓いを覆したくなるほど
寂しさと苦しさに負けてしまいそうになる
自分で選んだはずなのに
寂しくて苦しくて仕方ない
君の隣にいられるほんの数時間の為に
その何十倍の時間を今か今かと待ちわびて
思い悩む気持ちにつぶされそうになる。
|