Sotto voce
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2004年12月30日(木) 偽善者。

あの人の言葉がぐさぐさと心に刺さる。

「お前のやろうとしていることは自己満足で偽善に他ならない。」

そんな声が聞こえてきそうだ。



あのひとのメールに打ちのめされた。

自分たちの自己満足のために他人を巻き込むな。

彼の死をお祭り騒ぎにしようとしていないか。

その一文一文が心に突き刺さる。


お前は偽善者だ、と。

彼の冷たい声が聞こえてくる。



めまいがした。

今自分がしようとしているのは、大きな間違いなのか??



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更新したあとで気がついた。

本日でこの日記、3周年。

3年間、何かしら黒い本音をぶつけ続けた

この場所を離れられないのは

年々自分がすさんで行ってるからなのか。

心の浄化なぞ、いつになったら出来るのだろう。

それとも、もう無理な話なのかな





2004年12月25日(土) クリスマスなんて、と。

鼻で笑い飛ばすポーズをするしかない、三十路ひとり身のクリスマス。

むなしい・・・。

今年も予定もへったくれもないんですぅ(えへっ)と

おちゃらけて笑い飛ばすしかなかった。

空しいことこの上ない・・・。

本当に過ごしたい相手とのクリスマスは、今年もまた実現しなかった。


プレゼントが贈られてきた。

宅急便の伝票が無造作に貼りついた包みを見てため息つくしかなく。


そのプレゼントは、確かに自分がほしいと思っていたもので

うれしいんだけど、自分で買おうと思えば買えるもの。


一番欲しいものを、彼は私に与えてくれない。

気づいていないのか、それとも知っていてもどうしようもないので

気づかぬふりをしているだけなのか・・・。


2004年12月21日(火) きがつけば・・・。

今日も飯抜きで茶の間に倒れ臥す・・・。

飯はいいのだ、疲れすぎて固形のもの食ったら吐くし。

一度横になったら朝まで目が覚めないので空腹も気にならないし。

問題は、茶の間の畳の上にごろ寝のまんまで朝まで気づかないことだと思う。

今夜は珍しく途中で目が覚めて今こうしてこの文を書いているのだが。

風邪を引かないのが不思議なくらいだが、

さすがに腰と、物をまともに食わないせいか胃がおかしくなってきた。




事務方の仕事に関係する業務が立て続けにあるから仕方ないんだけど、

今月の平均帰宅時間が23時台ってのは・・・さすがに2週間近く続くと

またもや『なんもかんもうっちゃりたい病』が出てきそうな気がする。


2004年12月18日(土) 新天地。

何度かこの日記に登場した、元同僚・T氏。

会社を辞めて早半年たつわけだが、

プータロー期間は「資格取得の鬼」と化していたらしい。

最後にあって話したときに、次は県外で、事務以外の仕事をすると言っていた。

そんな中、かかってきたT氏からの電話。

年末調整の時期だから源泉徴収表でも作ってくれというのかな?

そんなことを思いつつ電話に出てみたら。


なんとT氏、名古屋に就職することが決まり、明日出発するとのことで

その挨拶をわざわざしてくれたらしい。






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…すみません、一度使ってみたかったんです(謝)

…とまあそれはさておき、新天地に旅立とうとしている彼の口調は

会社を辞めるときのあの重さ暗さがすっかり払拭されていて

去っていった人が皆そうであるように、生き生きと明るいものに変わっていた。

電話越しだからわからないけど、その表情も人が変わったように

生き生きとしていそうなのが想像できて。

改めて、後ろ向きな気持ちを抱えつつも

あの会社にしがみついている自分って…と思わずにいられなかった。






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2004年12月16日(木) 改名願望。

表のサイトの板に時々現れる「荒し」。

過去日記でも何度か書いたが、ぱっと見だと

『ちょっと礼儀知らずな奴の書き込みかな?』と思える。

私も、彼がやってきたことを知らなければ

ちょっとむっとするだろうが、そこらへんはスルーして返事もするのだが。

彼が知人のサイトを何度も閉鎖や移転に追い込んだことを考えれば

やっぱり普通の対応は出来ない。

奴が現れるたびに記事を削除して、その都度変わるIPも

書きこみ禁止対象として板に登録しているのだが、

これが絶対的措置じゃないから、時が経てばしょうこりもなく奴はやってくる。


でも、今回は(自分が精神的に落ちこんでるせいもあるが)さすがに怖くなってしまった。

奴は映画好きらしく、自分の板で仲間たちとお気に入りの映画について語ってるのだが、

その板に、まるで何かの記録でも残すように

私の表のHNを晒し、板に書き込んできたと書き残す。

私のところの掲示板には、その板のURLを書きこんでいるから、

見られて困ることなんかない、むしろ見に来やがれという主張なのだろう。


今まで奴にどんなことをされても絶対負けねえ!徹底して叩き潰す!と思ってたけど、

今回はさすがに表サイトの閉鎖すら考えた。

サイトを続けていく気持ちが一気に削がれたのは初めてだった。


そんな中浮上したのが、表のHNの改名願望。

この件についても何度かここで語っているが、

HNでぐぐって見ると、自分以外にも同じHNを持つ人が少なくとも2人いる。

自分としてはその人たちとは異ジャンルだし、

サイトのプロフィールを読めば年齢も居住地も違うから別人だとわかってもらえる。

それに少なくとも10年はこのPNで物を書いて来たから愛着がある。

だから変えたいのならあなたたちが変えてよ、ぐらいの気持ちでいたのだが、

その気持ちも揺らぎつつある。


もうすぐ今年も終わるから、サイトの移転は無理だとしても、

サイト名とHN(PN)を新年を迎えるのを期に、

がらりと変えてみてもいいんじゃないかと思っている。

少なくとも、今のHNで検索に引っかからないような名前に。

せっかくつけるなら縁起いいものをつけたいので、

今は姓名判断のサイトと首っ引きで新HNを考えていたりする(笑)。


2004年12月15日(水) がん検診異常なし。

おかげさまで人生初の癌検診は異常なしのお達しを頂いた。

身体のどこにも異常はない。

疲れがピークに達したら腰か頭にその影響が出るくらい。

あと、半端でなく月のものがひどいことだけ。




じゃあ、心は・・・・・・?



今年の一月、ほんの数時間であったが

プチ失踪をかました、あのときの父の言葉が脳裏に浮かぶ。

「俺は胃がんでもなんとでも診察されて入院したかった。
(癌検診異常なしの診断をされたことで)逃げ場がなくなったんだ・・・って思った。」

あの時はなんて身勝手なことを、と憤りを感じたものだが

今ならなんとなくその気持ちが理解できる。

あの時父は、母が出て行ったことと職場での人間関係に悩んでいた。

結局これがきっかけで定年まであと1年残して職場を退職する決意をしたわけだが。

身体は健康でも、心は暗黒な迷路をさまよっているような気がする。

あのときの父も、そして今の私も。






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2004年12月09日(木) 婦人科。

私は半端でなく月のものが重い…と言うのは、以前からの読者様ならご存知でしょうが。

貧血とまではいかないまでも、毎月の大量出血と

私から生きる気力さえ奪うと言っても過言でない重い重い生理痛。

これをどうにか改善したい…と思ってたら、

社内の健康診断で、三十路以上の女子は子宮癌検診を受けられることを知り

この際とばかりに申し込み、今日行って来ました・人生初の婦人科へ。

妊娠出産の経験もないので、縁がなかったんです婦人科。



健康診断を管掌する団体の指定で、K市の某総合病院へ。

大病院だけあって待ちは長いわ、診察室たらい回しにされるわ、

挙句の果てに乳癌検診も子宮癌検診も担当がおっさんだわ、で。

別に男性恐怖症と言うわけではないけれど、やっぱり無意識の内に抵抗がある。


で、乳癌検診もつつがなく終わり、いよいよ子宮癌検診へ。

聴いてはいたけれど、あの診療台はやはり相当なインパクトだった。

検査をするのに一番理想にかなった体勢なんだろうが、やっぱりあのM字開脚は…(泣)

そして、クスコ(でしたよね?)が胎内に挿入される冷たさ痛さ、

何よりも子宮内部をえぐられるように、掻き獲られるように細胞を採取するときの痛み。

あれは人によっては、トラウマを抱かせるには十分な仕打ちだと思われ。


できることならば二度とやりたくないが、

今の自分の月経時の尋常でない体調の悪化、

そして何よりも父方の家系に子宮癌で亡くなった人が多いのを考えると、

今後もこの検査だけは定期的に続けなければ…と思ったのだった。


2004年12月07日(火) どこへ。

自分の居場所が狭まってくるのを感じる。

家でも会社でもネット上でも。

自分の病みっぷりが作り上げた環境だと思うのだが

どう表現しようもない息苦しさ、居心地の悪さを感じる。

今いる場所が私を必要としていないのなら

このまま自分はどこに行けばいいのだろう。



今いる環境を全て閉ざして、

自分の世界の中に閉じこもるのもひとつの手段なのかもしれないけれど。


2004年12月04日(土) 悲鳴。

体調が悪い。

仕事ができないほどではなかったが、結局休んだ。

今から忙しくなるのに、ここでへばっててどうするんだか。

どうよ?このダメ助っぷり(←そこで開き直っても)




父は仕事、メールも電話も来ない。

寂しくて苦しくて、

でも誰かにメッセで話しかけたり、メールを出そうにも

相手に愚痴ったり泣きついてしまいそうで。

そんなん状態で声かけられても相手は嫌だろーなー

なんて考えたら、ひとりで耐えるより他なくて。



身体はともかく、心が悲鳴を上げている。

とにかくここ1ヶ月足らずで、今までにないほどの堕ちっぷりで欝っぷりな波。

こんなんじゃ誰にも会えないし、相手にしてももらえない。

もう・・・正直いっぱいいっぱい、なんですわ。


2004年12月03日(金) 腐った想いを吐き出す場所。

自分の唯一のとりえだと想ってた

『笑顔』も最近なんだか嘘っぽく想えて仕方ない。


出口の見えない暗闇にほおりだされて、

手探りで探すことすら出来ない、そんな気分。


ああ、こんなこと書いたらまた

かわいそうがられたがりとか叩かれちまうんだろうなあ。

こういう自分のネガな気分を吐き出したくて

作った場所がますます自分を追い詰めるなんて何たる皮肉。



自分ちではなく人様の板でその場の空気読まずに

励ましてくれてる人の言葉も無視して

『私はつらいのわかってくれ同情してくれ』って主張する人よりは

まだまともだと思いたいんですけどね……。

(↑ってか、そういう人に肩入れできない私が腐ってんのかな?)


2004年12月01日(水) 流れに乗れず。

全てにおいてやる気が出ない。

とにかく食いぶち稼ぐために仕事こなすのが精一杯。



時の流れ人とのかかわり、そんな流れに乗れなくて

ぬぐいきれない孤独に気がおかしくなりそうな時もあれば

逆に自分で選んで他人との交流を拒んでるふしもあったり。



何があっても生き抜くことを決めたのに

今の私は、死んだも同然なのかもしれない。



大体こんな支離滅裂なこと綴ってる時点でどうかと思うんだけどね。

それを知り合いも知らん人も読むWEB上に

こんなことばっかり垂れ流していること自体がね。


安積 紗月 |MAILHomePage

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