Sotto voce
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2004年11月23日(火) その歌は・・・

友の葬儀後、なんだかもやもやっとした日々が続き。

日記にさえも手をつけられず1週間過ぎた。

そういう鬱々感を吹き飛ばさんと、今日は大好きなアーティストのライブに行って来た。


こんなことにならなければ、 

彼も同じ会場でライブの感動と興奮を共有するはずだった。



ライブに行くに当たって、アルバム聞いて『予習』して当日に臨むわけだが、

聴きながら、ああ、今回はこれ演ってほしくないなあという楽曲があった。

大切な人をなくした気持ち、をテーマにした歌詞で、

友人のことがなければ、ああ、切ないいい曲だろうなあと

ライブで楽しみにするような曲なのだが。

最後の最後、アンコールのラストでやってくれやがった。

歌詞の一つ一つが自分の心に突き刺さって、

どうしても彼のことを考えずにいられなくなる。

もうあふれる涙をとめることができず、

隣の席にいた、高校のときの同級生で

そのバンドのファン仲間が驚くくらいに泣きまくった。






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彼の元へ、彼の愛した音楽は届いているだろうか。


2004年11月17日(水) 永遠の別れ。

彼に会って別れを告げることが出来たのは、3人。

私もそのうちのひとり。

詩のサークルで彼と関わった人、彼を大好きな人たちは

それこそ日本全国津々浦々にいる。

同じ街に住んでいても、平日の昼間だからこられなかった人もいる。

だから、会ってお別れを言えた私は、幸せなのかもしれない。



なのに。


お別れのとき、顔を見たら今にも起き上がってきそうで

でももちろん目を覚ますことなどなくて。

長く患った末に亡くなったわけではないから、

姿形は最後にあったときとそんなに変わらない。

会うまでは、顔を見るまでは彼の死を現実として受け入れられなかった。

仲間への連絡や花の手配などでばたばたとしてて考える余裕もなかった。



彼を見送ったあと、張り詰めていたものがぷつりと切れた。

葬儀にいけなかった人のために今日の報告をしないと・・・って思う。

でも、葬儀のときのことを考えれば考えるほど涙が出てきて

こころにぽっかりと穴があいて、どうしようもない脱力感。

みんなに悪いとは思いつつも、彼の死出の旅を見送ったときのことを

何を書いても客観的に綴れない・・・。


2004年11月16日(火) 君の死が。

君がこの世からいなくなったことで

君に関わったみんなを再び呼び寄せることになるなんて

そんなの悲しすぎる。

君を天国に送り出すために集まるなんて。

在りし日の君を偲ぶために集まるなんて。



思えば、君の悪口を言う人なんて誰もいなかった

あいつはいい奴だ、人間として最高のいい男だ

誰もがそういって君を愛していたよ


君とは割と近い場所にいるから

会いたいと思ったらいつでも会える

そう思ってずっと会わずにいたよ

でも、明日でもう二度と会えなくなるんだね


記憶の中の君はいつも笑顔で

へんてこりんなポーズでおどけてみせたり

へったくそな歌でみんなを和ませたり

いつだってみんなを幸せにしてくれた


そのくせ自分のことは後回しで

恋にはいたって不器用で

ずっと思ってきた人を射止めたときの君の笑顔

とてもとても輝いていた


君と君の言葉に出会ってもうすぐ10年

君も君の言葉も とてもまっすぐでとても優しかった

世の中を穿った目でしか見れない私には

どうしても綴れない世界だった


言葉を綴るのに勝ち負けなぞあるはずないけど

君の書くものにはどうしても勝てなかった

それは飾らないありのままの君の心からの言葉だったから


紅茶と言葉と音楽と車を愛していた

家族を愛していた

友達を仲間を愛していた

そんな君を誰もが愛していた

愛とか恋とか関係ないもっと大きな気持ちで

みんなが君を愛し、君を欲していたよ


最期に君は君がここからいなくなったこと

みんなに伝える役目を私に与えてくれた

君の死を悼んで、ばらばらになっていた仲間たちの縁が

ものの見事に繋がっていく軌跡を私に見せてくれた


明日、君にお別れを言いに行くよ

この国の津々浦々に散らばる

君と君の言葉たちを愛した人たちの分も


最後に君に掛ける言葉 ずっとずっと探している

でもどれもこれもありきたりすぎて

本当に伝えたいことが言葉として出てこない


君を目の前にしたら きっと何もいえなさそうな気がして


2004年11月15日(月) 彼を連れて行くな!

それは、たった一通のメールから始まった。


いつものように午後の仕事を始めようとデスクにつき、

携帯を机の引き出しにしまった瞬間、メール到着。

何気にあけてみたら、友人の奥さんからのメール。

一行読んだ瞬間、愕然とした。


突然の、あまりにも突然の、友人の死を告げるメール。


奥さんからのメールには最低限のことしか書いてなくて、

何が原因で亡くなったのか、それすらわからない。

とにかく誰かに伝えなきゃ、ひょっとしたら誰か何か知っているかもしれないと

メールをうとうとするが、指が震えてキーを打てない。

他のサークル仲間は誰も知らず、電話の向こうで泣き出したり、

嘘だと言ってくれ的なメールが返ってくる。

それだけ彼が皆に愛されていて、本当に急に最期を迎えてしまったのだと思ったら

ものすごく悲しかった。


とにかく思いつく限りの連絡先にメールをし、伝言を頼み、

久々に昔のサークル仲間と電話で話したり。

こんな形でみんなと交流することになるなんて、夢にも思わなかった。

やっと一息ついたときにはすっかり疲れ果て、泣く気すら起こらなかった。


彼とは、とある詩のサークルに同時に入会したのがきっかけで出会った。

今時素朴な純粋な青年で、とても温かい言葉をつづるひとだった。

自分にはない世界を持ってる人だから、尊敬していた。

結婚し、子供も生まれ、まさに『理想のパパ』を地で行く男だった。



それなのに・・・

どんなに考えても、出てくる言葉は、なぜどうして、まだ早すぎる。だ。

どうして彼みたいな人を、早々とあの世に行かせないといけないのだ。

あたしみたいにいつもネガティブに

死にたい消えたいなどと言ってる人間を生かしておくよりも

彼みたいな人にずっと生きててほしいのに。




他県に住む、彼にお別れをいえない人たちの分まで、

あさって彼にお別れを言ってくる。


・・・でも、正直まだ迷っている。

彼にお別れを言わなきゃ絶対後悔する、でも。

会ったら会ったで、彼がこの世からいなくなったのを実感せざるをえなくなるから。


2004年11月12日(金) これも自己中?

私には、心がないのだろうか?

いつも自分のことが精一杯で、相手に言われて、あるいは冷静に考えてみてやっと、

『ああ、そう言うことなのか!』と気づく鈍感さ。

少しは気の利いた人になりたいと、自分なりにアンテナを張り巡らしているつもりだが、

やっぱりどこか抜けていて気づけなかったりする。



最近、私が一番最後に退社することが多く、支店にいる上司からの電話で、

話したりしてるうちに、自分の至らないところをいくつも指摘されて

自分がいかに気の利かない、思いやりのない人間であるかを痛感する。


上司が、神経質なほど他人のことによく気がつくし、

口は悪いけど他人への思いやりがある人なだけになおさら。


上司だって、30にもなった部下に、こんなことを言わなきゃならないのかと思ってるだろう。

上司との電話が終わるたびに、ぼろぼろになっている自分がいる。

彼と話していると、自分で自分を否定せずにいられなくなる。


私には、心がないのかもしれない。

自分のことに精一杯で、周囲の人のことを思いやれない、きづいてあげられない。

これもまた、形は違えど自己中の一種なのかもしれない。


2004年11月11日(木) 私は。

離婚してもなお、私を支配しようとする

母親の敷いたレールに乗るのが嫌なのか



自分で「出会いの芽」を摘み取ることもないのに

何をためらっているのか


結婚しないことが恥であり罪悪であるかのように言われるこの土地。

必要以上に人の生活に干渉してくるこの土地の人間。


結婚して孫を産むのも親孝行のひとつだというのは嫌というほどわかっている。

だけど、相手もいないし結婚という行為自体に夢を持てない今、

私にどうしろと言うのだ。


2004年11月02日(火) 元同僚。

久々に、元同僚のT氏に会った。

同じ職場で働いていたときは、社長の「言葉のサンドバッグ」状態だった彼だが、

職場を離れたことで吹っ切れたのか、本来の人のよさそうな笑顔が

その輝きを取り戻していた。


彼は年が明けたら県外へ出る予定で、失業保険が貰えるうちに

さまざまな免許資格を取っている、と笑っていた。

うちの会社を辞めた人のほとんどに言えることなのだが、

彼らが会社を辞め、新たな道を歩み出してから偶然会えたりすると

会社にいた頃よりも生き生きしているのがあからさまにわかる。

たとえ、報酬や雇用条件面がさがったにしても、だ。


それでもT氏が、別れ際に言った、

「Kさん(私)が会社辞めると、事務所はがたがただろうなあ。
何でも知ってる、『かゆいところに手が届く』人がいなくなるんだから」

たとえお世辞だったとしても、その言葉は、

いろんなことで暗く沈んでいた心を浮上させてくれた。


いっしょに働いていたときは、

近くにいすぎて彼の誠実さ生真面目さをうっとおしく感じることも正直あった。

でも、いなくなってから、彼の存在の偉大さを感じる。

彼は、我々事務所チームの「精神的支柱」であったことを

彼がいなくなってから改めて気づかされてしまったのだ。


安積 紗月 |MAILHomePage

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