Sotto voce
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いよいよ今年も今日で終わる。
2002年は本当にいろんなことがありすぎた。
女の厄年は数え33歳だっていうけれど、
私にとっては今年が厄年なんじゃ!?と思えるほどだった。
盗作騒動に始まって、失恋、仕事上の悩み、親の別居に至るまでの経緯。
大きなものだけでもこんなに。
来年はいよいよ節目の年、三十路の大台に突入する。
どうか、いい年でありますように。
この日記書き始めて、今日でちょうど一年。
以来、ここが私の心の本音吐き出し場所になった。
しかも心の陰の部分の。
私が健康でネットを続けている限り。
そして、私が心の底から自分を愛せる手段を見つけるまで
この日記は綴られていくのだろう。
母が家を出てからというもの、父はやたらと
母がいた痕跡を消したがる。
例えば、母の寝室。
畳を全て変え、自分の寝室兼書斎にした。
例えば、台所。
母が集めていた食器類を全て撤去、さらに家具類の配置換え。
母が残していったものに嫌悪感を覚えるからなのか。
それとも、母が使っていたものの面影を見るのが辛いからなのか。
型にはまった生き方はしたくないと願う自分がいる。
でも、一人の人間として、いろんな意味で「型」にはまっていないと
不安がる自分も確かにいる。
そんなつもりは全然ないのに
自分の放った言葉で相手はもちろん自分さえも傷つけて。
そんなつもりはなかったのに
私の心の奥底には「母親に見捨てられた」という気持ちがあるようだ。
親戚づきあいのことで口をはさまれ思わずかっとして言った言葉。
「出て行った人はいいよね、そういう風にいえるから」
「自分で私やお父さんに見切りをつけて出て行ったくせに、
残してきた娘のことが心配だなんて言わないでよ!!」
結局私と母はお互い罵りあい、傷つけあうことしかできないようだ。
キーいっこ押すだけで何もかもなかったことにできるパソコン。
私の2002年は「消してしまいたい、なかったことにしてしまいたい」の
なんと多いことよ(苦笑)。
友情崩壊な大事件があったし。
失恋もしたし。(しかもその相手をまだ好きだし(苦笑))
あわやリストラだし。
リストラ回避したかと思ったら、大切な同僚のねーさま去っていくし。
親とも上司とも衝突ばかりでますます心のよりどころなくなるし。
最後の極めつけは親の別居で独身だっつのに主婦デビューだし(笑)。
そーいやこの日記つけ始めてもうすぐ一年。
この日記がある意味心のよりどころだったのかも。
ここでしかはけないことっていっぱいあったもんな。
表のHPではリストラとねーさまが去っていったこと以外は公表してないし。
というか、表の日記でのキャラと、この日記での私。
あまりにも違いすぎ(爆)。
たとえ気温が氷点下に下がろうが、ここは南国鹿児島。
ホワイトクリスマスは今年も望めなかったけれど、
奇跡的に満天の星空を見れたので良しとする。
というのも、私が帰宅した20時までは間違いなく小雨混じりの曇り空。
それから約2時間後、コインランドリーへ洗濯物取りに行った時、
ふと空を見上げたら・・・・・満天の星。
寒風吹きすさぶ中、思わず立ち止まって見ずにはいられなかったわ。
山に囲まれた何もない街だけど、
空気と空の綺麗さはどこに出しても恥ずかしくないと思うのはこんな時。
今年もひとりのクリスマス。
親父はそそくさと飲み屋のクリスマスパーティーになんぞ行きやがったので(笑)
ほんとに正真正銘家でひとりのクリスマス。
具合が悪いのでさっさとベッドに転がってちょっと寝て。
起きてこれを書いてる次第。
最近なんでか心拍数がやけに上がる。
このまま心臓がぶっ壊れるんじゃないかという不安にかられる。
性欲は感じない。だからセックスなしでもいい。
だけど誰かに抱きしめられて眠りたい。
人肌の温もりが恋しい。
やっぱりこれも欲求不満なのかな。
12月8日、15日と雨が降ったため、
母たちの引越はまだ完全に終わっていなかった。
今日は曇り空だったものの、雨の降る心配はないだろうという父の判断で
唯一のこっていた母の嫁入り道具、和服用のタンスを運ぶことになった。
母が祖母よりもらった唯一の形見である着物数点、
そして私達が成人式の時に母が作ってくれた着物。
その大人っぽさにいつかは着たいと憧れて、結局一度も着れなかった、
母が持っていた紺地に白で花模様を染め抜いた浴衣。
そんな、いろんなものが詰まったタンスを運び出し、
ついに我が家から母の所有物が消えた。
その作業のさなか、妹が私が育てているサボテン'sに目をつけた。
まあ餞別代わりにくれてやれとばかりに、2鉢分けることにした。
母たちの住まいは日当たりのいい場所だから、ベランダにさえ出しておけば
サボテンに日光浴させることができる。
妹がいつまであの部屋で母と暮らすかはわからないが、
できるかぎり、枯らさずにいて欲しいと思う。
会社帰りに、近くのローソンに立ち寄ると
駐車場に見慣れた黒のマーチが。
妹も寄り道していて、コンビニでばったり。
それこそ引越以来久々に会った。
ちょちょっと雑談をして、お互いに買い物を済ませて清算して。
そして駐車場で『ばいぼー』と私達流の挨拶をして別れる。
でも帰る家は別々。
なんだか複雑な心境で妹の車を見送った。
泣かない。
もう泣かないから。
強気でいなきゃ、もうこころのバランスが保てない。
表のサイトで『男勝りの○○ちゃん(表のHN)』と書かれたことがある。
そのときはむっとしたが、
確かに表の掲示板でのレス、日記での文面
女らしさのかけらも見えん(苦笑)。
日常生活で発散できない鬱憤を、
普段とはちょっと違うキャラを通すことで無意識に解放しているのかもしれない。
自分に非があるなら何を言われてもいい。
でも、なんも思い当たる節もないのに八つ当たりされるのには
もううんざりなのよ。
会社にいる間はごまかし笑いすら出来ないほどの
能面面にまた最近もどりつつある。
ほんとかどうかは定かじゃないが、
親父さんは毎晩夕食を食べると仕事を片付けてくるといって出て行く。
ここんとこずっと、家に一人のことが多い。
普段はそれで一向に構わないのだが、
ぼーっと見ていた『アルジャーノンに花束を』がまずかった。
もうこれが私の心と涙腺をぐっさぐっさ突いてくれまして。
エンディングテーマが流れるころには、親父さんがいないのをいいことに大号泣。
もう感動というよりは孤独感というか寂しさの方が勝ってしまって。
なぜか誰かの声が聞きたい、と思った。
頭によぎる知人の顔。
でも、受話器を握っても番号が押せなかった。
こんなぼろぼろの状態で電話して、相手に迷惑だろうな、って
そう思ってしまったらもう押せなかった。
私はこんなに弱かったのか。
それとも今仕事でストレスがたまりまくってるから、なのか。
今日は職場でごみの片づけしてる時に、
飲み残しのコーヒー缶に沈んでた煙草の吸殻とコーヒーの混じった匂いが
見事にヒットして吐きまくってたし。
母に連れて行かれた占いさんに言われたこと
「あんたは人間的にとても弱い」
それがずっと頭の中を回っていた。
2002年12月16日(月) |
足元すくわれるような。 |
新しい生活に、不満は何もない、今のところ。
不安だった家事についても親父さんが協力的なのでなんとかなっている。
だけど、ちゃんと自分の足で立って、歩いているはずなのに。
なんだか足元すくわれそうな、
気を抜いたら奈落の底へ落ち込んでいきそうな
このなんともいえない不安定さ、もやもやとした感情をなんと表せば
一番しっくりくるのだろう。
無理して明るく振舞ったり
こまめに家事やったりしてるのみてると
なんだか切なくなってまいります。
今までが家に寄り付かなかった人だから
どんな風に接したらいいものか迷いつつも、
父娘二人暮しは特に大きな事件もなく、淡々と続いている。
当分の間、母に合うことはないだろうと思っていた。
ところが、である。
昼間荷物を取りにきた母がなぜか普段はかけない鍵をかけて帰ってしまい、
哀れ親父さん、寒空の下で締め出し。
で、会社の帰りに母の部屋に鍵取りにいったのである。
父と私・二人の生活は、テレビがまだないせいか、沈黙ばかりで会話が続かない。
そんな状況で始まってしまった。
母と妹、引越。
手伝う予定が結局仕事でいけず。
その仕事をしながら、鬼上司・K部長。
「引越って、誰か引越すんの?・・・あ、妹さんが結婚・とか?」
一瞬返事に詰まった。
でも今ここで嘘をついてもばれた時が面倒くさい。
正直に言いました。父母別居、母と妹の引越だ・と。
さすがのK部長も固まってました(苦笑)。
親父さんが忘年会で家にいないことがわかっているので、
借りっぱなしのCDを返すためにレンタルショップへ。
私の実家がある町から、レンタルショップのある町に行くときに
母の新居の横をとおる。
そのときなぜか車の速度を緩め、新居を確認する自分がいた。
窓明かりが煌々とともり、その灯りの下で母達はもう新しい生活を始めている。
それを思ったら、何故か涙が止まらなかった。
ひとりの夕食は、なんだか味気なかった。
3〜4歳のころから一人で留守番、には慣れていたはずなのに。
きっと帰ってくるってわかってるから、寂しさも半減したんだときづいた。
いよいよ明日、家族分裂。
というわけで今日の夕食は珍しく全員勢ぞろい。
夕食後、母と妹は親戚宅に挨拶に行き。
私は父と今後について話し合う。
とりあえず家財道具として母に持たせたテレビと、
もう寿命の電話機を買い換えよう、ということになった。
そして父は炊飯器も買い替えたいという。
私:「ああ〜もうどっかおかしいしね〜〜〜」
父:「いや・・・家族で使ってたものだからさ・・・(ごにょごにょ)」
最後のほうは聞き取れなかったが、おそらく家族で使ってたものの
面影を見るのが辛いのだろう。
父よ、それならどうしてもっと素直になれなかったんだ
顔を見るともう口論にしかならないふたりだったけど
最後ぐらい素直な気持ちを母にぶつけてほしかったよ。
明日の引越、父は手伝わないといった。
父の気持ちを思えば当然の選択だし、私にそれをとがめる権利はない。
今の私、パンパンに膨れ上がった風船のよう。
ちょっとつつけば、怒りやら涙やら、いろんな感情が爆発する。
今は仕事が忙しいので、余計なことを考えなくてすむので好都合だ。
2002年12月05日(木) |
おそらく最後の大口論。 |
日曜日に、いよいよ母と妹が家を出て行く。
うちの母親はいかんせん「一言多い」ひとなので。
ささいな言葉で、大口論に発展してしまった。
私と母親は似たもの同士なのかもしれない。
もうとことん罵りあい、相手の言った言葉にまたカチンときて大爆発。
ここで妹でもいようもんなら、本人は止めるつもりで言った言葉が
腹が立つほど冷静だったり、辛辣だったりするので
今度は3人での大口論となるところだが、幸いいなかったので。
でも言いたいことは全て伝えた。
私が父親側につくことがきまってから感じていた不安や負担も。
もうきっと、こんな大喧嘩は二度と出来ないのかもしれない。
子供のころ、いじめられていた経験があったせいか。
どうも私は他人に認めてもらいたい、必要としてもらいたい
という傾向は他人よりも強いようだ。
一人で行動するのは好きなくせに、
一度築いた交友関係を、自分の納得できない理由で
相手から切られてしまうのを怖がっている。
結局、この日記を書きつづけているのも
この日記を読んでいる知人や読者の方々に
大丈夫だ、おまえは間違ってない
あなたはここに存在していいのだ、
そう言って、支えてもらいたい願望が心の奥底にあるからかもしれない。
最近知人とチャットや、HPのバナー製作で慢性的な睡眠不足。
(本人めっちゃ楽しんでるので自業自得)
それでも仕事中には気を張り詰めてるのか居眠りひとつしない。
今日は6時上がりで、途中知人に電話をかける用事があって、
いつも時間つぶしするフェリーの駐車場へ。
かけ終わった瞬間、殺人的睡魔に襲われて。
車の中に常備しているユニクロのフリースブランケット(足の冷え対策用)を
かぶり、そのままばったり。
今日は雨のせいかさほど寒くもなく、コートも着ていたのでなかなか快適。
気がついたときは9時前。
慌てて家に帰り、部屋に帰ってかばんとコートを置き。
ベッドに倒れこんだら十数えないうちに爆眠。
心配して見にきた母に起こされたのが十二時過ぎ。
それから風呂入って、部屋用のお茶を沸かしてパソコン立ち上げて。
そうしてるうちに今4時前。
なんか、こんなことしてりゃ意味ないじゃん、ねえ。
2002年12月02日(月) |
人間は二度死を迎える。 |
家に帰って、夕食食べながら見ていた2時間ドラマが結構おもしろかったので、
結局最後まで見てしまった。
長嶋一茂が検事役のドラマで、
検事・潮貞志(役名)が、痴漢事件を発端とする、一連の殺人事件を
解明していくと言うあらすじなのだが、
娘に死なれて嘆く母親(大谷直子さん)に、潮が言った台詞が
なんだかひどく心にヒットした。
『人間は二度死を迎える。
一度目は肉体的な死、
二度目は周りの人間に存在を忘れられてしまった時』
と、まあこんな感じなのだがものすごく印象に残った。
私が死んでしまった時、いったいどれくらいの人がそれを悲しんでくれるのかな
そして、どれくらいの人が私のことを覚えていてくれるのかな。
そんなことを考えさせられた、たった一言の台詞。
2002年12月01日(日) |
いくら口をきくのが嫌とは言え。(母へ) |
ふすま一枚、壁一枚、あるいは廊下はさんだ部屋に相手がいるのに
あえて人使って相手に物を言うのはどうかと思うんですけど。
来週の今頃は晴れて別居状態に入れるんですから、
せめて、最後の一週間ぐらいはまともな口をきいてくれませんかね?
そして、年末・正月はひとりになる可能性大。
親父が家に寄り付かなかったら、遊びにこい・だと。
いえ、私にとってはかえって好都合なので一人を満喫します(笑)
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