【思惑】2.シラバスについての企画に思う
- 2002年10月30日(水)
久しぶりに続いたシリーズ第2弾。 まず最初に、表向きに書いたニュースをそのまま書く。 「法学部の青野教官が、来年度の公式シラバスについて、学生からの意見を求めている模様。興味ある人は、明日(31日)12:10〜12:40、弁当持参で総合教育棟A4教室へ。ちなみに氏は「なぜ学生たちは、シラバスに書いてある内容を理解できないのだろうか?」ということを知りたいそうな。」 ここで疑問に思うのは、この企画に人は集まるのかということではない。そもそもこの企画のテーマである「なぜ学生たちは、シラバスに書いてある内容を理解できないのだろうか?」が分かったからといって、シラバスは本当に改善されるのかを問いたいのである。 学生たちがシラバスを「使えない物」だとみなしている理由は、けだし、物体に記されている字面・表現方法の稚拙さにあるのではない。単純な話、書いてることとやってることが違うことに問題があるのだ。 確かに自分がやっていることを正しく言葉に表現することができない、というのはあるかもしれない。しかしそれ以前に「正しく記述しようとしない」心の動きが言葉に表れているケースが散見されるのも事実だ。 なぜ正直に記述することができないのか。それは、他の教官・本部にたいする体面を保ちたいがためと推測される。授業は(履修許可を受けている)学生しか聴講しないのに対し、シラバスは学内関係者であれば、今はWEBシラバスで学外であっても、誰もが見ることができる。そこで「私は後期の定期試験の解答記述『量』でしか評価しません」なんて正直に書いた暁には独立行政法人化もあいまって翌日からハ●ー●ークに通いつつ愛読書は●ューダという事態になりかねない。だから表向きには「成績評価は出席30%、レポート10%、定期試験60%」うんぬんと書いておかなければならなくなる。 結局のところ、本当に学生に理解してもらえるシラバスを作るには、執筆者に「正直に書け」と懲罰付きで命令するのが近道であるのだが、なかなかそうはいくまい。まあ公式シラバスは公式シラバスなりにその事実に目をつむってプレゼンテーションの工夫に励んでもらいたい。あとのところはウラシラバスやらクチコミやらでフォローするしかないんだから。 ...
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