沢の螢

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五月闇
2003年05月17日(土)

Tさん
まだ梅雨とは遠いのですが、しとしととした雨です。
こんな日は、昼間でも明かりを付けたいような、薄暗い場所があって、歳時記では、五月闇なんて言うそうです。
あれはいつのことでしたか、こんな雨の日、母から用事を頼まれて実家に行った時のことです。
「ただいま」と、玄関を開けると、いつもならすぐに迎えてくれる母が、出てきません。
かまわずに上がり込んで、茶の間にはいると、母が、誰かと話しています。
若い青年でした。
きちんと正座して、母と向かい合っていました。
誰だろうと顔を見ると、こちらを向いた青年の目と、まともにぶつかりました。
その目の鋭さに、一瞬私は、たじろぎました。
少しどぎまぎした私に、母は笑顔を向け、その青年を紹介しました。
それがあなたでした。
父の遠縁にあたる人の息子で、2,3年前から東京に住んでいること、でも、ここへ来たのは初めてで、母も初対面だったことが分かりました。
「ご両親から宜しくと言われてたのに、ちっとも来ないもんだから、今わけを訊いてたのよ」とは母は言いました。
世話好きな母は、よく人から、こうした頼まれごとをするのです。
ずいぶん前から、あなたのことはきいてたのに、本人が現れないので、親御さんに、何と言っていいか分からなかったと、母は、少しあなたに怒っているようでした。
あなたは、笑って、「親にも、手紙も書かないんですよ」と、言い訳してましたね。
25歳という年頃の男の人にとって、親の心配は、少し煩わしいものだと言うことは、想像が付きます。
「折角来たんだから、ウンとご馳走してあげる。夕飯まで待って頂戴」と母はいい、あとを私に託して、買い物に出かけました。
残された私たちが、どんな話をしたのか、あれからずいぶん時間が経った今、思い出すことが出来ません。
ただ、私にとって、初めて遭ったあなたがとても印象深かったこと、それまでに知っていたどの人とも、違っていたこと、そしてこれだけははっきり覚えているのですが、話をしている間、あなたは一度も、私の目を見ようとしませんでしたね。
「臆病なんですよ」と、あとになってあなたは言いました。
「最初に親から生まれた人間て、そういうところがあるらしいですね」とも言いましたね。
私もそうでしたから、同じ処があると、あなたは言いたかったのかも知れません。
表面は、気の強い人間に見えるようですが、私は、人一倍臆病で、人見知りします。
幾らも知らないうちに、私のそんなところを見抜いたのは、何か、共通するものを、あなたが感じたのかも知れません。
それからも、あなたは、時々、私の実家を訪れていたようでした。
「電話番号を訊いてもいいですか」とあなたはいい、時々電話を掛けてきました。
そう、あの頃は、インターネットもなかったのです。
生活環境が全く違って、共通の話題もなさそうなのに、あなたは私のおしゃべりが、面白いからだと言いました。
「自分より年の若い人は、気を使うからイヤなんです。あなたは、ありのままで付き合えるから・・」とも言いましたね。
私は、そういわれるのが悪い気はしないので、お姉さんぶって、遠慮のないことをずいぶん言いましたね。
でも、時々、話をしていて、つらくなることがありました。
だって、そのころの私は、確立した精神生活というものを、持っていなかったのですから。
電話口で私が黙り込んでいると、「あなたは、向かっていく強さがあるのに、受け手に回ると、もろいところがあるんですね」なんて、ちょっと残酷なことを言ったりしたのでした。
そんなことが、しばらく続いて、あなたは、東京の生活を打ち切り、国に帰っていきました。
海の近くに育ち、夏になると海に潜って、遊んでいたというあなたには、都会の生活は、合わなかったのかも知れません。
その後の消息は、母から時々訊きました。
でも、いつからか、便りも途絶え、この10年くらいは、全く分からないと言うことです。
雨の日に、よく電話を掛けてきたあなたは、今どこでどんな人生を送っているのでしょうか。
今日は、どうやら一日雨です。



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