沢の螢

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涙のわけ
2003年04月19日(土)

連句の会に行く。
この会は、年配のしっかりした女性が運営している。
連句の知識と指導力は言うまでもないが、何よりも、参加する人に対して、いつも「よく来たわね」という気持ちが、隅々まで現れているので、そうした人柄を慕って、月一回の土曜日、あちこちから20人前後の人が集まってくる。
主催者の手作りのつまみやお菓子も魅力である。
午前11時から始まって、終わるのが4時から5時。
そのうちの10人くらいが、そのまま飲み屋に行き、酒肴を愉しみながら、話に花を咲かせる。
今日も、3つの席に分かれての連句のあと、早く終わった席の人たちは、三々五々帰ったが、アフター連句を愉しむ何人かが残って、最後の席が終わるのを待ち、いつもの飲み屋に流れた。
「天敵」がいなかったせいもあり、私も心を許して、会話を愉しんだ。
そのうち、「あなたは少しナイーブすぎて、傷つくのね」と言ってくれた人がいて、急に胸が詰まって、涙を流してしまったのであった。
私のストレートすぎる性格は、時に、あちこちで、疎外される原因になってしまうのだが、今日、そこにいたメンバーは、みな、そういうことを理解して、認めるべき処は認めてくれる人たちだった。
その優しさに触れたからである。
私が身を置いている世界は、連句という共同作品を作る文芸集団だから、生身の人間が、時にあらわになる。
組織の中で、抜きんでようとする人は、政治家顔負けの権謀術数を使って、力のある人に近づき、地場を固めていく。
周りには、お気に入りの人たちを置き、ひとつの派を構成していく。
私は、そういう人たちとは、いつも一線を画し、望まれれば、誰とでも一緒に連句をやる代わりに、誰の配下にもならないという態度を通してきた。
生きる糧を得るためなら、そうはいかないだろうが、風雅の道を究め、遊ぶことに、おのれ以外の何に媚びる必要があるかという、一匹狼の思想である。
ところが、人間社会、どこにいても、群れることがいいと思い、そこに安住したい人種がいる。
そういう人たちから見ると、私のような人間は可愛くないのである。
無視するには、ちょっとばかり存在感があり、目障りなのである。
インテリの、陰に籠もった意地悪ほど、イヤなものはないが、私は、そうした仕打ちを、時々受ける。
たとえば、あとからどうせわかるのに、情報を与えない。
みんなに声を掛けるような集まりから、意識的に外す。
その言い訳として、たとえば、私が老父母を抱えていて、なかなか予定が立たないであろうからと言うことを、配慮するかのごとき、言い方をするのである。
行けるか行けないかは、私が自分で判断して決めることで、人に考えてもらうことではないのだが、それを言い訳に使うのである。
何度かそうした仕打ちを受けた挙げ句、私は、はじめからその人たちとは行動を共にしないことにした。
最近も、ひとつ、連句関係の行事があり、いつも付き合っている人たちに、案内状が来たのに、私には来なかった。
主催者に直接電話すると、「知っていればお送りしたんですが、そちらのグループのどなたかに、まとめてご案内して戴くようお願いしてましたので・・」という返事であった。
つまり、まとめ役を頼まれた人が、誘うか誘わないかの選別をしていたのである。
問い合わせた人は、この次から私には直接知らせてくれる約束をして、「今回もどうぞお越しください」と言ってくれたので、行くことにした。
主催者側は、なるべく沢山の人に来て欲しいと言っているのに、まとめ役が、自分の好みで、人を差別しているのである。
そんな子供じみたことをして、何のトクがあるのだろう。
そうした諸々の思いが、酒席で、思わず涙となって現れたというわけだった。



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