昨日、文学講座のあとの、喫茶店で。 いつも、講座がはねたあとは、数人で先生を囲んで、近くの喫茶店にはいる。 受講生は、中高年がほとんど。その中で、比較的若い40代の男の人が、いつも世話役を買って出て、お茶代の集金やら、席取りやらをやってくれる。 昨日は、常連のほか、別の講座で先生の追っかけをやっている女性グループも来て、12,3人になった。 私も、最近になって、ちょくちょく参加して、先生のアフター講座の話や、同席の人たちとの会話を楽しみにしている。 先生は、自分のお茶代は、自分で払う。そんなところも、気に入っている。 昨日は、たまたま、私の向かい合わせに、はじめて顔を見る女性が座った。私と同年代くらいに見えた。 はじめは、雑談をしていたが、そのうち、彼女が、隣の席にいた先生に、どうしても訊いてほしいといった感じで、話しはじめた。 「私の父は、戦時中、日本に強制連行されたんです」という。 それから、在日朝鮮人として、どう過ごしてきたかという話を、静かな声で語った。 彼女は、日本で生まれ育ち、韓国籍を持ち、夫は北の人だという。 彼女の娘は、朝鮮系の新聞社に勤めている。 今回の、拉致問題について、彼女は、日本人とは、少し違った感覚でとらえているようだった。 親の世代が、強制連行も含め、日本でより日本人として暮らすのに、どれほどの苦労をしたかを、いくつかの例を挙げて話してくれた。 生きるために、言葉も習慣も、日本人以上に日本的なものを身につけた母親が、死ぬ少し前に、ぼけの症状が出始めると、日本語をすっかり忘れ、すべて朝鮮語に切り替わったのだという。 「生きるためには、すべてを受け入れなければならなかったんです。だから、あの人たちも、そうだったと思います」と彼女は言った。 そして、拉致があり得るはずはないと言うことを信じ、新聞に書いていた娘が、今、大変な苦悩の中にいることを、語ってくれた。 「私たちのコミュニティでも、今、何を信じていいか分からないと言う、混乱が起こってるんです」という。 彼女は、18歳の時に、朝鮮語を習い始め、ふたつのことばを自由に使って、翻訳や、通訳もしている。 「考えるときは、どちらの言葉ですか」と聞くと「それは、やっぱり生まれたときから、それで育ったから日本語なんですよ」という返事だった。 「母国語じゃなくて、母語なんですね」と、誰かがいい、彼女も頷いた。 駅までの道を、一緒に歩きながら、どこから見ても、私と同世代の日本女性にしか見えない、明るい雰囲気の彼女が、育つ過程でのある時期まで、仮面の生活をしていたことを、しみじみ思ったのであった。 次元は違うが、ネットも、いわばひとつの仮面の世界、仮面に徹していればそれなりの愉しさもある。 しかし、完全に仮面を通すことは、難しい。 どこかに、現実というものが、混じってきて、それは否定できない。 バーチャルな世界での顔と、実人生の顔とが、彩なすごとく、織り交じって、時に、愉しさだけでない面も、味わうことになる。 私は、ボードを持っているが、そこに入ってくる人は、ネット上の礼儀を守っている限り、受け入れることにしている。 今まではないが、もし仮に、実生活で気に染まぬ人が参加してきたとしても、拒否は出来ないと思う。 きちんと応対し、返事も書く。 知っている人も、知らない人も、ネットでは、すべて公平に対応し、そこに、分け隔てはしない。 それは、ネットを管理する以上、当然であろう。 でも、これは、私の場合で、ネット管理者の対応は、さまざまである。 この人には、入って欲しくないという場合、それなりの方法を考えるのだろう。 ボードのアドレスを、公開しない。あるいは、タイトルを変える。一番無難な方法で、他の人も傷つけない。 しかし、いったん公開したアドレスは、お気に入りなどに入っているから、ボードそのもののサーバーでも、変えない限り、以前見た人は、また見る可能性がある。 入る方から言えば、ボード管理者の反応の仕方で、自分が歓迎されているかどうかは、分かるものである。 投稿記事に返事しない。あるいは、よそよそしいレスポンスの口調で、あ,拒否されてるなと感じ、そんなところには2度と入らない。 でも、本当は、人を選ぶのなら、そんなあからさまなことはせず、限られた人たちだけで、パスワードでも設定して、やればいいのだ。 しかし、そんなことまでして、ネットを運営する意味が、あるのだろうか。 公開しておいて、ネット上で礼儀正しく入ってくる人に、それと分るような差別をするのは、第三者が見ても、気持ちのいいものではない。 私がよきどき見る、知っている人のボードで、そんなものがあった。 タイトルを変え、カモフラージュしているが、メンバーを選ぶための手段であることは、すぐ分かった。 本当は、大勢の人に参加して欲しいはずのボードに、メンバーを限らねばならぬわけは、想像が付いた。 気の毒にと思った。
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