沢の螢

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夢の夢
2002年01月25日(金)

今朝、テレビで小沢征爾がしゃべっていた。
良く知られていることは、ここでは繰り返さない。ひとつ、「これからの夢は?」と訊かれて、「優秀な若い人たちを育てたい」と答えていた。そして彼は、その夢を実行に向けて、いろいろな試みをしているらしい。今66歳、この秋からウイーン歌劇場の芸術監督という、ひとつの頂点に上り詰めた人の、実現可能な夢であろう。

ヨーロッパのサロンが、音楽や文学などの芸術をはぐくむ土壌をなしていたことは、良く知られている。貴族の婦人たちは、若い芸術家を育てるために、費用を惜しまなかった。いま残っている美しい建築、絵画、庭園、音楽遺産は、その時代の名残である。当時は一部の人たちだけのものであったかも知れないが、お陰で、今日の私たちが、そうした文化的遺産に接することが出来るわけである。
もし私が、とてつもない財産を持っていたとしたら、やはり若い芸術家を育てると言うことをしてみたい。才能を見込んだ若い人を留学でも何でもさせて、教育の機会を与え、あらゆるチャンスを探して、才能を伸ばして貰う。
勿論、こんなことは、絶対実現不可能な、夢の中の夢である。

小沢征爾を、ナマで鑑賞したのは二回ある。最初は、彼がまだ30代半ばの頃、その頃彼の妻であった江戸京子がピアニストで、共演した。演奏が終わって、舞台から退いていくピアニストの後ろから、ねぎらいの拍手をしながら付いていった小沢の姿を覚えている。江戸京子の父、江戸英雄氏は財界人、小沢がヨーロッパ留学中の無名の頃から、何かとバックアップしていたことは、知られている。その後小沢は、別の人と再婚した。

二度目は、一五,六年後のイギリスで。
ヒルデガルト・ベーレンス、クリスタ・ルートヴィッヒといった凄い歌手たちを率いて、ステージ方式によるオペラ「エレクトラ」を演奏した。指揮者と歌手たちが、互角に戦っているような、迫力ある舞台だった。終わって、出演者を交えたパーティーがあり、小沢征爾となんとか話したかったが、彼の周りは人が一杯で、とても近づけなかった。代わりに、出演者の誰かからサインを貰ったが、そのプログラムが、どこかにしまったまま、出てこない。

日本では、チケット代が高すぎて、音楽会へ行く機会も限られてしまう。でもナマの音楽はやはり愉しい。クラシックに限らず、良い演奏に接する事が出来たら、幸せだと思う。
2002年01月25日 11時03分05秒

時候挨拶
年賀状の返事の中には、不祝儀があって、それほど親しくない人には前もって知らせないから、こちらは知らずに、年賀状を出し、その返事として、寒中見舞いや、季節の挨拶が届くことがある。事由を書いてあるものも、わけは書かずに、時候の挨拶を延べているものもさまざまである。
ただきょう来た、挨拶状を見て、ちょっと考え込んでしまった。
差出人は一人、しかし文中には、家族でもない人たちが一緒に記入してある。私の知っているグループのメンバーである。はじめは、グループの中心にいる人たちが、連名で、メンバーの人たちに、時候の挨拶を出したのかと思った。しかし、そのようなことはどこにも書いてない。多分、差出人が、何らかのわけがあって、年賀状を出す代わりに、時候の挨拶状をくれたのだと思う。
しかし、差出人の、挨拶の背景を思いやる前に、私は、文中に共同で載っているほかの人たちの、意味のほうを考えてしまった。
2002年01月25日 13時37分40秒

体磨き
スポーツクラブに入って2年、はじめはせっせと通っていたが、だんだん行かなくなり、この一年ほどは、ほとんど行くことはなく、月7000円の会費だけ引き落とされていた。
タオルやエクササイズ用のウエア、スポーツシューズなど、一荷物抱えて、バスで行くのが、面倒になったのである。更に、この一年は、インターネットに費やす時間が増え、なかなかスポーツクラブに行く時間もなくなってしまった。
それなら早く止めてしまえばいいのに、今まで引きずってきたのは、なんとか会費を取り返してやろうと思ったからで、そのうち、ちょいちょい行って、トレーニングを重ね、払った会費の元を取ってやろうと思ったのだった。
しかし、そんなことは出来そうもないので、きょう思い切って、退会手続きをした。折角行ったのだからと、シャワーを使って帰ってきた。
ジムの体重計で測ったら、2キロほど増えていた。正月の食生活と、冬眠にかまけて、体を動かさなかったからである。今後は、せいぜい、散歩でもして、脂肪を減らさなければならない。
家人は、一年前に、私とは違うスポーツクラブに入り、週2回のプログラムを欠かさない。その日は、朝10時になると、荷物を詰め込んで、車で出かけていく。そして、インストラクターの指導でトレーニングをこなして、汗を流し、お風呂に入って帰ってくる。家を出てから帰るまで、約3時間、いい時間の使い方だと思う。
前にも失敗しながら、私がまたスポーツジムなどに入ってしまったのは、ある友達の示唆による。私よりひとつ年上の、その人は、シャンソンを習っていて、いずれライブハウスで唄うのだと張り切っている。いつか、何年ぶりかで会ったら、以前と見違えるようにスリムになり、すっかりあか抜けて、オートクチュールのドレスなど身につけて、婉然とほほえんでいた。そして、私に向かってこう言ったのである。
「あなた、少し体を磨かなくちゃあ、それじゃあタダのおばさんよ」
こんなことを言われて、黙って引っ込んでいるわけに行かない。一念発起して、またスポーツジムに申し込んだ。ところが、見事に挫折したというわけである。
彼女は、自分で思い立ったらやり遂げる人。毎日速歩30分、一日2回というのを、半年続けて、7キロ体重を減らし、若い頃「ローレン・バコールに似ている」と言われた、自慢の尖った顎を取り戻したそうだ。トレーニングをしている期間は、ほかのことを一切止めて、そのことに専念したというから凄い。
私は、意志薄弱、自分に甘いから、とても同じには行かない。恋をして、その相手から言われたらやるだろうか。いや、やっぱりやらないだろう。でも、100万円やるから10キロ減らせといわれたら、やるかも知れない。なんともはや。
2002年01月25日 20時41分53秒



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