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水の都 久しぶりに連句の座に出かけていった。 賦し物歌仙「江戸百景」。日本橋から始めて、いわゆる「江戸」と言われたところを辿りながら、連句を詠んでいく。 気づいたのは、昔の江戸は、まさに水の都と言うべく、川と橋に囲まれていて、それが交通手段であり、物の流通手段でもあったということだった。そして、庶民が住んでいたのは、主に隅田川などの川沿いであり、川と共に町が作られていたらしい。今、東京のベッドタウンとなっている、中央線沿線などは、当時は、まだ人のほとんど住んでいない山地だったようだ。 広重の絵など見ていると、当時の人たちの生活歳時記が伺われて面白い。 江戸が東京になり、縦横に流れていた川が消えて、町は広大になり、次第に変質していく。 徳富蘆花の「みみずのたわごと」を読むと、明治40年頃の、甲州街道沿いの町の様子が書いてある。すでに人家は今の芦花公園あたりに広がり、蘆花は自宅から4里(20キロ)の道のりを、新宿まで度々歩いて往復したとある。 今日新宿までを京王線に乗っていき、そんなことを思い出しながら電車に揺られていた。 2002年01月13日 01時25分03秒 自己表現と言うこと ホームページを作るに当たって、参考のために、あちこちのホームページを開いてみている。主に、ブックエンドの中を、無差別に訪問しているのだが、あらためて思うのは、世の中に、こんなにも、自己表現したい人がいるのかと言うことである。 小説、エッセイ、詩や短歌などの短詩形文芸、写真やイラスト、表現形式はさまざまあるが、共通しているのは、誰かに何かを訴えたい、訊いて欲しい、知って欲しいと言うことである。 立ち上げたまま、ほとんど更新もされずにほってあるようなページもあるが、はじめは矢張り、表現したい何かがあったはずである。 この私も例外ではない。出版する当てもなく、折に触れて書いていたものや、いま生きている自分が感じていることを、黙って箱にしまっているだけでは、飽き足りなくなってきたのだ。 それはおそらく、他の人にはどうでもいいものであり、取るに足らぬことには違いない。でも、今の時代、誰でもこうした表現の方法が出来たことを、私は幸せだと思っている。 行きずりに、ふと誰かの目に留まれば、それでいいことなのだから。 行く行かぬ来る来ないなど逡巡の振り子を止めて髪を切った日 2002年01月13日 14時30分39秒
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