不思議っ茶の日記
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終戦記念日の重みが年々薄れていくような気がする。 戦争体験者が減っていっているためだろう。
私の子供のころ、大人というと全員が戦争体験者だった。
母は、教師で生徒を連れて集団疎開を経験している。 食べ物や住む家、衣服で辛い思いをしている。 大好きな英語を学べなかった悔いもある。
その話しを聞かされて育ったため戦争のイメージは母から多少なりともきちんと受け継いでいると自負している。
「アメリカの戦闘機が、機関銃を撃ちながら追いかけてくる。 振り返ってみると、はっきりとアメリカ兵の顔が見えた。 わたしは、必死で逃げた。」
という単純な話しも、当人の体験だと真に迫ってきた。
よく、テレビの戦争のドキュメントやドラマも一緒に見た。 戦争のパネル展などにも連れて行かれた。
そのつど、「わかる。そうやった・・・おかあちゃんもな〜〜」と 話しをし始める。
体験者の話は重い。
日本は高度経済成長期にあって、「もはや戦後ではない」と言い切った 馬鹿政治家がいた。
戦犯を処分したら戦後は終わるのか。
韓国や中国の戦争責任追及を聞くと、アメリカや国連のほうを向いて 責任をはたしたかもしれないが、アジアに向かってたとえODAで どれほどの貢献をしたかといっても、なかなか理解されない。
どうしても、日本の帝国主義に対するアレルギーがぬけきれない。
戦後は、終わらないのだ。どこまでも続いていくものだ。
戦争を始めるのは簡単だが終わらすのは難しいと言った人がいた。 そのとおりだ。
戦後、日本国憲法の戦争放棄の項目によって、日本人と日本国は 戦争から守られた。
戦後60年、多くの戦争があった。今も戦争はある。 軍隊を持つことが戦争につながる事だというのなら、どの国も軍隊を 放棄したらいいのではないか。
平和を維持するコツとは軍隊と武器を放棄すること。 勇気の要ることだ。
日本がお手本だということをもっと世界に訴える必要がある。
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