a Day in Our Life
2006年08月21日(月) |
宵月。(コウムラ×トクマ) |
♪アルファルトは大地そしてこの僕達の滑走路♪
「…とはよぅ歌ったもんやけど、まさかホンマに帰って来れるとは思わんかった」 と、ドアを前にしたコウムラは言った。船が難破して見知らぬ島に漂流した時に、本当に覚悟をしたのだ。もう日本に戻る事はないかも知れない、と。 諦める事はしなかったけれど、それでも何度かメゲた。悟られないように、出来るだけ去勢を張りながら、内心で自らを責めた。自堕落に生きている奴らが嫌いで、性根を叩き直そうと海に駆り出して。けれど改めて、海の怖さを思い知らされたような気がしたのだ。コウムラの誘いで付いて来たシュンジ、ケン、リンタロウ、ソウスケ、コレキヨ、そしてトクマ。誰か一人でも失えば、それは自分のせいに違いない。だから、日に日に逞しくなる彼等が、自らの意思で帰りたい、帰ろうとする姿が嬉しかったのだ。いつしか「仲間」と呼べるほどになっていた彼等全員との無事の帰還を、本当に幸運に思う。 鍵を開けて、内に入ると長い間留守をしていたせいで、換気の悪い室内はすえたような匂いを孕んで。ソファには脱ぎ散らかしたTシャツ、テーブルの上の皿やコップは、乾いてカピカピになっていた。 「…あぁそうや俺、あの日寝坊してバタバタ出て行ってもぅたから」 コウムラの視線の先を読んだのか、当たり前のように背中からひょい、と顔を出したトクマが言い訳をするように言った。無事港に着いて、それぞれがそれぞれの家の方向へ、手を振りながら歩いて帰るのに、トクマだけがコウムラの背中を追った。たまたま方向が一緒という訳ではない、ここを出発した時も、そうやって、道順を共にして家を出て来たのだ。 「おまえはいつもそうやろ。大事な日ほど寝坊する」 「そんなん言うて、前日は夜遅ぉまで仕事やったんですよ。お客さんが泥酔してもぅて、タクシー呼んだり、大変やったんですから」 言いながらさっさと皿を重ねてキッチンに運ぶトクマはすっかりリラックスムードで。ジャー、と水の音が聞こえたのはとりあえず、汚れの張り付いた食器を水に浸しているのだろう。すぐに出て来たトクマはその足でソファに近付き、散乱した衣類を片付け始める。そうしながらふと、気付いたように顔を上げた。 「…あ、そや風呂張らな。疲れて帰って来たんやから、まずは風呂ですよね」 バタバタとドアの向こうに姿を消すのをぼんやりと見送ったコウムラは、ふと、立ち尽くしている自分に気がついた。 今、地に足をつけて立っているのがまだ少し不思議で。昨日まで長い航海をしていた。あの時、流れ着いた島は地図にも載っていない小さな島で。そこから日本まで、長い時間をかけて戻って来た。それでなくとも島での滞在中も、様々あって。 ドアの向こうから水音が聞こえてきた。トクマが風呂を沸かしているらしい。バタバタと忙しない足音がして、恐らく放置したままだった洗濯物にも気付いて、顔を顰めているに違いない。 トクマは。今、落ち着いているように思える。 この家を出る時に既にその体内に巣食っていたもう一つの人格と、向かい合うという作業は想像以上に、辛いものだったに違いない。一度は死を望んだトクマを、叱って諭してまた、ここに連れ戻してしまった。それが正解だったのかどうか、コウムラには分からない。もしかしたら自分のエゴなのかも知れないとも思う。俺の為に生きてくれだなんて、随分と傲慢な言い分だと思った。 けれど、他にどう言えただろう。自らに絶望をしたトクマに、コウムラは、ただ生きて欲しかった。側にいて欲しかったのだ。 バタバタ、と騒がしい足音がして、トクマが戻って来た。 「コウムラさん、もぅ少しで風呂沸きますから。先入って下さい」 船上ではゆっくり風呂に浸かる事も出来へんかったんやし、何はなくとも風呂っしょ?と笑いかけてくる今のトクマは今までのトクマと何も違いはなくて。錯覚をしそうになる。自分達は何も変わってはいなくて。…これからも。 けれど、変わったものは確かにある。コウムラは知ってる。 「おまえも来いや」 「え?」 「疲れとるんはおまえも同じやろ。面倒やから、一緒に入ろう、言うとんねん」 コウムラの言葉を一瞬、ぼんやりと反芻したらしいトクマは意味を理解して大きな瞬きを二回。それからはい、と相好を崩して笑った。その顔が、コウムラの欲目でなければひどく幸福そうに見えたから。
もっと、優しくなれそうな気がした。
***** よい‐づき【宵月】宵の間だけ出ている月。夕月。
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