a Day in Our Life
2006年08月18日(金) |
another's KOMURA×TOKUMA |
鬱蒼とした深い森の奥、木々の向こうにトクマの緩やかなウェーブが見えた。
初め、気絶しているのかと思った。 切り株に半分体を預けたトクマは、ただ放心をしているだけで。うつろな目をとろりと空に向けた、今、どちらのトクマが表に出て来ているのか、魂の抜けたその表情では判断が出来なかった。ざく、と草を踏みしめるコウムラの足音が聞こえているのかいないのか、耳の穴を通り抜けるだけで、聞いてなどいないのかも知れない。投げ出された両足の際まで近づいても、トクマが顔を上げる事はなかった。 「おい」 呼びかけにも答えない。半開きに開いた口は何かを言いたくて、しかし言うべき言葉が出てこないのか。 もう一度、先ほどより少し大きめの声で呼んでみる。 「おい、」 やはり反応は返らない。コウムラはその場に跪いて、トクマの両目を覗き込むように近づいてみたけれど、至近距離で見たその瞳と、視線が噛み合う事はなかった。 「トクマ」 言いながら、肩に触れるとびくり、と体が反応をした。血が流れるようにゆっくりと視線を転がしたトクマが、初めてコウムラを見た。 「コウムラ…さ、」 茫とした声で、視覚から入ってくる目の前のコウムラを認識した途端、先ほどの壮絶な闘いをまざまざと思い覚ましたらしい。静から動へ、スイッチが切り替わるように突如身を起こしたトクマは、自身を抱きしめるように両腕を震わせる。 「俺、いきて、る…」 まるでその事に絶望して、呆然と目を見開く。全身を包む震えは、生への拒否反応だったかも知れない。 「まだ、俺の中にアイツがいる…アイツを殺したい、オフクロとアネキの代わりに俺が死ねばよかった、死ぬのは俺、死にたい、死にたい。……死なせて下さい」 ぶつぶつと呟きながら、震える腕を持ち上げる。耳を塞いで、聞きたくないのはこの世の全ての生命音か。目を閉じて、見たくないのは生命力に溢れる木々や海水。やがて落ちてきた両の手がトクマの柔らかい首筋に届いて、指を絡ませた所でやっと、コウムラはその手を掴んだ。 「やめろ、トクマ」 「止めるな、俺は死ぬ。」 「死なせへんわ」 「嫌や、死にたいねん…」 「トクマ、」 「離せ!」 「…トクマ!」 それは闘いに負けた罰だったか、激しく抵抗をするトクマの意思は絶大で、手を離した一瞬の隙に自らの首を絞め千切ってしまいそうだったから、コウムラも必死になった。正に死を賭ける思いで、暴れるトクマの頬に思い切り平手打ちを食らわす。パァン!と小気味いい音がして、瞬間、トクマの動きが止まった。その間に力任せにトクマの体を抱き締める。 「トクマ、落ち着け」 「………ぁ、あ」 「トクマ。」 どくん、と心臓の音が聞こえた。気がした。 二人して激しく暴れて、上がった体温が密着した互いの体に伝わっていく。その生々しい熱に、トクマの精神も少しずつ正常を手繰り寄せ始めているのかも知れない。どくん、どくん、と早いリズムで脈打つ音はトクマが生きている証拠で。その音にやや遅れて、同じように生を刻むコウムラの心臓の音も、きっとトクマに届くように、わざとより密着をする。 「トクマ、聞け」 「…」 出来るだけ穏やかな声色を意識した。それは自らの興奮を冷ます意味もあって、そうでなければ、何かとんでもない事を言い出してしまいそうだった。それともそれこそが今まで口に出しては言えなくて、でもずっと伝えたい事だったのかも知れない。 「トクマ。この世の中に、死んでもいい人間なんかおらへんねや」 本当は少し言い淀む。もしかしたら死ぬべき人間は世の中にはごまんといるのかも知れないけれど。そうじゃなくて、本当に言いたい事は。 「おまえは生きろ。生きなアカン。俺が―――生きて欲しいねん」 そう、要するにトクマを死なせたくなかったのはコウムラ自身で。いつしか自分の中で、その存在の異質さに気が付いていた。分裂した人格を孕むトクマの特殊さのせいにしながら、表立っては何も出来ないで、その生き様を見守った。ある日コウムラのマンションに転がり込んできたトクマは、表の天真爛漫さとは裏腹に、なかなか本音を明かさなかった。人当たり良く立ち回りながら、肝心な事は何一つ話さなかった。稀に、酒の勢いでぽつぽつと零れてくる母親や姉の面影でやっと、トクマの輪郭を掴んだに過ぎない。 屈託なく見えて実は繊細なトクマが事実から目を逸らさないように。日頃から揶揄に混ぜて「おまえは疫病神」だと言って聞かせた。そうやってトクマが現実に慣れればいいと思った。言いながら、矛盾する内心でそれはおまえのせいではないのだと、本当は、言ってやりたかったのに。 「おまえが好きや、トクマ」 「――――――コウムラ、さ…」 ゆっくりと、トクマの体から力が抜けていく。導かれるように、ぼとり、とトクマの目から大粒の涙が落ちた。 それがきっかけで、あとは堰を切ってあとから溢れる涙が洪水のように流れ出て、呼吸をする事すら困難で、しゃくり上げる隙に言葉を紡ぐ。オフクロ、とかアネキ、とか。小さくおとうさん、と呟かれた声も黙って聞き流して。あとはごめん、ごめんなさい、と謝り続けるトクマの髪を、優しく撫でる。緩いウェーブのかかった髪は乱れてぐしゃぐしゃになっていたから、指を入れて、撫でるように何度も、何度も。 「俺…生きていてもいいんですか…」 ため息のように、小さく吐き出された質問を、トクマはずっと、誰かに問いかけたかったのかも知れない。 1人抱え続けたトクマの悲しみ、恐怖、混乱、諦め、そして希望。 トクマはずっと、寂しい子供だったに違いない。誰に抱き締められる事もなく、誰に頭を撫でて貰う事もなく。待っていても誰も話しかけてはくれないから、自分から行くしかなかったのだ。明け透けな物言いの内心で、本当は、ずっと人間を怖がっていたのかも知れない。 「生きてもいいんですか」 今、トクマは最後の審判を待つ。もう悲しい思いは嫌だ。怖い思いはしたくない。けれど、その言葉を聞かなければ、これ以上一歩も動けなかった。コウムラがくれるその言葉を胸に、立ち上がれる気がする。 体を起こしたコウムラが、涙に濡れたトクマの顔を覗き込む。吸い込まれそうな白い肌が奇跡のように震えて、赤い唇が開いた。 「生きてくれ、俺の為に」 今。トクマの闘いが完全に終わった訳ではなかったけれど。 死力を尽くして闘ったトクマに得るものはあったに違いない。明るくて臆病で、優しくて卑屈なトクマ。他人から傷つけられる事がないように、悲しませられる事がないように。辛辣な言葉を投げつけて、世の中の全てを憎んだもう1人のトクマは、ある意味トクマを守ろうとしていたのかも知れない。そのギャップにトクマが困惑しても、そうする事で「強く生きろ」と。 それもトクマには違いないのだから、コウムラは好きだから、共に生きていけばいいのだと。 「……はい」 神妙に頷いたトクマは、そしてまた、涙を流した。 もはや顔中涙に濡らして、今まで泣き溜めていた分を一気に放流するように。唇を寄せて、その涙を掬おうとしたコウムラは、延々終わらない作業に僅か、苦笑いを浮かべる。けれどその流れる涙こそがトクマの生きている証だから。
だから。トクマが今、生きている事が嬉しいとコウムラは思った。
***** こうだったらいいな、という願望でした。
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