ネコヤシキ日笑
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平坦な、市街地近郊の道。午前中で4つの札所を巡った。
若い人や、おじさん、おばさんが、ひとり遍路、ふたり遍路をしているのに、あちこちで出会う。このごろ歩き遍路は流行っているんだそうだ。NHKとかいろんなメディアにとりあげられたせいもあるらしいし、ご時世のせいもあるんだろう。
じぶんのことを棚に上げて言うと、出会った、すれ違った、ひとりお遍路さんたちって、なんだかうつくしくなかった。なんというか、鬱陶しかった。
私も、20代の半ばに、ひとり遍路をした。
歩きではなくて、交通機関や自転車をつかって、何度かに分けて四国に通った。今のような流行りではなかったと思うが、ちょうど弘法大師の御遠忌かなにかの年で、団体でも個人でもお遍路さんはやはりけっこう多かった。
今回、ひとのことを「なんだかうつくしくない、鬱陶しい」などと感じてみて、あのころの私こそが、醜くて鬱陶しかったろうな、と思った。
今となってはありありと思い返すこともできないんだけど、なんだかじぶんのことであれこれ悩んでばかりいて、八方ふさがりな気持ちだったと思う。霊場巡りなんかしてみたって、けっきょく見えているのはいつもじぶんの方ばかりで、そのくせじぶんがどう覚悟して変わるかではなくて状況が棚ぼたのように変わってくれることばかりを願っていたような気がする。そういう今だって、どうなんだか。
いや、今回出会ったひとり遍路さんたちがそうだというわけではない。彼らをながめながら、私はまたじぶんのことばかりを考えていたわけだ。
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先達さん(リーダー、世話役)たちが居られるところで、「(交通機関を使ったお遍路より)歩いたほうが、自己満足はできるね」などと口走った。
それはある部分、ほんとうにそう思ってはいて、この忙しいご時世に休みをとって少しずつ歩いていられるなんて、そうとう恵まれていて満足できることだと思うし、「功徳を積む」と言うがそのじつ私利私欲かな、と個人のこととしては思う。
だけれども、私ひとりで歩いていられたわけではないのだ。 わかりにくい道を地図で探ることもなく、宿の手配や納経はもちろん、路傍でトイレを探すのから甘いものの補給まで、先達さんたちにすっかりお世話になって、歩かせてもらって、歩けたのだった。私よりも速いひとや遅いひとが居るおかげで、ペースを維持して歩けたのだった。 「自己満足」なんて、おこがましくて、傲慢な物言いだ。
おやつをいただきながら、「私は強欲を隠すまい」とも口走った。 これも、なんておこがましい物言いだろう。
そんな言動をしたこの日の私であることよ。
暗く反省していてもはじまらない。 観て、くらしてゆくしか。
疲れて、脚が痛い。列車でうとうと。3本乗り継ぎ。夜帰宅。
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